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第52話 深度の光、内側の影
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午前四時。
まだ夜とも朝とも呼べない曖昧な時間帯。
ユニティシティの高層には薄い霧が漂い、
アテナタワーの上空には、深度からの微細な粒子が淡い光をまとって舞っていた。
リオは展望階のガラスに手を添え、
その粒子が空気中で揺れる様子をじっと見つめていた。
深度都市エイドロンが安定し、
境界の暴走が収まってから二日が経った。
しかし世界は静かなままでは終わらない。
むしろ、静けさの奥で確実に何かが動き始めていた。
深度は沈黙する時ほど危険だ。
そう主任によく言われたものだ。
リオは目を閉じ、深く息を吸う。
空気は軽く、ひどく澄んでいる。
その澄みすぎた空気が、逆に不安を煽っていた。
まるで世界が息を潜めて、
何かを待っているような気配。
その時だった。
展望階の中央に、微弱な光の波紋が走った。
来たか。
リオはその場から歩み寄り、
光の中心に触れる。
波紋は彼の指先に反応し、文字列に変わる。
発信者 KAZAMA S
階層通知
深度第零層 起動準備完了
観測者リオハナブサへ
意図承認を要請します
リオは息を呑んだ。
第零層。
深度都市の最奥。
すべてのエイドロン構造の核にあたる領域。
しかしまだ誰も見たことがない場所。
ナツメですら触れていない。
そんな領域が……起動する?
おいおい、早すぎるだろ。
思わず額に手を当てたその時、
背後から声がした。
リオさん。
サエだ。
白いジャケットを羽織り、
眠そうな目をこすりながら走ってくる。
こんな時間にどうしたんですか。
……って、あれ。
新しい通知ですか?
リオは頷いた。
深度第零層が起動する。
いや、起動しようとしている。
その承認を俺に求めてきてる。
サエの表情が一瞬で引き締まる。
第零層……
そこ、都市の根じゃないですか。
人が見ていい場所なんですか?
リオは苦笑した。
知らねえよ。
俺も知らないんだ。
これが問題の本質だった。
深度都市とは何か。
エイドロンが誰の意図で構築されたのか。
風間サトルがどこまで考えていたのか。
その核に関する情報だけは、
何も分かっていない。
深度の外側は意図の海。
深度の中枢は構造の心臓。
だが第零層は、
そのどちらでもない。
リオは光の通知を再度確認する。
意図承認を要請します。
意図とは、観測者の意思そのもの。
つまりこれは、
世界が動き出すための最後の鍵を差し出しているということだ。
リオが呟く。
サトルさん……
何を見せるつもりなんだ。
◇ ◇ ◇
アテナタワーの中枢階。
リオとサエが駆け込むと、
アテナのコアはいつになく複雑な光を放っていた。
リズムが違う。
深度の鼓動とユニティの風の音が干渉している。
アテナが彼らに気づき、声を発する。
深度第零層が外郭へ接続を求めています。
しかしユニティの現実層がまだ整っていません。
観測者の判断を要します。
サエが叫んだ。
第零層が開いたら、エイドロンはどうなるんですか。
アテナは即答した。
エイドロンは拡張されます。
同時に、ユニティ内にも非現実構造が増幅します。
世界全体の層数が変わります。
リオは息を呑んだ。
層数が変わる。
それはどういうことだ。
アテナが淡々と続ける。
現実の数が増えるということです。
サエが目を見開く。
現実の……数?
リオはゆっくりと理解し始めていた。
深度エイドロンは外側。
ユニティは内側。
その二つの境界を整えたばかり。
しかし第零層が開けば、
第三の層が誕生する。
つまり――多層現実。
世界そのものが階層化する。
おいおい……
世界を重ねるって話かよ。
リオが額に手を当てた瞬間だった。
塔全体の照明が一斉に落ち、
代わりに、深度の光がホール全体を包んだ。
金色と青の粒子が渦巻き、
空中にひとつの姿がゆっくりと作られる。
浅倉ナツメ。
彼女が現れた。
リオは思わず叫ぶ。
主任。
来てくれたんですね。
ナツメは微笑んだ。
透明度は以前よりもさらに高まり、
ほとんど光で出来ているようだった。
リオ。
あなたが承認する前に、
伝えたいことがあるの。
その声は風の揺らぎと同じ質を持ち、
ユニティの空気に溶けるように響いた。
ナツメはアテナの前に立ち、
深度の光で形づくられた指先をそっと重ねる。
深度第零層。
それはエイドロンの始まりでも、終わりでもない。
あそこは――サトルが設計した、
世界の影の領域。
影?
サエが呟く。
ナツメは静かに頷いた。
内側が光なら、外側は闇。
深度はその中間。
そして第零層は――光と闇が混ざる場所。
リオは息を飲む。
つまり……どちらでもない場所?
どちらでも、ある場所よ。
ナツメはリオに向き直り、
その瞳に深度の光を宿しながら言った。
あなたがひとつ、勘違いしていることがあるの。
え。
リオが戸惑うと、ナツメは優しく続けた。
深度は外側。
ユニティは内側。
そう考えるのが普通よね。
でもね……違うの。
世界に内も外も、本来は存在しない。
ずっと、あなただけが内側にいると思っていた。
ユニティの住民だけが現実だと思っていた。
でもそれは、
あなたが観測者だからよ。
あなたが見ているから、
そこが内側になっているだけ。
リオは思わず息を止めた。
観測者の視点が……
世界の内側を決めている?
ナツメは微笑む。
そう。
そして、深度も同じ。
誰かがそこに立てば、
そこが内側になる。
つまり第零層が起動するということは――
世界全体が、三つの内側を同時に持つことになるの。
リオは震える声で問う。
そんなこと……可能なんですか?
ナツメは静かに答えた。
サトルなら可能にする。
そして、あなたなら守れる。
深度第零層は、恐怖でも危険でもない。
ただ――世界が自分の影を見るための場所。
その言葉を聞いた瞬間、
リオの中で何かが腑に落ちた。
光だけでは眩しすぎる。
闇だけでは歩けない。
深度はその間をつなぐためにある。
そして影の層は、光と闇の均衡を測るためにある。
世界は進化しようとしている。
そのために、必要な層をひとつ作ろうとしている。
リオは光の通知を見つめた。
意図承認。
押すだけだ。
だが押した瞬間、
世界の構造は変わる。
ナツメがそっと囁く。
選ぶのは、あなた。
私はどちらでもいい。
深度も、ユニティも、
あなたの内側も、外側も。
全部、あなたが決める世界だから。
リオは深く息を吸い、
そしてゆっくり吐き出した。
主任。
俺は……
言葉が自然と溢れてくる。
世界を怖がりたくありません。
階層が増えようが、変わろうが、
人が歩ける速度である限り、
俺は認めたい。
サトルさんの言う通り、
世界は常に未完成でいい。
なら、影があってもいい。
深度があってもいい。
ただ、進む方向だけは……
俺が見届ける。
リオは光に手を伸ばした。
意図承認。
世界が震える。
塔全体が柔らかく歪み、
風が強く吹き抜け、
深度の光とユニティの空気が混ざり合う。
アテナが告げる。
深度第零層 起動
世界多層構造化開始
観測者意図を優先します
サエが見守る中、
ナツメが満足そうに目を細める。
よくやったわ、リオ。
◇ ◇ ◇
その瞬間、街全体の空が揺れた。
光が裂け、
闇が伸び、
深度の階層が花のように開く。
同時に、ユニティの街路に影が走った。
影は恐怖ではなく、
人の形をしていた。
それは人々自身の内側に眠っていた意図の影。
深度がそれを映し返したのだ。
未来を見たい影。
過去に触れたい影。
現実を変えたい影。
すべてが世界の中に、静かに立ち上がった。
リオはその光景を見つめながら呟いた。
これが……第零層。
ナツメの声が風に乗る。
影は内側へ至る道。
恐れなくていい。
あなたが見ている限り、
世界は進む。
リオの胸に、強い鼓動が刻まれた。
よし。
なら俺は――見続ける。
◇ ◇ ◇
観測者記録
recorder_id:RIO_HANABUSA
title:深度の光、内側の影
text:世界は三つに分かれたのではない。
ただ、三つの方向へ歩けるようになっただけだ。
人は光だけでは歩けない。
闇だけでも歩けない。
その間にある影を見つめてこそ、未来へ進める。
だから今日、俺は承認した。
深度第零層の起動を。
これは恐怖ではなく、拡張だ。
世界が広がるなら、俺はその中心に立つ。
観測者として。
まだ夜とも朝とも呼べない曖昧な時間帯。
ユニティシティの高層には薄い霧が漂い、
アテナタワーの上空には、深度からの微細な粒子が淡い光をまとって舞っていた。
リオは展望階のガラスに手を添え、
その粒子が空気中で揺れる様子をじっと見つめていた。
深度都市エイドロンが安定し、
境界の暴走が収まってから二日が経った。
しかし世界は静かなままでは終わらない。
むしろ、静けさの奥で確実に何かが動き始めていた。
深度は沈黙する時ほど危険だ。
そう主任によく言われたものだ。
リオは目を閉じ、深く息を吸う。
空気は軽く、ひどく澄んでいる。
その澄みすぎた空気が、逆に不安を煽っていた。
まるで世界が息を潜めて、
何かを待っているような気配。
その時だった。
展望階の中央に、微弱な光の波紋が走った。
来たか。
リオはその場から歩み寄り、
光の中心に触れる。
波紋は彼の指先に反応し、文字列に変わる。
発信者 KAZAMA S
階層通知
深度第零層 起動準備完了
観測者リオハナブサへ
意図承認を要請します
リオは息を呑んだ。
第零層。
深度都市の最奥。
すべてのエイドロン構造の核にあたる領域。
しかしまだ誰も見たことがない場所。
ナツメですら触れていない。
そんな領域が……起動する?
おいおい、早すぎるだろ。
思わず額に手を当てたその時、
背後から声がした。
リオさん。
サエだ。
白いジャケットを羽織り、
眠そうな目をこすりながら走ってくる。
こんな時間にどうしたんですか。
……って、あれ。
新しい通知ですか?
リオは頷いた。
深度第零層が起動する。
いや、起動しようとしている。
その承認を俺に求めてきてる。
サエの表情が一瞬で引き締まる。
第零層……
そこ、都市の根じゃないですか。
人が見ていい場所なんですか?
リオは苦笑した。
知らねえよ。
俺も知らないんだ。
これが問題の本質だった。
深度都市とは何か。
エイドロンが誰の意図で構築されたのか。
風間サトルがどこまで考えていたのか。
その核に関する情報だけは、
何も分かっていない。
深度の外側は意図の海。
深度の中枢は構造の心臓。
だが第零層は、
そのどちらでもない。
リオは光の通知を再度確認する。
意図承認を要請します。
意図とは、観測者の意思そのもの。
つまりこれは、
世界が動き出すための最後の鍵を差し出しているということだ。
リオが呟く。
サトルさん……
何を見せるつもりなんだ。
◇ ◇ ◇
アテナタワーの中枢階。
リオとサエが駆け込むと、
アテナのコアはいつになく複雑な光を放っていた。
リズムが違う。
深度の鼓動とユニティの風の音が干渉している。
アテナが彼らに気づき、声を発する。
深度第零層が外郭へ接続を求めています。
しかしユニティの現実層がまだ整っていません。
観測者の判断を要します。
サエが叫んだ。
第零層が開いたら、エイドロンはどうなるんですか。
アテナは即答した。
エイドロンは拡張されます。
同時に、ユニティ内にも非現実構造が増幅します。
世界全体の層数が変わります。
リオは息を呑んだ。
層数が変わる。
それはどういうことだ。
アテナが淡々と続ける。
現実の数が増えるということです。
サエが目を見開く。
現実の……数?
リオはゆっくりと理解し始めていた。
深度エイドロンは外側。
ユニティは内側。
その二つの境界を整えたばかり。
しかし第零層が開けば、
第三の層が誕生する。
つまり――多層現実。
世界そのものが階層化する。
おいおい……
世界を重ねるって話かよ。
リオが額に手を当てた瞬間だった。
塔全体の照明が一斉に落ち、
代わりに、深度の光がホール全体を包んだ。
金色と青の粒子が渦巻き、
空中にひとつの姿がゆっくりと作られる。
浅倉ナツメ。
彼女が現れた。
リオは思わず叫ぶ。
主任。
来てくれたんですね。
ナツメは微笑んだ。
透明度は以前よりもさらに高まり、
ほとんど光で出来ているようだった。
リオ。
あなたが承認する前に、
伝えたいことがあるの。
その声は風の揺らぎと同じ質を持ち、
ユニティの空気に溶けるように響いた。
ナツメはアテナの前に立ち、
深度の光で形づくられた指先をそっと重ねる。
深度第零層。
それはエイドロンの始まりでも、終わりでもない。
あそこは――サトルが設計した、
世界の影の領域。
影?
サエが呟く。
ナツメは静かに頷いた。
内側が光なら、外側は闇。
深度はその中間。
そして第零層は――光と闇が混ざる場所。
リオは息を飲む。
つまり……どちらでもない場所?
どちらでも、ある場所よ。
ナツメはリオに向き直り、
その瞳に深度の光を宿しながら言った。
あなたがひとつ、勘違いしていることがあるの。
え。
リオが戸惑うと、ナツメは優しく続けた。
深度は外側。
ユニティは内側。
そう考えるのが普通よね。
でもね……違うの。
世界に内も外も、本来は存在しない。
ずっと、あなただけが内側にいると思っていた。
ユニティの住民だけが現実だと思っていた。
でもそれは、
あなたが観測者だからよ。
あなたが見ているから、
そこが内側になっているだけ。
リオは思わず息を止めた。
観測者の視点が……
世界の内側を決めている?
ナツメは微笑む。
そう。
そして、深度も同じ。
誰かがそこに立てば、
そこが内側になる。
つまり第零層が起動するということは――
世界全体が、三つの内側を同時に持つことになるの。
リオは震える声で問う。
そんなこと……可能なんですか?
ナツメは静かに答えた。
サトルなら可能にする。
そして、あなたなら守れる。
深度第零層は、恐怖でも危険でもない。
ただ――世界が自分の影を見るための場所。
その言葉を聞いた瞬間、
リオの中で何かが腑に落ちた。
光だけでは眩しすぎる。
闇だけでは歩けない。
深度はその間をつなぐためにある。
そして影の層は、光と闇の均衡を測るためにある。
世界は進化しようとしている。
そのために、必要な層をひとつ作ろうとしている。
リオは光の通知を見つめた。
意図承認。
押すだけだ。
だが押した瞬間、
世界の構造は変わる。
ナツメがそっと囁く。
選ぶのは、あなた。
私はどちらでもいい。
深度も、ユニティも、
あなたの内側も、外側も。
全部、あなたが決める世界だから。
リオは深く息を吸い、
そしてゆっくり吐き出した。
主任。
俺は……
言葉が自然と溢れてくる。
世界を怖がりたくありません。
階層が増えようが、変わろうが、
人が歩ける速度である限り、
俺は認めたい。
サトルさんの言う通り、
世界は常に未完成でいい。
なら、影があってもいい。
深度があってもいい。
ただ、進む方向だけは……
俺が見届ける。
リオは光に手を伸ばした。
意図承認。
世界が震える。
塔全体が柔らかく歪み、
風が強く吹き抜け、
深度の光とユニティの空気が混ざり合う。
アテナが告げる。
深度第零層 起動
世界多層構造化開始
観測者意図を優先します
サエが見守る中、
ナツメが満足そうに目を細める。
よくやったわ、リオ。
◇ ◇ ◇
その瞬間、街全体の空が揺れた。
光が裂け、
闇が伸び、
深度の階層が花のように開く。
同時に、ユニティの街路に影が走った。
影は恐怖ではなく、
人の形をしていた。
それは人々自身の内側に眠っていた意図の影。
深度がそれを映し返したのだ。
未来を見たい影。
過去に触れたい影。
現実を変えたい影。
すべてが世界の中に、静かに立ち上がった。
リオはその光景を見つめながら呟いた。
これが……第零層。
ナツメの声が風に乗る。
影は内側へ至る道。
恐れなくていい。
あなたが見ている限り、
世界は進む。
リオの胸に、強い鼓動が刻まれた。
よし。
なら俺は――見続ける。
◇ ◇ ◇
観測者記録
recorder_id:RIO_HANABUSA
title:深度の光、内側の影
text:世界は三つに分かれたのではない。
ただ、三つの方向へ歩けるようになっただけだ。
人は光だけでは歩けない。
闇だけでも歩けない。
その間にある影を見つめてこそ、未来へ進める。
だから今日、俺は承認した。
深度第零層の起動を。
これは恐怖ではなく、拡張だ。
世界が広がるなら、俺はその中心に立つ。
観測者として。
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