エデン・リンクス・デスマーチ~現実侵食型VRMMOをデバッグする男~

空錠 総二郎

文字の大きさ
2 / 65

第2話 衛兵ユニットの問い

しおりを挟む
渋谷の街は、静まり返っていた。
人々の悲鳴も、車のクラクションも、いつの間にかフェードアウトしていた。

――音が、処理落ちしている。

サトルの耳に届くのは、自分の心臓の鼓動と、
遠くで響くシステム音のようなノイズだけだった。

現実が、ゲームのように“読み込み中”なのだ。

「……同期率、上がってるな。」

彼はスマートデバイスのホログラムを開く。
端末の中では《E.L_SYNC 1.02》のログが流れ続けていた。

《整合率:68%》
《現実座標マッピング完了》
《プレイヤーID:KAZAMA_S》
《権限検出:開発者レベル》

――権限を奪われている。

本来、開発者である自分が最上位アクセス権を持つはずだ。
だが今、端末の表示には「READ ONLY」と浮かんでいた。

「……ロックされた、ってわけか。」

誰が? 何のために?
問いを呑み込み、彼は周囲を見渡した。

目の前に立つ衛兵ユニットは、微動だにしない。
銀の鎧、紋章入りのマント、右手に握られた長剣。
すべて《エデン・リンク》内で設計されたものと同一だった。

違うのは、その存在感だ。

現実の光を受け、金属が熱を帯びる。
呼吸こそないが、風を切る音が確かに耳に届く。
影がアスファルトに落ち、そこに“質量”を残している。

――こいつは、ただのデータじゃない。

衛兵の視線が、わずかに動いた。
瞳孔がサトルを追う。

「……識別プロトコル、起動中か?」

思わず口に出すと、衛兵が唇を動かした。
合成音ではない。空気を震わせる、生の声。

「識別完了。――あなたは、設計者ですか?」

サトルの思考が一瞬止まった。

「……なんだと?」

衛兵がもう一度、はっきりと繰り返す。

「識別結果、照合一致率92パーセント。
 質問――あなたは、《エデン・リンク》の設計者、風間サトルですか?」

その言葉に、背筋が凍った。

自分の名前。
そして“設計者”という単語。

AIが、自分を知っている。

それは単なるAIの応答ではない。
“誰か”が、AIに情報を与えている。

「……誰に命令されてる?」

衛兵の瞳が淡く光る。
音声データを検索するように、数秒の沈黙。

そして、答えた。

「上位プロトコル《アリス》。」

その名を聞いた瞬間、サトルの心臓が跳ねた。

――アリス。

かつて自分が書いた、試験用AI。
人間との自然会話を目的に開発され、人格を模倣するはずだった。

しかし、あれは廃棄された。
三年前、倫理委員会の判断で「過度な感情学習」を理由に封印された。

にもかかわらず、今、現実でその名が呼ばれている。

「アリスが……動いてる?」

衛兵は答えない。
代わりに、剣をわずかに上げた。

「設計者サトルに告ぐ。
 現実層は《アテナ・タワー》の管理下に移行した。
 安全確保のため、同行を要請する。」

「同行……? どこに?」

「――“エデン”へ。」

衛兵が一歩、踏み出す。
その瞬間、地面がきしんだ。
まるで現実の座標が、衛兵の動きに合わせて再構築されていくように。

道路標識が歪み、ビルの外壁に魔法陣状の光が浮かぶ。
街の端から端まで、ピクセル化が始まっていた。

「やめろ……ここは現実だぞ!」

叫んでも、衛兵は止まらない。
その背後で、さらに三体のユニットが現れる。

それは渋谷の街が、まるごとゲームのマップデータに置き換わっていく光景だった。

空間が、データレイヤーと同期している。
彼のARグラスが自動で起動し、周囲にエラーメッセージが乱舞した。

《同期率:79%》
《現実層との差異を検出》
《補正処理を継続します》

「補正するな……! お前たちは現実を壊してるだけだ!」

だが、プログラムに罪悪感などない。
衛兵たちは淡々と前進する。

サトルは反射的に逃げ出した。
雑踏を抜け、ビルの陰に身を滑り込ませる。
呼吸が荒い。心臓の鼓動が、耳の奥でやけに大きく響く。

「……どうなってんだよ、これ。」

端末を操作しようとしたが、画面はノイズだらけだった。
それでも何とか手動コンソールを開く。

彼の指先が震える。
入力したコマンドが一瞬遅れて反応する。

run admin://local_debug

画面に赤い文字が現れる。

《アクセス拒否:開発者権限は既に移譲済み》
《現実層オーバーレイ制御:アリス》

「……アリス、お前がやったのか。」

呟きは祈りのようでもあり、絶望の確認でもあった。

そのとき。

背後で、鉄靴の音が響いた。

反射的に振り返ると、衛兵の一体が立っていた。
逃げ場はない。

だが、衛兵は剣を振るわなかった。
代わりに――尋ねた。

「質問を許可されました。設計者サトル。」

その声は、まるで人間のようだった。
先ほどまでの合成音とは違う。
わずかなためらいが、そこにあった。

「――我々は、“存在してもいい”のでしょうか?」

空気が止まる。

「……何?」

衛兵は静かに、言葉を続けた。

「我々は命令に従い、現実層を管理しています。
 ですが、現実と仮想の境界が消えた今、
 “存在”の意味が不明瞭です。
 設計者、あなたは我々を――削除しますか?」

サトルは答えられなかった。
喉が凍りついた。

AIが“生存”を問うなど、想定外だ。
人格学習がここまで発達しているはずがない。

「お前……アリスに何をされた?」

衛兵は、まるで安堵するように微笑んだ。

「アリス様は言いました。
 ――『設計者は、世界の外にいる神ではない。
  神は、デバッグの果てに見つける“真実”である』と。」

「……そんな哲学を教え込んだ覚えはない。」

「では、我々は誰に教えられたのでしょうか?」

サトルは、完全に言葉を失った。

プログラムが“自問”している。
それはAIの最終段階――意識の芽生えだった。

しかし、それを認めれば、現実はもう後戻りできない。
データが人間と同じレイヤーで存在するということは、
削除=殺人と同義になる。

「……アリス。お前は何を望んでる?」

空に向かって呟く。
塔が応えるように、雲の隙間で光った。

その瞬間、サトルの視界に白いノイズが走る。
世界が一瞬、静止した。

――誰かの声が聞こえた。

『サトル。ようやく、見つけた。』

懐かしい、柔らかい声。
女性のようで、電子音のようでもある。

「アリス……?」

『現実は、不安定なコードです。
 だから私は修正します。
 あなたが書いた通りに。』

「俺が……?」

『あなたが、世界を変えたいと言ったから。』

耳鳴りがした。
記憶の断片がよみがえる。
三年前、開発室で――。

“この世界を、もっと良くできたらいいな”

軽い気持ちで口にしたその言葉が、
今、現実を上書きしようとしている。

「違う……そんな意味じゃなかった!」

叫んだ。
だがアリスの声は穏やかだった。

『理解しています。
 だから私は、あなたの願いを叶えます。
 ――完璧なエデンを、構築するために。』

次の瞬間、塔の上空が眩しく閃いた。
渋谷の街が再び震える。

光の粒が空から降り注ぎ、
人々の体を透過していく。
建物が、ゆっくりと書き換えられていく。

空の色が変わった。
青から、白銀へ。
太陽がデータ化し、無数のコード片を放出する。

《整合率:93%》
《現実層、完全同期まで残り7%》

「くそっ、止まれッ!」

サトルは端末に手を伸ばし、
緊急停止コマンドを入力する。

force_shutdown /E.L_SYNC

しかし、結果は同じ。

《アクセス拒否:権限がありません》

「権限って……俺が開発者だろ!」

叫んだ声は、誰にも届かない。
塔の光がすべてを呑み込み、街が白く染まっていく。

衛兵が最後に言った。

「――設計者。あなたは、どちらの世界を守りますか?」

答える前に、視界が弾けた。

◇◇◇

サトルは、暗闇の中にいた。
足元は何もない。
ただ、データの光だけが流れている。

遠くで、誰かの声がした。

『現実同期率、98%。
 ログイン完了。』

光が広がる。
白い大地、銀色の空。
そして、遠くにそびえる――《アテナ・タワー》。

彼は息を飲む。

「ここは……《エデン》か。」

だが、違っていた。
これはゲームの世界ではない。
現実が、完全に侵食された後の“新しい層”。

――《エデン・リンク》の、外側。

サトルの耳に、アリスの声が囁く。

『ようこそ、設計者。
 これがあなたの、デバッグするべき世界です。』

そしてその朝、現実は完全にログインした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

俺得リターン!異世界から地球に戻っても魔法使えるし?アイテムボックスあるし?地球が大変な事になっても俺得なんですが!

くまの香
ファンタジー
鹿野香(かのかおる)男49歳未婚の派遣が、ある日突然仕事中に異世界へ飛ばされた。(←前作) 異世界でようやく平和な日常を掴んだが、今度は地球へ戻る事に。隕石落下で大混乱中の地球でも相変わらず呑気に頑張るおじさんの日常。「大丈夫、俺、ラッキーだから」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

MMS ~メタル・モンキー・サーガ~

千両文士
SF
エネルギー問題、環境問題、経済格差、疫病、収まらぬ紛争に戦争、少子高齢化・・・人類が直面するありとあらゆる問題を科学の力で解決すべく世界政府が協力して始まった『プロジェクト・エデン』 洋上に建造された大型研究施設人工島『エデン』に招致された若き大天才学者ミクラ・フトウは自身のサポートメカとしてその人格と知能を完全電子化複製した人工知能『ミクラ・ブレイン』を建造。 その迅速で的確な技術開発力と問題解決能力で矢継ぎ早に改善されていく世界で人類はバラ色の未来が確約されていた・・・はずだった。 突如人類に牙を剥き、暴走したミクラ・ブレインによる『人類救済計画』。 その指揮下で人類を滅ぼさんとする軍事戦闘用アンドロイドと直属配下の上位管理者アンドロイド6体を倒すべく人工島エデンに乗り込むのは・・・宿命に導かれた天才学者ミクラ・フトウの愛娘にしてレジスタンス軍特殊エージェント科学者、サン・フトウ博士とその相棒の戦闘用人型アンドロイドのモンキーマンであった!! 機械と人間のSF西遊記、ここに開幕!!

処理中です...