透明から、恋をする

すもも

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温かな春の日差しの下、新調した慣れないヒールを履いて、私は少し緊張した面持ちで書店の前に立っていた。ひとつ風が吹いて、肩で切り揃えられた髪が揺れた。店舗の前には「深月月子先生サイン会」と旗がはためいていて、私の本が平積みに高く積まれていた。人がもう並んでいて、楽しそうに雑談する人から、自分の中にあるものを抱きしめるように、大切そうに本を抱きしめている人もいた。喉が詰まってもう泣きそうになる。

「深月先生!何してんですか!!遅いと思ったらこんなところで!こっちですよ!こっち!!」

担当の落合さんが小声で、されど必死に店舗横の路地からの懸命な呼び声に私は足を向けた。

「ったく、なにしてんすか。深月先生は顔バレしてますし、気づかれたらパニックっすよ」

呆れ声で言われて、素直に謝る。

「まあ、なんとも無かったからいいっすよ。さ、みんなお待ちかねっすよ!」

明るい落合さんの言葉に頷いた。

「これより、深月先生のサイン会を始めます!」

書店員さんの声に会場が色めくのを感じた、先生此方へ、とスタッフの人に導かれて前に出ると拍手が湧き上がった。

「深月月子です、この度は皆さん集まっていただきありがとうございます。このひとときが皆さんの思い出となったら嬉しいです」

少し緊張しつつもマイクで話すと、大好きです!と叫び声が聞こえて、何人かがあたたかく笑った。

「ありがとう」

ふと笑えば、拍手が鳴って、スタッフに促されて椅子に座ると、一番前の女性が少し緊張した顔をしながらも足を踏み出して、私の前へとやって来た。

「あの、とても好きです!サインお願いします」

本を差し出されて、ありがとうと本にサインをして握手をする。誰もが嬉しそうに私の作品を語ってくれた。中にはこの話に救われましたと涙してくれる子も居た。

とても、嬉しい。文章を書いて、それで終わってしまうことの連続だった。文字を書くのは好き、だけどこうして人の反応を目の前で見れることがこんなにも嬉しい。胸の中に温かなものがじんわりと広がっていく。

最後の一人を見送って、ふと息を吐く。

「お疲れ様でした。いやあ、いいサイン会でしたね」

落合さんがにっこりと笑う。

「うん、なんか、感極まって泣きそうになりました」
「ええー。泣いてくれれば良かったのに!好感度爆上がりっすよ!」

ひっそりと目尻の涙を拭うと、台無しにするように落合さんが叫ぶ。

「……、落合さん、…それすっごく嫌です」
「ええ?そういうのも作戦のうちっすよ!作者が好きイコール作品も好き。っていう層も居ますからね」

この人は根っからの商売人だなあなんて感心してしまうくらい。けれど、そんなの考えながら感情をコントロールしたくない。くふくふと楽しそうな落合さんに少し遠い目になる。

「まだ、サインもらえますか」

男性の、聞き覚えのある声が聞こえた。一瞬時間が止まったかのようにも感じて、私はゆっくりと顔を上げる。温かな春の陽ざしを背にして、スーツ姿でない比嘉さんがそこに居た。

「なんだー?比嘉、わざわざ来ないでも、俺がいくらでも貰ってきてやるよ」
「……、いいですよ」

落合さんのからかいの言葉を無視して、私はなんとか声を出すと、落合さんが苦笑して手を振るって去っていった。比嘉さんが近づいて来て、指輪のはめられていない左手でテーブルの上に本を置いた。

「………、お名前、書きますね」

ペンを持つ手が震えた、息が詰まって、どう呼吸していたのかもうまく思い出せない。それでも、自分の手を支えて、ゆっくり時間をかけて比嘉さんへと名前を書いていく、

「っ、っ、う、」

涙が溢れてぽたぽたと本の上に落ちて文字が滲む。歪になりながらも書き上げて比嘉さんに渡すと、私の手ごと包まれた。

「ひが、さん」
「……良かった。すごく、間違いなく深月月子の最高傑作だった」
「っ、」

我慢できずに立ち上がって、二人を隔てていたテーブルを回ってその胸に飛び込んだ。比嘉さんはその背中に優しく触れる。

「会いたかったです」

ぽつりと小さく言葉が漏れて、肩に触れていた手が下に下り、左手が私の手に絡んで小さく体が跳ねた。

「全部受け取った、月子の気持ち」

耳元で囁かれ、顔が熱くなる。全部私の独りよがりな気持ちだったから、受け取られるとは思っていなかった。比嘉さんとはもう会えないかもしれないと覚悟していたから。

「比嘉さん、っ、比嘉さん、」

何を言いたいのか、何を言葉として表したいのか分からずに、目の前の彼の服を握りしめて、見つめる。比嘉さんはふと微笑んで、大きな手で優しく髪を梳いてからそっと唇を重ねた。
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