名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

文字の大きさ
564 / 586
第二部 第三章

シシィのまどろみ













 覚醒と眠りの間は甘い霧に満たされていた。柔らかく、輪郭の無いまどろみ。
 シシィは目を閉じたまま椅子に座り、暖炉から放たれる熱に身を委ねていた。朝から眠気が抜けず、暖炉の前に座ったせいもあって意識は次第に薄れてゆく。
 家の中は暖かく、肌に触れる空気は綿のように優しい。

 やがて境目もなく眠りの淵へと落ちた。
 ふと目が覚めると、ベッドの上に寝ていることに気づいた。体にかかる重みに暖かさを感じる。
 目を開けると、アデルが暖炉の前に座っているのが見えた。

 アデルは暖炉の中に火かき棒を入れて暖炉の中の薪を動かしている。穏やかな手付きで、まるで炎を撫でているかのようだ。そうやってゆっくりと手を動かしているのは、きっと大きな音を立てないようにと気を使っているからだろう。
 椅子で寝ていたはずの自分をベッドに運んだのもアデルに違いない。運ばれたにも関わらず、まったく起きなかった。

 こんなことは初めてだ。
 今までは、人前で眠ることさえ恐ろしいことだった。自分の身は自分で守らなければいけないのだから、いつでもすぐに戦えるように心がけていた。
 それなのに、今はこうやって安心して眠りについている。何も心配せず、何も怖がらず、眠りの中で体を委ねてしまえる。

 これが幸福なのかもしれない。

 暖炉から放たれる光がアデルの顔を照らしている。音を立てないように、仰向けからゆっくりと体を転がして横になった。そうすることでアデルの姿をまっすぐ見られるようになる。
 
 こうやってアデルの顔を見ていると、心がどんどん暖かくなっていった。

 ふとアデルがこちらに目を向けた。

「おや、起きたようじゃな」

 気づかれてしまった。仰向けに寝ていたのに横臥になっているのだから、気づくのも当然かもしれない。
 もっとアデルの顔を密かに眺めていたかったが、そうはいかないようだ。アデルは火かき棒を暖炉の横へ立てかけると、椅子と一緒にベッドの横へと来た。
 アデルが椅子にどっしりと腰掛け、こちらの顔を覗き込んでくる。

「随分と眠そうじゃのう」
「……あなたが寝かせてくれなかったから」
「はっはっは、シシィが可愛すぎるからではないかのう」

 そう言って快活に笑う。それからそっと左手を伸ばしてきて、こちらの髪に触れた。大きな手、太い指、髪の間にすべりこむ。

「リディアなど呆れて出ていったでのう」
「……そう」

 今日は森へ行く予定だった。しかしリディアは一人で行ってしまったようだ。
 リディアにだけ仕事をさせるのは申し訳ない気もする。
 時間はわからないが、もう昼近いということはよくわかった。家の中に細く入り込む光線が、太陽の位置を教えてくれる。
 起きなければいけない。それでも体を動かしたくはなかった。ベッドの中は自分の体温で温かくなっている。アデルのベッドだから、息をする度にアデルの匂いがした。
 鼻の奥から脳へと染み込んでくるかのようだ。アデルの指が頭に触れると、段々眠くなってきた。

 ソフィは今日は友達の家へ遊びに行くと言っていた。しばらく帰ってはこないだろう。
 アデルの指先が髪の間をすりぬけてゆく。硬い指先が頭皮に触れる。
 ゆっくりと手を伸ばし、アデルの手首を掴んだ。子どもでも振り解けるような弱い力で掴んだにも関わらず、アデルは特に振りほどこうとはしなかった。その手首を掴んで、自分の顔の前のほうへと持ってくる。

 そして、アデルの中指を自分の唇の前へと持ってきた。アデルの指は自分のような娘とは違って太くて大きい。その硬さもまるで違っていた。
 その指先を口の中に含んだ。唇を閉じて、指先を吸う。歯の間にずっと差し入れて、深く咥え込んだ。

「おや」

 アデルが声を上げたが、抵抗する気は無いようだった。アデルの指先に舌を当てる。硬い感触が舌先に伝わってきた。
 薪の爆ぜる音が聞こえる。その音の合間に、アデルの静かな呼吸の音が聞こえた。きっと外は寒いに違いない。冷たい空気が服の間に入り込んできて、心までも凍らせようとするにだろう。
 それに比べて、ここは暖かかった。寒さというものがこの世界から消え去ってしまったかのようだ。
 アデルの匂いのする寝具に包まれ、アデルの指を口に含む。

 アデルは空いた右手で、こちらの顔にかかっていた髪をそっと払い除けた。その行為に心臓がきゅっと縮まる。甘い痛みが心臓から内蔵へと降りていって、骨盤の間をチリチリと刺激した。
 もぞもぞと動いて姿勢を正す。

 アデルが右手でそっと頭をなでてきた。

「ゆっくり休むといい」

 暖かい声が耳に染み込んでくる。それだけで安らぎが全身に広がっていった。もう何も怖いものが無い。
 今までの生活は、危険と隣合わせだった。常に何者かの襲撃に備え、気を張る必要があったのだ。しかし、皮膚の下にまで染み込んでいた恐れが、どんどん溶けて消えてゆく。もう何も恐れる必要はない。
 アデルが守ってくれる。暖かなこの場所で生きてゆける。いつまでも幸せに暮らしてゆける。

 目蓋の裏が象牙のような淡い白で溢れていった。それにつれて段々と意識が薄れてゆく。それでも何も怖くない。アデルがいてくれるから。


 意識という大地はしんしんと降る雪に覆われていく。
 アデルがいてくれるから、怖いものは何もなくなった。
 けれど、怖いものは本当に無くなったのだろうか。アデルがいてくれるから怖くないのだとすれば、アデルがいなくなったらどうなるのだろう。

 思考は段々と覆われてゆく。自分自身が消え去ってゆくかのようだった。それでも怖くない。
 アデルにすべてを委ねていれば、何も考えず、何も恐れず、ずっと、幸せに暮らしてゆけるはずだ。

 アデルの指を口に含みながら、意識はついに途切れた。













あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

最上級のパーティで最底辺の扱いを受けていたDランク錬金術師は新パーティで成り上がるようです(完)

みかん畑
ファンタジー
最上級のパーティで『荷物持ち』と嘲笑されていた僕は、パーティからクビを宣告されて抜けることにした。 在籍中は僕が色々肩代わりしてたけど、僕を荷物持ち扱いするくらい優秀な仲間たちなので、抜けても問題はないと思ってます。

僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた

黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。 その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。 曖昧なのには理由があった。 『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。 どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。 ※小説家になろうにも随時転載中。 レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。 それでも皆はレンが勇者だと思っていた。 突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。 はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。 ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。 ※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。

S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります

内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品] 冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた! 物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。 職人ギルドから追放された美少女ソフィア。 逃亡中の魔法使いノエル。 騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。 彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。 カクヨムにて完結済み。 ( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )

戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに

千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」 「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」 許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。 許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。 上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。 言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。 絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、 「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」 何故か求婚されることに。 困りながらも巻き込まれる騒動を通じて ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。 こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。

落ちこぼれの貴族、現地の人達を味方に付けて頑張ります!

ユーリ
ファンタジー
気がつくと、見知らぬ部屋のベッドの上で、状況が理解できず混乱していた僕は、鏡の前に立って、あることを思い出した。 ここはリュカとして生きてきた異世界で、僕は“落ちこぼれ貴族の息子”だった。しかも最悪なことに、さっき行われた絶対失敗出来ない召喚の儀で、僕だけが失敗した。 そのせいで、貴族としての評価は確実に地に落ちる。けれど、両親は超が付くほど過保護だから、家から追い出される心配は……たぶん無い。 問題は一つ。 兄様との関係が、どうしようもなく悪い。 僕は両親に甘やかされ、勉強もサボり放題。その積み重ねのせいで、兄様との距離は遠く、話しかけるだけで気まずい空気に。 このまま兄様が家督を継いだら、屋敷から追い出されるかもしれない! 追い出されないように兄様との関係を改善し、いざ追い出されても生きていけるように勉強して強くなる!……のはずが、勉強をサボっていたせいで、一般常識すら分からないところからのスタートだった。 それでも、兄様との距離を縮めようと努力しているのに、なかなか縮まらない! むしろ避けられてる気さえする!! それでもめげずに、今日も兄様との関係修復、頑張ります! 5/9から小説になろうでも掲載中

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。