天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第15章 大きな変わり目

3.牙を剥いた時 ※R18

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「ここじゃなんですから、場所を変えましょう。軍の会議室に案内します」



バルジアラ将軍の先導でその場を離れると、ディスコーニ将軍はまたファズと呼ばれた男性の肩を借りて歩き始めた。
歩くスピードはさっきよりも幾分早くなっているので、順調に回復しているようだ。





「シェニカ様はそちらの椅子におかけ下さい」


地下牢を出て一階にある会議室に入り、壁側に並べられた椅子を勧められた。
ルクトはというと、私から少し離れた壁に腕を組んだまま凭れて、部屋の中央にある会議テーブルの1番奥に座るバルジアラ将軍を睨みつけていた。

声をかけられるような空気じゃなかったため、私はハラハラしながら彼が何もしないように祈っていた。






「エニアス。ネムリスに今すぐにこれを出しておけと伝えろ。内容をお前が確認し、目の前で送ったのを見届けて帰ってこい」


「はい」


地下牢に行った時に連れていた髪に緩いウェーブのかかった男性にそう命令したバルジアラ将軍は、今度は隣に座ったディスコーニ将軍を見て顔を顰めた。




「お前起きてて大丈夫か?」


「ええ。時間が経つごとに身体が動くようになってきました。1日休めば魔力も戻るでしょう」



「そうか。ならばもう復帰して大丈夫だな」




ディスコーニ将軍の回復の速さに驚いていると、部屋の中に甲冑姿の人達がゾロゾロと入ってきた。甲冑の肩にあるマントの留め金には、銀の階級章をした人ばかりだ。



 
 
「こちらは『白い渡り鳥』のシェニカ様とその護衛だ。こっちは我が国の将軍のエメルバと、我々の副官達です。
シェニカ様、今回ディスコーニが受けた『聖なる一滴』の事についての情報を、彼らにも教えて貰えますか?」
 


バルジアラ将軍が私に説明を促したので、全員の視線を受けながら立ち上がってフードを外した。


甲冑姿の人達がひしめいているから、物々しい状況に萎縮してしまう。

とりあえず軽く会釈しながら周囲をザッと見ると、さっきバルジアラ将軍の命令を受けて部屋から出て行ったエニアスと呼ばれた男性、ディスコーニ将軍に肩を貸していたファズと呼ばれた男性も、留め金に同じ階級章がついていたことに気付いた。彼らも副官だったらしい。




 
「ディスコーニ様が受けた毒薬は、『聖なる一滴』と呼ばれる『白い渡り鳥』のみが作れる毒薬です。
この毒薬の症状は、毒薬が触れた所から広がる皮膚の変色、患部の痺れと痛み、そして緩やかに魔力が抜けていくのが特徴です。
基本的にこの毒は特別な解毒薬が無ければ回復しませんし、その解毒薬は私しか作れません。

この『聖なる一滴』は、一度に作れる量は微量で保存が効きません。
今回使われた毒薬は、効果から考えておそらく4、5人の『白い渡り鳥』を直接戦場に連れて行ったと思われます。
作りたての毒薬をディスコーニ様に原液で使用し、そのほかの人達は毒薬を薄めたものでした」
 
 



「そんな毒薬が…」
 
 
「『白い渡り鳥』様の戦場介入は禁止の筈なのに、なぜトラントが…」
 
 
「そんなことしたら、ウィニストラだけでなく他国からもそれを口実に攻め込まれるというのに…」
 


私の説明を聞くと、あちこちから小声の話し声があっという間にざわつきとなった。
 
 




禁止されている『白い渡り鳥』を戦場介入させた国は、国境を接する全ての国から侵攻される大義名分を与える。例え何も知らない下っ端兵士が良かれと思って戦場に介入させたとしても、その責任は軍のトップである筆頭将軍ではなく、国王が取らねばならない。



そして、協力した『白い渡り鳥』も無事ではいられない。誰が手を貸したのか分からないけど、なぜ協力したのだろうか。






 
「あの国は国王が変わってから色々変わった。傭兵を麻薬漬けにしたりしている噂は本当の様だしな。
野心家の国王は、どんな手を使っても世界の覇権を取りたいんだろうが、ここにきてなぜ我が国に戦争をふっかけてきたのかは謎だ。
その毒薬に目をつけて無条件降伏を要求してきたのも、威信を取り戻したい神殿側と結託したせいだろ」
 
 

「シェニカ様。その解毒薬は我々にも頂けますか?」

 
黒に近い深い緑色の髪をしたこの場で1番年上らしき男性が、私におっとりとした話し方で喋りかけてきた。
この人のマントの留め金にある金の階級章は、ディスコーニ将軍の軍服の胸にあるものと同じデザインだから、この人がもう1人の将軍のようだ。
 

「えぇ、もちろんです。ただ数はあまりありませんし、効果は一度きりで耐性がつくわけではないので、必要になった時のみ使って下さい」
 





「治療が終わり、情報の把握が済んだ以上ここに居続ける必要はない。
トラントによる『白い渡り鳥』様の介入は世界中に知らせた。大義名分を得た以上、トラント側の返事は待たずに明日首都に向けて軍を進める。
他国は毒薬の情報の把握に時間がかかるはずだが、サザベルはこの機を逃さず侵攻してくるはずだ。奴らが来る前にトラントの首都を攻め落とし、国王と協力している『白い渡り鳥』様を捕まえろ。

トラントの首都に向かうのは俺とディスコーニ、エメルバの3人、兵士は連れて行くが副官の一部をここに残す。
選ばれた者は、後から来る将軍らと一緒に後方支援とトラントとの国境地帯の警備強化、本国首都の防衛線の構築と維持に当たれ。
サザベルを含め、他国の妨害はしないでいいが、奴らの動向には特に注意を払え。絶対に、『白い渡り鳥』様とトラント国王を取られるな。

最後に、この毒薬と解毒薬の件は副官以上の機密とする。そしてディスコーニは表向きは首都に戻したことにして、白魔道士に扮した上で移動させる。ここでの話は絶対に口外するな。いいな」
 
 

バルジアラ将軍が淡々と指示を出すと、部屋にいた全員が敬礼を取って部屋から出て行った。
 
私とルクトは、このままこの街を去って良いのだろうか。


 
 



「あの。私達はどうしたら良いですか?」
 

私に向かって歩いてきたディスコーニ将軍にそう尋ねてみた。ゆっくりながらも、1人で歩けるくらいまで回復したらしい。



「トラントによる『白い渡り鳥』様の介入が発覚した以上、開き直った彼らはこれから先の戦場でも『聖なる一滴』を使ってくることが予想されます。
そうなると、治療が出来るシェニカ様に我々と共にトラントまで同行をお願いしたいのですが、ご了承頂けますか?」




「私は戦場には行けませんから、解毒薬をお渡ししますよ」



たしかに今後トラントが『聖なる一滴』を使う可能性は高い。でも、私は戦場に行くことを禁止されている身の上だ。

解毒薬は残り僅かしかないけど、それを白魔道士に渡しておけば良いと思うんだけど。






 
「シェニカ様の治療と解毒薬については伏せた上で、ネムリス神官長が世界中の神殿に向けて、トラントによる『白い渡り鳥』様の介入をシェニカ様の証明と共にフィラを飛ばして通達しました。

国境線の向こうにいるトラント軍は今日中にこの通達を耳にするでしょうから、間を置かずにトラントの将軍が直接シェニカ様の元に来ることが予想されます。なので、シェニカ様の身の安全のためにも我々と一緒に行って貰えると助かります。

我々がお願いするのは、『聖なる一滴』の情報提供と治療のみです。シェニカ様は、先を行く軍勢に遅れて我々による護衛と共にトラントに向かうだけで、戦場に直接介入するわけではありません。
基本的に戦闘中は距離を置いた後方で待機することになりますし、勝敗を決した戦場跡を通過するだけなので問題ないかと思います」




「でも、大丈夫でしょうか」


確かに、勝敗を決したばかりの場所を通過するだけなら問題はない。
でも一歩間違えれば私は禁を犯す事になってしまう。本当に大丈夫なのか私は不安で仕方がなかった。




「私がアステラと対峙した時、『聖なる一滴』だと特定されるとは思っていなかった口ぶりでしたので、今回協力している『白い渡り鳥』様は、禁を犯した人物だと特定されたくなくて逃げ出すことが予想されます。
そうなれば、トラントは逃げ出した『白い渡り鳥』様を連れ戻そうとするだけでなく、起死回生とばかりに、より強い『聖なる一滴』を求めてシェニカ様に接触してくる可能性が高いのです。

将軍が来るとなると、どこに行っても安全な場所とは言えなくなりますが、我々の目がある所は警戒されますので、トラントの周辺国に居るよりも安全と言えるはずです。

解毒薬を頂いて、この場にシェニカ様を残しておく案もありますが、シェニカ様を護衛するのは将軍が複数いる状態でしか務まらず、我が国の他の将軍らが首都からこの場に来るまで時間がかかります。
別の将軍らが来るまでの間、我々将軍3人がここに残れればいいのですが、他国からの進軍も考えられるため、すぐにトラントに向けて移動しなければならないのです」




「そう…ですか」



トラントの将軍が私に接触してくるとしたら、流石のルクトもきついと思う。
もし彼らが私に接触してきたら、話を持ちかけてくるのではなく、攫いに来るという意味だろう。
安全に旅が出来ないのは、私もルクトも困る。それに、ルクトが危険に晒されるのは嫌だ。




「もし、シェニカ様がトラントに脅迫されて『聖なる一滴』を作ることになった場合、被害は甚大なものになるのが分かっているのにそれを見過ごすような真似は出来ません。
過去の例を確認しましたが、『白い渡り鳥』様の戦場介入は認められていませんが、戦場に足を踏み入れた場合には例外がありました」




「例外…ですか?」



「『白い渡り鳥』様の居る場所が突如戦場になって逃げ遅れてしまった場合。
『白い渡り鳥』様の身を守るためにやむ終えず戦場に足を踏み入れてしまった場合。
『白い渡り鳥』様に悪意を持って襲いかかったことがきっかけで戦いが始まった場合など、やむ終えない事情がある場合にのみ処罰の適用が除外されるようです。
シェニカ様の場合、『悪意を持って襲い掛かってくる』という場合に当てはまると考えられますし、戦闘が行われている場所から離れていれば問題ないと思います。

それに、シェニカ様が同行することになった場合、その事実はトラントを除く他国にも通達し、シェニカ様が情報提供と『聖なる一滴』の治療にのみ我々に協力し、戦場に介入していないということを証明するために見届人を合流させます」
 

 
「見届人?」
 

 
「近くの街に視察帰りのキルレの将軍と神官長がいます。その2人に事情を説明するフィラを飛ばせば、すぐに来てくれるはずです。今回の戦争に関係のない第三国の者の証言があれば、どの国も何も言えないはずです」



「そう、ですか…。では、同行いたします」



「では、すぐにキルレの2人にフィラを飛ばします。見届人の到着後すぐに出発しますが、トラント側の接触を避けるため、今日の部屋はこちらで用意します。そちらにお泊まり下さい」
 


「ありがとうございます」


軍の施設の片隅にある客間を2部屋用意して貰うと、私達は宿のキャンセルと荷物を取りに行くために一度宿に戻ることになった。








「もうすっかり夜になったね」


軍の施設を出ると、月のない暗い空には星がキラキラと輝く夜になっていた。でも、そんな星空をゆっくりと眺める気持ちにもならないし、私が声をかけてもルクトは無表情で一言も喋らなかった。

ギスギスしたような重い空気が流れたまま宿に戻り、荷物を持つと食堂で夕食を食べることにした。
美味しい料理が出てきても、相変わらずルクトは無表情の無言だった。彼はウィニストラ軍に同行することを決めた私に怒っているだろうか。




「ねぇ、ルクト。怒ってる?」



「別に怒ってねぇよ。お前が強力な毒薬を作れるなら、護衛なんて要らねぇんじゃないのか?」



無表情のルクトは私を鋭い目でギロリと睨みつけてきた。
今まで見たことがないその目で射抜かれると、持っていたスプーンを握る手に力が入っただけでなく、会話するのが怖くて黙ってしまいそうになる。

でも、私にとってあの毒薬は関わりたくない物なんだと反論する気持ちを固めた。




「私の作るものにはあの解毒薬は効かないの。それに、私は人が苦しむようなことはしたくないんだ」


私がそう言うと、彼はまた無言になって食べかけの食事を一気にかき込んだ。





相変わらず近寄りがたいルクトと一緒に軍の施設の前に戻ると、バルジアラ将軍にエニアスと呼ばれていた人が待っていて、すぐに部屋の前まで案内された。



「じゃあ、おやすみ…?」


私が結界を張ろうとすると、ルクトは私の部屋に入って扉を締め、ガチャリと鍵をかけた。

 
 
 
「どうしたの?ルクトの部屋は隣だよ?」
 
 

「今日は俺と一緒の部屋だ。俺はここにいる奴らを信用してねぇ。お前は立場があるから、バルジアラ達と一緒に行動するのは仕方のないことだと思う。でも俺は違う。いつだって奴に剣を抜きたい気持ちは持ってる」
 
 

「ルクト…」
 
 

「気が昂ぶってしょうがない。早く結界張れ」
 

鋭い目つきに無表情、有無を言わさない抑揚のない声。初めて見るルクトに驚きながらも、言われた通りに結界を張った。
 
 
 
「やっぱり怒ってるの?いつもと違うよ?」
 
 
「怒ってないって言ってんだろ。気が昂ぶってるだけだ。つべこべ言わずに服を脱げ。ヤらせろよ」
 
 
ルクトは上着を脱いでベルトを外しながら、ペロリと唇を舐め、私を追い詰める様な威圧感を纏って近づいて来た。
 
 








 
「あっ!いっ!痛いっ!」
 
 
ルクトは私の服を剥ぎ取るように強引に脱がせると、いつもと違って乱暴に私をうつ伏せに組み敷いて、愛撫とは言い難い痛みを伴う前戯を施し始めた。
身体が彼を受け入れる準備が出来る前に、後ろから強引に挿入して激しく打ち付けられた。





「逃げようとすんなよ」


濡れていないから、強引にねじ込まれて繋がった部分は強烈なひりつく痛みと違和感が襲ってきた。痛くて怖くて、逃げようとしても腰を掴む手に力が込められて、逃げ出すことが出来なかった。

背中を何ヶ所も痛みを伴うくらいに鋭く吸い上げられ、うなじにかかる髪をかきあげられると、露わにされた場所に噛み付かれた。
 
 
 

「いやっ、痛いっ!やめて!」
 
 
背中から回された手に胸を鷲掴みにされ、乱暴に尖端を摘まれ、私は痛みを感じてシーツを握りしめて涙を零した。
 
 

「痛くされるのは嫌か?」
 
耳元で大好きな低い声で囁かれているのに、恐怖が勝ってどんどん涙が溢れ出てくる。
 
 

 
「こ、怖いっ!ルクトが怖いよ。お願い、するなら優しくして…」

 
ルクトは片手で私の首の後ろを掴んでベッドに押し付け、私は激しく前後に揺さぶられながら泣いてルクトに訴えた。
 
 

「たまには俺の好きに抱かせろよ」
 

 
「あっ!やっ!痛いっ!いや!」
 
 
意地悪だけど優しさのある今までの彼とは違い、ただ欲望を押し付ける行為に私はついていけなくて心が凍りつき始めた。
 
 


「痛いっ…やめて…」
 
 
「…くっ!!」
 

何度も激しく前後に揺さぶられていると、ギリギリまで引き抜かれて一気に最奥まで押し込まれた時、ルクトは動きを止めて中で果てた。
 
ドクドクと射精を終えたのに、中に押し込まれている存在は力を失わないままだ。
 


 
それでもやっとこの悲しい行為に終わりが来たと安心していたのに。

彼は一度身体を離すと、すぐに私の身体をクルリとひっくり返し、私はベッドに背中をくっつけてルクトを見上げていた。
 
ルクトは鍛錬の時に見せた様な鋭い視線のまま、片方の口元だけを上げて私を見下ろしていた。
 
 




「…え?」
 
 
「これで終わりと思うなよ」
 

ルクトはそう言うと、また強引に挿入して私の両手首を強く掴んでシーツに押し付け、首元に頭を埋めた。
 
 





 
「痛い…!いやだ…やめてよ!」
 
 
手首は軋むくらいに強く捕まれ、首筋に歯を立てて噛み付かれて強く吸い上げられると、私は痛みに涙と悲鳴が出た。
ルクトはそんな私の声など無視して、胸も同じ様に歯を立てて噛みつき、尖端を強く吸い上げたり噛み付いて来た。
 
 
首元に頭を埋めて身体を抱き締めて固定され、ルクトは最奥に押し付けるように腰をグラインドさせながら執拗に抽送した。
時折首元に噛み付かれると、私はあまりの激痛に快楽なんて微塵も感じられなかった。
 

 
 
「ルクトっ…。いや!痛いっ!痛いよ…っ」
 
 
「今度は痛みを快感に変えられる様に調教してやらねぇとな」
 
 
 
「やめてっ!痛いのやだ…っ!どうしてこんなことするの?」



「いつもと同じだ。ヤりたくなったからだよ」
 

ルクトは私の耳を齧りながら、熱い吐息を吹きかけて囁き、私の零れ落ちる涙をペロリと舐め上げると今度は喉に噛み付いてきた。
私は肉食獣にトドメをさされる草食獣になったような気がして、また涙が溢れ出てきた。
 

 
「泣くなよ。気持ち良いだろ?」
 
 
ルクトの問いかけに対して私は何も答えられない代わりに、呼吸もままならないような嗚咽が、堰を切ったように出てきてしまった。





「うっ…。ひっく…。やめて、やめてルクト…」

 
揺さぶられる度に、私の気持ちと連動しているかのように涙が儚く飛び散って行った。
 
 
 
「……くそっ!」
 

ルクトは激しく泣き出した私が気に食わないらしく、首元に噛み付いたまま早いスピードで何度も揺さぶった。
 
 

ーーなんでこんなことするの?どうして私の声には耳を傾けてもくれないの?噛みつかれた所だけじゃなくて心も痛い。誰か助けて…。



ルクトから助けて欲しいと思っても、私の護衛は彼しかないから、助けを求める相手は近くに誰もいない。
彼が怖くて、痛くて、悲しくて。身体が感じる痛み以上に、心が軋み、悲鳴を上げながらどんどん心が凍りつていく。


彼の赤い髪と白い天井が揺れ動くのを涙で歪む視界に捉えながら、私の中にある彼との思い出、彼への愛情に細かくヒビが入って、ボロボロと崩れて落ちていく音を聞いた気がした。

 




「う…」

 
どれくらいの間そうしていたのかは分からないが、私はいつの間にか気を失っていたらしい。
 
視線を横にズラせば、隣には誰もいなかった。
身体のあちこちが痛くて、指一本動かすのもままならない中、視界の中にあった隙間なく閉められたカーテンを見ると、光が感じられないからまだ夜明け前らしい。
 
 
寝ぼけているのか、頭がはっきりしなくて状況についていけない。
何も考えられずにいると、いつの間にか溢れてくる涙を拭うことなく、そのままにして再び目を閉じた。
 
 





ーー怖かった。初めてルクトが怖いと思った。
コロシアムや鍛錬の時に見せたのと同じ鋭い目は、殺気こそ籠っていないけど恐ろしかった。

ずっと前に主従の誓いを破棄するきっかけになった女性が、ルクトの鋭い視線にゾクゾクすると言っていたが私は恐ろしさしかなかった。
普段は口は悪いし意地悪だけど、優しいルクトだったから、今回みたいな彼の一面についていけなかった。
 

 
どうしてこんな風になってしまったのだろう。
 
 
私がバルジアラ将軍らと協力したのが気に食わなかったのだろうか。
彼は私には立場があるから分かる、とは言っていたけど、心の中ではルクトと因縁のある相手と協力した私に失望したのではないだろうか。
 
私のことを嫌いになって、もう見限ったから、あんな風に乱暴にしたのだろうか。
 
 
 
そんなことをグルグル考えていたけど、結局のところ、ルクトの激情を受け止めるだけの余裕も経験も私には足りてないと、思考を停止してようやく分かった。
 





 
 
光を感じて、目を開けるといつの間にか朝になっていた。

身体のあちこちが痛くて、気怠さにのしかかられた身体に鞭打って起き上がると、部屋に備え付けられたお風呂場に行ってシャワーを浴びた。
 

 
 
「…っ!痛い…」
 
 
シャワーのお湯が染みた胸を見ると、そこだけでなくあちこちにくっきりと血の滲んだ歯型と、おびただしい数のキスマークらしき痣、手首には押さえつけられた時のものなのか指の形をした痣が刻みつけられていた。
 
普段ならキスマークくらいは残しておくが、見るとまたあの悲しさと恐怖を思い出して涙が溢れてくるから、今回は治療の魔法をかけてそれらをすべて消した。

でも。


身体の痛みは消えても、心の痛みはまったく消えなかった。


 

 
お風呂から出てのろのろと身支度を整えた頃、扉をノックする音がした。


「支度出来たならメシ食いに行くぞ」
 

「うん…」
 
 
扉を開けて一瞬見えた彼の顔はいつもの顔と同じだったものの、私は彼にどんな顔をして良いか分からず俯いてしまった。

食堂に移動する間も無言だし、誰もいない食堂は静まり返っていたけど、フードを被ってルクトと目を合わせないように俯いて、お互いに無言で食事を終えた。
 
 
 

部屋の前まで戻ると、私は俯いて彼に振り向いた。
顔を上げようと思ったけど、彼と目が合うのが怖くて、彼の足元しか見れなかった。
 


「私、お昼ご飯は要らないから」


「…分かった」

 

結界を張ってドアを閉めると、私はベッドの上で膝を抱えて小さくなった。


ーールクトが怖い。顔を上げると彼の鋭い目を見てしまうのが怖くて、ずっと俯くことしか出来なかった。
それに彼が手を伸ばせば届きそうな場所にいると、身体が強張って震えそうになる。




何か気を逸らさないと昨晩のことを思い出してしまうから、別の事を考え始めた。


「レオンと一緒に旅してる時、楽しかったよね。コロシアムとか野宿の時とか…。
シューザとは少しの間だったけど、すぐに仲良くなってたよね。エアロスとは喧嘩ばっかりしてたけど、なんだかんだで似た者同士で…」


ルクトとの楽しい思い出を思い出そうとしてみるものの、ルクトだけでなくレオンやシューザ、エアロスの顔まで霞みがかっている。



「楽しかった…はずなのに思い出せないや。何で、何でなのかな」


彼と出会ってからの旅は楽しかったと記憶しているのに、具体的な内容を思い出せない。何度も思い出そうとするのに、頭と心の中ではルクトへの愛情より、恐怖が勝ってしまって彼の笑顔も思い出せなかった。


思い浮かぶのは、昨晩の私を見下ろす彼の冷たく鋭い目、私の身体を押さえつける手、容赦なく噛みついてくる口。

今まで私を守り、強引な所はあるけど優しく触れてくれた彼はどこにも居なかった。居たのは私の大好きな彼と同じ顔、同じ声をした恐怖を与える知らない男性だった。



「私はどうしたら良いんだろ…」


ルクトの気持ちも、ルクトに対する自分の気持ちも分からなくて、拭っても拭っても溢れてくる涙を流そうと何度も顔を洗った。






それからしばらくすると、窓の外がガヤガヤと騒がしくなってきたことに気付いた。
窓の外を見れば、ウィニストラ軍の草色の軍服を着た兵士達が隊列を組んで街の外に出ていくところだった。どうやらトラントに向けて進軍を始めたらしい。


これから先、私は誰に守って貰いながらトラントなんて危険な場所に行ったら良いのだろうか。

自分の身を守るだけの力を持っていない自分自身に嫌気が差して、不安と恐怖でまた涙が滲んで、その場に崩れ落ちて気の済むまで泣いた。






お昼の時間を過ぎた頃、ルクトがファズと呼ばれていた紫色の髪の男性を伴って部屋を訪ねて来た。
彼はルクトより少し背が低く、身体つきが少し大きなコンパクトな熊さんみたいだなと、ボンヤリ思っていたらペコリと頭を下げられた。

 

「自己紹介が遅くなり申し訳ございません。私はディスコーニ将軍の副官を務めておりますファズと申します。
他の副官は後ほどご挨拶させて頂きますが、護衛は私を始めとした副官はもちろん、ディスコーニ様で務めさせて頂き、私がシェニカ様のお世話をさせて頂きます」


「そうですか。よろしくお願いします」


「早速ではありますが、見届人が到着しましたので1時間後に出発致します。ご準備をお願いいたします」


「分かりました。ちょっと買い出し行ってきます」


「これから先、シェニカ様の存在を隠すため、護衛の方もこのローブを羽織って下さい」

 
ファズ様と別れ、ルクトと一緒に街に出ると無言のまま旅仕度をするために市場や道具屋に行った。
ルクトは白魔道士のローブを羽織ってフードを被っているから、簡単には目が合わないことにちょっと安心した。





無言の空気が重いし、静かな場所で2人きりになるのが怖い。

出発ギリギリの時間までゆっくり買い物をして、いつもより十分過ぎる程の保存の効く干し肉、クルミ、ドライフルーツ、お菓子などの食料や、普段なら使うことのない燃え尽きるまで時間がかかる焚き火用の油、枯れ木を纏めるための紐などまで買ってしまった。
 
 



軍の施設に戻るまでの間も、怖くて私の斜め後ろを歩くルクトの方を振り向けない。


振り向いて目が合ったら、昂ぶった彼を刺激してしまい、私は物陰に連れ込まれて乱暴されるかもしれない。
そんなことを思ってしまって、彼との距離が気になる。

気配を読むのが苦手な私は、彼の顔を見るのではなく、小さく振り返って彼の足元で距離を確認するようになった。





意地悪だけど、なんだかんだで優しいところもあった彼は、とうとう私のことが嫌いになったのだろうか。
 
 
頭の中はこれから先の不安や恐怖でグチャグチャで、彼にどうしてあんなことをしたのか、私のことが嫌いになったのかと聞いてみたくても、彼が怖くてその勇気は出なかった。
 
 
 
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