妖精巫女と海の国

もも野はち助

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「で? 今日一日、一体どこで何をしていたの?」 

 返答を待ってはくれているが、明らかに不機嫌さを含む視線でオルクティスが圧を掛けてくる。
 そんな初めて受けるオルクティスの威圧感にアズリエールが狼狽え出す。

「えっと……その……」
「国外には出ていないよね?」
「あの……」
「出ていないよね?」

 念押しするように同じ事を二度確認して来たオルクティスに思わずアズリエールが押し黙る。
 するとオルクティスが、盛大にため息をついた。

「怖いからこれ以上は聞かないけれど、もし今僕が確認した行動をすでにやってしまっていたら、今後は絶対にやらないで欲しい」
「はい……。ごめんなさい……」
「アズリル……その返答だと国外に出たって認めてしまっているよ?」
「本当にごめんなさい……。もう絶対にしません……」

 素直に反省して謝罪の言葉を述べると、オルクティスの威圧感が和らいだ。

「サンライズに行って来たの?」
「うん……」
「少しは気分転換出来た?」
「多分……」
「そういう風には見えないのだけれど……」

 威圧的な空気感は無くなったが、代わりに気まずい空気が流れ出す。
 オルクティスの方でもアズリエールに対して、もう少し踏み込むべきか図りかねているのだろう。
 かなり気遣ってくれている様子が窺える。
 しかし、アズリエールにとっては、このオルクティスと二人きりという状況が、大きなプレッシャーとなっていた。

『婚約者をあなたからお姉様に変更するようにオルクを説得してくれないかしら?』

『殿下のような男性が結婚相手だったら、私も将来的に風巫女の長女としての役割を問題なく果たせたかも……』

 テイシアからの要望と先程の姉がこぼした言葉が、頭の中で同時に蘇る。
 未来の義母となる予定のテイシアは、息子の婚約者であるアズリエールよりも、その姉であるユリアエールの方を気に入っている。
 そして7年前の事件が切っ掛けで男性不審になってしまった姉ユリアエールは、オルクティスの事を警戒せずに接する事が出来る貴重な男性だと称していた。
 その状況が、ますますアズリエールがオルクティスの婚約者である事への自信を奪っていく。

 自分がここで身を引けば、全てが丸く収まるのではないか……。

 そんな考えが頭の中をよぎってしまったアズリエールは、思わず縋るような視線をオルクティスに向ける。
 すると、オルクティスが心配そうに確認してきた。

「アズリル、もしかして僕に相談したい事があるんじゃないか?」

 そう問われたアズリエールは、目を泳がせた。
 その反応を肯定と受け取ったオルクティスは、更にアズリエールから、その悩み事を聞き出そうとする。

「もしあるのなら、遠慮しないで言ってごらん?」

 まるで優しく諭すように促して来たオルクティスの声に誘われ、アズリエールが先程浮かんでしまった考えを思わず口にした。

「あの、ね。もし……もしもだよ? オルクの婚約者が私からユリーに変更するような事になったら、オルクはどうする?」

 その言葉を聞いたオルクティスが、今まで見た事もないくらいに大きく目を見開く。
 だが、すぐにその瞳には怒りの感情が宿り出した。
 その様子にアズリエールは、自分がとんでもない失言をしてしまった事に顔を真っ青にさせた。

「違っ――! 今の……今の無しで!!」
「なら、どうしてそういう言葉が出てきたの?」
「――――っ!」

 初めて見るオルクティスの深い怒りにアズリエールが声を失う。
 確かに今までに何度か苛立たせてしまうような言動をしてしまった事はある。
 だが、それはほんの少しだけだ。
 ここまでアズリエールに対して怒りを露わにするオルクティスは、初めてなのだ。

「違うの!! 今ちょっと……自分の立ち位置がよく分からなくて……。だから、もし自分ではなくてユリーが婚約者になっていたら、どうなっていたのかなって……。ただの好奇心で聞いただけなの!!」

 何とか誤魔化せないかと必死で言い訳をするもオルクティスの瞳からは、怒りの気配が全く消えない。

「そもそも何でそんな事を思ったの?」
「…………」

 ゆっくりと静かな口調ではあるが、声音からは冷たさが感じられる。
 その様子からアズリエールは、今オルクティスをかなり怒らせてしまったという事を実感せずにはいられない。
 そんなアズリエールに対して、オルクティスは滅多に見せない無表情のまま、いくつかアズリエールに質問を投げかけてきた。

「自分よりもユリアエール嬢の方が、海兵騎士団で人気があると思ってしまったから?」
「そ、そんな事は――!」
「最近、ラウル達がユリアエール嬢と親しいから?」
「それは、あまり関係ない……」
「じゃあ、母がユリアエール嬢を気に入っているから?」

 その言葉に分りやすいくらいにアズリエールが、体を強張らせる。

「それとも……最近、彼女がやたらと僕との時間を過ごそうとしているから?」

 その瞬間、アズリエールが茫然とした表情で、ゆっくりとオルクティスを見つめ返す。

「そう……なの?」
「うん。今日も君が見つからないからと言って、かなり強引に昼食に付き合わされたよ? 初対面時は、そんな素振りは一切なかったのに。だけどここ最近のユリアエール嬢は、急に僕に好意的な接し方をしてくる」
「オルク……あの……」
「僕が婚約者を君からユリアエール嬢に変更するかもしれないって、思ってしまった?」

 そう言ったオルクティスは、微笑しながらも明らかに傷付いたと言いたげな表情を向けてきた。
 その反応から、アズリエールは別れ際にリックスから言われた言葉を思い出す。

『お前がそれを受け入れると、傷つくのはお前だけじゃなく、その第二王子だって不快な思いをするんだからな』

 先程のリックスの助言は、こういう状況になる事を予想しての言葉だったのだろう……。
 それなのに自分は見事にオルクティスを傷付けるような事を口にしてしまった。
 あの言い方では、まるでオルクティスが妹から姉に婚約者を簡単に変更してしまう利己的な人間だと言ってしまったようなものだ。
 その言葉を受けたオルクティスは、どう思っただろうか……。
 恐らく自身の誠実性を疑われたと思ったに違いない。

「違っ……。私、そんな、つもりじゃ……」

 自分が口にしてしまった失言の重みを実感したアズリエールが、唇を強く噛んだまま項垂れるように俯く。
 すると、無神経な事を言ってしまった悔しさからジワリと瞳に涙が溜まり、零れ落ちそうになる。
 それを必死に堪えようと、アズリエールは更に唇を強く噛んだ。
 傷付けた側の自分に泣く資格などない……。

 そうやって俯いたままアズリエールが小さく震え出すと、向かいに座っていたオルクティスが急に席を立つ。しかし、アズリエールは罪悪感からか顔を上げる事が出来ず、それを確認出来ない。
 すると今度は自分の隣にオルクティスが座った気配を感じる。
 それでも顔を上げられないアズリエールにオルクティスが、両腕を組む様にアズリエールの頭に乗せ、更にその上に自分の顎を乗せた。

「君の過去に何があったかまでは詮索するつもりはないよ? でも僕は……君の元婚約者とは違う」

 その言葉で、アズリエールの瞳から我慢していた涙がボタボタと零れ始める。

「それだけは、絶対に覚えておいて」

 そのままオルクティスが、アズリエールの頭部を軽く抱え込むように胸元へと引き寄せた。それにつられるようにアズリエールが、オルクティスの胸元辺りの服をしがみ付くように握り締める。
 すると更に涙が溢れだし、アズリエールは声を殺しながらボロボロと泣き出してしまった。その背中をオルクティスが、宥める様に優しくポンポンと叩く。

 今まで全く触れられなかった7年前の事件や、何度も姉の影響で婚約や縁談が破談になった過去を恐らくオルクティスは、すでにアレクシスから聞かされていたようだ。それでもその件には触れず、アズリエールが切り出さない限り静観する姿勢を貫いてくれたのだ。

 絶対に踏み込んで欲しくないアズリエールの弱点でもある領域。
 そのアズリエールの思いを尊重しつつも、救いを求められたらすぐに手を差し出せるように待っていてくれたのだろう。

 政略的な意味合いでの婚約者でしかないアズリエールに対して、そのオルクティスの接し方は優しさで包み込むような見守り方だ。
 その優しさを実感してしまったアズリエールは、溢れる涙が止まらなくなる。
 そんなアズリエールの様子にオルクティスが困ったような笑みを浮かべた。

「出来れば、ここまで思い詰める前に助けを求めて欲しかったのだけれど……」
「ご、ごめっ……、わ、わたし……」
「母には、しばらく君をお茶に呼ぶのはやめて欲しいって僕が訴えてもいいかな?」

 すると、アズリエールが胸元でブンブンと首を振った。

「自分っ……で、自分で言うからっ……大丈、夫……」
「大丈夫そうじゃないんだけどなぁー」

 片方の腕でアズリエールの頭部を抱え込み、もう片方の手で優しくあやすように背中を叩きながら、オルクティスが天井を仰ぐ。

「それっは……わたしっが……自分で、言わないといけない……事だから……」

 泣きじゃくるように何とか言葉を紡ぐアズリエールだが、オルクティスの助けを拒む理由は、特に虚勢を張っていると言う訳ではないらしい。

「本当にちゃんと自分で言える?」
「うん……」
「分かった。なら僕は、見守る方に徹するよ」
「うん……」

 小さく頷きながら、アズリエールは更にオルクティスの服を掴む力を強めた。

「オルク……。ごめん……ね? あと、ありがとう……」
「謝るか、お礼を言うか、どちちかにして欲しいかな?」
「それは、無理……。だって今、同じくらい両方の気持ちで、いっぱいだから……」
「そっか」

 すると少し落ち着いてきたのか、アズリエールがゆっくりとオルクティスから体を離す。
 そんなアズリエールの顔をオルクティスが下から覗き込んだ。

「まだ一人で頑張るの?」
「うん……。まだ頑張りたい」
「分かった。でも僕からすると、あまり頑張り過ぎないで欲しいかな」
「それは……無理かも……」
「アズリル」

 また限界まで無理をし出すのではと懸念したオルクティスが、渋い表情を浮かべる。
 しかしアズリエールの方は、すでに何かが吹っ切れたようなスッキリした表情を浮かべていた。

「大丈夫。もう悩むのやめたから……。ちゃんと自分の気持ちと向き合うって、決めたから!」

 袖口で力強く涙を拭ったアズリエールの様子にオルクティスが、優し気に目を細める。

「アズリル、頑張って」
「うん!」
「でも無理な時はすぐに『助けて』って言って」
「うん……」

 少々返事を渋る様子を見せたアズリエールにオルクティスが苦笑する。

「頼むから……少しは僕に君の事を守らせて」

 やや寂しそうな表情を浮かべ、そう言われてしまったアズリエールが一瞬、目を見開く。
 オルクティスは、ずっとアズリエールが頼ってくる事を待ってくれていたのだろう。

 しかし人に頼る事が苦手で、問題を一人で抱え込みやすいアズリエールは、それをなかなかしなかった。
 それはアズリエール自身が、自分が弱いという事を認められずにいたからだ。
 だが今のアズリエールはマリンパールで過ごす日々の中で、その弱い自分を受け入れ、向き合いたいと強く思うようになっていた。

「大丈夫。これからは頑張れないって思った時は、すぐにオルクを頼るから」


 翌日――――。
 そう宣言したアズリエールは風巫女の仕事をこなしながら、週末に控えているテイシアとのお茶の時間に自分の想いをどのように伝えようかと、気持ちの整理を始めた。
 恐らく今週末のお茶の時間は、ユリアエールはいないはずだ。
 その代わり先週テイシアから受けた要望についての返答をしなければならない。

 だが今のアズリエールは、もうテイシアの顔色を窺うつもりはない。
 例え相手が自分ではなく、姉を望んでいたとしても自分の気持ちを優先させると決めたのだ。

 そんな決意を胸に秘めたアズリエールは、テイシアからの週末のお茶の誘いに挑むような気持ちで向かった。
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