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二章 金貨の女王は冷たく笑む
コーヒーミルの想い
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神経が昂っているのか、泣き疲れても眠気が来ない。何度か寝返りを打ってみても、ちっとも落ち着かない。スマホの時刻表示を見れば、さっきからは一時間近く経っている。そろそろ、あのお母さんは帰っただろうか。
何か飲もうと店に降りてみれば、カウンターで蓮司くんがコーヒーミルの手入れをしていた。外した粉受けをブラシで掃く手つきが、宝物でも扱うように丁寧だ。普段の愛想の無さともあいまって、工芸品の仕上げをする職人さんのようにも見える。近くで眺めてみたくなって、カウンターの向かい側に寄ってみると、蓮司くんは手を止めて顔を上げた。
「……離れろ。粉が飛ぶぞ」
確かに、カウンターに敷かれた新聞紙は茶色い粉で汚れている。いったん離れて、冷蔵庫に飲み物を取りに行く。
「蓮司くん、何か飲む?」
返事はない。
鋭い目は、一心にミルの粉受けだけを見つめている。カウンターの周りには、人を寄せ付けない雰囲気が痛いほどに漂っているけれど、蓮司くんの表情は不思議と落ち着いている。そういえばさっきの戦いで、蓮司くんも怪我をしていたと思うんだけど、もう大丈夫なんだろうか。冷蔵庫から出した烏龍茶を注ぎつつ、言おうと思ったけど言い出せない。
冷たいコップを手に、ブラシを動かす手元をじっと見つめていると、不意に蓮司くんが振り向いた。
「俺に、何か用か」
「……さっき怪我してたみたいだけど、休まなくて大丈夫?」
「すぐ直る程度の傷だ。大したことじゃない」
「壮華くんは?」
「母上と一緒に、屋敷に戻った。あらためてこの先の話がしたいらしい」
母上のためなら何でもやります――と言わんばかりだった壮華くんを思い出し、また胸が痛む。壮華くん、また叱られてないだろうか。無理難題を吹っかけられてないだろうか。
何を言っていいのかわからずにいると、蓮司くんがぽつりと言葉を洩らした。
「俺は……壮華のようには、なれない」
切れ長の目から鋭さが消え、今は少し愁いを帯びている、ように見える。
「あいつは、いつでも母上に忠実だ……何があっても、何を言われても。母上の命尽きるときまで、あいつは揺るぎなくお仕えを続けるのだろう、な」
自分を責める、直接の言葉はない。けれど蓮司くんは、確かに悲しそうにしていた。
「壮華が、うらやましい。俺も、そうならなければ――」
「そんなことないよ!」
思わず、大きな声が出ていた。
ほっとけない。蓮司くんは絶対に悪くない。全部、あの偉そうなお母さんのせいだ。
「意地悪くされて悲しくなったり、叱られて腹が立ったりするの、当たり前だから。全然おかしくなんてないよ! 悪いのは全部――」
まくし立てたところで、蓮司くんが左手を挙げた。やめろ、と、無言で言われている。
「……ごめん」
「すまん。だが、俺たちの大切な母上を……どうか、悪く言わないでほしい」
蓮司くんの声色は、聞いたことがないくらい優しかった。黙りつつも、また腹が立ってくる。蓮司くんにも壮華くんにも、これだけ大事に想ってもらってるのに、あのお母さん、どうしてあんな態度なんだろう。
掃除を終えた粉受けを脇に置き、蓮司くんは、続けて豆入れ部分の掃除を始めた。見えない所に溜まっていた黒い粉が、みるみる出てきて新聞紙を汚していく。
「母上が厳しいのは昔からだ。だがそれも皆、俺たちのためを思ってのこと……特に俺は世継だからな。期待に応えられなければ、叱責されるのは仕方がない」
蓮司くんは深い溜息をついた。
「子供の頃は、屋敷で壮華や他の妖狐たちと、無邪気に遊んでいたものだ……だが大人になり、壮華と共にアルカナムを与えられた頃から、母上は厳しくなった。大仙狐の領分に住まうあやかしたち、そのすべてに目を配るのが俺たちの仕事だとな」
「アルカナムを作ったのは、番紅花さん? だったら、番紅花さんはコーヒーが好きなの?」
豆入れにブラシをかけながら、蓮司くんは小さく首を横に振った。
「いや、母上はむしろ嫌っている。だが俺たちは、幼い頃からコーヒーや菓子に興味があった……このコーヒーミルは、俺が生まれる前から屋敷にあってな。小さい頃から、よく豆を挽いて遊んでいたものだ」
ミルのハンドルを回す子狐さん、想像するとすごくほほえましい。脳裏に浮かんだ情景に、ほんの少し気持ちが上向く。
「ご自身はコーヒーを好まないのに、母上は俺たちのために喫茶店を用意してくれた。そのお気遣いに、俺たちは全力で応えたいと思っている……だから、あまりあの方を悪く言わないでほしい」
「ごめんなさい……」
頭を下げると、蓮司くんは私の肩をぽんぽんと叩いてくれた。
「だが、気を遣ってくれたことには感謝する。……ありがとう」
私を真正面から見つめて、蓮司くんはやわらかく笑った。……蓮司くんのこんな顔、正面から見たのは初めてだった。アルカナムでコーヒー豆を挽いてる時、時々こんな顔でミルを見つめていることはあったけど、横顔と真正面顔じゃ、印象がまるで違う。
私だけに向けられた、蓮司くんの笑顔。やさしくてあったかくて……あの不愛想な蓮司くんが、こんな顔を私に向けてくれるなんて。
なにか返事をしたいけど、心臓がばくばく言っていて、言葉が何も出てこない。立ち尽くす私の目の前で、蓮司くんは、すっかり綺麗になった豆入れと粉受けをミル本体に戻した。
「もう遅い、そろそろ休め……俺も寝る」
「……そうだね」
うつむきながら答える。今日は、部屋に戻っても眠れない気がした。
何か飲もうと店に降りてみれば、カウンターで蓮司くんがコーヒーミルの手入れをしていた。外した粉受けをブラシで掃く手つきが、宝物でも扱うように丁寧だ。普段の愛想の無さともあいまって、工芸品の仕上げをする職人さんのようにも見える。近くで眺めてみたくなって、カウンターの向かい側に寄ってみると、蓮司くんは手を止めて顔を上げた。
「……離れろ。粉が飛ぶぞ」
確かに、カウンターに敷かれた新聞紙は茶色い粉で汚れている。いったん離れて、冷蔵庫に飲み物を取りに行く。
「蓮司くん、何か飲む?」
返事はない。
鋭い目は、一心にミルの粉受けだけを見つめている。カウンターの周りには、人を寄せ付けない雰囲気が痛いほどに漂っているけれど、蓮司くんの表情は不思議と落ち着いている。そういえばさっきの戦いで、蓮司くんも怪我をしていたと思うんだけど、もう大丈夫なんだろうか。冷蔵庫から出した烏龍茶を注ぎつつ、言おうと思ったけど言い出せない。
冷たいコップを手に、ブラシを動かす手元をじっと見つめていると、不意に蓮司くんが振り向いた。
「俺に、何か用か」
「……さっき怪我してたみたいだけど、休まなくて大丈夫?」
「すぐ直る程度の傷だ。大したことじゃない」
「壮華くんは?」
「母上と一緒に、屋敷に戻った。あらためてこの先の話がしたいらしい」
母上のためなら何でもやります――と言わんばかりだった壮華くんを思い出し、また胸が痛む。壮華くん、また叱られてないだろうか。無理難題を吹っかけられてないだろうか。
何を言っていいのかわからずにいると、蓮司くんがぽつりと言葉を洩らした。
「俺は……壮華のようには、なれない」
切れ長の目から鋭さが消え、今は少し愁いを帯びている、ように見える。
「あいつは、いつでも母上に忠実だ……何があっても、何を言われても。母上の命尽きるときまで、あいつは揺るぎなくお仕えを続けるのだろう、な」
自分を責める、直接の言葉はない。けれど蓮司くんは、確かに悲しそうにしていた。
「壮華が、うらやましい。俺も、そうならなければ――」
「そんなことないよ!」
思わず、大きな声が出ていた。
ほっとけない。蓮司くんは絶対に悪くない。全部、あの偉そうなお母さんのせいだ。
「意地悪くされて悲しくなったり、叱られて腹が立ったりするの、当たり前だから。全然おかしくなんてないよ! 悪いのは全部――」
まくし立てたところで、蓮司くんが左手を挙げた。やめろ、と、無言で言われている。
「……ごめん」
「すまん。だが、俺たちの大切な母上を……どうか、悪く言わないでほしい」
蓮司くんの声色は、聞いたことがないくらい優しかった。黙りつつも、また腹が立ってくる。蓮司くんにも壮華くんにも、これだけ大事に想ってもらってるのに、あのお母さん、どうしてあんな態度なんだろう。
掃除を終えた粉受けを脇に置き、蓮司くんは、続けて豆入れ部分の掃除を始めた。見えない所に溜まっていた黒い粉が、みるみる出てきて新聞紙を汚していく。
「母上が厳しいのは昔からだ。だがそれも皆、俺たちのためを思ってのこと……特に俺は世継だからな。期待に応えられなければ、叱責されるのは仕方がない」
蓮司くんは深い溜息をついた。
「子供の頃は、屋敷で壮華や他の妖狐たちと、無邪気に遊んでいたものだ……だが大人になり、壮華と共にアルカナムを与えられた頃から、母上は厳しくなった。大仙狐の領分に住まうあやかしたち、そのすべてに目を配るのが俺たちの仕事だとな」
「アルカナムを作ったのは、番紅花さん? だったら、番紅花さんはコーヒーが好きなの?」
豆入れにブラシをかけながら、蓮司くんは小さく首を横に振った。
「いや、母上はむしろ嫌っている。だが俺たちは、幼い頃からコーヒーや菓子に興味があった……このコーヒーミルは、俺が生まれる前から屋敷にあってな。小さい頃から、よく豆を挽いて遊んでいたものだ」
ミルのハンドルを回す子狐さん、想像するとすごくほほえましい。脳裏に浮かんだ情景に、ほんの少し気持ちが上向く。
「ご自身はコーヒーを好まないのに、母上は俺たちのために喫茶店を用意してくれた。そのお気遣いに、俺たちは全力で応えたいと思っている……だから、あまりあの方を悪く言わないでほしい」
「ごめんなさい……」
頭を下げると、蓮司くんは私の肩をぽんぽんと叩いてくれた。
「だが、気を遣ってくれたことには感謝する。……ありがとう」
私を真正面から見つめて、蓮司くんはやわらかく笑った。……蓮司くんのこんな顔、正面から見たのは初めてだった。アルカナムでコーヒー豆を挽いてる時、時々こんな顔でミルを見つめていることはあったけど、横顔と真正面顔じゃ、印象がまるで違う。
私だけに向けられた、蓮司くんの笑顔。やさしくてあったかくて……あの不愛想な蓮司くんが、こんな顔を私に向けてくれるなんて。
なにか返事をしたいけど、心臓がばくばく言っていて、言葉が何も出てこない。立ち尽くす私の目の前で、蓮司くんは、すっかり綺麗になった豆入れと粉受けをミル本体に戻した。
「もう遅い、そろそろ休め……俺も寝る」
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うつむきながら答える。今日は、部屋に戻っても眠れない気がした。
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