悪魔と委員長

GreenWings

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 老人は二階の自室からこの山中にある田舎町の様子を眺めていた。

「ジジイ、次の要求は何だ」

 漆黒のマントを羽織った姿は首から上が烏の頭になっていた。

「悪魔さん、あなたは長年よく仕えてくれた。おかげでこの何もなかった貧しい町が自給自足できるようになったばかりでなく、行商人も頻繁に足を寄せてくれる様になった。ありがとう」

「礼の必要はない、これは契約の結果だ」

「いや言わせておくれ、あんたが居なかったらこんな暮らしはここには来なかったろう。おかげでわしは友人の曾孫の顔まで見る事が出来た」

 この男は事あるごとに礼を言う。対価は支払われているのだからその必要は無いと考える悪魔はそれが不思議でならなかった。

「お前は会った時から躊躇無く俺と契約したな」

 老人は微笑んだ。

「わしは神父ではない、ただの町長まちおさだ。相手が悪魔かどうかなんぞ関係無い。わしがするのはここに住む者の暮らしを良くする事に努める事だ。町の者が神様と良いお付き合いする為の仕事は範囲外さ」

「神を恐れないのかお前は」

 罰は当たるだろうなと笑った後老人は続けた。

「ちょっと前にルター(宗教改革の中心人物)さんて人が教会に物言いをつけてから、宗教に対する考え方が色々変わったり分かれたりしている。大きな帆船が世界中を走り回る様になって新大陸の発見やら科学というものの考え方が変わったり技術の進歩も目覚ましい。きっとこれからはもっとすごい事になるだろう。我々人間はもう少ししたら神様のお恵みを頂かなくても自立するようになるかもしれん」

 悪魔は怪訝そうに老人を見た。悪魔と契約する者はたいてい己の欲や願望にしか興味が無いからだ。

「悪魔さん、今このヨーロッパがどうなっているか知っているかね、銀が入って来なくなって景気が低迷、度重なる天候不順で凶作続き、大勢人が亡くなっている。そんな心の闇が魔女狩りなんてのも大流行させてさえいる。人々が信仰を失ったからなんて言う者もいるがわしはそうは思わない。信仰を捨てる事だって神は我々に許しておられるからね。まぁ、世間様は大変な事になっているがこの町はそうではない。悪魔さんがこのやせた土地を肥沃にし、強い作物を与えてくれたからだ。充分な暮らしが確保できているから誰かを貶めようなんて思う者は居なくなった。人が酷い事をするのは生活が満たされないからだとわしは思う。あんたは町の救いだよ」

 老人の話を聞いた後、悪魔は彼に顔を寄せた。

「このちんけな町の長でお前は満足なのか?もっとでかい街、なんなら国の王になろうとか思わないのか」

 老人は首を振った。

「わしはそんな器ではないよ。見えている範囲に幸せがあれば良い。そうだな、次の契約は住人が望む限りこの町が侵略されないようにして欲しい」

「良かろう」

 取り出した契約書に老人が署名すると悪魔はぱちんと指を鳴らした。

「悪魔さん、あんたの力は絶大だ。あんたが言うように本当に人を王様にしたり金持ちにしたり出来るだろう、それが最後の心配でね」

 老人は立ち上がると棚に置いてあった小さなガラス瓶を持ってきた。

「美しいだろ?とても良い物らしい。この中に入って欲しい」

「何だと? 」

 悪魔は意を計りかねた。

「悪魔さん、あんたは凄い。だがあんたはその力を魂と引き換えに簡単に提供してしまう。わしの心配はそれが悪人に渡る事なのだ。だからどうか、この瓶の中に封じられて善人だけが開封できるようにして欲しい。そしてもしその者が感じの良い人物だったなら契約云々とは別に助けになってあげておくれ」

 老人の魂を回収するのは老人魂の所有権を完全に手に入れた後でしか不可能だ。
 だがもし悪魔が回収する前に死なれて天の国にでも迷い込まれてしまってはもう決して手が届かなくなってしまう。
 この老人の最後の願いで魂は完全に悪魔の物になるがその時は既に封印された後になるのだ。

「おいジジイ、封じ込まれたらな、解放された時一回だけ無償で願いを叶えなくてはならんのだぞ。俺にとっては損でしかない」

「ああ、無理強いは出来んな。いつ解放されるともわからん……。それでも悪魔さん、こんなに町を良くしてくれたあんたに悪事は働いてもらいたくないんだよ」

 自分は善意でやった訳では無い、契約の下対価として働いただけだ。この老人は出会った時からいつもこんな風にずれていた。

「まぁ、質の低い魂をあさるより神が泣いて悔しがる様な奴に出会う方が俺は効率が良いがな。だがな、そいつの助けになってくれってのは飲めないぞ。俺が悪魔である以上はな」

 契約書を突き付けてきた悪魔に老人は深々と頭を下げた。

「エス・レフェス、あんたは良い悪魔だ」

「悪魔に良いも悪いもあるか! ……エスレフェス?なんだそれは」

 老人は悪魔を愛おしそうに見つめて答えた。

「飢饉で亡くなった赤子に、わしの子に贈るはずだった名前だ」
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