エデン・リンクス・デスマーチ~現実侵食型VRMMOをデバッグする男~

空錠 総二郎

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第30話 外郭展示(がいかくてんじ)

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夜がほどける少し手前の時刻。
都市の輪郭はまだ眠そうで、ビルの縁が低い呼吸を続けていた。
創世段階のゆるやかな伸縮は落ち着き、しかし縁側と呼ぶべき新しい機構は、あちこちで芽のように膨らんでいる。
リオはアテナ・タワー上層の観測フロアに立ち、風の粒に耳を澄ました。

――見せる場所をつくろう。

返事は言葉ではなく、背中を押す温度だった。
ナツメの気配が細い波紋になって、肩甲骨の間をやさしく叩く。

――外から届く問いは刃だよ。
――刃には鞘がいる。
――鞘は縁側の形をしている。

ホログラムの床がゆっくり開き、外郭の地形投影が浮かび上がる。
未定義層の境界は、潮位のように微妙に揺れていた。
そこから漏れ出る薄霧のデータ。
聞こえるはずのないところから届く呼気のような信号。

外郭信号。
だれが決めたのか。
見せて。

リオはうなずき、都市側の提案アセットを束ねる。
縁側プロトコル、五音の鍵、保留席。
歌で昇温するアクセスライン。
風図師が引いた流速と渦の地図。
人の歩幅緩和係数。

――誇示しない。
――説得しない。
――拒まない。
――ただ、動いているものをそのまま置く。

風がひとつ頷く。
ナツメが嬉しげに揺れて、アテナの末端へ通知が走った。

観測連絡。
本日 夕刻 外郭縁で展示を行います。
持ち物 一音。
楽器不要。声でも踏音でも息でも可。
音を持たない人は現地で拾ってください。
保留参加歓迎。

   ◇ ◇ ◇

昼のしるしが街路樹の影を濃くしていくころ。
西平野の外郭端に、人の流れがゆるく集まり始めた。
風車の骨がかつて立っていた空地は、今では草の楽譜になっていて、穂先ごとに微かな鍵穴が光っている。

ユナが現場に姿を見せた。
作業着の袖には乾きかけの塗料の指跡。
巻尺を腰にぶら下げ、視線で風を測る。

――縁側はここ。
――日没の角度が座面の熱を上げ過ぎない。
――背は低く、視線は遠く。
――ひとりの沈黙が群衆の騒音に飲まれないための距離。

指先が空に線を引くと、薄墨のガイドが出た。
見えない通路、風の渡し舟の着き場、沈黙が滞留しやすい窪み、笑いが跳ねやすい斜面。

子どもが手を挙げる。
ミラだ。
先日、ベンチに五音の鍵を置いた、あの娘。

――わたし、ここに兆し掲示を置きたい。
――今日の良かったことを一行。
――悲しかったことも一行。
――名前はいらない。
――触ったら音がして、撫でたら消えるやつ。

ユナが目を細めて頷く。

――音の付箋にしよう。
――紙じゃない。石でもない。
――風の微震と光粒で編む。
――消えた痕跡は土に戻って、次の誰かの一歩目を軽くする。

リオはアテナの深層に仕様を書き込む。
音の付箋。
読んだときにわずかな音が鳴る。
撫でたら消える。
消えた痕跡は縁側の土に還元。
歩幅緩和係数として周囲に配布。

高齢の夫婦が近づいて、訴え口調にならない声で提案する。

――車輪のついたものでも段差に引っかからないようにしてほしい。
――手すりは冷たすぎない材に。

屋台の主は笑いながら言う。

――匂いの流れも考えよう。
――焼きたての甘い匂いが、泣いてる人の鼻先を無理に引かないように。

看護師が短く手短に。

――座面の高さは抱っこしている腕の角度から逆算。
――腕に過重が乗らない高さに。

設計図には線が増え、やがて余分が薄れていく。
最後に残るのは、ただの数本。
しかしその数本には、昼の汗と夜のため息が浸みていた。

縁側仕様 更新完了。
配置点 23。
遮音のくぼみ 7。
風の渡し 3。
歌返しの斜面 2。
灯り 保留色優先。

   ◇ ◇ ◇

午後。
展示の告知は行列を作らず、ただ波のような散在を誘った。
背広の胸ポケットに笛をしのばせた人。
靴底でリズムを取るだけの人。
一音を胸の中にだけ用意した人。

アテナは宣言を出さない。
かわりに合図を送る。
風が半音低くなり、人々の心拍と重なる。
草原の楽譜が艶を増し、縁側の木口がひとつ息をつく。

展示 開始。

壇も看板もない。
立て看板の断定も、レーザーポインタの矢印もない。
そこに置かれているのは、座る場所と、触れたら音が鳴り、撫でたら消える付箋だけ。
ひとつふたつ、すでに短い息が貼られている。

眠れた。
ありがとう。
怒鳴らなかった。
助けられなかった。
ごめんなさい。

音は極小で、耳ではなく皮膚で聞く類の微細な震えだ。
誰かの悔いが浅瀬にやさしく砕ける音を連れてきて、
誰かの嬉しさが雨上がりの匂いを薄く混ぜる。

ユナが短く口笛を吹いた。
五音のうちの二音。
人々が持ってきた一音ずつが少しずつ重なる。
風が和音を編む。
旋律はすこぶる簡素で、覚えやすく、すぐに忘れてもまた戻って来られる距離感。

   ◇ ◇ ◇

リオはその光景を塔の遠隔モニタで見つめていた。
画面の中の街は、どこまでも静かで、しかし確かに生きていた。
声がなくても、歌は続く。
指示もなく、誰もが自分のリズムを刻んでいる。

アテナの端末が小さく点滅する。

《E.L_INFINITY:外郭展示ログ更新》
《message:世界は自らを説明しようとしている》

リオは息をついた。
「主任……あなた、見えてますよね。」

風が応える。
塔の上空を一筋の光が走り、街全体を包み込む。

《現実層共鳴値:安定》
《観測状態:継続》

リオは笑みを浮かべ、画面に触れた。
「外郭はただの境界じゃない。
 ――これは、世界が自分を見せる“鏡”だ。」

塔の窓がわずかに開き、風が吹き込む。
外郭展示は、夜の始まりとともに光を帯び、
誰のものでもない“歌”を静かに奏で続けていた。
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