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抵抗
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張り付いたような笑顔の下に苛立ちや憎悪を忍ばせながら母は僕を真っ直ぐに見据え、指先でテーブルをトントンと叩き始める。母の指が奏でる規則正しい音だけが居間中に響き渡る。僕はすぐにでも自分の部屋に逃げ帰りたいという思いでいっぱいになった。
恐らく兄を死なせてしまったあの日、僕という1人の意思を持った人間は死んでしまったのだと思う。僕は自分の人生を生きていなかった。自分のこれまでの人生において最も平穏で穏やかであったはずの祖母と過ごした2年という短い間でさえ、幸せを実感することは1度たりともなかったのだ。
母に会いたいという思いと会いたくないという思い。その2つが絶えず僕の中で拮抗し続け、考えれば考えるほど自分の本当の気持ちが濃霧の中に隠されているような気がしてくる。度重なる熟考を重ねた結果、僕は自分自身がどこにもいないという1つの結論に辿り着いた。僕は生きながらにして死んでいる、まさに生きる屍なのだ。
やがて僕はある地点から自分という存在は母によって生かされているのだと思い始めるようになった。自分が生かされているのは、兄殺しの罪を一生、償わさせるためであって決して幸せになってはいけない。罪を償うためにも僕は一生、苦しみ続ける必要があるように思えた。
僕は敢えて間違った選択を選び続けなければならないのだ。これからもずっと。このままずっと……
――毎日ずっと同じことの繰り返しなんだぜ。
怒りを含んだ坂上の声をふと思い出した。川に向かって小石を投げ込んでいく坂上はひどく苛立っていて、自分の置かれている状況に納得がいっていない様子だった。もしここで僕が何も行動を起こすことなく、これまで通り母の言うことを受け入れてしまえば何の関係もないはずの彼にまで何らかの形で被害が及んでしまうことになる。
「はやく言いなさいよ」
テーブルを叩く音が心なしかさっきより大きくなっている気がした。僕は決断した。母に逆らうことを。全身は金縛りにでもあったかのようにガチガチに硬直していた。言い知れぬ恐ろしさに心臓の動悸は早まり、息が荒くなっているのが自分でも分かった。
「ごめんなさい」
「質問の答えになってない! 聞かれていることにちゃんと答えなさい」
僕は知っていた。母さんにはママ友と呼べるような親しい間柄の友達や知り合いなど1人もいないことを。だからママ友に電話で聞いて回るという脅しがハッタリに過ぎないことも僕は分かっていた。でも感情的になってしまっている現在の母がどんな行動をとるのかまではまるで見当がつかなかった。ただの脅しであったタイミングを僕は逃してしまったのかもしれない。
「もう1度聞くわね。その子の名前は?」
――縋り付くものが酒以外、他にないんだよ。
坂上の父親がアルコールに依存していたように母は兄に依存しきっていた。兄が生きている間でさえ僕は見向きもされなかった。それは僕が兄と比べると不出来な子供だったからだ。
何度聞かれても僕は坂上の名前を口にしなかった。頭を下げ続け、母が諦めてくれるのをひたすら待ち続けた。深い母のため息が耳の底まで響いてくる。恐怖は次第に薄れ、代わりに沸々とした怒りが胸の内からじわじわと込み上げてきた。
確かに母にとってみれば僕は兄を死なせた憎むべき相手なのかもしれない。可愛げのない子供なのかもしれない。けれどもそれは 僕だけの問題なのか? 母と父のどちらかの遺伝子にも多少の問題があったんじゃないのか?
祖母が言うには僕は幼い頃の母と性格や雰囲気がよく似ているらしい。子供の頃の母も僕と同じで口数が少なく、人の輪の中に入っていこうとせず、1人でいることを好んでいたと生前の祖母が目を細めながら言っていたのを思い出した。それが本当だとすれば僕は母の性質を濃く受け継いでしまっていることになる。母は僕の中に遠い昔の自分を見出しているに違いなかった。
親が子を選べないように、子供だって親を自分の意思で選ぶことはできないのだ。悔しさ、悲しさ、怒り。様々な感情が頭の中で渦巻き、頭がどうにかなってしまいそうだった。
「どうして直樹はいつもお母さんを困らせるようなことばかりするのかなぁ……」
僕は何も答えなかった。
「あー、もうイライラする」
母が拳でテーブルを叩く。食器が音を立てて揺れ、コップに注がれていた水が床にこぼれた。突然の大きな音に驚いてしまった僕は思わず顔をあげてしまった。それがいけなかった。
「その目は何? 」
恐らく兄を死なせてしまったあの日、僕という1人の意思を持った人間は死んでしまったのだと思う。僕は自分の人生を生きていなかった。自分のこれまでの人生において最も平穏で穏やかであったはずの祖母と過ごした2年という短い間でさえ、幸せを実感することは1度たりともなかったのだ。
母に会いたいという思いと会いたくないという思い。その2つが絶えず僕の中で拮抗し続け、考えれば考えるほど自分の本当の気持ちが濃霧の中に隠されているような気がしてくる。度重なる熟考を重ねた結果、僕は自分自身がどこにもいないという1つの結論に辿り着いた。僕は生きながらにして死んでいる、まさに生きる屍なのだ。
やがて僕はある地点から自分という存在は母によって生かされているのだと思い始めるようになった。自分が生かされているのは、兄殺しの罪を一生、償わさせるためであって決して幸せになってはいけない。罪を償うためにも僕は一生、苦しみ続ける必要があるように思えた。
僕は敢えて間違った選択を選び続けなければならないのだ。これからもずっと。このままずっと……
――毎日ずっと同じことの繰り返しなんだぜ。
怒りを含んだ坂上の声をふと思い出した。川に向かって小石を投げ込んでいく坂上はひどく苛立っていて、自分の置かれている状況に納得がいっていない様子だった。もしここで僕が何も行動を起こすことなく、これまで通り母の言うことを受け入れてしまえば何の関係もないはずの彼にまで何らかの形で被害が及んでしまうことになる。
「はやく言いなさいよ」
テーブルを叩く音が心なしかさっきより大きくなっている気がした。僕は決断した。母に逆らうことを。全身は金縛りにでもあったかのようにガチガチに硬直していた。言い知れぬ恐ろしさに心臓の動悸は早まり、息が荒くなっているのが自分でも分かった。
「ごめんなさい」
「質問の答えになってない! 聞かれていることにちゃんと答えなさい」
僕は知っていた。母さんにはママ友と呼べるような親しい間柄の友達や知り合いなど1人もいないことを。だからママ友に電話で聞いて回るという脅しがハッタリに過ぎないことも僕は分かっていた。でも感情的になってしまっている現在の母がどんな行動をとるのかまではまるで見当がつかなかった。ただの脅しであったタイミングを僕は逃してしまったのかもしれない。
「もう1度聞くわね。その子の名前は?」
――縋り付くものが酒以外、他にないんだよ。
坂上の父親がアルコールに依存していたように母は兄に依存しきっていた。兄が生きている間でさえ僕は見向きもされなかった。それは僕が兄と比べると不出来な子供だったからだ。
何度聞かれても僕は坂上の名前を口にしなかった。頭を下げ続け、母が諦めてくれるのをひたすら待ち続けた。深い母のため息が耳の底まで響いてくる。恐怖は次第に薄れ、代わりに沸々とした怒りが胸の内からじわじわと込み上げてきた。
確かに母にとってみれば僕は兄を死なせた憎むべき相手なのかもしれない。可愛げのない子供なのかもしれない。けれどもそれは 僕だけの問題なのか? 母と父のどちらかの遺伝子にも多少の問題があったんじゃないのか?
祖母が言うには僕は幼い頃の母と性格や雰囲気がよく似ているらしい。子供の頃の母も僕と同じで口数が少なく、人の輪の中に入っていこうとせず、1人でいることを好んでいたと生前の祖母が目を細めながら言っていたのを思い出した。それが本当だとすれば僕は母の性質を濃く受け継いでしまっていることになる。母は僕の中に遠い昔の自分を見出しているに違いなかった。
親が子を選べないように、子供だって親を自分の意思で選ぶことはできないのだ。悔しさ、悲しさ、怒り。様々な感情が頭の中で渦巻き、頭がどうにかなってしまいそうだった。
「どうして直樹はいつもお母さんを困らせるようなことばかりするのかなぁ……」
僕は何も答えなかった。
「あー、もうイライラする」
母が拳でテーブルを叩く。食器が音を立てて揺れ、コップに注がれていた水が床にこぼれた。突然の大きな音に驚いてしまった僕は思わず顔をあげてしまった。それがいけなかった。
「その目は何? 」
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