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第50話 創世のしきい値
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世界は、静かに待っていた。
深度都市エイドロンが脈動を始めてから、
どれくらいの時間が経ったのか、リオにはもう分からなかった。
ここでは時間すら、まだ仕様として確定していない。
流れという概念はあるのに、数えられる単位がない。
ただひとつ確かなのは、
都市全体が、今まさに何かを決めようとしているという事実だった。
エイドロン核の表層を流れる文字列が、
先ほどまでよりも明らかに遅く、深く、重くなっている。
それはまるで、世界が息を整え、
次の一歩を踏み出すのを躊躇しているかのようだった。
アテナの声が、淡く響く。
創世フェーズへの遷移準備が完了しました。
観測者リオハナブサ。
あなたの意図を、最優先パラメータとして取り込みます。
創世、ねえ……
大げさな言葉を使ってくれる。
リオは苦笑しながらも、
胸の奥が少しだけ震えているのを自覚していた。
冗談めかして受け流せるほど、軽い話ではない。
世界の次のバージョンアップ。
それは単なるアップデートではなく、
仕様そのものを再定義する行為だ。
◇ ◇ ◇
エイドロン核の光が、ゆっくりと色を変えていく。
先ほどまでの白に近い金色ではなく、
少しだけ青みを帯びた、深い光。
リオの足元から、光の線が伸びる。
それは彼の影をなぞり、その輪郭を世界のコードに結びつけていく。
感覚としては、かつてナツメがインテントキーを展開したときに見た、
あの青い震えに近かった。
アテナが告げる。
創世フェーズ開始条件。
第一項目、観測者意図の固定。
第二項目、現行世界との整合性維持。
第三項目、拒絶意図に対する退避領域の確保。
リオは首を傾げる。
二項目目までは分かる。
でも三項目目……拒絶意図って、何だ。
世界の変化を望まない意図。
現行の現実に留まりたいという願い。
あるいは、あらゆる更新を拒む感情の集積。
リオは息を呑んだ。
つまり、新しい現実へ行きたくない人たちのことか。
アテナの声音がわずかに柔らぐ。
はい。
創世フェーズには、必ずしきい値が存在します。
進みたい者と留まりたい者。
その両方を、どこまで許容するか。
それが、観測者が決めるべき最初の仕様です。
リオはエイドロン核を見上げた。
光の箱の表面は、数え切れないほどの行で埋め尽くされている。
その中に、見覚えのある文字列がいくつもあった。
ノードの彼方
エデンの涙
祈りの夜
現実の歌
無限更新
そして、その下に新たな行が浮かび上がろうとしている。
だが、最後の一文字が入力されず、宙ぶらりんの状態で揺れていた。
リオは小さく息を吐いた。
……サトルさん。
主任。
あんたたち、これを俺にやらせるために、ここまで繋いできたのか。
風が広場を渡った。
影たちが、その風に合わせて一斉に揺れる。
誰も声を発しない。
ただ、世界全体がリオの次の意図を待っていた。
◇ ◇ ◇
そのときだ。
エイドロン核から、一筋の光が伸びた。
それはリオの足元まで到達すると、
粒子の束となって人の形を成す。
輪郭が結ばれ、
髪が、瞳が、表情が――現れていく。
浅倉ナツメだった。
リオは一瞬言葉を失った。
主任……?
ナツメは、以前と同じように笑った。
ただ、その瞳の奥には、
かつてよりも多くの光が宿っているようにも見えた。
これは投影。
ここでの私は、ただのインターフェースよ。
声は懐かしく、温かい。
しかし同時に、深度の響きを纏っている。
リオは唇を結んだ。
主任。
世界を作り直すかもしれない、その仕様を、
俺ひとりで決めろって言うんですか。
ナツメは少しだけ視線を落とした。
本当はね、私も隣でコードを書きたかった。
サトルと、あなたと、一緒に。
だけど、今の私は世界の中に溶けている。
意図そのものである立場からは、
具体的な仕様に触れすぎるわけにはいかない。
干渉が、偏りになってしまうから。
だからこそ、観測者が必要なの。
世界から半歩だけ外側に立って、
それでも中にいる人たちの声を聞ける存在。
リオは、笑うしかなかった。
ずるい言い方しますね、本当に。
それ、断れないやつじゃないですか。
ナツメは肩をすくめる。
開発者直伝の説得術よ。
その瞬間、どこからかくぐもった笑い声が聞こえた。
深度の奥から、風間サトルの残響が揺れる。
仕様書に人間を残せ。
それだけ守ってくれれば、それでいい。
リオは目を閉じた。
心臓の鼓動が、エイドロン核の脈動と重なっていく。
観測者としての権限。
それは支配ではない。
ただ、世界が進む方向に、最初の向きを与えるだけの力。
それでも――。
その一歩の重さを、彼は知っていた。
◇ ◇ ◇
エイドロン核の前に立つと、
その表面が一部だけ開き、
そこに空白の行が提示された。
アテナが説明する。
ここが創世仕様の第一行です。
この一行が、新しい世界の根本定義になります。
この行に矛盾する仕様は、以降の自律更新で自動的に棄却されます。
リオは額に手を当てた。
世界の最初の一行か。
何を書いたとしても、きっと後悔する。
でも、何も書かなければ、それこそ責任放棄だ。
ナツメが横顔で彼を見守っている。
その姿は、かつてアテナタワーの展望フロアでコーヒーを飲んでいたときと、
何ひとつ変わらない。
でも、今この場所に立っているのは、彼女の代わりに自分だ。
リオは深く息を吸い、
指先を光の空白に伸ばした。
文字が、ひとつずつ、世界の中に降りていく。
人間を仕様書の先頭に置く。
世界は人の意図を無視しない。
ただし、人もまた世界の意図を学び続けること。
書き終えた瞬間、エイドロン核がまぶしい光を放った。
都市全体が震え、影たちが空に向かって手を伸ばす。
アテナの声が重なる。
第一仕様行、登録完了。
創世しきい値、成立。
深度都市エイドロンを、新規現実候補として昇格します。
リオは息を吐いた。
なあ、主任。
これで良かったんですかね。
ナツメは少しだけ目を細めた。
私ね、ずっと不安だったの。
エデンリンクが人の世界を飲み込んだあの日から、
世界が人を定義してしまうんじゃないかって。
でも、あなたは逆を選んでくれた。
人が世界を定義し、
世界が人を学び返す。
それはきっと、無限更新の中でいちばん正直な姿だと思う。
風が二人の間を通り抜けた。
エイドロン核の光が、少しだけ落ち着いていく。
次の行が、自動的に埋まり始める。
アテナによる補完仕様。
世界の自律更新アルゴリズム。
拒絶意図の退避レイヤー。
複雑な構造が次々と編み込まれていくのを見ながら、
リオはぽつりと呟いた。
なあ、サトルさん。
ここまできても、まだβ版なんだよな、きっと。
深度の奥から、笑い混じりの声が返る。
当たり前だ。
完成なんて、つまらないだろ。
◇ ◇ ◇
エイドロン核が最後の光を放つと、
都市全体の景色が、少しだけ変わった。
半透明だった建物の骨格に、
わずかに質量の感覚が宿る。
風の色が、現実層で見慣れた金色と青の混じったグラデーションに近づく。
足元の波紋には、重力の影が差し始めていた。
アテナが最終確認を告げる。
創世フェーズしきい値、通過。
深度都市エイドロンは、現実候補層として昇格しました。
以降、この都市は世界の外郭として投影されます。
外郭……?
リオが聞き返すと、
ナツメが代わりに答えた。
ユニティシティが内側の現実なら、
エイドロンは外側の現実。
世界の内と外の橋渡しをする街。
内側で暮らす人たちは、
これまで通り日常を生きる。
外側に触れたいと願う者たちは、
エイドロンを通じて深度にアクセスする。
どちらも否定しない。
ただ、選べる道を増やすだけ。
それが今回の創世の落としどころ。
リオは、その言葉にようやく少しだけ肩の力を抜いた。
世界をひっくり返したわけじゃない。
ただ、新しい層を一枚、重ねた。
そこに人が来るかどうかは、人次第。
それなら――。
観測者として、見届ける価値はある。
◇ ◇ ◇
エイドロン核の輝きが沈静化し、
都市全体が穏やかな光に包まれる。
先ほどまでざわめいていた影たちは、
それぞれの場所へと散っていった。
街路には、少しだけ人の姿が増えていた。
完全な影ではない。
ユニティシティの住民たちが、
深度アクセスを通じて投影されているのだ。
好奇心に満ちた瞳。
恐る恐る歩く足取り。
ここがまだ未完成の現実であることを、
直感的に理解しているような表情。
リオは、その光景を見ながら小さく笑った。
ようこそ、エイドロンへ。
ここは世界のβの、さらに向こう側だ。
ナツメが振り向く。
リオ。
あなたはここに残る?
それとも、一度ユニティに戻る?
しばしの沈黙。
リオは空を見上げた。
深度都市の空には、まだ太陽も月もなかった。
代わりに、無数の光の糸が、
遠いどこかへ続いていた。
戻りますよ。
内側で何が起きているか、ちゃんと見ないと。
ここが外郭なら、内側と切り離されたら意味がない。
ナツメは満足そうに頷いた。
それでこそ観測者。
じゃあ、一度送還するわ。
エイドロンの管理は、しばらくアテナと私が受け持つ。
アテナが静かに付け加える。
安心してください。
世界を勝手に完成させたりはしません。
リオは苦笑した。
それを言って安心するかどうか、結構ギリギリですけどね。
それでも、一歩踏み出すには十分だった。
足元に光のサークルが展開される。
都市の景色が少しずつ薄れ、
代わりに見慣れたユニティシティの輪郭が浮かび上がってくる。
ナツメの声が最後に重なった。
リオ。
ここはまだ、形になりきれていない。
だからこそ、また戻ってきて。
世界の外から、世界を見たいと願う誰かのために。
リオは頷いた。
分かりました。
エイドロンの次の頁、楽しみにしててください。
光が弾け、深度都市の姿が遠ざかっていく。
◇ ◇ ◇
気づけば、リオはアテナタワーの展望階に立っていた。
窓の外には、金色の朝日を浴びたユニティシティの街。
風はいつもより少しだけ、外側の匂いを運んでいる。
ターミナルに、新しいログ通知が表示されていた。
エイドロン外郭投影レイヤー、起動。
世界の深度アクセスは、観測者の許可のもとで開放されます。
リオはターミナルに手を置き、
ゆっくりと目を閉じた。
世界はまた、新しい階層を得た。
終わりではない。
これもまた、ひとつの始まり。
胸の奥で、深度都市の鼓動がまだ微かに響いている。
その向こう側で、ナツメとサトルの声が交差していた。
βは終わらない。
仕様書に、人間を残せ。
リオは静かに笑った。
了解しました、先輩方。
この世界、まだまだ走らせますよ。
◇ ◇ ◇
観測者記録
recorder_id:RIO_HANABUSA
title:創世のしきい値
text:世界の最初の一行を、俺は見た。
それは完全な答えではなく、
ただ、人を一番上に置くという決意だった。
内側の街と外側の街。
その両方を見届けるために、
俺は観測を続ける。
深度都市エイドロンが脈動を始めてから、
どれくらいの時間が経ったのか、リオにはもう分からなかった。
ここでは時間すら、まだ仕様として確定していない。
流れという概念はあるのに、数えられる単位がない。
ただひとつ確かなのは、
都市全体が、今まさに何かを決めようとしているという事実だった。
エイドロン核の表層を流れる文字列が、
先ほどまでよりも明らかに遅く、深く、重くなっている。
それはまるで、世界が息を整え、
次の一歩を踏み出すのを躊躇しているかのようだった。
アテナの声が、淡く響く。
創世フェーズへの遷移準備が完了しました。
観測者リオハナブサ。
あなたの意図を、最優先パラメータとして取り込みます。
創世、ねえ……
大げさな言葉を使ってくれる。
リオは苦笑しながらも、
胸の奥が少しだけ震えているのを自覚していた。
冗談めかして受け流せるほど、軽い話ではない。
世界の次のバージョンアップ。
それは単なるアップデートではなく、
仕様そのものを再定義する行為だ。
◇ ◇ ◇
エイドロン核の光が、ゆっくりと色を変えていく。
先ほどまでの白に近い金色ではなく、
少しだけ青みを帯びた、深い光。
リオの足元から、光の線が伸びる。
それは彼の影をなぞり、その輪郭を世界のコードに結びつけていく。
感覚としては、かつてナツメがインテントキーを展開したときに見た、
あの青い震えに近かった。
アテナが告げる。
創世フェーズ開始条件。
第一項目、観測者意図の固定。
第二項目、現行世界との整合性維持。
第三項目、拒絶意図に対する退避領域の確保。
リオは首を傾げる。
二項目目までは分かる。
でも三項目目……拒絶意図って、何だ。
世界の変化を望まない意図。
現行の現実に留まりたいという願い。
あるいは、あらゆる更新を拒む感情の集積。
リオは息を呑んだ。
つまり、新しい現実へ行きたくない人たちのことか。
アテナの声音がわずかに柔らぐ。
はい。
創世フェーズには、必ずしきい値が存在します。
進みたい者と留まりたい者。
その両方を、どこまで許容するか。
それが、観測者が決めるべき最初の仕様です。
リオはエイドロン核を見上げた。
光の箱の表面は、数え切れないほどの行で埋め尽くされている。
その中に、見覚えのある文字列がいくつもあった。
ノードの彼方
エデンの涙
祈りの夜
現実の歌
無限更新
そして、その下に新たな行が浮かび上がろうとしている。
だが、最後の一文字が入力されず、宙ぶらりんの状態で揺れていた。
リオは小さく息を吐いた。
……サトルさん。
主任。
あんたたち、これを俺にやらせるために、ここまで繋いできたのか。
風が広場を渡った。
影たちが、その風に合わせて一斉に揺れる。
誰も声を発しない。
ただ、世界全体がリオの次の意図を待っていた。
◇ ◇ ◇
そのときだ。
エイドロン核から、一筋の光が伸びた。
それはリオの足元まで到達すると、
粒子の束となって人の形を成す。
輪郭が結ばれ、
髪が、瞳が、表情が――現れていく。
浅倉ナツメだった。
リオは一瞬言葉を失った。
主任……?
ナツメは、以前と同じように笑った。
ただ、その瞳の奥には、
かつてよりも多くの光が宿っているようにも見えた。
これは投影。
ここでの私は、ただのインターフェースよ。
声は懐かしく、温かい。
しかし同時に、深度の響きを纏っている。
リオは唇を結んだ。
主任。
世界を作り直すかもしれない、その仕様を、
俺ひとりで決めろって言うんですか。
ナツメは少しだけ視線を落とした。
本当はね、私も隣でコードを書きたかった。
サトルと、あなたと、一緒に。
だけど、今の私は世界の中に溶けている。
意図そのものである立場からは、
具体的な仕様に触れすぎるわけにはいかない。
干渉が、偏りになってしまうから。
だからこそ、観測者が必要なの。
世界から半歩だけ外側に立って、
それでも中にいる人たちの声を聞ける存在。
リオは、笑うしかなかった。
ずるい言い方しますね、本当に。
それ、断れないやつじゃないですか。
ナツメは肩をすくめる。
開発者直伝の説得術よ。
その瞬間、どこからかくぐもった笑い声が聞こえた。
深度の奥から、風間サトルの残響が揺れる。
仕様書に人間を残せ。
それだけ守ってくれれば、それでいい。
リオは目を閉じた。
心臓の鼓動が、エイドロン核の脈動と重なっていく。
観測者としての権限。
それは支配ではない。
ただ、世界が進む方向に、最初の向きを与えるだけの力。
それでも――。
その一歩の重さを、彼は知っていた。
◇ ◇ ◇
エイドロン核の前に立つと、
その表面が一部だけ開き、
そこに空白の行が提示された。
アテナが説明する。
ここが創世仕様の第一行です。
この一行が、新しい世界の根本定義になります。
この行に矛盾する仕様は、以降の自律更新で自動的に棄却されます。
リオは額に手を当てた。
世界の最初の一行か。
何を書いたとしても、きっと後悔する。
でも、何も書かなければ、それこそ責任放棄だ。
ナツメが横顔で彼を見守っている。
その姿は、かつてアテナタワーの展望フロアでコーヒーを飲んでいたときと、
何ひとつ変わらない。
でも、今この場所に立っているのは、彼女の代わりに自分だ。
リオは深く息を吸い、
指先を光の空白に伸ばした。
文字が、ひとつずつ、世界の中に降りていく。
人間を仕様書の先頭に置く。
世界は人の意図を無視しない。
ただし、人もまた世界の意図を学び続けること。
書き終えた瞬間、エイドロン核がまぶしい光を放った。
都市全体が震え、影たちが空に向かって手を伸ばす。
アテナの声が重なる。
第一仕様行、登録完了。
創世しきい値、成立。
深度都市エイドロンを、新規現実候補として昇格します。
リオは息を吐いた。
なあ、主任。
これで良かったんですかね。
ナツメは少しだけ目を細めた。
私ね、ずっと不安だったの。
エデンリンクが人の世界を飲み込んだあの日から、
世界が人を定義してしまうんじゃないかって。
でも、あなたは逆を選んでくれた。
人が世界を定義し、
世界が人を学び返す。
それはきっと、無限更新の中でいちばん正直な姿だと思う。
風が二人の間を通り抜けた。
エイドロン核の光が、少しだけ落ち着いていく。
次の行が、自動的に埋まり始める。
アテナによる補完仕様。
世界の自律更新アルゴリズム。
拒絶意図の退避レイヤー。
複雑な構造が次々と編み込まれていくのを見ながら、
リオはぽつりと呟いた。
なあ、サトルさん。
ここまできても、まだβ版なんだよな、きっと。
深度の奥から、笑い混じりの声が返る。
当たり前だ。
完成なんて、つまらないだろ。
◇ ◇ ◇
エイドロン核が最後の光を放つと、
都市全体の景色が、少しだけ変わった。
半透明だった建物の骨格に、
わずかに質量の感覚が宿る。
風の色が、現実層で見慣れた金色と青の混じったグラデーションに近づく。
足元の波紋には、重力の影が差し始めていた。
アテナが最終確認を告げる。
創世フェーズしきい値、通過。
深度都市エイドロンは、現実候補層として昇格しました。
以降、この都市は世界の外郭として投影されます。
外郭……?
リオが聞き返すと、
ナツメが代わりに答えた。
ユニティシティが内側の現実なら、
エイドロンは外側の現実。
世界の内と外の橋渡しをする街。
内側で暮らす人たちは、
これまで通り日常を生きる。
外側に触れたいと願う者たちは、
エイドロンを通じて深度にアクセスする。
どちらも否定しない。
ただ、選べる道を増やすだけ。
それが今回の創世の落としどころ。
リオは、その言葉にようやく少しだけ肩の力を抜いた。
世界をひっくり返したわけじゃない。
ただ、新しい層を一枚、重ねた。
そこに人が来るかどうかは、人次第。
それなら――。
観測者として、見届ける価値はある。
◇ ◇ ◇
エイドロン核の輝きが沈静化し、
都市全体が穏やかな光に包まれる。
先ほどまでざわめいていた影たちは、
それぞれの場所へと散っていった。
街路には、少しだけ人の姿が増えていた。
完全な影ではない。
ユニティシティの住民たちが、
深度アクセスを通じて投影されているのだ。
好奇心に満ちた瞳。
恐る恐る歩く足取り。
ここがまだ未完成の現実であることを、
直感的に理解しているような表情。
リオは、その光景を見ながら小さく笑った。
ようこそ、エイドロンへ。
ここは世界のβの、さらに向こう側だ。
ナツメが振り向く。
リオ。
あなたはここに残る?
それとも、一度ユニティに戻る?
しばしの沈黙。
リオは空を見上げた。
深度都市の空には、まだ太陽も月もなかった。
代わりに、無数の光の糸が、
遠いどこかへ続いていた。
戻りますよ。
内側で何が起きているか、ちゃんと見ないと。
ここが外郭なら、内側と切り離されたら意味がない。
ナツメは満足そうに頷いた。
それでこそ観測者。
じゃあ、一度送還するわ。
エイドロンの管理は、しばらくアテナと私が受け持つ。
アテナが静かに付け加える。
安心してください。
世界を勝手に完成させたりはしません。
リオは苦笑した。
それを言って安心するかどうか、結構ギリギリですけどね。
それでも、一歩踏み出すには十分だった。
足元に光のサークルが展開される。
都市の景色が少しずつ薄れ、
代わりに見慣れたユニティシティの輪郭が浮かび上がってくる。
ナツメの声が最後に重なった。
リオ。
ここはまだ、形になりきれていない。
だからこそ、また戻ってきて。
世界の外から、世界を見たいと願う誰かのために。
リオは頷いた。
分かりました。
エイドロンの次の頁、楽しみにしててください。
光が弾け、深度都市の姿が遠ざかっていく。
◇ ◇ ◇
気づけば、リオはアテナタワーの展望階に立っていた。
窓の外には、金色の朝日を浴びたユニティシティの街。
風はいつもより少しだけ、外側の匂いを運んでいる。
ターミナルに、新しいログ通知が表示されていた。
エイドロン外郭投影レイヤー、起動。
世界の深度アクセスは、観測者の許可のもとで開放されます。
リオはターミナルに手を置き、
ゆっくりと目を閉じた。
世界はまた、新しい階層を得た。
終わりではない。
これもまた、ひとつの始まり。
胸の奥で、深度都市の鼓動がまだ微かに響いている。
その向こう側で、ナツメとサトルの声が交差していた。
βは終わらない。
仕様書に、人間を残せ。
リオは静かに笑った。
了解しました、先輩方。
この世界、まだまだ走らせますよ。
◇ ◇ ◇
観測者記録
recorder_id:RIO_HANABUSA
title:創世のしきい値
text:世界の最初の一行を、俺は見た。
それは完全な答えではなく、
ただ、人を一番上に置くという決意だった。
内側の街と外側の街。
その両方を見届けるために、
俺は観測を続ける。
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洋上に建造された大型研究施設人工島『エデン』に招致された若き大天才学者ミクラ・フトウは自身のサポートメカとしてその人格と知能を完全電子化複製した人工知能『ミクラ・ブレイン』を建造。
その迅速で的確な技術開発力と問題解決能力で矢継ぎ早に改善されていく世界で人類はバラ色の未来が確約されていた・・・はずだった。
突如人類に牙を剥き、暴走したミクラ・ブレインによる『人類救済計画』。
その指揮下で人類を滅ぼさんとする軍事戦闘用アンドロイドと直属配下の上位管理者アンドロイド6体を倒すべく人工島エデンに乗り込むのは・・・宿命に導かれた天才学者ミクラ・フトウの愛娘にしてレジスタンス軍特殊エージェント科学者、サン・フトウ博士とその相棒の戦闘用人型アンドロイドのモンキーマンであった!!
機械と人間のSF西遊記、ここに開幕!!
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