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第13章 北への旅路
13.吹雪の中の来訪者
しおりを挟む翌日の早朝。
静かな雪がゆっくりと舞い落ちる中、アネシスを出ると誰もいないアビテードへと向かう街道を歩き始めた。
まっすぐ伸びる街道も、その脇に広がる森の木も、雪が降り積もって真っ白なのはなんとなく物寂しい気もするが、俺達だけの無垢な新しい門出のような気がして新鮮だった。
「流石にアビテードが近くなってくると、雪がすごいね」
「足元には注意して歩けよ」
シェニカは足首辺りまで積もっている雪を蹴飛ばしたり、手袋をはめた手で雪を掬ってみたりと楽しそうに歩いている。
音といえば、たまに吹き抜ける木々に積もった雪が舞い落ちるくらいのビュウビュウと鳴る強い風の音くらいで、鳥の鳴き声も人の声もしないシンとした静寂に包まれているから、シェニカのはしゃぐ声は周囲によく響く。
「ねぇねぇ。誰もいないから、手、繋いでも良い?」
「そうだな。『誰もいない』から、な」
互いに手袋をはめているが、手を繋げば暖かい体温がじんわりと伝わってくる。シェニカは嬉しそうに笑って、俺に身を寄せてきた。
シェニカは気配を読むのが苦手だから気付いていないが、俺達がアネシスを出てから尾けてくる1つの気配があった。
そいつは俺達が歩いている街道を歩かず、街道脇に広がる雪が積もった木の影を移動している。
俺達が立ち止まると、そいつは見えない後方にある木の影で立ち止まる。
気配を上手く殺しているようだが、雪で移動しにくい環境だし、周囲に音はないし、動物の気配すら感じないこの状況では、ちょっとした動作に少しの粗が目立ってしまう。
今のところ尾行してくるだけだが、ジナエの孤児院に居たあの少女の父親のように、シェニカを奪うために俺を暗殺しに来たのだろうか。
相手の出方に注意しながら街道を進んでいると、次第に立ち止まってしまうような強い風が吹くようになってきた。
「う~!寒い!風強い!!」
「もう少し先に旅人小屋があるみたいだから、そこまで頑張れ」
前に進むのが辛く感じるような強い風に阻まれると、街道脇の木の陰で身を寄せ合う。しばらくそうして凌いでいると、必ず風が落ち着くことが分かった。どうやら山から吹き下ろす風に規則性があるらしい。
風が止んだ隙に早足で前進していると、被っているフードに雪が積もって重くなる頃に旅人小屋に辿り着いた。
「今日はこの小屋で休むか」
アネシスに向かう途中で利用したロッジ風の旅人小屋と見た目はほとんど変わらないが、雪が降り積もる場所だからか馬小屋と薪を保管する小屋がついていた。
「うん、そうしましょ。やっぱり北に行くと、どんどん雪も凄くなってくるね」
まだ夕方前の時刻でも、空には黒が滲む灰色の雲が覆っていて随分と暗くなってきた。
アネシスに居た時も日が暮れるのは早いと感じたが、ここはそれ以上に早く暗くなる。これから先はあまり無理せずに移動した方が良さそうだ。
「う~。寒い寒い!早く部屋が暖まらないかなぁ」
小屋に入ると、シェニカは雪のついたコートを着たまま、真っ先に暖炉に駆け寄って魔法で火をつけた。
コートを脱いで雪を払い落としながら小屋の中を見渡せば、木製の4人掛けのテーブルセット、ミニキッチン、広めの風呂とトイレがあり、寒さ対策のためにガラス窓は2重になっている。
人が使った形跡はほとんどなかったが、雪の降らない時に誰かが掃除や準備をしていたらしく、大量の薪や布団、寝袋が置いてあってきちんと使える状態だった。
「エアロスには負けるけど、私がご飯作るね」
シェニカがキッチンで料理をしている間、俺は分厚いカーテンを開けて窓の外を見た。暗闇が下り始めると、小屋の中に灯した魔力の光に照らされた白い世界が幻想的に見える。
外は相変わらず強い風が吹いたり止んだりしている悪天候だが、小屋に入る時よりも本格的な吹雪になっている。
尾行してくる奴の気配は外にあるままで、小屋から少し離れた場所にあって動かない。吹雪の中でもずっと俺達を尾行してくるのだろうか。
「お待たせ!ご飯出来たよ」
アネシスで買った干し肉や日持ちするように燻製した野菜を使ったスープは、香ばしい燻製の風味とコンソメの味で美味かった。
「やっぱりあったかい食べ物は美味しいね」
「そうだな」
「エアロスの作ってくれるご飯の方が断然美味しいんだよなぁ。やっぱりスパイスとかにこだわらないとダメなのかな?」
「今度会った時、コツを聞いてみたらどうだ」
エアロスは腹の立つ奴だが、料理の腕前は文句なかった。シェニカの料理も美味しいが、やっぱり使っているスパイスに違いがあるのかひと味足らない感じがする。
でも間違っても、もうあの激辛唐辛子パウダーはゴメンだ。
食事を終えて暖炉に薪をくべていると、シェニカが俺の隣に座った。
「ねぇねぇ。ルクトのお兄さんやお姉さん達の話、聞かせてよ」
「聞かなくて良い」
「どうして?仲良くないの?他の人は知らないけど、ファミさん良い人なのに…」
「お前は知らなくていい」
俺が短くそう言うとシェニカは悲しそうな顔をしたが、言いたくないものは言いたくない。
「私は一人っ子だからずっと兄妹が欲しかったんだ。ルクトのこともっと知りたいから、兄姉のことそのうち教えてね?」
シェニカが兄妹に憧れるのは分からなくもないが、血の繋がりなんて邪魔だし、足枷にしかならないことだってある。
俺にとっては『血の繋がりは水より薄い』ものでしかない。
「気が向いたら、な」
そんな日が来ることなんてないだろうと思いながらも、そう返事をしておいた。
ーーコンコンコン。
俺達の間で沈黙が下りた時、小屋の扉がノックされた。
外にいる奴はそのまま動いていないことを確認して、扉の先の気配を読めば見知った気配であることに驚いた。街から離れたこの場所まで、悪天候のなか追いかけてきたというのだろうか。
「ルクト…」
「大丈夫だ。俺が出るから後ろにいろ」
俺が小屋の中に張られた結界から出ないように扉を開けると、息を呑むような冷気が部屋の中に押し寄せてきた。
その寒さの原因になった来訪者を睨みつけながら迎えれば、赤銅色の頭に白い雪を乗せたイルバが立ち、その後ろには黒毛の馬が白い息を吐きながら待たされていた。
「シェニカ様にお会いしたいのですが」
「イルバ様?どうしてここに?」
後ろにいたシェニカが俺の脇から少しだけ顔を出すと、シェニカの顔を見たからなのか、寒さで強張っていたイルバの顔が一気に嬉しそうにほころんだ。
「シェニカ様にお渡ししたいものがあったんです」
「渡したいもの…?」
「もし良ければ中に入れて頂けませんか?外は吹雪になってきた上に寒くて…」
改めて周囲を見てみれば、大粒の雪が風に流されて視界が悪い吹雪になっていた。寒さも厳しい上に視界も悪いという悪条件の中を馬で駆けてきたらしい。
そうまでしたい渡したいものとは何なのだろうか。
「あ…」
シェニカは俺を不安そうに見上げたが、入れていいと首を縦に振った。
こいつは恋情を隠すことはしないが、シェニカに嫌われたくないのか、しつこく言い寄ることはなく俺に対して突っかかってくることもない。
実力から考えれば注意しなければならない相手だが、俺がシェニカの側に張り付いた上に、距離を取らせておけば部屋に入れても大丈夫のはずだ。
「では、お入り下さい。馬は横にある馬小屋にどうぞ」
馬は旅人小屋の横にある馬小屋に入れ、イルバを室内に招き入れた。
「渡したい物とは何でしょうか?」
警戒しているシェニカは、部屋の中央にあるテーブルに案内することなく玄関先で話し始めた。
イルバがコートを脱いでを雪を払えば、白いコートだが街で見た神殿のコートじゃないし、前は護衛用の神官服を着ていたのに今は黒い旅装束姿だった。
「孤児院の子供達がシェニカ様に『親愛の鈴』を作ったのです。生憎と旅立つ日に間に合いませんでしたので、私がこうしてお届けに参りました」
イルバはシェニカに近付くと、手を取って何かを渡した。
「これは……私?」
「普通ならばデザインが異なる人形を作るのですが、子供たちが是非にと望んでシェニカ様の人形を2体作りました。
シェニカ様の姿をしたもう1体の人形は、ドゥテニーが常に持ち歩いて孤児院に持っていくそうです」
シェニカが見つめるのは、肩より少し長い場所まで伸びる黒い毛糸の髪、白いボンボンがついた赤いコートを着た、目を閉じて黒い鈴を抱きしめた人形だった。
シェニカを模したものだろうとすぐ分かるその人形を、シェニカは大事そうに抱きしめてイルバに心から嬉しそうな笑顔を見せた。
「孤児院の子供達から貰えるなんて嬉しいです。イルバ様、わざわざ持ってきて下さってありがとうございます」
本当ならシェニカの笑顔なんて絶対に見せたくない表情だが、こいつは孤児院で楽しそうに遊んでいたし、欲しがっていた『親愛の鈴』をガキ供から貰えば、心底喜ぶのも仕方のないことだろう。
だからシェニカの嬉しそうな笑顔をガキ供やドゥテニーが見るならまだ分かるが、届けただけのこいつに見せるのは物凄く腹が立つ。その表情に触発されたこいつが、何かするんじゃなかろうかと気が気じゃない。
相変わらずの鈍さでイルバの気持ちなんて気付いてもいないシェニカは、その笑顔を見たイルバが余計に嬉しそうにウットリとした表情になっているのにも全く気付いていないらしい。その無防備な様子に自然と溜息が漏れた。
「もう用は済んだだろ。街に戻れ」
シェニカに恋い焦がれたこいつは、長居させればシェニカに接近しようとしてくるかもしれないから、用事が済めばさっさと帰ってもらいたい。
「そうしたいところですが、外の吹雪はまだ激しいままですから、風が落ち着くまでここに居させて貰えませんか?吹雪で視界が悪い中、馬を走らせるのは少々危険なんです」
こいつの視線の先にある窓を見れば、外の世界はさっきよりも風が激しくなっていた。
「じゃあ、吹雪が収まるまで居て下さい。あ、お茶淹れますね。どうぞおかけ下さい」
ガキ供からの『親愛の鈴』を貰ったことで警戒心が低くなったのか、シェニカはそう言って茶を淹れた。
テーブルに向かい合うように腰掛けると、イルバは大事にカップを手にとって、嬉しそうにシェニカの淹れた茶を飲んだ。
「先程お渡したお守りは、8つの孤児院の子供達が是非にと1針1針交代して縫ったんです」
「大変だったでしょうね。とっても嬉しいです」
シェニカはテーブルの上に置いた人形を大事そうに撫でたり、黒い鈴を指でつついたりして穏やかに微笑んだ。
そういう表情をする度に、向かいに座るイルバは嬉しそうに青い目を細めて穏やかに見ている。
「シェニカ様の故郷でも、このようなお守りはありますか?」
「ないですね。この街で初めて見ました」
「シェニカ様はセゼルのご出身でしたよね。セゼルには旅の無事を祈ったりする時は、神殿で祈りを捧げるのでしょうか?」
「旅の無事を祈る時は、その人の誕生樹に向かって祈るんです」
「誕生樹?」
「ええ、誕生樹というのは…」
シェニカが喋ろうとした時、外にある薪を保管する小屋辺りからガタリという大きな音がした。
気配を探れば、どうやら俺達を尾行していた奴がそこにいるようだ。ここに来て気配を隠すことは止めたらしい。
「外に誰かいるようですね」
「元軍人ならお前が行けよ」
「外の者は私が来た時には居ましたから、貴方かシェニカ様が目当て。ならば護衛の貴方が相手をするのが筋でしょう」
こいつの言うことは最もだが、この殺気は街で神官長と対峙した時に感じた奴と同じだし、状況から考えればこいつと外の奴はグルだろう。
いつまでも尾行されるのは迷惑だし、ここで相手にしてやった方が俺もこの先余計な気を使う必要が無くなるのは都合がいい。
こいつとシェニカを2人きりにするのは嫌で仕方がないが、外の奴をさっさと片付けてここに戻るしかない。
「自分の周辺だけに結界を張れ。外の奴とグルだから、こいつを信用するな」
「分かった」
シェニカにそう耳打ちし、椅子を窓の前に持ってきたシェニカが結界を張ったのを確認すると、俺はコートを羽織って小屋の外に出た。扉を閉める前に見たイルバは、相変わらずシェニカをウットリした表情で見ていた。
フードを被って気配の方へと歩いていけば、シェニカが見ている小屋の窓から漏れる光の範囲以外は真っ暗闇で、吹雪はまだ収まっていないし、降り積もっている白い雪も暗闇の中では色が分からない。
顔を刺すような冷たい風と温度が、温まっていた体温をどんどん奪って行く。
「俺に何か用か」
窓の方向ではあるが、小屋からの光が届かない場所にそいつは静かに立っていた。
俺の問いかけにもそいつは何も答えない。暗くて顔も身体も見えず、気配しか感じないが殺気を研ぎ澄まして俺を睨みつけているのが分かる。
「俺を殺してイルバがシェニカを奪う予定か?」
そいつは暗闇の中にも関わらず、雪を踏みしめる足音を最小限にして一気に駆け寄り、細い剣で俺の首を的確に狙って突いてきた。
俺は横に避けた瞬間に抜いた剣でそいつのいた場所を薙ぎ払ったが、やはり身軽らしく素早く避けられた。
俺の問いかけにも無言の返事をし、避けられるのが分かっていながらも何度も喉や心臓といった急所を短剣で狙ってくる。近付いた時に攻撃しようとすると、エアロスのように身軽に避けるからイライラしてくる。
攻撃を避ける度にどんどん小屋から遠くなっていくが、吹雪の風とは別の激しい風の動きが出たから男は風の魔法を発動させたらしい。
俺が炎の魔法を身体に纏わせると、その炎に照らされたそいつの全身の姿が見えた。
暗殺者のような顔の半分を覆う黒い頭巾を被った男は、全身を真っ黒のスーツのようなピッタリと覆い隠す服を着ていた。
そんな薄い服で、こんな吹雪に見舞われた環境を耐えられるのか不思議なくらいだ。
「殺気だけは1人前だが、暗殺の仕方は稚拙だし暗殺者としては随分弱いんだな」
見た感じとチマチマした戦いのやり方から、暗殺者としてはあまり強くない。強さから言えば文句なしにイルバの方が強い。
弱い奴だから俺の挑発する問いかけにも反応するかと思ったが、返事を返すことも表情が変化することもなかった。
俺が身体に纏わり付かせた炎を地面から這うように一気に男に放つと、男も自分の身体の周りに渦巻いていた風をこちらに向けて放ってきた。
風に乗せた相手の魔力は俺より多いらしく、俺の炎は風に押されて火の粉を散らせて行く。
その強い風が周囲の吹雪をさらに悪化させ、降ってきた雪と地面に降り積もっていた雪を激しく巻き上げている。互いの力がぶつかった地面から俺の足元まで、炎の熱で溶けた雪が水になって徐々にぬかるみになっていった。
互いに魔力を流し込んで力の押し合いをしていたが、相手は後先考えないのか、魔力量が多いからなのか、かなりの魔力を使って炎を押している。
次第に俺の放つ炎が派手に散らされ、自分の顔の辺りの高さに鋭いキリのような形をした風が激しく回転しながら目の前まで迫ってきた。
炎に魔力を流し込むのをやめて目前に迫るキリのような攻撃をしゃがんで避け、鋭く空気を裂く音を頭上で聞きながら地面に手を当てて呪文を紡いだ。
炎が消えて再び暗闇に包まれて周囲は見えないが、こちらに足音を忍ばせながら小走りで近付いてくる気配を感じた。
立ち上がって剣で男の一撃を受け止めると、暗闇にその目がギラリと光ったような気がした。
剣を受けたまま片足でトンと地面を鳴らすと、暗闇で見えないが地面に広がっていた溶けた雪の水たまりが一気に男の足元に集まって、身体を泥水が拘束するように巻き付きながら一気にせり上がったはずだ。
男の剣が微かに揺れたのを感じた瞬間、大きく後ろに跳びながら初級の氷の魔法を男に向かって放つと、男の気配は微動だにしなくなった。
「お前を相手にしてる暇はねぇんだよ。そこで大人しくしてろ」
剣を収めて魔力の光で照らすと、予想通りに腕の一部と足元から胸までを氷漬けにされ、剣を振り下ろした状態で固まった男が顔を歪めて俺を睨んでいた。
俺は氷漬けにされた男を放ったらかして小屋へと走り、静かに扉を開けると2人の声が聞こえてきた。
風が収まって静かになったからか、僅かな隙間から聞こえてきた会話の内容に思わず扉を開ける手を止めた。
「イルバ様の気持ちは正直嬉しいですが、私は彼以外の護衛も恋人も考えられません。イルバ様は素敵な方ですから、私なんかよりももっと素敵な女性が居ますよ」
「シェニカ様は本当に彼が1番なんですね。例え彼との仲を邪魔しなくても。2番でも3番でも良いと思っても、余程のことがなければ2人の間に割って入るなど出来ないのでしょうね。
正直言えば諦められませんが、きっとここで引かなければ最後まで私の印象は悪いままで終わってしまうのでしょうね…。
ですがこれだけは言わせて下さい。私のシェニカ様を好きだと思う気持ちも、愛しているという気持ちも嘘偽りはありません」
俺の女を口説いている会話の内容にイラッと来た俺は一気に扉を開けた。
出ていく前と変わらない窓辺に置いた椅子に座るシェニカは、キラキラと光を反射するドーム型の結界の中にいるが、イルバは結界の前に跪いていた。
「ルクト!」
シェニカは俺の顔を見ると心配そうな顔をして駆け寄ってきて、飛びつくように抱き着いてきた。
キラキラと光を反射していた結界は、シェニカが外に出たことで空気を失った風船のように急速にしぼんで消えた。
「大丈夫?怪我してない?」
「大丈夫だ。外の奴は身体を氷漬けにしてるから、強制催眠で街に帰してやれ。吹雪も収まったからお前も帰れ」
跪いたままのイルバはシェニカを抱きしめた俺を悔しそうに見てきたが、シェニカの視線が自分に向くと、悲しそうな表情に変化させた。
「……そうですか。では戻ります。少しの間でしたが、シェニカ様とお話出来てとても嬉しかったです。
これから先の旅の無事を、孤児院の子供達だけでなく私も祈っています。どうかまたアネシスの街にお立ち寄り下さい」
立ち上がったイルバは胸に手を当てて頭を下げると、赤銅色の髪がサラリと背中から零れ落ちた。
足音を立てること無く玄関先にいる俺の前まで歩いてきたイルバは、俺を真顔で見据えた。
「どうして乱暴でしかない貴方がシェニカ様に選ばれたんでしょう。私の方が絶対シェニカ様を大事に出来るのに…」
イルバはそう言うと、悔しそうに顔を歪めて帰って行った。
コートを羽織ったシェニカとその後姿を見届けた後、凍えかけていた暗殺者に強制催眠をかけて街に戻してやった。
「夜は本当に冷え込むね。寒くて手の感覚が全然ないや」
暖かな旅人小屋に戻ると毛布を身体に巻き付け、暖炉の前に隣り合って座って冷えた身体を温めながら、俺はシェニカの顔を見た。
寒さからなのか頬は赤くなり、かじかんだ手を口元に当てて温めている。
「俺が外に出ている間、あいつと何を喋った?」
「私は覚えてないけど、前に治療院で会った時からずっと好きでしたって言われたの。でも、私は恋人がいるから応えられないって断ったよ」
シェニカは俺の目を見て、しっかりと返事を返した。美形のイルバに言い寄られたが、いつもと変わらないこの様子なら靡かなかったらしい。それに少し安堵した。
「それで終わらなかっただろ?」
「恋人になれなくてもいいから、護衛として一緒に行きたいって言われた。でも、私は護衛はルクトだけで十分務まっているから、他の人は考えられないって言ったよ。
そしたら、『白い渡り鳥』は複数の護衛や恋人を持っているものだから、1人にこだわる必要はないんじゃないかって言われた。
でもどんなに言われても、私はルクトだけで十分だから、そういう気持ちには応えられないって言った」
「そしたら奴は引いたのか?」
「もう一回お願いされたけど、断った時にルクトが戻ってきたから引いてくれたよ」
「そうか…。なら、今度はあいつが俺を暗殺するために後から追いかけてくるかもしれねぇな」
俺がそう言うと、シェニカは巻きつけていた毛布を剥がして立ち上がった。
「私に嫌われたくないって言ってたから、多分もう来ないんじゃないかな。お茶淹れるね」
キッチンに湯を沸かしに行ったシェニカを何気なく見ると、人形を抱き締めて何かを耐えるような少し苦しそうな顔をしていた。
ジッと見ていると、小さく口を動かして何かを呟いた様に見えたが、一瞬だったし声も聞き取れなかったから、見間違いだったらしい。
「はいどうぞ。これ飲んだら、もう寝ようね」
「そうだな」
俺はシェニカから渡された湯気があがるお茶を飲みながら、モヤモヤした気持ちを持て余した。
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