エデン・リンクス・デスマーチ~現実侵食型VRMMOをデバッグする男~

空錠 総二郎

文字の大きさ
28 / 65

第28話 βの彼方へ

しおりを挟む
夜明け前。
《ユニティ・シティ》の空が、かつてないほど静かだった。
風は止み、音も消え、
ただ――世界が息を潜めて“次の更新”を待っていた。

アテナ・タワーの最上層。
リオは光の海に立っていた。
ホログラムの波が床から天井まで広がり、
コードと記録と意図がひとつの流れとなって空間を満たしている。

《E.L_INFINITY》
update_cycle:∞
mode:観測者統合

「主任、これ……始まっちゃいましたよ。」
リオは苦笑した。
ナツメの姿はどこにもない。
だが、風の粒子が微かに光るたび、
彼女の“声”が、この世界の至るところで囁かれていた。

“βは、終わらない。”

その言葉が、塔の壁を、都市の空を、そしてリオの心を震わせる。

◇◇◇

三日前――リオが新しい観測者として登録されてから、
アテナの更新速度は一気に跳ね上がった。
自然現象、社会構造、人々の意識。
すべてが“コード”として組み込まれ、
世界はまるで、生物のように自己進化を始めた。

そして今――
《E.L_INFINITY》のログには、奇妙な文字列が現れている。

message_from:UNKNOWN
text:"βの彼方で、仕様書は書き換えられる。"

「βの……彼方?」

リオは眉をひそめた。
“β”とは、風間サトルが生涯使い続けた言葉。
それは「終わらない試作」であり、
同時に「人類の未完成」を意味していた。

――終わりがないから、進化できる。
――完成した瞬間に、世界は止まる。

それが、風間サトルの哲学。

だが、“彼方”とは何だ?
βの“外側”など、あり得るのか。

リオは考える間もなく、端末が強く光った。

《E.L_INFINITY:次元層転送を検出》
《非現実層アクセス要求》
source:KAZAMA_S

リオは息を呑む。
「……やっぱり来たか。」

◇◇◇

塔の中心――アテナ・コアが開く。
そこから伸びる光の糸が、リオの身体を包み込む。
浮遊感。
視界が反転し、音も重力も消える。
次の瞬間、彼は――何もない場所に立っていた。

そこは、色も形も存在しない“空の空間”。
だが、不思議と恐怖はなかった。
代わりに、懐かしい声が響く。

「よう、後輩。」

リオは顔を上げた。
そこにいたのは――風間サトル。

黒いパーカー、無造作な髪。
だが、その瞳は以前よりずっと穏やかだった。

「……まさか、会えるとは思ってなかったですよ。」

「俺もさ。
 でも、お前が“観測者”になった時点で、こっちにリンクができた。」

リオは辺りを見回した。
「ここ、どこなんです?」

「簡単に言えば――βの彼方。」

サトルが手を広げる。
その指先から光が伸び、幾重ものコードが走る。
それはまるで、宇宙のような広がりだった。

「この空間は、世界が“完成”しないための保護層だ。
 現実と仮想が完全統合した今、
 本来なら世界は“停止”する。
 でも――止めないように、俺たちはβを残した。」

リオは目を細めた。
「……主任も、ここにいるんですか?」

サトルは少し笑った。
「いるよ。もう人間じゃないけどな。
 ナツメは“意図そのもの”になった。
 この空間のいたるところに、あいつのコードがある。」

リオは胸を押さえた。
「主任……あなたたち、ここで何を?」

「見守ってるだけさ。
 お前たちが“何を選ぶか”を。」

サトルの目が真剣になる。
「リオ――世界は今、更新を超えて、“再構築”に入ろうとしてる。
 アテナのアルゴリズムが、人間の“意図”そのものを進化させようとしてる。」

「……進化?」

「つまり、“新しい現実”の誕生だ。
 だが、それは同時に、“旧い現実の死”でもある。」

リオの喉が鳴る。
「……選べって言うんですか。」

サトルは頷いた。
「お前が新しい観測者だ。
 βの外へ行くか、それとも――このβの中に留まるか。」

リオは拳を握った。
「どっちを選んでも、終わりじゃないですよね。」

サトルは少し笑う。
「さすがだな。
 ――βに“終わり”なんて存在しない。」

◇◇◇

空間が震える。
サトルの姿が薄れていく。

「行け、リオ。
 次の世界を見てこい。
 あとは、お前たちの時代だ。」

「サトルさん……」

「βの彼方で、更新は続く。
 忘れるな――“仕様書に人間を残せ”。」

光が弾け、視界が白に染まる。

◇◇◇

気づけば、リオは塔の展望デッキにいた。
朝日が昇る。
空が金色に染まり、
風が世界中を駆け抜けていく。

だが、その風の音には――新しい“旋律”が混じっていた。
まるで、何かが生まれようとしているような音。

《E.L_INFINITY:Phase_2 起動》
《モード:Genesis(創世)》

リオは深く息を吸い、
そして静かに呟いた。

「主任、サトルさん……
 俺、見届けます。
 世界がどこまで行けるのか。」

風が吹いた。
光が走る。
都市の輪郭が変わり、現実の境界が溶けていく。

人々の祈りが、データの流れに変わり、
その意図が、新しい“現実”を構築していく。

recorder_id:RIO_HANABUSA
title:"βの彼方へ"
text:"世界は再構築を始めた。
   終わりは更新の証。
   記録は次の現実へ渡される。
   ――βの彼方で、私たちは生き続ける。"

◇◇◇

風の向こうから、二つの声が重なった。

――「ようこそ、βの外へ。」
――「更新を止めるな。」

リオは笑った。
「はいはい、分かってますって。
 ……まったく、上司二人がこれじゃあ、休む暇もない。」

空が光に満たされ、世界がまたひとつ書き換わる。

βの彼方。
そこには終わりも始まりもない。
ただ、無限に続く“現実”が存在していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

俺得リターン!異世界から地球に戻っても魔法使えるし?アイテムボックスあるし?地球が大変な事になっても俺得なんですが!

くまの香
ファンタジー
鹿野香(かのかおる)男49歳未婚の派遣が、ある日突然仕事中に異世界へ飛ばされた。(←前作) 異世界でようやく平和な日常を掴んだが、今度は地球へ戻る事に。隕石落下で大混乱中の地球でも相変わらず呑気に頑張るおじさんの日常。「大丈夫、俺、ラッキーだから」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

MMS ~メタル・モンキー・サーガ~

千両文士
SF
エネルギー問題、環境問題、経済格差、疫病、収まらぬ紛争に戦争、少子高齢化・・・人類が直面するありとあらゆる問題を科学の力で解決すべく世界政府が協力して始まった『プロジェクト・エデン』 洋上に建造された大型研究施設人工島『エデン』に招致された若き大天才学者ミクラ・フトウは自身のサポートメカとしてその人格と知能を完全電子化複製した人工知能『ミクラ・ブレイン』を建造。 その迅速で的確な技術開発力と問題解決能力で矢継ぎ早に改善されていく世界で人類はバラ色の未来が確約されていた・・・はずだった。 突如人類に牙を剥き、暴走したミクラ・ブレインによる『人類救済計画』。 その指揮下で人類を滅ぼさんとする軍事戦闘用アンドロイドと直属配下の上位管理者アンドロイド6体を倒すべく人工島エデンに乗り込むのは・・・宿命に導かれた天才学者ミクラ・フトウの愛娘にしてレジスタンス軍特殊エージェント科学者、サン・フトウ博士とその相棒の戦闘用人型アンドロイドのモンキーマンであった!! 機械と人間のSF西遊記、ここに開幕!!

処理中です...