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第7章 コロシアム
5.舞台の上の2人の悪魔
しおりを挟むコロシアム最終日。
私はルルベと部屋でくつろぎながら、もうすぐ始まるルクトとベガという傭兵の試合を待っていた。
「ルクト大丈夫かなぁ」
「今回はどんな試合になるかね。結界を張る相手との戦いなんて、戦場でもあんまり見ないからなぁ。ルクトさんがどう攻めるのか楽しみだ」
ステージの上にルクトと対戦相手のベガという男性が登場すると、コロシアム内は大きな歓声に包まれた。
「ルクトー!!頑張って~!」
その歓声に負けないように、手すりから身を乗り出してルクトにエールを送ると、彼はちらりと私を見てくれた。でも視線を相手に向けた途端、ガラリと目つきが変わった。
「これは…2人とも殺気がきつい」
「息苦し、い…」
2人とも鋭い目で睨み合い、互いの殺気がぶつかり合っているのだろう。
空気が重く、足元から力が抜けそうになるような殺気が周囲に満ち、会場に響いていた大きな歓声も一気に鳴りを潜めた。
「シェニカ。大丈夫か?」
ルルベは息を上手く吸えずに固まっていた私の背中を、ゴシゴシと少し強めにさすってくれたが、振り返って見た彼の表情にも余裕はなかった。
殺気のある戦場に慣れているはずのルルベも、2人の殺気に押されている。
「ありがと…。もう大丈夫だよ」
ルルベのおかげで落ち着いて呼吸が出来るようになったが、今も重苦しく油断できないような張り詰めた空気が広がっている。
ルクトとレオンさんの鍛錬中もピリピリとした殺気に溢れていたが、それとは比べ物にならないくらいの息苦しさだ。
深呼吸をしながらルクトを見れば、彼の目は獲物を見定めるような鋭い目をしていて、口元は微かに笑っているようにも見える。
でも、それは最近見せる笑顔ではなく、初めて見る邪悪な笑顔だった。
ルクトが『赤い悪魔』と言われて恐れられるのも分かる、独特の存在感を滲ませた堂々とした佇まいに思わず息を飲んだ。
「試合はじめ!」
試合の開始が告げられても、2人とも剣すら抜かずに睨み合っているだけだったが、相手の方が結界を張って防御の体勢を取った。
ルクトは広範囲だったり、一点集中だったりと色んな属性の中級と上級の魔法を混ぜながら繰り出していたが、簡単には結界は破れない。
ルクトはゆっくりと相手に近寄りながら魔法を放っているが、相手の方は結界の中からルクトに何か話しかけているようだ。
ルクトの魔法が何度も結界にぶつかっている音で声は聞こえないが、相手の顔はルクトを怖がるどころか面白そうに笑っている。
それに対してルクトは一切口を開かず、無表情で結界の数歩手前まで歩いた。
しばらく結界に魔法をぶつけ続けていたルクトが、鋭い槍の形をした風の上級の黒魔法を放った時、バリンと甲高い音を立ててとうとう結界が破れた。
相手は慌てて後ろに飛び退こうとしたが、その前にルクトは一気に間合いを詰めて剣を振り下ろしていた。
ルクトが放った鋭い剣筋から逃げるのが遅れた相手は、左肩をざっくりと斬られて血がボタボタと地面に落ちた。
肩を抑える相手は痛みに顔を歪め、防御の結界をもう一度張ろうとしていたが、ルクトはその隙を与えないくらい、色んな属性の中級の魔法を次々に放った。
隙を与えずに襲ってくる魔法のせいで呪文が紡げず、結界で防ぐことも、相殺させることも出来ない相手は、どんどん怪我を積み重ねて苦悶の表情を浮かべた。
そして、とうとう座り込んで動けなくなった相手にルクトが首元に剣を突き付けた瞬間、相手は両手を挙げて降参の意思表示をした。
「勝者ルクト!!」
試合終了が告げられると、会場には「わぁぁっ!」と一際大きな歓声と拍手、口笛が湧き起こり、長い間それは響いていた。
観客の注目を集めるルクトは、私の方を見て一瞬ニヤリと笑ってステージから下りた。
「すごいな…。結界を破るなんて」
ルルベは信じられないと言った表情で、ステージから去っていくルクトに視線を固定したまま、ポツリと小さく呟いた。
ステージから下りていく満身創痍の男性は自分で回復魔法をかけていたが、その顔には顔色が一切なく、あれだけ鋭かった目にも力がなくなっていた。
それからしばらくは他の試合を見ていたが、互いに動き回っている人達の試合だからか、動きが早くて目で追えないし、何が起こっているか分からない。
状況について行けない私は、ルルベにずっと試合の解説をしてもらっていた。
彼はゆっくり試合を見ることが出来なかっただろう…。ごめんルルベ。
そしてレオンさんの試合になると、ルルベは感心したように呟いた。
「レオンさん、戦場にいる時みたいな顔をしているな」
レオンさんは口元を引き上げて笑っているように見えたが、その目は冷たい海のような深淵をたたえていた。
ルクトと2人で笑い合っている時の顔とは、全くの別人のように違う。ソックリさんでも連れてきたのでは?と、思いたくなるほどだ。
「すごい殺気…」
レオンさんも、さっきの試合の時のルクトと変わらないくらい、息苦しいほどの鋭い殺気を隠すこと無く撒き散らしていた。
その状況を見ると、今までと同じように「頑張れ~!」と声をかけるのも憚られる。
ルクトもルクトだけど、レオンさんも『青い悪魔』と言われるのも納得するような重苦しいプレッシャーを相手に与えていた。
対戦相手は試合開始前からその殺気に負けているのか、レオンさんと目が合った瞬間一歩後ろに下がった。
「試合はじめ!」
試合開始の声が響いたのに、2人は一歩も動かず剣も抜かない。
そんな中、レオンさんに見つめられたままの相手はまた一歩下がったが、意を決したように腰の剣を引き抜くと、平べったく尖った水の槍を数本魔法で生み出してレオンさんに向けて放った。
水の槍が襲い掛かってきているというのに、未だに剣すら抜いていないレオンさんに向かって、相手は水の槍を追いかけるように剣を構えながら走った。
レオンさんが身体を前後左右に動かして水の槍を器用に避けると、向かってきた相手の剣も当たる寸前で軽々と避けた。
それと同時に剣を握る相手の手を掴んで、地面に引き倒すような動作をすると、よろめいて前屈みになった相手の首の後ろに手刀を打ち込んで気絶させた。
レオンさんが剣を抜くことも、魔法を使うこともないまま、あっという間に勝敗が決して会場内に一瞬の静寂に包まれたが、すぐに大きな歓声に包まれた。
「あっという間…。すごい」
「試合が始まる前から勝敗は決してたからなぁ。ま、レオンさんの殺気を正面から受ければ、あんな風に怖気づくのも分かるけど」
ルルベは腕組みをして頷きながら、惚れ惚れした表情でステージを去って行くレオンさんを見ていた。
「ルルベも正面から受けるのは厳しい?」
「厳しいかな。あんな感じで相手を飲み込むような殺気だし…。
『青い悪魔』の殺気をまともに受けて、やり合える人はこの場にはそういないんじゃないかな。
まともにやりあえる人は、こんな所じゃなくてどこかの戦場にいるはずだしね」
その後もルクトとレオンさんは無難に勝ち進み、とうとう2人が決勝戦で戦うことになった。
「ルクトー!レオンさーん!どっちも頑張ってー!」
ステージに上ったルクトとレオンさんにそう声をかければ、2人は私の方を見て笑いながら何か少し会話した。
そして私から視線を外すと、2人から飄々とした顔つきが消えた。
互いに今までの試合以上の殺気を撒き散らしながら、鋭い目で睨み合っているが、2人の口元にはこの状況を楽しむように弧を描いていた。
いつもの仲の良さそうな様子はなりを潜め、ライバル同士としてその場に立ったことが分かった。
「決勝戦!はじめ!!」
剣を引き抜いた2人はすぐに互いに地面を蹴って、すごいスピードで一気に間合いを詰め、剣がぶつかり合う激しい応酬が繰り広げられた。
ルクトが一撃を剣で受けて一歩下がれば、次はレオンさんがルクトの一撃を剣で受けて一歩下がる。剣と剣が激しくぶつかり合う音が響く状況が続き、2人はその場から大して動くこと無く激しい剣戟を繰り広げた。
レオンさんがその場から大きく後ろに飛び退くと、広範囲の雷の魔法をルクトに放った。
ルクトはその魔法をステップを踏むように避けると、鞭のようにうねる炎の魔法をレオンさんに放ち、レオンさんが魔法でそれを相殺すると、今度は剣を構えてルクトに勢い良く走った。
それからは2人の魔法と剣の激しい応酬が始まった。
「すごい…。あの2人、実力が変わらない。レオンさんと互角なんて、あの人は一体何者なんだ?」
手すりの前に立つ私の隣で、食い入るように観戦するルルベがそう呟いたが、私はルクトが『青い悪魔』のライバルの『赤い悪魔』だとは言わなかった。
ずっと解説してくれていたルルベには申し訳ないが、そういうのは本人から直接聞くべきだろう。
「シェニカはすごい人に護衛されてるんだな」
ルルベは視線をステージの2人に固定したまま、ゆっくりとした口調でそう呟いた。
「うん。護衛してくれるルクトには、とっても感謝してるよ」
「まぁ、シェニカみたいな『白い渡り鳥』なら、あんだけ強い護衛も必要かもな」
ルルベは白熱するステージから私にチラリと視線を移した。
「『白い渡り鳥』って、護衛をいっぱいつけてる人も多いみたいだけど、私はそういうのよりも強い人が1人居てくれれば良いんだよね。お給料も馬鹿にならないし」
雇う護衛の人数が多くなれば、お給料だけでなく宿代や食費だって馬鹿にならない。ロミニアのように5人の護衛を連れての高級レストラン通いなんて、私にはとても考えられない。
護衛の数が少なければ、高級レストランにたま~~になら行ってもいいが、大人数で頻繁に通うなんて、どんなに稼いでも懐はすぐにスッカラカンになりそうだ。
特にルクトのように、いっぱい食べるし、お酒はガブガブ飲むみたいなのが後4人もいたら、私はどうなってしまうだろうか。
きっと宿代節約のために、治療院を開く街の片隅でひっそりと野宿して、賑やかな街のざわめきを聞いているだろう。
食費を削るために川でルクトに大量の魚を獲ってきてもらい、安宿の定食が手の届かない高嶺の花になりそうだ。
だめだ。想像するだけで、私の胃と財布の紐はギリギリと引きちぎれるほど引き締められる。
「はははは!そういう意味じゃねぇんだがなぁ。ま、シェニカは雇い主だからそういう発想になるのもしょうがないか」
私がルルベの言葉の意味が分からなくて首をかしげていると、2人の間で雷と炎の魔法がぶつかって激しい衝撃が発生したらしく、会場を守る結界がビリビリと音を立てて激しく震えた。
「シェニカ、こっちに」
私はルルベの背中に隠れるように移動し、その衝撃が去るのを待った。
結界に直接彼らの高威力の魔法がぶつかっているわけではないから、結界が壊れることはない。
でも、目の前の結界が頼りなく感じるほど、2人の試合はすごかった。
「こいつはすごい。本物の戦場みたいだ」
「戦場ってこんな感じなんだ…」
私は戦場には行かないから、実際の戦場での空気などは感じたことがなかった。
生命の取り合いが行われる戦場がこんな感じなんだ、と漠然と認識した途端に底知れぬ恐怖が芽生えた。
「時間いっぱい!双方やめ!勝敗が決しなかったのでジャンケンとする!」
司会が試合を止めると2人は殺気を霧散させ、涼しい顔をしてジャンケンを始めた。
「勝者レオンっ!!」
わぁぁぁぁー!という大歓声の中、司会はレオンさんの腕を掴んで高らかに上げた。
ルクトは無表情で前を見据えたままステージから下り、レオンさんは領主のカロン様が優勝者として紹介し、褒美の授与が盛大に行われた。
こうして3日間のコロシアムの大会は幕を閉じた。
私が数人のけが人の治療を済ませて片付けをしていると、ルクトとレオンさんが部屋に入ってきた。
「2人ともお疲れ様!レオンさん、優勝おめでとう!」
「あははは!ジャンケンで決まった優勝だったけどな」
レオンさんはポリポリと頬を掻きながら、少し照れくさそうにしている。
その表情を見れば、試合の時の彼は外見がよく似た全くの別人だったとしか思えない。
「2人とも怪我はない?」
「「ないよ」」
私はあれだけ激しい戦いをしていた2人に、怪我がなかったことに安心した。
その様子を見ていたルルベが、真剣な顔をしてルクトを見た。
「なぁルクトさん、あんた何者なんだ?」
「ただの傭兵で護衛だよ。それだけだ」
ルルベの真剣な問いに、ルクトは不敵な笑みを浮かべて答えた。
どうやら、自分が『赤い悪魔』と呼ばれているのは言わないつもりらしい。
「ただの傭兵で護衛って…。レオンさんと互角にやり合える奴なんて限られてるんだぞ」
「ルルベ。聞きたくなるのは分かるが、詮索はそこまでにしておけ」
何か言いたそうなルルベだったけど、レオンさんが笑いながら諌めれば、渋々といった顔をして大人しく引き下がった。
そして、私とルクトはレオンさんとルルベに連れられて、夕闇に包まれ始めた通りを歩いて領主の屋敷へと向かった。
今回も応接間に通されたが、レオンさんとルルベは先にカロン様に報告があると言って部屋を出て、私とルクトの2人だけが残された。
「ルクト、結界破壊できたね」
「あぁ。お前のおかげだよ」
私の座るソファの後ろに立つルクトの方を振り向けば、彼は笑って私の頭をポンと軽く叩いた。
「役に立てて良かった。結界の壊し方を知らなかったらどうやってた?」
「んー。そうだなぁ。あいつが結界を解くのをひたすら待つしかないだろうな。
あいつは最初から長期戦に持ち込んで、俺が結界のすぐそばで魔法を使わせるように挑発してたよ。多分隙をついて、強制催眠か剣で攻撃しようと思ってたんだろうな。
でも思い通りに俺が動かないから、結界にヒビが入り始めたのにも気付かないくらい苛立ってたな」
「そうなんだ。そうそう、準優勝おめでとう。準優勝には褒美はないんだね」
「まぁ、そのぶん優勝の褒美が豪華だからな」
「じゃあ、私がルクトに褒美をあげるよ。何が良い?」
「は?」
私の提案が意外だったのか、眉を顰めながら私を見てきた。
ルクトが生き生きと楽しそうに戦っているのは初めて見たし、頑張ったんだから何かご褒美をあげたいと思ったのだが。そんなに意外なことだったのだろうか。
「遠慮しないでいいから!あ、でもすごく高価なものとか、無理なのもあるかもしれないけど」
「欲しいものねぇ。何がいいかな。ビンテージものの酒か?いや、流通してない貴重な酒も良いな。でも、せっかくなら…」
ルクトが腕を組んで本気で悩んでいると、扉の外で物音が聞こえた。
「じゃあ、欲しいものが決まったらリクエストして?」
「分かった」
ノックの後に扉がガチャリと開き、カロン様とレオンさん、ルルベが応接間に入ってきた。
今日のカロン様の服装は、赤の生地に緑の細い縦縞が入ったスタイリッシュな装いだ。
「すみません、お待たせしてしまいました」
「いいえ。お忙しい中すみません」
カロン様は笑顔で向かい側のソファに座って、レオンさんとルルベは部屋の隅で立ったまま控えた。
「シェニカ様、3日間選手を治療していただきありがとうございました。これはそのお礼です。お受け取り下さい」
「ありがとうございます。遠慮なく頂きます」
パンパンに膨らんだ革袋を受け取ると、カロン様はスーツの端を伸ばして背筋を正した。
「それで…。シェニカ様はもうこの街をお立ちになるのですか?」
「えぇ、明日の朝出発します」
この街は面白いし、また来たいと思える良い場所だ。でもそろそろ出発しないと、他の街の治療が必要な人が待ちくたびれるだろう。
「次はどちらへ行く予定ですか?」
「トラントに行く予定です。あそこは戦争の国ですから、『白い渡り鳥』の需要も高いと思いまして」
「そうですか。もしよければ、この街に次の白魔道士が来るまでいて欲しいのですが…。
もしそれが難しいのなら、カケラを交換して貰えませんか?」
やっぱりそう言って来たか。でも、何かで釣ろうともしないなんて何か変だ。
レオンさんやルルベには、私のことを観察するように言われているはずだが…。
もしかして。レオンさんは私がずっとお子様ランチを食べ続けていることをカロン様に言いにくくて、「趣味嗜好は子供過ぎて残念な『白い渡り鳥』でした」とか報告したのでは。
そうだとしたら、内心とっても複雑だが、あっさり街を出れるのは嬉しいことだから別に構わないけどさ…。
「そう言って頂けるのは嬉しいのですが、『白い渡り鳥』は旅を続けるのが使命ですから、一箇所に長く留まるのは相応しくないと思っています。次の白魔道士が早く派遣されると良いですね。
それと、申し訳ありませんが、カケラは私自身が交換したいと思った相手だけにと限定しているんです。
色々とお気遣い頂いてありがとうございました。カロン様には心より感謝します」
私は丁寧にお礼を言ってソファから立ち上がると、レオンさんの先導で応接間を出た。すると、ルルベが玄関を通り過ぎ、屋敷の門のところまで見送りに来てくれた。
「ルルベ、3日間ありがとう。ルルベのおかげで楽しく観戦できたよ」
話しやすくて、面倒見の良いルルベが護衛で本当に良かった。
これが威圧感たっぷりの無口な人だったら、私は試合の状況が分からないままなんとなく観戦して、面白さが分からなかっただろう。
「こっちこそありがとな。シェニカみたいな面白い奴と一緒に居れて楽しかったよ」
「あははは!私も楽しかったよ」
「これから先の道中気を付けろよ?じゃあな!」
「ルルベもね。じゃあね!」
私は握手をしようと手を差し出すと、ルルベもすぐに手を差し出して固く握手をしてくれた。
大きな手が優しく、力強く握り返してくれて私は嬉しかった。
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