想いが何度も繰り返させる

ハチ助

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16.金のナイフ

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 ビオラの事をリアトリスに任せたアスターは、別室の方で二人の会話が終わるのを待っていた。

 その間、長兄ディアンツの調べたあの金のナイフ関連の情報を再確認する。
 そもそも何故あのような禍々しい品ばかりを例の彫金職人は作ったのか……。
 ディアンツから受け取った資料には、その彫金職人についても書かれていた。

 職人の名は、ジェイク・ラインス。
 今から二百年前の彫金職人だが、その当時は無名だった。
 しかし、ある伯爵夫人がパトロンとして付き、その資金援助によって後に禁忌の品と呼ばれるあれらの品々を生み出した。
 そしてそれらの品は、その伯爵夫人によって社交界に出回る。
 その際、その伯爵夫人は人脈作りの為に『幸運を招く品』と称して、有力貴族の貴婦人達に贈っていた。

 しかし数年後、ある変死事件が立て続けに起り、社交界を震撼させる。
 その変死事件は、本来凶器とは無縁の日常的に使われる道具で、若い令息や令嬢が、自らの命を絶つという何とも不可解な事件だった。
 中にはたった一人しかいない将来家督を継ぐ令息もいた。

 この事態を深刻に捕らえた当時のルリジア王家は、それら自害に使われた道具に関して、徹底的に調査を始めた。その結果、その作り手がジェイク・ラインスという彫金職人であるという事を突き止める。
 しかし、それが判明したのは、彼の死後30年後だった。

 その後、パトロンだった伯爵夫人が提供していたジェイク・ラインスの工房に調査の手が入り、そこから大量の怪しい錬金術的な研究資料が発見された。
 その研究資料には、ジェイク・ラインスが作品作りの上で、人間の生き血を大量に使用していた事も記載されており、当時行方不明扱いになっていた者の多くは、その被害に遭い命を落としていたようだ。

 30年以上前の事件とは言え、大量に殺人が行われた可能性が高いこの現状に王家は、本格的に調査を始めたのだが……犯人であるジェイク・ラインスもパトロンであった伯爵夫人もすでに亡くなっていた為、事の真相は迷宮入りとなってしまう。
 しかし、ジェイク・ラインスの作品は、未だに市場に出回っており、その後も変死事件は何件も続いた……。
 
 この現状を重く捉えた当時のルリジア王家は、彼が生み出した作品を『ラインスの呪い』と称し、徹底的に回収するよう命じた。それが本当に呪い的な力なのかは分からないが、実際に被害者が出ている以上、それらの品は危険物として回収した方が良いと判断したのだ。
 その回収が始まったのが、彼の死後から50年後……今から150年前の事だ。

 しかしそれらの回収は、困難を極めた。
 何故なら『ラインスの呪い』と称されたそれらの品は、ある条件を満たさないとその効果が発動せず、日常的に使っている分には何の問題もないのだ。
 その為、彼の作品が発見される時は、必ず悲惨な死を遂げた被害者が出た後だ。

 それでも『ラインスの呪い』に該当する品には、彼が自己主張するかのように特徴的なデザインの細工が、全てに施されていた。
 その為、その筋の職人が見れば、すぐに気付くはずなのだが……。
 それらの品が出回っていたのが貴族階級の社交界だった為、平民である職人が目にする機会は殆どなかった。
 ましてや彼の作品の殆どが、純金製で宝石等もあしらわれている華やかな見た目なので、まさかそれらが非人道的な技巧を施されて作られた品だとは、誰も思わなかった。

 そしてその禍々しい効果を発動する条件についても、未だに不明だ……。
 しかし、受け取ったその資料には、長兄の考察的な内容が追記されていた。

 長兄の考えでは、どうやら『ラインスの呪い』は、贈り主が無意識に抱いている願いを叶える効果ではないかとの事だった。
 その根拠となったのが、変死事件のある共通した人間関係だ。
 それは品物を贈った人間の願いが叶う為には、自害した人間の存在が邪魔になっているという状況が殆どだったのだ。

 先程のカロライナ・ディルフィーユのケースもそうだ。
 金属ペンを贈られた彼女の婚約者は、その後ペンを贈った女性と結ばれた。
 対してカロライナは死ぬ半年前に急に発狂し、そのペンを使って婚約者の目の前で自害している。
 ちなみにペンを贈ったその女性は、カロライナとは姉妹のように仲が良かった従姉妹だった。

 他のケースでも、婚約が決まりかけていた女性の婚約者が、急に発狂しながら自害してしまい、それを慰め支えてくれた別の男性と結ばれているが……やはり、その女性も支えてくれた男性から例の品を贈られていた。
 そしてその男性は、自害した婚約者の男性とは親友だった。

 そしてこの『ラインスの呪い』の効果の発動は、何も男女間だけではない。
 ある兄弟では、相続争いのようなケースで、この効果を発揮している。
 家督を継ぐことが決まっていた兄が自害に使った物が、弟からの贈り物だったというようなケースだ……。
 そしてこの兄弟も普段から非常に仲が良く、弟の方はいつも兄を自慢に思っていたらしい。

 これらの状況から長兄ディアンツが導き出した考察は、この『ラインスの呪い』の品は、贈り主の願いの強さに関係なく勝手にその願いを叶え、その際には手段を選ばない展開で、邪魔な存在を排除するのでは……という考えだった。
 その長兄の考察内容を再度確認していたアスターには、今リアトリスが聞き出しているビオラが、何故あのナイフを購入したか何となく分かってしまう。

 恐らくビオラは、若い女性が興味を持ちそうな恋愛関係での効果があるような売り口上を言われたのだろう。
 そして告げられない気持ちをこっそり込めて、あの金のナイフをアスターに贈ってしまった。それをあの金のナイフがビオラの願いと認識し、その願いを妨げる存在を排除し出した……。
 アスターがビオラの気持ちに応えるには、リアトリスの存在は完全に邪魔な存在だ。彼女が生きている限り、アスターの心はビオラに向く事はない。

 同時にビオラに想いを寄せる強引な次兄ホリホックの存在も同じ扱いになる。
 ビオラの願いをかなえる為、邪魔な存在であるリアトリスをもう一人の邪魔な存在であるホリホックが刺し殺す……。
 その流れならリアトリスは命を落とす事でビオラの前から消え、ホリホックも罪人としてビオラの前には、もう出てくる事は出来ない……。

 だが、それでは何度も時間の繰り返しをしていた原因が分からない。
 邪魔な存在を徹底的に排除してまで、その贈り主であるビオラの願いを叶えようとする金のナイフ……。
 リアトリスが死んでしまえば、長兄が調べてくれた変死事件のようにアスターは、何も知らないままビオラに支えられ、自然と彼女に惹かれる展開が訪れるので、ビオラの願いは叶うはずだ。
 しかし何故かそうはならず、アスターとリアトリスの時間は何度も何度も繰り返された。

 その不可解な現象について、眉間にシワを寄せながら考えていたアスターだが……次の瞬間、ある考えに達してしまい、顔面蒼白になる。

 時間の繰り返しは、自分の所為で起こっていたのでは……と。

 恐らくあの金のナイフは、贈り主の願いが叶うまで執拗に邪魔な存在を排除し続けるはずだ。だが、もしその邪魔な存在を排除しても贈り主の願いが叶う展開が、全く訪れなかったら、どうなるだろうか……。
 それはもうその展開が来るまで、一からやり直すしかない。

 アスター達の時間が何度も繰り返していたのは、金のナイフが邪魔な存在として認識したリアトリスを排除してもアスターの気持ちが、ビオラの方へと向かう展開にならなかったからではないだろうか……。

 リアトリスが体験した繰り返しの内5回は、確実にその可能性が高い。
 その5回のアスターは、自分の目の前で死んでいくリアトリスに対して、必死で生きる様に叫んでいたと、彼女自身が言っていた。

 だが、アスターの記憶にもある6回目の時だけは違う……。
 この時だけはリアトリスが、敢えてアスターに嫌われるように振る舞った為、6回目のアスターは、彼女が息絶える最後まで嫌悪感を強く抱いていた。
 リアトリスがこの6回目だけ、死んだ後の状況に違いを感じたのは、恐らくあの金のナイフが、無意識に抱いたビオラの願いを達成しかけていたからだ。

 しかし結局は、その後のアスターがリアトリスの死に疑問を抱き、調べ出した事で、再びアスターの心はリアトリスの方へと戻ってしまった。
 6回目だけ死後のリアトリスに時間の逆戻り現象が、すぐに起こらなかったのは、恐らくそういう事なのではないだろうか……。

 その考えに至ったアスターは、音が鳴る程奥歯を噛みしめ、俯く。
 何度も何度もリアトリスに辛い体験を繰り返させていたのは、自分の彼女に対する強過ぎる想いが原因だったのだ。
 その所為でリアトリスは、6回も命を落とす恐ろしい体験をしてしまった。
 自分がさっさとビオラの方へ心変わりしていたら、リアトリスは何度も命を落とす体験を繰り返さずに済んだはずだ。

 だが、もし自分が何も知らないまま、あの金のナイフの力に流されてしまっていたら……その未来をアスターは絶対に呪っていた。
 その展開は、アスターにとっての最悪な結末なのだ……。
 それは自分の一番大切な人を失うだけでなく、その大切な人をずっと憎み続け、自分は別の女性と幸せになり、のうのうと生きて行くという事だ。
 ビオラの願いが叶う事は、アスターにとって絶望でしかない……。

「だったら、どうすれば良かったんだ……」

 祈る様に組んだ両手に額を押し当てて、アスターが絞り出すように呟く。
 リアトリスに対するアスターの愛情が強ければ強い程、彼女は終りのない辛い人生を何度も繰り返す。
 だが今回の7回目のやり直しで、やっとアスター自身も時間の繰り返しに気付き、たまたまその負の連鎖を断ち切る事が出来た。

 だが、もし自分が気付けずにいたら、リアトリスはどうなっていた?

 その答えは、死してなお自分と同じ被害者を生み出そうとしているカロライナ・ディルフィーユの姿ではないかと考えてしまったアスターは、その恐ろしい自分の仮説に更に血の気が引くのを感じた。

 そう考えると自分達は『ラインスの呪い』の被害者の中では、運が良い方だ。
 しかし、その結果をもたらしたのは、たった一人でずっと戦い続けてくれたリアトリスの頑張りがあったからだ。
 そんな一人で何でも抱え込んでしまう勇敢な婚約者を思うと、アスターは自分の無能さを嘆かずにはいられない。

「リア……」

 思わずアスターが、自分の最愛の婚約者の名前を呟やくと、まるで見計らったかのように扉がノックされ、リアトリスが入室してくる。

「お待たせして申し訳ございません。ビオラ様からお話を伺ったのですが、その……今回故意ではないにしろ、ご自身の影響で招いてしまったと思い込んでしまわれたこの状況に酷くショックを受けられまして……。ビオラ様のお心の負担を考慮し、本日はお暇させて頂く事を勝手に申し出てしまいました。お見送りの方も辞退させて頂きましたので、まだご確認されたい事があれば、ビオラ様のお気持ちが落ち着くまでの間は、パルドーのような今回の事情を把握している者で、ご対応頂くようお願い致します」

 申し訳無さそうにそう告げてきたリアトリスの判断にアスターも同意する。

「分かった。確かにビオラにとっては、この状況は辛いよね? 自分ではそんなつもりは一切なかったのに……知らない間にこんな状況を招く切っ掛けを作ってしまったのだから、彼女のように心根の優しい女性なら尚更、受ける罪悪感は計り知れないと僕も思うよ……」
「勝手に出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ございません……」
「いいや。リアの判断は正しいと思う。僕もリアの立場だったら、同じように対応していたと思う」

 そのアスターの返答にリアトリスが、安心するような笑みを浮かべる。
 だが、それはすぐに心配するような表情へと変わった。

「ところでアスター様、何やらお顔の色が優れないようですが……」

 そう言って顔を覗き込んで来たリアトリスをソファーに座ったままのアスターが、まるで不安を訴える幼子のような表情で見上げた。
 そのアスターの様子にリアトリスが、一瞬目を見開く。
 するとアスターが、ゆっくりとリアトリスの手を取り、そのまま自分の方へ勢いよく引き込んだ。
 バランスを崩したリアトリスが、アスターの腕の中に吸い込まれていく。

「ア、アスター様?」
「ごめん……本当にごめんね、リア。君にばかり負担を掛けて……君ばかりを辛い目に遭わせて……」

 絞り出す様にそう呟きながら、アスターがリアトリスのフワフワのアッシュブロンドの髪に顔を埋める。
 アスターの胸に顔を埋める様な体勢になってしまったリアトリスは、その婚約者の悲痛な嘆きを聞き、困った様な笑みを浮かべる。

「辛い思いをされたのは、わたくしだけではございません。アスター様にビオラ様、そして……一応ホリホック様も。今回大勢の方々が辛い思いをされました」

 優しい声でそう言いながら、アスターの背中に手を回して来たリアトリスだが……その言葉に「ん?」と感じたアスターは、その柔らかい髪に顔を埋める行為を止め、腕の中の婚約者の顔を覗き込んだ。

「ホリホック兄上は……一応なの?」
「はい。ホリホック様がわたくしを手に掛けようとなさる暴挙に関しては、あのナイフの力による不可抗力な行動なので、ご心労をお察し致しますが……。ビオラ様への過剰な接し方を考えると、自業自得でもあらせられる部分が多いので『一応』と付けさせて頂きました」
「ねぇ、リア。前から思っていたのだけれど……もしかしてリアは、ホリホック兄上の事は、あまり好きではない?」

 するとリアトリスが、いたずらでも企むような笑みを浮かべる。

「王族でもあり、将来的に未来の義兄となる可能性がある方に不満を抱くなど、とんでもございませんわ。ですが……人間性から意見を述べさせ頂くと、わたくしが最も苦手とするタイプの方ではございます」
「あっ、うん。何となくそれは気付いてはいたけれど、そうハッキリ言われると、ちょっと兄上が、かわいそうな気が……。もしかしてビオラに絡む時、隣にいる兄上を怒らせて皮肉を言っていたのは……全部故意にやってた?」
「どうでしょうか? あの時のわたくしは、ビオラ様に嫌がらせをする姿をアスター様に見て頂き、自身が嫌われるように仕向ける事に必死だったので……よく分かりませんわ」

 婚約者のそのとぼけた言い分にアスターは「絶対わざとだ……」と思った。
 そもそも周りを気にせず我が道を行く次兄と、周りとの調和を大切にし、配慮や気遣いに長けたリアトリスは、確実に相性が悪い組み合わせなのだ……。
 それなのに4回目の繰り返しの時にアスターを守る為とは言え、そんな相手と婚約する事を選択したリアトリスには、本当に頭が上がらない。
 同時に流石、社交界では屈指の淑女と言われただけあって、彼女が本気で行う嫌がらせには、思わず芸術性すら感じてしまう。

「リア、これから兄上は色々と大変だから、あまり苛めないでね?」
「一応、心に留めてはおきます」

 自分の腕の中で意味あり気な笑みを浮かべている婚約者にアスターが苦笑した。
 そんな婚約者とのやりとりで、先程の絶望感が嘘のように薄れていく。
 恐らくリアトリスは、それも狙って今のように振る舞ったのだろう……。
 本当にこの婚約者は、自分には勿体ないくらい優秀過ぎるのだ。
 しかし、まだリアトリスから、ビオラが金のナイフを購入した理由を聞いていなかった事をアスターが思い出す。

「それでリア、ビオラがあの金のナイフの購入に踏み切った理由は……話して貰えたのかな」

 するとリアトリスが、やや気まずそうな表情を浮かべた。

「はい。ですが……アスター様に直接お話する事は、ビオラ様にとっては、かなり心苦しい状況になってしまう内容でした」
「そうか……。リアが今日一緒に来てくれて、本当に助かったよ。そういえば、本来の君の目的であったビオラへの謝罪は……上手く行ったのかい?」

 今度はリアトリスが、バツの悪そうな表情をしながら苦笑する。

「それが……あの三年間ビオラ様に行った嫌がらせに関しては、何故かお礼のお言葉を頂きました……」
「ええっ!?」

 アスターが素っ頓狂な声を上げると、リアトリスが優しい笑みを浮かべる。

「ビオラ様より、先程のお話内容をアスター様にお伝えしても構わないと、ご了承頂きましたので、そちらも含め帰りの馬車の中でお話させて頂きますね」

 正直、ビオラが金のナイフを購入に踏み切った理由より、嫌がらせ行為にお礼を言った経緯の方が気になるアスター……。
 そして二人は一度王城の方に戻る為、ビオラの家を後にした。
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