想いが何度も繰り返させる

ハチ助

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10.悪夢の真相

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 次兄の暴走により一瞬、騒然となったアスターの執務室だが、出来るだけ内密に少人数で対応させ、早々に父と長兄にこの事を報告するようにアスターが指示を出した。

 そのアスターは、現在ホリホックから受けた傷の手当をして貰っている。
 いくら殴られる方向に首を捻り、ダメージを軽減させたとは言え、あの次兄から軽く3~4発殴られたので頬が腫れ、口の中が切れて変な味がしている……。
 だが、先程のふらつくような感覚は、もうすっかり治まっていた。

 そして問題のホリホックだが、アスターが投げつけた銀のナイフが見事に後頭部に命中したらしく、命に別状はないが、まだ気絶したままだ……。
 とりあえず次兄は鍵の掛かる部屋に監禁させ、監視を二人ほど付けている。
 そして意識が戻り次第、父達と共に事情を詳しく聞くつもりだ。

 そもそも先程の次兄の暴走は、どう見ても普通の状態ではなかった。
 次兄の性格を考えると、アスターの胸倉を掴むまではやりそうだが……。
 その後のパルドーを殴りつける行為は、次兄らしからぬ振る舞いだ。
 確かに次兄は、すぐに頭に血が上りやすい。
 だが、いきなり相手を殴りつける程、粗暴な人間ではない。
 いくら感情的な性格でも、一応そこは王族という自覚を次兄は持っている。

 そんな次兄の様子が決定的におかしくなったのは、ある物を手にした時だ。その際のホリホックの目は、虚ろな状態であるのに何故かギラギラとした光を宿す不気味な目をしていた。
 そしてそう思ってしまう原因を何故かアスターは、知っていた。

 それがあの金のナイフの存在だ……。
 実はアスターは、あのナイフをビオラから贈られる前から見た事があったのだ。
 それが18歳の誕生日の朝、アスターの見た悪夢でリアトリスの腹部に刺さっていた短剣だ。

 そしてその二つが同じ物だと気付いた切っ掛けが、金のナイフを手にしたホリホックと対峙していたリアトリスの姿だった。
 アスターは何故かあの光景を何度も見たような既視感があった。

 そしてその瞬間、思い出したくもないあの悪夢の続きが、記憶としてアスターの中になだれ込むように蘇ってきたのだ。

 あの金のナイフは、必ずリアトリスの命を奪う。

 リアトリスがあのナイフで命を落とす記憶は、アスターの中には誕生日の朝に見たあの悪夢の中の光景だけだ。
 だが何故か、自分の頭の片隅には何度も何度もリアトリスが、あの金のナイフで刺し殺されている場面が薄っすらと残っている感覚がある。
 その恐ろしい記憶を必死で整理しようとして、アスターは両手で頭を抱えた。

「アスター様、やはり眩暈などの症状が……?」

 すると傷を手当してくれている王家専属の初老の男性医師が、心配そうにアスターの体調を確認してきた。

「いや、それはないよ。ただちょっと疲れてしまったみたいで……。それよりもパルドーとリアの容体は?」
「パルドー様は軽い頭部の打撲はありますが、それ以外の外傷はありません。ですが……軽く脳震盪を起こされたので、今日一日は安静にとお部屋でお休み頂くようお願い致しまた。そしてリアトリス様の方は、お怪我の方はないのですが、とてもショックを受けられたようで……。滞在時にいつもご利用頂いているお部屋で休まれていらっしゃいます。ただ……何故かアスター様の所持品である金のナイフを手放してくださいません……」

 その医師の言葉を聞いたアスターは深く息を吐きながら、思わず両手で顔を覆う。
 その様子に医師が、再び心配そうに尋ねてきた。

「アスター様……本当に眩暈や吐き気などはございませんか?」
「ああ……。それは本当に大丈夫だから。ただ少し、一人になりたいのだけれど……いいかな?」
「かしこまりました。ですが、ご気分が優れない症状が出た際は、すぐにお声がけくださいね?」
「分かったよ。ありがとう」

 そう言って医師が部屋を出て行くと、アスターは再び深い長い息を吐く。
 つい先程、アスターの中に蘇って来た忌々しくも恐ろしい記憶……。
 それが誕生日の朝、アスターが見てしまった悪夢の正体だったのだ。

 あれは現実にあった出来事だ……。

 その事を鮮明に思い出したアスターは、悲痛な表情で歯を食いしばる。
 誕生日の朝に見てしまった悪夢の中のリアトリス。
 それは、アスターが一度経験した人生でのもう一人のリアトリスだった。

 そのリアトリスは、今の彼女と同じように14歳の自身の誕生パーティーから豹変し、それから三年間ずっとビオラに嫌がらせ行為を繰り返していた。
 しかし、その後の展開は、今と少し違っていた。
 その時のアスターは、そのリアトリスの行為に呆れ果て、18歳の誕生日の二週間後に彼女に婚約破棄を突き付けたのだ。

 しかしそのリアトリスは、その婚約破棄を一切受け入れようとしなかった。
 それどころか、アスターの執務机の上にあったビオラから贈られた金のナイフを手に取り『婚約破棄を撤回しなければアスターを殺して自分も死ぬ!』と叫びながら、アスターにその刃を向けてきた。
 そのナイフをアスターが必死に取り上げようとした際、それが誤ってリアトリスの右上腹部に刺さってしまう……。

 それが、アスターが誕生日の朝に見た悪夢の光景だ。
 夢の中のアスターがリアトリスに嫌悪感を抱いていたのは、自分勝手な振る舞いをした挙句、命を落とすような状況を自ら作り、それでも尚アスターの心を縛ろうとする言葉を事切れる寸前まで呟く彼女を軽蔑していたからだ。
 そして夢の中では確認出来なかった事切れた彼女にアスターが呟いた言葉。

 『僕は君を絶対に許さない……』

 その時のアスターは怒りを露わにしながら、リアトリスにそう呟いた。

 そして先程蘇って来た記憶は、その夢の続きの出来事になる。
 その後のリアトリスの死は王族への不敬罪となり、アスターも正当防衛が認められ、特に咎められる事はなかった。
 リアトリスの家であるプルメリア家は、本来ならば爵位剥奪で取り潰しになるはずなのだが、アスターの計らいで、それだけは免れた。

 そしてその事件から二ヶ月後、アスターはビオラと婚約する。
 あれだけビオラに熱を上げていた次兄ホリホックは、リアトリスの件で精神的にふさぎ込んでしまったアスターを献身的に支えようとするビオラの姿を見て、自らその恋を諦めた。
 そしてアスターの方もそんな健気なビオラに少しずつ、惹かれて行った。

 しかし、二カ月が過ぎてもリアトリスの死のトラウマからは解放されない……。
 それどころかアスターは、何故かその死に疑問を抱く様になった。
 その一番の疑問点が、彼女の腹部に金のナイフが刺さった状況だ。
 あの時、アスターには揉み合いの末に誤って刺さってしまったというより、リアトリスが自ら突き刺したように見えたのだ。

 その真相を確かめる為、何度も門前払いされながらもアスターは、プルメリア家に足を運び、やっとリアトリスの母から彼女の部屋を見させてもらう。
 それがリアトリスの死から三か月後の事だった。

 そしてその部屋で、アスターは彼女が愛用していたアクアマリンの耳飾りの入っている箱を見つける。
 リアトリスの母親の話では、その耳飾りは彼女が5歳の誕生日にかなり熱心にねだった物で、幼い彼女にはまだ早いと別のプレゼントを提案するような出来事があったらしい。

 しかし5歳のリアトリスは、それを頑なに押し通した。
 そして両親にその耳飾りが似合う年頃の14歳の誕生日になったら、再び自分に贈って欲しいと頼んだそうだ。
 彼女の母親は、アクアマリンはアスターの瞳と同じ色なので、いつも身に付けられる耳飾りとして欲しがったのでは……と涙ながらに語った後、感極まって部屋を飛び出し、アスターは元婚約者の部屋に一人残された。
 そんな切なくなるような話を聞かされた後、アスターは耳飾りの入ったその箱をそっと開けた。

 すると、その箱の底が少し浮いているような違和感があった。
 それに気付いたアスターが箱の底板を外すと、何かメモのような紙が出てくる。
 そのメモに書かれた言葉を確認した瞬間、アスターが愕然とする。

『あすたーさまにきらわれる』

 そのメモには、まだ覚えたての子供の字で、そう大きく書かれていた。
 恐らくこのメモを書いたのは5歳になる直前のリアトリスだ……。
 そしてこのメモを受け取ったのが、9年後の14歳のリアトリス。
 それは彼女がビオラと初対面をする日であり、その日を境に必要以上にビオラに嫌がらせ行為をするような女性に豹変するのだ。

 その元婚約者の行動から、ある事に気付く。
 リアトリスがビオラに嫌がらせ行為をしていたのは、彼女の意思ではないと。
 何らかの理由で、リアトリスはそうしなければならない事情があったのだ。
 それが何なのか分からない……。
 しかし、14歳になる前のリアトリスは、他令嬢達の間で嫌がらせ行為が発生している現場を見かけると、嫌悪感をあらわにし、時には間に入ってその行為をやめさせる程、そういう行為を嫌っていた。
 その彼女が、自ら率先してその行為をしていたという事は……それはどんなに辛い苦行だっただろうか。

 5歳のリアトリスが、未来の彼女自身に宛てたメッセージ。
 それを14歳のリアトリスは、子供時代の戯れと取らず、忠実にそのメッセージに書かれていた事を実行した。
 自分が最も許せない行為を彼女は、何故か三年間もやり続けたのだ。
 挙句の果てにアスターとの揉み合いを装い、自ら命を絶っている……。
 最後に残した言葉は……この先絶対アスターが、彼女を良く思う事がないようにと、あえて嫌悪感を増長させる為に残した言葉としか思えない。

 その考えに至ったアスターは、その場で膝を落し、泣き崩れた。
 リアトリスがどういう経緯で、わざわざ時間を掛けてそのような行動をしていたのか、全く分からない。
 だが、聡明な彼女が何の意味もなく、5歳の頃の自分宛てのメッセージ通りに行動していた事には、きっと何か重大な意味があるはず……。
 その為に彼女は、あえて自分がもっとも嫌う行為を三年間もし続け、自分がアスターに嫌われるようにワザと振る舞った。
 献身的な彼女なら、その理由は自分の為ではなく、恐らく誰かの為の可能性が高い。

 そう思った瞬間、アスターはその場で声を上げて、泣き叫んだ。
 三年間、リアトリスはたった一人で何かと戦っていた。
 それを知らず、自分が彼女にした仕打ちは……。
 一方的に婚約破棄をし、彼女が事切れる寸前まで嫌悪の目を向け続けた。
 例えそれがリアトリスの望んだ事だとしても、アスターは自分を許せない。
 何故なら豹変する前までのリアトリスは、アスターにとって大切で自慢の婚約者だったのだから。

 その事に今更ながら気付いたアスターは、もうこの世にはいないリアトリスの部屋で一人、声が枯れるまで泣き叫び続けた。
 あまりにも泣きすぎて、頭の奥がジンジンしてきてもその悲しみは溢れ続け、更に狂ったように泣き続ける。
 どのくらい時間が経ったか分からなくなる程、おかしくなるまで泣き続けたアスターは、その場でうずくまる様にして、深い眠りに落ちてしまった……。


 しかし次に目が覚めた時、アスターに異変が起こる。
 目が覚めると、そこは自分の部屋だったのだが……何故か視界に入って来た部屋の天井が異様に高かったのだ。
 その違和感を抱きながらベッドから体を起こすと、先程まで泣いていたからなのか、瞳から涙がこぼれ落ちてきたので、それを手で拭おうとした。
 しかし、その拭おうとした手が、小さく柔らかい手だったのだ……。
 慌てて掛布を引っぺがすと、そこには可愛らしいサイズの小さな足が見える。

 アスターはベッドから飛び起き、鏡で自分の姿を確認しようと衣裳部屋の方へと走り出した。そしてその軽快な身のこなしが簡単に出来る事にも驚く。
 衣裳部屋に行くと、まだ20代後半くらいの若かりし頃の侍女マイアがいた。
 驚きで口をパクパクさせていたアスターにマイアは、今日着る服を準備しながら、ある事をアスターに聞いてくる。

「本日は陛下と王妃様に5歳のお誕生日プレゼントを何になさるのか、お伝えされるのですよね? アスター様は一体何をお願いされるのですか?」

 マイアはアスターの侍女であると同時に乳母でもある。
 母と同じような慈愛に満ちた笑みを浮かべながら告げられた内容で、アスターは自分が5歳の頃に戻ってしまっている事に気付いた。
 その現実が受け止められなくて、しばらく茫然としていたのだが……。
 先程、マイアに告げられた内容で、ある事を思い出して我に返る。

 リアトリスは、自分の5歳の誕生日プレゼントをあえて14歳で受け取れる手配をし、その中に未来の自分に向けてメッセージを送った。
 という事は、リアトリスも今のアスターと同じ現象を体験したという事だ。
 だから未来の自分に何かを託すメッセージを残した。
 その事を考えると、リアトリスには前回アスターが体験した人生の時には、その前があったという事になる。
 つまり時間が13年前に戻ってしまう現象を今初めて体験しているアスターより、もっと早くからこの現象を体験していたという事だ。

 そしてわざわざ未来の自分にメッセージを残すという行動をとった。
 それは恐らく、これからアスターが人生をやり直す中で、前回過ごした人生での記憶が失われてしまうという事を意味している。
 ならば自分も同じように未来の自分にメッセージを残し、前回と同じ過ちをしないようにすればいい。

 そう考えたアスターは、両親にあえて幼少期には必要がないチェインメイルをねだり、それを使いこなせる18歳の誕生日に贈って欲しいと頼んだ。
 そしてその中に未来の自分に再び同じ過ちを犯さぬようメッセージを残す。

 だがそれは、賭けだった……。
 この時アスターは、未来の自分に送るメッセージをビオラと出会う14歳にするか、それとも実際にリアトリスが命を落とす直近の18歳にするかで迷った。
 そもそもこのメッセージで、成長中に忘れてしまうかもしれない前回の記憶をすんなり思い出せる保証もない。

 だから未来の自分に伝えるメッセージに出来るだけ詳しく、前回自分が体験した記憶を書き残そうとした。
 しかし、いざ伝えたい内容を書こうとすると、それが上手く行かない事をアスタ―は痛感する。

 前回体験した人生の記憶は、頭の中では映像として残っている。
 そしてそこから新たにやり直す5歳からの人生で、どういう部分に気を付けて過ごせばいいのかも考えられる。しかし、それを文字や言葉で表現する能力が、5歳児である今のアスターにはなかったのだ。

 その出来事や対策方法を言葉にしようとすると、何故か上手く頭の中で変換出来ない。前回の人生で体験した大人でも苦労するような複雑な人間関係を5歳児のアスターでは、未来の自分に伝える言語力がなかったのだ。
 そしてその体験記憶は、まるで目覚めた後に何の前触れもなく消える夢の内容のように気付いたら、いつの間にか断片的に失われて行く……。

 そこでアスターは5歳児の言語力でも伝えられる言葉で、二度目の自分が絶対に貫き通したい事をメッセージとして残した。
 それが……『りあをぜったいにまもる』という言葉だ。
 そしてアスターが懸念していた通り、一度目の人生の記憶は5歳の頃に戻ってから一カ月も経たない内にキレイさっぱり消えてしまった。
 それはまるで過去の記憶を持つアスターが、5歳児のアスター自身に徐々に飲み込まれて、年相応の子供に同化していくような感覚だった。
 母や長兄が言っていた5歳の頃のアスターが、やたらリアトリスにまとわりついていたのは、前回の人生での記憶がそうさせていた部分が大きい。

 しかし13年後、18歳になったアスターは過去の自分から送られたメッセ―ジを見ても前回の人生の記憶が戻らなかった。
 それは時間が逆戻りしたばかりの頃のアスターが、一番懸念していた状況だ。
 ただ不幸中の幸いだったのは、今回のアスターにはビオラに嫌がらせ行為をするリアトリスの行動が、やけに不自然に見えていたので、なかなか婚約破棄に至らずに時間が進んでいった事だ。

 しかし、先程の禍々しい雰囲気をまといながら暴走した次兄ホリホックの行動から察すると、それでも最後は、あの金のナイフでリアトリスが死亡するという運命にはなっていたのだろう。
 だがその二人が対峙している光景で、アスターに前回の人生の記憶が蘇る。
 同時にその光景から、次兄ホリホックが必ずリアトリスを殺すという考えが、何故かアスターには、強く根付いていた。

 だからあの時、立ち上がる事もままならなかった状況で、必死にリアトリスから贈られた銀のナイフを次兄の後頭部めがけて投げつけた。
 たまたまそのアスターの攻撃で、次兄は見事に意識を飛ばしてくれたが……あの時のアスターは、どうにかして次兄の意識をリアトリスから逸らす事に必死だった。

 それだけ次兄が、あの金のナイフでリアトリスを刺し殺すというイメージが、アスターの中に強く刻まれているのだ。そしてその理由を現在、問題の金のナイフをずっと手放さないでいるリアトリスは、必ず知っているはず……。
 その理由が容易に想像出来てしまったアスターは、自分の顔から血の気が引いている事にふと気付く。
 
 それでもアスターは、その事をしっかり知るべきだと思った。
 そしてその事を確認する為、アスターは苦痛に耐えるような表情を浮かべながら、リアトリスのもとへと向かった。
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