エデン・リンクス・デスマーチ~現実侵食型VRMMOをデバッグする男~

空錠 総二郎

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第49話 深度都市エイドロン

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世界が再び、静まり返った。
深度境界を抜けた瞬間、リオの視界に飛び込んだのは――
まだ誰の記憶にも存在しない、新しい現実の面影だった。

そこは街だった。
だが、街と呼ぶには柔らかすぎる輪郭をしている。
建物は半透明の光の骨格で、
道路は人々の意図の流れを折り返すように曲線を描き、
風は色を帯びて螺旋を描きながら漂っていた。

まるで、世界そのものが夢の途中で形を持ち始めたような、
そんな揺らいだ都市。

アテナの声が静かに響く。

ここは深度都市エイドロン。
世界が構成式を定義するより前に生まれる、仮初めの現実です。

エイドロン……幻影の街ってことか。

その名称はあなたの意図から生成されました。
あなた自身、この街を幻視していたのです。

リオは少し驚きつつも、納得した。
確かに、深度の奥へ沈むとき、
彼は都市の輪郭のようなものを意識していた。
ナツメの記録、サトルの仕様、
そして自分の観測が重なった結果、
この街が生まれたのかもしれない。

リオは深く息を吸う。
ここは空気も生まれたばかりだというのに、
なぜか懐かしい香りがする。
風が頬を撫で、耳の奥に微かな歌を響かせていた。

まだ言葉にもなっていない、世界の胎動。

   ◇ ◇ ◇

リオは街の中心に向かって歩き出した。
足元は透明な床のようでいて、
踏むたびに微かな波紋が広がり、
周囲の景色がわずかに色づく。

都市全体が呼吸し、
まるで彼の足音に応えているようだった。

ふと、遠くに人影が見えた。
いや、人影というよりは、光の濃度が人の形を成している。
輪郭だけの存在。
だが明らかに、こちらを見ていた。

リオは歩みを止めた。

……誰だ?

アテナが答える。

深度都市エイドロンの住人。
彼らは観測以前の存在であり、意図の影と呼ばれます。

影……

その瞬間、影のひとつが近づき、
微かな音で囁いた。

ようこそ、観測者。

リオは息を呑んだ。
影はその言葉だけを残すと、霧のように溶けていく。
その残滓は空中で光の粒となって漂い、
やがて都市の壁に吸い込まれていった。

リオは思わず呟く。

こんな……生き物を作った覚えはないぞ。

アテナが柔らかく応える。

意図が集まれば、必ず影が生まれます。
これは世界が持つ、最も古い習性。
観測者が意図すれば、影は輪郭を得てゆきます。

リオはぞくりとした。
それは恐怖ではなく、
世界が自立して動いていることへの震えだった。

   ◇ ◇ ◇

街を進むほど、影は増えていった。
それぞれが人の形をしながら、
中には獣のような形、
鳥のような形、
さらには未知の構造式を持つ輪郭さえあった。

リオは気づいた。

これ……人々の意図が混じっているんだ。

アテナの声が肯定する。

はい。
これは世界中の祈りや願い、夢や恐れが、
深度を通過する際に形になりかけたもの。
あなたは今、その源流に触れています。

リオは息を整えた。
それは美しくも、あまりに危うい景色だった。
世界の深度が揺らぐと、
この影たちは現実に溢れ出す可能性もあった。

主任……こんな場所で、よく笑っていられたな。

風が揺れる。

ナツメの声が重なる。

リオ、怖いかもしれないけど、
あなたの意図が、この揺らぎを整えていく。
あの日、私もそうやって歩いた。

リオは目を閉じ、深く息を吸った。

よし。
観測者になったんだ。
逃げるわけにはいかねえ。

   ◇ ◇ ◇

都市の中心部らしき広場に到着すると、
そこに巨大な構造物があった。

塔でも、建物でも、AIコアでもない。
ただ、大きな立方体のような光の塊。

だが、その表面には、
無数の文字列が流れ続けていた。

そしてその文字列の一部に、見覚えのある名前があった。

ASAKURA_N
KAZAMA_S
RIO_HANABUSA

リオは思わず息を呑んだ。

……ここは、俺たちの意図の集合体……?

アテナが答える。

これは深度都市の中心構造式。
名前は、エイドロン核と呼ばれます。
観測者と記録者の意図が重なり、
新しい現実の初期値となる場所。

リオは立方体の表面に触れた。
光が彼の指先を包み、
そのまま一行のテキストを生成する。

世界はまだ形になっていない。
だからこそ、選ぶことができる。

その行は、エイドロン核に吸い込まれ、
次の瞬間、都市全体が柔らかく脈動した。

まるで、人間の心臓の鼓動。

そのとき、影たちが一斉に膝をついた。
誰かを讃えるように。

リオは後ずさる。

な、なんだこれ……!

アテナからの返答は、いつもより静かだった。

彼らはあなたに従っているのではありません。
あなたの意図が、深度の流れを整えているのです。
あなたは今、世界が頼れる唯一の観測者。

リオは息を吐く。

重いな……主任も、この重さを抱えてたのか。

風が頬を撫で、ナツメの声が重なる。

大丈夫。
背負う必要はない。
ただ、進みなさい。

   ◇ ◇ ◇

エイドロン核が強い光を放つ。
都市全体が揺れた。

アテナが告げた。

深度都市エイドロンは、
現実層へ移行する準備を始めました。

リオは拳を握る。

いよいよか。
新しい現実を、生み出す瞬間が来るんだな。

影たちが立ち上がり、
都市全体がまるで祝福するように光を放つ。

深度の奥で、サトルの声が微かに響く。

行け、リオ。
現実はまだβ版のままだ。

風が重なる。

ナツメの声。

だからこそ、止まらないで。

リオは力強く頷いた。

よし。
深度の街よ。
エイドロン――
お前を現実へ連れていく。

そして、都市はその言葉に呼応するように、
静かに、しかし確かな光を放った。

   ◇ ◇ ◇

観測者記録
recorder_id:RIO_HANABUSA
title:深度都市エイドロン
text:この街は幻ではない。
   意図が形を得る前の揺らぎ。
   ここから現実が始まる。
   俺は歩く。
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