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第2章 ライフワーク
第15話 秘伝
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柳生宗厳が金春八郎に伝えられた『一足一見』の習いは、舞台における足の運びや呼吸、感覚を指し、転じて新陰流の足捌きや縣待の呼吸、足底感覚の基礎となる。
新陰流の足は小指、足刀、踵の三点を重視し、親指は浮いて余裕がないとならない。
足底が自在であれば、縣待が自由となり、捌きに力が籠るのだ。
新陰流から金春流へもたらされたのは『西江水』と言われる概念であった。
西江(揚子江)の水を呑むという禅話に倣い、姿勢や力み、心構えを解く考え方だ。
丹田への意識は姿勢を正し、体幹の安定は無駄な動きを無くし、静の勢いは自然の威圧に通じて相手を呑む。
西江水を得た金春八郎氏勝は、宝蔵院流槍術、大坪流馬術、新陰流等の皆伝を授かった。
しかし、氏勝は若くして亡くなり、金春流は幼い子供の七郎重勝が継ぐこととなる。
金春流の技能は大夫職を代行する安照が教えたが、老齢の安照は年齢に不安があったのだろう。関連書物を次男と三男に預け、もしもの時に備えた。
とはいえ、八郎氏勝が得た肝心の西江水は誰にも教えるコトが出来ず、七郎重勝は柳生宗矩を頼った。
これは七郎重勝が江戸にいたコトと、宗矩の能楽好きが巷の噂になるくらいだったため、頼み易かったコトにある。
結局七郎重勝は西江水を修め直し、知己を得た又十郎宗冬は金春座に入り浸るコトとなる。
惜しむらくは、七郎重勝が得た西江水は宗矩独自の見解によるものであり、八郎氏勝が得た西江水とは違うものであった。
何故なら、宗矩は宗厳から西江水を教授されていなかったからだ。
宗厳の西江水は新陰流の道統と共に孫の兵庫助利厳に渡された。
つまり、宗矩の新陰流は将軍家兵法指南でありながら、流派本流ではなく傍流となる。
宗厳は柳生本家を宗矩に与え、道統は頑なに与えるコトを拒んだのである。
これは、クレイの前世、十兵衛もまた完全な新陰流を受け継いでいない証左となる。
宗矩は宗厳の新陰流に独自の解釈を付けて兵法書を著し、体裁を整える。
宗矩の西江水は、その延長線上にあるものであった。
シチローをもう一人のメイド、サクラに預け、自室に向かうクレイに、ナターシアが太刀を抱くように従う。
クレイは自室の文机に着くと、さらさらと手紙を認め、蝋封してナターシアに渡す。
宛先はこの町の領主、サザビー辺境伯である。
手紙には一言、『面白いヤツを見つけた』とあった。
ナターシアはすぐに小間使いの少年を手配し、使いに出した。
夕食をシチローと共にしたクレイは、シチローの取り扱いを決める意味で探りを入れようとした。
夕食の内容も、日本人に合わせた日本食に似たメニューを指示している。
もっともクレイ自身がそれを好むため、クレイの屋敷では日本食っぽい食事が基本ではあるが。
ちなみに、メイドたちや使用人たちは、この町で食べられる家庭料理がメインである。
クレイはまず、メイド長のナターシアを紹介し、ナターシアにはシチローは転生者であると説明する。
シチローは頷きながら、
「平成日本から」
と、前世の元号を含めて自己紹介をする。
「平成というのは、シチローがいた時代・・・元号ということか?・・・シチローの言に合わせると、オレは寛永日本からの転生者ってコトになるな」
「寛永?慶安ではなく?」
クレイのおどけた言葉に、シチローが驚いた。
「慶安?」
聞き慣れない元号に、クレイの目が細まる。
確認するというコトは、シチローはクレイの前世を知っていると言うコトになり、シチローが知る情報とクレイの言葉に齟齬があったコトを意味する。
「その様子だと、ある程度オレの素性を推察していたようだが、何故そこまで驚いている?」
シチローは答えない。
というより、何かを考えているようだ。
「まず、シチローはオレを誰とみた?」
クレイは促すようにシチローを見詰めながら問うた。
「・・・柳生十兵衛三巌」
あにはからんや、シチローはクレイの前世を正確に推測していた。が、それでは何故驚いたのかの説明がない。
むしろ十兵衛と言う人物を知っているコトこそに、クレイは驚いた。
クレイの中では、柳生十兵衛は若輩で消えた兵法者の一人でしかない。
将軍家兵法指南役の父を持つが、何を残したわけでも、何かを成し遂げたわけでもない。
同じ時代を生きた人間になら、名前の残滓くらいはあるかも知れないが、何百年の後の子供が知るコトに疑問すら抱く。
「ふむ。では、何故驚いた?」
身内の疑問などおくびにも出さず、クレイは言葉を継いだ。
「・・・柳生十兵衛三巌の没年と違ったから」
「ちなみに、シチローが知る十兵衛の没年は何年になる?」
暗に同一人物ではない可能性を匂わせつつ、クレイは質問を続ける。
「慶安三年三月、大和柳生庄大河原村弓淵にて・・・」
クレイが目を見張る。
大和の国柳生庄は柳生家の采地である。また、大河原村弓ヶ淵は弟左門友矩の知行地だ。
新陰流の足は小指、足刀、踵の三点を重視し、親指は浮いて余裕がないとならない。
足底が自在であれば、縣待が自由となり、捌きに力が籠るのだ。
新陰流から金春流へもたらされたのは『西江水』と言われる概念であった。
西江(揚子江)の水を呑むという禅話に倣い、姿勢や力み、心構えを解く考え方だ。
丹田への意識は姿勢を正し、体幹の安定は無駄な動きを無くし、静の勢いは自然の威圧に通じて相手を呑む。
西江水を得た金春八郎氏勝は、宝蔵院流槍術、大坪流馬術、新陰流等の皆伝を授かった。
しかし、氏勝は若くして亡くなり、金春流は幼い子供の七郎重勝が継ぐこととなる。
金春流の技能は大夫職を代行する安照が教えたが、老齢の安照は年齢に不安があったのだろう。関連書物を次男と三男に預け、もしもの時に備えた。
とはいえ、八郎氏勝が得た肝心の西江水は誰にも教えるコトが出来ず、七郎重勝は柳生宗矩を頼った。
これは七郎重勝が江戸にいたコトと、宗矩の能楽好きが巷の噂になるくらいだったため、頼み易かったコトにある。
結局七郎重勝は西江水を修め直し、知己を得た又十郎宗冬は金春座に入り浸るコトとなる。
惜しむらくは、七郎重勝が得た西江水は宗矩独自の見解によるものであり、八郎氏勝が得た西江水とは違うものであった。
何故なら、宗矩は宗厳から西江水を教授されていなかったからだ。
宗厳の西江水は新陰流の道統と共に孫の兵庫助利厳に渡された。
つまり、宗矩の新陰流は将軍家兵法指南でありながら、流派本流ではなく傍流となる。
宗厳は柳生本家を宗矩に与え、道統は頑なに与えるコトを拒んだのである。
これは、クレイの前世、十兵衛もまた完全な新陰流を受け継いでいない証左となる。
宗矩は宗厳の新陰流に独自の解釈を付けて兵法書を著し、体裁を整える。
宗矩の西江水は、その延長線上にあるものであった。
シチローをもう一人のメイド、サクラに預け、自室に向かうクレイに、ナターシアが太刀を抱くように従う。
クレイは自室の文机に着くと、さらさらと手紙を認め、蝋封してナターシアに渡す。
宛先はこの町の領主、サザビー辺境伯である。
手紙には一言、『面白いヤツを見つけた』とあった。
ナターシアはすぐに小間使いの少年を手配し、使いに出した。
夕食をシチローと共にしたクレイは、シチローの取り扱いを決める意味で探りを入れようとした。
夕食の内容も、日本人に合わせた日本食に似たメニューを指示している。
もっともクレイ自身がそれを好むため、クレイの屋敷では日本食っぽい食事が基本ではあるが。
ちなみに、メイドたちや使用人たちは、この町で食べられる家庭料理がメインである。
クレイはまず、メイド長のナターシアを紹介し、ナターシアにはシチローは転生者であると説明する。
シチローは頷きながら、
「平成日本から」
と、前世の元号を含めて自己紹介をする。
「平成というのは、シチローがいた時代・・・元号ということか?・・・シチローの言に合わせると、オレは寛永日本からの転生者ってコトになるな」
「寛永?慶安ではなく?」
クレイのおどけた言葉に、シチローが驚いた。
「慶安?」
聞き慣れない元号に、クレイの目が細まる。
確認するというコトは、シチローはクレイの前世を知っていると言うコトになり、シチローが知る情報とクレイの言葉に齟齬があったコトを意味する。
「その様子だと、ある程度オレの素性を推察していたようだが、何故そこまで驚いている?」
シチローは答えない。
というより、何かを考えているようだ。
「まず、シチローはオレを誰とみた?」
クレイは促すようにシチローを見詰めながら問うた。
「・・・柳生十兵衛三巌」
あにはからんや、シチローはクレイの前世を正確に推測していた。が、それでは何故驚いたのかの説明がない。
むしろ十兵衛と言う人物を知っているコトこそに、クレイは驚いた。
クレイの中では、柳生十兵衛は若輩で消えた兵法者の一人でしかない。
将軍家兵法指南役の父を持つが、何を残したわけでも、何かを成し遂げたわけでもない。
同じ時代を生きた人間になら、名前の残滓くらいはあるかも知れないが、何百年の後の子供が知るコトに疑問すら抱く。
「ふむ。では、何故驚いた?」
身内の疑問などおくびにも出さず、クレイは言葉を継いだ。
「・・・柳生十兵衛三巌の没年と違ったから」
「ちなみに、シチローが知る十兵衛の没年は何年になる?」
暗に同一人物ではない可能性を匂わせつつ、クレイは質問を続ける。
「慶安三年三月、大和柳生庄大河原村弓淵にて・・・」
クレイが目を見張る。
大和の国柳生庄は柳生家の采地である。また、大河原村弓ヶ淵は弟左門友矩の知行地だ。
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