赤毛の伯爵令嬢

もも野はち助

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8.婚約解消

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「イアル! 急に来られても困るわ! 今、閣下がお見えで対応中なのよ!?」

 客間に入るなり、流石のクレアも思わずイアルに不満をぶつけた。
 するとイアルが、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

「ごめん、クレア。でもどうしても一番に僕の口から、君に伝えたい事があったんだ」

 謝罪しつつも何故かイアルからは、どこか嬉しそうな表情も感じられる。

「実は昨日、ティアラに婚約を申し込んで、承諾して貰ったんだ」

 それを聞いたクレアが、目を大きく見開いた。

「本当に?」
「うん」

 その言葉を聞いたクレアは、何故か酷く安堵してしまう。

「良かった……。あなたなら安心してあの子を任せられるわ。でもそれならば、何も今日でなくても良かったのに」
「どうしてもクレアに僕の口から一番に知らせたかったんだ。だって君は、一番僕の事気遣ってくれたし、この件で僕が一番傷つけてしまったから……」
「傷つけてしまったって、それはお互い様でしょ?」

 するとイアルが、酷く悲しそうな笑みを浮かべた。

「いいや。僕の方が君を深く傷つけた。君が一時期、僕に好意を抱いてくれた事を知りつつもその時、僕はあえて気づかないふりをしたんだ」

 イアルのその言葉にクレアがビクリとして、そのまま固まってしまった。
 まさか父だけでなく、イアルにも気づかれているとは思わなかったのだ。
 そのクレアの反応にイアルが苦笑する。

「君は周りの人の気持ちを瞬時に読み取るのが上手だけど、自分の事は二の次になってしまうからね。特に僕は君との付き合いが長いから、君が辛い気持ちを必死で隠していても何となく分かってしまう」
「イアル! でもそれは――っ!」
「もうとっくに君が、その気持ちに整理をつけている事も知っているよ。その上で、君は自分の妹に惹かれている僕を責めることもなく、ずっと気づかないふりをしてくれていた。そしていつの間にか、自分自身でその気持ちに整理をつけ、その後は僕の後押しまでしてくれた」

 そう告げてきたイアルは、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。

「だからこそ、僕の口から一番に君にこの事を報告したかったんだ。君は僕への気持ちを整理した後も、お父上の期待と僕の気持ちのどちらを優先させるかで迷い、相当苦しい思いをしていたんじゃないかって」
「イアル……」
「一週間前、君がセロシス様に婚約解消を打診してくれた後も婚約解消の決定打的な状況にすぐにならなかったから、この期間も相当嫌な思いをさせていたと思う。流石に薄情な僕でもその期間、どれだけ君が煮え切らない思いでいたか想像はできる……。だから少しでも早く、そのモヤモヤした気持ちから解放してあげたくて、すぐにこのことを伝えたかったんだ」

 そんなイアルの言葉に再びクレアの罪悪感も蘇る。

「そんな! 私だって三年間もあなたの気持ちを知りつつもハッキリしないまま、あなたを苦しめていたのに!」
「それでも僕の態度のほうが酷いよ……。そもそも君が僕に好意を抱いてくれた時、僕がその気持ちを受け入れる事が出来ていたなら、全ては丸く収まっていた。でもね、クレア。僕が君の気持ちを受け入れられなかった事は、君のせいではないんだ。それだけはどうしても伝えたくて」
「人を好きになる事は悪い事じゃないわ。今回はたまたまその気持ちが、すれ違ってしまっただけだもの。誰も悪くないわ」

 クレアのその言葉にイアルが大きく首を左右に振った。

「違うんだ、クレア。確かに僕が君の気持ちに応えられてなかった事は、その時すでにティアラに心惹かれていたという事もあるけれど、それ以外にも理由があるんだ」
「それ以外?」
「僕は君を女性として見ることが出来ないんだ。まるで本当に血のつながった家族に対するような感情しか抱けない。だから君に恋愛感情は抱けなかった……。でもね、これだけは分かって欲しい。君は僕にとって大切な人の一人なんだ」
「イアル……」
「でもティアラに対する気持ちは、そうじゃない。同じ大切な人でも自分でも驚く程、周りが見えなくなるくらい大切にしたい気持ちが強いんだ。おかしな話だよね? しっかりしている君を本当の妹みたいに感じてしまい、危なっかしいティアラの方を異性として意識してしまうなんて……」

 すると今度はクレアの方が、ゆっくりと首を左右に振る。

「私も最終的には、あなたの事を優しい兄のようにしか思えなかったから、お互い様よ? そしてこの結果は、私が一番望んでいた事なの」
「それでも僕は君に酷い態度だったと思う」
「そんな事はないわ。だってこれでやっと肩の荷が下りるもの。イアル、やっと過去の罪悪感から解放してくれて、ありがとう。そして手の掛かる妹だけれど、よろしくお願いね?」
「クレア……本当にごめん。でも、ありがとう」

 そう言って以前のようにクレアの頭を撫でようと手を伸ばして来たイアルから、クレアがやんわりと逃れる。

「それはティアラと挙式後にちゃんと私と家族になってからにして? 私はもうあなたの婚約者ではないのだから」
「ごめん。つい癖で」

 そう言って苦笑するイアル。
 しかしクレアは、一つだけ気になって仕方がない部分があった。

「それにしてもティアラは、よくすんなりとあなたとの婚約を受け入れたわね? あの子の方こそ『異性として見れない』とか、言い出しそうだと思ったのだけれど」

 すると更にイアルが困ったような笑みを浮かべる。

「どうやらティアラは、どうしても曰く付きの公爵閣下の婚約者候補になりたくないみたいだよ? だから僕の申し出を受けてしまえば、それを確実に回避出来ると思ったんじゃないかな?」

 イアルの言葉にクレアは唖然とする。

「全くあの子ったら! イアル! あなたそんな理由で婚約承諾されていいの!?」
「仕方ないよ。あのティアラだし。僕だってティアラが目先の事にとらわれやすい性格なのは、付き合いが長いから十分理解しているつもりだよ?」
「だからって……」
「その辺は気長にティアラの気持ちが僕の方へ向くまで待つよ。そういう自分に素直すぎる部分も含めて、僕はティアラに惹かれてしまったのだから」
「我が妹とは言え、あなたもとんでもない面倒な子に引っかかってしまったわね。でも姉としては、そういうあなただからこそ、安心してあの自由奔放な妹を任せられるのだけど」

 あまりにも自分本位な行動をした妹に呆れたクレアは、盛大にため息をつく。
 そんなクレアの反応に先程から苦笑し続けているイアル。

「できるだけ君の期待に応えられるようにティアラを見守るよ」
「面倒な妹を押しつけてしまって申し訳ないのだけれど、お願いね? イアル」

 クレアがそう告げると、イアルが返事の代わりに喜びと悲しみが入り混じった笑顔を返してきた。
 そんな彼の表情から罪悪感を抱いていると察したクレアは穏やかな笑みを返す。

 そして待たせてしまっているジェラルドのもとへ大急ぎで戻る。
 すると、視察内容をまとめた資料を確認していたジェラルドが、クレアの存在に気づき顔を上げる。

「先方は時間を取らせないと言いながら、随分とあなたを引き止めたらしいな」
「実はわたくしのほうで確認したいことがあったため長引いてしまいました。閣下をお一人にしてしまい、本当に申し訳ございません……」
「して元婚約者殿は、何をそんなにあなたに報告したがっていたんだ?」

 ジェラルドの問いにクレアがキョトンとした表情を浮かべる。

「えっと、その……なぜ相手が元婚約者だと?」
「『イアル』というのは男性名だ。しかも強引にこちらの都合を捻じ曲げられることから、よほどあなたが心を許している相手だと思った。その経緯から相手が誰か容易に想像がついた」
「なるほど。それでわたくしの元婚約者とお思いになられたのですね」
「ああ。だが大丈夫なのか? もしや婚約解消の件で揉めているのでは?」

 心配そうに聞いてきたジェラルドにクレアが、穏やかな笑みを返す。

「いいえ。むしろ逆で上手く話がまとまりました」
「話がまとまった?」
「はい。イアル……元婚約者は、わたくしとの婚約解消後は妹と婚約することになったので、そのままオーデント家の婿入りは継続となりました」

 その話にジェラルドが見せたことのない驚いた表情で絶句する
 そしてそのまま片手を額に当て、項垂れるように瞳を閉じた。

「待ってくれ……。つまり、姉であるあなたと婚約を解消したその元婚約者殿は、日も浅い内に今度はあなたの妹君と婚約されたのか!?」
「はい。さようでございますね」
「いや! それは色々とおかしいだろ! そもそもあなたは平気なのかっ!?」
「平気も何も……そもそもわたくしが父に提案した事なので」
「あなたがっ!?」

 ここまで動揺しているジェラルドを初めて見たクレアは、ポカンとしながら淡々と答えたのだが、ジェラルドの方は唖然としながら固まってしまった。

「あの……閣下? それほど驚かなくてもよろしいかと」

 クレアのその言葉を引き金に固まっていたジェラルドが、盛大に息を吐く。

「クレア、あなたはもう少し自分を大切にしたほうがいい……。それではまるであなたが妹君に婚約者殿を取られたと、世間が誤解する可能性は考えなかったのか?」
「ですが、わたくしから婚約の解消を打診したので、そのような誤解はされないかと思います」
「だが内情を知らぬ者達は、あなたの事を好き勝手に言うはずだ。そうなると、あなたの印象が悪くなってしまうだろう?」
「わたくしは自身で生計を立てていくつもりなので、嫁ぎ先を気にする心配はございません。なによりも妹とこのオーデント家を安心して任せるられるのは、彼が適任者なのです」

 クレアのその言葉に再びジェラルドが、盛大にため息をつきながら肩を落とす。

「どうやら、あなたはそこまで完璧な人間ではないのだな。自分に対して厳しすぎる反面、周囲には、あまりにも甘すぎる! それではあなたばかりが傷つき、損をするではないか……」

 以前、父にも同じ事を言われたクレアは、既視感からか苦笑してしまう。

「こればかりはわたくしの持って生まれた性分なので、直しようがございません」
「確かに。それを直してしまったら、あなたらしさは無くなってしまうな」

 困ったような笑みを浮かべながら答えるクレアにジェラルドが、本日何度目か分からないため息をつく。
 この件が切っ掛けだったのか、クレアの中のジェラルドに対する緊張感はさらに薄れていった。

 しかしこの後、ある人物によって残り少ないこの穏やかな時間がブチ壊されることになる。
 だが、この時のクレアはそのような状況が訪れることなど全く予想できなかった。
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