天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第13.5章 神聖な場所の裏側

1.神殿の思惑

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ここはマードリア領の国境に近い街ラキニス。



マードリア領とギルキア領を繋ぐ関所近くにあるこの街では、マードリアで産出された金を取引する街の一つとして知られている。

ギルキアが隣国マードリアから金の取引をする時、マードリア領内のこの街と、ギルキア領内の国境沿いの街で交互に行われることになっていた。



今回の取引はラキニスで行われるため、ギルキアから2人の将軍が兵士を率いて金の取引を行う商人の護衛をしていた。


最近、ようやく中級兵士の仲間入りをした自分は、そんな護衛の一部隊の1人としてこの街を訪れた。







マードリアが取引のために訪れる者に用意している宿営地のある一室では、仲間達と談笑の時間が始まっていた。

金の取引は明日の予定なので、それまでは多少気を抜いた時間が過ごせる。本当に気を引き締めなければならないのは、実際に金の取引を行ってから本国の首都に辿り着くまでだ。






「おい、聞いたか?今、この街で『白い渡り鳥』様が治療院を開いているそうだ」


「ミルバザート様とバヌセ様が自信を持って挨拶に行ったけど、カケラの交換が出来なくて2人とも肩を落として帰ってきたそうだ」


和やかな時間が流れる部屋の中を、同僚の2人の兵士が笑いながら歩いてきて自分や仲間のいるテーブルの椅子に座った。





「イケメン将軍のミルバザート様と熟女キラーのバヌセ様がそんなんじゃ、その『白い渡り鳥』様はよっぽどの婆さんなんじゃないのか?」


「街の人の話だと随分若い女らしいぞ。確か、シェニカ様って言ってたっけなぁ」


「イルバ。お前行ってきたらどうだ?その『馬鹿の証』を消すチャンスだぞ」



同じテーブルに座っていた仲間達が、ニタニタと笑いながら自分を見てきた。その目が自分を馬鹿にしているのが嫌でも伝わってくるが、そういう視線にも慣れたから何とも思わない。





「お前は顔が恵まれてるのに、その『馬鹿の証』がある限り、まともな恋人なんて出来やしないぞ」


「まぁ、その方が娼婦達は喜ぶだろうけどな!あははは!」


「お前もそろそろ消しても良いんじゃないか?」



「そうだな。一度行ってみるよ」


酒は飲んでいないのに談笑の楽しい空気に酔っている仲間達の言葉に、とりあえずそう言って頷いておいた。







翌日。



街の中にある領主の別宅で、取引が行われた。

輸入する金の取引量も、支払う金額も事前に決まっていたが、いつもは金を積み込む荷馬車の台数には余裕を持って用意しているにも関わらず、商人が荷馬車の台数の計算を間違ったのか、荷馬車の台数が少ないという問題が出てきてしまった。

馬がひける重さのギリギリであったため、ラキニスの街にある貸馬屋で荷馬車を数台借りる羽目になってしまった。


トラブルを解決して無事に荷馬車に金を積み込み終わったのは、空が茜色に染まった頃だった。


本来なら昼前には取引も積み込みも終わり、すぐにギルキアに戻るはずだったが、帰国は1日延びて明日の昼になった。






「金の積み込みに随分手間取ったな」


「あぁ。こちらが用意する荷馬車の数を少なく計算して、民間の貸馬屋の世話になるなんて、大商人だけじゃなくてギルキアのメンツも丸潰れだな」



「そうだな。その大商人の末路を考えただけでも恐ろしい」



「イルバ?宿営地に戻らないのか?」


宿営地に戻ろうとしていた同僚の1人が、反対方向に歩き始めた自分に不思議そうに声をかけてきた。




「この時間だし、明日の朝に行けるように治療院の場所だけでも確認しに行ってくる」


「そうだな。それがいいな」



夕闇が落ちて魔力の光が通りを照らす中、街の人に聞いた治療院まで脇目も振らずに歩いた。




ーー随分と遅くなってしまった。もう治療院は終わってしまっただろうな。


大通り沿いのレストランや酒場から漏れる光と人混みを縫うように歩いていけば、ようやく治療院が見えてきた。






「まだ…開いている?」


普通、『白い渡り鳥』様の開く治療院は夕方より前に終わる事が多いのに、治療院の窓と開かれた玄関からは明かりが漏れている。



恐る恐る治療院の中に入ると、奥に続く部屋と待合室を繋ぐ開いた扉に、金髪の線の細い傭兵がもたれかかって立っていた。



「あ、治療ですか?」


「はい。まだ大丈夫でしょうか?」



確か『白い渡り鳥』様は傭兵か、軍出身の者を護衛にしている事が多いと聞いたことがあるが、この傭兵はあまりにも弱そうに見える。

護衛というよりも手伝いで雇われているのだろうか。




「大丈夫ですよ。こちらにどうぞ」



「失礼します」


傭兵の男に丁寧な仕草で促され、治療部屋に足を踏み入れると腰を折って入室の挨拶をした。




顔を上げると、そこには黒髪の、どことなく幼さを感じる女性が椅子に座っていた。

視線が合うと、緑の目を細めて微笑を浮かべた。



ーー随分若いが大丈夫だろうか。『白い渡り鳥』様しか与えられない額飾りを付けているから、能力は確かだと思うが不安だ。



それに護衛の者が弱そうな傭兵以外誰もいない。これで護衛は大丈夫なのだろうか?






「こちらにおかけ下さい。どこを治療をしましょうか」


「背中の怪我をお願いします」


「では、服を脱いで傷を見せて下さい」


言われた通りに軍服の上着と下に着ていたシャツを脱いで、座り直して背中を見せた。



背中には白魔道士では治せない酷い火傷の痕がある。
女性が見れば、思わず息を飲んで目をそらしたくなるような酷い火傷なのに、流石に色んな怪我を見慣れているからか『白い渡り鳥』様は平然とした様子だった。


傷の治療が始まると、背中が撫でられてくすぐったいような、気持ちが良いような不思議な感覚を感じた。







「はい、治療終わりました。違和感はないですか?」


「ありがとうございました。大丈夫です。違和感は全然ありません」


「随分と深い火傷でしたから、痛かったでしょう?」


今まで感じていた引き攣る感じがないことを確認し、服を着て『白い渡り鳥』様に向き直った。





「自分の不注意で出来た火傷だったんです。泥酔した仲間の喧嘩を止めようとしたら、逆に殴り飛ばされて…。飛ばされた先にちょうど松明の束があって、そこで背中を焼いてしまったんです。

騒然としたので喧嘩は止められたんですけど、周囲の者達からは『何の関係もないお前が大怪我して馬鹿だな』とか『背中の火傷は馬鹿の証』だとか言われてました。
でもこれでそんな過去とも決別出来ます」


引き攣る感覚と決別したかったからなのか、女性が聞き上手だからか、勝手に自分の口からそんなことを話していた。






「それはとんだ災難でしたね。でも、馬鹿の証じゃなくて、あの火傷の痕は身を呈して喧嘩を止めた勲章だと思いますけど」




ーー勲章?あの火傷が?


初めてそんなことを言われて、思わずあっけにとられてしまった。時間が止まったように口は半開きで、呼吸をするのも忘れたから、とても間抜けな顔をしていたと思う。


でもそれくらい衝撃的だった。



当時の上官でさえ、怪我の顛末を聞くと呆れ顔で溜息をつき、『そんなくだらない喧嘩など放っておけば良かったのだ。くだらない喧嘩を止めるためだけに、お前はその怪我をする必要があったのか?まさに馬鹿の証だな』と、そう言った。


まったくもってその通りだと思った。


泥酔した仲間の喧嘩を止めるために簡単には消えない火傷をしても、自分には何の得もなかった。
だからこそ背中の火傷は『馬鹿の証』。見るたびに溜息が溢れ、優しさやお節介など不要な物だと思った。


戦いに身を置く軍人として、例え仲間内でも、優しさなんてまず最初に捨てるべきだった。



そんな風に思ってきたのに、この女性は勲章なんて思うのか。



自分のあの時の行動が初めて恥ずべきことじゃなかったと言って貰えて、すごく嬉しかった。




「強い人同士の喧嘩を止めるのなんて大変ですけど、これからは喧嘩を止める時には怪我しないようにご注意下さいね」


そう言って、慈愛に満ちた優しい天使のような微笑を向けられた。





その瞬間。


自分の身体も思考も感情も呼吸も時間さえも。全て自分から切り離されて、彼女に余すところなく持って行かれた気がした。









「もしもーし。もう治療終わりましたよ~?カーラン。出口まで案内してあげて」


呆然と座ったまま立ち上がろうとしない自分は、あの弱そうな護衛の男に退出を促されるまで、不思議そうに首をかしげるシェニカ様の顔を見ていた。





シェニカ様のあの笑顔が脳裏に焼き付いて、纏まらない思考のまま宿営地に辿り着くと、雑魚寝の休憩部屋にあるテーブルの周りに同僚達が集まっていた。どうやらトランプをして遊んでいるらしい。



「イルバ、治療院の場所を確認するだけなのに随分遅かったな。さては女に声かけられて美味しく頂いてきたんだろ?」


「違う。治療して頂いた」


「治療って…。まさか、まだやってたのか?」


「あぁ」


テーブルの脇を通り過ぎようとした時、同僚の1人が自分の腕を掴んで心配そうな顔をしてこちらを見上げてきた。




「お前大丈夫か?なんかボーッとしてるけど」


「考え事だ」


冷たい床にゴザを引いただけの場所に横になって、治療院でのことを振り返ってみた。

幼さの残る顔が可愛らしく、会話してみると安心感を与えてくれる。護衛は1人だけのようだったけど、普段、彼とどんな会話をしているのだろうか。


色んなことを考えていると、治療は終わったというのに退出しなかったことは、とても失礼なことをしたと思い当たった。






非礼を詫びようと翌日の朝に治療院に行くと、治療院の扉はかたく閉ざされていた。

どうしたのだろうかと、ちょうど歩いてきた街の人に声をかけた。



「え?『白い渡り鳥』様?今朝、この街を発たれたよ」



「今朝…?」



「ここで1週間も治療して下さってて、昨日が最終日だったんだよ。
いやぁ、シェニカ先生は本当に良い方だったなぁ。のどかなセゼルご出身だからなのか、まだ19歳とお若いのに穏やかで優しい方で。また来て下さると良いねぇ」





ーーセゼルご出身の19歳…。


それからはもう寝ても覚めても、シェニカ様のことしか頭になかった。




毎日神殿新聞を見ては、名前とネームタグの個人番号しか載っていない情報を眺める。


現在地も滞在日数も、次の予定地もランクも何もかも空欄の情報を見ては、『はぁ』と深いため息をこぼす。


もっと。もっとシェニカ様の事が知りたいのに、何の情報も得られない。

新聞に記載されないということは、神殿に立ち寄っていないのだろうか。






目の前に広げていた神殿新聞に複数の影が差した。
誰なのかは顔を上げなくても分かるから、神殿新聞にあるシェニカ様のお名前だけを見つめていた。


「イルバ?お前、最近神殿新聞をやけに熱心に見るんだな」


「さてはお前、ラキニスで会った『白い渡り鳥』様に一目惚れしたんだろ」



「あぁ」


特に隠す気もないから短く肯定の返事を返すと、周囲にいた同僚達は困惑した空気を出し始めた。






「おい、お前ホントか?」


「あぁ」


「でも『白い渡り鳥』様なんて護衛といちゃついて、驕り高ぶって我儘だよなぁ。
お前、そういうのがタイプだったのか?」



シェニカ様の事を何にも知らないのに、知った様な口をきく同僚に苛立ちが一気に噴き出した。




「会ってもないのに知った口を聞くな。シェニカ様はそんな人じゃない」


「イルバ…」


無意識に滲んだ殺気に圧されて一歩後退りした同僚達は、ただ無言で自分を見ていたと思う。




それからの毎日も、頭の中にはやっぱりシェニカ様のことしかなかった。



シェニカ様に会うためにはどうしたら良いのか。

色々と調べてみると、将軍と副官は『白い渡り鳥』様が来たら直接お会いすることが出来ることが分かった。



訪問を待たなければならないが、お越しになった時には会話が出来るかもしれないし、ダンスの相手を務めることも、カケラの交換もできるかもしれない。





「シェニカ様…。お会いしたい」


具体的な目標が見えたことで、まずは副官になるべく必死に努力した。



といっても、現実はかなり難しかった。


戦争が起きていないギルキアでは、戦場がないから国境を隔てる柵に沿って見回りをしたり、関所の警備を強化したり、王族の護衛や街の整備、治安の維持くらいしかない。



平和なのは良いことだが、軍人としては手柄を立てる機会がないから、出世はあまり見込めず軍の士気は下がる一方だった。





そんな中でも地道に小さな実績を重ね、上官から信頼を受け、ようやく実力のある中級兵士しかいない副官の部隊で働けるところまで辿り着いた。




「ようイルバ。今度の御前演習に向けて鍛錬か?相変わらず熱心だなぁ」


下がり続ける士気の低下を止めようと、この数年、国王陛下や王族の御前で行う演習を開催するようになった。


演習と言っても、参加するのは軍部の人間だけで、一般人が観覧出来ないだけのコロシアムと同じルールだ。





そこで良い成績を残せば、副官になれる機会を得るかもしれない。

自分にとっては貴重な昇進の機会だった。






「あ~あ。軍にいてもこのままずっとペーペーなのかねぇ」


「御前演習で優勝すれば、副官になれるらしいぞ」



「優勝っても1人だけだろ?せめて上位入賞者くらいは副官昇進を約束してくれたら良いのになぁ」




そして御前演習の日を迎えた。出世の野心に燃えた者達がひしめく中、自分はなんとか上位に入賞は出来たものの優勝することは叶わなかった。












「イルバ」

ガックリとした気持ちで同僚達と鍛錬場で汗を流していると、上司の副官に呼び止められた。





「ミルバザート様がお呼びだ」



上司である副官の上官。声をかけられたこともないミルバザート将軍の呼び出しとは何だろうか。


失態をした記憶はないが、何か気に触れてしまったのかと戦々恐々として将軍の執務室の扉を叩いた。





「ミルバザート様。お呼びでしょうか」


初めて足を踏み入れる将軍の広い執務室は、ピリピリとした緊張感と重苦しい空気に満たされていた。

奥の方に置かれた机の前に座り、耳にかかるウェーブがかかったオレンジ色の髪をかきあげた将軍は、ただ座っているだけなのに威圧感がある。
美丈夫と名高いこの方が社交の場に行くと、数多の御令嬢がダンスの相手を取り合うらしい。




「イルバ。この前の演習、大義であった。優勝は逃したが、あの結果を見ればお前はもう副官としての実力はあると認めても良いだろう」


「ありがとうございます」


「だが、我が国は戦争の機会を失っているから、なかなか実力を対外的に認められる機会がない。
そこでお前に選択肢を与えたいと思う」




「選択肢…ですか?」




「いつになるか分からない副官への昇進を待つか、退役してアネシスの神官長補佐の職に就き、神官長の護衛と補佐業務を行うか。この2つの選択肢から選べ」


「アネシスの神官長補佐…ですか?軍人の私が、ですか?」




この場に呼ばれたのは、一体何のためなのか。
演習の結果を褒められたのは嬉しいが、退役して神殿に行くという選択肢を与えられるということは、自分は将軍の気を悪くして左遷されるということだろうか。






「ここ数年。国内のあちこちの神殿から、中級兵士クラスの者を退役させて神殿に紹介するように言ってきている。
こちらとしてもみすみす優秀な者を手放したくないから、今までは士気の下がっていたそれなりの者を紹介していた。

だが、今回は演習を見に来ていた国内の神官長達がお前を名指しで紹介を依頼して来た。
こちらとしても評価の高いお前を手放すのは不本意だが、神殿が口うるさく言ってきて抑えられん。


1か所だけ話をさせてやると言ったら、アネシスのドミーオ神官長がお前と交渉することになった。
仕事の内容は神官長の護衛、神官長の補佐業務は、今まで軍でやって来た内容と変わらないものだそうだ。
こちらのメンツを立てると思って、話だけは1度聞いてやれ。

実際、今の我が国では部下達に昇進の機会がないのは事実だ。どのような返事をするかは、お前次第だ」  




「神官長の護衛や補佐業務ならば、わざわざ軍出身の者に頼まなくても良いのでは…。なぜ軍出身の者を要求してくるのですか?」




「どこの神殿も派閥争いや覇権争いに勤しんでるからだろう。神官長の暗殺は流石にないが、失脚させるために謀略を計ったりと足を引っ張り合ってる。
神官長が自分の立場と身を守るために、実力と頭の働く補佐が欲しいということじゃないのか?

この後、神殿に行ってドミーオ神官長に直接聞くように」



言われた通りに神殿に向かい、豪華な白い門をくぐると、神殿の大きな扉の前にあるテラス席の1つに、神官服を着た数人の護衛を後ろに従えた老人が座って優雅にお茶をしていた。


自分がまだ距離のある場所に居るにも関わらず、真っ白な髪を三つ編みにして胸の方に垂らした老人はカップを置いて立ち上がった。
キラキラと光を反射する光沢のある白い布地で出来た神官服の胸元には、大きく赤い十字が描かれている。


見た目から位の高い者だと分かる落ち着いた佇まいから、この人が神官長なのだと直感出来た。


吸い寄せられるようにそちらに近付くと、老人は丁寧に腰を折って挨拶をした。






「はじめまして。私はアネシスの神殿で神官長を務めておりますドミーオです。
少しお話したいのですが、よろしいですか?」


「ええ」


「では、こちらにおかけ下さい」


神官長の前に座ると、護衛の男が茶を出してきた。神官長が手で下がるように合図をすると、護衛達は礼を取って見えない場所に下がっていった。


神殿に入る者が必ず通る場所に近いので人目につく場所だが、人払いがされているのか誰1人通らない。

遠くで響くのどかな鳥の囀りが聞き取れるほどの、静寂が広がっていた。






「イルバ様がアネシスの神殿に来て頂けた場合、神官長補佐という役職となります。階級は上から3番目。神殿にある居室をお使い頂きます。待遇は」


「待遇は後で聞くとして、具体的な仕事を教えて下さいますか?
護衛と補佐業務ならば、軍人でなくても務まるのではないかと思うのですが」


特に気にもしていない待遇の話よりも、なぜ自分を指名してきたのか、なぜ神官長の補佐を元軍人にさせようとするのか知りたい。

だから失礼を承知の上で、話の腰を折った。



非礼な態度にも関わらず、神官長は気にする様子もなく一口カップから優雅にお茶を飲んだ。



「普段は神官長である私の護衛と業務の補佐ですが、本当の仕事は『白い渡り鳥』様がアネシスにお越しになった時なのです」


「『白い渡り鳥』様が来た時が本当の仕事…?護衛ですか?」




予期していなかった『白い渡り鳥』様の言葉を聞いて、胸がザワザワと落ち着かなくなった。




「護衛の役目もありますが、1番にお願いしたいのは『白い渡り鳥』様の夫として旅に同行して頂きたいのです」




「『白い渡り鳥』様の夫?結婚相手は神殿が紹介するのですか?」



「人によってはご自身で見つけられた者を夫にする方もいらっしゃいますが、ほとんどの『白い渡り鳥』様の配偶者は神殿が紹介しているのです」



「でもアネシスの神殿だけが紹介しているわけではないでしょう?」




「ええ。もちろんです。我々が直面している危機からお話しましょう。


一昔までは世襲的に『白い渡り鳥』様になれる方が多かったのですが、この数十年はそれがなくなってきてしまっているのです。
このままでは『白い渡り鳥』様になれる者が居なくなってしまうのではないかと、世界中の神殿が危機感を覚えています。
その原因は何かと色々と調査してみると、『白い渡り鳥』様が護衛に雇った傭兵と結婚し、その子供が白魔法の適性があまり高くないために、世襲出来ていないことが分かったのです。


もちろん親が『白い渡り鳥』様であっても、必ずしも子も『白い渡り鳥』になれるほどの適性があるとは限りません。
ただし、両親の能力を受け継ぐ可能性は高く、黒魔法の適性の高い方と『白い渡り鳥』様との間に生まれた子はどちらかの能力が高くなる傾向があります。
なのに両親が『白い渡り鳥』様である子は、なぜか中途半端な能力になってしまうのが不思議ですけどね。


その事実に気付いてからは、『白い渡り鳥』様には神殿から用意した者を護衛兼配偶者として紹介することになりました。


ですが『白い渡り鳥』様に紹介したい黒魔法の能力の高い者を探してみても、殆どが軍の高い地位に就いています。そこで神殿から軍の方に『能力が高いのに昇進の機会に恵まれていない方を紹介してもらえないか』と声をかけさせて頂いているのです。


そしてそれは世界中どの神殿でも同じ。より優秀な者を『白い渡り鳥』様に紹介出来るように、各地の神殿がしのぎを削っているわけです」




神官長は机の上で両手を組み、溜息を何度も零しながら言い聞かせるようにゆっくりと話をした。





「神官長様が仰りたいことは分かりました。ですが、私はお断りします」



シェニカ様に焦がれる自分には魅力的な話ではあるが、自分が思い描く相手は『白い渡り鳥』様の中でもシェニカ様ただ1人だ。

シェニカ様以外の『白い渡り鳥』様との結婚など考えていないし、自分の気持ちが利用されるのは気分が良くない。






「このままイルバ様のような優秀な方が昇進の機会に恵まれず、軍の中で埋もれていくのはもったいないことだと思いませんか?


それになにより。イルバ様はシェニカ・ヒジェイト様に恋い焦がれていらっしゃるとか。

神殿に来て頂ければ、軍にいても手に入らないシェニカ様の詳細な情報を提供いたしましょう。
そして、本当ならば、いつ来て下さるか分からない『白い渡り鳥』様ですから、結婚相手となる『白い渡り鳥』様を特定することはしません。
ですが、イルバ様ならば相手をシェニカ様に限定しましょう。いかがですかな?」




ーーシェニカ様の詳細な情報だけじゃなく、シェニカ様の結婚相手として紹介して貰える…。



ドミーオ神官長の言葉は、シェニカ様に恋い焦がれていた自分にはとても甘美な物だった。



ふと視線を目の前に置かれた紅茶に向けると、自分の顔が映っている。

その顔が、シェニカ様のあの微笑に変わった気がした。






シェニカ様に会いたい。お話したい。綺麗な黒髪の一筋でも良いから触れてみたい。
一緒に旅に同行したい。夫となってシェニカ様を守りながら幸せにしたい。



胸の奥底に閉じ込めていたシェニカ様への大きな気持ちが、洪水のように溢れ出してきて、頭の中はまたシェニカ様のことでいっぱいになった。



「……その条件を飲みましょう。ですが、こちらもはっきり言っておきます。
私が神殿に行くのは、貴方がたの思惑のためではなく、あくまで私自身のためです」



「それで結構ですよ。それくらい言って頂いた方が良いですな。だからこそ、各地の神殿がイルバ様に声をかけさせて頂いたのです。

資料によれば、シェニカ様はとても慎重で用心深い人らしいので、下心しかない状態では気にも留めて下さらないでしょうが、貴方のような一途な気持ちは、他の男どもとは違ってシェニカ様の心に届くことでしょう」




それから自分はすぐに軍を退役し、ドミーオ神官長と共にギルキアの最北にある街アネシスへと向かった。








ーーーーーーーーー





アネシスの神殿に到着してからは、今までの生活とは違う毎日が始まった。


時間をみつけては神殿にいる護衛の者達と鍛錬に励み、神官長の補佐兼護衛として出張先や来客の場に同席する。



今まで軍にいた時よりも時間は遅く流れ、退屈になった。

日中はまだ仕事があるから良い。全ての業務を終えた夜の時間が苦痛で仕方がなかった。


自分の部下になった護衛の男達に聞けば、飲みに行ったり、巫女を口説いてみたり、娼館に行ったりして遊ぶらしいが、そんな気も起きない。








「イルバ」


神殿内の片隅に与えられた私室にいると、扉をノックする音と静かな神官長の声が聞こえた。






「はい。何でしょうか」




「お前が欲しがっていたものだ。心行くまで読むと良い」


神官長が後ろに控えさせた神官に目配せし、何重にも渡って紐で封をされた小さな木箱を自分に渡させると静かに去って行った。






何が入っているのかと不思議に思いながら机の上に木箱を置いて、厳重に閉められている紐を解いて蓋を開けると、そこには大量の書類が入っていた。





「『経歴書』…?こっちは『旅の足跡』?」


何なのだろうかと思いながら『経歴書』と題された書類を巡ってみた。





その内容に目を見開いて固まった。






「シェニカ・ヒジェイト。セゼル領ダーファスの出身。もしかしてこれはシェニカ様の情報…!?」




慌てて全ての書類をめくってみると、そこにはシェニカ様に関する事が書いてあった。




それからは夜を徹して書類を読み耽った。

シェニカ様の1番古い資料は、シェニカ様が『白い渡り鳥』として18歳で旅立ち、祖国セゼルを出てから。


シェニカ様の今までのことが書かれている『経歴書』には、神殿に進学する前まで通った学校の名前、親の名前と職業、兄弟の有無、仲の良かった友人の名前と現在の職業などのどれも客観的な事実ばかりで、当時のシェニカ様が分かる話などは何1つ書かれていなかった。


その中で目を引いたのが、シェニカ様の護衛の変遷だった。


護衛についても調査されているらしく、雇った護衛の人数や護衛の名前、傭兵のランク、傭兵の今までの活躍のエピソードやシェニカ様との関わり方などが書いてあった。


自分と初めて出会った時に連れていた護衛のページを見ると、あれから数ヶ月後に金髪の護衛から別の護衛に変わったらしいが、次の護衛については情報が一切書かれていなかった。



かと思えば、その後に別の護衛を雇ったようだが、数ヶ月でシェニカ様の元を去ったらしい。

そして今でも護衛をしている新しい男は、最初こそ得体の知れない金髪の傭兵だったが、時間が経つと軍人なら何度も耳にする忌々しい傭兵『赤い悪魔』と判明した。



この『赤い悪魔』は、戦場ではたかだか傭兵なのに無謀に副官や将軍相手に喧嘩を売る、自分の力を過信した傲慢な命知らずとして有名だ。


傭兵同士でつるむこともない一匹狼の男なのに、『赤い悪魔』は随分と真面目に護衛をしているらしく、あの殺気立った目で睨みを利かせ、他者を寄せ付けないらしい。




おかげで神殿が用意した自分と同じ目的の男は近付けず、遠巻きに2人を見るしかなかった。

シェニカ様に対しては、今まで他の『白い渡り鳥』様に贈っていたような元軍人では力が及ばない結果となり、神殿は頭を抱えたらしい。





シェニカ様はいつ来てくださるか分からない方であるため、チャンスを逃せない神殿は別の護衛になるのを待つということが出来ない。

となると『赤い悪魔』を排除するしかないが、それが出来るのは男と同じランクSSの傭兵の中でも上位にいる傭兵か、副官以上の実力のある軍人。



傭兵と結婚したせいで『白い渡り鳥』様の数が減ったと考えている神殿は、どんなに実力があっても傭兵を雇うことはないし、大事な『白い渡り鳥』様に紹介することなどしない。

そうなると軍人を紹介するしかないが、副官以上となると退役しても簡単には越境が出来ない。



となると神殿に都合がいいのは、実力は副官と同等なのに役職についていない者。






「はぁ。だから自分に声がかけられたのか」


木箱に読み終えた書類を戻すと、ベッドに腰掛けて溜息をついた。






ーーーーーーーーー





神殿での生活も随分と慣れた頃。


神官長への来客の対応を終え、神殿の礼拝所に向かう静かな廊下を神官長と共に歩いていると、向かいの廊下を走り回るふくよかな少年が居た。




「こらリュー。神殿内でも外でも走り回ってはいけないよ」


「どーして?オレはエライのに?」



ここは神殿内であり、孤児院ではない。神殿では子供の養育は行っていないはずなのに、なぜここに子供がいるのだろう。


それに、世話をしているらしい神官に対して尊大な態度を取っても怒られない。




「あの子は…?」



「あの子は『白い渡り鳥』のナージェベルカ・ベベリア様の子供だ」



思わず零した言葉に、ゆっくりとした足取りで前を歩いていた神官長が答えをくれた。





「『白い渡り鳥』様の子供…。神殿で育てるのですか?」



子供は両親の元で養育するものだが、旅が使命の『白い渡り鳥』様の場合はどうなるのだろうか。

普通なら配偶者に託すか、どちらかの実家に預けそうなものだが…。




「ナージェベルカ様のご出身は南のユードルゼ。あの子の父親は私が紹介した我が国出身の元軍人だ。あの子はこの地で生まれたが、2人は旅立ったから神殿で養育しているのだ。

まだ能力は分からんが、両親は優秀な者同士なのだからあの子もきっと優秀に違いない。
10歳になって能力が分かるようになったら、ギルキアに優秀な人材が生まれたと分かるだろう。その時が楽しみで仕方ないな。」



神官長はそこで話を区切ると、自分を満足気に見上げてきた。



「あの子の父親よりお前の方が能力は高いのだ。お前にも是非シェニカ様との間に子を成して貰わねばな。
あぁ。シェニカ様はいつこの地に来て下さるだろうか」


また先を歩き始めた神官長の後ろを追いながら、廊下の窓の外に広がるどんよりとした雲を見た。




ーーシェニカ様がこの地に来てくださったら、自分はシェニカ様に受け入れて貰えるだろうか。

神官長の話によれば、『白い渡り鳥』様は自分の好みに合う者であれば快く連れて行ってくれるらしい。
人数が多くなれば護衛同士で腕試しをして、強い者だけが同行を許される。腕試しで負けてしまっても『白い渡り鳥』様から特別の寵愛を得ていれば、特別に同行を許可されるそうだ。





シェニカ様に関する書類を見る限り、今連れている『赤い悪魔』とは随分親しい関係らしいが、それはシェニカ様の好みの者だから長く同行を許しているのだろう。



シェニカ様は『赤い悪魔』のどこが好みなのだろうか。




前の護衛は線の細い弱そうな男だったが、体格や強さなどは関係ないのだろうか。

共通点を探そうと書類を見返していると、全員に当てはまるわけではないが、今まで護衛を務めた5人のうち2人は金髪だった。



金髪が好きなのだろうか。でも『赤い悪魔』は髪を赤く染めている。


自分の髪を一房取ってみれば、どこをどう見ても暗い赤色の髪だ。そのことに少し落胆した。




長い廊下を歩き、神殿の奥にある神官長の執務室に入ると、いつもなら下がるように言う神官長が、部屋の真ん中にあるソファーに座るように手で促した。


向かい合うように座ると、神官長はテーブルの上に置かれた呼び鈴を鳴らした。
するとすぐに巫女がお茶を持って部屋に入ってきた。


神官長が好んで飲んでいる蜂蜜入りのジンジャーティーは、自分には少し甘ったるい。

だが、文句を言うことは許されないので、今回も静かに口に含んだ。




お茶を飲んで一息ついた神官長は、部屋の見えない位置に控えさせている暗部の者達にも下がるように手で合図を送った。



元々軍人だった神官長は、気配を読むのにも長けている。誰も居なくなったことを確認するとソファーの背もたれに浅く寄りかかった。



「イルバ。我々の目的は3つだ。1つは将来、シェニカ様が引退なさった時に身を寄せて頂く場所に選ばれること。
2つ目はシェニカ様の夫となり子を作ること。
3つ目はシェニカ様をこちらの良いように操作することだ。

お前が夫でなくてもシェニカ様が生んだ子の父親ならば、リューの様にこの地の神殿で預かる事が出来る。
だが、夫となっていた方が将来この神殿を選んで貰える可能性が高くなる上に、シェニカ様を操作しやすい。だからまずは愛人の1人としてスタートしていいが、最終的には夫になるようにするのだ」





「操作?強制催眠などシェニカ様には効かないのに?」




「強制催眠ではなく、お前がシェニカ様を言いくるめれば良い。そのためには確かな信頼関係がなければ話にならん。

どの護衛の男も『白い渡り鳥』様をそうやって自分に有利に働く様に誘導しているのだ。
他の者に負けぬ様に常に信頼関係を強固なものにし、他の男を遠ざけよ。そしてシェニカ様の行く先、やることはお前が支配し、この神殿が発言権を持てるように努力するのだ」




ーーミルバザート様が言っていたように、どの神殿も権力争いに余念がない。一般的には『神殿は神聖な場所』とか『救いの手を担う場所』とか言っているが、その裏でやっていること、画策しようとしている内容は随分なものだ。



『白い渡り鳥』様を上手く言いくるめ、この神殿が指定する場所に行かせることで、この神殿の発言力を高めるつもりなんだろう。



神殿同士の覇権争いは自分達だけでやればいいのに、『白い渡り鳥』様すら利用するその姿勢に嫌気がさす。
自分の気持ちも、自分にとって大事な想い人のシェニカ様も利用しようとするのはとても腹立たしい。


自分は神殿のためにシェニカ様に近付きたいわけじゃない。協力しているのは『自分自身のためだけで、神殿のためではない』と言ったのを忘れているようだ。









「今までの例から、夫になるには大まかに2つの方法がある」



「2つ?」



「1つは力で捩じ伏せるやり方だ。ナージェベルカ様にも当時傭兵の夫がいたが、こちらが紹介した者に暗殺させた。
その結果、悲嘆に暮れるナージェベルカ様に取り入ることに成功し、無事に夫となりリューが生まれた。

副官と同等の実力があるお前ならば、『赤い悪魔』を暗殺出来るだろう」



神官長は満足そうに顎を撫で摩りながら、嬉しそうに目を細めた。






「……もう1つは?」





「もう1つは時間がかかるやり方ではあるが、寵愛で勝ち取るやり方だ。

シェニカ様が夫を選んでも、各地の神殿からは護衛という名目の男が送られ続ける。
他の護衛や夫を暗殺せず、お前とシェニカ様の間で時間をかけて信頼関係を築いてまずは愛人になり、最終的に夫になるのだ。

通常、女性の『白い渡り鳥』様が身籠った場合には、夫もしくは父親以外の男は全て元の神殿に戻されるが、信頼関係が確かなものならばそうなった時も側に侍る事が出来る。

他の男が新たな夫になるべく蹴落し合いをする中で愛人として長く生き残り、最終的に夫になる。一度夫になってしまえば、信頼関係が強いから他の男が入る隙がなくなるというわけだ」




神官長は長い話を終えると、また鈴を鳴らしておかわりの蜂蜜入りのジンジャーティーを持って来させた。





ティーカップから立ち上る湯気を見ながら、自分が取るべき選択肢を整理した。

神官長の持つティーカップがカチャリと置かれたのを確認して口を開いた。




「では私は後者のやり方を選びます」




「なぜだ?暗殺してしまえば早く事が運べるというのに」




「資料を見る限り、シェニカ様は神官長様が考えているよりも、ずっと賢く用心深い方だと思います。護衛を暗殺して次の護衛になれたとしても、シェニカ様はそう簡単には気を許さないのではないでしょうか。

どんな方法をとっても時間はかかるはずです。ならば私は後者を選びます」




「具体的なやり方はお前に任せるが、最後に笑うのは我々であればいい。そこを忘れないように。

それもこれも、まずはシェニカ様にこの地に来て頂かなければ。
他の『白い渡り鳥』様ならば、必ず神殿に立ち寄って頂けるから予定も把握出来るのに、シェニカ様に至っては神殿に立ち寄って下さらないし、折角入国しても首都に寄らず、街道沿いの街や小さな村に立ち寄って出国してしまうこともある。
神出鬼没でどこに立ち寄るかは全くもって予想出来ん。


幸運にも立ち寄って頂いても、シェニカ様に護衛として同行を許して貰わねば話にならぬからなぁ。
他の神殿もシェニカ様の頑なさと、護衛の『赤い悪魔』には頭を抱えておる。
この地に来て頂いた時には、なんとか上手く事を運べ」



「努力します」



甘ったるいジンジャーティーを一気に飲み干して神官長の部屋を出ると、胸の中に渦巻く色んな感情を発散すべく鍛錬場へと向かった。


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