天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第17章 変化の時

3.憎しみの果てに

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自分の部屋に入ると、ベッドに腰掛けて頭を抱えた。


シェニカが落盤事故に遭って1週間。
ずっと心配していたシェニカの姿を見ると、俺は周囲の目など忘れて思わずシェニカを抱き締めていた。ウィニストラだけじゃなく、シェニカを狙い続けるキルレや、ディスコーニに憎悪の視線を浴びせていたサザベルの奴らの視線も集中したのは分かったが、この際どうでも良かった。

シェニカの身体が緊張したのは分かったが、離れたくなくてそのまま抱き締めると、突き飛ばされることはなかったが、抱き締め返されることはなく、すぐに離れてしまった。
再会できて嬉しい自分と、距離を取りたそうなシェニカとの温度差に、自分のやったことはまだ許されていないのだと感じた。

その事実に胸を締め付ける悲しみを感じていると。



ーーなんで?そいつはウィニストラの将軍だぞ。お前が警戒して近付こうともしない奴なのに、どうしてそんなに距離が近いんだ?そこは俺の場所だろ?

シェニカは警戒すべき将軍のディスコーニと仲良くなっていて、俺の顔を見ようとしない。それどころか、ファズ1人が案内すればいいのに、なぜかディスコーニがついてきてシェニカの隣を陣取った。1週間前までなら考えられなかった光景に、悶々とする気持ちと不安、焦りが胸を占め始めた時。



「愛しい人が隣にいない夜は、とても淋しく長いものになりそうです」

最初こそ聞き取れなかったが、深い関係になったと勘ぐるようなことをシェニカに囁き、シェニカはそれを嫌がるどころか、恥ずかしそうに顔を赤らめる。

生死不明、行方不明のシェニカを心配して、手掛かりを探そうと寝る間を惜しんで必死に本を読み、街を歩き回って入り口を探していたのに。
そんな中、俺が居ながらディスコーニと深い仲になってんのか?ふざけんなよ。


シェニカと会えたことで生まれた喜びと安心が、俺に対する冷たい態度とディスコーニとのやり取りで一気に苛立ちと怒りに変わった。




その状態のまま話を始めたのがマズかったのか、シェニカは俺に別れようと言い出した。
護衛で恋人である俺を失ったらシェニカは途方にくれるだけだから、離れられるわけがない、俺に対するこけおどしだと思った。でも、あいつの目は固い意思と何かへの決意で彩られていた。あの晩、シェニカの意思を無視し、信用を失った俺にはもう用がないのだと、本気で言っているのが分かると怒りや苛立ちなんてどこかに行ってしまった。

テラスの扉を閉めた時に少しでも冷静になれていたのなら。ディスコーニとのことは腹が立っても、最初に謝るべきだったと今なら分かる。
浮気されたのは許せないが、それでも好きな気持ちは一向に変わらない。別れたくない。


別れを切り出したシェニカを何とか繋ぎ止められないか、と頭をフル回転させた時。

確か。主従の誓いの研究者が言っていた御伽噺では、夫の浮気に悩んだ黒魔道士がこの誓いを作ったと言っていた。互いが想い合う関係になれば、お互いしか愛さなくなる。
もう一度俺を見てくれるようになれば、今度はきっと夫婦の誓いになって、ディスコーニのことなんか忘れて俺だけのシェニカに戻せるはずだ。

そんな思いから、必死に記憶を手繰り寄せてゼニールでの約束を持ち出した。シェニカがどんな答えを出すのかは分からない。でも律儀なあいつなら、俺が約束を果たして欲しいと言えば、渋々でも頷いてくれる可能性は高いと思う。


シェニカがあいつのことを好きだと今は思っていても、時間が経てば特殊な環境下における一時的なものだったと分かるはずだ。例え分からなくても、主従の誓いさえ結んでしまえば、時間がかかったとしても夫婦の誓いになれば問題ない。シェニカの返事を待つしかないが、あとは俺の願いが叶えられることを祈るしかない。



悶々とした気持ちのまま部屋にいると、副官を3人連れたバルジアラが俺の部屋を訪ねてきた。


「こんな時間に悪いな。シェニカ様のためにちょっと付き合え。シェニカ様の部屋の前には、俺の副官を2人付けておく。ついて来い」

大人しくバルジアラと腹心のエニアスに続いて中庭を歩いていると、風に雨の匂いを微かに感じるからもうすぐ雨が降り始めるだろう。



「なんだあれ」

シェニカ達が出てきた入り口に近い東屋や渡り廊下が小さく見え始めた頃、そっちの方向から金槌で釘を打つ音が聞こえてきた。何をしているのかと不思議に思っていると、煌々とした魔力の光の中に渡り廊下と東屋、王宮の壁の直前までの広範囲を覆うように木で骨組みが組まれているのが見えた。夜更けに近い時間にも関わらず多数のウィニストラ兵が光の中で動き回っていて、骨組みの上に木の屋根を張っている最中だった。



「鍾乳洞内捜索の拠点作りと、これから雨が降りそうだから地下に雨が入らないように屋根を張ってるんだよ」

俺の呟きに答えたバルジアラに続いて歩けば、ファズを連れたディスコーニが地面にぽっかり空いた穴の脇で待っていた。ファズは折り畳まれた黒い布を持っているが、何に使うのだろうか。



「こんな時間にすみません。彼女の目がない時に貴方にも見て欲しかったので」

ディスコーニの案内で暗い鍾乳洞に入ると、階段を下り始めてすぐ天井や壁一面に天使や鳥、女神の彫刻が現れた。俺の前を歩くバルジアラとエニアス、ファズは、それを見上げながらゆっくりと歩き始めた。



「ここは彫刻がはっきりと残ってますね」

「天使と鳥と女神だけで、悪魔や男はいないんだな。それに地面もヒビ割れもしてないし、頑丈そうだ」

俺が見つけた隠し通路にあった悪魔と女神、鳥の彫刻は水の侵食の影響で細部は分からなかったが、ここは天使や女神の顔、雄々しい鳥の姿が綺麗に残っている。だが、バルジアラの言う通り、ここにはガーファエルをモチーフにした男の姿はない。



「ここから国王達がいた場所までは、崩落の危険はなさそうな道が続いていました。この彫刻は何か意味があるのですか?」


「トラントは、ガーファエルっていう昔の国王とその寵姫アルナを御伽噺で神格化してるんだよ。アルナは女神、その守護者に金の鳥、女神の祝福を争ったのが天使と悪魔。天使と悪魔のいいとこ取りしたのが、ガーファエルをモチーフにした男だ」


「ガーファエル?確か壁の文字にありましたね」


「壁の文字?何かあったのか?」


「ええ。鍾乳洞の壁にかなり古い旧字で何か書かれていたのを、シェニカ様が読んで下さいました。ただ、水の侵食が激しい上に落盤で途中までしかないので、断片的にしか読み取れませんでしたが。シェニカ様にメモしてもらっていますので、後で確認します」


「シェニカ様は旧字が読めるのか。ならあの手帳や本を見てもらえると良いのだが」


「では私から頼んでみます」

狭く暗い鍾乳洞をディスコーニは迷うことなく進み、分岐点で悩むこともない。何かに探索の魔法でもかけていて、それを辿っているからだろうか。




しばらく歩き続けると、煌々とした明かりが漏れ出る扉があった。人の気配がしないその光の中に入ってみれば、そこは蝋燭と魔力の光で昼間のように明るい広い洞穴だった。祭壇やテーブル、椅子、壁側に寄せられた長椅子がある洞穴を、ディスコーニは迷うこと無く真っ直ぐに奥へと進んだ。


「これです」

ディスコーニが指さした場所には、2つの死体が重なって横たわっていた。ディスコーニを除く4人でその死体を取り囲むと、俺以外の3人は地面に膝をついて死体を調べ始めた。

上にあるのはやせ細った老人が甲冑を着た異様な死体で、外気に晒されている顔や手の部分がどす黒く変色し、口元には白い泡の残滓があって目を見開いて苦悶に満ちた顔をしている。甲冑は重いから、こんなヨボヨボの骨と皮だけの身体じゃ起き上がれもしないが、これはシェニカの『聖なる一滴』を浴びたアステラだろうか。

その下にいる黒い死体は神官長の着る上等の服を着ているが、首の骨が折れているのか頭と胴体が僅かに離れていた。剣で首を落としたわけではなく、何かで首を潰したように見えるから、これがベラルスなのだろうか。



「これがアステラとベラルスか?」

 バルジアラの呟きに、ディスコーニはこっくりと首を縦に振った。



「えぇ。甲冑姿はアステラで、喉を潰されているのがベラルスです」


「2人とも顔が分からねぇくらい変わってるぞ。確かに下の死体はネームタグがついたままだからベラルスって分かるが、上の死体は本当にアステラなのか?」

俺はベラルスの顔を知らないからなんとも言えないが、上にある死体は以前見たアステラとは思えないほど顔から肉が無くなっている。こんなに急激に身体が変化する毒薬を、シェニカが作れるのだろうか。



「ええ。シェニカ様の『聖なる一滴』を浴びた瞬間から身体に異変が起こり、あっという間にこの姿になりました。報告した通り、先に『聖なる一滴』を受けたベラルスはアステラが首を踏み潰して殺し、アステラは私が殺しました」


「すごいですね……」

エニアスとファズは、感心したように同時に呟いた。



「私に使われた『聖なる一滴』など子供騙しのような脅威です」


「お前が受けた『聖なる一滴』も凄かったが、それが話にならんレベルだ。『白い渡り鳥』様は、ただ白魔法が優秀って理由で戦場への介入を禁止されているわけじゃないんだな」


「シェニカはどうやって保存してたんだ?」


「シェニカ様が『聖なる一滴』を使用した時、私とは離れていましたし、一瞬のことだったのでどうやって保存していたかは分かりません」

シェニカの鞄の中は知らないが、鍾乳洞から戻ってきたら髪留めと両耳のピアスを失くしていた。
髪留めは俺が買ってやった物だが、ピアスは俺と出会う前からつけていたから、もしかしてピアスが関係していたのではないかと頭をよぎった。



「ピアスは関係あるのか?」

「ピアスですか?髪に隠れて見えませんでしたので、気付きませんでした」

ディスコーニがそう答えた時、座っていた3人が俺とディスコーニを遮るように立ち上がった。



「おい、『赤い悪魔』。フェアニーブでトラント国王の取り調べが行われるが、そこではシェニカ様による解毒薬の調合と使用、『白い渡り鳥』様の戦場介入の証明、シェニカ様の『聖なる一滴』の使用といった戦争終結までの経緯を全て発表することになる。
『白い渡り鳥』様の戦場介入については新聞で世界中に知らされているが、『聖なる一滴』の存在を公表すれば盗賊や傭兵、民衆が悪用しようと接近してくる可能性があるから、その存在については各国の上層部にしか知らされていない。だから、『聖なる一滴』のことは軽々しく口に出すなよ。とりあえず状況説明は以上だ」


「洞穴内で拘束したトラント兵は副官と上級兵士ばかりでしたが、その回収はどうしますか?副官だけでも今連れていきますか?」


「副官だけじゃなく、全員に探索の魔法をかけた物を持たせているんだろ?残党の将軍らが副官だけでも回収しようとする可能性はゼロじゃないから、奴らの居場所を掴む餌にするためにそのままにしておいていい。
エニアス、ファズ。死体の上に布を被せておけ。死体を動かしたら、サザベルとキルレの奴らが『何か不都合な事実を隠蔽したのではないですか』とかイチャモンつけてくるから注意しろよ」


「分かりました」

ファズは持っていたウィニストラの国旗が描かれたデカイ布を広げ、エニアスと両端を持って黒い死体の上に慎重に被せた。



「上に戻るぞ」

ディスコーニとバルジアラが並んで扉に歩き出すと、その後ろには腹心の2人が並んだ。明るい場所で憎たらしいディスコーニの背中を見た時、シェニカの耳元で腹の立つセリフを囁いた姿と重なった。


ーーこいつが。こいつがシェニカに手を出さなければ。シェニカにちゃんと謝ることも出来たし、別れ話をされることもなかった。

シェニカを奪われた悔しさと憎しみが一気に蘇って、全身を赤く染め上げた。



「おい、ディスコーニ」

足を止めて振り向いた奴に近付こうとすると、俺の苛立ちを感じ取ったエニアスとファズが、腰の剣に手を置いて立ち塞がった。だが、ディスコーニは2人を下がらせて俺の数歩前まで歩いてきた。



「なんですか?」


「あいつは俺のものなんだから、お前は手を出すんじゃねぇよ!」

奴の顔を殴ろうとすると、ディスコーニは眼前で俺の手首を片手で掴み、骨が軋むほどの凄い力で捻り上げて来た。
そして柔和な表情を引っ込め、その表情とは真反対の、大国の将軍に相応しい鋭利な殺気と怒気の籠った鋭く冷たい目付きに変わった。



「貴方のものと言うのなら、なぜ大切にしないのです。首の後ろに歯形が残っていましたよ?
貴方のやったことは強姦と同じことです。例え恋人であろうと、護衛であろうと、守るべき彼女にそんなことをするなんて許されません。
自分の感情を制することが出来ず、何の関係もない彼女を傷付けることしか出来なかった貴方は、私の何が悪いと言えますか?慣れない戦場で身の危険に晒されているのに、頼る者を失った彼女が、どんな気持ちで過ごしていたか考えたことがありますか?
それに、シェニカは恋人も生涯を共にする相手も複数持てる身分を持っていますから、浮気だと責めるのは見当違いな話です。そもそも自分のやったことを棚に上げ、彼女を責める権利など貴方にありません。違いますか?」


なぜ俺が浮気だと言ったことを知っている?

俺がシェニカにそう言ったのは、こいつがファズと一緒に去った後だ。なのに、あの時の会話を知っているということは、気配を消して聞き耳を立てていたのだろうか。
自分にはまったく気配が読めなかったことで分かる実力差、ディスコーニに俺のやったことが罪なのだと突きつけられると、俺を怖がるシェニカの顔を思い出して何も言い返せなかった。


ディスコーニの殺気に怖気付いた訳ではないが、今まで見た姿からは考えられないようなその様子は、ウィニストラでバルジアラの次の筆頭将軍にと言われる『金の将軍』に相応しいものだった。柔和な見かけに油断して舐めてかかれば、大怪我なんかじゃ済まないだろう。




「ディスコーニ、そこまでにしとけ。何があったか知らんが、揉め事はシェニカ様を困らせる」

ディスコーニは俺の手を雑に外して先程の厳しい殺気と怒気を引っ込め、無表情でバルジアラや困惑した表情の副官らと共に出口に向かって歩き始めた。








自分の部屋に戻ると、月の光が差し込むベッドに横になった。


ーー貴方のやったことは強姦と同じことです。

ただ少し雑に扱っただけで強姦したわけじゃない。一時の感情に流された結果で、シェニカを傷付けるつもりなんてなかった。


あの晩。やっと昂ぶっていた気が静まった時には、シェニカの全身には自分が刻んだ血を滲ませた歯形と、いつも以上にくっきりと鬱血したキスマーク、手首には痣が出来ていて、シェニカは涙を流したまま気絶していた。痛い思いはしたと思うが、痛みはあいつの魔法で治療できるから問題ないと思っていた。だから、俺しか頼れないはずのシェニカに、あの日以来ずっと拒絶され続けるなんて夢にも思わなかった。


会話も側にいることさえも出来ない日が続き、やり過ぎたことを何度も謝ろうと思いながらも、そのタイミングが掴めない上に、バルジアラやファズ、ソルディナンドが近くにいる状況では普段よりも気が昂り、プライドが邪魔をしてなかなか謝れなかった。


それから落盤事故に巻き込まれるまで、震える小さな背中を見るたびに、罪悪感と堪らない愛おしさが込み上げてきて、何度抱き締めたいと思ったか。
だが、シェニカは俺と指先1つ触れても、恐怖心からかビクリと身体に緊張が走り、距離を置いて近付こうとしなくなった。
シェニカは常に俯いていて、俺と視線を合わせることはなく、たまに目が合っても緑の目には恐怖が滲んでいた。


一歩近寄れば一歩下がる。


俺の行為が思っていた以上にシェニカに恐怖心を植え付けている事実に、俺自身もショックだった。



シェニカはキスだけだと言っていたが、隔離された場所で誰の目もないから本当にそれだけだったのか分からない。
例えディスコーニに抱かれていても、嫉妬で怒り狂いそうになっても。ディスコーニが入り込むきっかけを与えてしまった俺は、シェニカの心変わりに何も言えない。頭でそう分かっていても、心は納得いかない。

でも、自分を感情的に突き動かした憎しみの果てにあったのは、大事なものを失うことだったのかと思うと、萎んで小さくなった心はすんなりと受け入れた。




なら、もう終わりにしよう。

シェニカがどんな返事を出すかは分からないが、どんな結果になろうとも、自分の中に燻り続ける憎しみを片付けようと心に決めた。


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