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第61話 特級魔詛使
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ミナならば化物を殺すことができる。それに気がついたクラスメイトたちは彼女を最大限サポートできるように立ち回っていた。
だが、これにも限界があった。
いくらなんでも数が多すぎる。殺しても殺しても、次から次へと蜘蛛の子を散らすように湧いてくる。
「リエサとは逸れてしまったし⋯⋯魔族は倒しても無限に出てくるし⋯⋯おかしい。何か⋯⋯」
何か、嫌な感じがする。しかしそこに思考を割く余裕はなかった。
逃げることを最優先にしていても魔族たちには追いつかれてしまっている。ミナはこれらを殲滅しているが、たった一人ではやはり追いつかない。
どんどんとミナに疲労が溜まっていく。慣れない魔力操作。化物との戦闘による精神の疲弊。
そして遂に、彼女に限界が訪れた。
「──しまっ」
魔族を一撃で屠ることができなかった。それらは痛覚がないのか、あるいは気にもしていないのか、半分頭が潰されたというのに平然とミナの足を掴み、地面に叩きつける。
「────」
激痛が全身を巡る。息ができない。駄目だ。このままでは、死ぬ。
体に動けと命じても、伝達しない。ただ痛みだけが伝わってくる。体は反応しない。
呆気なく殺されるだろう。魔族はその鋭利な腕を振りかぶった。
「⋯⋯⋯⋯っ!」
その時、ミナの体が吹き飛ばされる。
吹き飛ばしたのは、ディエゴだった。彼は爆裂の能力でミナを抱き抱え吹っ飛んだのだ。
「おい大丈夫か星華っ! しっかりしろ!」
一瞬、ミナは気絶していた。走っているディエゴの背中で彼女は目覚めた。
体が痛い。アドレナリンで痛みこそに引いているようだが、思うように動かない。
「⋯⋯危ないっ!」
それでも、無理に動かないといけない時がある。ミナは無理矢理能力を使い、ディエゴごと自分たちを吹き飛ばした。よって、魔族の追撃を躱すことができたのだ。
「だあクソ⋯⋯」
しかし、それはただの延命に過ぎなかった。
クラスメイトたちの集団から逸れてしまって孤立した今、それは即ち死を意味する。
四方八方から、魔族が現れる。
「なんでこんなに居やがる⋯⋯! 次から次へと出てきやがって⋯⋯っ!」
ディエゴは爆裂を生じさせる。魔族に直撃する。けれど、まるで意味がなかった。無傷。怯むこともない。
「シット!」
絶体絶命の状況だった。魔族たちは、ミナとディエゴを殺し喰らうため、その槍のような腕を振り下ろす。
⋯⋯しかし、その腕は切断された。否、腕だけではない。囲んでいた魔族全てが、輪切りにされていた。
「⋯⋯な」
あまりに一瞬のことだったし、何より通常兵器が、超能力が一切通用しなかった化物を殺したその攻撃にディエゴは驚いた。
そしてミナは、それを見て「魔術だ」と確信した。
「不甲斐ないわね。想定外⋯⋯とは言い訳にもならない」
木々の間から、彼女は現れた。
赤黒い髪、金色の目。顔立ちから察するにミナと同郷の少女。
「怪我はない? もう大丈夫よ」
「え、あ、はい。えっと、あなたは⋯⋯?」
「⋯⋯あなたたちを助けに来たの」
それ以上、彼女は何も言わなかった。魔術は秘匿しなければならないものだから当然である。
「ここは危ないわ。早く逃げて」
そこには有無を言わせぬ気迫を感じた。
魔族相手に抗うことはできても、倒すことはできない。それで死なれるわけにはいかない。魔族の数も多くの余裕はない。何としてでも彼女はミナたちを逃さないといけない。そうしなければ自分の身さえ危ないのだから。
「⋯⋯⋯⋯」
ディエゴはミナを背負って逃げようとした。それが正しい判断だ。
けれど、そう簡単には逃げられなかった。
ディエゴの足が切断された。そのせいでミナが投げられる。
そしてそれは勿論、赤髪の少女、リンによるものではない。
「───っ!?」
痛みに、ディエゴは叫ぶ。両足から血が、蛇口を捻ったかのように流れる。ミナは急いで彼の傷口を焼いて塞ごうと近づき、手を伸ばす。
「──だぁめ」
甲高い可愛らしい声がしたと同時に、ミナの右手首に深い傷がつけられた。切断こそ魔力防御で免れたが、神経が逝ったのか、右手が動きづらい。
激痛が脳を打つ。それでも絶叫はしない。涙を流しても悶えない。何が起こったのかを理解することに努め、周囲を警戒する。
「⋯⋯そこね」
リンは魔力を探知し、その主へ魔術を行使する。
しかし手応えはなかった。防がれたわけではなさそうだ。おそらく避けられたのだろう。
「姿を現しなさい、下女」
リンの言葉で、そいつは姿を見せた。ディエゴの足、ミナの指先を斬りつけたのは、可憐な少女だった。
灰色のロングヘア。真紅の目。太腿を大胆に顕にした白を基調としたドレスのような服装。
少女は薄っすらと笑みを浮かべているが、ドス黒い感情が宿っていて、隠そうともしていなかった。
「僕を下女だなんて酷いなぁ。僕はたのしいことがだぁい好きな、素敵で可憐で綺麗で愛らしい女の子。ヴィーテ、っていうお名前があるんだよぉ」
キャハハ、と笑いながら狂人、ヴィーテはそう言った。
「⋯⋯魔詛使い、ヴィーテ。あなたが、そうなのね」
魔術師はGMCが規定する魔術免許を持つ者を指す。そして魔術免許を持たずに魔術を扱う者を魔術使い、特に犯罪行為などの、魔術を悪用する者を魔詛使いと呼ぶ。
ヴィーテとは、そんな魔詛使いの中でも悪名高い犯罪者の名だ。
「そうだよ。僕がヴィーテ。是非、あなたと、そこのお二人さんのお名前も聞きたいなぁ」
質問には魔術で返す。リンはヴィーテを切り刻むために魔術を行使した。
しかし、ヴィーテはその不可視の魔術を避けた。これで二度目だ。
「あはは。そう簡単には教えてくれないみたいだねぇ」
ヴィーテの身のこなしは非常に洗練されていた。スピードも、テクニックも、何もかもが高水準だった。
どのようにしてリンの魔術を避けているのかは不明だが、少なくとも実力としては一級は下らないだろう。
「じゃあ、そこのお二人さんとお話しようかなぁ」
ヴィーテの姿が消える。速い。リンは反応に遅れた。ミナの背後に現れる。
「ねぇ、それさ、どれだけ痛いのかな? 神経イッちゃってるもんねぇ。ちょっと引っ張れば千切れちゃいそう!」
「っ!」
ミナは能力を使い、ヴィーテを明確に殺そうとした。その判断には自分でも驚いたが、しかし無意味だった。
何せヴィーテを殺すことはできなかったから、至近距離での爆裂で。
「その超能力、もしかしてあなたが星華ミナ!? 凄い! 強いんだねぇ」
ヴィーテの腕が少し焼けて、傷がついていた。爆裂を完璧に避けることはできなかったようだ。
「僕ね、あなたみたいな顔の子が好きなんだよぉ。だってさ、そんな端正な顔が痛みとかで歪んだらさ、とっても良いじゃない! 泣き顔なんてすっごく可愛いんだぁ、絶対にさ」
ヴィーテの手の平に魔術陣が展開される。彼女は魔術を無詠唱術式で行使すると、ミナの首を、無数の糸が締め上げる。糸の先はヴィーテの手の指に巻き付いていた。
「くっ⋯⋯あ⋯⋯」
糸がミナの首に食い込み、斬れる。血が流れる。
「やろうとすればいつでも殺せるよ。さぁて、魔術師さん? あなたのお名前を教えてほしいな」
ヴィーテはミナの後ろで、彼女の肩や腹部を堪能していた。しかし目だけはリンを見ている。油断も隙もあったものではない。
「⋯⋯そのためだけに、人質を取ったの?」
「うん。そうだよ」
糸の締め付けがより強くなる。痛みがより増す。
首だけではない。腕、指、太腿にも糸が巻き付いている。これでいつでも四肢がバラバラにできる状態となった。
「⋯⋯呆れた」
「へぇ。この子がどうなってもいいんだ」
ヴィーテは容赦なくミナを殺そうとした。しかしその瞬間、リンは魔術を行使し、ヴィーテの胸を切り裂く。
浅かった。本来であれば体が両断されていたが、ヴィーテは寸前で防御した。そのせいでミナから離され、人質を取り返されたが、死ぬよりマシだ。
「⋯⋯僕が傷を負うなんて、何年ぶりかなぁ」
ヴィーテの固有魔力は『千縷』。魔力で形成された糸を操ることができる。彼女はこの糸を常に自分の周囲に展開している。その糸によってあらゆる攻撃を防御もしくは感知が可能だ。
「あなたの魔術、多分不可視の斬撃飛ばすとかそんな感じだと思うのだけど、今のどうやってやったのぉ? 少なくとも背後とかから斬撃飛ばしたわけじゃないと思うけどさぁ」
「情報開示して欲しいの? やだね。まあもっとも、教えたところでどうにもできないだろうけど」
もしも斬撃をただ飛ばすだけだとしたら、ヴィーテの胸を切り裂くにはミナを両断しなくてはならない。
が、現実としてミナは無傷。ヴィーテのみに斬撃が与えられた。
(遠隔で対象のみを切断する術、ではないはず。じゃないと僕の糸を切る事はないから。⋯⋯とすると、不可視の斬撃を飛ばす術には変わらないけど、切る対象を選ぶ、指定のオブジェクトは透過できるってとこかなぁ?)
あの状況では防御魔術は間に合わなかった。だから魔力を体表に集中させて防御した。これは結果的に功を奏したようだ。
しかし体表とはいえ広範囲に魔力を回せば斬撃を完全に防ぐことは難しい。可能ならば斬撃は避けることが最善だろう。
「あはは! 面白くなってきたなぁ!」
では人質は無意味そうだ。ミナを苦しめてたのしむのはあとにしよう。
ヴィーテはリンと戦い、苦しめ、痛みを味合わせ、屈辱の中殺してやると決定した。それはきっと、とてもたのしいはずだ。
「〈首刈〉!」
ヴィーテは魔術式を起動する。彼女はその魔力の性質上、術式を用いずとも十分な殺傷能力を持つ。
しかし、術式を介入させることで、より強力かつ高精度の攻撃が可能だ。
糸がリンの首を捉える。直前で彼女は首を防御術式で守るが、
「無駄だよぉ。僕の術式を通した糸は、防御魔術くらい切断できるから。大丈夫、殺しはしないよ」
リンは防御魔術に魔力を流し続け、破壊されたそばから修復させる。ただでさえ展開の持続に少なくない魔力を消耗する魔術。更に修復にも魔力を回せば瞬く間に魔力が無くなっていく。
「それで勝ったつもり?」
リンはヴィーテの糸を切断する。そうすることで首に巻き付いた糸が緩んだため解く。
「わあ、凄い! 冷静なんだね!」
ヴィーテはこうなることを予想していた。この魔術で殺せれば相手はその程度。
目的は防御魔術を使わせて魔力を消耗させることだ。
「じゃああと何回やったら魔力尽きるかな? 〈首刈〉」
ヴィーテはもう一度同じ魔術を行使する。
しかし、展開された糸はただちに斬り伏せられた。リンは不可視の斬撃によって周りを無闇矢鱈に切り裂いたのだろう。
「二度も通じないから」
「なるほど。賢いねぇ」
飛ばされた斬撃を、ヴィーテは糸によって斬撃を感知し、軌道を予測し避けている。どうやら斬撃は直線的にしか飛ばせないようだ。スピードも速いし、物量も大きいが、ヴィーテなら十分避けられる程度である。
(すばしっこい⋯⋯それに、斬撃をどうにかして視ているみたいね。まあその絡繰は予想つくけど⋯⋯対策は無理ね)
リンが斬撃を透過させることができる対象物は、彼女が認識できるものに限られる。即ち空中を漂う糸を透過することはできない。
(だからといって安易に近づくこともできない。攻撃用の糸はよく見てようやく分かるレベル。近接で振り回されようものなら判断する間もなくバラバラ)
耐久戦をしようにも、ヴィーテの体力よりも先にリンの魔力が尽きるだろう。
彼女は魔圧──その人物が持つ魔力的な圧力。魔力量に比例して大きくなる──を隠しているが、それでさえ二級程度の術師の全開放は下らない。
平均的な魔圧隠蔽能力だとしても、その力量はリンを超えているだろう。下手をすれば特級相当だ。
まず間違いなく、まともにやりあえば勝つことは不可能。
(⋯⋯リスクは大きい。けれどやるしかない)
西園寺リンの魔術能力は、一級でも中の上程度。しかし彼女の実力をそれ以上に評価する者は多いだろう。
理由はただ一つ。非常に高度な結界術を扱うことができるからだ。
「──心核結界」
リンは詠唱を始める。それを聞いたとき、ヴィーテの表情が少しだけ変化する。仮面のように張り付いていた笑顔が、本物になったのだ。
心核結界とは詠唱が必須の大魔術である。優れた魔術師であればあるほど、十割の効力を引き出すのに必要な詠唱文量は少なくなる。心核結界が使用可能な平均的魔術師であれば六から七節ほどだ。
そしてリンは、省略詠唱──つまるところ、
「──〈葬審祈拝殿〉」
術の名称のみを詠唱することによって、十全の効力を発揮することが可能。
予想外のことに、ヴィーテは目を見開き、少し驚いた様子を見せた。
──その場は黄金色の光に包まれていた。
無限に続く畳。装飾の数々。圧倒される雰囲気に満ちている。
そしてリンの背後には内陣があった。荘厳かつ豪華絢爛。しかし、身の毛がよだつような圧迫感あるいは畏れがあった。
これほどの具象化を省略詠唱で行うことは筆舌に尽くしがたい技術と才能を求められる。
心核結界は、使える、それだけで大きなアドバンテージとなる。実力差を無視して格上を殺すこともできるからだ。
故に実力者であればあるほど、心核結界対策を怠ることはない。
「⋯⋯っ!」
猶予は一瞬たりともなかった。
ヴィーテの全身が切り刻まれる。肉体に限界まで圧縮した自壊上等の高密度魔力を循環させ、防御しなければ、今頃全身が粉微塵となっていただろう。
全く動くことができない状態になっても、絶え間なく浴びせられる斬撃は、皮膚に、肉に、そして骨に達しつつある。
このままでは死ぬ。そうだと直感する。
しかし、ヴィーテの顔には一切の苦痛も、苦悶の歪みもなかった。ただあるのは笑顔のみ。
ヴィーテに心核結界を展開できるほどの才能はない。だが、結界術を一切使うことができないわけではなく、そしてその欠点をカバーできるだけの才能は持っている。でなければ、特級の魔詛使にはなれない。
「────」
ヴィーテは魔術陣を展開する。
回路術式、Ⅴ。
心核結界が特殊な大魔術だとすれば、こちらは正当な大魔術。回路術式の奥義でもあるそれは、心核結界に匹敵するコストとコントロールを要する同格の技術。
「──〈糸累結界〉」
糸を外郭に、結界を展開する。中に心象風景を満たすことはなく、ただ空の容量を作り出す。
それは、反結界に特化した⋯⋯結界術を外側から崩落させる、ヴィーテの奥義だ。
だが、これにも限界があった。
いくらなんでも数が多すぎる。殺しても殺しても、次から次へと蜘蛛の子を散らすように湧いてくる。
「リエサとは逸れてしまったし⋯⋯魔族は倒しても無限に出てくるし⋯⋯おかしい。何か⋯⋯」
何か、嫌な感じがする。しかしそこに思考を割く余裕はなかった。
逃げることを最優先にしていても魔族たちには追いつかれてしまっている。ミナはこれらを殲滅しているが、たった一人ではやはり追いつかない。
どんどんとミナに疲労が溜まっていく。慣れない魔力操作。化物との戦闘による精神の疲弊。
そして遂に、彼女に限界が訪れた。
「──しまっ」
魔族を一撃で屠ることができなかった。それらは痛覚がないのか、あるいは気にもしていないのか、半分頭が潰されたというのに平然とミナの足を掴み、地面に叩きつける。
「────」
激痛が全身を巡る。息ができない。駄目だ。このままでは、死ぬ。
体に動けと命じても、伝達しない。ただ痛みだけが伝わってくる。体は反応しない。
呆気なく殺されるだろう。魔族はその鋭利な腕を振りかぶった。
「⋯⋯⋯⋯っ!」
その時、ミナの体が吹き飛ばされる。
吹き飛ばしたのは、ディエゴだった。彼は爆裂の能力でミナを抱き抱え吹っ飛んだのだ。
「おい大丈夫か星華っ! しっかりしろ!」
一瞬、ミナは気絶していた。走っているディエゴの背中で彼女は目覚めた。
体が痛い。アドレナリンで痛みこそに引いているようだが、思うように動かない。
「⋯⋯危ないっ!」
それでも、無理に動かないといけない時がある。ミナは無理矢理能力を使い、ディエゴごと自分たちを吹き飛ばした。よって、魔族の追撃を躱すことができたのだ。
「だあクソ⋯⋯」
しかし、それはただの延命に過ぎなかった。
クラスメイトたちの集団から逸れてしまって孤立した今、それは即ち死を意味する。
四方八方から、魔族が現れる。
「なんでこんなに居やがる⋯⋯! 次から次へと出てきやがって⋯⋯っ!」
ディエゴは爆裂を生じさせる。魔族に直撃する。けれど、まるで意味がなかった。無傷。怯むこともない。
「シット!」
絶体絶命の状況だった。魔族たちは、ミナとディエゴを殺し喰らうため、その槍のような腕を振り下ろす。
⋯⋯しかし、その腕は切断された。否、腕だけではない。囲んでいた魔族全てが、輪切りにされていた。
「⋯⋯な」
あまりに一瞬のことだったし、何より通常兵器が、超能力が一切通用しなかった化物を殺したその攻撃にディエゴは驚いた。
そしてミナは、それを見て「魔術だ」と確信した。
「不甲斐ないわね。想定外⋯⋯とは言い訳にもならない」
木々の間から、彼女は現れた。
赤黒い髪、金色の目。顔立ちから察するにミナと同郷の少女。
「怪我はない? もう大丈夫よ」
「え、あ、はい。えっと、あなたは⋯⋯?」
「⋯⋯あなたたちを助けに来たの」
それ以上、彼女は何も言わなかった。魔術は秘匿しなければならないものだから当然である。
「ここは危ないわ。早く逃げて」
そこには有無を言わせぬ気迫を感じた。
魔族相手に抗うことはできても、倒すことはできない。それで死なれるわけにはいかない。魔族の数も多くの余裕はない。何としてでも彼女はミナたちを逃さないといけない。そうしなければ自分の身さえ危ないのだから。
「⋯⋯⋯⋯」
ディエゴはミナを背負って逃げようとした。それが正しい判断だ。
けれど、そう簡単には逃げられなかった。
ディエゴの足が切断された。そのせいでミナが投げられる。
そしてそれは勿論、赤髪の少女、リンによるものではない。
「───っ!?」
痛みに、ディエゴは叫ぶ。両足から血が、蛇口を捻ったかのように流れる。ミナは急いで彼の傷口を焼いて塞ごうと近づき、手を伸ばす。
「──だぁめ」
甲高い可愛らしい声がしたと同時に、ミナの右手首に深い傷がつけられた。切断こそ魔力防御で免れたが、神経が逝ったのか、右手が動きづらい。
激痛が脳を打つ。それでも絶叫はしない。涙を流しても悶えない。何が起こったのかを理解することに努め、周囲を警戒する。
「⋯⋯そこね」
リンは魔力を探知し、その主へ魔術を行使する。
しかし手応えはなかった。防がれたわけではなさそうだ。おそらく避けられたのだろう。
「姿を現しなさい、下女」
リンの言葉で、そいつは姿を見せた。ディエゴの足、ミナの指先を斬りつけたのは、可憐な少女だった。
灰色のロングヘア。真紅の目。太腿を大胆に顕にした白を基調としたドレスのような服装。
少女は薄っすらと笑みを浮かべているが、ドス黒い感情が宿っていて、隠そうともしていなかった。
「僕を下女だなんて酷いなぁ。僕はたのしいことがだぁい好きな、素敵で可憐で綺麗で愛らしい女の子。ヴィーテ、っていうお名前があるんだよぉ」
キャハハ、と笑いながら狂人、ヴィーテはそう言った。
「⋯⋯魔詛使い、ヴィーテ。あなたが、そうなのね」
魔術師はGMCが規定する魔術免許を持つ者を指す。そして魔術免許を持たずに魔術を扱う者を魔術使い、特に犯罪行為などの、魔術を悪用する者を魔詛使いと呼ぶ。
ヴィーテとは、そんな魔詛使いの中でも悪名高い犯罪者の名だ。
「そうだよ。僕がヴィーテ。是非、あなたと、そこのお二人さんのお名前も聞きたいなぁ」
質問には魔術で返す。リンはヴィーテを切り刻むために魔術を行使した。
しかし、ヴィーテはその不可視の魔術を避けた。これで二度目だ。
「あはは。そう簡単には教えてくれないみたいだねぇ」
ヴィーテの身のこなしは非常に洗練されていた。スピードも、テクニックも、何もかもが高水準だった。
どのようにしてリンの魔術を避けているのかは不明だが、少なくとも実力としては一級は下らないだろう。
「じゃあ、そこのお二人さんとお話しようかなぁ」
ヴィーテの姿が消える。速い。リンは反応に遅れた。ミナの背後に現れる。
「ねぇ、それさ、どれだけ痛いのかな? 神経イッちゃってるもんねぇ。ちょっと引っ張れば千切れちゃいそう!」
「っ!」
ミナは能力を使い、ヴィーテを明確に殺そうとした。その判断には自分でも驚いたが、しかし無意味だった。
何せヴィーテを殺すことはできなかったから、至近距離での爆裂で。
「その超能力、もしかしてあなたが星華ミナ!? 凄い! 強いんだねぇ」
ヴィーテの腕が少し焼けて、傷がついていた。爆裂を完璧に避けることはできなかったようだ。
「僕ね、あなたみたいな顔の子が好きなんだよぉ。だってさ、そんな端正な顔が痛みとかで歪んだらさ、とっても良いじゃない! 泣き顔なんてすっごく可愛いんだぁ、絶対にさ」
ヴィーテの手の平に魔術陣が展開される。彼女は魔術を無詠唱術式で行使すると、ミナの首を、無数の糸が締め上げる。糸の先はヴィーテの手の指に巻き付いていた。
「くっ⋯⋯あ⋯⋯」
糸がミナの首に食い込み、斬れる。血が流れる。
「やろうとすればいつでも殺せるよ。さぁて、魔術師さん? あなたのお名前を教えてほしいな」
ヴィーテはミナの後ろで、彼女の肩や腹部を堪能していた。しかし目だけはリンを見ている。油断も隙もあったものではない。
「⋯⋯そのためだけに、人質を取ったの?」
「うん。そうだよ」
糸の締め付けがより強くなる。痛みがより増す。
首だけではない。腕、指、太腿にも糸が巻き付いている。これでいつでも四肢がバラバラにできる状態となった。
「⋯⋯呆れた」
「へぇ。この子がどうなってもいいんだ」
ヴィーテは容赦なくミナを殺そうとした。しかしその瞬間、リンは魔術を行使し、ヴィーテの胸を切り裂く。
浅かった。本来であれば体が両断されていたが、ヴィーテは寸前で防御した。そのせいでミナから離され、人質を取り返されたが、死ぬよりマシだ。
「⋯⋯僕が傷を負うなんて、何年ぶりかなぁ」
ヴィーテの固有魔力は『千縷』。魔力で形成された糸を操ることができる。彼女はこの糸を常に自分の周囲に展開している。その糸によってあらゆる攻撃を防御もしくは感知が可能だ。
「あなたの魔術、多分不可視の斬撃飛ばすとかそんな感じだと思うのだけど、今のどうやってやったのぉ? 少なくとも背後とかから斬撃飛ばしたわけじゃないと思うけどさぁ」
「情報開示して欲しいの? やだね。まあもっとも、教えたところでどうにもできないだろうけど」
もしも斬撃をただ飛ばすだけだとしたら、ヴィーテの胸を切り裂くにはミナを両断しなくてはならない。
が、現実としてミナは無傷。ヴィーテのみに斬撃が与えられた。
(遠隔で対象のみを切断する術、ではないはず。じゃないと僕の糸を切る事はないから。⋯⋯とすると、不可視の斬撃を飛ばす術には変わらないけど、切る対象を選ぶ、指定のオブジェクトは透過できるってとこかなぁ?)
あの状況では防御魔術は間に合わなかった。だから魔力を体表に集中させて防御した。これは結果的に功を奏したようだ。
しかし体表とはいえ広範囲に魔力を回せば斬撃を完全に防ぐことは難しい。可能ならば斬撃は避けることが最善だろう。
「あはは! 面白くなってきたなぁ!」
では人質は無意味そうだ。ミナを苦しめてたのしむのはあとにしよう。
ヴィーテはリンと戦い、苦しめ、痛みを味合わせ、屈辱の中殺してやると決定した。それはきっと、とてもたのしいはずだ。
「〈首刈〉!」
ヴィーテは魔術式を起動する。彼女はその魔力の性質上、術式を用いずとも十分な殺傷能力を持つ。
しかし、術式を介入させることで、より強力かつ高精度の攻撃が可能だ。
糸がリンの首を捉える。直前で彼女は首を防御術式で守るが、
「無駄だよぉ。僕の術式を通した糸は、防御魔術くらい切断できるから。大丈夫、殺しはしないよ」
リンは防御魔術に魔力を流し続け、破壊されたそばから修復させる。ただでさえ展開の持続に少なくない魔力を消耗する魔術。更に修復にも魔力を回せば瞬く間に魔力が無くなっていく。
「それで勝ったつもり?」
リンはヴィーテの糸を切断する。そうすることで首に巻き付いた糸が緩んだため解く。
「わあ、凄い! 冷静なんだね!」
ヴィーテはこうなることを予想していた。この魔術で殺せれば相手はその程度。
目的は防御魔術を使わせて魔力を消耗させることだ。
「じゃああと何回やったら魔力尽きるかな? 〈首刈〉」
ヴィーテはもう一度同じ魔術を行使する。
しかし、展開された糸はただちに斬り伏せられた。リンは不可視の斬撃によって周りを無闇矢鱈に切り裂いたのだろう。
「二度も通じないから」
「なるほど。賢いねぇ」
飛ばされた斬撃を、ヴィーテは糸によって斬撃を感知し、軌道を予測し避けている。どうやら斬撃は直線的にしか飛ばせないようだ。スピードも速いし、物量も大きいが、ヴィーテなら十分避けられる程度である。
(すばしっこい⋯⋯それに、斬撃をどうにかして視ているみたいね。まあその絡繰は予想つくけど⋯⋯対策は無理ね)
リンが斬撃を透過させることができる対象物は、彼女が認識できるものに限られる。即ち空中を漂う糸を透過することはできない。
(だからといって安易に近づくこともできない。攻撃用の糸はよく見てようやく分かるレベル。近接で振り回されようものなら判断する間もなくバラバラ)
耐久戦をしようにも、ヴィーテの体力よりも先にリンの魔力が尽きるだろう。
彼女は魔圧──その人物が持つ魔力的な圧力。魔力量に比例して大きくなる──を隠しているが、それでさえ二級程度の術師の全開放は下らない。
平均的な魔圧隠蔽能力だとしても、その力量はリンを超えているだろう。下手をすれば特級相当だ。
まず間違いなく、まともにやりあえば勝つことは不可能。
(⋯⋯リスクは大きい。けれどやるしかない)
西園寺リンの魔術能力は、一級でも中の上程度。しかし彼女の実力をそれ以上に評価する者は多いだろう。
理由はただ一つ。非常に高度な結界術を扱うことができるからだ。
「──心核結界」
リンは詠唱を始める。それを聞いたとき、ヴィーテの表情が少しだけ変化する。仮面のように張り付いていた笑顔が、本物になったのだ。
心核結界とは詠唱が必須の大魔術である。優れた魔術師であればあるほど、十割の効力を引き出すのに必要な詠唱文量は少なくなる。心核結界が使用可能な平均的魔術師であれば六から七節ほどだ。
そしてリンは、省略詠唱──つまるところ、
「──〈葬審祈拝殿〉」
術の名称のみを詠唱することによって、十全の効力を発揮することが可能。
予想外のことに、ヴィーテは目を見開き、少し驚いた様子を見せた。
──その場は黄金色の光に包まれていた。
無限に続く畳。装飾の数々。圧倒される雰囲気に満ちている。
そしてリンの背後には内陣があった。荘厳かつ豪華絢爛。しかし、身の毛がよだつような圧迫感あるいは畏れがあった。
これほどの具象化を省略詠唱で行うことは筆舌に尽くしがたい技術と才能を求められる。
心核結界は、使える、それだけで大きなアドバンテージとなる。実力差を無視して格上を殺すこともできるからだ。
故に実力者であればあるほど、心核結界対策を怠ることはない。
「⋯⋯っ!」
猶予は一瞬たりともなかった。
ヴィーテの全身が切り刻まれる。肉体に限界まで圧縮した自壊上等の高密度魔力を循環させ、防御しなければ、今頃全身が粉微塵となっていただろう。
全く動くことができない状態になっても、絶え間なく浴びせられる斬撃は、皮膚に、肉に、そして骨に達しつつある。
このままでは死ぬ。そうだと直感する。
しかし、ヴィーテの顔には一切の苦痛も、苦悶の歪みもなかった。ただあるのは笑顔のみ。
ヴィーテに心核結界を展開できるほどの才能はない。だが、結界術を一切使うことができないわけではなく、そしてその欠点をカバーできるだけの才能は持っている。でなければ、特級の魔詛使にはなれない。
「────」
ヴィーテは魔術陣を展開する。
回路術式、Ⅴ。
心核結界が特殊な大魔術だとすれば、こちらは正当な大魔術。回路術式の奥義でもあるそれは、心核結界に匹敵するコストとコントロールを要する同格の技術。
「──〈糸累結界〉」
糸を外郭に、結界を展開する。中に心象風景を満たすことはなく、ただ空の容量を作り出す。
それは、反結界に特化した⋯⋯結界術を外側から崩落させる、ヴィーテの奥義だ。
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