12 / 33
第十二話 未解決の中心
しおりを挟む
火災は、記録の中では「事故」だった。
十六年前。
都心から少し外れた、雑居ビルの一室。
原因は電気配線のショート。
死者二名、重軽傷者数名。
それ以上でも、それ以下でもない。
紙の上では。
未解決係の棚から、東堂恒一はそのファイルを抜き取った。
焼け焦げた写真が、丁寧にラミネートされている。
「……展示室の場所と、半径が重なる」
地図を重ねると、妙にきれいに一致した。
火災現場。
失踪事件の発生地点。
そして、最近の未然事案。
円の中心にあるのは、
あの雑居ビルだった。
「偶然にしては、できすぎだな」
三嶋恒一郎が、低く言う。
「事故扱いにされたのも、分かる気がする。
火事はな、全部を燃やしてくれる」
証拠も、記憶も。
東堂は、写真の一枚に目を止めた。
焦げた壁。
黒く変色した床。
——粉。
火災現場の床に、
不自然なほど均一な黒い粉が残っている。
「顔料……」
三嶋は、黙って頷いた。
「当時、画材を扱う小さな研究室が入ってた。
前衛芸術だの、素材研究だの」
東堂の胸が、静かに沈んだ。
その夜、灯は、自分の古い記憶に引き戻されていた。
煙の匂い。
赤く滲む視界。
誰かの叫び声。
——あ。
思い出した瞬間、
胸の奥が、静かになった。
机に向かい、スケッチブックを開く。
鍵は、外していた。
描くつもりは、なかった。
だが、記憶は未来と同じ回路を通る。
白い線。
崩れた壁。
天井から落ちる火花。
そして——
自分の小さな手。
「……私」
灯は、鉛筆を落とした。
あの火災現場に、
自分は、いた。
被害者でも、目撃者でもない。
原因の近くにいた人間。
当時、灯はまだ子どもだった。
美術教室に通い始めたばかりで、
絵の具の匂いが、好きだった。
火は、偶然起きた。
少なくとも、そう信じていた。
だが——
もし。
もし、あの時、
自分が見てしまっていたとしたら。
未来の断片を。
火の、来る方向を。
電話が鳴る。
『不知火さん』
東堂の声だった。
『過去の火災現場、
あなたと関係がありますね』
否定は、できなかった。
「……ありました」
灯は、静かに答えた。
「私、そこにいました」
沈黙。
『それは、重要です』
「重要だから、
ずっと、思い出さないようにしていました」
灯の声は、震えていなかった。
「思い出すと、
描いてしまうから」
通話の向こうで、東堂は言葉を選んだ。
『あなたは、
その火災を、起こしていない』
「分かりません」
灯は、はっきり言った。
「私は、
止めなかったかもしれない」
真実は、そこにあった。
未来を見たからといって、
原因になるわけではない。
だが、止めなかったという事実は、
消えない。
『……展示室の連中は』
東堂が言った。
『その“中心”を、
再現しようとしている』
灯は、目を閉じた。
展示。
観測。
固定。
すべては、あの火災から始まっている。
「東堂さん」
「はい」
「私が、
描くのをやめたら」
少し、間。
「過去は、変わりません」
現実的な答え。
「でも……
未来の“中心”は、
ずらせるかもしれません」
灯は、深く息を吸った。
Aの未来。
描かない未来。
それは、逃げではない。
連鎖を断つ選択だ。
窓の外で、街の灯りが点いた。
灯は、思った。
——私は、
点けてしまった人間だ。
だからこそ、
次は、点けない。
それが、
私の償いだ。
十六年前。
都心から少し外れた、雑居ビルの一室。
原因は電気配線のショート。
死者二名、重軽傷者数名。
それ以上でも、それ以下でもない。
紙の上では。
未解決係の棚から、東堂恒一はそのファイルを抜き取った。
焼け焦げた写真が、丁寧にラミネートされている。
「……展示室の場所と、半径が重なる」
地図を重ねると、妙にきれいに一致した。
火災現場。
失踪事件の発生地点。
そして、最近の未然事案。
円の中心にあるのは、
あの雑居ビルだった。
「偶然にしては、できすぎだな」
三嶋恒一郎が、低く言う。
「事故扱いにされたのも、分かる気がする。
火事はな、全部を燃やしてくれる」
証拠も、記憶も。
東堂は、写真の一枚に目を止めた。
焦げた壁。
黒く変色した床。
——粉。
火災現場の床に、
不自然なほど均一な黒い粉が残っている。
「顔料……」
三嶋は、黙って頷いた。
「当時、画材を扱う小さな研究室が入ってた。
前衛芸術だの、素材研究だの」
東堂の胸が、静かに沈んだ。
その夜、灯は、自分の古い記憶に引き戻されていた。
煙の匂い。
赤く滲む視界。
誰かの叫び声。
——あ。
思い出した瞬間、
胸の奥が、静かになった。
机に向かい、スケッチブックを開く。
鍵は、外していた。
描くつもりは、なかった。
だが、記憶は未来と同じ回路を通る。
白い線。
崩れた壁。
天井から落ちる火花。
そして——
自分の小さな手。
「……私」
灯は、鉛筆を落とした。
あの火災現場に、
自分は、いた。
被害者でも、目撃者でもない。
原因の近くにいた人間。
当時、灯はまだ子どもだった。
美術教室に通い始めたばかりで、
絵の具の匂いが、好きだった。
火は、偶然起きた。
少なくとも、そう信じていた。
だが——
もし。
もし、あの時、
自分が見てしまっていたとしたら。
未来の断片を。
火の、来る方向を。
電話が鳴る。
『不知火さん』
東堂の声だった。
『過去の火災現場、
あなたと関係がありますね』
否定は、できなかった。
「……ありました」
灯は、静かに答えた。
「私、そこにいました」
沈黙。
『それは、重要です』
「重要だから、
ずっと、思い出さないようにしていました」
灯の声は、震えていなかった。
「思い出すと、
描いてしまうから」
通話の向こうで、東堂は言葉を選んだ。
『あなたは、
その火災を、起こしていない』
「分かりません」
灯は、はっきり言った。
「私は、
止めなかったかもしれない」
真実は、そこにあった。
未来を見たからといって、
原因になるわけではない。
だが、止めなかったという事実は、
消えない。
『……展示室の連中は』
東堂が言った。
『その“中心”を、
再現しようとしている』
灯は、目を閉じた。
展示。
観測。
固定。
すべては、あの火災から始まっている。
「東堂さん」
「はい」
「私が、
描くのをやめたら」
少し、間。
「過去は、変わりません」
現実的な答え。
「でも……
未来の“中心”は、
ずらせるかもしれません」
灯は、深く息を吸った。
Aの未来。
描かない未来。
それは、逃げではない。
連鎖を断つ選択だ。
窓の外で、街の灯りが点いた。
灯は、思った。
——私は、
点けてしまった人間だ。
だからこそ、
次は、点けない。
それが、
私の償いだ。
0
あなたにおすすめの小説
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
さようなら、あなたとはもうお別れです
四季
恋愛
十八の誕生日、親から告げられたアセインという青年と婚約した。
幸せになれると思っていた。
そう夢みていたのだ。
しかし、婚約から三ヶ月ほどが経った頃、異変が起こり始める。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる