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前篇:夢の通ひ路

第四十話 其の一

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「――姫様、御身のこと、この小梅にはどうか本当のことをお話しください」

 部屋に着くなり、早々に人払いをしたかと思ったら、小梅は真剣な表情でそう言った。どこか怒っているような、けれど「三の君」を心配しているような瞳が、こちらを見据えている。
 今この部屋にいるのは、私と彼女だけだった。雛菊さえも用事を言いつけて外へやったのだから、彼女の本気度が伺える。しかし、これにどう返せばいいものだろうか。彼女にとっての正解を捻りださなければ、後々面倒なことになる。
 一先ひとまず考えるだけの時間を稼ぐことにし、私は小首をかしげてみた。

「小梅、突然どうしたの?」
「はぐらかさないで下さいませ。いつまでもわたくしの目を誤魔化ごまかせるとでもお思いでしょうか。この頃の姫様のご様子は明らかにおかしいですわ。なぜ、かたくなに寝不足だと言い張るのです」

 言い逃れなど決してさせない――そう言っているかのような口調だ。丁寧ではあるのに、強い意志を感じる。私に譲れぬものがあるように、小梅にもここは譲れないところなのだろう。三の君は彼女の主人であると同時に、乳兄弟という家族同然の存在なのだから、考えてみればそれも当然のことであった。
 前々から気になってはいたものの、私に遠慮し口を閉ざしていたが、いよいよ目を瞑ることもできなくなったのだろう。この二週間の間に、私が呼びかけに反応しないほど深い眠りに度々落ちていたことを小梅は目の当たりにしているし、彼女はその都度フォローもしてきてくれていたのだから。
 もちろん、三の君の夢を繰り返し見ているわけなのだが、それを知らない私以外の人間からすれば、私の睡眠はただ異常な状態に見えるはずだ。

 こうなってくると厄介なのが、小梅はとても頭のいい女性だということだ。
 私の体調不良の理由が「不眠だから」でいつまでも通るわけもなく、いずれこんなふうに問い詰められるような気はしていた。その時期が、少しばかりこちらの想定よりも早かったことが計算違いだっただけで、この状況が訪れること自体は覚悟していた。だから驚きはしなかったが、対策を考える前に切り出されたので内心冷や汗ものである。小梅が納得し引き下がるだけの返答が見つかる気配は一切ない。
 ……さて、どうしたものか。

「先ほども牛車の中でお眠りあそばしていらっしゃいましたでしょう。邸に着いても、わたくしがお声掛けするまでお目覚めになりませんでしたわ。いくらなんでも……」
「ええ、いくらなんでも牛車で居眠りなんて、お行儀が悪かったわね。久しぶりに姫宮様の元へ伺ったものだから、きっと緊張して疲れてしまったんだわ。これからは気をつけます」
「そういうことではございませんわ、わたくしはっ……!」
「あなたが機転を利かせて私の失態を上手に隠してくれたこと、とても助かったわ。いつもありがとう、小梅」

 半ば無理やり遮るようにして言い、私は微笑んだ。小梅の弱点が「三の君の微笑み」であることを知っていて、そうしているのだ。もう切り札のようなものだが、ここで使わずにいつ使う。情けないことに、彼女の追及を切り抜けられる唯一の方法が今はこれしか浮かばない。

 小梅の言いたいことは十分に分かる。三の君を心から案じての言葉ということも理解している。それでも、彼女に宮と同じようなことを話すわけにはいかなかった。
 そもそも小梅は、私のことを「記憶を失った三の君」と認識しているものの、宮のように全くの別人格であるとは思っていない。今更、そこから説明をするのもかなり厳しいし、彼女にも多大な衝撃と負担を与えることになるはずだ。そんなことは望んでいない。

 私は小梅を信頼していないわけではないし、逆に彼女が必要だとはっきりと言える。
 現に、五条院から左大臣邸へ戻るまでの間、私が眠りこけてしまったことを、周りには疲れによる体調不良のせいだと伝え、邸に着いた際にも、寝顔を他の者にさらすことのないよう、声を掛け起こしてくれた。雛菊ではきっとここまで上手くはいかない。頭の回転が速く、三の君と長い間共に過ごしてきた小梅だからこそできることだ。
 知らず知らずのうちに、彼女に助けられてきた部分は数え切れないほど多い。そんな彼女を、意味もなくこれ以上悩ませたくはなかった。

「心配をかけてごめんなさい、でも本当に何もないのよ。どこも悪くなどないわ」
「いいえ、あのような――倒れこむように意識を失われた姫様を見て、そのお言葉をどうしてわたくしが信じられますでしょうか。今すぐにでも薬師を呼び、診ていただくのがよろしいかと存じます」
「大げさね。このところ、ずっと夢見が悪く寝不足が続いているの。きっとそのせいだわ」
「では悪しきものの仕業ということでしょうか。加持祈祷の準備をするよう申し伝えましょう」
「そんなに話を大げさにしないで。もう、物の怪に憑かれてなどいないわ。あなただって、そのようなことは本気で考えてはいないでしょう? また大々的に加持祈祷などしたら、物の怪姫の噂が再来するわよ」
「それは……おっしゃる通りですが。……姫様、わたくしには話せぬことなのでございますか。わたくしではお力になれぬことでしょうか」

 力なくそう呟いた小梅に、いいえ、と否定した。
 そういうわけでは決してない。小梅をこうして傷つけるつもりもない。それだけは分かってほしい。やはり、全てを彼女に隠し通すことは無理だ。

「あなたには十分助けられているし、頼りにしているわ。ただ、お父様やお母様には知られたくないの。お願いよ、小梅。ただの寝不足ということにしてちょうだい。あなたがそういえば、そうなるわ」
「姫様! それは、御身に何かが起こっているとおっしゃっているのど同義でございますわ」
「……お願いよ」
「仮にわたくしが姫様のお身体のことを殿様や東の方様に伏せたとて、宮様を欺くことなどできません。宮様にも御身の不調を隠すのでございますか」
「宮様は既にご存知よ。その上で私を妻にして下さったの」
「なんと…… 宮様が……?」

 想像していた返事とは違ったのだろう。小梅を言葉を失い、呆然としていた。宮までもがこの事実を知り、あえて伏せているとなれば、ただの女房である小梅がどうこうできるわけではない。それが分かっているのだ。

 もうここまで話してしまっているのだから、小梅にも協力してもらおう。
 一人ではどうにも手が回らず、近しい人の助けを欲しいと思っていたのも事実だ。できれば、巻き込みたくはなかった。けれど、私が頼れる人など宮と彼女以外にはいないのだから。

「小梅、先ほどの言葉は本当よ。あなたを信頼している。だからあなたに、今まであなたがそうしてきてくれたように、今後のこともお願いしたい」
「姫様……? なにを……」
「私が眠るように意識を失う時間も頻度も、随分と増えているわ。この先も増え続けることでしょう。眠る前は、その兆候が直前に見えるときもあれば、何もできぬまま突然倒れてしまうこともある。その後始末を、貴女にお願いしたいの。今日のように」
「そのようなことっ……姫様、御身に何が起こっているのですか? わたくしは……わたくしはもう、あのような思いは――」

 我慢しきれず、とうとうほろりと涙を落した小梅に罪悪感にも似た感情が込み上げてくる。

 三の君が死にかけたことは二度ある。
 一度目は長兄を喪い、食事を放棄して伏せ続けた時。二度目は、私が目覚める直前、高熱で寝込んだ時。そのどちらにも小梅は居合わせているし、その場を目にしている。
 私として一度は元気になりかけた三の君が、また弱っていく様子を見るのは、小梅にとってもひどく辛い出来事を思い起こさせ、不安を呼ぶのだろう。

「これは、病でも物の怪のせいでもないの。だから、薬師を呼んでも、加持祈祷をしてもどうにもならないわ。だから、お父様やお母さま、邸の者達には黙っていて。余計、ご心配をおかけするでしょうから」
「そんなっ……姫様っ…!」
「大丈夫、命に関わりはないし、一時的なものよ。けれど、まだしばらくは今の状態が続くと思うの。何かあったときはお願いね。きっと雛菊にはまだ荷が重い。咄嗟の判断はできないでしょう。だから頼れるのは、小梅、貴女だけなの」
「姫様はずるい…… わたくしが、断れるはずもないでしょうに」
「ええ、私はずるいわね。貴女の良心と忠誠心に訴えているのだもの。辛い役目を押し付けてごめんなさい、小梅。……ごめんなさい」

 この先、私が倒れる度に彼女は心臓が止まってしまうような思いを味わうのだろうか。それは、あと何度だろうか。彼女の計り知れない心痛を思うと、申し訳なさでいっぱいになる。
 けれど、きっとその先には、また平和で幸せが日々が戻ってくる。本当の主である「三の君」がこの身体にいるはずだ。そうなるように、これから私は私にできることをするしかないし、元よりそのつもりだ。自分自身はもちろんのこと、三の君や、こうして泣いてくれる小梅のためにも。

 必ず三の君の魂をここに戻す――二人共ども消えたりなど絶対にしない。小梅に話した、「命には関わりのない、一時的なもの」が後々、真実であったのだと彼女に示さなければ。改めてそう強く決意した。

「姫様のお頼みとあらば、いかようにも。小梅は姫様が右といえば、たとえそれが左でも右と申しますわ」
「ええ、ありがとう。貴女が助けてくれるなら、心強いわ」
「しかし、姫様。病でも物の怪の仕業でもないとなると、一体何故このようなことが起こるのでしょうか」

 姫様は、ご存知なのでしょう。そう、小梅の目が問いかけていた。

「そうね…… 業、のせいかしら」
「業?」

 繰り返した小梅に頷き、もう一度言った。天狗がいう「魂の業」とやらが理由でこんなことになっているというのなら、この表現が一番合うだろう。

「呪いのようなものよ」
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