天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第17章 変化の時

1.再会の時

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軍の建物に向かって歩き始めると、アヴィス様が駆け寄ってきたウィニストラ兵から何かを受け取り、私にそれを差し出した。


「シェニカ様、こちらをお使い下さい」

「ありがとうございます」

受け取ったのは懐かしさすら感じる白魔道士のローブで、私は早速身に着けてフードを目深に被った。




「私達が落盤に巻き込まれてどれくらい経っていますか?」

中庭を抜けて軍の建物の前まで来た時、ディズが前を歩くアヴィス様にそう尋ねた。



「1週間です」

事故に遭うまではアヴィス様は無表情な人だと思っていたけど、ディズに会えたのが嬉しいのか、振り返った彼は八重歯をチラリと見せる、はにかんだ笑顔を浮かべていた。




「もっと時間が経っているのかと思った」

「やはり時間の流れを感じるものがないと、随分と感覚が狂ってしまいますね」

たった1週間でディズとこんなに親しくなって、信頼関係を築くことが出来るなんて思ってもみなかった。
まるで数ヶ月一緒に旅をしたみたいな濃密な1週間だった、ということだろうか。



「『赤い悪魔』が謁見の間から鍾乳洞に繋がる入り口を見つけたのですが、人が通った形跡があるのに、途中で大穴が空いていて先に進めませんでした。別の出入り口を探していたのですが、見つけることが出来ませんでした」


「大穴ですか。アステラが言っていた道のことかもしれませんね」

ルクトはまだここに居て、私達を助けようと探してくれたらしい。彼は今どこにいるのだろうか。憎いと言っていたバルジアラ将軍のいる場所に、彼も居るのだろうか。






「ディスコーニ殿」

ルクトに会う時のことを考えながら階段を上がって数歩進んだ時、隣にいるディズに後ろから声をかけてくる人がいた。
立ち止まった彼につられて振り返って声の主を確かめると、廊下の奥にエメラルドグリーンのマントをつけた甲冑姿の男性が2人立っていた。

1人はディズと同じくらいの背で、深緑色の長い髪を1つに束ねた見たことのない男性。
もう1人はバルジアラ将軍みたいな長身で、冷たい目で威圧感を醸し出すどこかで見たことのある男性。2人ともデザインは違うけど、マントの留め具に金色の階級章をつけているから将軍だろうか。
その2人の後ろには同じ姿の男性達が多数居て、こちらをジッと見ている。この人達のマントの留め具は銀色の階級章だから、2人の副官だろうか。



「ディネード殿、ユド殿」

ディズが名前を言った時、私は2人に思い当たった。背が高く威圧感がすごい人は、前にマードリアで会ったことのあるユドという人。ディネードという人は、シューザに強力な呪いをかけたサザベルの筆頭将軍だ。
名前を呼ばれたディネード将軍は無表情だったけど、ユド将軍は忌々しそうに眉を顰め、ディズを睨みつけた。鋭い目付きがあの時のルクトを連想させて、怖くて思わず一歩後退ってしまった。




「落盤事故に巻き込まれたと聞きましたが、御無事だったのですね」

ディネード将軍が抑揚のない口調でディズに話しかけてきたけど、その目線がユド将軍ほどではないけど鋭くて、直視できない私は灰色の地面に視線を落とした。



「ええ。トラント国王を捕縛しただけでなく、こうしてシェニカ様もご無事です」


「そうですか。はじめまして、シェニカ様。私はサザベルで筆頭将軍を務めておりますディネードと申します。こちらは将軍のユドです。
シェニカ様も落盤事故に巻き込まれたと聞いた時は大変心配しましたが、御無事で何よりです。今はお疲れでしょうから、時を改めてご挨拶に参ります」


「……はい」

私に話しかけられたから視線を上げてみると、ディネード将軍は少し鋭さを抑えた目で私を見ていた。隣のユド将軍はルクトみたいに元々目付きが悪いのか、睨まれてはいないのにこっちが萎縮するような鋭さを孕んだ目で怖かった。



「では行きましょう」

ディズに促されて2人の将軍に背を向けると、私達はウィニストラの国旗が掲げられた部屋の中に入った。そこには胸に銅の階級章をつけたウィニストラ兵がたくさん居て、私達の姿を見ると「わぁっ」と歓声が上がった。その歓声に居心地の悪さを感じ、足元しか見ないように深く俯いて前に向かって歩いた。
何となく後ろを見れば、さっきのサザベルの将軍2人に金の階級章をつけた壮年の男性が合流して、こちらに向かって歩いてきている。名前は知らないけど、ユド将軍と同じデザインの階級章だから将軍らしい。




「ディスコーニ様、おかえりなさいませ」

「ただいま戻りました」

アヴィス様に続いて扉をくぐろうとした時、重厚な扉の脇に控えた2人のウィニストラ兵が、ディズにそう言って深々と頭を下げた。
今までディズは地位をひけらかすようなことはしなかったから、こういうのを見ると彼が地位の高い将軍なのだと実感する。
そんなことをぼんやりと思いながら扉の先にあった部屋に入ると、目の前にいたアヴィス様が壁側に移動した。見えるようになった部屋の奥には、驚いた顔をしたバルジアラ将軍とエメルバ将軍とその副官達、ディズの副官のファズ様、ラダメール様。バーナン神官長、ソルディナンド将軍とその副官達。

そしてルクトが居た。




「シェニカ!」

ルクトはよっぽど心配していたのか、恥ずかしがり屋の彼が周囲の目など気にせずに駆け寄ると、ぶつかるように私を抱き締めた。彼の顔を見るのは随分と久しぶりな気がする。それもこんなに焦った顔なんて、私が突き落とされた時以来じゃないだろうか。
無事に再会できたのは嬉しいと思った反面、抱き締められるとあの時の恐怖が浮かんで来て、一瞬で身体が強張った。


ーー落ち着いて。冷静に、冷静に。

自分にそう言い聞かせ、彼の腕に手を当ててゆっくりと身体を離した。フードを外して見上げてみれば、悲しそうな茶色の目があった。



「怪我、してないか?」

「怪我してたら自分で治療してるよ」

私が治療しか出来ないというのを忘れているのか、彼の言葉がおかしくて少しだけ笑えた。
彼の安心したような泣きそうな顔を見た瞬間、私はディズを好きになってしまったこと、キスをしたことへの罪悪感が襲ってきて、まともに彼の顔を見れなくなって俯いた。
 



「感動の再会のところ悪いが、ディスコーニ。報告しろ」

私達の間に居た堪れない空気が流れそうになった時、バルジアラ将軍の声とパタンと扉が閉まる音が静かな室内に響いた。
扉の方を見れば、後ろから来ていたサザベルの将軍3人とその副官達が部屋の隅の方に並び始めていて、ディズを見れば彼は私に優しく微笑みかけた。



「落盤事故に巻き込まれた私とシェニカ様は、地下の鍾乳洞を1週間彷徨い歩き続け、行き着いた先にアステラと神官長のベラルス、トラント国王が居ました。
ベラルスとアステラはシェニカ様に悪意を持って襲いかかってきましたので、シェニカ様はやむを得ず『聖なる一滴』を使用しました。
最初に『聖なる一滴』を浴びて瀕死のベラルスはアステラに喉を潰されて死亡、次に『聖なる一滴』を浴びたアステラは私が殺しました。そしてトラント国王を捕縛し、ここに戻ってきました。これがアステラのネームタグと階級章です」


ディズがそう報告してバルジアラ将軍に階級章とネームタグを見せると、ゴクリと喉が鳴る音があちこちから聞こえ、周囲の人達だけでなく私の隣にいるルクトからも視線を感じた。
それから逃れるために俯きたくなるのを堪えて、まっすぐに正面にいるバルジアラ将軍を見た。




「トラント国王は、数多の国の希望でフェアニーブで公開の取り調べとなった。明日には国王を連れて本国首都へ出発し、陛下に報告した後にフェアニーブに向かう。戦場介入の禁を犯した4人の『白い渡り鳥』様も、念のため連れて行くことにする」


侵略戦争に負けた国王は、その場で殺されるか公開で処刑されるのが普通だから、フェアニーブで取り調べられるなんて前代未聞だろう。
ディズの方を向いていたバルジアラ将軍が、一呼吸置くと私の方に視線を移した。




「『白い渡り鳥』様の戦場介入の真相については、トラント国王に直接問いただせば良いので、フェアニーブでの取り調べにはシェニカ様から頂いた証明だけで事足りると思います。ですが、シェニカ様もフェアニーブにご同行頂き、公開の場で証言して頂くことも可能です。
行くかどうかの判断はお任せいたしますが、シェニカ様には国王陛下への説明をお願いしたいので、ひとまず我々と一緒に首都へ来て頂けますか?」


「分かりました」

本当なら「私はこれで旅に戻ります、お世話になりました」と言いたいところだけど、戦勝国であるウィニストラの国王には、私が説明しに行かないといけないだろう。

でもフェアニーブに行くのはどうしようか。
あそこは世界中の国から代表者が集まる場所だし、前代未聞の事件だからそれなりの面々が集まるだろう。私がそこに行けば、どうなるのか目に浮かぶ。
いきなり一挙に世界中の人達を相手にするのは気が引けるけど、これからはそういう人達にも立ち向かっていくつもりだから、勇気を出して行ってみようか。



「シェニカ様はお疲れでしょうから、今夜はもうお休みになって下さい。明日にはウィニストラの首都に向けて帰還します」


「はい」


「では、お部屋にご案内致します。こちらにどうぞ」

フードを被り、案内をしてくれるファズ様の後をついて部屋を出ると、ディズが私の隣に来てルクトは後ろを歩き始めた。
夜とはいえ、魔力の光が煌々と照らす人工的な廊下をディズと隣合って歩いていることに違和感を感じるのは、まだ鍾乳洞での余韻が残っているからだろうか。



「今夜からシェニカを抱きしめて眠れないのが残念です。愛しい人が隣にいない夜は、とても淋しく長いものになりそうです」


「ディズ……」

ディズは歩きながら私の耳元でそう囁くと、にっこりと笑った。鍾乳洞で抱き締め合って寝ていた時、彼がそう思っていたのかと思うと、思わず顔が赤くなったのを自覚した。



「『白い渡り鳥』様の戦場介入は新聞で世界中に知らされていますが、『聖なる一滴』は世界中の上層部だけしか知りません。これからの旅では、シェニカに近付いてくる者達が増えると思います。私が旅に同行出来れば壁になれるのに、それが出来ない身の上が悔しいです」


「そう思ってくれてありがとう。でも大丈夫だよ」




3階に繋がる階段を登って2つ目の曲がり角を通り過ぎると、袋小路になった場所に辿り着いた。行き止まりの廊下の奥にはテラスに繋がるガラス張りの扉があり、その真横の部屋の前でファズ様が立ち止まった。


「質素で申し訳ありませんが、こちらの部屋をお使い下さい。食事をお持ちしましょうか?」


「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

ファズ様が開けてくれた部屋の中に一歩入ると、ディズの斜め後ろに居たルクトが私を複雑な表情でジッと見ているのに気付いた。



「疲れてるのは分かるが、少しだけでいいから話がしたい。だめか?」


「2人が不安なら、ドアの外で待っていましょうか?」


「ううん。私も話がしたいから2人で大丈夫だよ。ルクト、そこのテラスでいい?」


「あぁ」


「分かりました。ファズ、戻りましょう」


ディズとファズ様が曲がり角を戻って行くと、私は部屋を出てテラスに繋がるガラス扉を開けた。ささやかな夜風が吹く広いテラスの壁側には淡い魔力の光があるけど、空高く上った大きな月の光が明かりの意味なくさせるほど強かった。
テラスの奥にある手すりに掴まって空を見渡してみると、雲はないけど空気にどことなく湿っぽさを感じるから、そのうち雨が降るかもしれない。



「ディスコーニとは随分仲良くなったみたいだな。なんかあったのかよ?」

背後から聞こえた怒っているようなルクトの声に、あの晩の声と恐怖が蘇ってきた。でも、それに負けないように右手をギュッと握りしめ、彼に振り返ってフードを外した。
彼の顔には怒りが浮かび、あの夜とまではいかないけど目付きが鋭い。直視してしまうと恐怖心できちんと話せないと思った私は、視線を灰色の床に移した。



「鍾乳洞の中で、ずっと一緒に出口を探してきた中で話してみて、接してみたら、すごく良い人だったから友達になったの」


「はぁ?なんだよ友達って。それだけなら、あんなに距離が近くなくたっていいだろ。それに、『愛しい人が隣にいない夜は、とても淋しく長いものになりそうです』ってなんだよ。人が心配して、一生懸命入り口を探してる時に、お前は何してたんだよ。
それに良い人だったって言うけどな、ディスコーニは将軍だぞ。お前は騙されやすいから、奴の口車に乗せられて良いように騙されてるだけだ」


「そんなことないよ」


「じゃあ、なんだ。抱かれたのかよ」


「そんなことしてないし、なんでそうなるの」

思わぬルクトの言葉に跳ねるように顔を上げて反論したけど、彼は相変わらず怒りの表情だ。言葉だけじゃなく距離を詰めてくるのではないかと思うと、耳に響くような動悸を感じた。



「お前とディスコーニは友達って距離じゃねぇし、相手はお前が近寄らない将軍だ。地下にいる時に深い仲になったと勘繰っても仕方ないだろ。抱かれてないならキスでもされたのか?」


「……それは」


私が言い淀んだことで肯定したと分かったルクトからは、今にも掴みかかりそうな空気が出てきた。もういつ手を挙げられてもおかしくない状況だけど、彼に対して不誠実なことをしてしまったのは事実だから、私は甘んじて受け入れようと身体に力を入れた。



「お前のことだから、出口が見つかるまであいつの気を悪くしないようにって、嫌々受け入れたんだろ?」


 「そうじゃないよ」


「じゃあなんだよ。ちょっと優しくされただけで、まんまと騙されやがって。いいか、お前は人が良いように見えるディスコーニに誑かされてるだけなんだよ。今はお前に優しくしてるかもしれねぇが、そのうちお前を利用しようとしてくるぞ。そうならないように、今までみたいにちゃんと警戒しろよ」


「だから、そんなことは」

「お前はしっかりしている時もあるが、抜けてる時もある。ここは俺達にとって関わらない方が良い連中しかいないってちゃんと自覚しろよ。ソルディナンドみたいに、お前に取り入って利用しようという魂胆が丸見えの奴もいれば、ディスコーニみたいに言わないだけで同じ様に企んでる腹黒い奴だっているんだよ。
お前がもうあいつに近付かないって言って謝るなら、キスのことは許してやる」


私の言葉を聞く気もないのか、彼は一気に言葉をまくし立てた。
私を責めるその口調と言葉、私の話なんか聞く気がないという態度。確かに彼には不誠実なことをしたけど、彼はあの晩のことについて何も言わない。そんな事実が、私の心にグサグサと槍の雨になって降ってきた。
彼にとってあの晩のことは謝る必要もないことだったのかと思うと、悲しみと静かな怒りが流れ出してくる。それらは刺さった部分から流れ出る真っ赤な血と混ざってグルグルと回転しながら絡み合い、私の頭も心も全部血の色に染め上げた。

そして、心の中は今まで感じたことのないような、強風の中にあっても水に波紋すら生まれない凪いだ状態になった。



「おい、聞いてるのか?立ってるのも辛いなら部屋で」


パシン。


近付いてきたルクトが私の肩を掴もうとした時、私は伸びてきた彼の手を自分の手の甲で叩いた。彼は叩き落とされた左手を驚いた顔で見ると、すぐに彼の顔はまた怒りに染まった。数瞬前までなら、彼のそんな顔は怖いと感じたと思う。でも、私を染め上げた言葉に出来ないような感情は恐怖心を超えたのか、彼を見ても触れても「怖い」と思わなくなった。




「何だよ。人が心配して」


「ルクト」

私は怒りを顕にするルクトの鋭い目をしっかり見据えて彼の名前を呼ぶと、彼は何故か意外そうな顔になった。






「別れよう」

私はルクトに、はっきりそう言葉にして伝えた。


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