名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

女神像

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 宮殿の中を歩きながら、マリーはあちこちに視線を向けていた。廊下ひとつにしても天井が高く、足音が何度も何度も壁のにぶつかりながら響き渡っている。
 建物は白を基調とした石造りではあったが、その石はやや青みのかかった光を放っている。おそらく現実の世には存在しないような素材で出来ているのだろう。
 柱にしても途中に継ぎ目のようなものがなく、まるで大木のようにまっすぐ高く伸び上がっている。

 ルキウスはやや早足で前を歩いていた。背の高いルキウスが足早に歩くものだから、ついていくためにはこちらはかなり早足で歩かなければいけない。
 どうやら人と歩調を合わせるなどということは考えもしないらしい。そのルキウスだったが、一体の像の前でふと立ち止まった。

 人の身長の二倍近い女神像を黙ったまま見上げている。マリーもつられてその像を見た。女神像は表面が白いものの、この宮殿の素材とは違って光らしいものは溢れていない。
 女神像は裸体に布らしきものを巻きつけただけで、片方の乳房が顕わになっていた。

 どうしてこの像の前でルキウスが立ち止まったのかわからない。まさか女神像の体に見惚れているわけでもないと思うが、ルキウスの表情から意図を読み取ることが出来なかった。

「ねぇ、どうしたの?」
「……いや」

 どうも歯切れが悪い。ルキウスは自分の中にある何かを直接的に表現することに躊躇いを覚えたようだった。
 なんの許可もなく人の胸を触ってくるような男が、どうして迷うのだろう。

「この女神像がどうかしたの?」
「女神像か、マリーよ、この像を見てどう思う?」
「どうって……」

 彫刻や芸術に造詣があるわけでもない。しっかり見たところで何か実りのある言葉が出る気がしなかった。
 それでもとりあえずは女神像を見上げて考えてみる。そこでひとつのことに気づいた。

「この像、わたしに似てる気がする」

 そう言うとルキウスはぱっと首をこちらに向けてきた。呆れというよりは、驚きのような表情だった。紙数枚分だけルキウスの目がいつもより大きく開かれている。
 こいつは何を言っているのだと思っているのかもしれない。

「別に、言ってみただけよ。わたしはこんなに足は長くないし」

 女神像はすらっとした足を惜しげもなく晒している。女神の体にまとわりつく布は、風を受けている状態を表現するためかあちこちがふわっと広がっていた。
 彫刻でこんなものを再現するのはとても大変だろうと素人ながらに考えてしまう。

 ルキウスは視線を女神像に戻し、溜息を吐いた。

「確かに、言われて見ればマリーに似ている気もする。乳房が豊満でありながら、腰は細くくびれている。それでありながら腿や尻などの肉付きはよい」

 ルキウスが真面目な顔で像の論評している。発言の中身はそこらのおっさんが男好きのする体を語っているかのようだったが、ルキウスの低い声と表情のせいで何故か堅苦しい印象を覚えた。
 どうしてこの像が気になったのかはわからない。

「ねぇルキウス、この像がどうかしたの? あなたのお気に入りだとかそういうの?」
「……この像は、余が作ったものだ」
「ええっ?! 嘘っ?!」
「何故嘘などつかねばならんのだ。この像は正真正銘、余が精力を傾けて彫ったものだ」
「あ、いや別に嘘つきって罵ってるわけじゃないわよ」

 前にもこんなやりとりがあったような気がする。
 ルキウスは心外だとばかりにわずかに目を細めていた。

「それにしてもルキウス、あなた凄いのね。こんな像まで作っちゃうなんて」
「余は多才であるからな。概ね一通りのことは学んだ。絵を描くこともあれば作曲や演奏などもこなした」
「凄いわね」

 優れた魔法にも驚いたが、それとは別種の驚きが襲ってくる。魔法は違う世界において優れているものであって、遠くにある背の高い建造物を眺めているような心地だった。しかし芸術のようにある意味身近なものでの才能というのは、巨大な教会の目の前に立ったかのようで圧倒されてしまう。
 頭も良く、この地上で最も強く、さらに芸術の才まで備えている。生まれは途方もなく高貴で、多くの者に崇拝され尊敬を集めている。

 そんな相手が自分と一緒にいるというのは随分奇妙なことだと思えた。
 ルキウスの凄さを改めて実感していると、ルキウスは用が済んだとばかりに歩き出した。

 ルキウスのさきほどより歩調は遅かったが、マリーはやや早足でなければついていけない。

「理想を作り上げようと考えてな、余は自分が理想とするような女の体を彫ったわけだ」
「ふぅん」
「つまりあのような体つきが余の好みである。それがマリーに似ているというのは喜ばしいことだ。まさしくあの女神像が肉を持って目の前にいるようなものなのだからな。しかもその体を存分に味わえるのだから、実に素晴らしい。いや、たまらないと言うべきか」

 マリーの中にあったルキウスへの素朴な尊敬が冷たい風に攫われて消え去った。






 風呂があると言っていたが、実態は露天風呂だった。宮殿の庭らしき場所がまるまる温泉のようになっている。一体どこからお湯が溢れているのかさっぱりわからない。この空に浮かぶ宮殿に水源らしきものがあるとは思えなかった。
 お湯が湯気を放ちながら奇妙な生き物を象った像の口からどぽどぽと溢れている。お湯は緑がかっていて、温度もちょうど気持ちよい。
 湯の張ってある風呂は、宿屋の狭い部屋なら二つは入りそうなほどに広い。マリーはそこからお湯を汲んで体を洗った。

 ルキウスから借りた石鹸は、自分が普段使っているものに比べると随分と硬かった。こういう石鹸は非常に高価だ。
 庶民が使うのは灰汁と獣脂を煮詰めて作るものだが、それらはどろっとした液状になっている。一方、この石鹸は固形で、さらに何かの花の匂いがつけられていた。
 こんなもので体を洗うというのは何か勿体無い気がしてしまう。

 体を洗い終えたころになって、ルキウスの声が響いた。

「マリー、まだか」
「まだよ」
「早くしろ」

 ルキウスの声には苛立ちが混じっていた。この宮殿の主を差し置いて自分が先に入ったのだから、怒るのも仕方が無いかもしれない。
 向こうは一緒に入ろうと言って来たが、そういうわけにもいかない。ルキウスをどうにか説得して、先に自分だけ身支度をさせてもらうことにした。

 納得してもらったはずだが、ルキウスは怒りが収まらないらしい。ルキウスからはこちらの姿を見ることが出来ない位置で待機してもらっている。

「マリー、まだか?」
「まだよ、そんなに焦らないでよ」
「まったく、何故女というのは身支度だのなんだの言って男を追い出すのだ。しかも必要とは思えないほど時間をかけて」
「それはねルキウス、男にはわからないのよ。女は花のようにただ育って美しくなるわけじゃないの」
「男にはわからないだと? 妻にも同じことを言われたぞ。それで怒りを買ってしまったものだ」

 きっとルキウスは憤然とした様子で溜息を吐いているのだろう。

「余はそれで何度か失敗をした。そういうわけでこうやって大人しく待っているのだ。余を待たせるという所業を許しているのだぞ、それなりに償いはしてもらう。早くしろ」
「ルキウス、勝手に入らないっていうのは偉いと思うけれど、そうやって女を急かすのもダメよ」
「また妻と同じことを言う。女という生き物は余には理解できん」

 これ以上待たせるのもよくないだろう。マリーは体を洗い流し終えてから素早く白い布を体に巻いた。

「お待たせルキウス、入ってもいいわよ」
「よし」

 壁の向こう側から出来たルキウスはすでに全裸だった。大股で素早くこちらに歩いてくる。
 その大股の中央では、巨大な砲がすでに臨戦態勢に入っていた。マリーは引いた。
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