飛ぶことと見つけたり

ぴよ太郎

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 「えー、今年もフィーエルヤッペン関東大会の季節がやってまいりました」

 笠木さんが元気に演説しているが、やっぱり誰も聞いていなかった。山下は相変わらずねちねちした粘着質な目線を俺と小笠原先生に向けてくるし、俺も相変わらず出来るだけ小馬鹿にしているような視線を心がけながらにらみ返していた。できればバチバチという感じを演出したかったが、ほんわかした空のもと、わたあめのような雲を頭上にぶつかる視線に攻撃的情熱を込めることは難しかった。キッチンにこびりついたゼラチンに湯をかけた時のような、不愉快な粘着感が漂っただけだった。
 小笠原先生は競技を初めて二週間目ということもあり見学だけである。幸子さんと遠足に来た小学生のような表情を浮かべながら弁当を取り出していた。苦手なタコウインナーが綺麗に作れたと、嬉しそうに語っている。
 興味のない演説でも、不思議と最後だけはしっかりと耳に入ってくるようで、さっきまで聞いていなかったのに、笠木さんが「それでは、開幕です!」と言うとみんなは一斉に拍手した。笠木さんも光悦の表情を浮かべ列に戻ってきた。

 「小笠原先生、目に物言わせてやりましょうね」

 俺は興奮して言ったが、彼は何を言っているのやら理解してねるといった表情で視線を返してきた。

 「何を、誰に?」
 「山下ですよ、ほら」
 「ああ、山下先生ね。聞いたよ、彼凄いんだってね。十メートル八十っていう記録がどれだけのものなのか、まだ僕には分からないけど、でも関東記録だっていうんだから凄いね」

 貴公は何ゆえそのように悠長に構えておるのだ。俺は少しむっとしながら言った。

 「奴はうちの高校を小馬鹿にしておるのですぞ」
 「それは知っているよ。でも、僕は生徒たちにはあまり興味がないし、揉めても美術には関係ないしね。押井先生もほら、リラックスしなって」

 小笠原先生はそう言って俺の腕を掴んで座らせようとした。貴公の指図は受けぬ。俺は用意があるからと彼の手をやんわり振りほどき、鵜殿さんと鎌田さんの方に歩いて行った。用意と言っても棒を桟橋に立てかけてしがみ付くだけの競技だ。すぐに終わるし、もうすでに鵜殿さんが棒を桟橋に立てかけてしまった。俺は立てかけられた棒を握り、チェックするふりをしていた。

 「おやおや、まだ早いですよ」

 振り向かなくても分かる。このまとわりつくような声。もし声に形があり触ることが出来るなら、俺はこの声をとっ捕まえて引っ張って叩いて薄く延ばして帽子を作って奴の頭に被せてやるのに。
 大体、「おやおや」って何だ。小説ではよく出てくるかもしれないが、実生活で使う奴などいやしない。そのわざとらしさも癪に障る。

 「何が早いんです?」

 俺は出来るだけ冷静に答えた。大人だからだ。だが、奴はそんなことにはお構いなしに、話と内容とは一切関係のない身振り手振りでご満悦この上ない表情で喋り続ける。

 「決まっているじゃないですか。競技ですよ。あ、でも。僕は押井先生の一つ前、僕の跳躍を見て棄権したりしないでくださいよ。まあ、無理もないかもしれないですがね。それに、心の準備よりタオルの準備をしてはいかがかな?」

 オホホホホとでも笑いだしそうなひょっとこ口でそう言ったかと思うと、次の瞬間にわかに表情が変わり、「どうだ!」という目になった。だが、そんな事で慌てる自分は卒業したのだ。

 「心配してくださってありがとうございます。でも、僕も山下先生のことが心配で」
 「はてさて、押井先生が僕の何を心配してくれているのですか?」

 何が「はてさて」だ、馬鹿野郎。

 「河童の川流れ、という言葉があります。どんなに上手くともミスはしてしまうもの。特に先生の場合、ほら。本当に河童になって、おっと失礼。とにかく、そのような、頭を抱える事態になってしまっては、泳いで戻ってくるどころじゃありませんからな。山下先生は見たところ泳ぎがお上手なようですが、さすがに手を使わずに泳ぐのは大変でしょう」

 どうだ、という表情に色を付けて返してやった。山下は鼻からぷいーと息を吐き出したかと思うと、顔を赤らめた。岩手県遠野市にある河童淵の河童の体は、緑ではなく赤いという。そうか、お前は頭だけでなく、全体的に正統派の河童だったのだな。そういえば河童淵では河童捕獲許可証なるものが売っていると聞く。こいつも捕まえてみようか。安心しろ、ちゃんとキャッチ・アンド・リリースしてやる。だが魚拓はとらせてもらう。
 奴は何か言おうとしたが、結局何も言わずに去って行った。ああ、いい気持ちだ。くせになりそうだ。
 大きな大会かと言えばその対極なので、始まりの合図すらないから気分が乗ってきたら大会が始まる。大会自体は午前十時から始まっているのだが、その時点で気分が乗っているのは笠木さんだけで、競技が始まるのは毎年大体正午くらいからなのだそうだ。
 しかし、今年は違った。大会史上最大の参加者数に興奮した鵜殿さんや鎌田さんは入念に準備運動をしており、更に向こうのチームに新加入した熱血フラワーデザイナー、羽生恵子さんは軽いトランス状態と呼んでも遜色ないほどにボルテージを上げていた。もし目の前に花でも置こうものなら、たちまち飛んで行ってしまうのではないかと思うほどに荒い鼻息は、鼻炎ではないかと少し心配してしまうほどに音をたてていた。ぷふふん。
 もちろん俺も人の事は言えない。先ほど山下を挑発したばかりだ。先ほどから投げつけられる視線に歪んだ快感を覚えながら、俺は奴を奈落に突き落とす妄想に身を沈めた。
 大会が終わったら貴様は俺の足元にひれ伏すのだ。俺はその周りを、阿波踊りでもしながらくるくると回ってやる。貴様は悔し涙を流し続け、俺は歓喜の声を上げ続ける。自分の妄想に身もだえしそうになり、持っていたペットボトルの水を飲んだ。
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