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第18章 隆盛の大国
12.異例尽くしの晩餐会
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■■■前書き■■■
今回は銀髪将軍視点です。
■■■■■■■■■
王宮の広大な中庭のほぼ中央部には、4段状の豪華な噴水のある広場があり、そこを囲むように北に藤棚と季節の花畑、南に薔薇園、東と西に樹木エリアが広がっている。
どのエリアも、陛下や国賓が散策したり、突然茶会が催されても良いように、毎日庭師が丹精込めて手入れをしている美しい場所だ。
エニアスを連れ、晩餐会場の噴水広場の手前に広がる芝生のエリアに差し掛かると、この場には似つかわしくない軍のテントがいくつも連なり、そこから何かが焼ける音や香ばしい匂いが漂ってきた。
「ここに軍用テントがいくつもあるなんて、今までにない光景ですね」
「中庭を使うのは茶会の時くらいだが、その時は厨房で用意するから、テントなんて張ることないもんなぁ」
テントにいるのは兵士ではなく、白い調理服の王宮のシェフ達だ。いくつかのテントでは、シェフ達が肉を一口サイズに切ったり、ピーマンやカボチャ、トウモロコシなどの色とりどりの野菜を切っては、黙々と串に刺したり、茹でたりと下準備をしている。
別のテントの下では、グリルセットで試し焼きをしたり、大きな寸胴で何かを煮込んだりしている。そこから出る匂いに刺激されたのか、いつもはどこかで昼寝してばかりの犬と猫が、おこぼれに与ろうとシェフたちの足元にすり寄ってきている。
「レモン、さっき味見しただろ?」
「クゥーン」
「そんな悲しそうな声出すなよ。もう、仕方ないなぁ。これが最後だからな?」
細かく切った肉をもらった小さな老犬は、ゆっくり食べると今度は別のテントに行き、おすわりをしてシェフの顔をジッと見つめる。他の犬や猫も同じ様にしているから、困った様子のシェフ達があちこちにいる。
「もうすぐ時間になるが、準備は大丈夫か?」
「もちろんです。いつでも出来たてをお出し出来ます」
シェフ達を束ねる料理長に声を掛けると、しっかりとした返事が聞けたが、視界に入るシェフや手伝いの者達の顔には、一様に不安と緊張が浮かんでいる。
失敗の出来ない国賓を相手に、前例のない場所で異例の料理を出す、というのは不安で仕方ないようだ。
噴水の前まで来ると、隣を歩くエニアスがテーブルの数を数え始めた。
「出席者の数がすごく少ないですね。茶会の時の方がもっと多いですよ」
「シェニカ様に無能な奴を近付けたくないからな。
テーブルの間隔を大きく空け、『会場スペースの関係で席の確保が難しい』という体の良い理由を作って、煩い貴族を排除したのだろう」
「流石宰相様ですね」
普段なら、この噴水広場には鉢植えの花木とベンチが噴水を取り囲むように置かれ、犬や猫の格好の日向ぼっこスペースになっている。
しかし、今は茶会などで使う時と同様にベンチと鉢植えは片付けられ、主賓席となる6人掛けの丸テーブルが1卓、主賓席から距離をおいた場所に同じ丸テーブルが8卓置いてある。
主賓席にはシェニカ様と陛下、『赤い悪魔』とディスコーニ、ファーナストラ殿下と宰相様が座るが、他の席は首都に残る将軍とその腹心、大臣とわずかな有力貴族の当主達という、出席者は通常の晩餐会の半分以下。
晩餐会に出席するメンツと大規模な人数で、国賓の歓迎ぶりを示したりするものだが、宰相様はディスコーニの助言を受けて人数を絞ったようだ。
自分の席を確認していると、面倒くさい小姑のようなトゥーベリアスが大股歩きで近寄ってきた。
「バルジアラ様!これはどういうことですか!」
「何がだ」
席と席の間をせわしなく動くシェフや手伝いの者、席に不備はないかと何度も確認する給仕達、芝生や噴水の確認をする庭師達は、声量は普通でも怒り心頭の様子なトゥーベリアスをチラリと見たが、すぐに自分の仕事に戻った。
「シェニカ様をもてなす晩餐会なのに、これでは平民の宴会ではありませんか」
「ならお前はどういう内容にしたらいいと思うんだ?」
「もちろん他の国賓の方と同じ様に、豪華な装飾が施された牡丹の間で、贅を尽くしたフルコースをお出しするのが良いかと思います」
「ふーん。ディスコーニはこれが一番楽しんで頂けると判断した。文句は結果を見てからにしろ」
「ですが!失敗すれば、シェニカ様の我が国への印象は最悪になってしまう上に、他国にもその内容が知れ渡ります。その時、恥をかくのはディスコーニではなく陛下と国です!」
「お前が危惧するのは分かるが、結果を見てから文句を言えと俺が言ってんだ」
「しかし!」
「命令違反をすれば、本来ならすぐに処罰を出すところだが、トラント領の掌握やフェアニーブに行く人員を確保するのに忙しくて、お前の処分が後回しになってることを忘れるな。いいな」
いくら小煩いトゥーベリアスでも、命令違反の事実を突きつければ黙るしか無いが、奴が危惧するのも当然。
宰相様の手紙によれば、晩餐の内容を書いたディスコーニからの手紙を読んだ時、陛下や殿下だけでなく、表情を変えない宰相様ですら驚き、内容を知らされたシェフ達はどよめいた後に右往左往し、慌てて故郷に戻る者が大勢いたらしい。
シェニカ様が首都に滞在中、彼女が関わる予定は直前に通達されることになっているが、晩餐の内容については比較的早い段階で決まっていたから、シェフ達は十分に準備出来ただろう。
それから時間が経って明るい空にオレンジ色の気配が漂い始めた頃、中庭のあちこちに魔力の淡い光が灯され、シェフ達が使っていたテントは片付けられた。空いたその場所に楽師達が椅子を並べ始め、腹が満たされた犬や猫達が寝床に連れて行かれると、招待された者達が中庭に入ってきた。
誰もが人数の少なさに驚いているのか、あちこちで立ち話が始まると、1人の大臣が席に座る俺に近付き、小声で話しかけてきた。
「バルジアラ様。お願いがあるのですが」
「私にですか?」
「トラント領が我が国の領土になりますので、将軍職に就かれる人数は増えますよね?」
「えぇ、そうですね」
「今バルジアラ様の部隊に所属し、銅の階級章を頂いているエナムは私の甥なのです。
副官を任命するのは、筆頭将軍ではなくその将軍であると承知しておりますが、新しい将軍職に就かれる方の片腕として、バルジアラ様から彼を副官にと推薦して頂けませんか?」
馬鹿らしい話に、大臣を前に思わず盛大な溜息が出た。それを無礼だと受け取った大臣は、表面上はにこやかな顔のままだが、内心苛立ったのが伝わってきた。
「おっしゃる通り、副官の人事権は指名する将軍にありますので、私が口出しすることはありません。
ですが、彼はそれ以前に能力が不足していましたので、私の所属から外し、前線に送り鍛え直すことにしました」
「そ、そんな」
「階級章を身に着けて戦場に行けば、武勲欲しさに敵は数をなして襲ってきます。簡単に討ち取られるようであれば、ウィニストラには質の低い兵士しかいないと思われてしまいますので、見合った能力がなければ階級を見直す必要があります。
今回の戦争において、彼の能力では銅の階級章を持つには不相応と判断し、そのように決定しました」
「エナムはどのような失態を犯したのでしょうか」
「甥であれば気心の知れた仲でしょう。彼に直接お聞きになった方が良いかと思います」
素っ気なく言ってやれば、エナムがとんでもない失態を犯したと思ったようで、大臣は顔色を失くして席に戻っていった。
それからしばらくして。燃えるような茜色が青空を染め始めた頃に、陛下や殿下、宰相様が席に着いた。
陛下達が料理長から報告を聞き終えたと同時に、楽師達が静かに音楽を奏で出すと、白と黒のドレスに身を包んだシェニカ様が中庭に入ってきた。
全員が起立して音楽を邪魔しない控えめな拍手を送ると、シェニカ様は静かに微笑んでかえす。
その後ろには正装した無表情の『赤い悪魔』がいるのだが、燕尾服を難なく着こなしている様子に驚いた。ちゃんとした格好をすれば、それなりの姿に見えるらしい。
『赤い悪魔』に感心していると、有力貴族が座る席では、拍手でかき消される程度の小声の会話が始まった。
「ドリュー様、あのドレスは?」
「あれはミファ・メルピア様のものですわ」
「あの没落男爵の?他の方が作ったよく似たドレスでは?」
「メルピア家は職人を雇うことも、新しい生地も買えないようで、毎年ミファ様が母親のドレスをリメイクして発表会に出しています。今年は以前にも増して白と黒しかない地味なドレスだったので、しっかり記憶に残っております。間違いありません」
「なんてことだ」
メルピア家といえば辺境にある狭い領地を治める男爵家で、見るものもなければ特産もないから観光客も来ないため、ウィニストラの中で1番貧しい貴族だ。
そんなメルピア家は、自信なさそうな気弱な若い令嬢が、早逝した父親の跡を継いで領主になっているのだが、王宮で行われる華々しい舞踏会でも、古ぼけたドレスを着て隅の方で所在なさげに突っ立っているだけ。他の貴族たちは、彼女に関わったところで利益もないから、存在を無視されている領主として有名だった。
令嬢にはやり手の双子の兄がいるから、こっちが領主になればもっと違ったのかもしれないが、王宮で文官として働く彼は宰相様から目をかけられているため、領主は妹に譲ったらしい。
そんな領主がデザインしたドレスがシェニカ様に選ばれようとは、誰も思わなかっただろう。
母親のドレスをリメイクしたらしいが、シェニカ様の姿を見ても古ぼけた感じはしないし、彼女によく似合っている。おそらく令嬢のシミ抜き技術だったり、裁縫の能力が高いのだろう。
この結果を受けて、発表会で1番に選ばれたドレスや作者よりも、あのドレスとミファ・メルピアが注目されるだろう。
シェニカ様が陛下の隣に座ったのを見届けてから全員が着席すると、黒い重箱を持った給仕たちが、中庭の奥からこちらに向かってきた。
「シェニカ殿が緊張せずに楽しめるようにと、ディスコーニが中庭での晩餐を提案してくれたんだよ。だから、隣にいるのは国王ではなく、ただのおじさんだと思ってくれて良い」
「じゃあ、俺もこれからは陛下じゃなくて、おっさんて言おう」
陛下の隣に座るファーナストラ殿下がそんな軽口を叩くと、陛下は眉間に眉を寄せ、厳しい表情になった。
「お前は論外だ」
「殿下、この場に相応しい言葉遣いに改めて下さい」
「シェニカ様に普段どおりの口調で良いと許可をもらったから大丈夫だ」
両隣の陛下と宰相様に苦言を呈された殿下は、ニカッと笑って緊張した様子のシェニカ様を見ると、彼女は笑いを押し殺すような表情を浮かべて頷いた。
「自然体の殿下の方が素敵だと思います」
「お前、いつの間に……」
陛下にジト目で見られた殿下は、いたずらが成功した時のアビシニオン王子と同じ笑顔を浮かべ、小さく親指を立てて自慢をした。
「シェニカ殿、不愉快な思いをしなかっただろうか」
「不愉快なんてまったく感じていません。自然体の殿下の方が話しやすいですし、とても面白くて楽しいです」
「シェニカ殿がそう言ってくれるのなら良いのだが。これは王族らしさが身につかないまま大人になってしまってね。
民に愛されるのは良いのだが、このままだと水陸両用の『りょうし』が王になったと思われそうで頭が痛い」
陛下が深い溜息を吐き出すと、緊張した面持ちの料理長や副料理長達が、螺鈿で大小様々な蝶を表現した美しい2段の黒い重箱を主賓席のテーブルに持ってきた。
「とても素敵な重箱ですね。綺麗……」
「へぇ~。重箱って中に菓子やドライフラワー、宝石とかを入れて贈答用に渡すだけで、食事の場では使う機会がなかったけど。こうして食事の席に出すっていうのも、なかなか良いな。今度猟に行った時、弁当箱に使わせてもらおう」
「お前の頭の中は釣りと狩りのことしかないのか。はぁ……」
陛下が深い溜め息をついている横で、料理長らがテーブルに置いた重箱を分けると、給仕達は乾杯のシャンパンをグラスに注ぎ始めた。
シェニカ様の乾杯後の飲み物は、アルコールの高くない林檎のシードルが出されると聞いたから、酒には強くないのだろう。
自分の目の前にも運ばれてきた黒の重箱を見てみれば、そこには内部を細かく分割する白い陶器が嵌っている。その桝目には、見たことのある料理や初めて見る料理が少量ずつ盛られていた。
「わぁ!素敵!」
「シェフ達がそれぞれの出身地の郷土料理を作り、少量ずつ詰めてこのような形にしました」
「郷土料理ですか?!すごく美味しそうですね!」
緊張が一気に解れ、シェニカ様の嬉しそうな表情を満足そうに見た陛下は、静かに立ち上がるとグラスを手にとった。すると、出席者全員が立ち上がって、同じ様にグラスを手にした。
「今、このような時間を過ごせるのは、シェニカ殿の存在があってこそ。シェニカ殿に対する感謝と恩は、絶えることなく語り継ぐことを約束する。
我が国の安定とさらなる発展、そしてシェニカ殿の旅の無事と活躍を祈って。乾杯」
グラスを掲げてシャンパンを飲むと、全員で拍手をしながら着席し、早速重箱の中の料理に手を伸ばした。
シェニカ様と陛下の間には、料理の説明をするために料理長や5人の副料理長達が控えていて、シェニカ様の反応に注意を払っている。
「食べるのがもったいないくらい綺麗ですが、遠慮なくいただきます。これは……包み焼きですか?」
「こちらはリゴッタ地方の郷土料理、パルファス茸とベーコンのチーズ炒め、パイ包みです。
パルファス茸はリゴッタ地方にある山でのみ採れるキノコで、鶏肉のようなしっかりとした弾力が特徴です。匂いとクセは殆どなく、ベーコンや生ハムと言った塩味の強い食材と合わせる食べ方が好まれています」
シェニカ様がスプーンに載せた小さなパイを不思議そうに見ると、後方に居た料理長が一歩前に出てすかさず説明を始めた。すると、彼女は興味深そうにパイを眺め、説明を聞きながら頷いている。料理に興味があるのだろうか。
「パリパリのパイから、たっぷりのチーズとたくさんのキノコが出てくるなんて贅沢ですね!ぷりぷりのキノコと、とろりとしたチーズが凄く合って、とても美味しいです。
この香草を巻いているお肉はマトンですか?」
「はい、そちらはボルフォン地方の郷土料理、香草のマトン巻きです」
「ボルフォンというとセゼルに近い地方ですね。セゼルにもこうして香草をマトン肉で巻いた料理があるので、とても懐かしいです。……美味しい!」
「シェニカ殿はマトンが好きかな?」
「どのお肉も好きですが、実家が羊の牧場を営んでいますので、小さい頃からマトン肉やラム肉をよく食べていました。この味はとても懐かしいです」
シェニカ様が嬉しそうに破顔すると、同じテーブルを囲む陛下やファーナストラ殿下は、一安心したように微笑んだ。
トゥーベリアスの言う通り、陛下が国賓をもてなす晩餐会には国内の粋を集めたフルコースを出しているが、ディスコーニは『シェフ達の出身地方の郷土料理を、見た目も味も忠実に再現し、少量ずつ重箱に入れてお出しするように』と指示を出した。
飾りっ気のない郷土料理ではシェニカ様に失礼に当たると誰もが思ったのだが、シェニカ様の満足そうな表情や、シェフの話を興味深そうに聞いている様子を見れば、ディスコーニの采配は良かったのだと誰もが納得するだろう。
「これは……なんでしょう?」
「そちらはイラバス地方の郷土料理、イラバス蕪の浅漬けカツサンドです」
「浅漬けカツサンド?」
シェニカ様が不思議そうに見ているのは、一口サイズのトンカツが、シワシワの白い物に挟まれて串で刺してあるという、不思議な食べ物だ。
随分昔、辺境のイラバス地方に行った時、見慣れないこの料理を市場で食べたことがあるが、そのままで十分美味いトンカツを、なんで干からびた蕪の漬物で挟むのか良く分からなかった。不思議に思いながら食べてみれば、変な見た目に反して味は美味かった。市場で食べた変わった郷土料理を、まさか王宮の晩餐の場で食べようとは思ってもみなかった。
「イラバス蕪はスイカと同じくらいまで成長する巨大な蕪で、ほとんど味がないので漬け汁が馴染みやすく、油を中和する特徴があります。
イラバス地方に住む者は、油の多い物を食べると胃もたれしやすい傾向があるのですが、薄切りにしたイラバス蕪を浅漬けにした後、天日干しにしてこのようにカツサンドにすることで、胃もたれせずに食べることが出来るそうです」
「漬物はパリッとしているし、揚げたてのカツのサクサク感も良いですね。さっぱりしていて美味しいです」
食事を楽しむシェニカ様は、次第に緊張が緩んできたようで、短い会話だが陛下とも自然な感じで喋っている。
林檎のシードルを美味しそうに飲むシェニカ様は、隣に座る『赤い悪魔』とも言葉を交わして、料理や音楽の感想を言っている。
『赤い悪魔』だけでなく宰相様も口数が少ないが、シェニカ様と陛下、殿下、ディスコーニの4人がよく喋るから主賓席は随分と賑やかになった。
その様子を離れたテーブル席で見る大臣や有力貴族たちは、親しげな空気の中に入り込みたいのだが、テーブルの間は広々と取ってあるし、席を立てないから会話に耳を澄ませるしか無い。
この場にいる将軍や腹心達も主賓席の会話を聞くために、全員の口の動きに注意しているのだが、トゥーベリアスだけはシェニカ様の視線が自分に来ないだろうかと、熱心に彼女だけを見ている。
普通なら諦めの悪い男は女に嫌われるというのに、女受けの良い外見ならそれすらも許されてきたらしい。見た目に恵まれるというのは、随分得なことだと溜め息を吐いた。
和やかな晩餐の時間が過ぎていくと、夕焼けに染まった空は次第に黒く染められてきた。
周囲を警備する兵士たちは、今まで会場を照らしていた光の光量を少し上げたり、中庭全体を照らすために空中に淡い光をたくさん掲げた。
「わぁ~。こんなにたくさんの光が灯ると、大きな蛍が居るみたいで素敵ですね!キレイな夕焼けも素敵でしたが、幻想的なお庭で音楽を聞きながら美味しいお料理を食べるのも、とても贅沢ですね」
王宮の中庭に面した窓には、室内の光が漏れないようにカーテンが敷かれているから、空に浮かぶ星と中庭だけを照らす明かりだけしかない状況は、確かに大きな蛍が浮かんでいるようで幻想的に見える。
こういう晩餐会は初めてだが、シェニカ様にはとても好評だったようだ。
「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」
「ありがとうございます」
料理の説明をしていた料理長やその後ろに控える副料理長たちは、デザートのバナナムースケーキを食べ終えたシェニカ様の言葉を聞くと、嬉しそうに破顔して一斉に深いお辞儀をした。
「料理や空気はシェニカ殿に合ったかな?」
「どの料理も本当に美味しくて、素晴らしかったです。私は地方の料理を旅の楽しみの1つにしているので、こうしてたくさんの郷土料理を口にできて嬉しいです」
「それはよかった。茶会ならまだしも、晩餐会となればどの国も屋内の会場で行うだろうから、このような中庭での晩餐となって驚いたのではないか?」
「私はこうしたもてなしを受けること自体が初めてでして。緊張していると、折角の美味しいお料理や素敵な音楽を味わえない気がするので、開放感がある場所での晩餐はとても楽しめました」
「実は私もこういう晩餐は初めてでね。特に、郷土料理を少量ずつ重箱に入れて食べるというのには驚いた。聞いた時はどうなるかと思ったが、やってみると面白いものだな。ディスコーニ、良いもてなしを考えたな」
「ありがとうございます」
相変わらず陛下に褒められても、シェニカ様に向ける喜びの表情以上のものは浮かべない。
退役してシェニカ様と共に旅がしたいというのはひとまず諦めさせたが、陛下への褒美にそれを望んだら、俺が陛下から説得されることになってしまう。
陛下に説得されようが許可する気はないが、シェニカ様がディスコーニの同行を望んだら、彼女の恩に報いたいと考える陛下は、俺に許可するように命令するかもしれない。
あいつが何を褒美に願うのか分からないが、退役とシェニカ様の旅に同行する許可でなければ良いのだが。
それに。幸せに浸っているあいつを見ていると、将軍として国に留めさせても、シェニカ様と国や陛下を天秤にかけるような状況が来たら、将軍として国と陛下のために生命を捧げなければならないのに、あいつは彼女を選ぶかもしれない、という可能性があるのが悩ましい。
シェニカ様は国の大恩人だし、恋人になるのも時間の問題と思えるほど親しい様子だ。女っ気のなかった童貞の部下を応援してやりたいが、その可能性が現実になった場合を考えると、色んなことが頭の中を飛び交って頭痛がしてくる。
嫌なことを考えると現実になるかもしれないと思って、帰還の楽しみにしていた『串焼きはどの味にして、何本買おうか』という話題に頭を切り替え、陛下達の口の動きに注目した。
「地方に行っても、郷土料理を食べる機会はなかったから、このような料理は私も新鮮だった。普段の食事にも、地方の郷土料理を出しておくれ」
「かしこまりました」
陛下からも褒められた料理長や副料理長達は、喜びを噛みしめた表情で恭しく頭を下げた。
「シェニカ様。俺の嫁も紹介したいんで、明日の朝食を一緒にどう?」
「えぇ、ご一緒させて頂きます」
「シェニカ殿。こいつはすぐに調子に乗るから、不快なことがあるかもしれん。その時はすぐにディスコーニに言ってくれ。ヴェンセンク、遠慮なく再教育するように」
「全身全霊で再教育させて頂きます」
陛下と宰相様の言葉を聞いたファーナストラ殿下は、嬉しそうな笑顔が一気に青い顔になった。
宰相様と共に狭い部屋に押し込まれ、妃殿下や王子に会うことも私室に帰ることも禁じられ、トイレや食事休憩の時すら絶対零度の宰相様がくっついてきて、脱走の隙も与えない授業が朝から晩まで延々と続く。
宰相様の教育が苦手な殿下にとって、それは過酷なお仕置きになるだろう。
殿下は誰にでも愛される素晴らしい人だし、宰相様という強力な参謀がいるから、殿下の時代になってもこの国は安泰だろう。
あとは、壁や床、美術品、護衛の軍服に落書きしたり、扉をテーブルナイフで傷つけたり、床拭き掃除を終えたメイドの目の前で、床に砂を撒き散らすといった悪さをするあの王子にも、強力なお目付け役をつけて教育して頂かねば。
■■■後書き■■■
6/26の近況ボードに書いた更新速度の話につきまして、励ましの言葉をかけて下さり、本当にありがとうございました。m(__)m
私自身も一読者ですので、次の更新が待ち遠しい気持ちも、更新速度をはやくして欲しい気持ちも十分に分かります。
ですが、空いた時間でしか執筆出来ないので、更新速度が遅くなることも多々あり、それを申し訳なく思い、じれったく思っています。
そのような状況ではありますが、これからもお付き合い頂ければ嬉しいです。
今回は銀髪将軍視点です。
■■■■■■■■■
王宮の広大な中庭のほぼ中央部には、4段状の豪華な噴水のある広場があり、そこを囲むように北に藤棚と季節の花畑、南に薔薇園、東と西に樹木エリアが広がっている。
どのエリアも、陛下や国賓が散策したり、突然茶会が催されても良いように、毎日庭師が丹精込めて手入れをしている美しい場所だ。
エニアスを連れ、晩餐会場の噴水広場の手前に広がる芝生のエリアに差し掛かると、この場には似つかわしくない軍のテントがいくつも連なり、そこから何かが焼ける音や香ばしい匂いが漂ってきた。
「ここに軍用テントがいくつもあるなんて、今までにない光景ですね」
「中庭を使うのは茶会の時くらいだが、その時は厨房で用意するから、テントなんて張ることないもんなぁ」
テントにいるのは兵士ではなく、白い調理服の王宮のシェフ達だ。いくつかのテントでは、シェフ達が肉を一口サイズに切ったり、ピーマンやカボチャ、トウモロコシなどの色とりどりの野菜を切っては、黙々と串に刺したり、茹でたりと下準備をしている。
別のテントの下では、グリルセットで試し焼きをしたり、大きな寸胴で何かを煮込んだりしている。そこから出る匂いに刺激されたのか、いつもはどこかで昼寝してばかりの犬と猫が、おこぼれに与ろうとシェフたちの足元にすり寄ってきている。
「レモン、さっき味見しただろ?」
「クゥーン」
「そんな悲しそうな声出すなよ。もう、仕方ないなぁ。これが最後だからな?」
細かく切った肉をもらった小さな老犬は、ゆっくり食べると今度は別のテントに行き、おすわりをしてシェフの顔をジッと見つめる。他の犬や猫も同じ様にしているから、困った様子のシェフ達があちこちにいる。
「もうすぐ時間になるが、準備は大丈夫か?」
「もちろんです。いつでも出来たてをお出し出来ます」
シェフ達を束ねる料理長に声を掛けると、しっかりとした返事が聞けたが、視界に入るシェフや手伝いの者達の顔には、一様に不安と緊張が浮かんでいる。
失敗の出来ない国賓を相手に、前例のない場所で異例の料理を出す、というのは不安で仕方ないようだ。
噴水の前まで来ると、隣を歩くエニアスがテーブルの数を数え始めた。
「出席者の数がすごく少ないですね。茶会の時の方がもっと多いですよ」
「シェニカ様に無能な奴を近付けたくないからな。
テーブルの間隔を大きく空け、『会場スペースの関係で席の確保が難しい』という体の良い理由を作って、煩い貴族を排除したのだろう」
「流石宰相様ですね」
普段なら、この噴水広場には鉢植えの花木とベンチが噴水を取り囲むように置かれ、犬や猫の格好の日向ぼっこスペースになっている。
しかし、今は茶会などで使う時と同様にベンチと鉢植えは片付けられ、主賓席となる6人掛けの丸テーブルが1卓、主賓席から距離をおいた場所に同じ丸テーブルが8卓置いてある。
主賓席にはシェニカ様と陛下、『赤い悪魔』とディスコーニ、ファーナストラ殿下と宰相様が座るが、他の席は首都に残る将軍とその腹心、大臣とわずかな有力貴族の当主達という、出席者は通常の晩餐会の半分以下。
晩餐会に出席するメンツと大規模な人数で、国賓の歓迎ぶりを示したりするものだが、宰相様はディスコーニの助言を受けて人数を絞ったようだ。
自分の席を確認していると、面倒くさい小姑のようなトゥーベリアスが大股歩きで近寄ってきた。
「バルジアラ様!これはどういうことですか!」
「何がだ」
席と席の間をせわしなく動くシェフや手伝いの者、席に不備はないかと何度も確認する給仕達、芝生や噴水の確認をする庭師達は、声量は普通でも怒り心頭の様子なトゥーベリアスをチラリと見たが、すぐに自分の仕事に戻った。
「シェニカ様をもてなす晩餐会なのに、これでは平民の宴会ではありませんか」
「ならお前はどういう内容にしたらいいと思うんだ?」
「もちろん他の国賓の方と同じ様に、豪華な装飾が施された牡丹の間で、贅を尽くしたフルコースをお出しするのが良いかと思います」
「ふーん。ディスコーニはこれが一番楽しんで頂けると判断した。文句は結果を見てからにしろ」
「ですが!失敗すれば、シェニカ様の我が国への印象は最悪になってしまう上に、他国にもその内容が知れ渡ります。その時、恥をかくのはディスコーニではなく陛下と国です!」
「お前が危惧するのは分かるが、結果を見てから文句を言えと俺が言ってんだ」
「しかし!」
「命令違反をすれば、本来ならすぐに処罰を出すところだが、トラント領の掌握やフェアニーブに行く人員を確保するのに忙しくて、お前の処分が後回しになってることを忘れるな。いいな」
いくら小煩いトゥーベリアスでも、命令違反の事実を突きつければ黙るしか無いが、奴が危惧するのも当然。
宰相様の手紙によれば、晩餐の内容を書いたディスコーニからの手紙を読んだ時、陛下や殿下だけでなく、表情を変えない宰相様ですら驚き、内容を知らされたシェフ達はどよめいた後に右往左往し、慌てて故郷に戻る者が大勢いたらしい。
シェニカ様が首都に滞在中、彼女が関わる予定は直前に通達されることになっているが、晩餐の内容については比較的早い段階で決まっていたから、シェフ達は十分に準備出来ただろう。
それから時間が経って明るい空にオレンジ色の気配が漂い始めた頃、中庭のあちこちに魔力の淡い光が灯され、シェフ達が使っていたテントは片付けられた。空いたその場所に楽師達が椅子を並べ始め、腹が満たされた犬や猫達が寝床に連れて行かれると、招待された者達が中庭に入ってきた。
誰もが人数の少なさに驚いているのか、あちこちで立ち話が始まると、1人の大臣が席に座る俺に近付き、小声で話しかけてきた。
「バルジアラ様。お願いがあるのですが」
「私にですか?」
「トラント領が我が国の領土になりますので、将軍職に就かれる人数は増えますよね?」
「えぇ、そうですね」
「今バルジアラ様の部隊に所属し、銅の階級章を頂いているエナムは私の甥なのです。
副官を任命するのは、筆頭将軍ではなくその将軍であると承知しておりますが、新しい将軍職に就かれる方の片腕として、バルジアラ様から彼を副官にと推薦して頂けませんか?」
馬鹿らしい話に、大臣を前に思わず盛大な溜息が出た。それを無礼だと受け取った大臣は、表面上はにこやかな顔のままだが、内心苛立ったのが伝わってきた。
「おっしゃる通り、副官の人事権は指名する将軍にありますので、私が口出しすることはありません。
ですが、彼はそれ以前に能力が不足していましたので、私の所属から外し、前線に送り鍛え直すことにしました」
「そ、そんな」
「階級章を身に着けて戦場に行けば、武勲欲しさに敵は数をなして襲ってきます。簡単に討ち取られるようであれば、ウィニストラには質の低い兵士しかいないと思われてしまいますので、見合った能力がなければ階級を見直す必要があります。
今回の戦争において、彼の能力では銅の階級章を持つには不相応と判断し、そのように決定しました」
「エナムはどのような失態を犯したのでしょうか」
「甥であれば気心の知れた仲でしょう。彼に直接お聞きになった方が良いかと思います」
素っ気なく言ってやれば、エナムがとんでもない失態を犯したと思ったようで、大臣は顔色を失くして席に戻っていった。
それからしばらくして。燃えるような茜色が青空を染め始めた頃に、陛下や殿下、宰相様が席に着いた。
陛下達が料理長から報告を聞き終えたと同時に、楽師達が静かに音楽を奏で出すと、白と黒のドレスに身を包んだシェニカ様が中庭に入ってきた。
全員が起立して音楽を邪魔しない控えめな拍手を送ると、シェニカ様は静かに微笑んでかえす。
その後ろには正装した無表情の『赤い悪魔』がいるのだが、燕尾服を難なく着こなしている様子に驚いた。ちゃんとした格好をすれば、それなりの姿に見えるらしい。
『赤い悪魔』に感心していると、有力貴族が座る席では、拍手でかき消される程度の小声の会話が始まった。
「ドリュー様、あのドレスは?」
「あれはミファ・メルピア様のものですわ」
「あの没落男爵の?他の方が作ったよく似たドレスでは?」
「メルピア家は職人を雇うことも、新しい生地も買えないようで、毎年ミファ様が母親のドレスをリメイクして発表会に出しています。今年は以前にも増して白と黒しかない地味なドレスだったので、しっかり記憶に残っております。間違いありません」
「なんてことだ」
メルピア家といえば辺境にある狭い領地を治める男爵家で、見るものもなければ特産もないから観光客も来ないため、ウィニストラの中で1番貧しい貴族だ。
そんなメルピア家は、自信なさそうな気弱な若い令嬢が、早逝した父親の跡を継いで領主になっているのだが、王宮で行われる華々しい舞踏会でも、古ぼけたドレスを着て隅の方で所在なさげに突っ立っているだけ。他の貴族たちは、彼女に関わったところで利益もないから、存在を無視されている領主として有名だった。
令嬢にはやり手の双子の兄がいるから、こっちが領主になればもっと違ったのかもしれないが、王宮で文官として働く彼は宰相様から目をかけられているため、領主は妹に譲ったらしい。
そんな領主がデザインしたドレスがシェニカ様に選ばれようとは、誰も思わなかっただろう。
母親のドレスをリメイクしたらしいが、シェニカ様の姿を見ても古ぼけた感じはしないし、彼女によく似合っている。おそらく令嬢のシミ抜き技術だったり、裁縫の能力が高いのだろう。
この結果を受けて、発表会で1番に選ばれたドレスや作者よりも、あのドレスとミファ・メルピアが注目されるだろう。
シェニカ様が陛下の隣に座ったのを見届けてから全員が着席すると、黒い重箱を持った給仕たちが、中庭の奥からこちらに向かってきた。
「シェニカ殿が緊張せずに楽しめるようにと、ディスコーニが中庭での晩餐を提案してくれたんだよ。だから、隣にいるのは国王ではなく、ただのおじさんだと思ってくれて良い」
「じゃあ、俺もこれからは陛下じゃなくて、おっさんて言おう」
陛下の隣に座るファーナストラ殿下がそんな軽口を叩くと、陛下は眉間に眉を寄せ、厳しい表情になった。
「お前は論外だ」
「殿下、この場に相応しい言葉遣いに改めて下さい」
「シェニカ様に普段どおりの口調で良いと許可をもらったから大丈夫だ」
両隣の陛下と宰相様に苦言を呈された殿下は、ニカッと笑って緊張した様子のシェニカ様を見ると、彼女は笑いを押し殺すような表情を浮かべて頷いた。
「自然体の殿下の方が素敵だと思います」
「お前、いつの間に……」
陛下にジト目で見られた殿下は、いたずらが成功した時のアビシニオン王子と同じ笑顔を浮かべ、小さく親指を立てて自慢をした。
「シェニカ殿、不愉快な思いをしなかっただろうか」
「不愉快なんてまったく感じていません。自然体の殿下の方が話しやすいですし、とても面白くて楽しいです」
「シェニカ殿がそう言ってくれるのなら良いのだが。これは王族らしさが身につかないまま大人になってしまってね。
民に愛されるのは良いのだが、このままだと水陸両用の『りょうし』が王になったと思われそうで頭が痛い」
陛下が深い溜息を吐き出すと、緊張した面持ちの料理長や副料理長達が、螺鈿で大小様々な蝶を表現した美しい2段の黒い重箱を主賓席のテーブルに持ってきた。
「とても素敵な重箱ですね。綺麗……」
「へぇ~。重箱って中に菓子やドライフラワー、宝石とかを入れて贈答用に渡すだけで、食事の場では使う機会がなかったけど。こうして食事の席に出すっていうのも、なかなか良いな。今度猟に行った時、弁当箱に使わせてもらおう」
「お前の頭の中は釣りと狩りのことしかないのか。はぁ……」
陛下が深い溜め息をついている横で、料理長らがテーブルに置いた重箱を分けると、給仕達は乾杯のシャンパンをグラスに注ぎ始めた。
シェニカ様の乾杯後の飲み物は、アルコールの高くない林檎のシードルが出されると聞いたから、酒には強くないのだろう。
自分の目の前にも運ばれてきた黒の重箱を見てみれば、そこには内部を細かく分割する白い陶器が嵌っている。その桝目には、見たことのある料理や初めて見る料理が少量ずつ盛られていた。
「わぁ!素敵!」
「シェフ達がそれぞれの出身地の郷土料理を作り、少量ずつ詰めてこのような形にしました」
「郷土料理ですか?!すごく美味しそうですね!」
緊張が一気に解れ、シェニカ様の嬉しそうな表情を満足そうに見た陛下は、静かに立ち上がるとグラスを手にとった。すると、出席者全員が立ち上がって、同じ様にグラスを手にした。
「今、このような時間を過ごせるのは、シェニカ殿の存在があってこそ。シェニカ殿に対する感謝と恩は、絶えることなく語り継ぐことを約束する。
我が国の安定とさらなる発展、そしてシェニカ殿の旅の無事と活躍を祈って。乾杯」
グラスを掲げてシャンパンを飲むと、全員で拍手をしながら着席し、早速重箱の中の料理に手を伸ばした。
シェニカ様と陛下の間には、料理の説明をするために料理長や5人の副料理長達が控えていて、シェニカ様の反応に注意を払っている。
「食べるのがもったいないくらい綺麗ですが、遠慮なくいただきます。これは……包み焼きですか?」
「こちらはリゴッタ地方の郷土料理、パルファス茸とベーコンのチーズ炒め、パイ包みです。
パルファス茸はリゴッタ地方にある山でのみ採れるキノコで、鶏肉のようなしっかりとした弾力が特徴です。匂いとクセは殆どなく、ベーコンや生ハムと言った塩味の強い食材と合わせる食べ方が好まれています」
シェニカ様がスプーンに載せた小さなパイを不思議そうに見ると、後方に居た料理長が一歩前に出てすかさず説明を始めた。すると、彼女は興味深そうにパイを眺め、説明を聞きながら頷いている。料理に興味があるのだろうか。
「パリパリのパイから、たっぷりのチーズとたくさんのキノコが出てくるなんて贅沢ですね!ぷりぷりのキノコと、とろりとしたチーズが凄く合って、とても美味しいです。
この香草を巻いているお肉はマトンですか?」
「はい、そちらはボルフォン地方の郷土料理、香草のマトン巻きです」
「ボルフォンというとセゼルに近い地方ですね。セゼルにもこうして香草をマトン肉で巻いた料理があるので、とても懐かしいです。……美味しい!」
「シェニカ殿はマトンが好きかな?」
「どのお肉も好きですが、実家が羊の牧場を営んでいますので、小さい頃からマトン肉やラム肉をよく食べていました。この味はとても懐かしいです」
シェニカ様が嬉しそうに破顔すると、同じテーブルを囲む陛下やファーナストラ殿下は、一安心したように微笑んだ。
トゥーベリアスの言う通り、陛下が国賓をもてなす晩餐会には国内の粋を集めたフルコースを出しているが、ディスコーニは『シェフ達の出身地方の郷土料理を、見た目も味も忠実に再現し、少量ずつ重箱に入れてお出しするように』と指示を出した。
飾りっ気のない郷土料理ではシェニカ様に失礼に当たると誰もが思ったのだが、シェニカ様の満足そうな表情や、シェフの話を興味深そうに聞いている様子を見れば、ディスコーニの采配は良かったのだと誰もが納得するだろう。
「これは……なんでしょう?」
「そちらはイラバス地方の郷土料理、イラバス蕪の浅漬けカツサンドです」
「浅漬けカツサンド?」
シェニカ様が不思議そうに見ているのは、一口サイズのトンカツが、シワシワの白い物に挟まれて串で刺してあるという、不思議な食べ物だ。
随分昔、辺境のイラバス地方に行った時、見慣れないこの料理を市場で食べたことがあるが、そのままで十分美味いトンカツを、なんで干からびた蕪の漬物で挟むのか良く分からなかった。不思議に思いながら食べてみれば、変な見た目に反して味は美味かった。市場で食べた変わった郷土料理を、まさか王宮の晩餐の場で食べようとは思ってもみなかった。
「イラバス蕪はスイカと同じくらいまで成長する巨大な蕪で、ほとんど味がないので漬け汁が馴染みやすく、油を中和する特徴があります。
イラバス地方に住む者は、油の多い物を食べると胃もたれしやすい傾向があるのですが、薄切りにしたイラバス蕪を浅漬けにした後、天日干しにしてこのようにカツサンドにすることで、胃もたれせずに食べることが出来るそうです」
「漬物はパリッとしているし、揚げたてのカツのサクサク感も良いですね。さっぱりしていて美味しいです」
食事を楽しむシェニカ様は、次第に緊張が緩んできたようで、短い会話だが陛下とも自然な感じで喋っている。
林檎のシードルを美味しそうに飲むシェニカ様は、隣に座る『赤い悪魔』とも言葉を交わして、料理や音楽の感想を言っている。
『赤い悪魔』だけでなく宰相様も口数が少ないが、シェニカ様と陛下、殿下、ディスコーニの4人がよく喋るから主賓席は随分と賑やかになった。
その様子を離れたテーブル席で見る大臣や有力貴族たちは、親しげな空気の中に入り込みたいのだが、テーブルの間は広々と取ってあるし、席を立てないから会話に耳を澄ませるしか無い。
この場にいる将軍や腹心達も主賓席の会話を聞くために、全員の口の動きに注意しているのだが、トゥーベリアスだけはシェニカ様の視線が自分に来ないだろうかと、熱心に彼女だけを見ている。
普通なら諦めの悪い男は女に嫌われるというのに、女受けの良い外見ならそれすらも許されてきたらしい。見た目に恵まれるというのは、随分得なことだと溜め息を吐いた。
和やかな晩餐の時間が過ぎていくと、夕焼けに染まった空は次第に黒く染められてきた。
周囲を警備する兵士たちは、今まで会場を照らしていた光の光量を少し上げたり、中庭全体を照らすために空中に淡い光をたくさん掲げた。
「わぁ~。こんなにたくさんの光が灯ると、大きな蛍が居るみたいで素敵ですね!キレイな夕焼けも素敵でしたが、幻想的なお庭で音楽を聞きながら美味しいお料理を食べるのも、とても贅沢ですね」
王宮の中庭に面した窓には、室内の光が漏れないようにカーテンが敷かれているから、空に浮かぶ星と中庭だけを照らす明かりだけしかない状況は、確かに大きな蛍が浮かんでいるようで幻想的に見える。
こういう晩餐会は初めてだが、シェニカ様にはとても好評だったようだ。
「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」
「ありがとうございます」
料理の説明をしていた料理長やその後ろに控える副料理長たちは、デザートのバナナムースケーキを食べ終えたシェニカ様の言葉を聞くと、嬉しそうに破顔して一斉に深いお辞儀をした。
「料理や空気はシェニカ殿に合ったかな?」
「どの料理も本当に美味しくて、素晴らしかったです。私は地方の料理を旅の楽しみの1つにしているので、こうしてたくさんの郷土料理を口にできて嬉しいです」
「それはよかった。茶会ならまだしも、晩餐会となればどの国も屋内の会場で行うだろうから、このような中庭での晩餐となって驚いたのではないか?」
「私はこうしたもてなしを受けること自体が初めてでして。緊張していると、折角の美味しいお料理や素敵な音楽を味わえない気がするので、開放感がある場所での晩餐はとても楽しめました」
「実は私もこういう晩餐は初めてでね。特に、郷土料理を少量ずつ重箱に入れて食べるというのには驚いた。聞いた時はどうなるかと思ったが、やってみると面白いものだな。ディスコーニ、良いもてなしを考えたな」
「ありがとうございます」
相変わらず陛下に褒められても、シェニカ様に向ける喜びの表情以上のものは浮かべない。
退役してシェニカ様と共に旅がしたいというのはひとまず諦めさせたが、陛下への褒美にそれを望んだら、俺が陛下から説得されることになってしまう。
陛下に説得されようが許可する気はないが、シェニカ様がディスコーニの同行を望んだら、彼女の恩に報いたいと考える陛下は、俺に許可するように命令するかもしれない。
あいつが何を褒美に願うのか分からないが、退役とシェニカ様の旅に同行する許可でなければ良いのだが。
それに。幸せに浸っているあいつを見ていると、将軍として国に留めさせても、シェニカ様と国や陛下を天秤にかけるような状況が来たら、将軍として国と陛下のために生命を捧げなければならないのに、あいつは彼女を選ぶかもしれない、という可能性があるのが悩ましい。
シェニカ様は国の大恩人だし、恋人になるのも時間の問題と思えるほど親しい様子だ。女っ気のなかった童貞の部下を応援してやりたいが、その可能性が現実になった場合を考えると、色んなことが頭の中を飛び交って頭痛がしてくる。
嫌なことを考えると現実になるかもしれないと思って、帰還の楽しみにしていた『串焼きはどの味にして、何本買おうか』という話題に頭を切り替え、陛下達の口の動きに注目した。
「地方に行っても、郷土料理を食べる機会はなかったから、このような料理は私も新鮮だった。普段の食事にも、地方の郷土料理を出しておくれ」
「かしこまりました」
陛下からも褒められた料理長や副料理長達は、喜びを噛みしめた表情で恭しく頭を下げた。
「シェニカ様。俺の嫁も紹介したいんで、明日の朝食を一緒にどう?」
「えぇ、ご一緒させて頂きます」
「シェニカ殿。こいつはすぐに調子に乗るから、不快なことがあるかもしれん。その時はすぐにディスコーニに言ってくれ。ヴェンセンク、遠慮なく再教育するように」
「全身全霊で再教育させて頂きます」
陛下と宰相様の言葉を聞いたファーナストラ殿下は、嬉しそうな笑顔が一気に青い顔になった。
宰相様と共に狭い部屋に押し込まれ、妃殿下や王子に会うことも私室に帰ることも禁じられ、トイレや食事休憩の時すら絶対零度の宰相様がくっついてきて、脱走の隙も与えない授業が朝から晩まで延々と続く。
宰相様の教育が苦手な殿下にとって、それは過酷なお仕置きになるだろう。
殿下は誰にでも愛される素晴らしい人だし、宰相様という強力な参謀がいるから、殿下の時代になってもこの国は安泰だろう。
あとは、壁や床、美術品、護衛の軍服に落書きしたり、扉をテーブルナイフで傷つけたり、床拭き掃除を終えたメイドの目の前で、床に砂を撒き散らすといった悪さをするあの王子にも、強力なお目付け役をつけて教育して頂かねば。
■■■後書き■■■
6/26の近況ボードに書いた更新速度の話につきまして、励ましの言葉をかけて下さり、本当にありがとうございました。m(__)m
私自身も一読者ですので、次の更新が待ち遠しい気持ちも、更新速度をはやくして欲しい気持ちも十分に分かります。
ですが、空いた時間でしか執筆出来ないので、更新速度が遅くなることも多々あり、それを申し訳なく思い、じれったく思っています。
そのような状況ではありますが、これからもお付き合い頂ければ嬉しいです。
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