飛ぶことと見つけたり

ぴよ太郎

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 俺は目を瞑り大きく息を吸い、また目を開けた。視線の先では、一本の棒が俺を待ちかまえている。俺はその棒と対峙する。棒の意思に逆らってはならない。重力に逆らってはならない。俺自身の意思ではなく、俺の体の意思を聞かなければならない。そして俺の体は風と一つになり、俺の魂は大気と混ざり合う。それがこの競技、フィーエルヤッペンだ。
 俺はもう一度大きく息を吸い込んだ。視線の先の一本の棒を見つめる。そして俺は、走り出した。視界の中で、景色が後ろへと流れていく。
 俺はジャンプし、棒を掴んだ。感触は申し分ない。俺は二の腕に力を込め、ぐいと体を持ち上げる。一回、二回。六十センチほどの距離を上り、下降に入る準備をした。
 冷静に――
 今までで最高の跳躍だった。飛びつくタイミングも登るタイミングも、全てが完璧に思えた。ふと前方を見た俺は、今までよりもずっと高い位置で地面を見下ろしていた。
 いける――
 風が俺を包む。そして俺は、空を掛ける鳥のように、風になる。

 「今だ!」

 鎌田さんの掛け声で、俺は棒から手を離した。足に衝撃が走り、大地の存在を感じ取る。着地の勢いで前のめりになりながらも、なんとかバランスを保ち、俺は後ろを振り向いた。自分の描いた軌道を見つめるように。
 見ているか、山下。これが跳躍だ。これこそが、フィーエルヤッペンだ。
 山下、確かに貴様は記録保持者だった。それは俺も認めよう。しかし、そんなものはすでに過去でしかない。貴様の栄光は今、歴史の狭間に埋もれて見えなくなった。歴史は常に犠牲の積み重ねだ。貴様は今、積み重ねられたのだ。
 その時、俺の視界が揺れた。バランスを保つ為に後ろに体重をかけたのだが、その勢いで俺の体は後ろに泳いでしまったのだ。もし手を付けば、そこが着地地点となってしまい、記録は大幅に短くなってしまう。
 やべぇ、やべぇ、やべぇ。
 俺は小さく呟き、前に体重をかけようと頭を前方に揺すった。するとその反動で尻が後ろに突き出てしまい、後ろに引っ張られるような感触が襲ってきた。この際仕方がない。たとえ一歩下がってでも、転ぶことは許されない。今しがた積み重ねられた歴史を崩すようなことをしてはならない。俺は被害を最小限に抑えようと、半歩ほど右足を後ろに出した。
 それがいけなかった。中途半端に足を出してしまったので、ますますバランスを崩した俺は、更に左足を後ろに出すことになってしまい、なし崩し的にどんどん後ろに下がってしまったのだ。
 後ろには川が迫っている。いや、実際には俺が川に迫っていっているのだが、俺の感覚的には川が迫ってきている。ここで後ろを振り向けば、きっとそれも勢いに重なり、またバランスを崩す。だから、前を向いたままじゃないと。結局、それが俺の最後の冷静な思考となった。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう・・・・・・。
 後で祐子から聞いたところによると、俺は着地後しばらく動かなくなったと思ったら、突如空中に頭突きをかまし尻を突き出し、ビデオの逆再生のように後ろ向きに歩きだしたらしい。ムーンウォークの方がよっぽどスムーズだったという後ろ歩きで俺はどんどん川に迫っていき、そのまま転ぶようにして川に飛び込んだという。後ろをふりむかず、小またでチョコチョコと下がる姿は、ある意味可愛らしかった、あれがキモカワという奴ね、というどうでもいいような感想で締めくくられた説明だけが、俺の胸に残った。
 精神的ショックからか、その後も記録を出せなかった俺は、結局オランダ国どころか大阪行きの切符すら手に入れることはできなかった。これでしばらくはマイキーに嫉妬しなければならない日が続くのだろう。
 それは山下も同じだった。奴も結局、他ならぬ俺にかっこ悪いところを見られてしまったという精神的ショックからか、思うように記録を出せず、両者ジリ貧のまま大会を終えることになった。
 優勝したのは、なんとあの熱血フラワーデザイナーの羽生さんだった。何を摂取したのか、体内麻薬を分泌しまくった結果アドレナリンを過剰に垂れ流し、興奮の渦に飛ばされるようにジャンプした彼女は、本人曰く「風に飛ばされるアブラムシ」のごとくすっ飛んだ。俺はアブラムシが風に飛ばされるところなんて見たことはないが、まあたぶん、そんな感じなのだろう。でも、どうせなら花に例えればよかったのに。タンポポの綿毛ではダメなのか。
 出した記録は十二メートル五センチ。今までの記録を一メートル以上更新し、大型ルーキー誕生となった。その知らせはその日のうちに大阪にも届き、コテコテの関西弁で祝福されたという。私はテレビでしか関西弁というものを聞いたことがないが、本当のところ、あまり「なんでやねん」とは言わないらしい。
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