Reセカイ

月乃彰

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第62話 一旦の終息

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 心核結界は外部から確認した場合、平均して直径五メートル程度、色は術者によって異なる球体であることが多い。
 ただし内部空間は外観から予想される体積とは大きく異なる。空間の拡張が行われているのである。
 リンの心核結界も勿論そうだった。

「心核結界はその性質上、閉じ込める力に特化している。だから内側はとても強固。⋯⋯でも、外郭の破壊耐性は、それほどじゃない」

 ヴィーテの〈糸累結界〉は心核結界対策に編み出された大魔術だ。その特性を利用し、この術は対象の外郭に沿って展開されるようになっている。
 外部から外郭を破壊する。これに特化した魔術である。
 硝子が割れるような音。編まれていた魔力が離散する感覚。瞬間、斬撃は止み、そして結界を崩落させた無数の糸が、今度はリンを四方八方から襲う。

「あなたはとっても強い。だからここで、死んでもらうね!」

 ヴィーテはリンをたのしんで殺すことは悪手だと判断した。大魔術を使った以上、本気で戦わなければいけない相手だと、認めたのだ。
 そしてそれもまた、ヴィーテにとってはであった。

「────」

「⋯⋯っ!?」

 〈糸累結界〉は対結界術であり、対人殺傷能力自体は比較的低い。しかしそれでも大抵の、心核結界を展開し、魔力回路が麻痺した魔術師を引き裂くことくらい容易いはずだ。
 であれば、なぜだ。どうしてリンは、魔術を使い、いや、あろうことかヴィーテは切り刻まれているのか。
 いつの間に、リンはヴィーテの片腕を切断したのか。全身に深い切り傷を負わせたのか。

「⋯⋯何が」

 状況把握ができない。
 そんなヴィーテに、生徒の質問に教師が答えるようにリンが情報を開示する。

「⋯⋯知っての通り私は心核結界を省略詠唱で展開できる。でも、それによって私の魔力回路が麻痺することはない。もう一度だけなら、省略詠唱⋯⋯そして、無詠唱での展開が可能」

 条件はあるが、心核結界の連続展開。それは常軌を逸した所業だ。
 これ自体に情報開示の意味は殆どない。重要なのは、「もう一度だけなら」という文言。つまり、リンは三回目の心核結界の展開は不可能。そして魔力回路は麻痺し、今の彼女に魔術は使えない。

「⋯⋯驚いたよ。二回も使っておいて、仕留め切れないなんて。⋯⋯はは⋯⋯これが特級か」

 リンが喋っている間に、ヴィーテは切断された自らの腕を縫合した。神経、筋繊維、皮膚。全てを魔力糸によって、瞬く間に結合させたのだ。
 痛みこそ伴うが、それ以上の問題はなくヴィーテは腕を動かすことができるようになった。

「でも情報開示してまで魔力を強化したんだ。例え魔術が使えずとも、まだ諦めるつもりはない、ってことだよねぇ!」

 リンの魔力は万全状態と同等程度まで強化されている。
 しかし、魔術を使ってようやく対抗できた相手に、純粋な身体強化のみで戦うことはできない。
 だが、ここで諦めていられるようなマトモな思考回路で、魔術師なんてものはやってられない。
 地を踏む。足に魔力を流す。全力で、糸が来る前にヴィーテとの距離を詰める。

「速いね。でも、だぁめ。術が使えなくなったあなたは、もぉ死んで頂戴?」

 リンの全身が糸に囚われた。

「〈千編重糸〉」

 そして、糸はリンを引き裂こうとした。
 ──しかしその瞬間。
 ヴィーテの足に植物の根のようなものが纏わりつき、木の葉が飛来する。木の葉は普通のそれではなく、まるで刃物のように硬く鋭かった。
 糸が切断され、リンは引き裂かれずに済んだ。
 ヴィーテは拘束を解こうと糸で植物を裂く。

「っ!」

 だが、一般攻撃魔術への反応が遅れてしまい、モロに受けてしまった。
 本来、直撃すれば人体など魔術師であろうと蒸発あるいは貫通し即死するような一般攻撃魔術だが、ヴィーテは全身火傷程度で済ませた。即時展開可能な糸によって威力を削いだのである。

「ごめんなさい! 遅れちゃった! 西園寺さん大丈夫!?」

 ホタルが絶体絶命にあったリンを救ったのだ。

「何とか⋯⋯それより、相手は特級魔詛使、ヴィーテです!」

「ヴィーテ⋯⋯通りで今のでやれなかったわけね⋯⋯」

 ホタルを見た瞬間、ヴィーテの周囲にはが漂った。
 魔術のコントロールが雑になったとか、弱ったとか、そんな希望は、開放された魔圧が否定した。
 魔圧の抑制は実力を悟らせないために行われる常套手段だ。しかし、これをあえてしない状況があるとすれば、ただ一つの理由しかない。

「⋯⋯なんて魔圧⋯⋯」

 圧倒的な魔力を持ち、魔圧を戦闘に活用できるレベルの場合だけだ。
 感じられた魔圧が全力全開であるとすれば、魔力量だけならホタルさえ敵わない。魔力量が強さに直結するわけではないとはいえ、多くて弱いことはまずない。

「⋯⋯一級魔術師、たしかホタルだっけぇ?」

 魔詛使いなんてやってるから、警戒すべき魔術師の情報は粗方頭に叩き込んでいる。
 ホタルもそちら側である。どころか、脅威なりうる相手として記憶していた。

「⋯⋯⋯⋯」

 ヴィーテは笑顔という仮面を付けつつも目を細める。
 彼女にとって弱者との戦いは蹂躙という娯楽である。強者との戦いはスリルのあるアトラクションである。

「⋯⋯⋯⋯。────っ」

 ヴィーテは五本の指に巻きつけた糸を振り下ろす。糸の先端ほど速度は増し、音速など疾うに超える。
 流石のホタルでも、視認が困難な糸がそんな速度で振られると見て避けることはできない。予備動作から軌道を予測し、避ける。
 ホタルは茨をいくつか伸ばした。しかし、糸によって受け止められる。

「はっ!」

 だがこれでは終わらなかった。ホタルはヴィーテに接近し、木刀でその胸を突き刺そうとした。
 ヴィーテはこれを躱すが体制を崩す。すぐに立て直そうとしたが、リンが背後から現れる。
 魔力を感知し、ヴィーテは糸をリンの首に巻き付かせ、引き裂こうとした。しかし、できなかった。

「魔力防御⋯⋯!」

 リンの首は薄皮一枚切られる。ヴィーテがやったように、自滅覚悟の超圧縮魔力を首に回し、防御したのだ。
 あと一瞬時間があれば、ヴィーテはリンの魔力防御を突破し首を狩ることができただろう。
 しかしそれより早く、リンの拳がヴィーテの鳩尾を捉えた。
 存分に魔力強化が施された殴打はヴィーテであっても耐え難い。追撃、顎への膝蹴りをノーガードで受けてしまう。
 脳が震える。意識が飛びそうなくらいの激痛、衝撃にヴィーテは襲われた。
 ──だが、ヴィーテのような魔術を使う者が痛みで怯むことはない。
 ホタルの二撃目の木刀を冷静に糸で弾き、リンは糸で切りつけつつ、距離を取る。

「⋯⋯流石に今のは効いたなぁ。⋯⋯さぁて。少しはちゃんと戦わないとぉ、いけないみたいだ──」

 ヴィーテの両手から指の本数の十を優に超える糸が伸ばされる。

「──ねぇっ!」

 両手を交差させるだけで、ヴィーテの前方十数メートルが扇形上に消し飛んだ。幾重にも重ねた糸が薙ぎ払われただけで、導線上の全てを微塵以下に切り尽くしたのである。
 リンの反応速度では到底回避することはできなかった。
 彼女が今生きていられるのは、ホタルに抱えられて、守られたからだ。

「⋯⋯! ホタルさん!」

「⋯⋯油断したつもりはないんだけどなぁ」

 彼女の体には無数の傷がつけられていた。一つ一つは深手の切り傷。全部合わせれば立派な致命傷だ。
 そう、普通の人間なら。

「⋯⋯え」

 傷がみるみる塞がっていく。治癒系の魔術で治されたものではない。傷をパテで埋めるような、文字通り埋め立て塞ぐ治り方だった。

「よく今のを生きていたねぇ~。わりと本気でやったのに⋯⋯さぁ?」

 リンと戦っているときのヴィーテは一切本気ではなかったんだ。本当にお遊びでしかなかったんだ。
 その事実を突きつけられている。ヴィーテとホタルの戦闘は、リンのそれとは次元が違った。
 見えなかった。攻撃が衝突する瞬間のみ、なんとか視認ができた程度だ。
 時間にして一分。ヴィーテとホタルの戦闘は続いた。

「久しく、楽しめたよぉ。一級魔術師、ホタルちゃん?」

 傷を負うも、余裕があるヴィーテ。
 対してホタルはなぜ生きていられるのか分からないほどの傷の数々。傷の塞がる速度は低下しているようだった。

「でも、もう終わりだぁ。⋯⋯〈首刈──」

「──■■■■」

 首を狩るはずだった糸は、ホタルに触れた瞬間消し飛んだ。その時、ヴィーテは極々僅か、しかし確実に何かがなくなったのを感じた。
 だが、今はそんなことどうでもいい。

「⋯⋯あなたの固有魔力って、自然を具現化するものじゃなかったっけぇ? ⋯⋯なんなのぉ、その姿ぁ?」

 ホワイトブロンドのミディアムヘアは黒化している。
 ピンクの両目は片方が赤くなっている。

「君にそれを説明する義務が、この私にあるとでも? ⋯⋯全く不愉快だ」

「⋯⋯へぇ。口調も変わってる。まるで別人だねぇ?」

 ヴィーテは更に多くの糸を編み、これによってホタルだったものを殺そうとした。
 だが、できなかった。彼女に触れた糸は全て、先ほどと同じように消し飛んだのである。

「⋯⋯⋯⋯っ!?」

 そしてようやく、違和感の正体にも気がついた。
 ──ヴィーテの魔力が、減ったのだ。
 魔術を使えば魔力が減るのは道理。しかし、それとは別の感覚だった。
 ゲーム的に例えるなら、最大MPが減少した、というべきだろう。

「それ以上は止しておいたほうがいい。さもなくば君は自らの肉体の生命活動を維持するための魔力さえ生成できなくなる。それでも良いと言うのなら⋯⋯殺してあげよう」

 ホタル?は魔術陣に酷似した何かを展開した。それを見た瞬間、ヴィーテは目を見開き驚いた。

「⋯⋯それは。⋯⋯はは。ははは。あっははははははははっ!」

「ほう? 君は勤勉であるようだ。これを理解できるとは」

「はははは。⋯⋯はぁ。面倒だなぁ。本当に、面倒で⋯⋯されどさぁ、だからこそぉ、面白い。面白いなぁ」

 声はたのしんでいるように思えない。ヴィーテ自身にさえ、今の自分がこれをたのしんでいるのか分からなかった。
 けれど一つだけ、断言できることがあった。

「あなたは僕が殺す。⋯⋯でも今はその時じゃないみたいだぁ。逃してくれるかなぁ?」

「勝手に消えてもらおう。私も面倒事は嫌いだ」

「そ。ならいつか忙殺される時をたのしみに待っているといいよぉ?」

 ヴィーテは影に忍び込むようにその場から消え去った。

「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯っ。はぁ⋯⋯っ」

 ホタルの髪色と目の色が元に戻った。
 リンにのしかかっていた威圧感が無くなり、彼女は忘れていた息をする。同時に膝から崩れ落ちた。

「⋯⋯大丈夫、西園寺さん?」

「え⋯⋯っと、はい。⋯⋯あの⋯⋯」

 触れて良いものなのか、リンは分からなくてはっきり言うことができなかった。しかし、ホタルはその質問を理解できないことはなく、バツが悪そうに答えた。

「⋯⋯詳しくは話したくないのだけれど、と言うか話したらまずいんだけど⋯⋯わたしは、まあ、普通の人間じゃなくて。あの力を使えば使うほど、精神が汚染されるの。今は一時的なもので済んでるけど⋯⋯」

 後半は言葉を濁した。が、その末路は想像に容易い。
 ホタルのこの力はホタルの意思で使うことができるが、精神汚染が治まるまでは制御不可能となる。そして使えば使うだけ精神汚染の時間は伸びていっていた。

「ごめんね。怖がらせたよね」

「あ、いえ⋯⋯。ホタルさんが来ていないと、私は死んでいました。ありがとうございます」

 これ以上、踏み込むべきではない話題だ。
 リンは切り替え、任務を果たすべく奔走するようホタルに進言した。

「うん、そうだね。⋯⋯さっきヨセフ君から連絡あって、生徒たちは保護したらしいけど、まだ残党がいるらしい」

「わかりました。それじゃあそいつらの討伐にいきましょう」

「あ、いや、リンちゃんはヨセフ君と合流して。そこの二人の生徒の安全を最優先に、ね。あとはわたしがやっておくね」

「分かりました。問題ないとは思いますが、お気をつけて」

「うん。ありがとう」

 ホタルはそのまま森の奥へと走っていった。
 残されたリンは気絶していたミナを起こす。

「う、うーん⋯⋯」

「大丈夫? どこか痛いところはない?」

「あっ、わたし⋯⋯大丈夫、です。それより、あの、ま⋯⋯人は?」

「もう安心して。撃退したから」

「⋯⋯そうですか。ありがとうございます」

 リンは足を切断されたディエゴは応急処置を施してから抱えて、ヨセフと合流するために下山する。
 数十分後、リンたちはヨセフ、及びミース学園生徒たちと合流し、GMCからの後処理部隊を待った。
 ──その後、記憶処理が行われ、魔族の存在及び魔術師リン、ヨセフ、ホタルの記憶は彼ら生徒たちから失われた。
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