教室の窓から

いえろ~

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第1章 春

7.鉛筆の音

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 2人が来たのは近くの公園だった。公園と言っても、人気は全くなく、錆びついているいくつかの遊具が寂しく設置されているだけだ。春とは思えないくらいの真っ赤な空がその哀愁を後押ししている。2人は公園にある唯一のベンチに腰掛けた。

 岡はスケッチブックと鉛筆を取り、描き始める。

 響く鉛筆の音を聞きながら、嵯峨本さがもとはぼうっとブランコを見つめる。

 子供の頃も何も考えずに過ごしてたな。いつからだろう、何かを考えなくてはならなくなったのは。いや、人は誰であろうと、そうしなくてはならないのだろう。

 将来の夢は何かな? 小学校の頃からこの類の質問が苦手だった。未来を想像することができなかった。有名人のテレビを見ても、伝記を読んでも、それを自分事に感じることができなかった。皆は嬉々として夢を語るが、それに憧れや、嫌悪さえも感じなかった。ただひたすら「無」だった。

 将来なんてわからないのに、何で将来の目標や夢を決めなくてはいけないのだろう。何で急がなくてはならないのだろう。

 何で美術科に行きたいん? そもそも、何で絵を描いてるん? いつから夢を持ったん?

 そんなことを訊こうと思ったが、自分ならできない、吸い込まれそうな顔を彼がしていたから、躊躇した。その顔を見て、彼は本当に絵を描いていたいとわかって、ほんの少し安堵した。しかしすぐにどうでもよくなった。むしろ、帰りたくなった。

 何もやりたくない人間はいない。ならば、俺のやりたいことは何だ。いっそ、誰かが与えてくれたら楽なのに。どうせ自分は見向きもしないが。

 嵯峨本を巣食う虚無の穴。空っぽの穴に、真っ赤な空と、軽い鉛筆の音だけが詰め込まれている。

   * * *

「ただいま」

「おかえり。遅かったじゃない」

 岡が帰宅したのは6時過ぎだった。嵯峨本に勉強を教えてもらっている最近でさえも5時半近くだったこともあり、母は心配していたようだ。そんな母をお構いなしに、岡は通学鞄から一枚の紙を取り出した。スケッチブックから切り離した、丈夫な紙だ。

「僕、橋高には行かない。美術科に行く」

「あなた、美術科って……。母さん言ったよね。あなたには」

「この絵を見て。ちゃんと見て」母の言葉を遮って、紙を突き出す。

 その絵は、鉛筆だけで描かれていた。ブランコ、すべり台、芝生の先の小さい池、夕焼け空。学校近くの公園の風景のようだ。

 正直、絵のことはわからない。ただ、それぞれの対象が正確に描かれていて、夕焼けのグラデーションはどこか情緒的で、池の水面は揺れているようにも見えた。暫く見ていると、何故か懐かしい気持ちが湧き上がってくる。

「あなたの絵、初めて見るわ」母は紙を返す。

「あなたの意志はわかりました。でも、ちゃんと勉強してもらいます」

「母さん!」岡は焦って叫ぶ。

 母は、穏やかな表情で言った。

「どこの高校に行こうとも、勉強ができないとどこにも受からないわよ。あなた、今まで5教科全部赤点じゃない」

 すると、突然母が息子の身を引き寄せ、抱擁した。息子は急のことで躱すこともできず、為すがままに受け止める。

「ごめんね。あなたがこんなに本気ってわからなかった。遊びだと思ってた。でも……、あなたは本気なのね。お父さんにもこの絵を見てもらいましょう。きっと喜ぶわ。そうだ、お姉ちゃんのところにも」

「いいよ、恥ずかしいから――」

 置かれている状況に慌てて、岡は軽く突き飛ばして控えめに言った。
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