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第1章 PLAYER1
旧神の賛美歌 ②
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「物事とは期待しているほど上手くは行かないものだな」
イッポリートが達観した様な事を言う。
「まったくだ。想定はしていたが、めんどくさい方に事が流れるのは気が滅入るね」
ベンがため息とともに答える。
ベースキャンプを発ってから二日と半日。すでに、かつてアリスターのチームが闇に襲われた天然の橋を抜け、彼らがかつて迷い込んだ迷宮の中へと足を踏み入れていた。だがベンはその迷路の様に入り組んだ道に関して、かつてのアリスターやマドックほど精通していない。本来であれば、アリスター隊が当初予定していた様に複雑な構造のその道は避け大きな側幹を抜ける予定だったのだ。
しかし、不幸なことに彼らは大型の地龍と鉢合わせた。地龍を避けるために結局彼らはそのルートを諦め、入り組んだ構造の道へと足を踏み入れざるを経なかったのだ。
「このマッピング、役に立たねえ・・・」
ユウキが見ていたのは、数日前に買った四層の大まかな場所に生息する生き物の縄張りを記した地図だ。
「その地図も、さすがにこの辺は乗ってないだろう。大手チームがマッピングするのは既知の大きな道だけだ。ここは俺とアリスターたちで見つけた道で、誰にも公表してないからな。まあ、ここまで役に立ってくれただけで十分さ」
「だが、妙だな。ベンの教え通りなら、ここを地龍が縄張りにするとは思えんぞ」
イッポリートの言う通りこの辺の空気は比較的乾燥している。地龍はもっと水場の近いジメジメしたところを好むと話していたのはベンだ。
「きちんと、俺の話を聞いてくれてる様で嬉しいね。まあ、イッポリートの言う通り俺もこの辺に地龍が出るとは予測していなかったかな。正直な話、ここ数日の四層はきな臭い」
「闇の影響でしょうか・・・」
サトリが不安げに声を出す。東部で確認されているとは言え、前例もある。安心はできない。
「わからないな。あれだけはどうしても計算のしようがない。現在地も、過去の習性も全部の情報が気休めみたいなもんだ。何もないよりはマシってだけだよ」
ベンは今日までその些細な情報すら神経質に集めてきた。チームの生存率を1%でもあげたかったのだ。アリスターがそうしていた様に、そして新しい仲間達のために。
「?」
何かがユウキの耳に飛び込んできた。はるかに遠く、まるで地の底から聞こえてくる様な音だ。
「何か聞こえませんか?」
サトリが口に出す。やはり気のせいではない。音はかすかだ、かすかだが確かに聞こえてくる。これはまるで・・・
「歌?」
それは奇妙な、しかし調和のとれた音だ。自然の発するものとは違う、意図のある音階。ユウキはかすかに漂ってくるその旋律にそこはかとなく恐怖を感じた。
「歌? 何を言ってるんだ?」
ベンは耳を澄ませる。しかしその反応はユウキやサトリとは異なっていた。彼は結局なんの音も捕まえられないまま顔をしかめる。
「・・・・、私にも何も聞こえないが・・・」
イッポリートも同様だ。
「そんな、小さいけどこんなにハッキリと聞こえてるのに・・・」
サトリが戸惑うのも無理もない。かすかだ、確かにかすかだが一度気づいてしまえばそれは確かに歌だった。歌が流れている。
「本当に聞こえないのか?」
もう一度確認の意味を込めた尋ねる。ベンとイッポリートは頷いだ。
「そうか、わかった」
ユウキはそこで素直に引き下がる。サトリと彼にだけ聞こえるという事だ。彼は目配せをすると声を落としてサトリに話しかける。
「どういう事だと思う?」
「わかりません。ただ、考えうるとすれば精神感応能力が反応してるとしか・・・」
ユウキも同意する様に頷いた。PSYの有する力の一つだ。物体に働きかけるテレキネシスに対してテレパシーとも呼ばれる。生体の精神に干渉する力だ。つまりこの歌はユウキ達の精神に直接響いている事になる。
「俺たちに語りかけているのか?」
「どちらかというと、無作為に叫び続けてる様な感じがします」
結局、それ以上の事はわからない。このまま成り行きに任せるしかないのだろう。ユウキとサトリは注意深く歌に耳を傾けながら進むことにした。
******
奥へ進めば進むほど、歌はハッキリと聞こえるよになった。大きくなった訳ではない、まるでラジオのチューニングが進む様にクリアで質の高い音が鳴り出す。何の言語であるだろう。人の持つ言葉には思えなかった。聞いたことのない言語で流れてくる歌は、いつも聞いてきた様で、決して聞いたことない様でもある。奏でる声は美しかったが、美しさが不気味でも有った。
「覚えてる。ここだ、この先だ」
だんだんと大きくなる道に、ベンは期待感を持つ。興奮する彼とは別に、ユウキとサトリの顔色は悪くなっていく。いよいよ賛美歌が、すぐそばに差し迫っているのを感じて二人はついに足を進めることをやめた。
「待ってくれ」
先に進もうとするベンとイッポリートを呼び止める。
「どうしたってんだ? もうすぐだ。もうすぐ5層に入れる。その先はカレーだ。お前たちがずっと目指してきた場所だぞ」
二人の様子を怪訝そうに見つめる。
「わかってる。だけど、その先はダメだ。その先に、何かいる」
真っ青な顔をする二人に、ベンも足を止めた。
「おい、説明してくれ。一体、何だって・・・」
ベンは言葉を最後まで言えなかった。遮ったのは巨大な咆哮だ。
「ち、地龍!」
答える間も無く姿を現したのは巨大な龍だった。黒い鎧の様な体をくねらせながら、無数の赤い足を不気味に動かして、その巨体からは想像もできないほどのスピードで突っ込んでくる。
その怒りくるった様な咆哮と、圧倒的なスピードにその場にいた全員が立ちすむ。誰もが、死を覚悟した。だが、いつまで立っても訪れるはずの大質量との衝突は起こらなかった。
ユウキはそっと目を開ける。彼の目に飛び込んできたのは、地龍。それも14メートルはあろうかという巨大な個体。それらはユウキたちに向かって誠意いっぱいにその体を動かすが、ピクリとも前に進まない。むしろ、もがけばもがくほどその巨体は洞窟の奥へ奥へと引きづられていく。そして気がづいた。アレは怒り狂ってユウキたちに向かってきたのではない。逃げてきたのだ。
洞窟の王者をぬるりぬるりと絡め取る闇はそれから遅れてやってきた。
「喰ってるのか・・・」
ベンが驚くのも無理はない。闇は黒い毛束の様な細い糸の様な無数の触手を伸ばして、少しずつ少しずつ飲み込んでいく。その光景に唖然として、思考が一瞬止まったことを誰が責められようか。
「まずい、逃げろ!」
一瞬の判断の遅れが、一人の命を絡め取る。
「あ、足が」
もっとも先を進んでいたイッポリートに、あの黒い闇の先端が絡みつく。足を取られた彼女は引きずられて転んだ。
「待ってろ、今いく」
ナイフを抜きながらユウキが駆け出す。
「待て、いくな。そいつはどうやっても切れない。お前も絡みつかれるだけだぞ」
ベンの忠告はユウキに届くには遅すぎた。ユウキはイッポリートに絡みつく闇の糸を切り裂こうとその手で掴んだ・・・はずだった。
「何だこれ! 掴めない」
それは実態を持たぬ何かである様に彼の腕の干渉を受け付けず、当然ナイフなど通らない。逆に、その触手は一方的にユウキの体にまとわりつく。絡みつく一本は二本になり、三本になり、数えるのも馬鹿らしいほど無数に群がっていく。
「ユウキ!」「ユウキさん!」
ベンとサトリが悲鳴をあげた。イッポリートとユウキの姿がどんどんと闇の中へと飲み込まれていく。二人はその光景に絶望する。
ぱんっと弾ける様な音がした。音とともに闇がユウキたちから遠ざかる。闇の中から再び姿を現したのは、足を抱えるイッポリートと何かを放つ様に腕を闇の方に向けるユウキの姿だ。
「な、何をしたんだ・・・」
ユウキのしたことに戸惑うイッポリートを闇は待ちはしない。闇はその無数の触手を次々と伸ばし彼女たちに襲いかかる。しかしその触手がその体に届くことはない。ユウキがそのPSYの力を持って闇を弾き続けるからだ。
「・・・いける。説明は後だ。走れるか」
今目の前で起こっていることに唖然とするベンとイッポリート、しかしこの状況でいちいち自分の能力を説明している暇はない。
「あ、足が、何とか動けるが・・・」
鈍い動きでイッポリートが立ち上がる。
「何やってんだ、ベン。イッポリートを」
毛束の様な触手を吹き飛ばすことで手いっぱいのユウキは声を荒げる。彼の額には玉の様な汗が浮かんでいる。その表情からも、彼がやっとの思いでそれを防いでいるのが見て取れた。
「あ、ああ。任せろ」
放心していたベンが急いで彼女に駆け寄ると肩を貸す。
「ユ、ユウキさん大丈夫ですか」
この場で唯一状況を理解するサトリがユウキを心配する。増幅器なしでPSYを使用し続けることの負荷は彼女にしか理解できない。整理されない力の流れが肉体にフィードバックし、脳と神経を焼く様な苦痛に襲われているはずだ。
「大丈夫。こいつ、思っていたほどは大したことない。このまま押し切れる」
イッポリートたちが十分に距離をとったことを確認するとユウキはその力の出力をあげた。遅いくる闇をはじき返していただけの力が、逆に闇を飲み込み始める。
「うおおおおおおおおおお」
声と呼応する様に巨大だったはずのもは少しずつねじ切れ、その姿を消していく。そして闇は完全に消失した。
「やったか?」
疲労にユウキが膝をついた時、そこには闇に飲み込まる事を免れた地龍の頭だけがぼとりと転がった。
「や、やったのか?」
訪れた静寂にベンが安堵の言葉を漏らした。だが、静寂を感じていたのは彼とイッポリートだけだ。
「だ、だめ。まだ歌が、歌がやまない」
何もいなくなったはずの空間に響く不気味な歌にサトリは思わず震えた。静寂、静寂、静寂。そしてベンのすぐ隣で空間がゆがむ。
「危ない」
ここではないどこかから歪んだ空間を介して現れたあの触手がベンを襲う。それをとっさに防いだのはサトリのPSYだった。闇が再び広がっていく。
「逃げるぞ、ユウキ走れるか」
ベンが激を飛ばす。
「くっ、何とか」
疲労と脳へのダメージに頭を抱えながらも何とか立ち上がる。四人は来たみちを引き返して駆け出した。だが、怪我をしたイッポリートとPSYを使った反動を受けるユウキを抱える一行のスピードは思ったほど上がらない。一方で、闇は何もない空間から着々とその質量を取り戻しながら、同時にその触手で四人を襲った。ユウキはその闇の先端をPSYの力を持って弾く。脳味噌の血管が焼き切れる様な感覚とともに鼻血が流れだす。呼吸も荒くなっていく。
「だ、大丈夫なのか」
きつそうなユウキの姿にベンは心配そうに声をかけた。
「代わります、ユウキさん」
大丈夫なわけがない、さっきあれほどの出力を出したのだユウキの限界が近いことは一目瞭然だった。サトリはPSYの力を使うために闇に向けて腕をかざす。
「や、やめろ。俺がやる」
ユウキがサトリを静止する。
「そんな。これ以上能力を使うのは無謀です」
「冷静になれ、今ここで俺とサトリの両方が力を使い切って倒れれば誰がその後あいつを防ぐんだ」
「で、でも」
「だ、大丈夫。まだやれる・・・」
言葉とは裏腹にその表情はゆがんでいた。頭が割れる様に痛い。めまいに方向感覚失いそうだ。だが今倒れるわけにはいかない。
「私は、大丈夫だ。何とか足の感覚も戻ってきた。ユウキの方を」
イッポリートの言葉を受けて、ベンがユウキに肩を貸す。
「すまん、ユウキ。もうちょっと頑張ってくれるか」
今のベンには、ユウキの不思議な力に頼るしかなかった。
「当たり前だ」
ユウキは強がって見せた。前に進む四人を追いかける闇。触手が四人を四方八方から襲う。ユウキはそれを払いつずける。その触手を次から次へと、消失させるが、触手は消えた先から再生して再び彼らを襲った。
「くそ、何なんだあいつは」
ベンが毒づいた。前にあった時より闇は早くなっていた。デカくもなっている。そうあれは成長しているのだ。人の足では完全には振り切れない。今はユウキが何とか防いでいるがこれがいつまで持つか。半身をひねり後ろから迫ってくる闇に向き合って退けるたびに、ユウキはみるみると弱っていく。その姿を真横で捉えながらベンはその攻防が近いうちに決壊するのを感じていた。
しかし、ユウキもそれはわかっていた。彼もただ無作為に力を振り回していたわけではない。
「・・あ、あれは、末端だ。・・・本体は、・・べ、別の空間座標にある・・・」
途切れ途切れのユウキの声が、推測を語る。歌は途切れることなくあたり中から鳴り響いている様だった。あれは、あの闇の本体はきっとこの洞窟の何処かでユウキたちを捕捉し、監視し続けている。だが、それとて無条件に行われているわけではない。おそらくあの闇でできた触手の塊が監視衛星の様な役割を果たしてユウキたちの座標を捕捉し続けているのだ。
「何を言ってるかわかんねえよ。どうすりゃいい」
ユウキの話をいちいち理解している時間はない。目の前には崖が広がっていた。その先には天然の橋がかかっている。
「サトリ!」
ユウキは少女の名前を呼ぶ。
「は、はい」
「橋を、渡りきったら、あの、・・・化け物を最大出力で焼き払え・・・」
「ユ、ユウキさんは?」
「ずっと、探って・・・たんだ。歌が流れてくる、場・・・所を・・・」
きつそうな表情でユウキは言葉を続ける。
「・・・見つけた。この洞窟の地下深く。そこ、・・から本体は、あれを送り込んでる。さっき、あの触手に掴まれた時に、俺とイッポリートの、情報が捕捉・・・されたんだ。だから、だから本体に感応能力で攻撃を、仕掛ける。奴の情報を書き換えた上で、端末を処分する、そうすれば、奴は俺たちを見失うはず・・・」
「感応能力でって、そんなこと・・・」
サトリがそう口に出すのはわかる。同じ力を持つものとして今ユウキが言ったことはそう簡単なことではないと知っているからだ。だが、ユウキにはそれができると言う確信があった。さっきあの触手に触れられた時から、闇と強いつながりを感じていた。
「できる。信じてくれ」
そうこうしているうちにユウキたちは橋を渡り終えた。考えている暇はない。ユウキたちは踵を返し向かってくるそれと対峙した。闇の塊も橋の中腹までさしかかっていた。
「ユウキさん!」
サトリがタイミングを訪ねる。
「大丈夫、やれ!」
ユウキの合図とともにサトリが出力最大でPSYサイを発動する。岩でできた丈夫な天然の橋が亀裂を立てて崩れる、そしてその崩落に巻き込まれる様に闇の触手もまたPSYの力によって押しつぶされていく。瓦礫とともにそれは地の底へと沈んでいった。
同時に、ユウキは空間を超えて地底に潜むそれを捕捉していた。卵の様な丸い球体、それは端末と違って淡く輝く光の様だった。球体を構成するものは雑多だ。地龍の足、ネズミのしっぽ、コウモリの羽、そして人の顔。この洞窟を行き交うすべてのものをひとまとめにこねて塊にした様な卵形のそれは、不気味としか言いようがなかった。無数の目の様なものが一斉に、ギョロリと空間の彼方にいるユウキを捉える。
ユウキは、感応能力を持ってそれに干渉する。自分とイッポリートを捕捉し続ける見えない糸を断ち切るために。精神がそれと混線することで歌が聞こえる。はっきりと、知らない言葉だ。深く、もっと深くに潜る。
「・・・て」
言葉が聞こえた。少年の声、少女の声、1、2、3、4、5人だ。何かを言っているだが、それを拾っている余裕はない。ユウキはもう限界だった。だが、確かにそこ、少女達の声がするこの場所が化け物の魂の基底だ。
「ぐおおおおおおおおおおおおおお」
最後の力を振り絞って、闇の精神を攻撃した。遠ざかっていく、地中の深くから今肉体がある場所へ。そいつの捕捉が途切れるのを感じると同時に、ユウキの緊張の糸はきれ彼は意識を失った。
イッポリートが達観した様な事を言う。
「まったくだ。想定はしていたが、めんどくさい方に事が流れるのは気が滅入るね」
ベンがため息とともに答える。
ベースキャンプを発ってから二日と半日。すでに、かつてアリスターのチームが闇に襲われた天然の橋を抜け、彼らがかつて迷い込んだ迷宮の中へと足を踏み入れていた。だがベンはその迷路の様に入り組んだ道に関して、かつてのアリスターやマドックほど精通していない。本来であれば、アリスター隊が当初予定していた様に複雑な構造のその道は避け大きな側幹を抜ける予定だったのだ。
しかし、不幸なことに彼らは大型の地龍と鉢合わせた。地龍を避けるために結局彼らはそのルートを諦め、入り組んだ構造の道へと足を踏み入れざるを経なかったのだ。
「このマッピング、役に立たねえ・・・」
ユウキが見ていたのは、数日前に買った四層の大まかな場所に生息する生き物の縄張りを記した地図だ。
「その地図も、さすがにこの辺は乗ってないだろう。大手チームがマッピングするのは既知の大きな道だけだ。ここは俺とアリスターたちで見つけた道で、誰にも公表してないからな。まあ、ここまで役に立ってくれただけで十分さ」
「だが、妙だな。ベンの教え通りなら、ここを地龍が縄張りにするとは思えんぞ」
イッポリートの言う通りこの辺の空気は比較的乾燥している。地龍はもっと水場の近いジメジメしたところを好むと話していたのはベンだ。
「きちんと、俺の話を聞いてくれてる様で嬉しいね。まあ、イッポリートの言う通り俺もこの辺に地龍が出るとは予測していなかったかな。正直な話、ここ数日の四層はきな臭い」
「闇の影響でしょうか・・・」
サトリが不安げに声を出す。東部で確認されているとは言え、前例もある。安心はできない。
「わからないな。あれだけはどうしても計算のしようがない。現在地も、過去の習性も全部の情報が気休めみたいなもんだ。何もないよりはマシってだけだよ」
ベンは今日までその些細な情報すら神経質に集めてきた。チームの生存率を1%でもあげたかったのだ。アリスターがそうしていた様に、そして新しい仲間達のために。
「?」
何かがユウキの耳に飛び込んできた。はるかに遠く、まるで地の底から聞こえてくる様な音だ。
「何か聞こえませんか?」
サトリが口に出す。やはり気のせいではない。音はかすかだ、かすかだが確かに聞こえてくる。これはまるで・・・
「歌?」
それは奇妙な、しかし調和のとれた音だ。自然の発するものとは違う、意図のある音階。ユウキはかすかに漂ってくるその旋律にそこはかとなく恐怖を感じた。
「歌? 何を言ってるんだ?」
ベンは耳を澄ませる。しかしその反応はユウキやサトリとは異なっていた。彼は結局なんの音も捕まえられないまま顔をしかめる。
「・・・・、私にも何も聞こえないが・・・」
イッポリートも同様だ。
「そんな、小さいけどこんなにハッキリと聞こえてるのに・・・」
サトリが戸惑うのも無理もない。かすかだ、確かにかすかだが一度気づいてしまえばそれは確かに歌だった。歌が流れている。
「本当に聞こえないのか?」
もう一度確認の意味を込めた尋ねる。ベンとイッポリートは頷いだ。
「そうか、わかった」
ユウキはそこで素直に引き下がる。サトリと彼にだけ聞こえるという事だ。彼は目配せをすると声を落としてサトリに話しかける。
「どういう事だと思う?」
「わかりません。ただ、考えうるとすれば精神感応能力が反応してるとしか・・・」
ユウキも同意する様に頷いた。PSYの有する力の一つだ。物体に働きかけるテレキネシスに対してテレパシーとも呼ばれる。生体の精神に干渉する力だ。つまりこの歌はユウキ達の精神に直接響いている事になる。
「俺たちに語りかけているのか?」
「どちらかというと、無作為に叫び続けてる様な感じがします」
結局、それ以上の事はわからない。このまま成り行きに任せるしかないのだろう。ユウキとサトリは注意深く歌に耳を傾けながら進むことにした。
******
奥へ進めば進むほど、歌はハッキリと聞こえるよになった。大きくなった訳ではない、まるでラジオのチューニングが進む様にクリアで質の高い音が鳴り出す。何の言語であるだろう。人の持つ言葉には思えなかった。聞いたことのない言語で流れてくる歌は、いつも聞いてきた様で、決して聞いたことない様でもある。奏でる声は美しかったが、美しさが不気味でも有った。
「覚えてる。ここだ、この先だ」
だんだんと大きくなる道に、ベンは期待感を持つ。興奮する彼とは別に、ユウキとサトリの顔色は悪くなっていく。いよいよ賛美歌が、すぐそばに差し迫っているのを感じて二人はついに足を進めることをやめた。
「待ってくれ」
先に進もうとするベンとイッポリートを呼び止める。
「どうしたってんだ? もうすぐだ。もうすぐ5層に入れる。その先はカレーだ。お前たちがずっと目指してきた場所だぞ」
二人の様子を怪訝そうに見つめる。
「わかってる。だけど、その先はダメだ。その先に、何かいる」
真っ青な顔をする二人に、ベンも足を止めた。
「おい、説明してくれ。一体、何だって・・・」
ベンは言葉を最後まで言えなかった。遮ったのは巨大な咆哮だ。
「ち、地龍!」
答える間も無く姿を現したのは巨大な龍だった。黒い鎧の様な体をくねらせながら、無数の赤い足を不気味に動かして、その巨体からは想像もできないほどのスピードで突っ込んでくる。
その怒りくるった様な咆哮と、圧倒的なスピードにその場にいた全員が立ちすむ。誰もが、死を覚悟した。だが、いつまで立っても訪れるはずの大質量との衝突は起こらなかった。
ユウキはそっと目を開ける。彼の目に飛び込んできたのは、地龍。それも14メートルはあろうかという巨大な個体。それらはユウキたちに向かって誠意いっぱいにその体を動かすが、ピクリとも前に進まない。むしろ、もがけばもがくほどその巨体は洞窟の奥へ奥へと引きづられていく。そして気がづいた。アレは怒り狂ってユウキたちに向かってきたのではない。逃げてきたのだ。
洞窟の王者をぬるりぬるりと絡め取る闇はそれから遅れてやってきた。
「喰ってるのか・・・」
ベンが驚くのも無理はない。闇は黒い毛束の様な細い糸の様な無数の触手を伸ばして、少しずつ少しずつ飲み込んでいく。その光景に唖然として、思考が一瞬止まったことを誰が責められようか。
「まずい、逃げろ!」
一瞬の判断の遅れが、一人の命を絡め取る。
「あ、足が」
もっとも先を進んでいたイッポリートに、あの黒い闇の先端が絡みつく。足を取られた彼女は引きずられて転んだ。
「待ってろ、今いく」
ナイフを抜きながらユウキが駆け出す。
「待て、いくな。そいつはどうやっても切れない。お前も絡みつかれるだけだぞ」
ベンの忠告はユウキに届くには遅すぎた。ユウキはイッポリートに絡みつく闇の糸を切り裂こうとその手で掴んだ・・・はずだった。
「何だこれ! 掴めない」
それは実態を持たぬ何かである様に彼の腕の干渉を受け付けず、当然ナイフなど通らない。逆に、その触手は一方的にユウキの体にまとわりつく。絡みつく一本は二本になり、三本になり、数えるのも馬鹿らしいほど無数に群がっていく。
「ユウキ!」「ユウキさん!」
ベンとサトリが悲鳴をあげた。イッポリートとユウキの姿がどんどんと闇の中へと飲み込まれていく。二人はその光景に絶望する。
ぱんっと弾ける様な音がした。音とともに闇がユウキたちから遠ざかる。闇の中から再び姿を現したのは、足を抱えるイッポリートと何かを放つ様に腕を闇の方に向けるユウキの姿だ。
「な、何をしたんだ・・・」
ユウキのしたことに戸惑うイッポリートを闇は待ちはしない。闇はその無数の触手を次々と伸ばし彼女たちに襲いかかる。しかしその触手がその体に届くことはない。ユウキがそのPSYの力を持って闇を弾き続けるからだ。
「・・・いける。説明は後だ。走れるか」
今目の前で起こっていることに唖然とするベンとイッポリート、しかしこの状況でいちいち自分の能力を説明している暇はない。
「あ、足が、何とか動けるが・・・」
鈍い動きでイッポリートが立ち上がる。
「何やってんだ、ベン。イッポリートを」
毛束の様な触手を吹き飛ばすことで手いっぱいのユウキは声を荒げる。彼の額には玉の様な汗が浮かんでいる。その表情からも、彼がやっとの思いでそれを防いでいるのが見て取れた。
「あ、ああ。任せろ」
放心していたベンが急いで彼女に駆け寄ると肩を貸す。
「ユ、ユウキさん大丈夫ですか」
この場で唯一状況を理解するサトリがユウキを心配する。増幅器なしでPSYを使用し続けることの負荷は彼女にしか理解できない。整理されない力の流れが肉体にフィードバックし、脳と神経を焼く様な苦痛に襲われているはずだ。
「大丈夫。こいつ、思っていたほどは大したことない。このまま押し切れる」
イッポリートたちが十分に距離をとったことを確認するとユウキはその力の出力をあげた。遅いくる闇をはじき返していただけの力が、逆に闇を飲み込み始める。
「うおおおおおおおおおお」
声と呼応する様に巨大だったはずのもは少しずつねじ切れ、その姿を消していく。そして闇は完全に消失した。
「やったか?」
疲労にユウキが膝をついた時、そこには闇に飲み込まる事を免れた地龍の頭だけがぼとりと転がった。
「や、やったのか?」
訪れた静寂にベンが安堵の言葉を漏らした。だが、静寂を感じていたのは彼とイッポリートだけだ。
「だ、だめ。まだ歌が、歌がやまない」
何もいなくなったはずの空間に響く不気味な歌にサトリは思わず震えた。静寂、静寂、静寂。そしてベンのすぐ隣で空間がゆがむ。
「危ない」
ここではないどこかから歪んだ空間を介して現れたあの触手がベンを襲う。それをとっさに防いだのはサトリのPSYだった。闇が再び広がっていく。
「逃げるぞ、ユウキ走れるか」
ベンが激を飛ばす。
「くっ、何とか」
疲労と脳へのダメージに頭を抱えながらも何とか立ち上がる。四人は来たみちを引き返して駆け出した。だが、怪我をしたイッポリートとPSYを使った反動を受けるユウキを抱える一行のスピードは思ったほど上がらない。一方で、闇は何もない空間から着々とその質量を取り戻しながら、同時にその触手で四人を襲った。ユウキはその闇の先端をPSYの力を持って弾く。脳味噌の血管が焼き切れる様な感覚とともに鼻血が流れだす。呼吸も荒くなっていく。
「だ、大丈夫なのか」
きつそうなユウキの姿にベンは心配そうに声をかけた。
「代わります、ユウキさん」
大丈夫なわけがない、さっきあれほどの出力を出したのだユウキの限界が近いことは一目瞭然だった。サトリはPSYの力を使うために闇に向けて腕をかざす。
「や、やめろ。俺がやる」
ユウキがサトリを静止する。
「そんな。これ以上能力を使うのは無謀です」
「冷静になれ、今ここで俺とサトリの両方が力を使い切って倒れれば誰がその後あいつを防ぐんだ」
「で、でも」
「だ、大丈夫。まだやれる・・・」
言葉とは裏腹にその表情はゆがんでいた。頭が割れる様に痛い。めまいに方向感覚失いそうだ。だが今倒れるわけにはいかない。
「私は、大丈夫だ。何とか足の感覚も戻ってきた。ユウキの方を」
イッポリートの言葉を受けて、ベンがユウキに肩を貸す。
「すまん、ユウキ。もうちょっと頑張ってくれるか」
今のベンには、ユウキの不思議な力に頼るしかなかった。
「当たり前だ」
ユウキは強がって見せた。前に進む四人を追いかける闇。触手が四人を四方八方から襲う。ユウキはそれを払いつずける。その触手を次から次へと、消失させるが、触手は消えた先から再生して再び彼らを襲った。
「くそ、何なんだあいつは」
ベンが毒づいた。前にあった時より闇は早くなっていた。デカくもなっている。そうあれは成長しているのだ。人の足では完全には振り切れない。今はユウキが何とか防いでいるがこれがいつまで持つか。半身をひねり後ろから迫ってくる闇に向き合って退けるたびに、ユウキはみるみると弱っていく。その姿を真横で捉えながらベンはその攻防が近いうちに決壊するのを感じていた。
しかし、ユウキもそれはわかっていた。彼もただ無作為に力を振り回していたわけではない。
「・・あ、あれは、末端だ。・・・本体は、・・べ、別の空間座標にある・・・」
途切れ途切れのユウキの声が、推測を語る。歌は途切れることなくあたり中から鳴り響いている様だった。あれは、あの闇の本体はきっとこの洞窟の何処かでユウキたちを捕捉し、監視し続けている。だが、それとて無条件に行われているわけではない。おそらくあの闇でできた触手の塊が監視衛星の様な役割を果たしてユウキたちの座標を捕捉し続けているのだ。
「何を言ってるかわかんねえよ。どうすりゃいい」
ユウキの話をいちいち理解している時間はない。目の前には崖が広がっていた。その先には天然の橋がかかっている。
「サトリ!」
ユウキは少女の名前を呼ぶ。
「は、はい」
「橋を、渡りきったら、あの、・・・化け物を最大出力で焼き払え・・・」
「ユ、ユウキさんは?」
「ずっと、探って・・・たんだ。歌が流れてくる、場・・・所を・・・」
きつそうな表情でユウキは言葉を続ける。
「・・・見つけた。この洞窟の地下深く。そこ、・・から本体は、あれを送り込んでる。さっき、あの触手に掴まれた時に、俺とイッポリートの、情報が捕捉・・・されたんだ。だから、だから本体に感応能力で攻撃を、仕掛ける。奴の情報を書き換えた上で、端末を処分する、そうすれば、奴は俺たちを見失うはず・・・」
「感応能力でって、そんなこと・・・」
サトリがそう口に出すのはわかる。同じ力を持つものとして今ユウキが言ったことはそう簡単なことではないと知っているからだ。だが、ユウキにはそれができると言う確信があった。さっきあの触手に触れられた時から、闇と強いつながりを感じていた。
「できる。信じてくれ」
そうこうしているうちにユウキたちは橋を渡り終えた。考えている暇はない。ユウキたちは踵を返し向かってくるそれと対峙した。闇の塊も橋の中腹までさしかかっていた。
「ユウキさん!」
サトリがタイミングを訪ねる。
「大丈夫、やれ!」
ユウキの合図とともにサトリが出力最大でPSYサイを発動する。岩でできた丈夫な天然の橋が亀裂を立てて崩れる、そしてその崩落に巻き込まれる様に闇の触手もまたPSYの力によって押しつぶされていく。瓦礫とともにそれは地の底へと沈んでいった。
同時に、ユウキは空間を超えて地底に潜むそれを捕捉していた。卵の様な丸い球体、それは端末と違って淡く輝く光の様だった。球体を構成するものは雑多だ。地龍の足、ネズミのしっぽ、コウモリの羽、そして人の顔。この洞窟を行き交うすべてのものをひとまとめにこねて塊にした様な卵形のそれは、不気味としか言いようがなかった。無数の目の様なものが一斉に、ギョロリと空間の彼方にいるユウキを捉える。
ユウキは、感応能力を持ってそれに干渉する。自分とイッポリートを捕捉し続ける見えない糸を断ち切るために。精神がそれと混線することで歌が聞こえる。はっきりと、知らない言葉だ。深く、もっと深くに潜る。
「・・・て」
言葉が聞こえた。少年の声、少女の声、1、2、3、4、5人だ。何かを言っているだが、それを拾っている余裕はない。ユウキはもう限界だった。だが、確かにそこ、少女達の声がするこの場所が化け物の魂の基底だ。
「ぐおおおおおおおおおおおおおお」
最後の力を振り絞って、闇の精神を攻撃した。遠ざかっていく、地中の深くから今肉体がある場所へ。そいつの捕捉が途切れるのを感じると同時に、ユウキの緊張の糸はきれ彼は意識を失った。
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