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第13章 北への旅路
2.悪魔の天敵
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街道の分岐点が遠くに見えてきた頃には、私はファミさんとすっかり打ち解けた。
ファミさんはお喋り好きらしく、薬草の話や旅の話など、途切れることなく色々な話をしてくれる。
ストラードさんは元々大人しい性格なのか、私とファミさんがお喋りしているのをにこやかに見守っていた。
ルクトは…というと、私とファミさんが喋る内容に聞き耳を立てているらしく、時折『余計なことを喋るな』とファミさんに言っている。
普通の女性だったら、黙りこくってしまいそうなくらい彼は鋭い目と口調でファミさんに声をかけているのに、ファミさんはルクトのそんな言葉は完全に無視して自由にお喋りしていた。
やっぱりお姉さんというのは弟に対して強い存在なんだと、しみじみと思った。
「私、『白い渡り鳥』様に治療して貰ったことあるけど、こんなに普通で良い子は居なかったわ!ストラード、貴方もそう思わない?」
ファミさんは隣を歩いているストラードさんに興奮気味にそう話を振ると、ストラードさんはにっこりと笑ってファミさんを見つめた。
暴走気味なファミさんを上手に扱っているストラードさんって感じで、とてもバランスが取れている様に見える。
私はというと、少々強引なルクトを上手く扱うことが出来ずに振り回されている様な感じだろうか。
「そうだね。シェニカ様みたいな『白い渡り鳥』様は珍しいね」
「私、あまり同業者に関わってないんですけど、どんな感じなんですか?」
「治療してやる!って感じで上から目線だし、別料金要求してくるし、ナンパしてきたりもするのよ?
行列並んで、やっと診てもらう時になったらアレコレ理由をつけて診療拒否されたのも見たわ。
あとは人目を憚らず、護衛とイチャイチャしてたりしてたかなぁ」
「イチャイチャ…」
今後も仕事中は真面目に治療院をやるつもりでいるけど、治療院を開いている期間中は街中で手を繋いで歩いたりとかしてたら「イチャイチャしてる!」とか思われちゃうのかな。
そんな風に思われてると思うと、ちょっと恥ずかしい気もする。ルクトが言うように『小っ恥ずかしいこと』はしない方が良いのかな。
でも、私だって『白い渡り鳥』の前に1人の女性なんだから、恋人と手を繋いで歩いたりとかしたい。人の居ない暗がりとかだったらルクトもやってくれるかなぁ。
「王宮で開催される祝賀行事やお茶会では、『白い渡り鳥』様は話題の中心になりますので会話とダンスがお上手ですね。
後は美食家でいらっしゃる方がほとんどですから、王宮ではお出しする食事にはとても気を付けるんです」
「へ~。そうなんだ」
ロミニアのように高級レストランばかり行っていれば、美食家になるのも頷ける。
でも、私は高級レストラン通いなんて心臓に悪いから今後も出来ないだろうなぁ…。
「私が軍に居た時、シェニカ様はそういう場には出席なさらないと聞いていましたが、どうして出席なされないんですか?」
「あーいう場所に行くと色々と下心が透けて見えるから、苦手なんです」
「下心?もしかして、シェニカちゃん可愛いからオッサン達から迫られるの?かわいそうっ!どうせ迫られるなら、強くてカッコよくて、優しい人が良いわよねぇ!」
「はぁ?そういう意味じゃねぇよ」
私が「そういう意味の下心じゃないんです」と言う前に、私の隣を歩いていたルクトが不満そうな声を上げた。
「いくらあんたがプライドだけ高くても、身分の低い傭兵じゃ王侯貴族や将軍相手には対抗出来ないもんね~。
王侯貴族や将軍だったら、いくらオッサンでもあんたみたいに粗暴じゃなくてレディファーストだし、とっても紳士的だもんね。身分が高くて若くて美形の男に迫られたら、シェニカちゃんも下心が見えても満更じゃないんじゃない?羨ましいわぁ」
ーーいや、民間人の家庭に生まれ育った私は身分なんてどうでも良くて、王侯貴族とか将軍とか距離を置きたくて堪らないんだけど…。
私がそう返事を返す前に、ストラードさんがちょっと不満そうな声を上げていた。
「ファミも貴族の令息や若い将軍に口説かれたい?」
「結婚前なら一度は口説かれたかったけど、今はストラードがいるからまったく思わないわね」
ファミさんは両手を上げて降参のポーズをすると、ストラードさんは嬉しそうな顔をしてファミさんの肩を抱き寄せた。
「良かった。ファミって結構面食いだから、旅先で会うカッコイイ人を見ると気が気じゃないよ」
「もう、ストラードったら。そんなことあるわけないじゃない」
近くに私やルクトがいるにも関わらずラブラブな2人を見ていると、こっちが恥ずかしくなって心の中でキャーキャー言いながら逃げたくなってしまいそうだ。
いいなぁ~。こんな風にラブラブなのはとっても羨ましくて憧れる。
少し休憩を取った後、馬を挟んで隣り合って私とファミさんが歩き、ルクトとストラードさんは少し後ろの方を歩いた。
「シェニカちゃん。例の『浮気相手』だけど、もう設定してみた?」
離れていても耳の良いルクトに聞こえないように、ファミさんは私を馬の方に近づくように手招きして小声で話しかけてきた。
「い、いえ。まだ…」
「じゃあさ!ルクトが持ってない部分を集めた人に設定にしましょうよ」
ファミさんは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、私にそんな風に提案してきた。
どうやらファミさんは、からかったりするのが面白くて好きらしい。
恋人のルクトがいるにも関わらず、架空とはいえ『浮気相手』を作るのには少し罪悪感があるけど、ルクトに『好き』って言ってもらえるように私も頑張らなければ。
「も、持ってない部分ですか?」
「優しくて、お金持ちで、にこやかで、素直な人とか。どう?」
「お金は気にしてなかったけど、優しくて、にこやかで、素直な人っていうのは良いですね!」
「じゃあ、ジェントルマンが良いってことね。粗暴なルクトとは真逆だわ!いい気味!おほほほほ!」
「何、気持ちの悪い笑い声上げてんだよ。こいつにあんまり近付くな」
ファミさんが高笑いを上げると、いつの間にかルクトが私のすぐ後ろに居たことに凄く驚いた。
ルクトは足音を立てずにこうして近くに居る時があるから、気配を読むのが得意じゃない私にはとても心臓に悪い。
「あんたは黙って引っ込んでなさい。邪魔よ邪魔!」
ファミさんはルクトにシッシ!と手で払う仕草をすると、ルクトの機嫌はまた悪くなった。
そんなルクトを宥めるようにニッコリと笑ったストラードさんは、彼を連れて荷台の後ろの方へと移動していった。
「そうだ。このお馬さんのお名前は何て言うんですか?」
治療した時から、荷台をひく力強い茶色のお馬さんが気になっていた。
動物好きな私は、例えお馬さんでもこうして短時間でも一緒に旅する仲間だと思っているから、是非ともお名前が知りたい。
「この子?名前はバンディ。男の子よ」
ファミさんに撫でられたバンディくんは、嬉しそうに目を細めた気がした。
バンディくんは怪我をしても激しく暴れなかったみたいだし、ちゃんとファミさんやストラードさんの言う事を聞いてるし、良い調教が施されているみたいだ。
ルクトがこんな風に優しくて、強い人だったら良いのにな。
「バンディくんかぁ。名前も性格もカッコよくて素敵ね。じゃあ、私の架空の想い人の名前はバンディにします」
「じゃあ、シェニカちゃんの頭の中で『バンディ』とドキドキするような状況を想像してみて。ここからは妄想力が試されるわね!」
私はパカパカと軽やかに歩くバンディくんを見ながら、この子が人間の男性になった姿を想像した。
褐色な肌に黒く長い髪を首の後ろでポニーテールにした、ルクトと同じくらいの背の高さ。彼に負けないくらい『脱いだら凄いんです』なガッチリした身体つき。
その優しい目でジッと見つめられたら、私、胸がドキドキしちゃう!
『シェニカ、可愛いね』
そんなこと言われちゃったりして~~!
むははっ!きゃぁぁ!バンディくん、超カッコイイ~!!
「バ、バンディくんって独身ですか?」
「そうだけど?」
「バンディくん、素敵っ!すごくカッコイイっ!私とこれからずっと旅しよう!」
擬人化したバンディくんに一気にメロメロになった私は、バンディくんのたてがみを高速で撫で回した。
「シェ、シェニカちゃん…?」
「バンディくん…。うへへ」
ファミさんの困惑する声を遠くで聞きながら、私は止まらない擬人化バンディくんとのウフフな妄想にどっぷり浸ってしまった。
『シェニカ、昨日は治療してくれてありがとう。お礼に僕がギュッてしてあげるよ』
『バ、バンディくん…』
ギュッと抱きしめてくれたバンディくんを見上げると、長いまつげがとっても凛々しいことに気付いた。
優しげなその茶色の瞳と視線が合わさると、全身が湯たんぽになったかのように一気に熱くなった。
『バンディって呼んで。初めて会った時から運命を感じたよ。好きだ。この気持ちはアホで目つきの悪い甲斐性無しなヤツなんかには負けないよ。そんなヤツと別れて、僕と付き合おう』
『私も初めて会った時から気になってたの』
私がそう言ってバンディくんの広い背中に腕を回してギュッと力を込めると、バンディくんも強く抱きしめ返してくれた。
『シェニカ…』
『バンディ…』
そして私とバンディは見つめ合って、自然と2人の距離はゼロに……。
「シェニカちゃ~ん。おーい」
「うへへ。バンディ~」
「ダメだこりゃ。妄想が捗り過ぎて現実逃避してるみたい。それだけ胸がドキドキする状況に飢えてるってことなのね」
しばらくバンディとのキャッキャウフフな状況を楽しんで現実に戻ってくると、ファミさんが苦笑いをして私を見ていたことに気付いた。
「いやぁ。妄想って楽しいですね。胸がキュンキュンしました!」
私は妄想彼氏の原型になってくれたバンディくんのたてがみを優しく撫でた。
「それは良かったわ。あんまり盛り上がってるみたいだったから、現実に帰ってこないかと心配したわ。そうだ。シェニカちゃんは兄妹っているの?」
「私、一人っ子なんです」
「へぇ~!珍しいわね」
この世界では1人の女性が生む子供の数は、平均4人と言われていて私のように1人というのは珍しい。
世界のどの国でも戦争ばっかりしているから、国が子供を多く生むように奨励しているのもあるけど、大体の国が子供を沢山生んでも経済的な負担がかからないようにしているから、子沢山家族になってもその家族が路頭に迷うことはない。
子沢山の家庭が常識だから、私のような1人っ子というのはとても珍しかった。
「なかなか子宝に恵まれなかったらしくて。兄妹はいないんです」
「そっか~。うちは5人兄姉なのよ」
「あ!兄姉のお話、聞きたいです!」
ルクトってあんまり自分のことを話そうとしない感じだから、聞きたくてもあまり聞ける空気じゃなかった。
彼から聞けそうにないのなら、是非ともファミさんから貴重な家族の話を聞きたい。
「いいわよ~!どうせルクトは話さないでしょうから」
「おい。余計なこと言うなよ」
いつの間にかまた私の後ろにいたのか、振り向けばルクトが不機嫌そうにしながら歩いていた。
彼の隣には困ったように微笑を浮かべたストラードさんがいた。ストラードさんの様子から、どうやらこちらの邪魔をしに行くのを止められなかったらしい。
「余計なことじゃないでしょ。あんたがシェニカちゃんに結婚して貰えたら、必ず言わないといけないことなのよ?」
「けっ!結婚!?」
ファミさんの言葉にルクトだけでなく私も驚いた。
「あんたみたいな馬鹿でアホな奴が、こんなに良い子と付き合ってるのよ?姉としては馬鹿な弟を是非とも貰って欲しいわ!」
「ふざけんなよ!俺は馬鹿でもアホでもねぇよ!」
「ストラード、その馬鹿を相手にしといて」
ファミさんがストラードさんにそう指示を出すと、ストラードさんはルクトの肩をガシッと掴んだ。
ストラードさんは元副官だしファミさんより強いはずだろうけど、ファミさんの命令はきっと将軍からの命令並に強いんだろう。
「はいはい。ルクト、諦めるんだ。ファミは昔と変わらずキレやすいから大人しくしといてくれ」
「はぁ!?お前が抑えとけよ。元副官だろうが」
ルクトは肩を掴んでいるストラードさんの手を振りほどこうとしているけど、ストラードさんは首を横にゆっくりと振ってため息を吐いた。
「ルクト、よく聞くんだ。ファミは軍に入って早々に、食堂の飯が値段の割には少ないと言ってキレて暴れたんだ。
それからというもの、見習い兵士に過ぎないファミの飯の量だけ特別に増やされて、『正気の狂戦士』って言われるようになった。
お兄さんが取り成してくれたからファミは注意で済んだけど、食糧事情の良くないドルトネアで、ただのヒラ兵士がキレただけで特別待遇される意味が分かるよな?」
ルクトは黙ってプンとそっぽを向いた。
どうやらファミさんがキレたら怖いらしいということは伝わった。
「分かれば宜しい。じゃあヴェルネス家のことを教えてあげるわ。
まず家族構成が上から長男、長女、次男、私、ルクトの5人兄姉よ。ルクト以外はみんな学校を卒業したら軍に入ったの。
姉と私は結婚して退役しちゃったけど、兄2人は結婚してもまだ軍にいるのよ」
「あの、ご両親は?」
「両親はもう死んじゃったからいないの。両親は2人とも軍にいたんだけど、その時の流行病に罹ってすぐに亡くなっちゃった」
「そうなんですか…」
もし今でも病に倒れていたのなら、私が治療に行こうかと思ったのに。もう亡くなっているなんて、とても残念だ。
「その時ルクトがまだ幼かったから、それからは上の兄と姉が親代わりになったのよ。
兄姉としては売れ残ったルクトも良い歳になるから、ドルトネアに戻って結婚して腰を据えて欲しいんだけど。
ルクトの相手がシェニカちゃんみたいな可愛くて良い子だったら、みんな喜ぶわ!会いたいだろうなぁ」
「違う意味で喜ぶんだろうが」
「違う意味?どういう意味よ」
ルクトがイライラした口調でファミさんにそう言葉をかけると、ファミさんは不思議そうに首を傾げてルクトに振り返った。
「ルクト。ファミは何も知らない。本心から言ってるんだよ」
ストラードさんのこの言葉から、ファミさんが『ドルトネアに来たらみんな喜ぶ』と言った意味を、ルクトが『軍人のお兄さん達が私と繋がれる機会を得るから喜ぶ』という意味として捉えたのだろうと分かった。
ファミさんは下級兵士だったから知らないみたいだけど、上級兵士だったストラードさんは『白い渡り鳥』と繋がりを作るのも上級兵士の仕事なのだと当然知っている。
『白い渡り鳥』との繋がりを作るのも仕事の一つだと下級兵士が知らないのは、身分の高い『白い渡り鳥』と国のために繋がりを作るためには、相応の身分が求められるから上級兵士の仕事だ、という考えだかららしい。
「お前が何か吹き込んでんじゃねぇのかよ」
「しないよ。僕はファミをそういうことには巻き込ませたくないからね」
「ファミさん、私は結婚とかまだ全然考えてなくて」
ファミさんの気持ちはありがたい。でも私はルクトと恋人になったのもつい最近だし、なにより彼と私の間でズレのような物が出てきているのを感じているから、結婚なんてまだ考えられない。
結婚は、2人の間での『好き』って気持ちから『愛』に変わる事が出来たら…。2人の気持ちがちゃんと重なってからしたい。
「そうなの?まぁ、シェニカちゃんはまだ若いものね。これから先、ルクト以外に良い人に出会うかもしれないし」
「そんなことは…」
『そんなことはない』と言い切ってしまいたいところだけど、バンディとの妄想に浸ってみると、優しくて素直でカッコいいバンディと頭の中で都合のいいやり取りしただけだというのに、多少なりとも心が揺さぶられたのを思い出して言い切れなかった。
「運命って分からないものよ?私とストラードだって、元々は単なる学校の先輩と後輩だったの。
学生時代はストラードってモヤシみたいだったんだけど、成人して軍で再会したらなんか凄い出世してるし、逞しくなっちゃっててさ。
一兵士に過ぎない私には、副官のストラードは雲の上の人になっていたのに、頻繁に会いに来てくれたの。
その時は付き合ってた人が居たんだけど、ストラードに絆されて結婚しちゃった!」
「凄いですね。なんかドラマチック…」
今度バンディとの妄想の時のネタにさせて貰おう。また胸が高鳴ってしまうだろうな~。うへへっ。
「お前、そんな小っ恥ずかしいことしたのかよ」
「学生時代からずっと好きだったけど、年上は興味ないとか、ヒョロイのは嫌いって言われて全然相手にして貰えなかったからね。
再会した時にはファミには恋人がいたから、その人と結婚される前にって僕も必死だったんだよ。
頑張って頑張って、やっと振り向いてくれたんだよ」
なるほど。ストラードさんがファミさんにベタ惚れなのか。
ファミさんも当然ストラードさんのことが好きだろうけど、恋人のいたファミさんを振り向かせるぐらいだから、きっとそれ以上にストラードさんはファミさんを想っているんだろうな。
そんな風に強く深く想ってくれる人がいるなんて、とっても羨ましい。
「こいつにそんな価値ねぇだろ。喧嘩っぱやいし、すぐ怒るし、美人でもねぇし、ババアだし」
「……ルクト。安らかに」
ストラードさんは静かに手を合わせて目を閉じた。
「あ?」
ルクトの後ろにはいつの間にか、暗い雲を背負ったファミさんが立っていた。
ファミさんはついさっきまで私の隣にいたはずなのに、いつの間に私の後ろにいたルクトの背後に回ったのだろうか。
ストラードさんの言葉の直後、ルクトがファミさんから距離を取ろうする前に、ファミさんの身体が動いたのだけは私にも何となく見えた。
「お前はいっぺん死んでこぉぉぉぉい!!!」
ドガッッッ!!
「ーーーー!!!!!!」
ルクトは倒れた。
お尻を抑えて。
「ふんっ!姉さんだったら股間を剣で刺し抜いてるところよ!お尻を蹴っただけで済んだことをありがたく思いなさい!」
ファミさんの行動にバンディくんも何かを察したのか、静かに歩みを止めた。空気を読めるバンディくんは偉い。やっぱり私の妄想彼氏の原型になったバンディくんは優秀である。惚れ直しちゃった。
「ルクト…。子供の頃からファミの蹴りには泣かされてただろ。忘れてたのか?
ついでに言うと、昔より威力は上がってるし、蹴りのスピードが速い。食堂担当の上級兵士にこれやって、ファミはあだ名がついて特別扱いになったんだぞ」
ルクトはストラードさんの言葉に何にも返さず、ただ身体を震わせて地面に伏せったままだ。
彼がこうなるということは、凄い威力だったのだろう。恐ろしい。
「でさ!女の子はやっぱり一度は熱烈に口説かれてみたいじゃない。シェニカちゃんもそう思わない?」
「え…。あ、はい。機会があれば」
お尻を抑えて倒れたままのルクトを見れば、治療魔法をかけてあげた方が良いと思う。
でも、ルクトの傍らに立つファミさんのキラキラした目が怖くて、ルクトに近寄れない。
ルクト。命には別状ないと思うから(多分)、そのまましばらくジッとしててね!
「やっぱりさ~。貴女しか見ていません!とか、貴女を想う気持ちはあの人には負けません!とか言われたらキュンキュンしちゃうよね~!」
「えっと…。は、はい」
「シェニカちゃん、言われたことある?」
「ないです」
ないけど、妄想彼氏のバンディがそんな風なことを言った気がします。確かに言われたらキュンキュンしました。
「馬鹿ルクト!良い?こういう胸キュンな言葉の1つや2つ、ちゃんとシェニカちゃんに言いなさい」
「何すんだよ!このババ…!!!」
ファミさんはお尻を抑えながらも弱々しく起き上がろうとしたルクトの胸板を思いっきり踏みつけ、グリグリとブーツで抉るように擦った。
地面に背中をつけたルクトは左手で自分のお尻を抑え、胸を抑えるファミさんのブーツを右手で掴んでいるが、その顔が悔しいのか痛いのか分からないが、苦しそうな表情をしている。
「今何を言おうとしたのかな?まだ懲りてないなら、もう少し躾けてあげても良いのよ?」
ーーこ、こわい。ファミさんの周囲には何か見てはいけない禍々しい物が沢山浮いているような気がする。
ルクトを助けてあげたいけど、ファミさんが怖すぎてなかなか声が出ない。
「ルクト。諦めるんだ。キレたファミには僕も勝てないし、君も勝てない。勝てるのはお姉さんか上のお兄さんくらいだよ」
「あ、あの…。そ、それくらいに」
ファミさんは怖くて仕方がないけど、とりあえずルクトのために勇気を振り絞って小さく声を上げた。
「シェニカちゃんったら、優しいのねぇ。こーいう女心の分からないアホで馬鹿な奴には、徹底的に教え込まないとダメなのよ?
ほら、こんな風にしたら愛想のない馬鹿でも可愛く見えるでしょ?女心が分かるためには、まずは表情筋を解してやらないとねぇ?」
そう言ってファミさんはルクトの胸元から足を外すと、今度は馬乗りになってルクトのほっぺたをこれでもかっ!と引っ張り、抓り、手を放すと、パンパーン!と良い音をさせる1往復のビンタをした。
その間、ファミさんはずっと笑顔で私を見たままだったのが、物凄く怖かった。
ファミさんに逆らってはいけない。ルクトが身をもって教えてくれた教訓だ。
「は、はい…。あの、ルクトが死にそうなので治療させて下さい」
ルクトに治療魔法をかけて再び街道を歩き始めると、不機嫌の塊のような空気をまとった彼はファミさんを凄い形相で睨んでいた。
でもファミさんは素知らぬ顔で、機嫌よく私とおしゃべりしていた。
彼女のこの肝っ玉の強さは是非とも見習いたい所だ。
そしてとうとう街道の分岐点に辿り着いてしまった。
面白くて強いファミさんと、穏やかで包容力のあるストラードさんとお別れするのはとても寂しい。もっと長く一緒に旅をしたくなるけど、お互いの目的地が違うからお別れは仕方がない。
「いい?ここでお別れだけど、シェニカちゃんを泣かせたりしたらダメだからね?!女の子を悲しませたり泣かせるなんて大罪よ!?」
ファミさんは腰に手を当ててルクトを見上げながら、言い聞かせるように喋っている。ルクトはそれをとても面倒くさそうにしながらも、大人しく聞いている。
怖いもの知らずなところのある彼も、ファミさんの凄い蹴りに怖気づいたのだろうか。
「どう扱おうが俺の自由だろ」
「あんたって、本当に自己中ね。そんなんだから友達もちょっとしか出来なかったし、ほとんど1人だったんでしょうが。
もうちょっと人の気持ちを考えなさいよ。フラレるわよ?」
「フラレねぇよ。余計なお世話だ」
「その自信はどっから出てくるのよ。その顔でナルシストか!鏡を見ろ!馬鹿じゃないの?
シェニカちゃん。アホでワガママな弟をよろしくお願いね。手に負えなくなったら、遠慮なく股間を蹴り上げて。蹴り潰しても構わないわ。
ルクトが土下座して謝れば、シェニカちゃんが元に戻してくれるでしょうし」
「えっ!」
「ふざけんなよ!なんで俺が土下座なんか!」
「ルクト、良い機会だからカケラを交換しておきましょ。出しなさい」
ルクトが怒りの声を上げても、ファミさんはそんな声なんて聞こえないのか、もう次の話題へと移っていた。
彼女のこういうスルー力は本当に勉強になる。こうやってルクトを扱えば、きっと私も振り回されずに済むのかもしれない。
「なんで俺が」
「兄姉の誰もあんたと連絡取れないのよ?そう言うのって悲しいじゃない」
「俺は悲しくない」
「なら、ファミさん。私と…」
「お前は交換しなくていい」
私が遠慮がちにファミさんにカケラの交換をもちかけようとすると、ルクトが私の言葉を遮った。
「だって、交換しといた方が薬草が欲しくなった時に声をかけさせて貰えたりするんだし。なによりファミさん達はとっても良い人だし」
「そうよ。薬草が必要になったら是非声をかけて。この馬鹿と別れたとしても、シェニカちゃんとはお友達よ!」
「…俺が交換するから、お前は交換するな」
何かを諦めた様子なルクトがファミさんはカケラを交換すると、ファミさんは満足そうな笑顔を浮かべた。
チラリと見えたファミさんの繋ぎの結晶のカケラは、オレンジ色に赤く短い縦縞の模様が入っていた。
「じゃあこれでお別れね。ルクト、ちゃんとシェニカちゃんを守るのよ?」
「うるせぇな。言われなくても分かってる」
「シェニカ様、どうか道中お気をつけて。この先のアネシスまでの道は盗賊が多く出る場所です。
ルクトが居れば大丈夫と思いますが、人数を揃えて襲ってくるかもしれません」
「分かりました。ファミさん、ストラードさん。ありがとうございました」
ファミさんは近寄ると、私の耳元で小さな声で囁いた。
「シェニカちゃん、手のかかる弟だけど宜しくね。きっと兄姉もシェニカちゃんに会いたいと思うから、いつかドルトネアに会いに来てね」
「はい。機会があれば」
私達とファミさん達は、お互いの姿が見えなくなるまで歩きながら何度も振り返って手を振り合った。
ファミさんはお喋り好きらしく、薬草の話や旅の話など、途切れることなく色々な話をしてくれる。
ストラードさんは元々大人しい性格なのか、私とファミさんがお喋りしているのをにこやかに見守っていた。
ルクトは…というと、私とファミさんが喋る内容に聞き耳を立てているらしく、時折『余計なことを喋るな』とファミさんに言っている。
普通の女性だったら、黙りこくってしまいそうなくらい彼は鋭い目と口調でファミさんに声をかけているのに、ファミさんはルクトのそんな言葉は完全に無視して自由にお喋りしていた。
やっぱりお姉さんというのは弟に対して強い存在なんだと、しみじみと思った。
「私、『白い渡り鳥』様に治療して貰ったことあるけど、こんなに普通で良い子は居なかったわ!ストラード、貴方もそう思わない?」
ファミさんは隣を歩いているストラードさんに興奮気味にそう話を振ると、ストラードさんはにっこりと笑ってファミさんを見つめた。
暴走気味なファミさんを上手に扱っているストラードさんって感じで、とてもバランスが取れている様に見える。
私はというと、少々強引なルクトを上手く扱うことが出来ずに振り回されている様な感じだろうか。
「そうだね。シェニカ様みたいな『白い渡り鳥』様は珍しいね」
「私、あまり同業者に関わってないんですけど、どんな感じなんですか?」
「治療してやる!って感じで上から目線だし、別料金要求してくるし、ナンパしてきたりもするのよ?
行列並んで、やっと診てもらう時になったらアレコレ理由をつけて診療拒否されたのも見たわ。
あとは人目を憚らず、護衛とイチャイチャしてたりしてたかなぁ」
「イチャイチャ…」
今後も仕事中は真面目に治療院をやるつもりでいるけど、治療院を開いている期間中は街中で手を繋いで歩いたりとかしてたら「イチャイチャしてる!」とか思われちゃうのかな。
そんな風に思われてると思うと、ちょっと恥ずかしい気もする。ルクトが言うように『小っ恥ずかしいこと』はしない方が良いのかな。
でも、私だって『白い渡り鳥』の前に1人の女性なんだから、恋人と手を繋いで歩いたりとかしたい。人の居ない暗がりとかだったらルクトもやってくれるかなぁ。
「王宮で開催される祝賀行事やお茶会では、『白い渡り鳥』様は話題の中心になりますので会話とダンスがお上手ですね。
後は美食家でいらっしゃる方がほとんどですから、王宮ではお出しする食事にはとても気を付けるんです」
「へ~。そうなんだ」
ロミニアのように高級レストランばかり行っていれば、美食家になるのも頷ける。
でも、私は高級レストラン通いなんて心臓に悪いから今後も出来ないだろうなぁ…。
「私が軍に居た時、シェニカ様はそういう場には出席なさらないと聞いていましたが、どうして出席なされないんですか?」
「あーいう場所に行くと色々と下心が透けて見えるから、苦手なんです」
「下心?もしかして、シェニカちゃん可愛いからオッサン達から迫られるの?かわいそうっ!どうせ迫られるなら、強くてカッコよくて、優しい人が良いわよねぇ!」
「はぁ?そういう意味じゃねぇよ」
私が「そういう意味の下心じゃないんです」と言う前に、私の隣を歩いていたルクトが不満そうな声を上げた。
「いくらあんたがプライドだけ高くても、身分の低い傭兵じゃ王侯貴族や将軍相手には対抗出来ないもんね~。
王侯貴族や将軍だったら、いくらオッサンでもあんたみたいに粗暴じゃなくてレディファーストだし、とっても紳士的だもんね。身分が高くて若くて美形の男に迫られたら、シェニカちゃんも下心が見えても満更じゃないんじゃない?羨ましいわぁ」
ーーいや、民間人の家庭に生まれ育った私は身分なんてどうでも良くて、王侯貴族とか将軍とか距離を置きたくて堪らないんだけど…。
私がそう返事を返す前に、ストラードさんがちょっと不満そうな声を上げていた。
「ファミも貴族の令息や若い将軍に口説かれたい?」
「結婚前なら一度は口説かれたかったけど、今はストラードがいるからまったく思わないわね」
ファミさんは両手を上げて降参のポーズをすると、ストラードさんは嬉しそうな顔をしてファミさんの肩を抱き寄せた。
「良かった。ファミって結構面食いだから、旅先で会うカッコイイ人を見ると気が気じゃないよ」
「もう、ストラードったら。そんなことあるわけないじゃない」
近くに私やルクトがいるにも関わらずラブラブな2人を見ていると、こっちが恥ずかしくなって心の中でキャーキャー言いながら逃げたくなってしまいそうだ。
いいなぁ~。こんな風にラブラブなのはとっても羨ましくて憧れる。
少し休憩を取った後、馬を挟んで隣り合って私とファミさんが歩き、ルクトとストラードさんは少し後ろの方を歩いた。
「シェニカちゃん。例の『浮気相手』だけど、もう設定してみた?」
離れていても耳の良いルクトに聞こえないように、ファミさんは私を馬の方に近づくように手招きして小声で話しかけてきた。
「い、いえ。まだ…」
「じゃあさ!ルクトが持ってない部分を集めた人に設定にしましょうよ」
ファミさんは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、私にそんな風に提案してきた。
どうやらファミさんは、からかったりするのが面白くて好きらしい。
恋人のルクトがいるにも関わらず、架空とはいえ『浮気相手』を作るのには少し罪悪感があるけど、ルクトに『好き』って言ってもらえるように私も頑張らなければ。
「も、持ってない部分ですか?」
「優しくて、お金持ちで、にこやかで、素直な人とか。どう?」
「お金は気にしてなかったけど、優しくて、にこやかで、素直な人っていうのは良いですね!」
「じゃあ、ジェントルマンが良いってことね。粗暴なルクトとは真逆だわ!いい気味!おほほほほ!」
「何、気持ちの悪い笑い声上げてんだよ。こいつにあんまり近付くな」
ファミさんが高笑いを上げると、いつの間にかルクトが私のすぐ後ろに居たことに凄く驚いた。
ルクトは足音を立てずにこうして近くに居る時があるから、気配を読むのが得意じゃない私にはとても心臓に悪い。
「あんたは黙って引っ込んでなさい。邪魔よ邪魔!」
ファミさんはルクトにシッシ!と手で払う仕草をすると、ルクトの機嫌はまた悪くなった。
そんなルクトを宥めるようにニッコリと笑ったストラードさんは、彼を連れて荷台の後ろの方へと移動していった。
「そうだ。このお馬さんのお名前は何て言うんですか?」
治療した時から、荷台をひく力強い茶色のお馬さんが気になっていた。
動物好きな私は、例えお馬さんでもこうして短時間でも一緒に旅する仲間だと思っているから、是非ともお名前が知りたい。
「この子?名前はバンディ。男の子よ」
ファミさんに撫でられたバンディくんは、嬉しそうに目を細めた気がした。
バンディくんは怪我をしても激しく暴れなかったみたいだし、ちゃんとファミさんやストラードさんの言う事を聞いてるし、良い調教が施されているみたいだ。
ルクトがこんな風に優しくて、強い人だったら良いのにな。
「バンディくんかぁ。名前も性格もカッコよくて素敵ね。じゃあ、私の架空の想い人の名前はバンディにします」
「じゃあ、シェニカちゃんの頭の中で『バンディ』とドキドキするような状況を想像してみて。ここからは妄想力が試されるわね!」
私はパカパカと軽やかに歩くバンディくんを見ながら、この子が人間の男性になった姿を想像した。
褐色な肌に黒く長い髪を首の後ろでポニーテールにした、ルクトと同じくらいの背の高さ。彼に負けないくらい『脱いだら凄いんです』なガッチリした身体つき。
その優しい目でジッと見つめられたら、私、胸がドキドキしちゃう!
『シェニカ、可愛いね』
そんなこと言われちゃったりして~~!
むははっ!きゃぁぁ!バンディくん、超カッコイイ~!!
「バ、バンディくんって独身ですか?」
「そうだけど?」
「バンディくん、素敵っ!すごくカッコイイっ!私とこれからずっと旅しよう!」
擬人化したバンディくんに一気にメロメロになった私は、バンディくんのたてがみを高速で撫で回した。
「シェ、シェニカちゃん…?」
「バンディくん…。うへへ」
ファミさんの困惑する声を遠くで聞きながら、私は止まらない擬人化バンディくんとのウフフな妄想にどっぷり浸ってしまった。
『シェニカ、昨日は治療してくれてありがとう。お礼に僕がギュッてしてあげるよ』
『バ、バンディくん…』
ギュッと抱きしめてくれたバンディくんを見上げると、長いまつげがとっても凛々しいことに気付いた。
優しげなその茶色の瞳と視線が合わさると、全身が湯たんぽになったかのように一気に熱くなった。
『バンディって呼んで。初めて会った時から運命を感じたよ。好きだ。この気持ちはアホで目つきの悪い甲斐性無しなヤツなんかには負けないよ。そんなヤツと別れて、僕と付き合おう』
『私も初めて会った時から気になってたの』
私がそう言ってバンディくんの広い背中に腕を回してギュッと力を込めると、バンディくんも強く抱きしめ返してくれた。
『シェニカ…』
『バンディ…』
そして私とバンディは見つめ合って、自然と2人の距離はゼロに……。
「シェニカちゃ~ん。おーい」
「うへへ。バンディ~」
「ダメだこりゃ。妄想が捗り過ぎて現実逃避してるみたい。それだけ胸がドキドキする状況に飢えてるってことなのね」
しばらくバンディとのキャッキャウフフな状況を楽しんで現実に戻ってくると、ファミさんが苦笑いをして私を見ていたことに気付いた。
「いやぁ。妄想って楽しいですね。胸がキュンキュンしました!」
私は妄想彼氏の原型になってくれたバンディくんのたてがみを優しく撫でた。
「それは良かったわ。あんまり盛り上がってるみたいだったから、現実に帰ってこないかと心配したわ。そうだ。シェニカちゃんは兄妹っているの?」
「私、一人っ子なんです」
「へぇ~!珍しいわね」
この世界では1人の女性が生む子供の数は、平均4人と言われていて私のように1人というのは珍しい。
世界のどの国でも戦争ばっかりしているから、国が子供を多く生むように奨励しているのもあるけど、大体の国が子供を沢山生んでも経済的な負担がかからないようにしているから、子沢山家族になってもその家族が路頭に迷うことはない。
子沢山の家庭が常識だから、私のような1人っ子というのはとても珍しかった。
「なかなか子宝に恵まれなかったらしくて。兄妹はいないんです」
「そっか~。うちは5人兄姉なのよ」
「あ!兄姉のお話、聞きたいです!」
ルクトってあんまり自分のことを話そうとしない感じだから、聞きたくてもあまり聞ける空気じゃなかった。
彼から聞けそうにないのなら、是非ともファミさんから貴重な家族の話を聞きたい。
「いいわよ~!どうせルクトは話さないでしょうから」
「おい。余計なこと言うなよ」
いつの間にかまた私の後ろにいたのか、振り向けばルクトが不機嫌そうにしながら歩いていた。
彼の隣には困ったように微笑を浮かべたストラードさんがいた。ストラードさんの様子から、どうやらこちらの邪魔をしに行くのを止められなかったらしい。
「余計なことじゃないでしょ。あんたがシェニカちゃんに結婚して貰えたら、必ず言わないといけないことなのよ?」
「けっ!結婚!?」
ファミさんの言葉にルクトだけでなく私も驚いた。
「あんたみたいな馬鹿でアホな奴が、こんなに良い子と付き合ってるのよ?姉としては馬鹿な弟を是非とも貰って欲しいわ!」
「ふざけんなよ!俺は馬鹿でもアホでもねぇよ!」
「ストラード、その馬鹿を相手にしといて」
ファミさんがストラードさんにそう指示を出すと、ストラードさんはルクトの肩をガシッと掴んだ。
ストラードさんは元副官だしファミさんより強いはずだろうけど、ファミさんの命令はきっと将軍からの命令並に強いんだろう。
「はいはい。ルクト、諦めるんだ。ファミは昔と変わらずキレやすいから大人しくしといてくれ」
「はぁ!?お前が抑えとけよ。元副官だろうが」
ルクトは肩を掴んでいるストラードさんの手を振りほどこうとしているけど、ストラードさんは首を横にゆっくりと振ってため息を吐いた。
「ルクト、よく聞くんだ。ファミは軍に入って早々に、食堂の飯が値段の割には少ないと言ってキレて暴れたんだ。
それからというもの、見習い兵士に過ぎないファミの飯の量だけ特別に増やされて、『正気の狂戦士』って言われるようになった。
お兄さんが取り成してくれたからファミは注意で済んだけど、食糧事情の良くないドルトネアで、ただのヒラ兵士がキレただけで特別待遇される意味が分かるよな?」
ルクトは黙ってプンとそっぽを向いた。
どうやらファミさんがキレたら怖いらしいということは伝わった。
「分かれば宜しい。じゃあヴェルネス家のことを教えてあげるわ。
まず家族構成が上から長男、長女、次男、私、ルクトの5人兄姉よ。ルクト以外はみんな学校を卒業したら軍に入ったの。
姉と私は結婚して退役しちゃったけど、兄2人は結婚してもまだ軍にいるのよ」
「あの、ご両親は?」
「両親はもう死んじゃったからいないの。両親は2人とも軍にいたんだけど、その時の流行病に罹ってすぐに亡くなっちゃった」
「そうなんですか…」
もし今でも病に倒れていたのなら、私が治療に行こうかと思ったのに。もう亡くなっているなんて、とても残念だ。
「その時ルクトがまだ幼かったから、それからは上の兄と姉が親代わりになったのよ。
兄姉としては売れ残ったルクトも良い歳になるから、ドルトネアに戻って結婚して腰を据えて欲しいんだけど。
ルクトの相手がシェニカちゃんみたいな可愛くて良い子だったら、みんな喜ぶわ!会いたいだろうなぁ」
「違う意味で喜ぶんだろうが」
「違う意味?どういう意味よ」
ルクトがイライラした口調でファミさんにそう言葉をかけると、ファミさんは不思議そうに首を傾げてルクトに振り返った。
「ルクト。ファミは何も知らない。本心から言ってるんだよ」
ストラードさんのこの言葉から、ファミさんが『ドルトネアに来たらみんな喜ぶ』と言った意味を、ルクトが『軍人のお兄さん達が私と繋がれる機会を得るから喜ぶ』という意味として捉えたのだろうと分かった。
ファミさんは下級兵士だったから知らないみたいだけど、上級兵士だったストラードさんは『白い渡り鳥』と繋がりを作るのも上級兵士の仕事なのだと当然知っている。
『白い渡り鳥』との繋がりを作るのも仕事の一つだと下級兵士が知らないのは、身分の高い『白い渡り鳥』と国のために繋がりを作るためには、相応の身分が求められるから上級兵士の仕事だ、という考えだかららしい。
「お前が何か吹き込んでんじゃねぇのかよ」
「しないよ。僕はファミをそういうことには巻き込ませたくないからね」
「ファミさん、私は結婚とかまだ全然考えてなくて」
ファミさんの気持ちはありがたい。でも私はルクトと恋人になったのもつい最近だし、なにより彼と私の間でズレのような物が出てきているのを感じているから、結婚なんてまだ考えられない。
結婚は、2人の間での『好き』って気持ちから『愛』に変わる事が出来たら…。2人の気持ちがちゃんと重なってからしたい。
「そうなの?まぁ、シェニカちゃんはまだ若いものね。これから先、ルクト以外に良い人に出会うかもしれないし」
「そんなことは…」
『そんなことはない』と言い切ってしまいたいところだけど、バンディとの妄想に浸ってみると、優しくて素直でカッコいいバンディと頭の中で都合のいいやり取りしただけだというのに、多少なりとも心が揺さぶられたのを思い出して言い切れなかった。
「運命って分からないものよ?私とストラードだって、元々は単なる学校の先輩と後輩だったの。
学生時代はストラードってモヤシみたいだったんだけど、成人して軍で再会したらなんか凄い出世してるし、逞しくなっちゃっててさ。
一兵士に過ぎない私には、副官のストラードは雲の上の人になっていたのに、頻繁に会いに来てくれたの。
その時は付き合ってた人が居たんだけど、ストラードに絆されて結婚しちゃった!」
「凄いですね。なんかドラマチック…」
今度バンディとの妄想の時のネタにさせて貰おう。また胸が高鳴ってしまうだろうな~。うへへっ。
「お前、そんな小っ恥ずかしいことしたのかよ」
「学生時代からずっと好きだったけど、年上は興味ないとか、ヒョロイのは嫌いって言われて全然相手にして貰えなかったからね。
再会した時にはファミには恋人がいたから、その人と結婚される前にって僕も必死だったんだよ。
頑張って頑張って、やっと振り向いてくれたんだよ」
なるほど。ストラードさんがファミさんにベタ惚れなのか。
ファミさんも当然ストラードさんのことが好きだろうけど、恋人のいたファミさんを振り向かせるぐらいだから、きっとそれ以上にストラードさんはファミさんを想っているんだろうな。
そんな風に強く深く想ってくれる人がいるなんて、とっても羨ましい。
「こいつにそんな価値ねぇだろ。喧嘩っぱやいし、すぐ怒るし、美人でもねぇし、ババアだし」
「……ルクト。安らかに」
ストラードさんは静かに手を合わせて目を閉じた。
「あ?」
ルクトの後ろにはいつの間にか、暗い雲を背負ったファミさんが立っていた。
ファミさんはついさっきまで私の隣にいたはずなのに、いつの間に私の後ろにいたルクトの背後に回ったのだろうか。
ストラードさんの言葉の直後、ルクトがファミさんから距離を取ろうする前に、ファミさんの身体が動いたのだけは私にも何となく見えた。
「お前はいっぺん死んでこぉぉぉぉい!!!」
ドガッッッ!!
「ーーーー!!!!!!」
ルクトは倒れた。
お尻を抑えて。
「ふんっ!姉さんだったら股間を剣で刺し抜いてるところよ!お尻を蹴っただけで済んだことをありがたく思いなさい!」
ファミさんの行動にバンディくんも何かを察したのか、静かに歩みを止めた。空気を読めるバンディくんは偉い。やっぱり私の妄想彼氏の原型になったバンディくんは優秀である。惚れ直しちゃった。
「ルクト…。子供の頃からファミの蹴りには泣かされてただろ。忘れてたのか?
ついでに言うと、昔より威力は上がってるし、蹴りのスピードが速い。食堂担当の上級兵士にこれやって、ファミはあだ名がついて特別扱いになったんだぞ」
ルクトはストラードさんの言葉に何にも返さず、ただ身体を震わせて地面に伏せったままだ。
彼がこうなるということは、凄い威力だったのだろう。恐ろしい。
「でさ!女の子はやっぱり一度は熱烈に口説かれてみたいじゃない。シェニカちゃんもそう思わない?」
「え…。あ、はい。機会があれば」
お尻を抑えて倒れたままのルクトを見れば、治療魔法をかけてあげた方が良いと思う。
でも、ルクトの傍らに立つファミさんのキラキラした目が怖くて、ルクトに近寄れない。
ルクト。命には別状ないと思うから(多分)、そのまましばらくジッとしててね!
「やっぱりさ~。貴女しか見ていません!とか、貴女を想う気持ちはあの人には負けません!とか言われたらキュンキュンしちゃうよね~!」
「えっと…。は、はい」
「シェニカちゃん、言われたことある?」
「ないです」
ないけど、妄想彼氏のバンディがそんな風なことを言った気がします。確かに言われたらキュンキュンしました。
「馬鹿ルクト!良い?こういう胸キュンな言葉の1つや2つ、ちゃんとシェニカちゃんに言いなさい」
「何すんだよ!このババ…!!!」
ファミさんはお尻を抑えながらも弱々しく起き上がろうとしたルクトの胸板を思いっきり踏みつけ、グリグリとブーツで抉るように擦った。
地面に背中をつけたルクトは左手で自分のお尻を抑え、胸を抑えるファミさんのブーツを右手で掴んでいるが、その顔が悔しいのか痛いのか分からないが、苦しそうな表情をしている。
「今何を言おうとしたのかな?まだ懲りてないなら、もう少し躾けてあげても良いのよ?」
ーーこ、こわい。ファミさんの周囲には何か見てはいけない禍々しい物が沢山浮いているような気がする。
ルクトを助けてあげたいけど、ファミさんが怖すぎてなかなか声が出ない。
「ルクト。諦めるんだ。キレたファミには僕も勝てないし、君も勝てない。勝てるのはお姉さんか上のお兄さんくらいだよ」
「あ、あの…。そ、それくらいに」
ファミさんは怖くて仕方がないけど、とりあえずルクトのために勇気を振り絞って小さく声を上げた。
「シェニカちゃんったら、優しいのねぇ。こーいう女心の分からないアホで馬鹿な奴には、徹底的に教え込まないとダメなのよ?
ほら、こんな風にしたら愛想のない馬鹿でも可愛く見えるでしょ?女心が分かるためには、まずは表情筋を解してやらないとねぇ?」
そう言ってファミさんはルクトの胸元から足を外すと、今度は馬乗りになってルクトのほっぺたをこれでもかっ!と引っ張り、抓り、手を放すと、パンパーン!と良い音をさせる1往復のビンタをした。
その間、ファミさんはずっと笑顔で私を見たままだったのが、物凄く怖かった。
ファミさんに逆らってはいけない。ルクトが身をもって教えてくれた教訓だ。
「は、はい…。あの、ルクトが死にそうなので治療させて下さい」
ルクトに治療魔法をかけて再び街道を歩き始めると、不機嫌の塊のような空気をまとった彼はファミさんを凄い形相で睨んでいた。
でもファミさんは素知らぬ顔で、機嫌よく私とおしゃべりしていた。
彼女のこの肝っ玉の強さは是非とも見習いたい所だ。
そしてとうとう街道の分岐点に辿り着いてしまった。
面白くて強いファミさんと、穏やかで包容力のあるストラードさんとお別れするのはとても寂しい。もっと長く一緒に旅をしたくなるけど、お互いの目的地が違うからお別れは仕方がない。
「いい?ここでお別れだけど、シェニカちゃんを泣かせたりしたらダメだからね?!女の子を悲しませたり泣かせるなんて大罪よ!?」
ファミさんは腰に手を当ててルクトを見上げながら、言い聞かせるように喋っている。ルクトはそれをとても面倒くさそうにしながらも、大人しく聞いている。
怖いもの知らずなところのある彼も、ファミさんの凄い蹴りに怖気づいたのだろうか。
「どう扱おうが俺の自由だろ」
「あんたって、本当に自己中ね。そんなんだから友達もちょっとしか出来なかったし、ほとんど1人だったんでしょうが。
もうちょっと人の気持ちを考えなさいよ。フラレるわよ?」
「フラレねぇよ。余計なお世話だ」
「その自信はどっから出てくるのよ。その顔でナルシストか!鏡を見ろ!馬鹿じゃないの?
シェニカちゃん。アホでワガママな弟をよろしくお願いね。手に負えなくなったら、遠慮なく股間を蹴り上げて。蹴り潰しても構わないわ。
ルクトが土下座して謝れば、シェニカちゃんが元に戻してくれるでしょうし」
「えっ!」
「ふざけんなよ!なんで俺が土下座なんか!」
「ルクト、良い機会だからカケラを交換しておきましょ。出しなさい」
ルクトが怒りの声を上げても、ファミさんはそんな声なんて聞こえないのか、もう次の話題へと移っていた。
彼女のこういうスルー力は本当に勉強になる。こうやってルクトを扱えば、きっと私も振り回されずに済むのかもしれない。
「なんで俺が」
「兄姉の誰もあんたと連絡取れないのよ?そう言うのって悲しいじゃない」
「俺は悲しくない」
「なら、ファミさん。私と…」
「お前は交換しなくていい」
私が遠慮がちにファミさんにカケラの交換をもちかけようとすると、ルクトが私の言葉を遮った。
「だって、交換しといた方が薬草が欲しくなった時に声をかけさせて貰えたりするんだし。なによりファミさん達はとっても良い人だし」
「そうよ。薬草が必要になったら是非声をかけて。この馬鹿と別れたとしても、シェニカちゃんとはお友達よ!」
「…俺が交換するから、お前は交換するな」
何かを諦めた様子なルクトがファミさんはカケラを交換すると、ファミさんは満足そうな笑顔を浮かべた。
チラリと見えたファミさんの繋ぎの結晶のカケラは、オレンジ色に赤く短い縦縞の模様が入っていた。
「じゃあこれでお別れね。ルクト、ちゃんとシェニカちゃんを守るのよ?」
「うるせぇな。言われなくても分かってる」
「シェニカ様、どうか道中お気をつけて。この先のアネシスまでの道は盗賊が多く出る場所です。
ルクトが居れば大丈夫と思いますが、人数を揃えて襲ってくるかもしれません」
「分かりました。ファミさん、ストラードさん。ありがとうございました」
ファミさんは近寄ると、私の耳元で小さな声で囁いた。
「シェニカちゃん、手のかかる弟だけど宜しくね。きっと兄姉もシェニカちゃんに会いたいと思うから、いつかドルトネアに会いに来てね」
「はい。機会があれば」
私達とファミさん達は、お互いの姿が見えなくなるまで歩きながら何度も振り返って手を振り合った。
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