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第16章 日の差さぬ場所で
13.ぬくもり
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トラント国王とアステラ将軍らの会話を聞いてから、私達は気を取り直して前に進み始めた。
あの後、ディズはあの会話を思い出さないようにするためか、ずっと他愛のない話をしてくれていて、随分と気を遣わせてしまっている。
「ユーリくん、踏ん張ったままだと疲れない?ポーチに戻る?」
そう言ってリスボタンのユーリくんの目の前に手を出したけど、彼はまだ踏ん張り体勢で頑張れるのか、手に移ることはなかった。
「まだまだ元気そうですから、次の休憩までちゃんとお仕事出来そうですね」
「チチッ!」
私の隣を歩くディズが、ユーリくんを見ながら穏やかな笑顔を浮かべて語りかけると、彼は元気良く返事をした。
「オオカミリスって絶滅危惧種だよね。こんなに人懐っこくて可愛いから、乱獲されたの?」
「ええ。主人を決めたオオカミリスは色んな可愛い姿を見せてくれるので、それを見た人が自分も欲しいと乱獲したんです。主人と認めた者にはよく懐くのに、認められる基準が良く分からないし、無理矢理人の手元で飼育しようとしても衰弱死してしまうんです。
その結果、激しい乱獲が起きてしまい、あっという間に生息域はウィニストラの一部地域に限られてしまいました」
「乱獲はダメだけど、欲しくなる人の気持ちが分かっちゃうな。オオカミリスって主人を変えることはないの?」
すっかり可愛いユーリくんにメロメロな私は、あわよくば主人をディズから私に変更してくれないだろうか、という淡い期待を抱いていた。
リスボタンになっているユーリくんとの旅を想像するだけで、私はニヤニヤが止まらない。
ーーユーリくん、超高級クルミ買ったよ。はい、あ~ん…。やぁぁん、食べる姿も可愛いっ!
ーーユーリくん、今日は一緒にお風呂に入ろっか!裸のお付き合いで2人の距離がグッと近くなっちゃったね!
ーーユーリくん、今夜は私がポーチの隣で添い寝してもいい?朝になったら、ポーチごと抱き締めているかもしれないけど、許してくれる?
ーーユーリくん、おやすみのチューしよっか。きゃ~!良いよって言われる前にしちゃった!
ーーユーリくん、ユーリくん……。うへへっ!!
いけない、いけない。ついつい妄想の世界に入り込んで、あられもない声を上げそうになってしまった。
「生態がよく分かっていないのですが、主人である人間が死んだとしても、主人の他に懐いていた人を新たな主人に認めることがなかったことから、もしかしたらオオカミリスが主人と認めるのは一生に一度かもしれないと言われています」
ディズの話に、数瞬前まで頭の中に繰り広げられていた『ユーリくんとのイチャラブ旅』は、ガラスが割れるように音を立てて砕け散った。世の中、そんなに上手くいかないものだ…。
「そうなんだ。じゃあディズとユーリくんは、一生に一度の出会いをしたんだね。それって運命的で、とってもロマンチック!どこを見て主人と認めるのかな。ビビッ!と来るのかな。私にもユーリくんみたいな可愛くて、カッコイイ相棒が居たら良いのに」
「シェニカにもきっと良き相棒が見つかりますよ」
旅装束の隙間からひょっこり顔を出すユーリくんの小さな頭を指で撫で、出口の見えない乳白色の道を歩き続けた。
そして、空気は冷たいのに何だかジメジメとしたような階層に入ると、地面や壁に魔力の光をチラチラと反射する乳白色の苔が生した下り坂に差し掛かった。
ディズと繋いだ手に力を入れ、滑り落ちないように慎重に坂をくだると、私達の前には底が見えない乳白色の水が溜まった池があった。
「ここは通れないのかな」
うねる蛇みたいに緩く蛇行した細い池の先には、先に続く洞穴がポッカリと空いている。その暗い洞穴には誰もいないけど、なぜだか「出口はこっちだよ」と言っているかのように感じた。
「向こう岸は見えているのに水が隔ててるとは困りましたね。分岐点はかなり前だったので、引き返すのはちょっと避けたいですね。シェニカは泳げますか?」
「ううん。私、泳げなくて…」
私は首を横に振ると、ディズは私を見下ろしながらにっこりと微笑んだ。
「では私がシェニカをかかえて池を泳ぎます」
「え。ディズが溺れちゃうよ」
「大丈夫ですよ。甲冑姿のバルジアラ様をおぶって湖を泳がされたことがありますから、軽いシェニカは余裕です」
「バルジアラ様を?」
「鍛錬の1つなんです。バルジアラ様はあの巨体ですからかなり重いのですが、水の中は浮力があるのでなんとかなります。ユーリのポーチをお願いしていいですか?」
私はユーリくんと鞄を水際に下ろし、預かったユーリくんのポーチを鞄の中に入れると、ディズは水しぶきを上げない様に池に入った。
彼は足がつくのか普通に立っているけど、彼の胸の位置まで水が来ている。
「足がつきますから深さは思ったほどありませんが、泳げないシェニカだと厳しそうですね。水温は低いし服が濡れてしまいますが、どうぞこちらに」
「う、うん……」
私はディズの手を取りながらそっと足先から水の中に入ったけど、その冷たさに思わず出そうになった悲鳴を堪えた。
「落ちないように、足をかけてしがみついて下さいね」
ゆっくり冷たい水の中に入った私は、言われた通りに彼の胴を足で挟むようにしがみついたけど、胸の辺りまで浸かった水が鳥肌が止まらないほどの凍てつく冷たさで、身体がブルリと震えて縮こまった。そして、冷たさとは違うピリピリとした刺激を肌に感じた。
浄化の魔法をかけたら何か変わるだろうかと思って、私は冷たい水面に手をおいて池全体に浄化の魔法をかけた。
「浄化の魔法をかけたらピリピリしなくなったね。ディズは身体痛くなかったの?」
「短時間なら大丈夫です。あ、鞄は濡れると大変なので私の頭の上に置いてください」
「うん」
言われた通りにディズの頭の上に鞄を乗せ、落ちないように、重くないようにと、彼の顔の横に腕を伸ばして必死に持ち上げた。
「しばらく冷たいですが、我慢して下さいね。あと、ユーリをお願いします」
「ユーリくん、こっちにジャンプ出来る?」
「チチ…」
ユーリくんはピョンと私の肩にジャンプしたけど、彼は鞄を支える私の腕を一気に駆け上がって鞄の上に飛び乗った。
「上が良いの?」
「ユーリは濡れるのが嫌いなんです」
「そっか。居心地が良いか分からないけど、掴まっていてね」
ディズがゆっくりと水の中を歩き始めたけど、まだ数歩しか進んでいないというのに体温が奪われて寒い。身体に力を入れていないと、ガタガタと大きく身体が震えだしそうだった。
「ユーリくん、お風呂ってどうしてるの?」
「私がお風呂に入る時、一緒に浴室に入って蒸気で身体を洗っています。まぁ、洗うと言っても自分の匂いが変わるのが嫌らしいので、蒸気で湿った身体を乾いたタオルで拭いてあげるくらいです」
「そうなんだ、ユーリくんとお風呂入るのも楽しいだろうな」
ディズはルクトよりも少し背が低いけど、私とは身長差があるから、彼と同じ目線で何かを見ることなんてなかった。彼の優しげな顔はそのままに、前を見据える真剣な眼差しを目の前で見ると、何だかドキドキする。
胸を熱くするような身体の奥底から沸き立つドキドキと、体温を奪う冷たい水の温度差から逃げるように、しがみつく足に力を入れた。すると、前を見ていた彼が私を見てにっこりと微笑み、私を抱える彼の腕に力が入った。
言葉を交わさないアイコンタクトだけの会話が急に恥ずかしくなって、私は視線を彼の胸辺りに移した。
ちゃぷちゃぷという水の中を進む静かな音だけしかしていないから、ドキドキと早鐘を打つ鼓動がディズに聞こえてしまうのではないかと心配になった。
「唇が紫色になっていますね。もう少し辛抱して下さいね」
「大丈夫だよ。ディズも寒いでしょ?向こう岸に着いたらすぐに身体をあっためようね」
「ええ。よろしくお願いします」
やっと向こう岸に着くと、私はユーリくんが乗ったままの鞄を慎重に鍾乳石の地面に置き、ディズは私を持ち上げて水際に座らせてくれた。
ユーリくんは鞄の上から、ディズと私を心配そうに交互に見ている。ユーリくんが濡れていなくて本当に良かった。
「ここで暖を取りながら休憩しましょ。ユーリくんも疲れたでしょ。ポーチで休んでいてね」
私が鞄から取り出したポーチを地面に置くと、ユーリくんは滑り込むように中に入り込んだ。
「服、乾かさなきゃ風邪ひいちゃうね。私が魔法で乾かすから脱ぎ終わったら服をちょうだい?」
「ええ、ありがとうございます」
ローブの切れ端を燃やしながら水から上がったディズにそう声をかけると、彼は私の目を気にすることなく濡れた軍服やシャツ、ブーツを脱ぎ始めた。
ーーえ?えええ!?ちょ、ちょっと待って。ここで脱ぐの?ど、どこかの影で脱いだり…。と思ったけど、ここには何にも無いからここで脱ぐしか無いのか。で、でも。お互い後ろを向いてからとかでも良いと思う……。あわわっ!
遠慮すること無くどんどん脱ぐディズに困惑していると、シャツを脱いで露わになった上半身に私は目が釘付けになってしまった。
ディズは穏やかな印象を与える青いタレ目で、安心感を与えてくれる優しい雰囲気だけど……。脱いだら凄い。
治療した時には気にもしなかったけど、太い首や胸、腕、肩、お腹、脇腹辺りにも筋肉の筋が刻まれていて、ルクト以上に筋肉がはっきりと主張している。呆然とするようなディズの身体に見惚れてしまっていると、彼がベルトに手をかけた時にハッと我に返って、慌てて両手で顔を覆って彼に背を向けた。
ーー身体の大きなバルジアラ様の近くにいるから細身っぽく見えたけど、全然違う。ルクトも脱いだら凄いけど、彼とは違ってディズは優しい顔立ちとのギャップが凄すぎて、ビックリしてしまう。着痩せするタイプなのだろうか。
初めてルクトの上半身を見た時のような目のやり場に困るような肉体美に、こんな状況だというのにまたドキドキしてしまう。
顔から両手を外すと、手の平にべったりと血がついていた。慌てて鞄から手鏡を取り出して確認してみれば、大量の鼻血が出ていた。興奮し過ぎてしまったのだろうか。とりあえず浄化の魔法と上級の治療魔法を鼻にかけておいた。
「小さいけど、タ、タオル使って」
「ありがとうございます」
鞄から取り出した小さなタオル持った手を後ろに伸ばすと、お礼を言ってくれた彼の声が何だか近くに感じてドキドキした。
近くに感じるのは、近づかないとタオルが受け取れないという至極真っ当な理由だと分かっていても、胸がドキドキと鳴る音が耳に響いて正常な思考になれない。
「先にディズの服を乾かすから毛布羽織ってて」
落ち着け、落ち着けと深呼吸をして、鞄から取り出した毛布をまた後ろ手で差し出した。すると今度はすぐには受け取ってくれない。
「シェニカの服を先に乾かして下さい」
「ディズは服脱いだでしょ?私はまだ服を着てるから大丈夫だよ。はい、どうぞ」
私がそう言って手で「受け取って」とアピールすると、ようやく受け取って貰えた。
「しまった。こんなことなら、失礼を承知でシェニカが先に脱いだこと確認してから脱げば良かった。ですが濡れたまま冷える環境でいるのは良くありません。シェニカも服を脱いで一緒に毛布に入りましょう。この冷たい場所で身体を冷やすのは酷です」
「でも、その…」
思いがけないディズの提案には、私はドキドキを通り越して困ってしまった。
2人分の服を乾かすのは結構時間がかかる。彼の言うとおり、濡れた服のまま寒い場所にいれば身体が冷え切って風邪を引くだろう。でも鞄の中に替えの下着があるけど予備の服はない。素っ裸のディズと下着姿の私が1枚の毛布で包まるなんて、ちょっと恥ずかしすぎる。
「なら私の方が身体は頑丈ですから、もう一度服を着ましょう。シェニカの服が乾くまで毛布を羽織って下さい」
「そんなこと出来ないよ」
「なら、一緒に毛布に包まりましょう」
確かに濡れた服は冷たい上に、ぴったりと身体に張り付いて鳥肌が立って、歯を食いしばらないと歯がカタカタカタと小刻みに震える。私もディズも寒い状態になるなるのは忍びないし、他に良い考えも浮かばないからと意を決してディズの提案に頷くことにした。
「じゃ、じゃあ一緒に。脱いでる間は後ろ向いててね」
「ええ、もちろんです」
濡れた服を脱ぐのは結構しんどい。水を吸って重いし、寒いし、手がかじかんでスムーズに脱げない。
いつもより時間がかかってしまったけど、全部脱ぐことが出来た。ルクトから貰ったハンカチで濡れた身体を拭いて、鞄から取り出した下着を身に着けた。
「あ、ぬ、脱いだよ」
「じゃあ、目を閉じて前を向きます。足の上に乗る時、濡れた服も毛布の中に入れて下さいね。中で乾かしていれば寒くないでしょう」
毛布を身体に巻き付けたディズは、目を閉じたまま振り向いて冷たい地面の上にあぐらをかいた。
「う、うん。じゃ、じゃあお邪魔……します」
濡れて重い2人分の服を両手で持って彼の目の前に立つと、クルッと彼に背を向けてそう声をかけた。すると、彼は毛布の両端を大きく広げてくれたと思う。今振り返ってしまうと、何も身に着けていない彼を見てしまうから、後ろを向かないように、座った彼に躓いてしまわないように、恐る恐る屈んで組んだ膝の端に座らせてもらうと、彼は両手で私を包み込むように毛布を閉じた。
「もう少しこっちに来ませんか?その方が毛布をしっかり閉じて暖まれますので」
「う、う、うん…。そ、そそそそだね」
私とディズの間は空間が空いているから、背中がスースーして結構寒い。
確かにこれでは暖まれないなと思った私は、ドキドキしながら思い切って腰を浮かせ、彼の方に少しくっつくように座り直してみた。すると、ディズは毛布で包む腕を狭めて空気を逃さないようにしてくれた。
ディズの胸と私の背中、彼の組んだ足と私の太ももといったくっついた場所は、互いに身体が冷え切っていたけど、触れ合っている部分が次第に暖かくなってきた。
暖かいのはうれしいけど、私は毛布の外に出ている顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいから、ちょっとだけ身体を前に傾けて離れようとしてみた。すると、お互いに身体が湿っているからか、のり付けされたものを剥がすみたいに肌が少し引っ張られながら離れた。
ーーあわわ。どうしよう。すごく恥ずかしい。ディズは本当に目を閉じててくれてるのかな。確かめたくても、振り返れば彼の顔が目の前にあるし、目のやり場に困るような肉体美を見たら私が死んじゃいそうだわ。
心臓が破裂しそうに脈動するのを感じつつ、手繰り寄せた濡れた服の中から、ディズのものと思われる薄手の物を選んで魔法で乾かし始めた。
すると、ディズは毛布の合わさった部分を内側から左手で持ち、右手を私のお腹に回して後ろから抱き寄せられた。すると、膝の上に座っていたのに、今は組んだ足の間にすっぽりと嵌るように移動してしまった。
ーーんひぃぃぃ!な、ななな!!
私の背中が完全にディズの胸やお腹にピッタリと押し付けられ、私の顔がヤカンが蒸気を上げたみたいに沸騰した気がした。
「こっちの方が暖かいと思ったのですが。嫌だったら離れましょうか」
「あ、だ…大丈夫だよ」
彼は私のお腹に回していた手を放して、また両手で毛布で包んでくれた。毛布の中でぴったりと密着する剥き出しの肌は、お互いが発熱しているように一気にあったかさが増した。
「下に何も敷いてないから、足が冷えてるでしょ?大丈夫?」
「確かに地面は冷たいですけど大丈夫ですよ。冷たさが頭の中をスッキリさせてくれますし、こうしているだけで毛布の中はとても暖かいですね」
「う、うん、そうね。すごく暖かい」
互いにまともに身を包むものがなく、毛布と互いの体温と僅かな焚き火しか暖を取るものがないけど、それでもこんなに暖かいなんて知らなかった。
それから私は彼の固い胸板や腹筋を背中で感じるのが恥ずかしくて、口を閉ざしてしまった。ディズも何も言わないけど、どんな顔をしているのだろうか。もし目を開けていても、密着しているし毛布で包まっているから私の頭しか見えないだろう。
もしこれがルクトだったらどうなっていただろうか。
そんな仮定が私の頭の中に浮かぶと、彼は私と肌を合わせたがるから、きっとお互い裸なのを良いことに身体を繋げていそうだという結論が出た。
その点、ディズの両手は毛布を持ったままだし、身体を動かしたり擦り付けてくるようなそーいうことを感じさせる仕草はない。今までずっと友人として誠実で、紳士的に接してくれていたから、きっと彼は私に欲情することもないだろう。
うん、そうに違いない。ディズの好みは知らないけど、男の人は私とは真逆のボンキュッボーンな女性が好きに決まっている!
「ディズ、とりあえずシャツとか乾いたよ。先に着て」
乾いたのはディズのシャツと下着だと思うけど、とりあえずこれだけでも着た方がいいと思って、毛布を掴む彼の手に押し付けて渡そうとした。でも、彼の手は毛布を掴んでいるままで、服を受け取ってくれる感じがしない。どうしたのだろうか。
「シェニカの分は乾きましたか?」
「とりあえず先にディズの薄手の物を乾かしたから、私のはまだだよ」
「なら、もう少しだけ。2人分の服が全部乾くまでこのままでいさせて貰えませんか?すごくあったかくて、安心して落ち着くんです」
落ち着くと言うことは、彼も不安なことがあるのだろうか。大国ウィニストラの将軍である彼が、不安に感じることはどんなことだろう。
受け取る様子がないことから渡すのは諦めて、濡れた次の服を手にとって乾かし始めた。
「もしかしてディズも不安なの?どんなことが不安?」
「私はあの毒薬を受けた時の、底知れぬ不安と絶望が忘れられません。
白魔道士には原因すら分からず、解毒出来ないと言われる。まだやりたい事は沢山あるのに、このまま一生寝たきりなのかと不安と絶望を感じました。
だから戦場以外の場所で。例えばどこかの国で行われる会談や祝賀会。国同士の折り合わない交渉の時、またあの毒薬を使われたらと思うと不安になります」
「あの毒薬はね、私以外の人が作ると赤黒い色になって生臭い匂いがするの。飲み物や食べ物に混ぜることは出来ても色が赤黒く変わるし、生臭い匂いは消えないんだ。だから異変を感じたら口にしちゃダメだよ。それに、作ってすぐに効果がなくなっていって、1日経ったらもうただの生臭い液体になるの。
こっそり混ぜて使うには、私が作る無色無臭の毒薬じゃないと向かないけど…。もちろん私は頼まれても毒薬なんて作らないし渡さないよ。それにもしディズがまた『聖なる一滴』を受けたら、私が治療しに行くよ」
「ありがとうございます。そう言って貰えてとても心強いです。じゃあ、次はシェニカの不安を教えてくれませんか?」
「私は…。無事にここを出られるのかとか、あの毒薬のこととか考えると不安なの。それと、ルクトに会うのがまだ怖いの」
「近くにいるだけで怖いですか?」
「うん…。あの時からルクトに近付くのも、指先が触れるのも、声をかけられるのも怖いの。彼を避けると余計に彼の怒りを刺激して、また怖い思いをするんじゃないかって思って。普段通りに接しようと思うんだけど、無意識に緊張しちゃうし、彼が怖い気持ちは増していくし、なかなか上手くいかなくて…」
あの時のルクトのことを思い出すと、恐怖が湧き上がってきて、寒さからではない鳥肌が立った。それと同時に、顔は見えないけど耳元でディズが息を吸い込む音がした。
「私とこうして触れているのも、怖いですか?無理をさせてしまっていましたか?」
「ううん。大丈夫。ソルディナンド様やファズ様の手に触れても何ともなかったから、ルクト以外の人は大丈夫だったの。
ラーナを出てここに来るまで、私、ずっとどうして良いか分からなくて。頼れる人が居なくて、心を許せる人が居なくて、怖くて、寂しくて、孤独で。
彼に会ったら、怒鳴られたり、また乱暴されたりするんじゃないかって、怖くなるんだ」
「異変に気付いていた私がもっと早くに声をかけていれば、シェニカをこんなに苦しめることはなかったのに。すみません」
「ううん。ディズが謝る必要ないよ」
「こういう時の心の傷は、どうやったら良いのか分からなくて。気の利いたことを言うことも、してあげることも思いつかないんです」
「前にね、治療院に恋人に乱暴された女の人が来たの。その時、私だって何にも気の利いたことを言えなかったし、出来なかったもの。
目に見えない心の傷ってどうやって癒せば良いのかな。ルクトが謝ってくれたら良いのかな。彼から離れたら癒えるものなのかな。時間が解決してくれるのかな。どうしたら良いんだろう…」
前に治療した女性は、今ごろどうしているだろうか。もし彼女が乱暴された時のことを乗り越えたとしたら、どうやって乗り越えたのか、どう向き合えばいいのか教えて欲しい。
自分一人ではどうして良いか分からないことが情けなくて、乾かしていた自分の旅装束をギュッと握りしめた。
「私に出来ることがあったら言って下さい。シェニカに苦しむ顔をさせたくないですから」
「ディズにそこまでしてもらうことないよ」
「いいえ。私がシェニカの力になりたいんです。大事な友人ですから力になりたいんです」
「ディズ、そう言ってくれてありがとう。あ、服は全部乾いたよ」
一箇所に留まることをしない旅をしているし、今は良い人でもいつか私を利用しようとするのではないかという気持ちから、友達を作ることは出来るだけ避けてきた。
でも。旅を続けて自分も少し成長したからなのか、メーコのように気が合う上に信頼出来て、頼りがいの有るおねえちゃんが出来たり、レオンやシューザ、エアロスのように困った時には力になりたいと思える人も出来た。
今までは誰に対しても壁を作っていたけど、信頼出来る人のためなら自分の出来ることをしてあげたい。
だから、『大事な友人だから力になりたい』という彼の言葉が心の中にすーっと入り込んだ。
「では、そろそろ服を着ましょうか」
「うん」
暖かい毛布から離れると、鳥肌が立つような冷たい空気の中でお互いに背を向けて服を着始めた。ガサゴソという衣擦れの音が静かな空間に響いたからか、鞄の近くに置いていたポーチからユーリくんが外に出てきた。
鞄の上に2本足で立ち上がったユーリくんは、旅装束のボタンを閉めている私を見て、短い両手をスリスリと摺り合せながら上下に揺らした。
「ユーリくん、両手をスリスリしてどうしたの?おねだりしてるように見えるから……、お腹空いたのかな?」
「その仕草をする時は、お腹が空いたの合図ですね」
「そっか、服が乾くまで待っててくれたんだね。すぐにクルミをあげるね~♪」
地面に移動したユーリくんに鞄から取り出したクルミを1つ渡すと、カリカリと前歯や鋭い犬歯を使って美味しそうに食べ始めた。
冷たい地面の上での食事は可愛そうだと思った私は、地面に膝をつき、彼の食事を邪魔しないようにそっと両手で包んで鞄の上に移動させた。
「ユーリくんって本当に可愛いなぁ。毎日見ても全然見飽きない。あ、ディズ。服は着たから振り向いて大丈夫だよ」
「では振り向きますね」
立ち上がってディズの方を振り向くと、目の前まで来ていた彼は私に倒れ込むように抱きついてきた。
彼は私に体重をかけないようにしていたのか、彼を受け止めた私がグラつくことはなかったけど、ディズは具合が悪いのだろうか。
「ディズ?どこか痛いの?」
「そうですね。胸がドキドキします」
「どうしたのかな。治療しようか?」
「いいえ。このままで。人のぬくもりを感じたり抱きしめることが、こんなにも幸せで心を安定させるものだと初めて知りました。子供みたいですが甘えさせて下さいませんか?」
「もちろん、いいよ。ディズは今まで恋人はいなかったの?」
私はディズの背中に腕を回して、彼の軍服の胸元に顔を埋めた。すると彼は押し付けるようにギュッと抱き寄せるから、彼のドキドキという少し速い鼓動が伝わってきた。
「居ませんよ」
「ディズはかっこいいし優しいのに、もったいない」
思いがけない言葉に抱きついたまま顔を見上げると、ローブが燃える小さな炎を映した青い目が穏やかに私を見下ろしていた。その優しげな表情に、なんだか胸がキュンと締まったような気がした。
どうしよう。こうして見つめ合っていると、優しげな外見と、秘めたような力強い身体つきとのギャップを思い出してしまう。
それだけでもドキドキするのに、私をずっと気遣ってくれるディズの優しさを肌で感じ続けていると、彼のことが好きになってしまいそう。微妙な関係になっているけど、私はルクトとお付き合いしてるのに…。どうしたら良いんだろう。
そんな葛藤が生まれ、ディズの鼓動に負けないくらいドキドキと早鐘を打ち始めた私は、彼から視線を逸してギュッと目を瞑った。
「前に言った通り縁談は貴族の政略ばかりですし、軍にいると部下くらいしか出会いはありません。ですが私は部下を恋愛対象に見ませんから、未だに女性経験はありません」
女性経験がないという言葉が意外だと感じた私は、顔を上げて彼をマジマジと見てしまった。すると、ディズは困ったような表情で苦笑してしまったから、失礼なことをしたんだと思い当たった。
「あ、ごめんね。その…。男の人って娼館に行ったりするし、そういうことがしたいものなんでしょ?それに、戦場で昂った精神と身体を鎮めるために、娼館に行くってルクトが言ってたけど。ディズは大丈夫だったの?」
ルクトから娼館に行く理由を聞いた時は、『よく分からないけど、そういうもんなんだな』程度にしか理解していなかった。でも、彼の昂った気持ちと身体を鎮めるために乱暴にされて、私は身体だけでなく心も傷ついた。
私には彼の激情を受け止めるだけの余裕も経験もないから、ヤキモチなんて焼かないから娼館に行ってほしいと思った。
あの晩。彼と今まで築いた信頼と愛情の積み重ねは脆くも崩れ落ちた。
色んな感情や思考がゴチャゴチャ渦巻いて、ルクトが信用出来なくなって、彼への気持ちも分からなくなった。そして、彼への恐怖心と守ってくれる人がいないという不安、頼れる人がいないという孤独が頭を支配していた。
彼と離れてそれなりに時間が経っていると思うけど、今でも彼のことを思い出すと恐怖が湧き上がり、嫌いなのか好きなのかも分からない。彼と会った時、どんな風な顔をして会えば良いのかまだ分からない。
「確かに戦場から戻った時に、精神が昂っている人はいます。下級兵士や中級兵士、階級章のない上級兵士ならともかく、階級章を持つ上級兵士、副官や将軍職に就く者はそういうのは慣れっこになってますから、上手くコントロール出来ます。
それに。私の初めては全て愛した人に捧げると決めているので、娼館にも行きたくないんです」
ディズはそう言うと、抱き締める腕に力を込めて幸せそうな笑顔を浮かべた。
『自分の初めてを全て愛した人に捧げる』だなんて、とてもロマンチックだ。誠実な彼に愛された人は、きっと幸せな一生を送れるだろう。何だか純愛って感じで、彼に愛される人が羨ましくて憧れる。
「そうなんだ。やっぱり将軍や副官とかの上級兵士となると、精神も鍛えられているんだね。それに、初めては愛した人に捧げるなんて、とっても素敵ね」
「バルジアラ様や他の将軍達からは、童貞童貞と、からかわれていますけどね。でも、自分の身体が覚えているのは愛した人だけが良いんです」
「ディズならとっても素敵な恋人が出来るよ」
「好きな人が出来たので、実を結べるように頑張ります」
ディズはそう言うと、青い目を完全に閉ざして今までで一番の幸せそうな笑顔を浮かべた。その笑顔を間近で見ると、私の心までぽかぽかしてきて幸せな気持ちになれた。
「私、ディズの恋が実るように応援してる!」
まだ片思いのようだけど、優しいディズならその人と両思いになれるはずだ。しかもディズを主人と決めたユーリくんがついてくる。ユーリくんの可愛さがあれば、絶対に彼の恋は実るだろう。
ディズの恋が実ったら、その女性に勘違いされないためにユーリくんに会いに行くのは止めておかなければならないだろう。それはちょっと悲しくて寂しいけど、ディズの恋は友人として素直に応援できる。
だから今のうちに、ユーリくんの可愛い姿を心の中に焼き付けておこう。
「それはとても心強いです。おかげで胸の動悸も落ち着いたので、そろそろ行きましょうか」
「うん」
私は鞄の上で待っていたユーリくんを抱き上げると、彼の可愛い姿と撫で心地の良い毛並みを忘れないように、大事に大事に、愛情を込めて全身を撫でた。
あの後、ディズはあの会話を思い出さないようにするためか、ずっと他愛のない話をしてくれていて、随分と気を遣わせてしまっている。
「ユーリくん、踏ん張ったままだと疲れない?ポーチに戻る?」
そう言ってリスボタンのユーリくんの目の前に手を出したけど、彼はまだ踏ん張り体勢で頑張れるのか、手に移ることはなかった。
「まだまだ元気そうですから、次の休憩までちゃんとお仕事出来そうですね」
「チチッ!」
私の隣を歩くディズが、ユーリくんを見ながら穏やかな笑顔を浮かべて語りかけると、彼は元気良く返事をした。
「オオカミリスって絶滅危惧種だよね。こんなに人懐っこくて可愛いから、乱獲されたの?」
「ええ。主人を決めたオオカミリスは色んな可愛い姿を見せてくれるので、それを見た人が自分も欲しいと乱獲したんです。主人と認めた者にはよく懐くのに、認められる基準が良く分からないし、無理矢理人の手元で飼育しようとしても衰弱死してしまうんです。
その結果、激しい乱獲が起きてしまい、あっという間に生息域はウィニストラの一部地域に限られてしまいました」
「乱獲はダメだけど、欲しくなる人の気持ちが分かっちゃうな。オオカミリスって主人を変えることはないの?」
すっかり可愛いユーリくんにメロメロな私は、あわよくば主人をディズから私に変更してくれないだろうか、という淡い期待を抱いていた。
リスボタンになっているユーリくんとの旅を想像するだけで、私はニヤニヤが止まらない。
ーーユーリくん、超高級クルミ買ったよ。はい、あ~ん…。やぁぁん、食べる姿も可愛いっ!
ーーユーリくん、今日は一緒にお風呂に入ろっか!裸のお付き合いで2人の距離がグッと近くなっちゃったね!
ーーユーリくん、今夜は私がポーチの隣で添い寝してもいい?朝になったら、ポーチごと抱き締めているかもしれないけど、許してくれる?
ーーユーリくん、おやすみのチューしよっか。きゃ~!良いよって言われる前にしちゃった!
ーーユーリくん、ユーリくん……。うへへっ!!
いけない、いけない。ついつい妄想の世界に入り込んで、あられもない声を上げそうになってしまった。
「生態がよく分かっていないのですが、主人である人間が死んだとしても、主人の他に懐いていた人を新たな主人に認めることがなかったことから、もしかしたらオオカミリスが主人と認めるのは一生に一度かもしれないと言われています」
ディズの話に、数瞬前まで頭の中に繰り広げられていた『ユーリくんとのイチャラブ旅』は、ガラスが割れるように音を立てて砕け散った。世の中、そんなに上手くいかないものだ…。
「そうなんだ。じゃあディズとユーリくんは、一生に一度の出会いをしたんだね。それって運命的で、とってもロマンチック!どこを見て主人と認めるのかな。ビビッ!と来るのかな。私にもユーリくんみたいな可愛くて、カッコイイ相棒が居たら良いのに」
「シェニカにもきっと良き相棒が見つかりますよ」
旅装束の隙間からひょっこり顔を出すユーリくんの小さな頭を指で撫で、出口の見えない乳白色の道を歩き続けた。
そして、空気は冷たいのに何だかジメジメとしたような階層に入ると、地面や壁に魔力の光をチラチラと反射する乳白色の苔が生した下り坂に差し掛かった。
ディズと繋いだ手に力を入れ、滑り落ちないように慎重に坂をくだると、私達の前には底が見えない乳白色の水が溜まった池があった。
「ここは通れないのかな」
うねる蛇みたいに緩く蛇行した細い池の先には、先に続く洞穴がポッカリと空いている。その暗い洞穴には誰もいないけど、なぜだか「出口はこっちだよ」と言っているかのように感じた。
「向こう岸は見えているのに水が隔ててるとは困りましたね。分岐点はかなり前だったので、引き返すのはちょっと避けたいですね。シェニカは泳げますか?」
「ううん。私、泳げなくて…」
私は首を横に振ると、ディズは私を見下ろしながらにっこりと微笑んだ。
「では私がシェニカをかかえて池を泳ぎます」
「え。ディズが溺れちゃうよ」
「大丈夫ですよ。甲冑姿のバルジアラ様をおぶって湖を泳がされたことがありますから、軽いシェニカは余裕です」
「バルジアラ様を?」
「鍛錬の1つなんです。バルジアラ様はあの巨体ですからかなり重いのですが、水の中は浮力があるのでなんとかなります。ユーリのポーチをお願いしていいですか?」
私はユーリくんと鞄を水際に下ろし、預かったユーリくんのポーチを鞄の中に入れると、ディズは水しぶきを上げない様に池に入った。
彼は足がつくのか普通に立っているけど、彼の胸の位置まで水が来ている。
「足がつきますから深さは思ったほどありませんが、泳げないシェニカだと厳しそうですね。水温は低いし服が濡れてしまいますが、どうぞこちらに」
「う、うん……」
私はディズの手を取りながらそっと足先から水の中に入ったけど、その冷たさに思わず出そうになった悲鳴を堪えた。
「落ちないように、足をかけてしがみついて下さいね」
ゆっくり冷たい水の中に入った私は、言われた通りに彼の胴を足で挟むようにしがみついたけど、胸の辺りまで浸かった水が鳥肌が止まらないほどの凍てつく冷たさで、身体がブルリと震えて縮こまった。そして、冷たさとは違うピリピリとした刺激を肌に感じた。
浄化の魔法をかけたら何か変わるだろうかと思って、私は冷たい水面に手をおいて池全体に浄化の魔法をかけた。
「浄化の魔法をかけたらピリピリしなくなったね。ディズは身体痛くなかったの?」
「短時間なら大丈夫です。あ、鞄は濡れると大変なので私の頭の上に置いてください」
「うん」
言われた通りにディズの頭の上に鞄を乗せ、落ちないように、重くないようにと、彼の顔の横に腕を伸ばして必死に持ち上げた。
「しばらく冷たいですが、我慢して下さいね。あと、ユーリをお願いします」
「ユーリくん、こっちにジャンプ出来る?」
「チチ…」
ユーリくんはピョンと私の肩にジャンプしたけど、彼は鞄を支える私の腕を一気に駆け上がって鞄の上に飛び乗った。
「上が良いの?」
「ユーリは濡れるのが嫌いなんです」
「そっか。居心地が良いか分からないけど、掴まっていてね」
ディズがゆっくりと水の中を歩き始めたけど、まだ数歩しか進んでいないというのに体温が奪われて寒い。身体に力を入れていないと、ガタガタと大きく身体が震えだしそうだった。
「ユーリくん、お風呂ってどうしてるの?」
「私がお風呂に入る時、一緒に浴室に入って蒸気で身体を洗っています。まぁ、洗うと言っても自分の匂いが変わるのが嫌らしいので、蒸気で湿った身体を乾いたタオルで拭いてあげるくらいです」
「そうなんだ、ユーリくんとお風呂入るのも楽しいだろうな」
ディズはルクトよりも少し背が低いけど、私とは身長差があるから、彼と同じ目線で何かを見ることなんてなかった。彼の優しげな顔はそのままに、前を見据える真剣な眼差しを目の前で見ると、何だかドキドキする。
胸を熱くするような身体の奥底から沸き立つドキドキと、体温を奪う冷たい水の温度差から逃げるように、しがみつく足に力を入れた。すると、前を見ていた彼が私を見てにっこりと微笑み、私を抱える彼の腕に力が入った。
言葉を交わさないアイコンタクトだけの会話が急に恥ずかしくなって、私は視線を彼の胸辺りに移した。
ちゃぷちゃぷという水の中を進む静かな音だけしかしていないから、ドキドキと早鐘を打つ鼓動がディズに聞こえてしまうのではないかと心配になった。
「唇が紫色になっていますね。もう少し辛抱して下さいね」
「大丈夫だよ。ディズも寒いでしょ?向こう岸に着いたらすぐに身体をあっためようね」
「ええ。よろしくお願いします」
やっと向こう岸に着くと、私はユーリくんが乗ったままの鞄を慎重に鍾乳石の地面に置き、ディズは私を持ち上げて水際に座らせてくれた。
ユーリくんは鞄の上から、ディズと私を心配そうに交互に見ている。ユーリくんが濡れていなくて本当に良かった。
「ここで暖を取りながら休憩しましょ。ユーリくんも疲れたでしょ。ポーチで休んでいてね」
私が鞄から取り出したポーチを地面に置くと、ユーリくんは滑り込むように中に入り込んだ。
「服、乾かさなきゃ風邪ひいちゃうね。私が魔法で乾かすから脱ぎ終わったら服をちょうだい?」
「ええ、ありがとうございます」
ローブの切れ端を燃やしながら水から上がったディズにそう声をかけると、彼は私の目を気にすることなく濡れた軍服やシャツ、ブーツを脱ぎ始めた。
ーーえ?えええ!?ちょ、ちょっと待って。ここで脱ぐの?ど、どこかの影で脱いだり…。と思ったけど、ここには何にも無いからここで脱ぐしか無いのか。で、でも。お互い後ろを向いてからとかでも良いと思う……。あわわっ!
遠慮すること無くどんどん脱ぐディズに困惑していると、シャツを脱いで露わになった上半身に私は目が釘付けになってしまった。
ディズは穏やかな印象を与える青いタレ目で、安心感を与えてくれる優しい雰囲気だけど……。脱いだら凄い。
治療した時には気にもしなかったけど、太い首や胸、腕、肩、お腹、脇腹辺りにも筋肉の筋が刻まれていて、ルクト以上に筋肉がはっきりと主張している。呆然とするようなディズの身体に見惚れてしまっていると、彼がベルトに手をかけた時にハッと我に返って、慌てて両手で顔を覆って彼に背を向けた。
ーー身体の大きなバルジアラ様の近くにいるから細身っぽく見えたけど、全然違う。ルクトも脱いだら凄いけど、彼とは違ってディズは優しい顔立ちとのギャップが凄すぎて、ビックリしてしまう。着痩せするタイプなのだろうか。
初めてルクトの上半身を見た時のような目のやり場に困るような肉体美に、こんな状況だというのにまたドキドキしてしまう。
顔から両手を外すと、手の平にべったりと血がついていた。慌てて鞄から手鏡を取り出して確認してみれば、大量の鼻血が出ていた。興奮し過ぎてしまったのだろうか。とりあえず浄化の魔法と上級の治療魔法を鼻にかけておいた。
「小さいけど、タ、タオル使って」
「ありがとうございます」
鞄から取り出した小さなタオル持った手を後ろに伸ばすと、お礼を言ってくれた彼の声が何だか近くに感じてドキドキした。
近くに感じるのは、近づかないとタオルが受け取れないという至極真っ当な理由だと分かっていても、胸がドキドキと鳴る音が耳に響いて正常な思考になれない。
「先にディズの服を乾かすから毛布羽織ってて」
落ち着け、落ち着けと深呼吸をして、鞄から取り出した毛布をまた後ろ手で差し出した。すると今度はすぐには受け取ってくれない。
「シェニカの服を先に乾かして下さい」
「ディズは服脱いだでしょ?私はまだ服を着てるから大丈夫だよ。はい、どうぞ」
私がそう言って手で「受け取って」とアピールすると、ようやく受け取って貰えた。
「しまった。こんなことなら、失礼を承知でシェニカが先に脱いだこと確認してから脱げば良かった。ですが濡れたまま冷える環境でいるのは良くありません。シェニカも服を脱いで一緒に毛布に入りましょう。この冷たい場所で身体を冷やすのは酷です」
「でも、その…」
思いがけないディズの提案には、私はドキドキを通り越して困ってしまった。
2人分の服を乾かすのは結構時間がかかる。彼の言うとおり、濡れた服のまま寒い場所にいれば身体が冷え切って風邪を引くだろう。でも鞄の中に替えの下着があるけど予備の服はない。素っ裸のディズと下着姿の私が1枚の毛布で包まるなんて、ちょっと恥ずかしすぎる。
「なら私の方が身体は頑丈ですから、もう一度服を着ましょう。シェニカの服が乾くまで毛布を羽織って下さい」
「そんなこと出来ないよ」
「なら、一緒に毛布に包まりましょう」
確かに濡れた服は冷たい上に、ぴったりと身体に張り付いて鳥肌が立って、歯を食いしばらないと歯がカタカタカタと小刻みに震える。私もディズも寒い状態になるなるのは忍びないし、他に良い考えも浮かばないからと意を決してディズの提案に頷くことにした。
「じゃ、じゃあ一緒に。脱いでる間は後ろ向いててね」
「ええ、もちろんです」
濡れた服を脱ぐのは結構しんどい。水を吸って重いし、寒いし、手がかじかんでスムーズに脱げない。
いつもより時間がかかってしまったけど、全部脱ぐことが出来た。ルクトから貰ったハンカチで濡れた身体を拭いて、鞄から取り出した下着を身に着けた。
「あ、ぬ、脱いだよ」
「じゃあ、目を閉じて前を向きます。足の上に乗る時、濡れた服も毛布の中に入れて下さいね。中で乾かしていれば寒くないでしょう」
毛布を身体に巻き付けたディズは、目を閉じたまま振り向いて冷たい地面の上にあぐらをかいた。
「う、うん。じゃ、じゃあお邪魔……します」
濡れて重い2人分の服を両手で持って彼の目の前に立つと、クルッと彼に背を向けてそう声をかけた。すると、彼は毛布の両端を大きく広げてくれたと思う。今振り返ってしまうと、何も身に着けていない彼を見てしまうから、後ろを向かないように、座った彼に躓いてしまわないように、恐る恐る屈んで組んだ膝の端に座らせてもらうと、彼は両手で私を包み込むように毛布を閉じた。
「もう少しこっちに来ませんか?その方が毛布をしっかり閉じて暖まれますので」
「う、う、うん…。そ、そそそそだね」
私とディズの間は空間が空いているから、背中がスースーして結構寒い。
確かにこれでは暖まれないなと思った私は、ドキドキしながら思い切って腰を浮かせ、彼の方に少しくっつくように座り直してみた。すると、ディズは毛布で包む腕を狭めて空気を逃さないようにしてくれた。
ディズの胸と私の背中、彼の組んだ足と私の太ももといったくっついた場所は、互いに身体が冷え切っていたけど、触れ合っている部分が次第に暖かくなってきた。
暖かいのはうれしいけど、私は毛布の外に出ている顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいから、ちょっとだけ身体を前に傾けて離れようとしてみた。すると、お互いに身体が湿っているからか、のり付けされたものを剥がすみたいに肌が少し引っ張られながら離れた。
ーーあわわ。どうしよう。すごく恥ずかしい。ディズは本当に目を閉じててくれてるのかな。確かめたくても、振り返れば彼の顔が目の前にあるし、目のやり場に困るような肉体美を見たら私が死んじゃいそうだわ。
心臓が破裂しそうに脈動するのを感じつつ、手繰り寄せた濡れた服の中から、ディズのものと思われる薄手の物を選んで魔法で乾かし始めた。
すると、ディズは毛布の合わさった部分を内側から左手で持ち、右手を私のお腹に回して後ろから抱き寄せられた。すると、膝の上に座っていたのに、今は組んだ足の間にすっぽりと嵌るように移動してしまった。
ーーんひぃぃぃ!な、ななな!!
私の背中が完全にディズの胸やお腹にピッタリと押し付けられ、私の顔がヤカンが蒸気を上げたみたいに沸騰した気がした。
「こっちの方が暖かいと思ったのですが。嫌だったら離れましょうか」
「あ、だ…大丈夫だよ」
彼は私のお腹に回していた手を放して、また両手で毛布で包んでくれた。毛布の中でぴったりと密着する剥き出しの肌は、お互いが発熱しているように一気にあったかさが増した。
「下に何も敷いてないから、足が冷えてるでしょ?大丈夫?」
「確かに地面は冷たいですけど大丈夫ですよ。冷たさが頭の中をスッキリさせてくれますし、こうしているだけで毛布の中はとても暖かいですね」
「う、うん、そうね。すごく暖かい」
互いにまともに身を包むものがなく、毛布と互いの体温と僅かな焚き火しか暖を取るものがないけど、それでもこんなに暖かいなんて知らなかった。
それから私は彼の固い胸板や腹筋を背中で感じるのが恥ずかしくて、口を閉ざしてしまった。ディズも何も言わないけど、どんな顔をしているのだろうか。もし目を開けていても、密着しているし毛布で包まっているから私の頭しか見えないだろう。
もしこれがルクトだったらどうなっていただろうか。
そんな仮定が私の頭の中に浮かぶと、彼は私と肌を合わせたがるから、きっとお互い裸なのを良いことに身体を繋げていそうだという結論が出た。
その点、ディズの両手は毛布を持ったままだし、身体を動かしたり擦り付けてくるようなそーいうことを感じさせる仕草はない。今までずっと友人として誠実で、紳士的に接してくれていたから、きっと彼は私に欲情することもないだろう。
うん、そうに違いない。ディズの好みは知らないけど、男の人は私とは真逆のボンキュッボーンな女性が好きに決まっている!
「ディズ、とりあえずシャツとか乾いたよ。先に着て」
乾いたのはディズのシャツと下着だと思うけど、とりあえずこれだけでも着た方がいいと思って、毛布を掴む彼の手に押し付けて渡そうとした。でも、彼の手は毛布を掴んでいるままで、服を受け取ってくれる感じがしない。どうしたのだろうか。
「シェニカの分は乾きましたか?」
「とりあえず先にディズの薄手の物を乾かしたから、私のはまだだよ」
「なら、もう少しだけ。2人分の服が全部乾くまでこのままでいさせて貰えませんか?すごくあったかくて、安心して落ち着くんです」
落ち着くと言うことは、彼も不安なことがあるのだろうか。大国ウィニストラの将軍である彼が、不安に感じることはどんなことだろう。
受け取る様子がないことから渡すのは諦めて、濡れた次の服を手にとって乾かし始めた。
「もしかしてディズも不安なの?どんなことが不安?」
「私はあの毒薬を受けた時の、底知れぬ不安と絶望が忘れられません。
白魔道士には原因すら分からず、解毒出来ないと言われる。まだやりたい事は沢山あるのに、このまま一生寝たきりなのかと不安と絶望を感じました。
だから戦場以外の場所で。例えばどこかの国で行われる会談や祝賀会。国同士の折り合わない交渉の時、またあの毒薬を使われたらと思うと不安になります」
「あの毒薬はね、私以外の人が作ると赤黒い色になって生臭い匂いがするの。飲み物や食べ物に混ぜることは出来ても色が赤黒く変わるし、生臭い匂いは消えないんだ。だから異変を感じたら口にしちゃダメだよ。それに、作ってすぐに効果がなくなっていって、1日経ったらもうただの生臭い液体になるの。
こっそり混ぜて使うには、私が作る無色無臭の毒薬じゃないと向かないけど…。もちろん私は頼まれても毒薬なんて作らないし渡さないよ。それにもしディズがまた『聖なる一滴』を受けたら、私が治療しに行くよ」
「ありがとうございます。そう言って貰えてとても心強いです。じゃあ、次はシェニカの不安を教えてくれませんか?」
「私は…。無事にここを出られるのかとか、あの毒薬のこととか考えると不安なの。それと、ルクトに会うのがまだ怖いの」
「近くにいるだけで怖いですか?」
「うん…。あの時からルクトに近付くのも、指先が触れるのも、声をかけられるのも怖いの。彼を避けると余計に彼の怒りを刺激して、また怖い思いをするんじゃないかって思って。普段通りに接しようと思うんだけど、無意識に緊張しちゃうし、彼が怖い気持ちは増していくし、なかなか上手くいかなくて…」
あの時のルクトのことを思い出すと、恐怖が湧き上がってきて、寒さからではない鳥肌が立った。それと同時に、顔は見えないけど耳元でディズが息を吸い込む音がした。
「私とこうして触れているのも、怖いですか?無理をさせてしまっていましたか?」
「ううん。大丈夫。ソルディナンド様やファズ様の手に触れても何ともなかったから、ルクト以外の人は大丈夫だったの。
ラーナを出てここに来るまで、私、ずっとどうして良いか分からなくて。頼れる人が居なくて、心を許せる人が居なくて、怖くて、寂しくて、孤独で。
彼に会ったら、怒鳴られたり、また乱暴されたりするんじゃないかって、怖くなるんだ」
「異変に気付いていた私がもっと早くに声をかけていれば、シェニカをこんなに苦しめることはなかったのに。すみません」
「ううん。ディズが謝る必要ないよ」
「こういう時の心の傷は、どうやったら良いのか分からなくて。気の利いたことを言うことも、してあげることも思いつかないんです」
「前にね、治療院に恋人に乱暴された女の人が来たの。その時、私だって何にも気の利いたことを言えなかったし、出来なかったもの。
目に見えない心の傷ってどうやって癒せば良いのかな。ルクトが謝ってくれたら良いのかな。彼から離れたら癒えるものなのかな。時間が解決してくれるのかな。どうしたら良いんだろう…」
前に治療した女性は、今ごろどうしているだろうか。もし彼女が乱暴された時のことを乗り越えたとしたら、どうやって乗り越えたのか、どう向き合えばいいのか教えて欲しい。
自分一人ではどうして良いか分からないことが情けなくて、乾かしていた自分の旅装束をギュッと握りしめた。
「私に出来ることがあったら言って下さい。シェニカに苦しむ顔をさせたくないですから」
「ディズにそこまでしてもらうことないよ」
「いいえ。私がシェニカの力になりたいんです。大事な友人ですから力になりたいんです」
「ディズ、そう言ってくれてありがとう。あ、服は全部乾いたよ」
一箇所に留まることをしない旅をしているし、今は良い人でもいつか私を利用しようとするのではないかという気持ちから、友達を作ることは出来るだけ避けてきた。
でも。旅を続けて自分も少し成長したからなのか、メーコのように気が合う上に信頼出来て、頼りがいの有るおねえちゃんが出来たり、レオンやシューザ、エアロスのように困った時には力になりたいと思える人も出来た。
今までは誰に対しても壁を作っていたけど、信頼出来る人のためなら自分の出来ることをしてあげたい。
だから、『大事な友人だから力になりたい』という彼の言葉が心の中にすーっと入り込んだ。
「では、そろそろ服を着ましょうか」
「うん」
暖かい毛布から離れると、鳥肌が立つような冷たい空気の中でお互いに背を向けて服を着始めた。ガサゴソという衣擦れの音が静かな空間に響いたからか、鞄の近くに置いていたポーチからユーリくんが外に出てきた。
鞄の上に2本足で立ち上がったユーリくんは、旅装束のボタンを閉めている私を見て、短い両手をスリスリと摺り合せながら上下に揺らした。
「ユーリくん、両手をスリスリしてどうしたの?おねだりしてるように見えるから……、お腹空いたのかな?」
「その仕草をする時は、お腹が空いたの合図ですね」
「そっか、服が乾くまで待っててくれたんだね。すぐにクルミをあげるね~♪」
地面に移動したユーリくんに鞄から取り出したクルミを1つ渡すと、カリカリと前歯や鋭い犬歯を使って美味しそうに食べ始めた。
冷たい地面の上での食事は可愛そうだと思った私は、地面に膝をつき、彼の食事を邪魔しないようにそっと両手で包んで鞄の上に移動させた。
「ユーリくんって本当に可愛いなぁ。毎日見ても全然見飽きない。あ、ディズ。服は着たから振り向いて大丈夫だよ」
「では振り向きますね」
立ち上がってディズの方を振り向くと、目の前まで来ていた彼は私に倒れ込むように抱きついてきた。
彼は私に体重をかけないようにしていたのか、彼を受け止めた私がグラつくことはなかったけど、ディズは具合が悪いのだろうか。
「ディズ?どこか痛いの?」
「そうですね。胸がドキドキします」
「どうしたのかな。治療しようか?」
「いいえ。このままで。人のぬくもりを感じたり抱きしめることが、こんなにも幸せで心を安定させるものだと初めて知りました。子供みたいですが甘えさせて下さいませんか?」
「もちろん、いいよ。ディズは今まで恋人はいなかったの?」
私はディズの背中に腕を回して、彼の軍服の胸元に顔を埋めた。すると彼は押し付けるようにギュッと抱き寄せるから、彼のドキドキという少し速い鼓動が伝わってきた。
「居ませんよ」
「ディズはかっこいいし優しいのに、もったいない」
思いがけない言葉に抱きついたまま顔を見上げると、ローブが燃える小さな炎を映した青い目が穏やかに私を見下ろしていた。その優しげな表情に、なんだか胸がキュンと締まったような気がした。
どうしよう。こうして見つめ合っていると、優しげな外見と、秘めたような力強い身体つきとのギャップを思い出してしまう。
それだけでもドキドキするのに、私をずっと気遣ってくれるディズの優しさを肌で感じ続けていると、彼のことが好きになってしまいそう。微妙な関係になっているけど、私はルクトとお付き合いしてるのに…。どうしたら良いんだろう。
そんな葛藤が生まれ、ディズの鼓動に負けないくらいドキドキと早鐘を打ち始めた私は、彼から視線を逸してギュッと目を瞑った。
「前に言った通り縁談は貴族の政略ばかりですし、軍にいると部下くらいしか出会いはありません。ですが私は部下を恋愛対象に見ませんから、未だに女性経験はありません」
女性経験がないという言葉が意外だと感じた私は、顔を上げて彼をマジマジと見てしまった。すると、ディズは困ったような表情で苦笑してしまったから、失礼なことをしたんだと思い当たった。
「あ、ごめんね。その…。男の人って娼館に行ったりするし、そういうことがしたいものなんでしょ?それに、戦場で昂った精神と身体を鎮めるために、娼館に行くってルクトが言ってたけど。ディズは大丈夫だったの?」
ルクトから娼館に行く理由を聞いた時は、『よく分からないけど、そういうもんなんだな』程度にしか理解していなかった。でも、彼の昂った気持ちと身体を鎮めるために乱暴にされて、私は身体だけでなく心も傷ついた。
私には彼の激情を受け止めるだけの余裕も経験もないから、ヤキモチなんて焼かないから娼館に行ってほしいと思った。
あの晩。彼と今まで築いた信頼と愛情の積み重ねは脆くも崩れ落ちた。
色んな感情や思考がゴチャゴチャ渦巻いて、ルクトが信用出来なくなって、彼への気持ちも分からなくなった。そして、彼への恐怖心と守ってくれる人がいないという不安、頼れる人がいないという孤独が頭を支配していた。
彼と離れてそれなりに時間が経っていると思うけど、今でも彼のことを思い出すと恐怖が湧き上がり、嫌いなのか好きなのかも分からない。彼と会った時、どんな風な顔をして会えば良いのかまだ分からない。
「確かに戦場から戻った時に、精神が昂っている人はいます。下級兵士や中級兵士、階級章のない上級兵士ならともかく、階級章を持つ上級兵士、副官や将軍職に就く者はそういうのは慣れっこになってますから、上手くコントロール出来ます。
それに。私の初めては全て愛した人に捧げると決めているので、娼館にも行きたくないんです」
ディズはそう言うと、抱き締める腕に力を込めて幸せそうな笑顔を浮かべた。
『自分の初めてを全て愛した人に捧げる』だなんて、とてもロマンチックだ。誠実な彼に愛された人は、きっと幸せな一生を送れるだろう。何だか純愛って感じで、彼に愛される人が羨ましくて憧れる。
「そうなんだ。やっぱり将軍や副官とかの上級兵士となると、精神も鍛えられているんだね。それに、初めては愛した人に捧げるなんて、とっても素敵ね」
「バルジアラ様や他の将軍達からは、童貞童貞と、からかわれていますけどね。でも、自分の身体が覚えているのは愛した人だけが良いんです」
「ディズならとっても素敵な恋人が出来るよ」
「好きな人が出来たので、実を結べるように頑張ります」
ディズはそう言うと、青い目を完全に閉ざして今までで一番の幸せそうな笑顔を浮かべた。その笑顔を間近で見ると、私の心までぽかぽかしてきて幸せな気持ちになれた。
「私、ディズの恋が実るように応援してる!」
まだ片思いのようだけど、優しいディズならその人と両思いになれるはずだ。しかもディズを主人と決めたユーリくんがついてくる。ユーリくんの可愛さがあれば、絶対に彼の恋は実るだろう。
ディズの恋が実ったら、その女性に勘違いされないためにユーリくんに会いに行くのは止めておかなければならないだろう。それはちょっと悲しくて寂しいけど、ディズの恋は友人として素直に応援できる。
だから今のうちに、ユーリくんの可愛い姿を心の中に焼き付けておこう。
「それはとても心強いです。おかげで胸の動悸も落ち着いたので、そろそろ行きましょうか」
「うん」
私は鞄の上で待っていたユーリくんを抱き上げると、彼の可愛い姿と撫で心地の良い毛並みを忘れないように、大事に大事に、愛情を込めて全身を撫でた。
0
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