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第三章 誰かの目的地、誰かの帰り道
最初の村
しおりを挟む白髭の老人が言う。
「生憎だが、村にあった宿はもう廃業しちまってね」
門をくぐって村の中に入った後、アデルは近くにいた住民らしき人物に宿があるのかどうかを尋ねた。
もじゃもじゃの白い顎髭を蓄えた老人の答えは、アデルにとって喜ばしいものではなかった。肘掛の無い椅子に座ってくつろいでいた老人は、それ以上何も言うことは無いと言わんばかりに視線をアデルから外した。
宿が無いと聞かされたアデルが、渋い表情を作る。
「む……、それは困ったことになりましたな。ふむ、どうしたものか」
アデルは顎に手をやって石畳に目を落とした。老人はアデルのその表情をじろりと伺い、短く息を吐く。
「丘の教会なら泊めてくれるだろう。そこに行ってみるといい。今は少しばかり忙しいかもしれんが」
「おお、教会ですか。しかし、忙しいとは?」
アデルの問いに老人が一度口をぴくりと動かし、それから積み木を積むような慎重な態度で言葉を続けた。
「こないだ、空が爆発しただろう。それであちこちの窓ガラスやら何やらが割れたりしてな。世界の終わりかとあちこちから人が集まっている」
「ああ、なるほど……」
空の爆発というのは隕石のことだろうとアデルは思い至った。確かにあんなことがあれば、教会に行きたくなる気持ちは理解できる。
だが村の事情にあれこれ言うのも何か違うだろう。深く立ち入るべきではない。
アデルはそれ以上隕石騒ぎのことには触れず、老人の忠告に従うことにした。
「ふむ、ではお言葉に従って教会へ行ってみることにします。親切に答えてくださってありがとうございます」
「……お前さん、軍人か?」
老人はじっとアデルの瞳を見つめて、体を軽く前へと乗り出した。
その視線は老人のものとは思えないほど鋭く、アデルは思わず半歩下がってしまった。
「いや、違いますが? ただの農民ですな」
「そのブーツ、軍人が使うものだろう? 足首まで覆ってる頑丈な奴だ、足の甲のベルトは拍車が付けられるようになっている」
老人にそう言われて、アデルは靴に目を落とした。
「ああ、実は魔物討伐の編成軍にこないだまで駆り出されておったんで、まぁ……。わしは大したことなどしておりませんが」
「ほうっ!」
老人は大きく声をあげて驚いた。眉を吊り上げて目を見開いている。
「あれか、色々と話題になったな。結局、あまり上手いことは行かなかったようだが」
「はっはっは、まぁそうですな。とはいえ、そういうのを考えるのはもっと偉い人たちのことなので、ただの名も無き農民に過ぎんわしにとってはそれをどうこう語るなど」
「そうかそうか……。あの魔物討伐軍にいたのか……、それは大変だっただろう」
老人が背もたれに深く背を預けて、一度お腹を大きく動かして呼吸をした。
過去のことをこれ以上話し続ける気にもなれない。
「はぁ、わしは大したことなどしておらんので、恥ずかしながら」
「おい若いの」
もう一度老人が体を乗り出して、そしてアデルの顔を見上げた。
「はい?」
「悪いことは言わん、その魔物討伐軍にいたことは、この村では黙っておけ」
「はぁ……、それは別に構いませんが、しかし何故? 掠奪働きなどしておらんはずですが」
「……この村も、魔物に苦しめられている村だ。一つ目のトロルに城壁を一部破壊され、今もそこはそのままになってる。魔物が寄り付くという噂が立ってから、外部からもあまり人が来なくなった。宿屋の廃業もそのせいだな。元々は大都市同士を結ぶ街道の途中にあるし、巡礼者も立ち寄って、そこそこ賑わっていたのだが」
「ほう……」
アデルが目を細める。
老人は声を潜めて続けた。
「そう、ここは魔物に苦しめられている村だ」
ちょっと風邪を引いた程度のことを話すような軽い口調で老人がそう言った。
アデルは軽く首を捻ってしばらく思案した後、口をついた。
「つまり、魔物討伐に失敗したわしのような輩にはあまり良い感情は抱かんと、そういうことですかな」
「……まぁそんなところだ」
老人に別れを告げてから、アデルは崖の近くに立っている教会を目指して歩き始めた。
ずっと黙っていたソフィが、ようやく口を開く。
「のうアデルよ、この村は魔物に苦しめられておったのか」
「ふむ、まぁそのようじゃの。しかし、それをソフィが今更気にしても仕方なかろう。魔物は消え去ったし、この村にもやがて平和が戻るじゃろう」
アデルはそう言ってあたりを見渡した。魔物に苦しめられている村、そう老人は言った。しかし、アデルが見た限りでは恐怖に怯えている人はまったく見当たらない。
井戸端では主婦が談笑しているし、坂道を明るい笑顔で駆けていく子どももいた。あちこちで金槌を叩く音がして、男たちが窓ガラスの代わりに板を嵌め込んでいる。
その顔も特に怯えのようなものは見えなかった。
何か妙だと思っていると、後ろからついてきたソフィが尋ねてきた。
「おいアデルよ、ところで魔物討伐軍というのはなんじゃ? お主は妾と会うまで一体何をしておったんじゃ」
「おっ、なんと! 遠目にはレンガかと思っておったが、ここらの赤い壁、すべて赤色砂岩ではないか。こんな豊富に砂岩があるとは、近くに良い石切り場があるのかのう。表面には漆喰が塗られておったようじゃが、それらが剥げてしまったのか。しかし、うむ、間の石灰モルタルの白や半端に残った漆喰の白と対照的で実に美しいのう、どうやらこうやって間をわざと広く取って白を強調しておるのかもしれん。実に綺麗ではないか、そう思わんかソフィ?」
「これアデル、今、とんでもない勢いで話を逸らしおったな」
「はっはっは! バレたかぁ!」
ソフィがじとっとした目でアデルを睨み、不満そうにうーと唸る。
過去に色々あったが、子どもに話すようなことでもない。アデルは前を向いてさらに足を勧めた。
「いやまあ、とりたてて人に言うようなことでもないからの。気にするでない」
「気になるのじゃ」
「む……。なんじゃ今日のソフィさんはちっと頑固じゃの」
「ええい、茶化すでない」
ぷんすか怒っているソフィに、アデルがふーむ、と考え込む。
「そうじゃな、まぁ別に話して困るようなことでもないので言うが、そのまんまじゃな。魔物を討伐するための軍が編成されて、わしはそれに駆り出されてしばらくは牛馬のごとく働いておったのじゃ」
「ほう、そんなものがあったのか」
「うむそうじゃ。ただそれだけよ、結局、その軍はあまり上手いことは行かんでのう。ま、それだけじゃ。魔物の王たるソフィにそんなこと言っても、別に面白くもないじゃろうから黙っておった」
「別に妾は気にせん。そういうことは遠慮せずに言うがよい」
「ははっ、しかし、魔物を倒して回る話など面白くはないじゃろ」
アデルは快活に笑ってそう言ったが、ソフィは不満そうに唇を尖らせていた。
「妾は、別にそういうのでなくて……、アデルのことがもう少し知りたかっただけじゃ」
「む……、可愛い顔でそんなことを言われては参るのう」
「な! か、勘違いするでないぞ! 妾はただ、今後色々とアデルに世話になるじゃろうし、その色々知っておいたほうが良いと思っただけじゃ」
ソフィが何を言いたいのかはアデルにはよくわからなかった。とりあえず笑って返す。
「ははは、まぁそうじゃな。お互いに色々と深く通じ合って、そしてもっと仲良くなり、楽しい生活を送ろうではないか。そのために、わしはまずソフィにとって信用に足る男でおらんとな」
ソフィは頬を赤くしたまま目を閉じて顎をつんと持ち上げた。
「うむ、まぁそのように励むのじゃ」
老人の言った通り、教会の前の広場には人がまばらに集まっていた。広場の中央にあるナラの木の周りで、この村の住人らしき人たちが談笑をしている。
あの老人の言いざまだと、世界の終末の近づきを予感した人たちが縋りつくように教会を訪れているかのようだったが、実際にはこれを機会にしてしばらく会っていなかった人たちがたまたま会い、久闊を叙しているようだった。
ふと、住人たちの視線がアデルに注がれる。素性の知れない怪しい輩がやってきた、その視線にはそう描かれていた。
「うむ、悪目立ちしておるようじゃの」
アデルは住人たちから視線を逸らして、教会のファサードの前へとやってきた。ソフィは教会を見上げてぼんやり口を開けながら深い息を吐き出している。
「はー、なんと大きな……」
「そうじゃな、美しいのう」
他の建物と同じく赤い砂岩で建てられているらしい。中央に大きな塔と、その脇のほうにもうひとつ小さな塔があり、そこに鐘がぶら下がっている。
窓や玄関口などはすべて半円アーチになっていて、割れたと思しき窓にはその場しのぎのためか板が取り付けられていた。
ちょうど玄関から緑色の服を着た若い男が出てきて、アデルはその男に話しかけた。
「もし、えーと、この教会の神父様でしょうか?」
「いえ、私は助祭ですが、何か御用でしょうか?」
緑色の服に紺色の襷をかけた助祭が、胡散臭そうにアデルの姿を眺める。警戒されていることに気づいて、アデルは一度荷物を肩からすべて降ろし、丁寧な口調で話し始めた。
「実は我らは旅の途中でこの村に寄らせてもらったのですが、この村にある宿が廃業したと村の入り口で老人に聞かされましてな。その老人が言うには、この教会であれば一泊の御慈悲を頂けるのではないかと。それでここまでやってきた次第です」
「ああ、なるほど」
謎が解けた瞬間のように、助祭は小さく頷いた。
「ええ、実に困っておったのです。わし一人であれば夜露に濡れることを厭いませんが、今は連れがおりまして、出きれば屋根の下で眠らせてやりたいのです」
「そういうことでしたら大丈夫ですよ、宿ほど良いものではありませんが、客用の部屋がありますから」
「なんと! 本当ですか! おお、神よ! 御慈悲に感謝致します」
断られたらどうしようと考えていただけに、拍子抜けするほどあっさり受け入れられてアデルは驚いた。
「ええ、もちろん」
そう言って助祭はじっとアデルの目を見つめる。
アデルは腰のベルトに下げた革の袋を取り出し、その中に指を入れた。
「我らのような世俗の垢に塗れた者は、このような形でしか感謝の気持ちを表わすことが出来ないので本当に心苦しいのですが……、主がお許しになるかどうかはわかりませんが、受け取っては頂けないかと心より懇願する次第であります」
「ええ、大丈夫ですよ。少々お待ちください」
助祭はそう言って教会の横に建っていた離れに入り、それから銀色の杯を持って戻ってきた。
アデルはその杯の中に銀貨を三枚置いた。助祭が満足気に頷き、杯を置きにもう一度離れに戻る。
戻ってきた助祭がにこやかに笑みを浮かべながら言った。
「それではご案内いたしましょう。ああ、荷物を運ぶのを手伝いましょう」
助祭はアデルが地面に置いた荷物をちらちらと伺って、ソフィの私物が詰め込まれた行李に近寄った。
「おお、手伝って頂けるとは、ありがとうございます」
「ははは、なんの」
そう言ってから助祭がソフィの行李を持ち上げようとして、その意外な重さにうっと声を漏らした。
「大丈夫ですか助祭様、無理をなさらずに。こういう力仕事はわしのような農民にお任せください。主の教えに従い、普段から牛馬のごとく働いておりますゆえ」
「そ、そうですか? いや、お恥ずかしい」
アデルは天秤棒代わりのフレイルごと肩に担いで荷物を持ち上げた。
「はは……、凄いですね、いや驚きました」
「ははは、野良仕事で鍛えられておりますからな」
「なるほど、そうですか。いや、失礼ながら実は最初お見かけした時は、また素性の怪しい商人がやってきたのかとばかり」
アデルとソフィは助祭の後について教会の裏手のほうへと歩き始める。
「また、というと?」
「まぁ色々とやってくるのですよ、武器や幸運をもたらす宝石などと言ってくだらない物などを売り込みに来る者たちが」
「あぁ、そういう輩が蔓延るとは嘆かわしいことですな」
「まったくです。先日、空が大きく光を放ち轟音がしたことがあったでしょう? その後にも、色々な風説が飛び交い、我々の教区では対応に大忙しですよ。中には魔物の軍隊が攻めてくるのだと煽って武器を売りに来たりするものもね」
本当に忌々しく思っているのか、助祭は首を振った。
「おお、なんとも許しがたい守銭奴ですな。この村は魔物に襲われていると聞きました、その苦しみや今回の隕石騒ぎを利用して儲けようなどとは、まったく愚かな」
アデルがそう言うと、助祭がぴたりと立ち止まった。
「え、ええ、まぁそうですね。私もそう思います」
言葉を濁すようにそう答えて、助祭は二人を部屋へと案内した。
応援ありがとうございます!
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