フロイント

ねこうさぎしゃ

文字の大きさ
8 / 114
魔物の舘

しおりを挟む
 魔物はアデライデのその様子を見ると、他の人間たちと同様に、自分の醜さに驚き、拒絶しているのだろうと思った。けれど、それでもなお匂い立つような美しさに光り輝くアデライデに、心は完全に魅了されていた。衝動的にさらって来てしまったことに、魔物は未だ自分自身でも戸惑っていたが、こうして間近でアデライデを見ていると、体中の血が沸き立つような喜びに我を忘れそうになるのだった。
 魔物はこの美しい人間の娘を、ずっと手元に留め置くことしか頭になかった。だが自分が拒絶されることもわかりきっていた。娘がどんな頑なな態度で自分を避けようとするかを想像するだけでも、魔物の心は深く傷つき、恐れおののいた。魔物は身じろぎひとつせず自分を見上げる娘に、いったいどんな最初の一言をかけるべきか、延々と頭を悩ませていた。できるなら、自分が害を与えるつもりのないことをわかってほしかったが、無理に連れ去ってしまっておいて、傷つける気がないと言うのも空々しい。それに、何より魔物は娘の反応が怖かった。考えあぐねた末、魔物は「魔物らしく」迫ろうと決めた。そこでできるだけ威圧的な声で、体を固くしてじっと自分を見上げている娘に向かって最初の一言を発した。
「俺はこの館の主だ。先刻承知だろうが、俺は魔物だ。そして俺はおまえを我が妻とするべく、ここへ連れて来た。おまえは、これからここで一生を過ごすのだ」
 魔物の言葉に、アデライデはひどいショックを受けた。ひとまず食べられるわけではないということはわかったが、いきなり連れ去られた上、魔物の妻として恐ろしい風の吹き荒れる見も知らぬ荒れ地の館で一生を送るよう命じられるなど、悪夢にも見なかったことだった。アデライデはまっしろになった頭で、茫然と魔物の赤い目を見つめていた。
 脳裏には次々とラングリンドで過ごした日々のことが浮かび、中でもたったひとりの父の顔が大きく胸に迫ってきた。アデライデの澄んだ瞳からは涙がはらはらとこぼれ落ちた。ただの一言のあいさつもできないまま父と別れて来なければならなかった不幸に、まさかこんなことになるなら、父の言うことを聞いてもっと早くに誰かと結婚し、町に移り住んでいればよかったという後悔が押し寄せてきた。そうすれば、少なくともこんな形で父と別れなければならないという状況だけは避けられただろう。アデライデは固く目を閉じ、肩を震わせて泣いた。
 魔物は自分がいかにも冷酷無比な悪党であるような気がして、罪悪感を覚えずにはいられなかった。どうにか慰めてやろうと適当な言葉をさがしたが、よい言葉はなかなか見つからなかった。が、厚い灰色の雲に隠れた薄い太陽が、荒野の地平線に沈み始めたのに気がつくと、ふと今夜が満月であったことを思い出した。魔物はいくらかやわらかな口調になるよう心掛けながら、アデライデに言った。
「確かに突然おまえをさらったとは言え、俺はそう残酷な魔物というわけじゃない。その証拠として、我が花嫁となるおまえに、婚礼の贈り物をしてやろう。今夜はちょうど満月だから、俺の魔力も少しは強くなる。だからなんでもおまえの願いを叶えてやろう。──ただし、元の場所に帰してくれというのはなしだ。それ以外なら、どんな願いでも叶えてやろう」
 けれど娘の涙は止まらず、そればかりかますます激しく泣き出したようで、魔物は慌てて言葉を足した。
「これから三ヶ月の間、満月と新月の晩に、おまえの願いをひとつずつ叶えていってやる。そうして六つの願いを叶えたら、おまえを俺の妻とする。それまでは、俺はおまえに指一本手出しはしないと約束しよう」
 そのとき、沈んだ太陽の代わりにのぼり始めた月の光が、厚い雲を割ってガラスをはめ込んだ窓の外から射してきた。アデライデは閉じたまぶたの向こうからでも感じる月明かりに思わず目を開けて、汚れとほこりのために曇った窓ガラスの方を見た。汚れを通して尚、明るく輝いている満月が浮かんでいるのを目にすると、その月のあまりの美しさに驚き、強く胸を打たれた。これほど美しい月を、アデライデは見たことがなかった。ラングリンドの森の上にかかる月をこの世でいちばん美しいと思っていたが、今夜からその考えは訂正しなければならないだろう。
 アデライデの涙はいつしか止まっていた。
 魔物は、射しこむ月明かりに照らし出された美しいアデライデの顔に吸い込まれそうになりながら、低く声を掛けた。
「それで、おまえはこの贈り物を不服とするか?」
 アデライデは魔物に視線を戻した。魔物は大きな体を折り曲げるようにして、アデライデを見つめていた。その赤い瞳には、やはりどこか悲しみが静かにさざめき、不安の色が濃く滲んでいる。
 アデライデは少しの間、魔物の瞳を見返していたが、その白くほっそりとした手で口を覆ったまま、静かな声で言った。
「わたしの名前はアデライデ。わたしのことは、アデライデと名前で呼んでください」
 魔物ははっと目を見開いて身を起こした。俄かに沸き起こった喜びが、腹の底から喉元までせり上がってくるのを感じた。その喜びに魔物の喉はぎゅっと絞められるようだった。魔物は必死に声を押し出した。
「──わかった、おまえのことはアデライデと呼ぼう」
「あなたのことはなんと呼べばいいのですか?」
 アデライデの澄んだ瞳に問いかけられて、魔物はいよいよ言葉を詰まらせた。沸き起こったはずの喜びは、冷たい氷の塊となって腹の底に戻って行った。
 アデライデは辛抱強く返事を待ったが、魔物は凍りついたように沈黙し、瞬きひとつせずにアデライデを見下ろしていた。答える気がないのだとさとったアデライデは視線を足元に落とし、
「……それではあなたのことは、今のように『あなた』とか『魔物さん』とお呼びしますわ」
「……あぁ、それでいい……」
 魔物はいたたまれなさに目を逸らし、小さく頷いた。しかし視線は惹きつけられるように、すぐにまたアデライデの方に向かっていく。アデライデの姿を目にすると、消えかけていた喜びが再び大きく心に燃え上がった。魔物は目を伏せて黙っているアデライデに呼びかけた。
「それで──アデライデ」
 アデライデの名前を口にした途端、その響きはどんな甘美な菓子よりも甘く舌の上にとろけ、魔物の心を酔わせるようだった。
「……贈り物のことだが、おまえはどう思った?」
 アデライデは顔を上げるとじっと魔物を見つめ、小さな声で訊ねた。
「ほんとうに、どんな願いでも叶えられるのですか?」
 魔物はアデライデが関心を示したことに喜び、
「あぁ、俺の魔力は月の力を拠り所としているから、満月と新月のときには強くなるのだ。たいていの願いなら叶えられないことはないだろう」
 と嘯いた。魔物の言ったことは半分はほんとうだったが、残りの半分は確証のないことだった。独学で魔術を学んだ魔物は、自分の魔力が月の満ち欠けに合わせて増減することを経験的に知ってはいたが、いずれにしても魔術は不得手だった。自分がどんな術を使えるのかも、正直なところわからない。だが、せっかくアデライデが示した関心を失いたくはなかったので、口から出まかせに大きなことを言ってしまったのだった。
「それなら……」
 アデライデはいったん言葉を切った後、思いつめたように魔物を見つめて言った。
「願いたいことがあります」
「いいだろう。だが、俺に願いを告げる以上、おまえは俺との婚姻を自らの意思で承知するということだぞ」
 言い募るような口調の魔物に、アデライデは口元を覆っていた手をおもむろに膝の上におろした。魔物が驚いて見ていると、アデライデは目を伏せて長いまつ毛の影を白い頬に揺らめかせながら、静かな低い声で言った。
「こうなった以上、これも運命だと思って受け入れるより他にないのだろうと思います。──はい、わたしはあなたの申し出を受けます」
 そう言いはしたが、やはりアデライデの瞳からは涙がこぼれそうになるのだった。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。

猫菜こん
児童書・童話
 小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。  中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!  そう意気込んでいたのに……。 「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」  私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。  巻き込まれ体質の不憫な中学生  ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主  咲城和凜(さきしろかりん)  ×  圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良  和凜以外に容赦がない  天狼絆那(てんろうきずな)  些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。  彼曰く、私に一目惚れしたらしく……? 「おい、俺の和凜に何しやがる。」 「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」 「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」  王道で溺愛、甘すぎる恋物語。  最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。

クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました

藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。 相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。 さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!? 「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」 星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。 「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」 「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」 ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や 帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……? 「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」 「お前のこと、誰にも渡したくない」 クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

生贄姫の末路 【完結】

松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。 それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。 水の豊かな国には双子のお姫様がいます。 ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。 もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。 王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。

アリアさんの幽閉教室

柚月しずく
児童書・童話
この学校には、ある噂が広まっていた。 「黒い手紙が届いたら、それはアリアさんからの招待状」 招かれた人は、夜の学校に閉じ込められて「恐怖の時間」を過ごすことになる……と。 招待状を受け取った人は、アリアさんから絶対に逃れられないらしい。 『恋の以心伝心ゲーム』 私たちならこんなの楽勝! 夜の学校に閉じ込められた杏樹と星七くん。 アリアさんによって開催されたのは以心伝心ゲーム。 心が通じ合っていれば簡単なはずなのに、なぜかうまくいかなくて……?? 『呪いの人形』 この人形、何度捨てても戻ってくる 体調が悪くなった陽菜は、原因が突然現れた人形のせいではないかと疑いはじめる。 人形の存在が恐ろしくなって捨てることにするが、ソレはまた家に現れた。 陽菜にずっと付き纏う理由とは――。 『恐怖の鬼ごっこ』 アリアさんに招待されたのは、美亜、梨々花、優斗。小さい頃から一緒にいる幼馴染の3人。 突如アリアさんに捕まってはいけない鬼ごっこがはじまるが、美亜が置いて行かれてしまう。 仲良し3人組の幼馴染に一体何があったのか。生き残るのは一体誰――? 『招かれざる人』 新聞部の七緒は、アリアさんの記事を書こうと自ら夜の学校に忍び込む。 アリアさんが見つからず意気消沈する中、代わりに現れたのは同じ新聞部の萌香だった。 強がっていたが、夜の学校に一人でいるのが怖かった七緒はホッと安心する。 しかしそこで待ち受けていたのは、予想しない出来事だった――。 ゾクッと怖くて、ハラハラドキドキ。 最後には、ゾッとするどんでん返しがあなたを待っている。

【完結】キスの練習相手は幼馴染で好きな人【連載版】

猫都299
児童書・童話
沼田海里(17)は幼馴染でクラスメイトの一井柚佳に恋心を抱いていた。しかしある時、彼女は同じクラスの桜場篤の事が好きなのだと知る。桜場篤は学年一モテる文武両道で性格もいいイケメンだ。告白する予定だと言う柚佳に焦り、失言を重ねる海里。納得できないながらも彼女を応援しようと決めた。しかし自信のなさそうな柚佳に色々と間違ったアドバイスをしてしまう。己の経験のなさも棚に上げて。 「キス、練習すりゃいいだろ? 篤をイチコロにするやつ」 秘密や嘘で隠されたそれぞれの思惑。ずっと好きだった幼馴染に翻弄されながらも、その本心に近付いていく。 ※現在完結しています。ほかの小説が落ち着いた時等に何か書き足す事もあるかもしれません。(2024.12.2追記) ※「キスの練習相手は〜」「幼馴染に裏切られたので〜」「ダブルラヴァーズ〜」「やり直しの人生では〜」等は同じ地方都市が舞台です。(2024.12.2追記) ※小説家になろう、カクヨム、アルファポリス、ノベルアップ+、Nolaノベル、ツギクルに投稿しています。 ※【応募版】を2025年11月4日からNolaノベルに投稿しています。現在修正中です。元の小説は各話の文字数がバラバラだったので、【応募版】は各話3500~4500文字程になるよう調節しました。67話(番外編を含む)→23話(番外編を含まない)になりました。

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

星降る夜に落ちた子

千東風子
児童書・童話
 あたしは、いらなかった?  ねえ、お父さん、お母さん。  ずっと心で泣いている女の子がいました。  名前は世羅。  いつもいつも弟ばかり。  何か買うのも出かけるのも、弟の言うことを聞いて。  ハイキングなんて、来たくなかった!  世羅が怒りながら歩いていると、急に体が浮きました。足を滑らせたのです。その先は、とても急な坂。  世羅は滑るように落ち、気を失いました。  そして、目が覚めたらそこは。  住んでいた所とはまるで違う、見知らぬ世界だったのです。  気が強いけれど寂しがり屋の女の子と、ワケ有りでいつも諦めることに慣れてしまった綺麗な男の子。  二人がお互いの心に寄り添い、成長するお話です。  全年齢ですが、けがをしたり、命を狙われたりする描写と「死」の表現があります。  苦手な方は回れ右をお願いいたします。  よろしくお願いいたします。  私が子どもの頃から温めてきたお話のひとつで、小説家になろうの冬の童話際2022に参加した作品です。  石河 翠さまが開催されている個人アワード『石河翠プレゼンツ勝手に冬童話大賞2022』で大賞をいただきまして、イラストはその副賞に相内 充希さまよりいただいたファンアートです。ありがとうございます(^-^)!  こちらは他サイトにも掲載しています。

処理中です...