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小話
ユーリのとある1日
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■■■前書き■■■
この小話は、こびとさんから「可愛いユーリくんの1日が見たい!」というリクエストを受け、トラントとの戦争が始まる前(ディスコーニが地方視察で首都を離れる前日)の1日を文字に起こしました。
軽い気持ちでお読み頂けると嬉しいです。(*´ェ`*)
■■■■■■■■■
ウィニストラの首都にある白い石造りの美しい王宮の隣に、黒い石壁に蔦が絡みついた楕円形の大きな建物がある。軍の拠点となるこの建物には、いくつもの鍛錬場や会議室、応接室、客間があるだけでなく、銅の階級章を持つ上級兵士の部屋や、副官と将軍の私室と執務室もあるため、高さと大きさは王宮に次ぐ規模だ。
5階建ての最上階には、私室と続き間になっている執務室が将軍1人1人に与えられている。
その内の1つであるディスコーニの私室は、小さな文机と椅子、2人掛けのソファが2脚とガラスのローテーブル、ダブルベッドと小さなサイドテーブルしかない上に、壁紙も絨毯もない黒い石壁がむき出しという殺風景な部屋だ。しかし、部屋の片隅に置かれた樹木のような低めのクローゼットだけは、殺風景な部屋に不釣合いのような存在感を出している。
ベッドの隣りにあるサイドテーブルに置かれた銀色のポーチが、カーテンの隙間から差してきた燃えるような朝日を反射し始める頃。
ポーチの中にあるクッションの上で丸まって眠るユーリは、小さな身体をめいっぱい伸ばす大きな背伸びと、牙を剥き出しにする大きな欠伸をした。
木の洞の中に巣を作るオオカミリスにとって、外の光を遮断した暗いポーチの中はとても安心する場所だ。
ポーチの中には身体を打ち付けて怪我をしないようにと、綿がしっかり詰まったキルトが全面に張られている。その底には、軽くて小さな身体もしっかり包み込む高級綿を詰め込んだふっかふかの特注クッションが置かれている。
先に目覚めたユーリがクッションの上で毛づくろいを終え、クッションの下に隠していたクルミを頬張っていると、大きな耳がピクリと動いて、ディスコーニが布団を大きく動かした音を拾った。磁石で止まったポーチの蓋を鼻先でグイグイと押し開きながら外に出ると、ディスコーニがベッドの縁に座っていた。
「チチッ!」
「ユーリ、おはようございます。今日も早起きですね」
後ろ足で立ち上がって挨拶をしたユーリを手のひらに乗せたディスコーニは、頭からお尻まで指先で丁寧に撫でると、ユーリは気持ち良さそうに目を閉じて体勢を低くする。その姿を愛おしそうに見るディスコーニが何度も身体を撫でれば、コテンと手のひらに転がって柔らかいお腹を見せた。
しばらくお腹を指でくすぐっていると、ユーリはゆっくりと起き上がって手の平から飛び降りた。冷たい床をあっという間に駆け抜け、石壁の僅かな凸凹に鋭い爪を引っ掛けながら窓の前まで登っていくと、2本足で立ち上がってディスコーニを見た。
「トイレですね。いってらっしゃい」
開けてもらった窓の隙間から顔を出したユーリは、5階の高さから下を覗き込むと、外壁に絡みつく蔦を駆け下り、時には離れた場所にある蔦に向かって跳んだり、石の表面の僅かな凸凹に鋭い爪を引っ掛けながら、器用にスイスイと地面に向かって降りて行く。
あっという間に地面に着くと、すぐに建物の外周を覆うように植えられた低木の根本まで一気に駆け抜けた。大きな耳をピクピクと動かして敵が居ないことを確認すると、動きを止めて用を足した。
そしてまた壁を器用によじ登ると、ディスコーニの部屋に戻った。
「おかえりなさい。今日の服を選びましょう」
ディスコーニは部屋を駆け回るユーリに声をかけると、クローゼットの前で膝をついて、扉の合わせにある窪みに指を添えて左右の扉を開いた。
このクローゼットは木目が美しい木材で作られているが、背面と底面以外の面にはコルク板を貼り付け、その上に樹皮を貼り付けるという、作るのも維持するのも手のかかる逸品だ。
クローゼット内の上部には、手前と奥にハンガーが掛けられるように2本の木の棒が2段に分かれて設置され、下部には引き出しがあり、両開きの扉の両裏には鏡が嵌め込まれている。収納力と使い勝手の良さに配慮して作られているようだ。
ハンガーかけてあるたくさんのユーリ用の特注服は、どの服も袖はなく、首から後ろ足の前までの丈で、背中から被せるように着せて腹部でボタンを留めるようになっている。
ユーリは服を選ぶディスコーニの隣を通り過ぎると、クローゼットの側面の樹皮に爪を引っ掛けてよじ登り、小さな鼻をヒクヒクと動かして気持ちの良い木の匂いを嗅いでいる。
「ユーリは本当にこの樹皮が好きですね。バルジアラ様はこの部分に一番手をかけて作っていましたから、ユーリが気に入ってご満悦です。
樹皮はそのうち剥がれるので、定期的に樹皮を貼り替えなければなりませんが、ユーリのためならバルジアラ様は喜んでやってくれます。ありがたいことです」
ディスコーニはハンガーにかかったままの服を4着選ぶと、立ち上がってローテーブルの上に並べた。
「今日はバルジアラ様の書類の手伝いと部下達の鍛錬の予定ですから、ラフなシャツにしましょう。ユーリ、こっちに来てくれますか?」
並べられたのは青地に白の水玉模様、黒地に黄色の星柄、白地に水色と赤のストライプ、クリーム色の生地にどんぐり模様の4着で、ソファに座ったディスコーニは駆け寄ってきたユーリを手に乗せると、ユーリと手に取った服を交互に見て、また次の服に手を伸ばした。
「どれも良いですが、今日は天気もいいですから爽やかにストライプにしましょう」
ディスコーニは選んだ服をハンガーから外すと、後ろ足で立ち上がったユーリに着せ、満足そうな顔でボタンを留めた。
「今日も格好良いですよ。さ、行きましょうか」
「チッ!」
ディスコーニはローテーブルに置いていた服やハンガーをクローゼットに戻すと、隣の執務室に繋がるドアに向かって歩き出した。すると、ユーリはローテーブルから飛び降りて、元気よくディスコーニの後を追いかけて行った。
執務室に入ると、ドアの近くにある広い机の上に書類の束が置いてある。部屋に入ったユーリは椅子に座るディスコーニを気に留めることなく、黒い絨毯の上を駆け出した。
部屋の中央部にある6人掛けの応接セットの下を駆け抜け、壁側に置かれた横長のチェストをよじ登り始めた。その上に置かれた階段状になった5段の飾り棚には、様々な国の将軍や副官が身に付けていた金銀の階級章がぎっしりと並べられている。
チェストをよじ登ったユーリは、その階級章を障害物に見立てて高く跳んで越えてみたり、炎を纏う狐が口を開けて襲ってくる姿を象った階級章を前に体勢を低くして飛びかかってみたりと、元気よく遊んでいる。
ディスコーニが仕事を始めてすぐにお茶を持ってきたファズは、階級章とじゃれるユーリに声を掛けることはなかったが、その元気な姿を見て満足そうに微笑んだ。
「ユーリ、これをファズに持って行って下さい」
しばらくそんな風に遊んでいると、ディスコーニはユーリを呼び寄せて小さく畳んだ1枚の書類を咥えさせた。
執務室には私室に繋がるドアと、副官執務室に繋がるドアの2つあるが、どちらのドアの下にも小さな穴が開けられて、薄い布で隠されている。書類を咥えたユーリは、キャットドアのように布を押して穴を通ると、ファズ達がいる執務室に出た。
広い副官執務室の天井には幅の狭い板が不規則に渡されていて、その所々に小さな鳥小屋やハードルのような障害物、筒が設置されている。扇形を作るように配置された5人の机の中央部には、3人掛けのソファがローテーブルを挟んで2脚ある。そのローテーブルの近くにある背の高いランプのすぐ真上には、天井の板から螺旋階段のように組まれた板が吊り下がっている。
「チチチ!」
「ユーリ、書類を持ってきてくれたのか。ありがとな」
ファズの机によじ登ったユーリが口から書類を放すと、ファズが小さな頭を太い人差し指で優しく撫でた。集まってきたラダメール達がその様子をにこやかに見届けると、アクエルがユーリを手の平に乗せた。
「ユーリ!おはよう!やっぱりユーリを見ないと1日が始まらないな」
「ご褒美のクルミだぞ~」
「今日もカッコよく決まってるな!」
「リスのおきあがりこぼし人形を買ってきたんだ。遊ぶ?」
ラダメール達はユーリの身体を指先でツンツンと触ったり、頭を指で撫でたりすると、全員が湯呑を片手にソファに移動した。ローテーブルの上に下ろされたユーリは、早速アヴィスが置いたリスの人形に飛びかかって押し倒した。
倒れた人形が反動で起き上がると、ユーリはしがみついたまま顔に噛みつき、グイグイと引っ張って攻撃している。ユーリは自分の動きに合わせるように動くのが楽しくなったようで、何度も思いっきり飛びついては、大きく揺れる人形と格闘している。そんな姿を見ながら、5人はお茶を飲み始めた。
「ユーリってそのままでも可愛いけど、服を着ると可愛さがグッと増すんだよなぁ」
「だよな~。ユーリなしの1日なんて耐えられない」
「俺、ディスコーニ様の部下でよかった」
「だよなぁ。ちゃんと仕事をやっていれば、こういう時間を咎められることないしなぁ」
「ユーリと遊ぶ時間を確保するために俺達頑張ってるんだぞ」
5人は人形に夢中のユーリに声をかけながら、他愛のない話や仕事の話などを始めた。やがて人形がボロボロになると、セナイオルから貰ったクルミを頬袋に詰め込んだユーリは、ランプをよじ登り始めた。
「ユーリは隠れ家でご飯みたいだな。さて、俺達も仕事に戻るか」
「癒やされたから仕事に身が入りそうだ」
「ストラたちに、おきあがりこぼしも好評だったって言っておこう」
「『お前らは良いよなぁ。俺達のところにも、もっと遊びに来ないかな~』て嘆くだろうな」
「絶対言うよ!」
ランプシェードまでよじ登ったユーリは、立ち上がって前足を螺旋階段状の板にかけると、あっという間に駆け上がって天井に渡された板の上を走り始めた。木の上を駆け回るような気分になれるこの遊び場には、天敵になる動物も悪意のある人間もいないから、心置きなく楽しく遊べる。一通り駆け回った後、鳥小屋の中で頬袋に詰めていたクルミを食べるのもお気に入りだ。
太陽が真上に来る頃、ディスコーニがファズ達の部屋に入ってくると、陽の光がよくあたる場所に置かれた椅子に近付いた。椅子の上にある小さな籠の前でしゃがむと、籠の中にあるクッションに張り付くように身体を伸ばしたユーリを見てクスッと笑った。
「ユーリは日向ぼっこでうたた寝中でしたか。私は昼食にしますけど、ユーリはどうしますか?」
ディスコーニの問いかけにも、ユーリは動こうとしない。気持ちが良くて、ここから離れたくないという返事を受け取ったディスコーニは、力の抜けた身体を指で撫でた。
「では私は昼食に行ってきます。ユーリをよろしくお願いします」
「いってらっしゃいませ」
ファズ達が立ち上がって返事をすると、ディスコーニは籠のユーリににっこりと笑って廊下に繋がるドアを開けた。
「おかえりなさいませ」
「ただいまもどりました」
食事を終えたディスコーニが戻ってくると、ファズの胸元でボタンになっていたユーリは、ディスコーニに向かって駆け出すと、拾い上げられてポーチに入れられた。
「ファズ、書類を運ぶのを手伝って下さい」
「はい」
大量の書類を抱えたディスコーニとファズは、エニアス達がいる副官執務室を抜けてバルジアラの執務室に入った。
「こっちは特に問題のない書類で、こっちが注意が必要な書類です。いつも通り、問題点についてはメモを挟んでいますので、そちらをご覧下さい」
「お前はこれから何すんだ?」
机の上にどっさりと書類を置かれたバルジアラは、目の前に立つディスコーニを鋭い目でジッと見据えた。
「ファズ達の鍛錬です」
「ならユーリは置いてけ」
「ユーリ、バルジアラ様が構って欲しいそうですよ」
苦笑したディスコーニがポーチに声をかけると、スルリと出てきたユーリはディスコーニの軍服をよじ登り、ピョンと広い机に飛び移った。ユーリを前に嬉しそうに破顔する上官を見たディスコーニは、小さく息を吐いて部屋を出た。
「ユーリ。ほらクルミだぞ」
誰も居なくなった部屋でバルジアラがクルミを取り出すと、ユーリはそれに釘付けになって、両手をスリスリと合わせながら上下に揺らしている。
「チチッ!」
「俺に主人を替えたらすぐにクルミを渡すぞ」
クルミで釣りながら一周回ったのだが、おねだりする姿が可愛くて、もう一周回そうとクルミを動かし始めた。
すると半周回ったところでユーリはクルリとバルジアラに向き、体勢を低くしながら牙を剥き出す威嚇のポーズをした。
「ジジッ!」
「はいはい、ちゃんとやるって。そんなに怒るな」
威嚇されても大して悪びれもしないバルジアラは、仕方なさそうにクルミを渡すと、ユーリはすぐにカリカリと小さな音を立てて食べ始めた。机に肘を付き、頬杖をつきながら満足そうな顔をするバルジアラは、ストライプのシャツの上から身体を撫で始めた。
「怒った姿も可愛いな。お前が人間の女だったら良いのにな」
バルジアラは小さな声で呟くと、クルミのカケラをくっつけたヒゲを優しく突付き始めた。
「やっぱり付き合うなら、浮気をしないのは絶対だな。お前みたいに普段は大人しいけど、時々噛み付いてくるような一面があるのもいいな。あとは、男慣れしてない感じで、酒が弱くて甘えベタ。物静かで、作ってくれる飯が美味くて、あり物でツマミをパパッと作ってくれる料理上手もいいよなぁ。
お前はモテるんだろ?どんなメスがいいんだ?」
「チッ!」
「今度の春、気の合うメスがいたら、口説き落としていっぱい子供作れよ。そしたら、俺を主人にするようにお前がちゃーんと言って聞かせるんだぞ。お前みたいに人を見る目があって、人懐っこくて、言ってることをちゃんと理解して、可愛げがあるような子どもに育てろよ?
ん?待てよ。確かユーリに嫁が出来たら、しばらく子育てのために生息地に置いとくことになるって言ってたか。お前と離れるのはつまんねぇな」
「チチ…」
「なら俺が家を作ってやるから、嫁とこっちに住め。お前達の身の安全をより確実なものにするために、ディスコーニよりも強い俺に警備を任せておけ。だから、家は俺の私室かこの執務室に置いて、安心して子育てしていいぞ。もちろん、俺の移動に合わせられるように、持ち運べるミニハウスも作ってやるからな。
子どもが育って来たら、恋するクルミをやって懐かせたいよなぁ。でも、筆頭将軍になると、武勲を上げてもそれが当然と思われて、貰える機会なんてほとんどないし。
ここはやっぱり、ディスコーニから少し貰いたいよな。恋するクルミで釣って、嫁も子どもも全部俺を主人と認めねぇかなぁ」
「ジジジッ!」
「なんだ?お前の分が減るって怒ってんのか?お前の嫁と子供だったら、分けても良いだろ?
そうじゃなけりゃ、お前の主人を俺に替えても良いんだぞ。そしたら、ディスコーニの恋するクルミは独り占めだ。ほら、いい話だろ?」
バルジアラはそう言いながら、おかわりのクルミをチラつかせ始めた。もっとクルミが食べたいユーリは、バルジアラに向かっておねだりのポーズをしていたものの、『主人を俺に替えろ』という言葉に拒絶の意思を示したのか、ピョンと机から降りると、隣の副官執務室に繋がるドアを引っ掻き始めた。
すると、ユーリのことが気になっていたエニアスはその気配をすぐに察知し、扉を少しだけ開けてユーリを自分達の部屋に迎えた。
「はぁ……。やるか」
エニアス達の所に行くと、しばらく戻ってこないことが分かっているバルジアラは、溜息をついてディスコーニが持ってきた書類に手を伸ばした。
「ユーリが来たから、休憩にしよう!」
ユーリを手の平にのせたエニアスは、嬉しそうに声をかけると4人はガタガタと椅子から立ち上がった。
「俺、この前クッキー買ったんだ」
「あ!それ、エメルバ様の奥方特製抹茶クッキーか!よく買えたな!」
「それが、奥方とバッタリ小麦屋の前で鉢合わせてさ。クッキー作るために小麦を買いに来たっておっしゃるから、荷物を家まで持つので是非優先的に買わせて下さいって頼んだんだ」
「それは運が良かったな!この抹茶クッキーは、風味がよくて苦さが引き立つ微かな甘味!お茶に煩いエメルバ様を始め、将軍方がこぞって買い占める激ウマクッキーだもんなぁ」
「ディスコーニ様はファズ達と食べてるらしいけど、バルジアラ様は1人で食べてしまうから俺達にはまわってこないもんなぁ」
「だから今日は、みんなでクッキーをしっかり味わおう!ユーリ、バルジアラ様には内緒にしておいてくれよ?」
「今日は天気が良いから、そこの机をどけて座って日向ぼっこしながら食おうぜ!」
日当たりの良い床の上で、円陣を組むように丸くなって座るエニアス達の中央で、ユーリはクルミをカリカリと頬張っている。その様子を微笑ましくエニアス達は、深い緑色のクッキーを頬張り、それぞれが好みの味のお茶を飲んでいる。
「ユーリは可愛くて賢くて食いしん坊。俺、ユーリみたいな彼女が欲しいなぁ」
「俺も~。ユーリみたいな可愛い子が家で待ってるなんて幸せだよな」
「そういえば。エニアス、最近彼女とはどうなんだ?」
「別れた…」
「はぁ!?ちょっと、どうしちゃったんだよ」
「腹心になってから残業続きでさ。デートの約束しても、急な仕事でドタキャンの状態が続いちゃって。
それで、この前。久しぶりにデートした時。きっかけは些細なことだったんだけど、色々あってフラれた……」
「えええ!!」
「ちょっと、色々ってなんだよ。もうちょい詳しく!」
ユーリはエニアスが失恋の話をしている間に貰ったぬいぐるみを、ブンブン振り回したり噛み付いたりして遊んでいたために、時間の経過とともに無残な姿になった。ボロボロのぬいぐるみの綿を引っ張り出していると、ユーリは急にその動きを止め、後ろ足で立ち上がって大きな耳をピンと立てた。
そしてバルジアラの執務室に繋がるドアが少し開くと、その隙間からコロコロとクルミが1つ転がってきた。
それを見つけたユーリは、ぬいぐるみをストラの前に置いてクルミの方へと駆け出した。
「バルジアラ様はユーリが恋しくなったみたいだな」
「ユーリはみんなの癒やし係だからな」
「エニアス、今日は仕事終わるまで待ってるから、みんなで飲みに行こうぜ」
「ありがとう。ユーリで癒されたし、仕事が早く終わるように集中して頑張るよ」
青い空に浮かぶ眩しい太陽が、随分と西に傾いた頃。
バルジアラの胸ポケットの中では、遊び疲れたのか丸まったユーリが気持ちよさそうに昼寝をしている。銀髪の男は書類を1枚読み終えるごとに膨らんだ胸ポケットを覗き込み、可愛らしいその姿を眺めることを繰り返していると、副官執務室に繋がるドアが無遠慮にガチャリと開いた。
「ディスコーニです。失礼します」
「おい。まだ入室の許可を出してねぇよ」
バルジアラの低い声に反応したのか、ユーリはビクッと身体を震わせて飛び起きて、胸ポケットから顔を出した。
「気配で誰が来たか分かるから問題ありません。それに、ユーリを迎えにくる時になると、貴方様はいつまで経っても入室の許可を出さないではないですか」
「言いがかりつけんな」
「ユーリ、迎えに来ましたよ」
「チチッ!」
バルジアラの胸ポケットから出て机の上に下りたユーリは、ディスコーニに向かって嫌そうな顔をするバルジアラに元気よく鳴くと、ディスコーニの差し出した手を駆け上がって肩で止まった。軍服のボタンを開けられるのを待っている姿を見たバルジアラは、ガッカリしたような大きなため息をついて、机の端に置かれた書類の束を指差した。
「これ、追加だ」
「またですか。私はずーっと貴方様の手伝いばかりで、自分の部隊の者達と鍛錬する時間がまともに取れていませんが」
「今日鍛錬してきただろ」
「他の将軍達は2、3日に1回のペースでやってるというのに、私は1週間ぶりです。ちゃんと部下達に時間をかけたいのですが」
「お前が書類を捌いている間、俺が見てやってるから何の問題もない。お前より立場が上の俺に鍛錬をしてもらう方が奴らも喜ぶし、違う部隊同士で演習をやれば互いに切磋琢磨し合えて良い刺激になる」
「確かに良い面もありますが、一番喜んでいるのは面倒なデスクワークを私に押し付け、空いた時間でのびのびと鍛錬出来る貴方様ではないですか?」
「そんなことはない」
「書類が溜まる日が続くと、貴方様は『こんなものやってられるか!』と言って、副官達を連れて鍛錬場に引きこもってしまうではないですか。その時は、エニアス達が疲れきってそのあと何も出来なくなるんですから、彼らにも支障が出ないように手伝っているんです。
それでも、いい加減、地方に視察に行く命令を貰っても良いと思うのですが、いつ頃そのご命令を頂けますか?」
「そのうち」
「そのうちっていつですか」
「そのうちは、そのうちだ」
「この2週間、ずーっと『そのうち』とか『今度』と言い続けていらっしゃいます。もうそろそろ『そのうち』や『今度』が到来しても良いと思いますが」
「あ~~もう、うるさい。そのうち命令を出してやるから、それまで待ってろ」
「では、明日ご命令を出して頂けますか?」
「明日?!そんな急に出せるわけないだろ。書類が一段落し」
「軍をまとめる貴方様には、ひっきりなしに書類が集まってきます。書類が一段落する時なんてないのですから、早くご命令を出して下さい」
「あのなぁ」
「貴方様は下級兵士から将軍までの手本となる筆頭将軍です。貴方様がデスクワークを不得意にしているのは承知していますが、嫌なことから逃げずに真摯に取り組む姿を部下に見せるのも大事なことです。もちろん、部下の1人である私にもその姿をしっかり見せて頂きたいので、私が留守の間はご自身で書類を処理して下さいますよね?ユーリもこことは違う空気を感じたり、遊んだりしたいですよね?」
「チチ~♪」
反論しようとする言葉をディスコーニに遮られた上に、地方視察の命令を連日しつこく言い続ける。しかも、今日はディスコーニの肩の上にいるユーリが、小首を傾げてジーっと見つめている。その無垢で真っ直ぐな視線から「遊びに行きたい」という気持ちが伝わったのか、反論すれば倍になって返ってくる状況に、これ以上抑え続けるのは無理だと思ったのか、バルジアラは今日1番の深い溜息をついた。
「その書類が終わったらエルドナ方面に行って、関所の奴らをしっかり鍛えてこい」
「分かりました」
「書類が溜まってるから、早く帰ってこいよ」
「行きも帰りも、拠点のある街だけでなく中規模の町などにも足を伸ばし、地方にいる兵士もしっかり鍛えてきます」
「早く帰ってこいって言ってるのに、寄り道前提かよ。はぁ……」
これ以上口を開く気が失せた姿を見たディスコーニは、ユーリをポーチに戻すと不機嫌な顔をした上官に向かってニッコリと微笑み、机の上にある書類の束を抱えて部屋から出て行った。
「明日からエルドナ方面に地方視察となりました。出発は昼頃を予定していますので、部隊の者達に準備をするように伝えて下さい」
「分かりました」
副官執務室に入ると、ディスコーニは椅子から立ち上がったファズ達に向かってそう言って、すぐに自分の執務室に入った。机の上に書類の束を置くと、すぐにポーチから出てきたユーリがディスコーニの服をよじ登って机に飛び移り、書類の束の匂いをクンクンと嗅ぎ回った。
「地方視察をもぎ取りましたから、さっさと終わらせてしまいましょう」
ディスコーニが書類の山に手を伸ばすと、ユーリは静かに隣のファズ達のいる部屋に向かってドアの下部にある穴を通り過ぎた。
「おかえりユーリ」
「明日は久しぶりの遠出だな」
「街に寄ったらクルミ入りのパン買うから、一緒に食べような」
「クルミ入りのクッキーも探しておくからな」
「ぬいぐるみもいっぱい持っていくから、安心して遊んでいいぞ」
ユーリは出迎えたセナイオルにローテーブルの上まで運ばれると、差し出されたクルミにかじりついた。5人がソファに座ると、クルミを頬張るユーリを見ながらアクエルが配ったクッキーを食べ始めた。
「バルジアラ様達、ユーリとしばらく会えないから寂しがるだろうなぁ」
「ディスコーニ様が留守となると、バルジアラ様は書類が溜まる一方だろうから、そのうち鍛錬場に籠もりきりになりそうだよな」
「バルジアラ様がデスクワークから逃げた時の鍛錬って、終わる頃には手も足も上がらないくらいキツイもんなぁ。俺達が戻ってくる頃には、エニアス達がボロボロになっていそうだな」
「だよなぁ。ディスコーニ様に代わってバルジアラ様が鍛錬の相手してくれているけど、いつになっても俺達はディスコーニ様みたいにバルジアラ様を追い詰めるところまでいかないもんなぁ」
「ディスコーニ様とバルジアラ様じゃ体格差があるのに、体術でも剣術でも引けをとらないなんて凄いよなぁ」
「ユーリ、お前のご主人様は凄い人なんだぞ」
「ディスコーニ様のことを陰で悪く言う奴もいるけど、そういう奴はディスコーニ様よりも弱いから言うんだぞ」
「実力で勝てないから『童貞』とか『根暗』とか、オスのオオカミリスと結婚するんだとか言ってるんだ」
「そういえば。ディスコーニ様って、どんな人が好きなのかなぁ」
セナイオルの言葉を受けて全員が黙って頭を捻ったが、カリカリとクルミをかじる音だけがしばらくの間響き続けた。
「うーん、女性に近寄らないから全く想像出来ない」
「貴族からの縁談はたまにしか来ないし、誰かが紹介することもないし……」
「パーティーに行っても、バルジアラ様の隣にいるだけだしなぁ」
「このまま独身なのかなぁ」
「案外、ディスコーニ様は大恋愛になるかもしれないぞ」
「大恋愛って、例えば?」
「う~~ん。分からん」
「まぁ、ディスコーニ様には良い相手と巡り合って、幸せな結婚生活を送ってほしいよな」
「だな~」
「明日の視察、久しぶりだから楽しみだな」
「ディスコーニ様は久しぶりにデスクワークから解放されて、嬉しいだろうな」
「俺達も楽しみだな。ユーリ、明日が楽しみで眠れなくて、朝寝坊しちゃったなんてことになるなよ」
「もしそうなっても、ユーリはポーチの中で寝てても良いんだからな」
「朝寝坊するユーリも可愛いなぁ」
ユーリはファズ達に遊んでもらった後、天井に渡された板の上を駆け回ったり、鳥小屋でクルミを頬張ったりと、仕事に取り組むファズ達の頭上でのんびりと過ごした。
夕食時になると、ファズ達は交代で夕食に出かけるが、ディスコーニは仕事に集中していて部屋から出てこない。ユーリは部屋に残ったアヴィスやラダメールの胸ポケットに潜り込んだり、机の上に置いてある物で障害物競走をしていると。あっという間に時間が経って、窓の外からは街の音が聞こえなくなり、星の瞬きがはっきり見えるほど暗くなっていた。
仕事を終えたファズ達がそろそろ私室に戻ろうとする頃、ディスコーニがユーリを迎えに来た。
「ユーリ、いっぱい遊んで貰えましたか?」
「チチチッ!」
「私も仕事が終わりましたので、そろそろ寝ましょう。ファズ達もしっかりと休んでおいて下さい」
「おやすみなさいませ」
ファズの机の上で遊んでいたユーリは、ディスコーニに拾い上げられると、肩に乗せられたままディスコーニの私室に移動し、そのまま風呂場へと直行した。
浴槽に湯を張る間、ディスコーニは髪や身体を洗い、ユーリは浴槽の縁でモクモクと上がってくる蒸気を浴びながら毛繕いをする。時折ディスコーニが使うシャワーの飛沫がユーリにかかると、すぐにブルブルと身体を震わせてまた毛繕いをする。それを何度か繰り返していると、身体を洗い終わったディスコーニが湯を溜めた浴槽に浸かった。金の頭の上によじ登ったユーリは、あったかい蒸気を至近距離で浴びると毛繕いに精を出し始めた。
「はぁ。明日は久しぶりの視察です。ようやく将軍らしいことが出来ます。ユーリも楽しみですね」
「チチッ!」
何度か身震いを繰り返し、ボサボサになった毛をまた丁寧に繕う。ディスコーニはそんな様子を湯船に浸かったまま目を閉じ、ささやかな幸せを感じる。
そしてしっかりと毛繕いが終わった頃、風呂から上がったディスコーニは薄手のルームウェアを身に付けると、濡れたユーリの身体を丁寧に拭き上げた。
ディスコーニがユーリを手の平に乗せてベッドに戻ると、すぐ近くのサイドテーブルに置かれた銀のポーチの上に静かに下ろされた。
「おやすみなさい。明日もよろしくお願いしますね」
「チチ!」
ベッドに横になろうとするディスコーニに元気よく鳴くと、すぐにポーチに入ってクッションの上で念入りに身体の毛繕いをする。それを終え、身体を包み込むようなふかふかのクッションに身体を預けるように丸まれば、すぐに眠りに入った。
みんなの愛されるユーリの1日はこうして終え、また明日も続いていく。
この小話は、こびとさんから「可愛いユーリくんの1日が見たい!」というリクエストを受け、トラントとの戦争が始まる前(ディスコーニが地方視察で首都を離れる前日)の1日を文字に起こしました。
軽い気持ちでお読み頂けると嬉しいです。(*´ェ`*)
■■■■■■■■■
ウィニストラの首都にある白い石造りの美しい王宮の隣に、黒い石壁に蔦が絡みついた楕円形の大きな建物がある。軍の拠点となるこの建物には、いくつもの鍛錬場や会議室、応接室、客間があるだけでなく、銅の階級章を持つ上級兵士の部屋や、副官と将軍の私室と執務室もあるため、高さと大きさは王宮に次ぐ規模だ。
5階建ての最上階には、私室と続き間になっている執務室が将軍1人1人に与えられている。
その内の1つであるディスコーニの私室は、小さな文机と椅子、2人掛けのソファが2脚とガラスのローテーブル、ダブルベッドと小さなサイドテーブルしかない上に、壁紙も絨毯もない黒い石壁がむき出しという殺風景な部屋だ。しかし、部屋の片隅に置かれた樹木のような低めのクローゼットだけは、殺風景な部屋に不釣合いのような存在感を出している。
ベッドの隣りにあるサイドテーブルに置かれた銀色のポーチが、カーテンの隙間から差してきた燃えるような朝日を反射し始める頃。
ポーチの中にあるクッションの上で丸まって眠るユーリは、小さな身体をめいっぱい伸ばす大きな背伸びと、牙を剥き出しにする大きな欠伸をした。
木の洞の中に巣を作るオオカミリスにとって、外の光を遮断した暗いポーチの中はとても安心する場所だ。
ポーチの中には身体を打ち付けて怪我をしないようにと、綿がしっかり詰まったキルトが全面に張られている。その底には、軽くて小さな身体もしっかり包み込む高級綿を詰め込んだふっかふかの特注クッションが置かれている。
先に目覚めたユーリがクッションの上で毛づくろいを終え、クッションの下に隠していたクルミを頬張っていると、大きな耳がピクリと動いて、ディスコーニが布団を大きく動かした音を拾った。磁石で止まったポーチの蓋を鼻先でグイグイと押し開きながら外に出ると、ディスコーニがベッドの縁に座っていた。
「チチッ!」
「ユーリ、おはようございます。今日も早起きですね」
後ろ足で立ち上がって挨拶をしたユーリを手のひらに乗せたディスコーニは、頭からお尻まで指先で丁寧に撫でると、ユーリは気持ち良さそうに目を閉じて体勢を低くする。その姿を愛おしそうに見るディスコーニが何度も身体を撫でれば、コテンと手のひらに転がって柔らかいお腹を見せた。
しばらくお腹を指でくすぐっていると、ユーリはゆっくりと起き上がって手の平から飛び降りた。冷たい床をあっという間に駆け抜け、石壁の僅かな凸凹に鋭い爪を引っ掛けながら窓の前まで登っていくと、2本足で立ち上がってディスコーニを見た。
「トイレですね。いってらっしゃい」
開けてもらった窓の隙間から顔を出したユーリは、5階の高さから下を覗き込むと、外壁に絡みつく蔦を駆け下り、時には離れた場所にある蔦に向かって跳んだり、石の表面の僅かな凸凹に鋭い爪を引っ掛けながら、器用にスイスイと地面に向かって降りて行く。
あっという間に地面に着くと、すぐに建物の外周を覆うように植えられた低木の根本まで一気に駆け抜けた。大きな耳をピクピクと動かして敵が居ないことを確認すると、動きを止めて用を足した。
そしてまた壁を器用によじ登ると、ディスコーニの部屋に戻った。
「おかえりなさい。今日の服を選びましょう」
ディスコーニは部屋を駆け回るユーリに声をかけると、クローゼットの前で膝をついて、扉の合わせにある窪みに指を添えて左右の扉を開いた。
このクローゼットは木目が美しい木材で作られているが、背面と底面以外の面にはコルク板を貼り付け、その上に樹皮を貼り付けるという、作るのも維持するのも手のかかる逸品だ。
クローゼット内の上部には、手前と奥にハンガーが掛けられるように2本の木の棒が2段に分かれて設置され、下部には引き出しがあり、両開きの扉の両裏には鏡が嵌め込まれている。収納力と使い勝手の良さに配慮して作られているようだ。
ハンガーかけてあるたくさんのユーリ用の特注服は、どの服も袖はなく、首から後ろ足の前までの丈で、背中から被せるように着せて腹部でボタンを留めるようになっている。
ユーリは服を選ぶディスコーニの隣を通り過ぎると、クローゼットの側面の樹皮に爪を引っ掛けてよじ登り、小さな鼻をヒクヒクと動かして気持ちの良い木の匂いを嗅いでいる。
「ユーリは本当にこの樹皮が好きですね。バルジアラ様はこの部分に一番手をかけて作っていましたから、ユーリが気に入ってご満悦です。
樹皮はそのうち剥がれるので、定期的に樹皮を貼り替えなければなりませんが、ユーリのためならバルジアラ様は喜んでやってくれます。ありがたいことです」
ディスコーニはハンガーにかかったままの服を4着選ぶと、立ち上がってローテーブルの上に並べた。
「今日はバルジアラ様の書類の手伝いと部下達の鍛錬の予定ですから、ラフなシャツにしましょう。ユーリ、こっちに来てくれますか?」
並べられたのは青地に白の水玉模様、黒地に黄色の星柄、白地に水色と赤のストライプ、クリーム色の生地にどんぐり模様の4着で、ソファに座ったディスコーニは駆け寄ってきたユーリを手に乗せると、ユーリと手に取った服を交互に見て、また次の服に手を伸ばした。
「どれも良いですが、今日は天気もいいですから爽やかにストライプにしましょう」
ディスコーニは選んだ服をハンガーから外すと、後ろ足で立ち上がったユーリに着せ、満足そうな顔でボタンを留めた。
「今日も格好良いですよ。さ、行きましょうか」
「チッ!」
ディスコーニはローテーブルに置いていた服やハンガーをクローゼットに戻すと、隣の執務室に繋がるドアに向かって歩き出した。すると、ユーリはローテーブルから飛び降りて、元気よくディスコーニの後を追いかけて行った。
執務室に入ると、ドアの近くにある広い机の上に書類の束が置いてある。部屋に入ったユーリは椅子に座るディスコーニを気に留めることなく、黒い絨毯の上を駆け出した。
部屋の中央部にある6人掛けの応接セットの下を駆け抜け、壁側に置かれた横長のチェストをよじ登り始めた。その上に置かれた階段状になった5段の飾り棚には、様々な国の将軍や副官が身に付けていた金銀の階級章がぎっしりと並べられている。
チェストをよじ登ったユーリは、その階級章を障害物に見立てて高く跳んで越えてみたり、炎を纏う狐が口を開けて襲ってくる姿を象った階級章を前に体勢を低くして飛びかかってみたりと、元気よく遊んでいる。
ディスコーニが仕事を始めてすぐにお茶を持ってきたファズは、階級章とじゃれるユーリに声を掛けることはなかったが、その元気な姿を見て満足そうに微笑んだ。
「ユーリ、これをファズに持って行って下さい」
しばらくそんな風に遊んでいると、ディスコーニはユーリを呼び寄せて小さく畳んだ1枚の書類を咥えさせた。
執務室には私室に繋がるドアと、副官執務室に繋がるドアの2つあるが、どちらのドアの下にも小さな穴が開けられて、薄い布で隠されている。書類を咥えたユーリは、キャットドアのように布を押して穴を通ると、ファズ達がいる執務室に出た。
広い副官執務室の天井には幅の狭い板が不規則に渡されていて、その所々に小さな鳥小屋やハードルのような障害物、筒が設置されている。扇形を作るように配置された5人の机の中央部には、3人掛けのソファがローテーブルを挟んで2脚ある。そのローテーブルの近くにある背の高いランプのすぐ真上には、天井の板から螺旋階段のように組まれた板が吊り下がっている。
「チチチ!」
「ユーリ、書類を持ってきてくれたのか。ありがとな」
ファズの机によじ登ったユーリが口から書類を放すと、ファズが小さな頭を太い人差し指で優しく撫でた。集まってきたラダメール達がその様子をにこやかに見届けると、アクエルがユーリを手の平に乗せた。
「ユーリ!おはよう!やっぱりユーリを見ないと1日が始まらないな」
「ご褒美のクルミだぞ~」
「今日もカッコよく決まってるな!」
「リスのおきあがりこぼし人形を買ってきたんだ。遊ぶ?」
ラダメール達はユーリの身体を指先でツンツンと触ったり、頭を指で撫でたりすると、全員が湯呑を片手にソファに移動した。ローテーブルの上に下ろされたユーリは、早速アヴィスが置いたリスの人形に飛びかかって押し倒した。
倒れた人形が反動で起き上がると、ユーリはしがみついたまま顔に噛みつき、グイグイと引っ張って攻撃している。ユーリは自分の動きに合わせるように動くのが楽しくなったようで、何度も思いっきり飛びついては、大きく揺れる人形と格闘している。そんな姿を見ながら、5人はお茶を飲み始めた。
「ユーリってそのままでも可愛いけど、服を着ると可愛さがグッと増すんだよなぁ」
「だよな~。ユーリなしの1日なんて耐えられない」
「俺、ディスコーニ様の部下でよかった」
「だよなぁ。ちゃんと仕事をやっていれば、こういう時間を咎められることないしなぁ」
「ユーリと遊ぶ時間を確保するために俺達頑張ってるんだぞ」
5人は人形に夢中のユーリに声をかけながら、他愛のない話や仕事の話などを始めた。やがて人形がボロボロになると、セナイオルから貰ったクルミを頬袋に詰め込んだユーリは、ランプをよじ登り始めた。
「ユーリは隠れ家でご飯みたいだな。さて、俺達も仕事に戻るか」
「癒やされたから仕事に身が入りそうだ」
「ストラたちに、おきあがりこぼしも好評だったって言っておこう」
「『お前らは良いよなぁ。俺達のところにも、もっと遊びに来ないかな~』て嘆くだろうな」
「絶対言うよ!」
ランプシェードまでよじ登ったユーリは、立ち上がって前足を螺旋階段状の板にかけると、あっという間に駆け上がって天井に渡された板の上を走り始めた。木の上を駆け回るような気分になれるこの遊び場には、天敵になる動物も悪意のある人間もいないから、心置きなく楽しく遊べる。一通り駆け回った後、鳥小屋の中で頬袋に詰めていたクルミを食べるのもお気に入りだ。
太陽が真上に来る頃、ディスコーニがファズ達の部屋に入ってくると、陽の光がよくあたる場所に置かれた椅子に近付いた。椅子の上にある小さな籠の前でしゃがむと、籠の中にあるクッションに張り付くように身体を伸ばしたユーリを見てクスッと笑った。
「ユーリは日向ぼっこでうたた寝中でしたか。私は昼食にしますけど、ユーリはどうしますか?」
ディスコーニの問いかけにも、ユーリは動こうとしない。気持ちが良くて、ここから離れたくないという返事を受け取ったディスコーニは、力の抜けた身体を指で撫でた。
「では私は昼食に行ってきます。ユーリをよろしくお願いします」
「いってらっしゃいませ」
ファズ達が立ち上がって返事をすると、ディスコーニは籠のユーリににっこりと笑って廊下に繋がるドアを開けた。
「おかえりなさいませ」
「ただいまもどりました」
食事を終えたディスコーニが戻ってくると、ファズの胸元でボタンになっていたユーリは、ディスコーニに向かって駆け出すと、拾い上げられてポーチに入れられた。
「ファズ、書類を運ぶのを手伝って下さい」
「はい」
大量の書類を抱えたディスコーニとファズは、エニアス達がいる副官執務室を抜けてバルジアラの執務室に入った。
「こっちは特に問題のない書類で、こっちが注意が必要な書類です。いつも通り、問題点についてはメモを挟んでいますので、そちらをご覧下さい」
「お前はこれから何すんだ?」
机の上にどっさりと書類を置かれたバルジアラは、目の前に立つディスコーニを鋭い目でジッと見据えた。
「ファズ達の鍛錬です」
「ならユーリは置いてけ」
「ユーリ、バルジアラ様が構って欲しいそうですよ」
苦笑したディスコーニがポーチに声をかけると、スルリと出てきたユーリはディスコーニの軍服をよじ登り、ピョンと広い机に飛び移った。ユーリを前に嬉しそうに破顔する上官を見たディスコーニは、小さく息を吐いて部屋を出た。
「ユーリ。ほらクルミだぞ」
誰も居なくなった部屋でバルジアラがクルミを取り出すと、ユーリはそれに釘付けになって、両手をスリスリと合わせながら上下に揺らしている。
「チチッ!」
「俺に主人を替えたらすぐにクルミを渡すぞ」
クルミで釣りながら一周回ったのだが、おねだりする姿が可愛くて、もう一周回そうとクルミを動かし始めた。
すると半周回ったところでユーリはクルリとバルジアラに向き、体勢を低くしながら牙を剥き出す威嚇のポーズをした。
「ジジッ!」
「はいはい、ちゃんとやるって。そんなに怒るな」
威嚇されても大して悪びれもしないバルジアラは、仕方なさそうにクルミを渡すと、ユーリはすぐにカリカリと小さな音を立てて食べ始めた。机に肘を付き、頬杖をつきながら満足そうな顔をするバルジアラは、ストライプのシャツの上から身体を撫で始めた。
「怒った姿も可愛いな。お前が人間の女だったら良いのにな」
バルジアラは小さな声で呟くと、クルミのカケラをくっつけたヒゲを優しく突付き始めた。
「やっぱり付き合うなら、浮気をしないのは絶対だな。お前みたいに普段は大人しいけど、時々噛み付いてくるような一面があるのもいいな。あとは、男慣れしてない感じで、酒が弱くて甘えベタ。物静かで、作ってくれる飯が美味くて、あり物でツマミをパパッと作ってくれる料理上手もいいよなぁ。
お前はモテるんだろ?どんなメスがいいんだ?」
「チッ!」
「今度の春、気の合うメスがいたら、口説き落としていっぱい子供作れよ。そしたら、俺を主人にするようにお前がちゃーんと言って聞かせるんだぞ。お前みたいに人を見る目があって、人懐っこくて、言ってることをちゃんと理解して、可愛げがあるような子どもに育てろよ?
ん?待てよ。確かユーリに嫁が出来たら、しばらく子育てのために生息地に置いとくことになるって言ってたか。お前と離れるのはつまんねぇな」
「チチ…」
「なら俺が家を作ってやるから、嫁とこっちに住め。お前達の身の安全をより確実なものにするために、ディスコーニよりも強い俺に警備を任せておけ。だから、家は俺の私室かこの執務室に置いて、安心して子育てしていいぞ。もちろん、俺の移動に合わせられるように、持ち運べるミニハウスも作ってやるからな。
子どもが育って来たら、恋するクルミをやって懐かせたいよなぁ。でも、筆頭将軍になると、武勲を上げてもそれが当然と思われて、貰える機会なんてほとんどないし。
ここはやっぱり、ディスコーニから少し貰いたいよな。恋するクルミで釣って、嫁も子どもも全部俺を主人と認めねぇかなぁ」
「ジジジッ!」
「なんだ?お前の分が減るって怒ってんのか?お前の嫁と子供だったら、分けても良いだろ?
そうじゃなけりゃ、お前の主人を俺に替えても良いんだぞ。そしたら、ディスコーニの恋するクルミは独り占めだ。ほら、いい話だろ?」
バルジアラはそう言いながら、おかわりのクルミをチラつかせ始めた。もっとクルミが食べたいユーリは、バルジアラに向かっておねだりのポーズをしていたものの、『主人を俺に替えろ』という言葉に拒絶の意思を示したのか、ピョンと机から降りると、隣の副官執務室に繋がるドアを引っ掻き始めた。
すると、ユーリのことが気になっていたエニアスはその気配をすぐに察知し、扉を少しだけ開けてユーリを自分達の部屋に迎えた。
「はぁ……。やるか」
エニアス達の所に行くと、しばらく戻ってこないことが分かっているバルジアラは、溜息をついてディスコーニが持ってきた書類に手を伸ばした。
「ユーリが来たから、休憩にしよう!」
ユーリを手の平にのせたエニアスは、嬉しそうに声をかけると4人はガタガタと椅子から立ち上がった。
「俺、この前クッキー買ったんだ」
「あ!それ、エメルバ様の奥方特製抹茶クッキーか!よく買えたな!」
「それが、奥方とバッタリ小麦屋の前で鉢合わせてさ。クッキー作るために小麦を買いに来たっておっしゃるから、荷物を家まで持つので是非優先的に買わせて下さいって頼んだんだ」
「それは運が良かったな!この抹茶クッキーは、風味がよくて苦さが引き立つ微かな甘味!お茶に煩いエメルバ様を始め、将軍方がこぞって買い占める激ウマクッキーだもんなぁ」
「ディスコーニ様はファズ達と食べてるらしいけど、バルジアラ様は1人で食べてしまうから俺達にはまわってこないもんなぁ」
「だから今日は、みんなでクッキーをしっかり味わおう!ユーリ、バルジアラ様には内緒にしておいてくれよ?」
「今日は天気が良いから、そこの机をどけて座って日向ぼっこしながら食おうぜ!」
日当たりの良い床の上で、円陣を組むように丸くなって座るエニアス達の中央で、ユーリはクルミをカリカリと頬張っている。その様子を微笑ましくエニアス達は、深い緑色のクッキーを頬張り、それぞれが好みの味のお茶を飲んでいる。
「ユーリは可愛くて賢くて食いしん坊。俺、ユーリみたいな彼女が欲しいなぁ」
「俺も~。ユーリみたいな可愛い子が家で待ってるなんて幸せだよな」
「そういえば。エニアス、最近彼女とはどうなんだ?」
「別れた…」
「はぁ!?ちょっと、どうしちゃったんだよ」
「腹心になってから残業続きでさ。デートの約束しても、急な仕事でドタキャンの状態が続いちゃって。
それで、この前。久しぶりにデートした時。きっかけは些細なことだったんだけど、色々あってフラれた……」
「えええ!!」
「ちょっと、色々ってなんだよ。もうちょい詳しく!」
ユーリはエニアスが失恋の話をしている間に貰ったぬいぐるみを、ブンブン振り回したり噛み付いたりして遊んでいたために、時間の経過とともに無残な姿になった。ボロボロのぬいぐるみの綿を引っ張り出していると、ユーリは急にその動きを止め、後ろ足で立ち上がって大きな耳をピンと立てた。
そしてバルジアラの執務室に繋がるドアが少し開くと、その隙間からコロコロとクルミが1つ転がってきた。
それを見つけたユーリは、ぬいぐるみをストラの前に置いてクルミの方へと駆け出した。
「バルジアラ様はユーリが恋しくなったみたいだな」
「ユーリはみんなの癒やし係だからな」
「エニアス、今日は仕事終わるまで待ってるから、みんなで飲みに行こうぜ」
「ありがとう。ユーリで癒されたし、仕事が早く終わるように集中して頑張るよ」
青い空に浮かぶ眩しい太陽が、随分と西に傾いた頃。
バルジアラの胸ポケットの中では、遊び疲れたのか丸まったユーリが気持ちよさそうに昼寝をしている。銀髪の男は書類を1枚読み終えるごとに膨らんだ胸ポケットを覗き込み、可愛らしいその姿を眺めることを繰り返していると、副官執務室に繋がるドアが無遠慮にガチャリと開いた。
「ディスコーニです。失礼します」
「おい。まだ入室の許可を出してねぇよ」
バルジアラの低い声に反応したのか、ユーリはビクッと身体を震わせて飛び起きて、胸ポケットから顔を出した。
「気配で誰が来たか分かるから問題ありません。それに、ユーリを迎えにくる時になると、貴方様はいつまで経っても入室の許可を出さないではないですか」
「言いがかりつけんな」
「ユーリ、迎えに来ましたよ」
「チチッ!」
バルジアラの胸ポケットから出て机の上に下りたユーリは、ディスコーニに向かって嫌そうな顔をするバルジアラに元気よく鳴くと、ディスコーニの差し出した手を駆け上がって肩で止まった。軍服のボタンを開けられるのを待っている姿を見たバルジアラは、ガッカリしたような大きなため息をついて、机の端に置かれた書類の束を指差した。
「これ、追加だ」
「またですか。私はずーっと貴方様の手伝いばかりで、自分の部隊の者達と鍛錬する時間がまともに取れていませんが」
「今日鍛錬してきただろ」
「他の将軍達は2、3日に1回のペースでやってるというのに、私は1週間ぶりです。ちゃんと部下達に時間をかけたいのですが」
「お前が書類を捌いている間、俺が見てやってるから何の問題もない。お前より立場が上の俺に鍛錬をしてもらう方が奴らも喜ぶし、違う部隊同士で演習をやれば互いに切磋琢磨し合えて良い刺激になる」
「確かに良い面もありますが、一番喜んでいるのは面倒なデスクワークを私に押し付け、空いた時間でのびのびと鍛錬出来る貴方様ではないですか?」
「そんなことはない」
「書類が溜まる日が続くと、貴方様は『こんなものやってられるか!』と言って、副官達を連れて鍛錬場に引きこもってしまうではないですか。その時は、エニアス達が疲れきってそのあと何も出来なくなるんですから、彼らにも支障が出ないように手伝っているんです。
それでも、いい加減、地方に視察に行く命令を貰っても良いと思うのですが、いつ頃そのご命令を頂けますか?」
「そのうち」
「そのうちっていつですか」
「そのうちは、そのうちだ」
「この2週間、ずーっと『そのうち』とか『今度』と言い続けていらっしゃいます。もうそろそろ『そのうち』や『今度』が到来しても良いと思いますが」
「あ~~もう、うるさい。そのうち命令を出してやるから、それまで待ってろ」
「では、明日ご命令を出して頂けますか?」
「明日?!そんな急に出せるわけないだろ。書類が一段落し」
「軍をまとめる貴方様には、ひっきりなしに書類が集まってきます。書類が一段落する時なんてないのですから、早くご命令を出して下さい」
「あのなぁ」
「貴方様は下級兵士から将軍までの手本となる筆頭将軍です。貴方様がデスクワークを不得意にしているのは承知していますが、嫌なことから逃げずに真摯に取り組む姿を部下に見せるのも大事なことです。もちろん、部下の1人である私にもその姿をしっかり見せて頂きたいので、私が留守の間はご自身で書類を処理して下さいますよね?ユーリもこことは違う空気を感じたり、遊んだりしたいですよね?」
「チチ~♪」
反論しようとする言葉をディスコーニに遮られた上に、地方視察の命令を連日しつこく言い続ける。しかも、今日はディスコーニの肩の上にいるユーリが、小首を傾げてジーっと見つめている。その無垢で真っ直ぐな視線から「遊びに行きたい」という気持ちが伝わったのか、反論すれば倍になって返ってくる状況に、これ以上抑え続けるのは無理だと思ったのか、バルジアラは今日1番の深い溜息をついた。
「その書類が終わったらエルドナ方面に行って、関所の奴らをしっかり鍛えてこい」
「分かりました」
「書類が溜まってるから、早く帰ってこいよ」
「行きも帰りも、拠点のある街だけでなく中規模の町などにも足を伸ばし、地方にいる兵士もしっかり鍛えてきます」
「早く帰ってこいって言ってるのに、寄り道前提かよ。はぁ……」
これ以上口を開く気が失せた姿を見たディスコーニは、ユーリをポーチに戻すと不機嫌な顔をした上官に向かってニッコリと微笑み、机の上にある書類の束を抱えて部屋から出て行った。
「明日からエルドナ方面に地方視察となりました。出発は昼頃を予定していますので、部隊の者達に準備をするように伝えて下さい」
「分かりました」
副官執務室に入ると、ディスコーニは椅子から立ち上がったファズ達に向かってそう言って、すぐに自分の執務室に入った。机の上に書類の束を置くと、すぐにポーチから出てきたユーリがディスコーニの服をよじ登って机に飛び移り、書類の束の匂いをクンクンと嗅ぎ回った。
「地方視察をもぎ取りましたから、さっさと終わらせてしまいましょう」
ディスコーニが書類の山に手を伸ばすと、ユーリは静かに隣のファズ達のいる部屋に向かってドアの下部にある穴を通り過ぎた。
「おかえりユーリ」
「明日は久しぶりの遠出だな」
「街に寄ったらクルミ入りのパン買うから、一緒に食べような」
「クルミ入りのクッキーも探しておくからな」
「ぬいぐるみもいっぱい持っていくから、安心して遊んでいいぞ」
ユーリは出迎えたセナイオルにローテーブルの上まで運ばれると、差し出されたクルミにかじりついた。5人がソファに座ると、クルミを頬張るユーリを見ながらアクエルが配ったクッキーを食べ始めた。
「バルジアラ様達、ユーリとしばらく会えないから寂しがるだろうなぁ」
「ディスコーニ様が留守となると、バルジアラ様は書類が溜まる一方だろうから、そのうち鍛錬場に籠もりきりになりそうだよな」
「バルジアラ様がデスクワークから逃げた時の鍛錬って、終わる頃には手も足も上がらないくらいキツイもんなぁ。俺達が戻ってくる頃には、エニアス達がボロボロになっていそうだな」
「だよなぁ。ディスコーニ様に代わってバルジアラ様が鍛錬の相手してくれているけど、いつになっても俺達はディスコーニ様みたいにバルジアラ様を追い詰めるところまでいかないもんなぁ」
「ディスコーニ様とバルジアラ様じゃ体格差があるのに、体術でも剣術でも引けをとらないなんて凄いよなぁ」
「ユーリ、お前のご主人様は凄い人なんだぞ」
「ディスコーニ様のことを陰で悪く言う奴もいるけど、そういう奴はディスコーニ様よりも弱いから言うんだぞ」
「実力で勝てないから『童貞』とか『根暗』とか、オスのオオカミリスと結婚するんだとか言ってるんだ」
「そういえば。ディスコーニ様って、どんな人が好きなのかなぁ」
セナイオルの言葉を受けて全員が黙って頭を捻ったが、カリカリとクルミをかじる音だけがしばらくの間響き続けた。
「うーん、女性に近寄らないから全く想像出来ない」
「貴族からの縁談はたまにしか来ないし、誰かが紹介することもないし……」
「パーティーに行っても、バルジアラ様の隣にいるだけだしなぁ」
「このまま独身なのかなぁ」
「案外、ディスコーニ様は大恋愛になるかもしれないぞ」
「大恋愛って、例えば?」
「う~~ん。分からん」
「まぁ、ディスコーニ様には良い相手と巡り合って、幸せな結婚生活を送ってほしいよな」
「だな~」
「明日の視察、久しぶりだから楽しみだな」
「ディスコーニ様は久しぶりにデスクワークから解放されて、嬉しいだろうな」
「俺達も楽しみだな。ユーリ、明日が楽しみで眠れなくて、朝寝坊しちゃったなんてことになるなよ」
「もしそうなっても、ユーリはポーチの中で寝てても良いんだからな」
「朝寝坊するユーリも可愛いなぁ」
ユーリはファズ達に遊んでもらった後、天井に渡された板の上を駆け回ったり、鳥小屋でクルミを頬張ったりと、仕事に取り組むファズ達の頭上でのんびりと過ごした。
夕食時になると、ファズ達は交代で夕食に出かけるが、ディスコーニは仕事に集中していて部屋から出てこない。ユーリは部屋に残ったアヴィスやラダメールの胸ポケットに潜り込んだり、机の上に置いてある物で障害物競走をしていると。あっという間に時間が経って、窓の外からは街の音が聞こえなくなり、星の瞬きがはっきり見えるほど暗くなっていた。
仕事を終えたファズ達がそろそろ私室に戻ろうとする頃、ディスコーニがユーリを迎えに来た。
「ユーリ、いっぱい遊んで貰えましたか?」
「チチチッ!」
「私も仕事が終わりましたので、そろそろ寝ましょう。ファズ達もしっかりと休んでおいて下さい」
「おやすみなさいませ」
ファズの机の上で遊んでいたユーリは、ディスコーニに拾い上げられると、肩に乗せられたままディスコーニの私室に移動し、そのまま風呂場へと直行した。
浴槽に湯を張る間、ディスコーニは髪や身体を洗い、ユーリは浴槽の縁でモクモクと上がってくる蒸気を浴びながら毛繕いをする。時折ディスコーニが使うシャワーの飛沫がユーリにかかると、すぐにブルブルと身体を震わせてまた毛繕いをする。それを何度か繰り返していると、身体を洗い終わったディスコーニが湯を溜めた浴槽に浸かった。金の頭の上によじ登ったユーリは、あったかい蒸気を至近距離で浴びると毛繕いに精を出し始めた。
「はぁ。明日は久しぶりの視察です。ようやく将軍らしいことが出来ます。ユーリも楽しみですね」
「チチッ!」
何度か身震いを繰り返し、ボサボサになった毛をまた丁寧に繕う。ディスコーニはそんな様子を湯船に浸かったまま目を閉じ、ささやかな幸せを感じる。
そしてしっかりと毛繕いが終わった頃、風呂から上がったディスコーニは薄手のルームウェアを身に付けると、濡れたユーリの身体を丁寧に拭き上げた。
ディスコーニがユーリを手の平に乗せてベッドに戻ると、すぐ近くのサイドテーブルに置かれた銀のポーチの上に静かに下ろされた。
「おやすみなさい。明日もよろしくお願いしますね」
「チチ!」
ベッドに横になろうとするディスコーニに元気よく鳴くと、すぐにポーチに入ってクッションの上で念入りに身体の毛繕いをする。それを終え、身体を包み込むようなふかふかのクッションに身体を預けるように丸まれば、すぐに眠りに入った。
みんなの愛されるユーリの1日はこうして終え、また明日も続いていく。
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