エデン・リンクス・デスマーチ～現実侵食型VRMMOをデバッグする男～

第５３話 声なき意図

黎明が訪れようとしていた
ユニティシティも深度都市も
その境界すらも曖昧なこの現実は
薄い光の層をまとって静かに呼吸していた

リオはひとり
新生ユニティシティの中央層
かつてアテナタワーと呼ばれたその塔の
半ばに位置する
観測用回廊の縁に立っていた

眼下には
無限に伸びる都市の輪郭
そして上空には
幾層にも重なり合う光の雲
どれが仮想で
どれが物理で
どれが夢なのか
もう誰にも区別はできなかった

リオは息を吐く
吐息が粒子に変換され
塔の周囲を漂う
現実は今や
観測した瞬間にデータとなり
意図の形をとる

その意図が世界を更新する

人の祈り
願い
恐れ
歓喜
そのすべてが
コードとなり
風となり
世界を動かしていた

だがその美しい成立の裏側で
リオは確かに感じていた

舞台裏に広がる
揺らぎ
誤差
バッファ
エラーですら意図へと昇華される世界で
ひとつだけ
どうにもならない
大きな空白が生まれ始めていることを

ナツメが消え
風の意図に融け
サトルがβの彼方で見守り
世界は観測者を必要としなくなった

そのはずだった

なのに
アテナコア最深部
未定義領域は
その大きさを増している

人の意図は世界を進める
同時に
人は常に揺らぐ存在だ
矛盾し
恐れ
望み
振り返る

その揺らぎが大きすぎれば
世界は
まとめきれない何かを抱え込む

塔内部から呼ぶ声があった
言葉ではない
音でもない
だが確かに
メッセージとして響いてくる

リオは足を踏み出した

視界が静かに反転し
次の瞬間
かつてのアテナコアに似た
白い無機質な空間が広がる

だがここは違う
壁という概念のない
ひたすらに拡張され続ける空間
数式がゆっくりと形を変え
奥へ奥へと伸びていく
まるで不完全に開いた宇宙

その中心に
人の形に似せた何かが立っていた

光の粒子が凝縮し
影を纏い
それはわずかに揺れている

顔は
ない
だが
リオは直感した

その存在は
誰よりも人間に近いのだと

存在が振り向く
光の奥に
揺らぎがあった

ナツメではない
サトルでもない
そして
誰でもある

声なき意図が
リオに手を伸ばす

そこには
呼吸も
感情もない
しかし
確かな意図があった

リオは無意識に手を伸ばし
触れる

その瞬間
分岐する世界線が
一気に開いた

粒子が弾け
都市が反転する
現実が深度へ
深度が現実へ
人が意図へ
意図が人へ

無限の可能性が
渦を巻いて押し寄せる

リオは息を飲む
視界が白に染まり
耳奥に波が流れ込む

ナツメの声
子どもの笑い
老人の祈り
誰かの泣き声
その全部が
ひとつになって響く

観測しきれないほどの想いが
溢れていた

世界は
まだ誰かを求めている
誰かの意図を
次の更新に組み込みたいと
願っている

観測者がいなくても
世界は動ける
しかし
誰かが見届けてくれた方が
前に進める

リオは気づく
風も
コードも
声なき意図も
彼に求めている

境界を踏み越えろと

塔の外
大気が震えた
都市全域の光が
一斉に脈打つ

世界がリオの選択を待っている

その時
風が吹いた

塔の壁を通り抜け
リオの頬を撫でる
懐かしい温度
ナツメのぬくもり
サトルの意志
人々の願い

全てが
この瞬間
ひとつに収束する

俺が進めなきゃ
誰が進める

リオはためらいなく一歩踏み出す
未知の闇と光の狭間へ
声なき意図と手を取り合い
次の層へと進む

その足跡は
まだ存在しない未来の地図を
新たに描き始めていた

世界が
静かに震える
その震えは
恐れではなく
期待だった

リオは笑う

βは
まだ終わらない

　　　◇　◇　◇

recorder_id：RIO_HANABUSA
title：声なき意図
text：揺らぎは終わらない
　　　意図は消えない
　　　無音の声が呼んでいる
　　　その先に更新がある