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第16章 日の差さぬ場所で
6.2人だけの時間
しおりを挟む時間の感覚が狂ってしまってどれだけの時間が経過したのか分からないが、シェニカの手を取って日の光の届かない場所を進み続けて結構な時間が流れている。
「この道…。外に通じてるのかな」
「確証はありませんが、この道が正しいと信じて進みましょう」
迷路のような鍾乳洞を歩き、何度も分岐点で頭を悩ませた。特徴のない同じような景色、生き物の気配も感じない世界、冷たく静かな洞窟の中は嫌でも不安を煽られてしまう。
行き先の分からない空間をたった2人だけで歩く。それは彼女にとって重い負担になるだろうと、移動中も休憩中も他愛のない話をして、気を紛らわせようと心がけた。
「シェニカはどんな食べ物が好きなんですか?」
「好きな食べ物?そうだなぁ、私はアップルパイみたいな果物の焼き菓子が好きかな。ディズとユーリくんは何が好き?」
なるほど。果物の焼き菓子ですね。今度美味しいお店を調べてみましょう。無事に地上に戻れた後も、可能なら友人としてお付き合いしたい。欲を言えば、護衛付きでもいいからデートしてみたい。
菓子屋に行ったら彼女と肩を並べてショウウィンドウを眺め、一緒にお菓子を選んでテーブルで食べて…。想像しただけで胸がポカポカと暖かくなる。
「ユーリはクルミなどの木の実やパンが好きです。私は串焼き、焼きそば、たこ焼きみたいな市場の出店にある食べ物が好きですね」
「何だか意外!将軍だから高級品が好きなのかと思った」
私が答えるとシェニカはパッと明るい顔になった。彼女は暗い顔や不安な顔をしているよりも、笑っている時の顔が1番似合っている。自分が彼女にこんな表情をさせられたのだと思うと、とても嬉しい。
「私が将軍になったのはつい最近で、それまではずっとバルジアラ様の元で副官としてこき使われていました。気晴らしに街に行くと、市場で食べる串焼きとか美味しくて。それ以来通って食べるのが習慣なんです。
あ、その辺は足場が薄いみたいなので、私の後ろを歩いて下さい」
「あ~分かるっ!私も市場で食べるけど美味しいもんね。ディズ、危ない所を教えてくれてありがとう」
足場が薄くなっている場所を教えると、手を繋いだまま私の後ろに回った。
ここは乳白色の鍾乳石ばかりの場所なのに、地面から伸びる鍾乳石は大通りの脇にある街路樹、上から下がる鍾乳石は店の軒先に吊るされた商品。移動する度に動く影は街の大通りを歩く人のように思えてきて、まるで人混みの激しい道を手を繋いで歩いているように思える。
幸せ過ぎるとこんなにも想像力が豊かになるのかと自分でも驚いた。
「あ…行き止まり」
「ですね…。1つ前の分岐点に戻りましょう」
しっかり手を繋いで来た道を戻っていると、隣を歩く彼女は俯いてポツリと言葉をこぼした。
「ねぇ、ディズ」
「どうしました?」
「私達、外に出られるのかな…」
「出られます。不安なのは私も同じですが、前に進みましょう。頼りないかもしれませんが、私がついています」
「チチチチッ!」
シェニカの旅装束の隙間から顔を出すユーリが、僕も!と言わんばかりの元気の良い返事をした。
私が嫌がるような人間を前にすると、ポーチか服の中に逃げ込んで出てこようとしないのに、シェニカにはすっかり気を許している。ユーリのおかげでシェニカは随分と笑ってくれるから、地上に戻ったらしっかりご褒美をあげなければ。
「ユーリも『僕もついてるから安心して』と言っています」
天使の微笑みで私を安心させてくれたように。今度は私が彼女を安心させることが出来るように、立ち止まって笑顔を見せるとシェニカは焦り始めた。
「そんなことないよ!ディズは将軍なのに驕ってないし、優しくて強くて…すごく頼もしいよ。ユーリくんは可愛くて、優しくてとっても良い子だもんね」
「そんなに持ち上げられるとプレッシャーになりそうですが、シェニカにそう言ってもらえて本当に嬉しいです」
「ユーリくん、撫で撫でさせて」
目の前に差し出された小さな手にユーリが飛び乗ると、シェニカは愛おしげにフサフサの毛を撫で始めた。指で優しく撫でられるユーリは、気持ちよさそうに目を閉じてされるがままになっている。
「うーん。もふもふ。癒される~」
「ユーリは私の次にバルジアラ様にも懐いているんですが、あの方の指が太いからなのか、力が強いのかは不明ですが、シェニカに撫でられている時の方が気持ちよさそうにしていますね」
「本当?!じゃ、ユーリくん。これからいっぱい撫で撫でしてあげるね」
ユーリを見つめる彼女の目は、キラキラしていてとても可愛い。こんな環境でもそんな表情が見れるなんて、ユーリが自分の相棒で本当に良かった。もっと幸せそうな、楽しそうな笑顔が見たい。そんな思いでシェニカとユーリを見守った。
「じゃ、行こうか。ユーリくん、服の中にどうぞ」
「チチチチ~!」
「んふふっ!ユーリくん、本当に可愛いなぁ」
気持ちの良い時間を過ごしたからか、ユーリは以前よりも元気になってシェニカの旅装束の隙間へと戻って行った。
そしてまた歩き始めると、気持ちが前を向いたのかシェニカは少し歩くペースを上げた。
「私ね、今まで将軍とか神官長とか王族とか、肩書きだけで近寄らなかったり、ロクに喋ったりしなかったの。でも、ディズみたいな良い人が居るんだと思えば、もっと話して、その人を知ってから距離を置くのか判断しても良かったかなって思った」
「確かに、シェニカを利用しようと考えて近付く者は多いでしょうが、話してみることも大事ですね。あ、私はここにいる間も、出た後も、シェニカを利用しようなんて全く考えていません」
幸せすぎてすっかり頭から飛んでしまっていたが、彼女は自分のような軍人や王族、貴族、そして神殿とも距離を取っている人だ。
ここで交わした会話や時間は、自分だけの大事な宝物だから「国のために教えろ」と要求されても言うつもりはない。そんなことになるのなら、処分を受けたり退役したって良い。
でも、『受けた恩が大きかろうと小さかろうと、同等以上で必ず返すのが大国としての振る舞いだ』と矜持にしている国王陛下は、大恩のあるシェニカに対してそんなことは言わないだろう。そして、バルジアラ様もそんなことは言わないはずだ。
「ディズは大丈夫って思ってるよ。下心があったら、もっと違うものを感じるし」
「違うもの?私からは何を感じますか?」
「純粋な優しさと誠実さかな。友人としても誠実に接してくれるし」
自分の彼女への誠意がきちんと伝わっているのだと思うと、とても嬉しい。出来れば、自分の彼女への愛情も伝わってくれると良いのだが。
でも、今はそんなことを考えられるような状況じゃないから、伝わらなくても別に構わない。自分の幸せな時間が彼女にも伝わって、少しでも不安を感じないようならそれで十分だ。
「私の気持ちが少しでも伝わってくれて嬉しいです。私にシェニカのこと、もっと教えてくれませんか?」
「もちろん!じゃあディズのこともっと教えて!不思議なんだけど、私、ディズのことよく知らないのに、なんだか一緒にいると落ち着くの」
「私も何だかシェニカといるととても落ち着くんです。こんな状況ですから、楽しいことを考えましょう」
警戒心の強いシェニカに「一緒にいると落ち着く」と言われてとても驚いた。
自分が感じていた幸せな気持ち、彼女への恋心も伝わると良いなと、胸に渦巻くむず痒いものを心の中で大事に抱きしめた。
静かで繋いだ手から伝わるあたたかな体温で彼女の存在を感じ、ギュッと握られると頼られているように感じてとても嬉しい。2人だけの時間は急速に私達の距離を縮めていった。
「今日はこの辺で休みましょう」
「じゃあ、ご飯にしようか。今日は干し肉とレーズンでいい?」
「もちろんです。ありがとうございます」
シェニカの保存食を食べた後、抱きしめ合って寝るまでは談笑の時間にしようと、2人で大体の生活リズムを決めた。
ユーリの存在もあり、色々と話をして随分打ち解けてきた頃、聞きたかった質問をしてみた。
「ルクトさんとは喧嘩中なんですか?」
「え」
隣に座るシェニカは肩に乗るユーリを撫でていた手を止め、私に驚いた表情を向けて固まってしまった。
「違ったらすみません。でも、トラントに向かい始めてから、何だかギクシャクした感じがしたので」
「あ…。見られてたんだ」
彼女はユーリを指で撫でながら、バツの悪そうな顔をした。
移動中のシェニカは強張った表情だったが、それは慣れない戦場にいる不安感と攫われるかもしれないという恐怖感からくるものだと誰もが思ったはずだ。
でも、そうではないと自分が確信したのは『赤い悪魔』の苛立ちと表情だ。
彼はラーナを出発して以降、何かを堪えるような表情でシェニカを後ろから見ているし、バルジアラ様が近くにいるとはいえ、やたらとイライラしていた。それに、シェニカは護衛である彼から少し距離を取りたがっている様に見えた。
治療してもらった日まではそんなことはなかったのに、次の日にはそんな状態ということはあの晩に乱暴したのだろう。
「ではやはり喧嘩を?」
「喧嘩…ではないんだけど。
こういう話をディズにするのは恥ずかしいけど。なんていうか。乱暴にされた時の恐怖が消えなくて。怖くてルクトの顔がまともに見れないの」
「どうしてそんなことをしたんでしょう。恋人である女性を乱暴するなんて…」
「ルクトはバルジアラ様にいい感情を持っていないから、今回こうして同行することを納得してないんだと思う。それにバルジアラ様に復讐したいってずっと前から言ってたから、本人を前にすると気が昂ったらしくて…」
「彼はプライドが高い人ですから目の前にバルジアラ様がいればそうなるのでしょうね。でも、それはあくまで彼自身の問題で、シェニカには関係ないことなのに」
護衛だろうが恋人だろうが、守るべきシェニカに「恋人だから」という理由で乱暴が許されるはずもない。首の後ろにあった歯形を思い出すと、あの男への怒りがフツフツと湧き上がってくる。
「どうしたらいいんだろう。私、どうしていいか分からないの」
シェニカは膝に埋めるように顔を隠してしまった。ユーリは心配そうに、シェニカの耳元でチチチと小さく鳴いている。
「シェニカは何も悪くないのだから放っておけば良いと思いますよ。シェニカが許せないのなら、別れてしまえばいいのでは?」
「でも、ルクトは護衛だし」
顔をあげた彼女の目には涙が滲んでいた。ユーリは彼女の気持ちを察したのか、彼女の首にスリスリと頬を寄せた。
「護衛だから恋人になったわけではないでしょう?逆もまた同じです。世の中に男性はたくさんいます。護衛だからとか、彼1人にこだわる必要はないと思います。もっとシェニカに相応しい者がいるかもしれません。
彼と別れることが護衛も辞めることになるのなら、どこか大きな街で護衛を探してみては?今までの旅で、護衛を引き受けてくれそうな方と知り合いになったりしていませんか?」
「確かにシューザやレオン、エアロスに一時的に頼むことも出来るけど…彼らは請けてくれても短期間だし」
シェニカはそう言って頭を抱えた時、なんだか申し訳なさそうに顔を上げた。
「イルバ様なら…長期で護衛を引き受けてくれる、かな?」
イルバ『様』?傭兵相手に敬称はつけないはず。敬称をつけるということは身分や地位がある人物というところだろうか。でも、彼女はそういう者たちには近付こうとしないはず。
「イルバ様とは?」
「イルバ様はギルキアのアネシスという街の神殿から、護衛として紹介された人なの。
以前治療院で会った時から私のことを真剣に想っててくれたらしくて、私に会うために軍を退役して神殿に入ったそうで…。
私は会ったことを覚えていないんだけど、イルバ様は私のことを好きって、愛してるって言ってくれたの。
恋人になれなくても護衛として同行したいって、神殿を辞めてもいいって言ってくれたんだ。でも、私はルクト以外の人と恋人になるのは考えてなかったし、護衛も増やそうと思ってなかったからお断りしたの。
その人なら…。恥を忍んで護衛をお願いしたら受けてくれるかな?都合が良すぎる、かな?」
「その方は、シェニカに声をかけて貰えたらきっと喜んで引き受けると思いますよ。カケラの交換はしていますか?」
「ううん、してない」
「では、アネシスからこちらに来てもらえるように、私が間に入ってウィニストラの神殿から呼び寄せる手続きをしましょうか」
「あ…。でも、ルクトがなんて言うか。それにイルバ様には期待させてしまうし。なんか、こう。それは申し訳ないというか。ルクトを傷つけちゃうかな。あ、でも…。あぁ、考えがまとまらない」
悩むシェニカの姿を見ていると、『赤い悪魔』を嫌いになりきれないようだ。
本当は乱暴を働いたあの男のことなど忘れて、その気持ちを自分に向けて欲しい。でも、残念だが今はその時じゃない。
「その様子だと、シェニカはルクトさんが嫌いになっていないのですね」
「どうなのかな…。彼の気持ちもだけど、自分の気持ちも分からないの。乱暴にされた時、すごく怖かった。痛いって、嫌だって訴えても全然聞いてくれなくて。
誰に助けを求めたら良いのか分からなくて、守ってくれる人がいないと、こんなに私は無力な存在なんだって思い知らされたの。ごめんね、こんな話をして。本当ならディズに話すことじゃないのに」
シェニカが沈んだ顔をしながら不安な胸の内を吐露すると、私は両手で彼女の冷えた手を包んで温めた。
普段なら有り得ないほど戦場に近いという慣れない状況と、シェニカに取り入ろうと積極的に動くキルレの者達が居る、というだけで彼女は不安だっただろう。
接触を好まない彼女のために、攫いに来るトラントから守り、彼女を戦場介入しないように注意を払い、ウィニストラは極力シェニカに接触しないようにした。
本来なら国を挙げてもてなすべき身分の高い方を、粗末な食事、テントでの寝起き、馬車ではなく馬での移動を強いさせた。
苦情が入るのを覚悟していたが、ファズからは「苦情も要望も、何一つ受けておりません」と報告を受け続ける。
大丈夫だろうかとシェニカの様子を伺えば、暗い顔をして、護衛すら遠ざけるほど塞ぎ込んでいて痛々しい様子だった。何か出来ることはないかと思ったが、こちらから積極的に動こうとすれば、彼女に余計な心労をかけると考えて何も言えなかった。
なのに、疲弊した彼女を支えられる唯一の男が裏切りとも言える行為をしていたとは。頼る者を失って孤立したシェニカは、色んなものを胸に溜め込んでいただろう。
こういうことにどう対処していいか分からないが、心に溜め込んだ暗い気持ちを吐き出して、少しでも楽になって欲しい。
「シェニカは無力な存在ではありませんよ。貴女は身分を問わず、多くの人を救ってくれる尊い人です。
貴女が居なければ、私はこうして動くことは出来ず、ずっとベッドの上で寝たきりの状態でした。シェニカのおかげで、私だけでなく多くの人達が今まで救われたでしょう。だから、シェニカは無力な存在ではありません。私は貴女に助けてもらった恩を返したい。だから、これからは私も頼って下さい」
「ディズ…。ありがとう。そろそろ寝ようか」
「ええ。そうですね。ユーリ、ポーチに戻って下さい」
冷たい地面に座ると、組んだ足の上に彼女を乗せて毛布で包んで抱きしめた。バルジアラ様のような恵まれた身体ではない自分でも、彼女の小さな身体はすっぽりと収まる。
「ルクトさんは、シェニカを好きだから独り占めしたかったんですね」
「え?」
自分の胸に頭を預けていたシェニカは、私を不思議そうに見上げた。
小さく開いたピンク色の唇はあまりにも無防備で、気を抜くと吸い寄せられてしまいそうだ。そうならないようにと、彼女を少しだけ強く抱きしめた。
「彼はシェニカを他の男性に目を向けさせないように近付く者を遠ざけ、離れられないように自分に依存させたのでしょう。
だから、シェニカが彼を拒絶した時、頼れる人が居なくて孤独になってしまったのでしょうね」
「依存かぁ。確かにそうかもしれない。彼以外に頼れる人が居なくて逃げ場がなかったし」
「ここを脱出したら、彼と話し合う必要があるでしょう。その時、不安なら私が同席しましょうか」
「ううん。人の目がある所だったら、彼も乱暴なことしないと思うから大丈夫だよ。私達の問題だし、甘えてばかりじゃディズにも迷惑だし」
「シェニカ、1人で抱え込んではいけません。甘えるということは悪いことではないのですよ。むしろ弱い部分を見せてくれると、信用されていると実感出来て嬉しいです。だから私はシェニカに頼って貰えると嬉しいのですけど、私では力になれませんか?」
「そんなことないよ。今まで王族や貴族、将軍とか関わると、万が一の時が来たら嫌だから、足元を掬われないようにずっと1人で気を張って来たんだ。
何か揚げ足を取られるような弱みを見せたら、そこに付け込まれてしまいそうで怖かったの」
「貴女が私に助けを求めてくれれば、私は何処へでも行きます。例え、それがルクトさん相手でも」
「そんなことは出来ないよ。でも、そう言ってくれて心強いや。ディズ、相談のってくれてありがとう。ちょっと元気出た」
そう言って、シェニカは私に明るく可愛らしい笑顔を見せてくれた。
「この2人きりの間は、身分なんて関係ないただの友人同士。気を張る必要はありませんから甘えて下さいね」
「うん!ディズも私にも甘えてね」
「ええ。甘えさせて貰います。そういえば、シェニカは他に恋人を持ったりしないんですか?」
戦争が始まる前に首都で行われた会議の時、神官長は『白い渡り鳥』様全員についての報告を行った。その時、「シェニカ様の現在地は把握出来ていません。最近入った情報によりますと、シェニカ様には恋人が1人いらっしゃるそうですが、ご結婚はされていません」と言っていた。
『白い渡り鳥』様は複数の相手を持つのが普通。『赤い悪魔』との関係がどうなるのかは分からないが、これから先、シェニカはどうするのだろうかと聞いてみたかった。
「私は好きな人とだけお付き合いしたいし、恋愛なんてルクトが初めてだったから、複数の人と恋愛出来るほど器用じゃないの。だから他に恋人なんて作るのは出来ないよ」
「シェニカは以前の『白い渡り鳥』様と同じ恋愛観なんですね」
「どういうこと?」
「今の『白い渡り鳥』様は結婚した配偶者でさえ、一時の関係でしかない愛人です。
でも、ずっと前の『白い渡り鳥』様は、配偶者もそれ以外のお相手も決まった方で仲睦まじい関係だったそうなんです」
「そうなんだ。昔の人って、やっぱり護衛の人と結婚してたのかな」
シェニカは首を傾げながら私を見ている。その姿がまた可愛くて、思わず笑みが溢れる。彼女の恋愛観が今の『白い渡り鳥』様とは違って、庶民の感覚に近いことをとても嬉しく思えた。
「護衛の傭兵や学者、商人、将軍などが多かったと聞きました」
「へ~!将軍と結婚する人っていたんだ」
「ええ。今は『白い渡り鳥』様と結婚する将軍はいませんが、昔は1人の『白い渡り鳥』様で、違う国の将軍とご結婚されている例もあったそうです」
「結婚相手に将軍が2人以上いて、それぞれ違う国の人ってことでしょ?それって大丈夫なの?」
「将軍職にあるものはその国の機密事項を扱っていますが、それを漏らせばどうなるか分かっているからこそ家族に漏らすことは絶対にありません。将軍の夫同士は決して馴れ合うこともしませんし、腹の探り合いをするかもしれませんが、上手くあしらっていたはずです」
「でもその国同士が戦争になったら…」
「その場合、残念ながら敵として対峙することになりますが、それも運命ですので仕方ありません。ですが、『白い渡り鳥』様との縁は国としても大事にしたいものなので、その国とは戦争を避ける傾向があるそうです」
「そうなの?なんで?」
「その国が戦争をして夫が2人とも死んだ場合、子供がいれば縁は残りますが、いなければ国との縁が切れてしまいます。
どちらかが死んでしまうと、生き残った方は夫を殺した国だからと憎まれて離婚されてしまったり、子供がいても疎遠になってしまうかもしれない。
だから、結婚した相手同士の国はいがみ合っていても、婚姻関係が継続している間は戦争は避けた方が良いと判断することがほとんどだったそうです。
友好国同士であれば、それぞれの国で行われた結婚式の時にも、互いの国の王族が出席して祝福していたそうですよ。
シェニカも気に入った人が複数いれば、愛人ではなく昔と同じ様な夫や伴侶を持ってみると良いのでは?」
「うーん。そうは言っても、そういうのはなかなか…」
「気に入った方が複数いればの話ですから、急いで作る必要もありません。今は伴侶という人が居なくなって、夫ですら入れ替わりの激しい愛人ですから結婚式も挙げません。でも、昔は配偶者が複数居てもきちんとした婚姻関係だった、ということは知っておいた方が良いかもしれませんね」
「うん、そうね。じゃ、そろそろ寝るね。おやすみ」
「おやすみなさい」
そう伝えるとシェニカは穏やかに笑って、私の胸に顔を寄せて眠りに入った。
これを機に私と…なんて甘い考えを持ったが、この様子では『赤い悪魔』とは簡単に別れないようだし、恋人を増やすのも簡単ではないだろう。
毛布にくるまってシェニカと抱き締め合い、可愛い寝顔を見ながら刹那の幸せを享受する。
時間の経過と共に自分の中でシェニカへの気持ちは膨らむばかりだ。
無事に外に出るという同じ目的に向かって進み、誰の邪魔も入らず愛しくてたまらない彼女を独占する。そんな濃密な時間は、自分の中に芽生えた恋心をあっという間に愛に変えていく。
服越しに伝わってくる温かな体温を感じていると、あの男が独占して自分に依存させた気持ちがよく分かる。自分の腕の中で安心して眠る愛しい存在をこの手で守り、彼女に愛されたいし自分も彼女を愛し抜きたい。
誰にも渡したくない。自分だけのものでいて欲しい。
その強い独占欲が支配欲に変化し、少しずつ彼女を自分の良いように行動させるようになったのだろう。そして、行動だけでなく、彼女の気持ちまでも自分の意のままに扱えると思った。だから乱暴にした後、ラーナを発った時まではあの男は何食わぬ顔をしていた。
でも、深く傷ついたシェニカが拒絶して近付けなくなり、思い通りにならない状態が続いて彼は苛立った。
プライドが高く軍人を敵視している彼は、バルジアラ様への憎しみが自分で処理出来なくて、その捌け口を目の前の非力な彼女に向けたのだろう。
それはとても腹立たしく許せない事ではあるが、肝心のシェニカは完全には彼を見捨てていない。それだけ2人の間に築かれた信頼関係が強固なものだったのだろう。
自分より先に出会って既に恋人関係にあるあの男については諦めるしかないが、神殿が画策しているような男の押し付けは許せない。
でも、話を聞く限り、アネシスの神殿から紹介されたイルバという人物はシェニカを本気で想っていたんだろう。
神殿からの紹介であるにも関わらず、警戒しているシェニカにそこまで思わせたイルバという人ならば彼女に乱暴することもないだろう。そういう人が旅に同行すべきだと思うが、ライバルが増えてしまうのは嫌だとも思う。
自分も軍を退役して彼女の護衛になれば邪な目的の者達を排除してやれるが、将軍職を辞めることも退役後に国外に出ることも、そう簡単には許してもらえない。
どんなに自分が愛していても、例えシェニカと想いが通じて愛し合っていても、そばにいられないというのは大きなハンデだった。そんな状況であるなら、どうするべきか。
道は険しく長く、実を結ぶかも分からない。でも、心に芽生えたこの気持ちを捨てることなんて出来ない。ならば、我が道を行くしかない。
そんなことを考えていたら、腕の中でシェニカが自分の胸に頬をすり寄せて来た。
「ユーリく~ん…。ふふっ!」
寝言でもユーリを呼んでくれているということは、夢の中に自分も一緒に出て来ているのかもしれない。
そんな期待を持つだけでもとても嬉しかった。
「愛しています。好きになって欲しいなんて贅沢は言いませんから、シェニカも私のことを少しでも知って、戻ったあとも友達のまま親しくしてくれたら嬉しいです」
無事にこの地下空間を出た後のことを考えると、胸が熱くなり楽しみで仕方なくなる。
もう一度シェニカを抱きしめて、柔らかな身体の感触を全身で感じた。
彼女のあったかい体温、微かな甘い香り、可愛い寝顔を見ていると、自分の中で男としての欲求が湧き上がってくる。
今すぐに彼女の唇に自分のそれを合わせて、首元から覗く白い肌にも唇と手を這わせたい。
あの男のように乱暴にではなく、愛しむように優しく丁寧に触れて愛し合いたい。
そんな湧き上がってくる欲望を、今まで鍛えた理性で押し殺して目を閉じた。
ーーいつまでもこうしていたい…。
好きな女性とこうして抱き締め合うのがこんなにも胸が高鳴り、幸せな気持ちにさせるものだと初めて知った。
もっと彼女のことが知りたい。
もっと自分のことを知ってほしい。
生まれて初めて味わう恋は、薄暗く乳白色しか無い鍾乳洞ですら生き生きと映ってしまうほど鮮烈だった。
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