天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第16章 日の差さぬ場所で

5.隠された場所にあった物

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地質学者の家を出た時、『赤い悪魔』が忌々しげな顔をして何かを桶に放り込み、荒い足音を立てながら去っていくところだった。

エニアスがその桶に手を入れると、グシャグシャの白い紙を拾い上げた。インクが水で滲んで内容は読めないが、その手紙の四隅にはスザクワシを炎で囲った焼印が押してあった。


王族や貴族、将軍、神官長といった身分の高い者が手紙を書く時、それが立場上の正式なものである場合には、それぞれ専用の焼印を紙の四隅と名前の横に押す。
国によって違うが、王族や貴族はそれぞれの家紋を印章に。将軍はその国の国旗の中にあしらってある何かを用いてそれぞれの印章を作り、神官長は十字に何かの装飾を入れた印章を作っていることが多い。

『白い渡り鳥』様も身分が高い人ではあるが、彼らは印章を持たない。昔はそれぞれが決めた印章があったらしいが、その印章を悪用して証明を偽造するという事件が起こって以降は廃止され、サインのみ用いられることになった。
サインも筆跡を真似れば悪用されるのではという話になりかねないのだが、『白い渡り鳥』様の書く文字は水でも滲まない。文章を書く時に高度な白魔法を使っているからそうなるらしく、本物かどうかを見極める時は、湿らせた手で文章とサインをなぞれば良い。



「バルジアラ様、これはドルトネアの…。焼印は四隅だけですが、この印章を使う者が傭兵相手に手紙を送るということはあるんでしょうか」


「名前の横にあるはずの焼印がないってことは正式な手紙じゃない。まぁ、奴の場合なら思い当たる人間はいる。
そういえば。夜襲の時、アヴィスはあいつとトラントの副官が話していたと言っていたな。これからサザベルの奴らも来るとなると、気の短いあいつ1人にするのは危険だな。監視のためにディスコーニの副官を1人つけておくか。エニアス、ディスコーニの副官のうち誰かがあいつの側に付いておけと伝えろ」


学者の家に戻ってアクエルに命令を伝え終えたエニアスを連れ、次は首都の真ん中あたりにある神殿に行った。


神殿の敷地内を探す下級兵士達を横目に見ながら神殿の扉を入ろうとした時、フィーフィーという鳴き声が聞こえた。声のした方に視線を向けると、2羽のフィラがすぐ隣の大きな木の枝にとまっていた。
カケラを持った人の元に迷わず飛んで行く鳥が、こうして木にとまっているということは、休憩しているのだろうか。でも、基本的に単独行動のフィラがこうして2羽一緒にいるのには違和感を感じる。



「エニアス、フィラ担当の兵士をここに呼べ」

エニアスに命令を出して1人でその場でフィラを見上げていると、ふとした疑問が頭をよぎった。
繋ぎの結晶から零れるカケラは、全て同じ大きさにしかならない。フィラは大元の結晶を持つ者に向かって飛んでいくが、飛んでいったフィラがその結晶を見つけられない場合どうなるのだろうか。



「バルジアラ様、お呼びでしょうか」

しばらくすると、腕にフィラ担当を表す鳥のマークの腕章をつけた下級兵士がやってきた。



「フィラはカケラを辿って飛んで行くが、どうなったら辿れなくなる?そうなった場合、どうなる?」


「結晶が水の中に沈む、地面に埋められる、氷の中に閉じ込められるなど、空気と遮断された状態が続くとやがて辿れなくなります。
世界中の小鳥屋は、移動しているフィラのために好物の餌を屋根の上や屋上に置いています。フィラはその匂いにつられて餌場に来て、満腹になるとまた飛んで行きます。ですが、結晶のある場所が分からなくなった場合、フィラは餌場から動こうとしないので、手紙を破棄して元の小鳥屋のカケラを舐めさせて帰します」


「フィラは、結晶が分からなくなってどれくらいまで痕跡を辿れるのか?」


「個体差がありますが、2日程度といわれています」


「そこにいるフィラを捕まえることは出来るか?」


「はい。フィラの好む餌を持っていますので、今すぐにでも可能です」


俺が指差した木の上にいるフィラを見た兵士は、腰につけていた革袋から小皿と茶色の液体が入った小瓶を取り出すと、小皿に何かを注いで地面に置いた。
地面に置かれた小皿を見てみれば、茶色の液体漬けになっていたらしい小さな木の実があり、2羽のフィラはすぐに寄ってきて茶色の液体を舐め、木の実を啄み始めた。

兵士は餌に夢中になっているフィラを掴まえて、足から抜き取った2通の手紙を俺に差し出した。それを開いてみると、どちらも他国の神官長からベラルス宛で、『白い渡り鳥』様の戦場介入の真偽を問う手紙だった。


フィラが神殿にいるということは、ここに神官長が居たというところまでは辿れた。でもそこから先は、結晶を持つ神官長が空気の触れない場所に行ったということか。神殿にも鍾乳洞への隠し通路があるということだろうか。



「ご苦労だった。お前は下がっていい。エニアス、神官長の部屋に行くぞ」


フィラ担当の兵士を下げ、白い神殿の中に入ると下級兵士が忙しそうに中を調べ回っていた。
俺を見ると足を止めて敬礼を取る下級兵士の中から、青碧色の軍服に銅の階級章をつけた上級兵士が俺の前にやってきた。




「神官長の部屋に行く。ストラを呼んでこい」


「ストラ様は現在神殿の地下牢を捜索中です。神官長の部屋は私が隅々まで確認致しましたので、ぬかりはないかと思います。私がご案内します」


神殿を捜索させている自分の副官のストラを呼ぶように命じると、目の前の男はそう言い切った。

たしかこいつはディスコーニが将軍に就任する時、交代する将軍が「私の部隊に有力貴族の令息がいるんです。今は階級章なしの上級兵士なんですが、バルジアラ様の副官枠が1つ空くなら推薦して欲しい、と親がうるさくて困っているのです。昇進させるかはお任せしますが、とりあえず黙らせるために異動という形を取って頂けませんか」とか言って押し付けてきたエナムとか言う奴だ。

剣と魔法の腕は悪くないが、注意力が散漫だし、中級兵士に傲慢な態度を取って人望のないところが頂けないから、とりあえず様子見しようとストラの部隊に回しておいたが…。俺の部隊に異動になれば副官になれると思っていたのに予定通りにいかなかったから、昇進のチャンスを得ようとストラを呼ばずに俺に近付いて印象付けようという魂胆だろう。


「そうか。なら案内しろ」

俺の部隊には自分の目で見て気に入った奴しか入れてこなかったのに、面倒な奴を押し付けられたもんだとこいつの顔を見ると溜息が出る。理由をつけてどこかの部隊に送るかと思いながら、そのままこいつに案内させておいた。



「神官長の部屋はこちらです」

エナムの案内で神殿の1階の一番奥にある部屋に行くと、部屋に入ってすぐ目に入るのは、光沢のある革張りのソファーや、磨き上げられたガラスのテーブルといった上質な応接セットだ。その応接セットの奥には執務机、左手には日が差し込む大きな窓と本棚、右手にはズラリと並べられた本棚と扉がある。
白魔法の魔導書や薬草の辞典などの本が詰まった本棚の前を進んで執務室の椅子に座ってみると、机の上には書類の決済に使っていた羽ペン、決済済みの書類が入った木箱がある。
整理整頓された机の右下には3段の引き出しがあり、上から順に開けてみると、神殿内の人事の書類、寄付の書類、王宮で行われた会議のメモなどの問題なさそうなものばかりしか入っていない。

椅子から立ち上がって正面を見れば、入ってきた扉のすぐ横に大きな姿見の鏡が置いてある。その鏡には、険し顔をした自分と後ろの白い壁が映っていた。


「そっちの扉の先は?」


「書庫になっています」

俺の問いかけに、エナムは姿勢を正して答えると扉を開けた。
エニアスを連れてそこに入ると、窓のない真っ暗な書庫だった。生み出した光を掲げて奥に進めば、そこは窓がないのに埃っぽさは感じられないし、空気が淀んでいる感じもしない。
ということは、定期的にこの書庫に人の出入りがあるのだろう。本棚の中身を確認するようにゆっくりと歩くと、本棚と本棚の間には石造りの柱があって、黄色の宝石が目に嵌った鳩と赤い宝石が目に嵌った蛇のレリーフが1本ずつ交互に刻まれている。


「ここにある本は…旧字の辞書や民族史、伝承といった本ばっかりか。この部屋に隠し通路や隠し部屋はあったか?」


「副官以上の方の確認はまだですが、私が確認した限りそういったものはありませんでした」


エナムの返事を聞いて書庫を1周回った時、空気が違う場所があった。



「エニアス」


「はい」


俺の言葉で何かあったのだと気付いたエナムは、もう一度書庫の中を歩き始めた俺とエニアスを顔色を無くして見ていた。
エニアスの後をついて一歩一歩確認するように書庫を回ると、1つの本棚の前で立ち止まった。この本棚の後ろからは、この空間の空気にはない冷気が僅かににじみ出ている。



「ここです」

エニアスの立ち止まった横にある鳩のレリーフを見ると、鳩の両目の脇に手垢が着いて僅かに黒っぽくなっている。エニアスが鳩の黄色の両目を押すと、隣の本棚がズズズズ…と擦れる音を立てて後ろに大きく下がった。そして生まれたスペースに入って横を向けば、下に降りる階段があった。



「隠し部屋の探索だからと気を抜いた仕事をするな。お前達が確認した部屋でも、副官にもう一度確認させろ。
将軍が気配を感知出来る範囲は広い。こういう隠し部屋から漏れ出るような僅かな空気の違いくらい読めねぇと、戦場ならあっという間に将軍に位置を特定されて殺される。お前は前線部隊に行って感覚が鋭くなるように経験を積んでこい」



「はい…。申し訳ありません」

横暴な振る舞いをする奴を放置しておけば、上官に対する求心力や統率力が失われる。こういう不調和を生み出す奴は、伸びた鼻をへし折って再教育するつもりで厳しい環境に放り込んだ方が良い。挫折して這い上がってこれないのなら軍人には不向き。単独行動をする傭兵になった方がいい。

うなだれるエナムをその場に残して狭い階段を降りると、書庫と同じくらいの広さの地下室に出た。
ひんやりと冷たい部屋には、階段を下りて左には本棚、正面奥には長テーブル、右には薄茶色の木箱の山、中央部には安い作りの椅子と書類が雑然と重ねられた大きな机がある。



中央の机の上にある書類を手にとってみると、あの4人の『白い渡り鳥』様達の資料が置いてあった。何枚か書類を捲っていると、身分を「護衛兼愛人」と分類された女の名前が20人分書いてあるものを見つけた。

名前の横には「健康体に2滴は通常通り」「致命傷後に1滴、放置しているといつの間にか死亡」「健康体に5滴は通常通り」などのメモ書きもされていた。
その下の方には、「健康体には2滴以上与えても効果は同じであるため一滴で十分。致命傷を受けた者に与える場合は、体力が奪われているからか1滴で自然死する」と考察が書いてあった。
この様子だと愛人達はどうやら『聖なる一滴』の実験台にされたらしい。罪のない人間を人体実験に使うとは、なんともむごいことをする。



「ここは神官長の秘密の部屋のようですね」


「そうだな。これを見ろ。4人の『白い渡り鳥』様の愛人兼護衛は、『聖なる一滴』の実験台にされたらしい」


木箱の山を崩していたエニアスに書類を渡すと、部屋の奥にある長テーブルの前に移動した。そこには手垢とホコリで薄汚れたノートが置いてあった。


ーー本日、シェニカはローズの元を旅立ったと連絡が来た。挨拶回りの機会を作らないとは、ローズは何を考えてるんだ!あの4人に出遅れてはならぬというのに!

ーーユオシを囲い込むことに成功。でも肝心な保存法については知らされていない。ローズめ!シェニカを独占しおって!

ーー保存の方法を知っているのは、ローズとジェネルドの2人。どうやって聞き出す?

ーー液体のまま、氷漬け、蒸発させた場合も効果は失う。ランクAやSの物では保存は不可能なのか?シェニカはどうやって保存を?

ーーシェニカの能力は、子も『白い渡り鳥』になれば遺伝するか?子を産ませ、我々の思い通りに動くように躾けなければ。

ーー協力は取り付けた。あの4人よりも先にシェニカの『聖なる一滴』を!

ーー麻薬は集中力を高めるから有効だが、依存が進めばやがて使い物にならなくなる。長く操作するには、健康な状態で精神面から完全に堕とす方が堅実。

ーーシェニカが欲しい!シェニカが欲しい!


と、数ページに渡って書きなぐるように書かれていた。


シェニカ様が旅立った時から書いてるってことは、随分前からシェニカ様の『聖なる一滴』を狙っていたのか。このメモの内容を見る限り、ベラルスはシェニカ様の『聖なる一滴』に取り憑かれているようだ。

ベラルスに限らず、トラントが起死回生の一手としてシェニカ様を欲しがるのは分かるのだが、居場所が掴めないシェニカ様をなぜ野放しにしていたのだろうかと疑問が浮かぶ。
『赤い悪魔』の話では以前ここに来ているし、ギルキアの軍事会議でもアステラとシェニカ様は顔を合わせている。シェニカ様はギルキアで治療院を開いていたのだから、アステラは『赤い悪魔』では感知出来ないような将軍クラスの暗部をつける時間はあったはずだ。
でも、ラーナで会ったシェニカ様には暗部はついていなかった。『赤い悪魔』が対処したわけではなさそうだが、なぜそいつらが居ないのだろうか。


それに、このメモに有る「協力を取り付けた」というのは、『聖なる一滴』の戦場での使用を提案したのがベラルスで、トラント国王が実験などの協力をするということだと推測出来るが、「4人」というのは誰だろうか。シェニカ様の『聖なる一滴』を利用しようとする他国の者ということだろうが、どこのどいつだ?





「バルジアラ様、こちらにシェニカ様の資料がありました」


頑丈な木を使っているのか、他のものとは違う焦げ茶の木箱を山の中から取り出したエニアスは、それを真ん中のテーブルの上に置いた。その中から立派な冊子を取り出すと、テーブルの上に次々と並べていく。


「随分読み込んでいるみたいだな。『旅の足跡』『経歴書』…?」

何度も読んでいたらしく、木箱に入っていた分厚い表紙の冊子は手垢で汚れ、そこに書いてある文字は擦り切れて薄くなっていた。
表紙の文字が一際薄い『試験結果』と何とか読める薄い冊子を手に取ると、中身は数枚の紙しか無いのに表紙と背表紙はやたらと分厚い。よほど大事な書類なのか、頑丈な表紙をこしらえたらしい。
開いてみると、最初は何も書かれていない白い紙だった。次のページを捲ると、『極秘のため、神官長以外の閲覧を禁止する』とだけ書かれたページが目に入った。
また次のページを捲ってみると、達筆な文字で文章が書かれていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


○月○日の正午。セゼル領ダーファスの神殿にて、シェニカ・ヒジェイト様の『白い渡り鳥』としての能力を見極めるための試験が行われた。

ランクSの元『白い渡り鳥』のローズ・エルシニア様より渡された作り方のレシピを元に、シェニカ様は10分ほどで『聖なる一滴』を完成させた。
アルビン・スコーピオン、ニニアラガはそれぞれ30匹使用し、完成した『聖なる一滴』は小瓶の底に薄く溜まる程度であった。目測ではあるが6滴程度と思われる。シェニカ様の作った『聖なる一滴』は、驚いたことに無色透明、無臭であった。
健康体である死刑囚ゼイラ・ハルドル(28歳男性)の剥き出しの胸部に1滴投与したとところ、一瞬で黒い変色が全身に広がり、痙攣が始まった。程なくして口から泡を吹き、白い煙を出しながら皮膚の下で肉が焼けただれて身体の萎縮も始まった。本人の言葉からゼイラの魔力は一瞬で枯渇したと思われる。痛みや痺れは訴えなかったが、あまりのことに本人が口に出来なかっただけなのかもしれない。

投与した数分後に変化は止まったが、ゼイラの全身の肉は焼けて、シワシワで黒くただれた皮膚だけが残った。かろうじて呻き声を上げるだけの体力と生命は残っていたが、ショック状態が酷く、意思の疎通はほとんど不可能であった。



以上より、シェニカ・ヒジェイト様の『白い渡り鳥』の能力を見極める試験結果は、ランクA、S、SSのどの結果にも当てはまらない。だがこの結果は最高ランクのSSの効果を遥かにしのいでいるため、シェニカ・ヒジェイト様に限り、ランクのつけられない『白い渡り鳥』様とすることを決定した。この決定に異議や不服のある者は、ローズ様に明確な意見書を添えて試験日より2か月以内に異議を申し出るように。

以上、シェニカ・ヒジェイト様の試験結果を報告する。


セゼル領ダーファス 神官長ユオシ・アルベ
セゼル領ダーファス 巫女頭ローズ・エルシニア


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



このページだけ小さくたたんだ折り目がついていることから、おそらく手紙で届いたのだろう。それをわざわざご立派な冊子に加工したらしい。ベラルス神官長とは面識はないが几帳面な性格なのだろうか。それにしては、同じ『白い渡り鳥』様なのに、あの4人の書類は随分と雑に扱われていたような印象を受ける。


「まさか『白い渡り鳥』様のランクを『聖なる一滴』の効果で判断していようとは…。エニアス、お前が読んでる冊子の中身は何が書いてある?」


「こちらにはシェニカ様の訪れた街での行動、治療院での様子や評判、護衛の変遷などが記載されています」


「試験内容は置いといて、シェニカ様の行動等については会議の場で述べても良いのに、本国の首都の神官長も金のために黙ってやがったのか。そっちの木箱の山には何が入っていた?」


「木箱1つにつき、1人の『白い渡り鳥』様の情報が書いてある書類が入っていました」


「こんな風に冊子になっていたか?」

手に持っていた『試験結果』の冊子をトントンと指で叩くと、エニアスは小さく首を横に振った。



「いいえ。箱の中に無造作に入れているような状態です」


「そうか。シェニカ様の書類だけご丁寧に冊子にまとめているし、さっきのメモと言い…。ベラルスはよほどシェニカ様の『聖なる一滴』に執着してるな」


ため息をついて『試験結果』の続きのページを捲ると、また何も書いてないページになった。これで終わりかとその白いページを雑に捲ると、また小さくたたんだ折り目のあるページが出てきた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


異例なことではあるが、試験から12時間後、ローズ様の提案でもう一度シェニカ様の『聖なる一滴』の検証が行われた。
被験者は健康体である死刑囚アシュホルド・ノア(22歳男性)。今回、シェニカ様は検証の場には居らず、ゼイラに使用したシェニカ様の『聖なる一滴』を何らかの形で保存した状態で、ローズ様の手により投与された。

12時間経過しているにも関わらず、アシュホルドの変化はゼイラの時とまったく同じで、効果が弱くなった様子は微塵も感じられなかった。
アシュホルドは、ローズ様からの問いかけに魔力が一瞬で枯渇したこと、痺れはないが全身を焼く激しい痛みから逃れるために殺して欲しいと懇願した。
その後2名とも地下牢に入れたが、試験から3日後の夜。地下牢を警備していた神官が、あまりの惨状を見兼ねてゼイラとアシュホルドを殺害した。


保存についての情報を知っているのは、シェニカ様本人とローズ様、そしてこの試験に立ち会っていたランクSの『白い渡り鳥』ジェネルド・バルドアーク様の3名である。
ローズ様にシェニカ様の『聖なる一滴』の保存方法や形状について質問をしたが、返答はなかった。ジェネルド様はいつの間にか神殿を去ったため話は出来ていない。現在、シェニカ様はローズ様の下で軟禁状態にあるため、本人に直接尋ねることも出来ていない。

この報告は、ローズ様の預かり知らぬ私の一存で作成したものであるため、試験結果以上に極秘にすることを求める。
それが守られるのであれば、シェニカ様の『聖なる一滴』の保存に関する新たな情報が入った場合、今後も報告行うことを約束する。


世界中の神官長様方の賛同を得られると信じて。

セゼル領ダーファス 神官長ユオシ・アルベ


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ベラルスのメモに『ユオシを囲い込むことに成功』とあったし、『ローズ様の預かり知らぬ私の一存で作成したもの』ってわざわざ書いてるってことは、シェニカ様の『聖なる一滴』が保存できることをローズ様に口止めされていたユオシは、裏切ったってところだろうか。

どうやって保存しているかは、ネムリスもバーナンも知らない様子だった。ローズ様はシェニカ様の師であるし、ジェネルド様はこういう奴らとは関わろうとしない。シェニカ様本人が協力しないのは言うまでもないが、2人の協力が得られなかったのも当然だろう。



「ここにあるシェニカ様の資料と4人の『白い渡り鳥』様の資料、ベラルスのメモを持って会議室に戻るぞ」


「残りの木箱はどうしますか?」


「全部持っていくと、サザベルの奴らが難癖をつけてくるだろう。ここにあるものは、ウィニストラの首都の神殿にもあるはずだ。今必要なものだけとっておけば、そのままにしておいていい」





神殿を後にして会議室に戻ると、副官達が報告に来て休む暇もない。
副官を始めとする部下達は、戦闘になった場合のことを考えて、睡眠を含めた休息をしっかり取るように交代制で動かしている。自分はエメルバと交代で休んでいるものの、司令塔の役割を果たす自分が長時間休むわけにもいかない。
普通の戦場ならば数時間、長くても半日で勝敗を決するのに、今回ばかりは勝敗を決める国王の行方が掴めないため長期戦だ。




本日何度目になるか分からない溜息を吐きながら頭を抱えていると、エメルバの副官アスギークが自分の前に立った。

「バルジアラ様、井戸の捜索報告です」


「隠し通路はあったか?」


「王宮内に井戸は6つあり、そのうち4つは水が溜められている上に、人が通れるような大きさはありませんでした。水が枯れていた古井戸は中庭、馬屋の2か所で、馬屋の方に隠し通路があり、そこから地下の鍾乳洞に出ました。
鍾乳洞内を進むと広い洞穴が3つあり、そのうち1つは拷問部屋のようでした。そこには最近焼かれたと思われる大量の骨とネームタグが20枚置いてありました。こちらです」


受け取った20枚のネームタグを見ると、全て見覚えのある女の名前だ。手元に持ってきた書類を手にとってネームタグを全部確認すると、人体実験にされた愛人達の名前であることが分かった。


「このネームタグの主は、麻薬中毒の『白い渡り鳥』様の愛人達だ。神官長のメモからすると、その鍾乳洞内で『聖なる一滴』の人体実験をやって、死体を焼いて処理したんだろ。鍾乳洞には俺も行く。案内しろ」



王宮の南西にある馬小屋に行くと、大人が5人は入れそうな大きな古井戸があった。石造りの井戸の縁には緑色の苔が生していて、石の端が欠けている所も多いが頑丈そうな印象を受ける。
ハシゴを下りて井戸の底から空を見上げると、井戸はかなり深い。3階建ての建物を見上げるのと同じくらいだろうか。

井戸の底から横に入って行った場所に、巨体の自分が悠々と通れるくらいの分厚く大きな木の扉があった。ギギギギと重苦しい音を立てて扉を少し開くと、その瞬間から淀んだ空気が流れてきた。
扉を完全に開けば、天井も地面も壁も乳白色しかない世界があった。

中に一歩足を進めて扉をくぐると、一斉に上級兵士達が俺に向かって礼を取った。片手で挨拶を返して中に進むと、会議室と同じくらいの広さがある。乳白色の壁に沿うように長テーブルと椅子が4つ並べられていて、テーブルの上にはペンと真っ白な紙、何かを入れていた大量の革袋が置かれていた。机の下には、空の小瓶が入った木箱が置いてある。コルクで栓をしてあるから未使用品のようだ。


「この洞穴に気になる物はありませんでした。この奥が拷問部屋で、さらにその奥が骨がある場所です」

アスギークの案内で洞穴の奥に続く道を歩くと、今度は錆びた鉄製の頑丈な扉がある。重さもあるようで、アスギークが全身を使って扉を押し開くと、そこは血の匂いが満ちていた。


隣の洞穴と同じくらいの広さのある場所なのだが、天井からは拘束具をつけた鎖が何本も垂れ下がっている。部屋の中には長テーブルが3つあり、その上には血のシミが海のように広がっている。テーブルの側には、コルク栓も中身もない大量の小瓶が無造作に放り込まれた木箱が1つある。
壁沿いにある棚には真新しい血を付けた拷問器具がひしめき、乳白色の地面の凹んだ部分には赤黒い血溜まりが残っていた。


ここであの4人の『聖なる一滴』を使った人体実験をしたのだろう。その惨状を思い浮かべると、拷問の場面に慣れているとはいえ一瞬言葉を失った。


「ここにあるのは拷問器具ばかりで、ネームタグは隣の骨のある洞穴に置いてありました」

拷問した人間を引きずって連れて行ったのか、乳白色の地面に行き先を示すかのような血の道があった。その血の跡を辿るようにアスギークの後ろを行けば、今度は扉も何もないままに今までの洞穴の2倍はある空間に出た。
人間が焼ける嫌な匂いが満ちた洞穴の奥に、血の道は直線に続いている。この洞穴の1番奥は、落盤が起こったのか巨石や土の塊があり、その瓦礫の前に骨の山が出来ていて血の道はそこで途切れている。


「ネームタグはそちらのテーブルの上に置かれていました。この他には何もありません」


「そうか。この場所には隠し通路はなさそうだな。捜索を終えたら、王宮内の他の場所に鍾乳洞に繋がる道がないか探せ」


この場所で発見されたものは愛人たちの骸とネームタグだが、本当に鍾乳洞があるというのが分かったのは大きな成果だ。
学者の資料も合わせて考えれば、王宮の地下に鍾乳洞があってそこに国王らは隠れている。出入り口を見つけてさっさと捕まえなければ、いつまで経っても戦争は終わらない。




「バルジアラ様、まもなくサザベルの将軍らが到着します」

色々と考えながら井戸を出て会議室に戻ると、レーベリオがそう報告して来た。



「とうとう奴らのお出ましだ。いつも通り堂々と正面切って出迎えてやるぞ。エメルバや副官達を王宮前に集めろ」


そう命令を出して椅子を立ち上がると、副官たちを連れて王宮前に移動した。

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