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三つめの願い
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その日を境に、アデライデは自分とフロイントの間にあった親密な空気が、俄かに変化してしまったのを感じていた。あの日の出来事についてフロイントと話をしたいと何度も思ったが、フロイントの醸し出す雰囲気にはそれを拒絶しているような気配があった。理由はわからないが、あの日以来、フロイントはいつも暗く打ち沈んでいる様子で、アデライデに対してもよそよそしく距離を置いているように感じた。二つ目の願い以降、いつでもアデライデのそばにいたフロイントだったが、近頃ではまるでアデライデを避けるようにたびたび館を空けるようになっていた。そうしたフロイントの態度が、アデライデを日に日に不安にさせた。
古い館の中でたった一人、外を吹き荒れる風の音を聞いていると、アデライデの脳裏にはあの日の傷ついたフロイントの姿が何度も過った。その度に恐ろしさが這い上がり、その恐怖がアデライデを後悔で苛むようだった。
もしかすると、フロイントが急によそよそしく自分を避けるようになってしまったのは、生き物が死ぬ姿を見るのを避けたいがためにあの鳥を助けてほしいと頼んだ自分にいささか呆れてしまったせいかもしれないと考え、アデライデは深いため息をついた。あの鳥に関わらないようにと警告されていたにも関わらず、結局のところフロイントのやさしさに甘えてしまったのだ。そしてその結果、フロイントをあのような目に遭わせてしまった。その事実は、アデライデの心に深い傷をつけていた。
幸いにもあの鳥が宿していたらしい癒しの力のおかげで大事には至らなかったが、もしあのままフロイントがどうかなっていたとしたら、アデライデはとても立ち直る事が出来なかっただろう。
傷ついたフロイントの姿を思い出して後悔と恐ろしさに震える一方で、アデライデはそのような状況にありながらも自分をやさしく気遣ってくれたフロイントを、何度も心に思い描いていた。
──わたしはほんとうになんて愚かだったのかしら……。
アデライデはこの数日、何度涙まじりのため息を吐いたか知れなかった。あの鳥とフロイントと、自分にとってほんとうに大切なのは比ぶべくもなくフロイントであるのに、フロイントが身をもって教えてくれるまで、それに気づかなかったのだ。
鳥を見捨てられなかったアデライデを、フロイントはやさしさゆえのことと言って慰めてくれたが、それはやさしさなどではなく、自分の弱さでしかなかったということに、アデライデは今はっきりと気がついたのだった。アデライデはこうした心のうちをフロイントに告げ、改めて自分の過ちを謝罪すると共に感謝の思いを伝えたいと願ったが、フロイントの姿は館のどこにもないのだった。アデライデはただ唇を噛んで涙をこらえるしかなかった。
フロイントは再び館から遠く離れた沼で多くの時間を過ごすようになっていた。以前そうしていたように、沼を鏡に変えてアデライデの姿を映し見る毎日へと逆戻りしてしまった。だがフロイントはまるで何かに追い立てられるかのように、そうせざるを得なかった。アデライデの瞳に自分の姿が映し出されることがひどく耐え難かったのだ。
沼鏡に映るアデライデはどこか思い詰めた様子で、いつもぼんやりと何事か考えているようだった。時おり鳥に舐められた指先をじっと見つめ、ため息を吐くアデライデを見ていると、フロイントは焦燥感に駆られ、落ち着かない気分になった。アデライデの白い指先に滲んだ赤い血の雫が頭をよぎると、フロイントの心は重く沈んだ。そしてその傷をあっさり癒してしまったあの鳥のことを考えると、重く沈み込む心にはさらなる不安の影が差し、地中深く楔を打った足かせのように心を縛った。アデライデがあの鳥に対して以前とは違う感慨を持っているのではないかという不安は、フロイントを日に日に追い詰め、蝕んでいくようだった。
あれから何度あの鳥について考えてみても、その本性はやはり謎のままだった。だがあれだけの魔力を秘めた罠に掛かっておきながら、ただ気を失っただけで済んだところを見ると、やはりあれは聖鳥だったのかもしれないという思いが強くなる。もしや、アデライデを魔物の自分から救い出そうと、ラングリンドの女王が差し向けた光の鳥なのではないだろうかという疑念が、フロイントの脳裏にちらちらと浮かんでは消えた。だとすれば、自分には到底勝ち目はない。いつかアデライデが自分の元から去ってしまうのではないかという恐れが、にわかに現実味を帯びてフロイントに迫った。それが耐えがたい苦痛をフロイントにもたらした。
フロイントは次第に、アデライデの美しく澄んだ瞳に自分の魔物の姿がどう映っているのかを、執拗に考えるようになっていた。それは世界の果てにある冷たい氷の墓場に、自分自身を葬る行為にも等しかった。フロイントは自分が魔物であることが憎くさえあった。なぜ魔物などに生まれてしまったのかと考えては、自ら深い絶望の底なし沼に沈んでいくことを繰り返した。
あの日以来、フロイントはアデライデとの間に何か見えない壁のようなものができてしまったように感じていた。あの日の出来事について、アデライデが何かを話したがっていると言うことは察していたが、フロイント自身はアデライデの口から何も聞きたくなかった。
そのうちにフロイントはアデライデが聖鳥であるかもしれないあの鳥と、魔物である自分とを比べているのではないだろうかという考えを抱くようになっていた。その考えはやがて、アデライデがいずれあの鳥に心を許し、去って行ってしまうだろうという妄想に変わって行った。妄執ともいうべきその幻想はフロイントの心をかき乱し、嫉妬の火を焚きつけるようだった。
フロイントは今にもすべてを焼き尽くしてしまいそうな強烈な感情を持て余し、アデライデのいる館を抜け出しては沼の縁にうずくまった。しかし吹き荒れる風に翼を激しく煽られながら沼鏡でじっとアデライデを見ていても、かつてのような喜びが沸き起こることはなく、それよりも寧ろフロイントの心に苦痛を多く与えるようだった。アデライデの美しさやその内側からあふれ出す光を見ていると、自分にはアデライデの隣にいる資格などないのだと思えてならなかった。美しく光に満ちた人間の娘であるアデライデと、醜く魔力にも劣る魔物である自分という変えようのない現実が残酷なまでに突き付けられ、フロイントを追い詰めるようだった。
だが苦悩の渦中にあっても時間というものは行き過ぎる。フロイントは不安と恐れを抱えたまま、新月の夜を迎えた。月のない夜空はフロイントの赤い目に、いつもにも増して暗く映った。
フロイントとアデライデは、正餐室の黒大理石のテーブルに向かい合って夕食をとったが、晩餐の間じゅうふたりはほとんど言葉を交わさなかった。夕食を済ませて暖炉の前に並んで座ったが、ただ黙って揺れる炎を眺めた。
フロイントは暗い気持ちで、薪の炎に照らされるアデライデの横顔を見つめた。アデライデの美しさが、じりじりと胸を焦がした。おまえはアデライデにふさわしくないと言う声が、邪悪な毒蛇のように鎌首をもたげてフロイントににじり寄る。フロイントはその声を打ち消そうと頭を振って、内心の恐慌を隠したまま、炎を見つめるアデライデの美しい横顔におずおずと声を掛けた。
古い館の中でたった一人、外を吹き荒れる風の音を聞いていると、アデライデの脳裏にはあの日の傷ついたフロイントの姿が何度も過った。その度に恐ろしさが這い上がり、その恐怖がアデライデを後悔で苛むようだった。
もしかすると、フロイントが急によそよそしく自分を避けるようになってしまったのは、生き物が死ぬ姿を見るのを避けたいがためにあの鳥を助けてほしいと頼んだ自分にいささか呆れてしまったせいかもしれないと考え、アデライデは深いため息をついた。あの鳥に関わらないようにと警告されていたにも関わらず、結局のところフロイントのやさしさに甘えてしまったのだ。そしてその結果、フロイントをあのような目に遭わせてしまった。その事実は、アデライデの心に深い傷をつけていた。
幸いにもあの鳥が宿していたらしい癒しの力のおかげで大事には至らなかったが、もしあのままフロイントがどうかなっていたとしたら、アデライデはとても立ち直る事が出来なかっただろう。
傷ついたフロイントの姿を思い出して後悔と恐ろしさに震える一方で、アデライデはそのような状況にありながらも自分をやさしく気遣ってくれたフロイントを、何度も心に思い描いていた。
──わたしはほんとうになんて愚かだったのかしら……。
アデライデはこの数日、何度涙まじりのため息を吐いたか知れなかった。あの鳥とフロイントと、自分にとってほんとうに大切なのは比ぶべくもなくフロイントであるのに、フロイントが身をもって教えてくれるまで、それに気づかなかったのだ。
鳥を見捨てられなかったアデライデを、フロイントはやさしさゆえのことと言って慰めてくれたが、それはやさしさなどではなく、自分の弱さでしかなかったということに、アデライデは今はっきりと気がついたのだった。アデライデはこうした心のうちをフロイントに告げ、改めて自分の過ちを謝罪すると共に感謝の思いを伝えたいと願ったが、フロイントの姿は館のどこにもないのだった。アデライデはただ唇を噛んで涙をこらえるしかなかった。
フロイントは再び館から遠く離れた沼で多くの時間を過ごすようになっていた。以前そうしていたように、沼を鏡に変えてアデライデの姿を映し見る毎日へと逆戻りしてしまった。だがフロイントはまるで何かに追い立てられるかのように、そうせざるを得なかった。アデライデの瞳に自分の姿が映し出されることがひどく耐え難かったのだ。
沼鏡に映るアデライデはどこか思い詰めた様子で、いつもぼんやりと何事か考えているようだった。時おり鳥に舐められた指先をじっと見つめ、ため息を吐くアデライデを見ていると、フロイントは焦燥感に駆られ、落ち着かない気分になった。アデライデの白い指先に滲んだ赤い血の雫が頭をよぎると、フロイントの心は重く沈んだ。そしてその傷をあっさり癒してしまったあの鳥のことを考えると、重く沈み込む心にはさらなる不安の影が差し、地中深く楔を打った足かせのように心を縛った。アデライデがあの鳥に対して以前とは違う感慨を持っているのではないかという不安は、フロイントを日に日に追い詰め、蝕んでいくようだった。
あれから何度あの鳥について考えてみても、その本性はやはり謎のままだった。だがあれだけの魔力を秘めた罠に掛かっておきながら、ただ気を失っただけで済んだところを見ると、やはりあれは聖鳥だったのかもしれないという思いが強くなる。もしや、アデライデを魔物の自分から救い出そうと、ラングリンドの女王が差し向けた光の鳥なのではないだろうかという疑念が、フロイントの脳裏にちらちらと浮かんでは消えた。だとすれば、自分には到底勝ち目はない。いつかアデライデが自分の元から去ってしまうのではないかという恐れが、にわかに現実味を帯びてフロイントに迫った。それが耐えがたい苦痛をフロイントにもたらした。
フロイントは次第に、アデライデの美しく澄んだ瞳に自分の魔物の姿がどう映っているのかを、執拗に考えるようになっていた。それは世界の果てにある冷たい氷の墓場に、自分自身を葬る行為にも等しかった。フロイントは自分が魔物であることが憎くさえあった。なぜ魔物などに生まれてしまったのかと考えては、自ら深い絶望の底なし沼に沈んでいくことを繰り返した。
あの日以来、フロイントはアデライデとの間に何か見えない壁のようなものができてしまったように感じていた。あの日の出来事について、アデライデが何かを話したがっていると言うことは察していたが、フロイント自身はアデライデの口から何も聞きたくなかった。
そのうちにフロイントはアデライデが聖鳥であるかもしれないあの鳥と、魔物である自分とを比べているのではないだろうかという考えを抱くようになっていた。その考えはやがて、アデライデがいずれあの鳥に心を許し、去って行ってしまうだろうという妄想に変わって行った。妄執ともいうべきその幻想はフロイントの心をかき乱し、嫉妬の火を焚きつけるようだった。
フロイントは今にもすべてを焼き尽くしてしまいそうな強烈な感情を持て余し、アデライデのいる館を抜け出しては沼の縁にうずくまった。しかし吹き荒れる風に翼を激しく煽られながら沼鏡でじっとアデライデを見ていても、かつてのような喜びが沸き起こることはなく、それよりも寧ろフロイントの心に苦痛を多く与えるようだった。アデライデの美しさやその内側からあふれ出す光を見ていると、自分にはアデライデの隣にいる資格などないのだと思えてならなかった。美しく光に満ちた人間の娘であるアデライデと、醜く魔力にも劣る魔物である自分という変えようのない現実が残酷なまでに突き付けられ、フロイントを追い詰めるようだった。
だが苦悩の渦中にあっても時間というものは行き過ぎる。フロイントは不安と恐れを抱えたまま、新月の夜を迎えた。月のない夜空はフロイントの赤い目に、いつもにも増して暗く映った。
フロイントとアデライデは、正餐室の黒大理石のテーブルに向かい合って夕食をとったが、晩餐の間じゅうふたりはほとんど言葉を交わさなかった。夕食を済ませて暖炉の前に並んで座ったが、ただ黙って揺れる炎を眺めた。
フロイントは暗い気持ちで、薪の炎に照らされるアデライデの横顔を見つめた。アデライデの美しさが、じりじりと胸を焦がした。おまえはアデライデにふさわしくないと言う声が、邪悪な毒蛇のように鎌首をもたげてフロイントににじり寄る。フロイントはその声を打ち消そうと頭を振って、内心の恐慌を隠したまま、炎を見つめるアデライデの美しい横顔におずおずと声を掛けた。
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