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15 エピローグ
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ドミニクスから伝えられた言葉どおり、魔術至上主義派閥は速やかに解体された。
一部の魔術師たちの反発は激しかったが、塔の上層部が徹底した警備を敷き、二人に危害が及ぶことはなかった。時折嫌がらせまがいの接触もあったそうだが、上層部が強硬な手段で鎮めたと聞く。おかげで、ヒルダとドミニクスの暮らしは平穏を取り戻した。
連休と重なった休日を利用して、二人はラインベルグ家へ正式な挨拶に向かった。顔合わせは終始穏やかで、父ユリウスとドミニクスの相性は、驚くほどに良かった。
婿入りの話から始まったはずが、気づけば魔術理論と研究談義に花が咲き──帰る頃には「義父上、また語り合いたいです……」「私もだよ、ドミニクス君。実に……有意義な時間だった」と名残惜しげに握手を交わす始末。
その光景に、ヒルダと母クララは顔を見合わせて笑った。
ラインベルグ家の支援で、王都中心部──塔にも通いやすい距離に新居が用意された。
使用人は最低限、規模は実家より控えめながら、研究に忙しい二人が静かに暮らすには十分だった。白い壁に木の梁が映える穏やかな家で、ドミニクスは初めて生活の匂いを感じられたという。
外部からの干渉を避けるため、ドミニクスは戸籍上こそ”ドミニクス・ラインベルグ”となったものの、塔内ではしばらくの間は”ドミニクス・タウレン”として活動を続けた。
約一年後、塔での立場が完全に安定したのち、正式にラインベルグ姓を名乗ることになった。
ヒルダという妻、ラインベルグ家の義両親、そして新しい家。居場所を得たことで、ドミニクスの心はようやく落ち着きを取り戻した。
初めのうちは、ドミニクスが仕事の合間を縫っては、研究室で彼女にちょっかいを出してきた。
抱きしめてきたり、書棚の陰で唇を奪おうとしたり。ひどいときには、ヒルダを壁際に閉じ込め、悪戯めいた笑みで身を寄せてきたこともある。
さすがにこっぴどく叱ったので、それ以降は「勤務中は研究に集中。甘えるのは帰ってから」の約束をきちんと守るようになった。
それでも、甘い視線を向けてくるのは相変わらずで、そのたびにヒルダはため息をつきつつ、頬がゆるむのを抑えられなかった。
「──まぁーま?」
舌っ足らずな呼び声に、まぶたがゆっくりと開いた。どうやら、うたた寝をしてしまっていたらしい。窓の外は淡い橙に染まり、夕暮れの気配が部屋の中にも広がっている。
ヒルダはソファから上体を起こした。身体にはブランケットがかけられている。侍女が気づいて掛けてくれたのだろう。少しだけ体が重いが、穏やかな眠気が残っているだけだ。
「ねんね。おきた?」
「うん。ママ、起きた。おはよう、アルマ」
覗き込んでくるのは、もうすぐ二歳になる娘──アルマ。
ふわふわの亜麻色の髪を小さく結わえたその子に、髪型が崩れないよう優しく手を伸ばす。
淡い青紫の瞳がぱっと輝き、うれしそうに笑った。
「もっと、ねんね? おきる?」
小首をかしげる声に、ヒルダは微笑む。ちらりと時計を見ると、そろそろドミニクスが帰ってくる時間だ。
「起きる。パパ、帰ってくるからね」
「ぱぁーぱ!?」
きゃはー! と明るい声が弾ける。
アルマはその場でぴょんぴょんと飛び跳ね、喜びを全身で表した。無邪気な姿に、ヒルダは思わず頬を緩める。
膝によじ乗るアルマを受け入れて、今日の出来事をアルマと侍女から聞いているうちに、玄関の扉が開く音がした。
「ぱぁーぱ! ぱぱ、ぱぱ、ぱぱぱぱ──!」
声を弾ませながら、アルマが勢いよく膝から飛び降りる。小さな足音が廊下をぱたぱたと駆け抜け、玄関の方へと遠ざかっていった。手を差し伸べてくれた侍女に支えられ、ヒルダも玄関へと向かう。
玄関先では、ドミニクスがアルマを抱き上げて笑っていた。
銀灰の髪はきちんと整えられ、左右の三つ編みが後ろに向かって結われている。
仕立ての良い服が穏やかな印象を引き立て、かつて痩せていた体つきも、いまでは無理のない健康的なものに整っていた。
その腕の中でアルマがぐりぐりと頭を押しつけ、せっかくの三つ編みを崩していくが、彼はまるで気にする様子もなく、ただうれしそうに笑っていた。
「ただいま、ヒルダ」
「おかえりなさい、ドミニクス」
ヒルダに気づくと、彼は歩み寄り、身を屈めて額にやわらかな口づけを落とした。
身体が傾いたのが面白かったのか、抱かれたままのアルマが、また「きゃはー!」と楽しげな声を上げる。
「調子はどうだ? 気分は悪くないか?」
「はい、大丈夫です」
三人でリビングへと移動する。アルマはすっかり父親にべったりだった。ソファに座ってからも離れる様子は無くて、それを見たヒルダの口元に笑みが浮かぶ。
笑みに気づいたドミニクスが、隣に座るヒルダへと身を寄せた。膨らみ始めたお腹に大きな手を置き、慈しむようにゆっくり撫でる。
「アルマも!」と、小さな手が勢いよくにゅっと伸びてきて、ドミニクスが慌てて止めた。
「そっとな、アルマ。そっとだ」
「そっと……」
慎重にお腹へ触れる、ぷくぷくとした小さな手のひら。その温もりが大きな手のすぐそばで重なるのを見て、胸が無性に締め付けられる。
ヒルダの目尻に、涙がにじんだ。
「……ヒルダ?」
心配そうに覗き込む深藍の瞳に、首を横に振って笑おうとする。
けれど、声が震えてしまう。
「大丈夫です。……しあわせだな、って思って」
「……そうだな」
言葉のあと、ふたりはそっと目を閉じた。
穏やかな灯が揺れ、すぐそばでアルマの笑い声が響く。
そのすべてが、何より確かな幸福の形だった。
──ドミニクス・ラインベルグ。
「寒さや飢えで命を落とす人を減らすこと」を生涯の使命とし、魔導動力炉の開発に生涯を捧げた。
長年の研究の末に完成した据え置き式の熱供給炉は、村ひとつを温められるほどの出力を持ち、寒冷地や災害に苦しむ土地に住む、多くの人々の生活を救う革新となる。その研究の発端には、かつて彼自身が飢えと寒さに苦しんだ、幼少期の記憶があったと言われている。
彼のすべての論文の末尾には、決まってこの一文が記されている。
──協力者:ヒルダ・ラインベルグ
家族と、彼女の支えに、心からの感謝を込めて。
一部の魔術師たちの反発は激しかったが、塔の上層部が徹底した警備を敷き、二人に危害が及ぶことはなかった。時折嫌がらせまがいの接触もあったそうだが、上層部が強硬な手段で鎮めたと聞く。おかげで、ヒルダとドミニクスの暮らしは平穏を取り戻した。
連休と重なった休日を利用して、二人はラインベルグ家へ正式な挨拶に向かった。顔合わせは終始穏やかで、父ユリウスとドミニクスの相性は、驚くほどに良かった。
婿入りの話から始まったはずが、気づけば魔術理論と研究談義に花が咲き──帰る頃には「義父上、また語り合いたいです……」「私もだよ、ドミニクス君。実に……有意義な時間だった」と名残惜しげに握手を交わす始末。
その光景に、ヒルダと母クララは顔を見合わせて笑った。
ラインベルグ家の支援で、王都中心部──塔にも通いやすい距離に新居が用意された。
使用人は最低限、規模は実家より控えめながら、研究に忙しい二人が静かに暮らすには十分だった。白い壁に木の梁が映える穏やかな家で、ドミニクスは初めて生活の匂いを感じられたという。
外部からの干渉を避けるため、ドミニクスは戸籍上こそ”ドミニクス・ラインベルグ”となったものの、塔内ではしばらくの間は”ドミニクス・タウレン”として活動を続けた。
約一年後、塔での立場が完全に安定したのち、正式にラインベルグ姓を名乗ることになった。
ヒルダという妻、ラインベルグ家の義両親、そして新しい家。居場所を得たことで、ドミニクスの心はようやく落ち着きを取り戻した。
初めのうちは、ドミニクスが仕事の合間を縫っては、研究室で彼女にちょっかいを出してきた。
抱きしめてきたり、書棚の陰で唇を奪おうとしたり。ひどいときには、ヒルダを壁際に閉じ込め、悪戯めいた笑みで身を寄せてきたこともある。
さすがにこっぴどく叱ったので、それ以降は「勤務中は研究に集中。甘えるのは帰ってから」の約束をきちんと守るようになった。
それでも、甘い視線を向けてくるのは相変わらずで、そのたびにヒルダはため息をつきつつ、頬がゆるむのを抑えられなかった。
「──まぁーま?」
舌っ足らずな呼び声に、まぶたがゆっくりと開いた。どうやら、うたた寝をしてしまっていたらしい。窓の外は淡い橙に染まり、夕暮れの気配が部屋の中にも広がっている。
ヒルダはソファから上体を起こした。身体にはブランケットがかけられている。侍女が気づいて掛けてくれたのだろう。少しだけ体が重いが、穏やかな眠気が残っているだけだ。
「ねんね。おきた?」
「うん。ママ、起きた。おはよう、アルマ」
覗き込んでくるのは、もうすぐ二歳になる娘──アルマ。
ふわふわの亜麻色の髪を小さく結わえたその子に、髪型が崩れないよう優しく手を伸ばす。
淡い青紫の瞳がぱっと輝き、うれしそうに笑った。
「もっと、ねんね? おきる?」
小首をかしげる声に、ヒルダは微笑む。ちらりと時計を見ると、そろそろドミニクスが帰ってくる時間だ。
「起きる。パパ、帰ってくるからね」
「ぱぁーぱ!?」
きゃはー! と明るい声が弾ける。
アルマはその場でぴょんぴょんと飛び跳ね、喜びを全身で表した。無邪気な姿に、ヒルダは思わず頬を緩める。
膝によじ乗るアルマを受け入れて、今日の出来事をアルマと侍女から聞いているうちに、玄関の扉が開く音がした。
「ぱぁーぱ! ぱぱ、ぱぱ、ぱぱぱぱ──!」
声を弾ませながら、アルマが勢いよく膝から飛び降りる。小さな足音が廊下をぱたぱたと駆け抜け、玄関の方へと遠ざかっていった。手を差し伸べてくれた侍女に支えられ、ヒルダも玄関へと向かう。
玄関先では、ドミニクスがアルマを抱き上げて笑っていた。
銀灰の髪はきちんと整えられ、左右の三つ編みが後ろに向かって結われている。
仕立ての良い服が穏やかな印象を引き立て、かつて痩せていた体つきも、いまでは無理のない健康的なものに整っていた。
その腕の中でアルマがぐりぐりと頭を押しつけ、せっかくの三つ編みを崩していくが、彼はまるで気にする様子もなく、ただうれしそうに笑っていた。
「ただいま、ヒルダ」
「おかえりなさい、ドミニクス」
ヒルダに気づくと、彼は歩み寄り、身を屈めて額にやわらかな口づけを落とした。
身体が傾いたのが面白かったのか、抱かれたままのアルマが、また「きゃはー!」と楽しげな声を上げる。
「調子はどうだ? 気分は悪くないか?」
「はい、大丈夫です」
三人でリビングへと移動する。アルマはすっかり父親にべったりだった。ソファに座ってからも離れる様子は無くて、それを見たヒルダの口元に笑みが浮かぶ。
笑みに気づいたドミニクスが、隣に座るヒルダへと身を寄せた。膨らみ始めたお腹に大きな手を置き、慈しむようにゆっくり撫でる。
「アルマも!」と、小さな手が勢いよくにゅっと伸びてきて、ドミニクスが慌てて止めた。
「そっとな、アルマ。そっとだ」
「そっと……」
慎重にお腹へ触れる、ぷくぷくとした小さな手のひら。その温もりが大きな手のすぐそばで重なるのを見て、胸が無性に締め付けられる。
ヒルダの目尻に、涙がにじんだ。
「……ヒルダ?」
心配そうに覗き込む深藍の瞳に、首を横に振って笑おうとする。
けれど、声が震えてしまう。
「大丈夫です。……しあわせだな、って思って」
「……そうだな」
言葉のあと、ふたりはそっと目を閉じた。
穏やかな灯が揺れ、すぐそばでアルマの笑い声が響く。
そのすべてが、何より確かな幸福の形だった。
──ドミニクス・ラインベルグ。
「寒さや飢えで命を落とす人を減らすこと」を生涯の使命とし、魔導動力炉の開発に生涯を捧げた。
長年の研究の末に完成した据え置き式の熱供給炉は、村ひとつを温められるほどの出力を持ち、寒冷地や災害に苦しむ土地に住む、多くの人々の生活を救う革新となる。その研究の発端には、かつて彼自身が飢えと寒さに苦しんだ、幼少期の記憶があったと言われている。
彼のすべての論文の末尾には、決まってこの一文が記されている。
──協力者:ヒルダ・ラインベルグ
家族と、彼女の支えに、心からの感謝を込めて。
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