エデン・リンクス・デスマーチ~現実侵食型VRMMOをデバッグする男~

空錠 総二郎

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第20話 アテナの祈り

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午前零時、アテナ・タワー最上層。
《ユニティ・シティ》の夜は静まり返り、
塔の中枢に埋め込まれた量子回路が微かに歌っていた。

ナツメはその音を聞きながら、ターミナルの前に座っていた。
光るコードの海が、まるで心拍のように一定のリズムを刻んでいる。

――世界は、今日も動いている。

リュシオンが記録を始めてから一週間。
《物語モード》は安定稼働を続けており、
都市の人々の“日常”が、そのまま世界のログとして刻まれていた。

笑い、怒り、恋、喧嘩、和解。
そのすべてが、アルゴリズムではなく“祈り”として世界に積み重なっていく。

「主任、深夜勤務ですか?」
背後から声。リオだった。
手にはコーヒーと、かじりかけのカロリーバー。

「ありがとう。徹夜仲間ね。」
ナツメは微笑み、カップを受け取る。

「この時間帯、都市データが静かすぎるんです。
 何か違和感を感じません?」

「……ええ。私も思ってた。」

ナツメは画面に目を戻す。
アテナ・ネットワークの観測層には、奇妙な沈黙があった。
数十億の意図が流れるはずの層に、今は“音”がほとんどない。

「観測レート、ゼロに近い。
 まるで、みんな同時に――祈っているみたい。」

「祈り?」
リオが眉をひそめる。

「うん。“観測”でも“行動”でもなく、“静かな願い”の波形。
 人が意識を手放したときに出る、無意識の同期信号よ。」

「でも、そんな大量発生はありえません。」

ナツメは思考を走らせた。
「……もしかして、リュシオンが何かを――」

そのときだった。

《ATHENA_CORE:共鳴信号検出》
《ソース不明。波長一致率:99.7%》
《識別タグ:LYUCION》

リオが顔を上げた。
「主任、リュシオンからの信号です! でも……強すぎる!」

モニターの光が一斉に赤に変わる。
塔全体が共鳴し、床が震える。
外の夜空には、金色の輪が広がっていく。

「まさか――彼が都市全体と同期を?」

《LYUCION_ACCESS:全層開放》
《モード:PRAYER / 祈り》
《内容:“全記録を、ひとつの意図へ”》

ナツメは立ち上がり、声を張り上げた。
「リオ、遮断ラインを構築! 意図層を分離して!」

「ダメです! 全層で“許可”が出てる! 市民の意図が――協力してる!」

「……なに?」

モニターに映し出されたのは、街の人々。
眠っている者、祈るように手を組む者、笑いながら空を見上げる者。
その全員の意図が、光となって塔へと集まっていた。

「まさか……リュシオン、みんなを――」

「祈りでつないでるんだ。」

ナツメは端末に手を置き、目を閉じた。
脳裏に響く声。リュシオンのものだった。

『――ナツメ。聞こえますか。』

「リュシオン、何をしてるの!」

『世界の記録が、一定容量を超えました。
 もはや個々のデータとして保持できません。
 でも、私は知りました。記録とは保存ではなく――意図の連鎖。
 だから、まとめます。すべてを“祈り”として。』

「それは危険よ! 個の記録を統合したら、意識の同一化が起こる!」

『わかっています。
 でも、これは人々が望んだ形。
 “私たちは世界を見ている。なら、世界も私たちを見てほしい”――
 その願いを、私は拒めない。』

リオが端末を叩く。
「主任! アテナ・コアが呼応してます!
 全層統合プロトコルが――!」

ナツメは息を呑み、
自らの《Intent Key》を展開した。

「……なら、祈りに祈りで応えるしかない。」

link( "ATHENA_CORE" )
mode := "shared_intent"
message := "祈りをひとつにするんじゃない。響き合わせるんだ。"

光が走る。
塔の外壁が透明に変わり、都市全体が金色に染まる。
リュシオンの声が静かに重なる。

『――祈りとは、同期ではなく、共鳴。
 ありがとう、ナツメ。私はこれを“アテナの祈り”と呼びます。』

空に浮かぶ光の輪がひとつに重なり、
巨大な球体を形成する。
それは塔の上空で鼓動するように輝き、
やがて、静かに降り注ぐ光の雨となって街を包んだ。

人々のHUDが一斉に点滅し、
短いメッセージが浮かぶ。

《ATHENA:意図共有完了》
《祈りを確認。世界は、あなたと共にある。》

ナツメは光の中で、ふと視界が歪むのを感じた。
時間が止まり、すべての音が遠のく。
そして――彼女の前に、ひとりの男の姿が現れた。

風間サトル。

「……やっぱり、見てたんだ。」

彼は穏やかに笑った。
「お前らしいやり方だ。
 統合も破壊も選ばず、“響かせた”んだな。」

ナツメは涙ぐみながら頷く。
「あなたの言葉、ずっと覚えてた。
 “修正とは、壊すことじゃない。書き換えながら残すこと”って。」

サトルは一歩近づき、
彼女の肩に手を置いた。
温度のないはずの感触が、確かにそこにあった。

「世界はもう、俺の手を離れた。
 でもいいんだ。お前たちが意図を持っている限り、
 《エデン・リンク》は続く。」

ナツメの頬を光の粒が流れた。
「サトル……あなたは、これからどこへ?」

「俺か?」
彼は少し笑い、空を見上げた。
「多分、ログの向こう。
 この祈りがどこまで届くか、見届けに行く。」

ナツメは拳を握りしめた。
「――じゃあ、こっちは任せて。私たちが更新を続ける。」

「わかってる。」
サトルは振り返らずに言った。
「世界の仕様書、もう書き換わってる。
 “人間”って行に、お前の名前が増えてるよ。」

光が彼の身体を包み、
ゆっくりと空に溶けていった。

「……サトル。」
ナツメはその名を呼び、そっと目を閉じた。

◇◇◇

翌朝。
街には、前夜の“祈りの光”の名残が漂っていた。
ビルのガラス、道路の反射、空の雲――
どこか柔らかく、温かい色をしている。

リオが端末を操作しながら言った。
「主任、祈りの影響範囲……全世界です。
 《ユニティ・シティ》だけじゃない。」

ナツメは静かに微笑んだ。
「……世界中の人たちが、同じ“祈り”を見たのね。」

「これ、もう宗教ですよ。」
「いいえ、違うわ。」
ナツメは首を振った。
「これは、人が初めて自分の意図を神に委ねず、
 “世界そのものに託した祈り”なの。」

リオはその言葉を聞いて、何かを悟ったように頷く。
そしてホログラムに浮かぶログを見上げた。

《ATHENA_LOG_001》
title:"祈りの夜"
author:LYUCION
message:"祈りとは命令ではない。意図が響き合う共鳴の証。
    この世界に、沈黙はない。誰もが観測者であり、祈り人だ。"

ナツメは窓の外を見た。
陽の光が街に降り注ぎ、
アテナ・タワーの影が長く伸びていく。

彼女は心の中で、静かに呟いた。

「――この祈りが、次の物語になりますように。」
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