NLP ーNecromancy Laid Programmingー

七里田発泡

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センセイ

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 僕がセンセイと初めて顔を合わせたのは隣町にある『リヴァイユ』という変な名前の喫茶店だった。その日は傘を差していてもびしょ濡れになってしまうほどの雨だった。横殴りの強い雨に打たれながら僕は母に手を引かれるがまま『リヴァイユ』へと向かった。駅から5分ほど歩き、店の前にたどり着いた。傘を畳み、古めかしい真鍮張りのドアを開ける。珈琲の香ばしい香りが飛び込んできて鼻腔をくすぐってくる。

 店内は天井から吊るされているペンダントライトの明かりがぼんやりとした黄色い光で控えめに照らされていた。レジ横にあるショーケースの中にはキッシュやスイーツタルト、マフィンなどが積まれ、天井のスピーカーからは会話の邪魔にならない程度の心地よい音量でジャズピアノが流れている。店内を見渡していると窓際のテーブル席に座っている男性が僕らに向かって手を挙げているのが見え、母が小さくおじぎを返した。

 母は男と向かいあうようにして座った。僕は母の隣の席で対角線上にいる男の容姿をじっくりと観察した。男はどう見ても40代後半から50代前半くらいだと思われた。白地のワイシャツの上から見ても分かるくらい体全体がまるまると肥え太っており、腹回りが芋虫みたいに醜く、異様に膨らんでいる。

「ほら直樹。早くご挨拶なさい。これからあなたもセンセイにお世話になるんだから」

 今朝方、母から「会って欲しい人がいるの」と唐突に打ち明けられた時は、もしや再婚相手でも紹介されるのなと勝手な想像を膨らませていたが、どうやらそれは僕の思い過ごしらしい。母がこんな醜男を再婚相手に選ぶはずがないと思った。しかし、もしこの男が資産家だとか名のある血筋の家系だったりするのであれば話は一気に変わってくる。金目当ての結婚。真の愛情が入り込む余地のない婚約関係。それでも僕は構わない。母が幸せであれば僕はそれでいい。母の幸せは僕の幸せでもあるのだから。

「はじめましてだね。直樹君」

 センセイがまるでダンスにでも誘うみたいに手を差し伸べてきた。僕はセンセイの大きくむくんでいる手に視線を注ぎ続けるばかりで、握手には一切応じようとはしなかった。目の前にいるこの男が母を幸せにしてくれる人物だとは僕には到底思えなかったのだ。

 僕の失礼な態度にもセンセイは柔和な笑みを崩すことはなく、むしろいっそう深い笑みを頬に刻んだ。そして差し出していた手を引っ込めながら「君のことは勉強会の時にお母さんからいろいろと聞かせてもらっているよ」と、穏やかな声で言った。

 この男は危険だ。どうしてそう思うのかは自分でもよく分からない。無論、歩み寄ろうという意思は僕にはあったし、印象だけで人を判断することは良くないことであることも理解しているつもりだった。しかし何をどう頑張っても駄目だった。『無理』という生理的な嫌悪感が先立ってしまい、センセイのことを遠ざけようとしてしまう。まるで本能が彼の存在を拒絶しているようであった。

 勉強会、センセイ、空調の音、濡れた服の感触、コーヒーの匂い。無意味な単語の羅列。それらが渾然一体となって空っぽな僕の脳内で縦横無尽に飛び交い始めていた。

 心臓が早鐘のように脈打ち、不規則なリズムを刻んでいく。酷く気分が悪い。発作の前兆が足音を立て、ゆっくりとこちらに向かって近づいてきているようであった。落ち着かなくてはと思い、別の何かに意識を向けるよう心掛ける。店奥のテーブル席に座っていたカップルが席を立ってレジに向かっていくのを眺めながら僕は怪しまれない程度に深呼吸する。鼻から吸って口から吐きだす。それを2、3度繰り返す。吸って吐いて。吸って吐き出す。大丈夫。大丈夫。自分にそう言い聞かせているうちに右隣にいる母が怪訝な顔で僕に冷たい視線を浴びせていることに気づく。

「何をボーっとしているの。早くご挨拶しなさい」

「はははは。いいんですよ。直樹君にとってみれば私は得体の知れないただのおじさんでしかないわけですからね。物騒な世の中です。むしろ子供はこれくらい警戒心があった方がいいんですよ」

 センセイと呼ばれているこの男が何者なのか。勉強会では何を学ぶのか。2人はいつ、どのような経緯で知り合ったのか。いつまで僕はこのむさ苦しい男と同じ空間にいなければいけないのか。頭の中が疑問符で埋め尽くされていく。

「もしかしてお母さんと私がどういう関係なのか気になっていたりするのかな? 大丈夫。君が想像しているような関係性ではないから安心して。お母さんとは、共通の知人からの紹介で知り合ってね。それで、ありがたいことに私の活動に興味を持ってくれたようで数か月くらい前から私が主催している勉強会に生徒として参加してもらっているんだ」

 男の額からはギトギトした脂汗がにじみ出ていた。顎先を伝う汗が雫となって黒と白のチェック柄のテーブルクロスの上に滴り落ちる。

「そうだ。直樹君も一緒にどうかな?  お家で1人お留守番するよりも楽しいと思うよ。直樹君と同じくらいの歳の子もいるし、自慢じゃないけど学校のお勉強よりよっぽど面白いし、ためになると思うよ」と額に浮かんでいた汗をおしぼりで拭いながらセンセイは言った。
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