フロイント

ねこうさぎしゃ

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二つめの願い

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「よし、承知したぞ、アデライデ」
 魔物は胸に湧き上がる感動が与えてくれた力強さのままに頷いた。
「おまえの願いを叶えよう。だが変化魔術というものは、仮に成功しても一時的なものでしかない。時間が経つか、あるいは魔力の限界が来れば元に戻るものだ」
 魔物はそこで言葉を切ると、月の見えない暗い夜空を見上げた。変化魔術は普通、相当な魔力が必要になる。力の弱い魔物には至難の業であり、これまでにも何度か挑戦してみたが、成功したためしがなかった。「だが──」と魔物は腹の底に沸く強い気持ちを言葉にした。
「新月の今夜ならば、成功するかもしれん。もしかすると、それを恒久的に維持することも可能かもしれん。今夜ならば成功する──俺にはそんな気がするのだ」
 アデライデは魔物の言葉に瞳を輝かせた。寂しく孤独な時間が終わる期待に、アデライデは思わず胸の前で手を組んだ。
 魔物は目を閉じて精神を集中させた。魔力の高まりを充分に感じると、ゆっくりと呪文を唱えはじめた。すると魔物の体の内側から、どす黒くいびつな形に歪んだかたまりが、見えない手によって引きずり出されるようにずるずると出てきた。
 獰猛な獣のような臭気のかたまりに、アデライデは恐れをなして口元を覆って後ずさった。アデライデの目の前で、魔物と臭気はしばらくの間闘争を続けた。臭気のかたまりは引き離されまいとするかの如く、牙を剥いて執拗に魔物の体に戻ろうとした。魔物は集中を途切れさすまいと、必死に闘った。臭気は怒りの咆哮を上げ、渾身の力で魔物に襲いかかり、魔物の体内に半ば戻りかけた。
 しかしそのとき、魔物の頭の中に「あなたともっと一緒に過ごしたい」と言ったアデライデの声が聞こえた。その言葉を思い出した瞬間、すり減り始めていた神経が再び強く結び直され、魔力が復活して勢いよく燃え上がるのを感じた。そしてひときわ大きな声で呪文を唱えたとき、魔物はついに己の恥辱を叩き伏せた。争いに敗れた臭気は力尽きて館の床に落ち、そのままずぶずぶと地中深く沈んでいった。
 すべてが終わると魔物はぱっと目を開け、同時にがっくりと床に片膝を着き、はぁはぁと苦しげな荒い息を吐いた。アデライデは思わず魔物のそばに駆け寄った。
「魔物さん、苦しいのですか?」
 急いでそばにしゃがもうとしたアデライデを、魔物がさっと腕を伸ばして制止した。
「そうではない。魔力を使い果たして疲れただけだ……」
 そう言う魔物の体から、アデライデはふと不思議に澄んだ香りが漂うのを感じた。それはアデライデに、森に湧く泉のほとりに立ったときのような清い感覚を与え、アデライデは感動の驚きを覚えて一瞬茫然と立ち尽くした。
 魔物はそれを見ると、悲しい顔になって首を振った。
「やはり失敗か……」
 アデライデは慌てて魔物のそばにしゃがんだ。思いがけないほど近くに見たアデライデの美しい顔に、魔物の心臓が大きく跳ねた。
「アデライデ、すぐさがるのだ。そんなに俺に近寄っては……!」
「いいえ、魔物さん……! あなたの術は成功したのです……!」
「……なんだって?」
 魔物はアデライデの潤んだ瞳を見た。心臓が激しく脈打つのは、術が成功したと聞いた興奮のためなのか、それともほんのすぐ目の前に見えるアデライデの輝く瞳のためなのか、魔物にはわからなかった。
「ほ、ほんとうなのか……?」
「ほんとうです」
 魔物は震える熱い吐息を吐き出した。
 アデライデは魔物の傍らにゆっくりと座り直した。魔物は体温を感じるほどの間近に座るアデライデを前に、信じられない喜びの嵐の中にいたが、同時に緊張のために全身は彫像のように固まってしまった。
 アデライデは魔物の赤い目を、やさしく微笑んで見上げた。
「魔物さん、わたしの願いを叶えてくれて、ありがとうございます……」
 アデライデの甘く潤んだ声がそう言うのを聞き、魔物の心と体は一気に溶けていくようだった。依然として体は疲れ果てていたが、その胸は高揚し、興奮し、感動していた。あまりの喜びのために、魔物は気を失いかけているほどだった。


 その晩、ふたりは暖炉の前に座って、遅くまで語り合った。もう自分の臭いを気にすることなく、アデライデの話に耳を傾けていられることは、魔物の心に天上の楽園を築かせた。
 アデライデの傍らに座っていると、心臓は若い魚が激流をさかのぼっていくように飛び跳ねるのを感じたが、一方で得も言われぬ居心地の良さをも感じていた。自分の心があるべきところに収まるような感覚だった。
 アデライデが自分のすぐ隣で寛いでいるのを目にすると、魔物の体にあった緊張は次第に誇らしさに変わっていくようだった。体から不快な臭いがしなくなったというだけで、自分の醜い見た目までが、ほんの少しまともになったような気さえした。
 アデライデはふとした拍子に、魔物の体からあの不思議に清らかな香りがするのを何度も嗅いだ。そのたびに自分の中に生き生きと命が躍動するのを感じると同時に、深い安らぎに抱かれる気分になった。
「魔物さん、こんな風にあなたと楽しくお話ができて、わたしはほんとうに嬉しく思います」
 アデライデは先ほど苦労の末に打ち勝った魔物の姿を思い出し、感謝の気持ちを込めながらにっこりと微笑んだ。
 全身の血がたぎるような喜びに沸く魔物の目には、その微笑みはやさしく風に揺れて咲く、美しい花のように見えた。
「……おまえは可憐に野に咲く花のような娘だな」
 ひとり言のように呟いた魔物の言葉を聞いてアデライデは思わず頬を染めたが、魔物はアデライデの白い肌が暖炉の炎を映しているとしか思わなかった。
 アデライデは内心の胸のときめきに戸惑い、動揺を隠すかのように話を始めた。
「花と言えば、ラングリンドの女王さまのお城には、それは素敵な花の庭園があるんです。普段は管理のために閉ざされているけれど、夏の光のお祭りの間だけは誰でも入ることが許されているんです。父とふたり、毎年お祭りに参加した帰りには必ず庭園に寄って、楽しい時間を過ごしたものでした」
 魔物はアデライデが楽しそうにそう語るのを聞いて、複雑な思いに思わず赤い目を逸らした。アデライデが自分の父と自分の国とを心から愛し、大切に想っていることはこれまでの言動からもよくわかっていたが、その想いを聞けば聞くほど、その大切なものから遠く引き離してしまった自分の行いに深い罪を感じた。
 アデライデの気持ちを思えば、ほんの少しの時間だけでも国に帰ることを許してやれば、きっと大喜びをするだろうとは思ったが、しかしもしそんなことをすれば、もう二度とアデライデが自分の元に戻ってくることはないだろうという気もした。魔物はどうあってもアデライデを手放したくなかった。だから魔物は自分の罪悪感を見て見ぬふりをすると決め込んだ。
 

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