妖精のような美形魔王は、今日も溺愛してくれます。

嵩矢みこよ

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それから

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「この資料まとめて、明日までにやる余裕ある?」
「大丈夫です」
「ありがとう。よろしくね」

 オフィスの一角でひたすらパソコンと睨めっこをする。渡された資料に目を通して無心でキーボードを叩く。
 当たり前の日常が戻り、決まった時間に起きて決まった電車に乗る生活が戻ってきた。
 前の仕事よりずっとストレスフリー。間違っても社長にちゃぶ台返しはしないで済む。
 給料が前より上がって早く帰れるってのがいいね。何であんな会社で我慢していたのか。もっと早く転職すれば良かった。

「葉山さん、今日飲みどう?」
「いいですね。でもすみません、今日はちょっと遠慮しときます」
「そっかー。残念。また誘うねー」
 同僚の関係も良好。残業が少ないから飲みの回数が多いほど。
 いい職場を見つけたよ。順風満帆。今日も元気でご飯がおいしい。

「今日はお鍋にしようかな」
 スーパーで材料を買って家に戻る。寒い日は人気がなくて寂しい気持ちになるが、部屋に明かりが付いているだけで暖かな気持ちになるのは、一人ではないと感じるからだろうか。
 セルフィーユもそんな気持ちをずっと持っていたのかもしれない。

「ただいま」
 家に帰って誰もいないのについただいまと言うと、にゃあんと最近飼い始めた猫が返事をする。グレーの毛色は光に当たると銀色のように見える。
 道端で丸くなっているそれが誰かを思い出させて手にしたら、妙に頭を擦り付けてくるので、その子を迷わず家に迎えた。
 別にこの子で寂しさを紛らわせているわけではないが、帰ったら迎えてくれる子がいるとホッとする。
「いいこいいこ。今着替えるからちょっと待ってね」

 猫を拾ったばかりで、慣れるまではお酒飲みに行けないかもなあ。なんて同僚の前で言ったら、家族は大事にしてあげて!と熱弁されてしまったので、今日は帰ると言えば、猫の世話だと思われている。事実だけれど。
「はい、ご飯だよー」
 猫にご飯をあげてがっつく姿を眺めてから自分の食事の用意を始める。およそ一人分ではない量の野菜を鍋につっこんで、火にかけた。

 ぐつぐつ、ぐつぐつ。
「いー匂いする」
 窓から入り込んだ大きな図体が、寒そうに近くに寄ってきた。
「窓から入るなって言うか、外で気づかれるように現れないでって言うか…」
「はははー」
 笑いでごまかした男、マルヴィラが味見味見とせがんでくる。
 ぐつ煮されてしんなりしたネギを口に突っ込むと、熱さに悶えた。

「あひいいっっ」
「うむ。よく煮えたね。そろそろいいかも」
「ひろくね!?ひどい!」
 転げ回っているマルヴィラは、魔物だが猫舌なのだろう。いちいちやけどしたと舌を見せてくるけど、どうでもいい。

「ひりひりするー。ちゅーしてくれたら、治る」
「治らないよ!」
 どさくさに紛れてキスをせがんでくるマルヴィラを押しのけて、コンロを設置し鍋を置いた。下茹では完璧なので、ぐつぐつ煮ながら食べたい。
 遠慮なしに向かいに座るマルヴィラがここに訪れたのは、あの世界を離れてから一ヶ月も経たない頃だった。

 セルフィーユが大人しく自分をこちらに帰してくれる時、こっそり跡をつけ道を覚えたらしい。覚えたくらいで来られるのかが疑問だが、マルヴィラはできたようだ。
 窓の外で顔を覗かせてるのを見て、後少しでゴミ箱を投げつけて痴漢と叫ぶところだったが。

 それからマルヴィラはこの時間頃、たまに現れるようになった。
「うまーい」
 ラキティスの手で作られた料理は毒になるのではないのか。
 マルヴィラは気にせずご飯を口に入れる。セルフィーユが大丈夫なのだから、マルヴィラも大丈夫だろう。
 多分。
 エンゲル係数が上がるのだが、野菜をお土産に持ってくることもあるのでそこはチャラだ。
 どこから手に入れているかは問うまい。

「お米、好きねえ」
「うまい。向こうにはない」
 あちらの世界では小麦らしきものはあったのだが、米は手に入らないらしい。そういえばお米は見なかったのを思い出す。
「苗植えたら出てくるのかな」
 あの高地で米ができるのだろうか。いや、持っていっても育てられないけれど。

「もうちょっとしたら実家から新米送られてくるから、もっとおいしいお米食べられるわよ」
「これよりうまいのか!?」
「新米は神ですから」
「神!?」
 魔物の前で神の話はないか。神の話ってわけではないが、マルヴィラはお米をまじまじ眺めている。

 お米はセルフィーユの口に合うだろうか。あの男は出せば何でも好んで食べてくれる気もするが、お茶碗にお箸のイメージが湧かない。
 そう思って頭を振る。
 結局あれからずっと、姿を現すことはなかった。代わりに現れたマルヴィラは食事欲しさに訪れることは多いのだが、セルフィーユは一切ない。
 こちらに連れられる時にも無言だった。
 そう考えれば、こちらに来る気も起きないのだろう。

 少しばかりしんみりしながら、目の前でもしゃもしゃお米を食べている男を見遣る。
「そのお米、いつもと違うお米なんだよね。そんな美味しい?」
「うまい!」
「ならおにぎり作ってあげるから、それ持って帰りな。そんで今日は帰りなさい。私、明日まだ仕事だから」
「人間は大変だな」

 働かなきゃ、お米も買えないのよ。そのお米は抽選で当たったやつだけどね。
 すでに三杯目に入っているお米好き魔物におにぎりを持たせて、帰宅を促す。猫が足元に絡むので、それを撫でながら帰っていった。
 魔物は猫には優しいらしい。同じ人間の姿をしていれば恐れることもないのか、魔物的何かは溢れていないのか、猫にとって自分もマルヴィラも撫でてくれる相手でしかないようだ。

「ほら、おいで」
 いなくなったマルヴィラの背を追うので、こちらに呼ぶ。にゃあんと鳴いて、マルヴィラに擦り寄ったのと同じようにこちらに擦り寄ってくる。
「いいこ、いいこ」
 人の姿をしていても悪魔のような者はいる。魔物のように人を殺す者もいる。
 そう考えれば、人も魔物も何らかわりがない。猫だって気にもしていない。
 だから、魔物だからどうとかと言うのはないのだ。

「気にしてるのはあなたでしょう」
 可哀想な魔王。彼はずっと後悔し続けている。
 私は言いたいことは言った。どうするかはあなたでしょう。

 突然猫が尻尾を立てた。逃げるようにベッドの下に隠れてそっと頭を出す。
 狭い1LDKの部屋にどこぞのアニメのような扉サイズの四角がうっすら現れた。それが明るく光ると扉を開いたかのように四角の中が別の空間になる。
 暖かい春の日差し。少しばかり冷たい空気が流れてきたが、四角の向こうは黄色の花が咲き乱れていた。
 それほど経っていないのに懐かしく思うのは、自分も会いたかったからだろうか。

「凛花」
 どこか遠慮げな小さな声。しかし耳に慣れた聞き心地の良い声音だ。
「何しに来たの?」
「…あなたに、会いに」
「私に?」
「あなたにです。凛花」
 問うている意味は分かるだろう。セルフィーユはこちらを瞬きもせず見つめた。

「ラキティスと共にいるようになって、私はずっと後悔していました。あなたの考えている通り、初めはただ面白い人間がいると近付いたのです。彼女が人間の側にいることが滑稽だと思っていたかもしれません。ですが会うたびに心が苛つくのがわかりました。なぜ人間の側に居続けるのかと」

 セルフィーユは利用されているラキティスが憎らしくなっただろう。自分と重ねて、なぜ利用されながらもそこにいるのだと。

「彼女は気づいていたのでしょう。利用されていても人間の側にいた。しかし、それを私が壊したのです。だから、私を見ながら微笑んでも心から笑うことはなくなりました」
 そうしてラキティスは病に罹った。

「日に日に弱っていく彼女を見るのは辛かったです。私はいつの間にか彼女に惹かれていた。そう気づいたときには、彼女はもう私を見ていなかった。けれど、私は彼女を愛していたのです」
 そう言ってセルフィーユは美しく涙をこぼした。まるで女神のように。

「自分の贖罪のためにラキティスの魂を探したことは間違いありません。けれど、あなたを見て私は安心したのです。彼女とは違う笑顔を持ったあなたを。あなたであれば、私を許してくれるだろうと。けれど、それすらあなたに見透かされていた」
 セルフィーユは跪くとそっと凛花の手を取った。

「あなたはラキティスの生まれ変わりですが、ラキティスと全く同じではない。似ているところがあっても、ラキティスはラキティスで、あなたはあなたです。あなたに赦しを乞うつもりはもうありません。ですが、どうか凛花、私の元にいてくれませんか。私にはあなたが必要なのです」
 セルフィーユはそっと指に口付ける。その薬指に虹色の宝石がついた指輪が現れる。耀く指輪はとても眩いが、凛花はセルフィーユに顔を向けた。

「それはプロポーズ?」
「あなたは嫌がるかもしれませんが」
 セルフィーユは頷きながらこちらを見上げる。真剣な面持ちは子犬のようなセルフィーユでもなく冷えた空気を纏うセルフィーユでもなかった。

 これを言うために時間を掛けたのだろうか。考えに考え抜いてやっと決断したのか。
 いや、と思う。触れている手が微かに震えて、セルフィーユは返事を待っていた。
 勇気を振り絞るのにこれだけ時間が掛かったのだ。

「働き始めたばっかだし新しいマンション契約したばかりで簡単にこっちは離れられないから、セルフィーユが通ってよ?」
「構いません。私が参りますから!」
 セルフィーユが飛び付いてきた。覆うように抱きしめられて、体を預けるようにしがみつく。

「たくさん考えたね。迎えに来ないかと思ってた」
「待っていてくれたんですか?」
「マルヴィラは来るのに、いつまで経っても来ないから」
「あの男はあとで処分しておきます」
 物騒なことを言ってセルフィーユは口付けた。本当はずっと待っていたと言うべきだろうか。絶対に来ると確信していたわけではないが、来ると思って待っていた。

「愛しています。凛花」
「うん。私も、愛してる。セルフィーユ」
 妖精のように美しい魔王様は手が早くてえっちも大好きだけれど、死んだ恋人を探し続けるくらい繊細で愛に深い人だから。

 ただちょっと、溺愛は過ぎる、かな。
 その後押し倒されたのは言うまでもない。うちのベットは狭いから考えものだわ。
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