悪役令嬢の私が姫に転生した件  ――それはいいのですが、なぜ魔王城に幽閉から始まるのですか?

しばたろう

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19 アル=レグナール見聞録

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 ある午後のこと。

 ヴェルハイムにある商人ヴァルスの屋敷では、
 私とヴァルディスが、
 カエデの淹れてくれた紅茶を口にしながら、
 穏やかな談笑を交わしていた。

 ふと、私は以前から胸の奥にあった疑問を思い出す。

(魔族は……どんな場所で暮らしているのだろう?)

 そのまま口に出して尋ねると、
 ヴァルディスは、わずかに目を細めて言った。

「では、一度、見せてやろう」

 こうして私は、
 魔族の住む街を見学させてもらうことになった。

 ふと視線を向けると、
 カエデが目を輝かせてこちらを見ている。

「カエデも来る?」

「よいのですか? 行ってみたいです」

 そうして、彼女も一緒に連れていくことにした。



 案内役はヴァルディス。
 セリスとグラドも同行する。

 屋敷の転移魔方陣を使い、
 まずは魔王城へ。

 カエデは、ここに少しトラウマがあるようで、
 私の袖を掴んで離さなかった。

 ヴァルディスは、そんな私たちを城の高台へと導く。

 そこからは――
 眼下に、城下へ広がる巨大な街並みが一望できた。

 城下町。
 アル=レグナール。

 アウレリア王都ルクシオンと同等、
 いや――それ以上の規模かもしれない。



「さて、街を案内する前に」

 ヴァルディスはそう言って、
 私たちの前に、いくつかの“角”を並べた。
 精巧なレプリカだ。

「人間が来たとなれば、目立つからな」
「この角を付けて、魔族に変装してもらう」

 まず、大きな角を試す。

「……エリシア様」
「それでは、魔族というより、牛です」

 次に、枝分かれした角。

「カエデ。あなたは鹿にしか見えません!」

 キャッキャと騒いだ末、
 結局、短めで可愛らしい角に落ち着いた。



 城下町に降り立った瞬間、
 私は、空気の違いを肌で感じた。

 まず、建物の形が違う。

 アウレリア王都のような、
 白い石造りの整然とした街並みではない。

 ここでは――
 石、煉瓦、日干し煉瓦、木材が混在している。

 壁は分厚く、窓は小さい。
 外壁は淡い砂色や赤褐色が多く、
 ところどころに幾何学模様の装飾が刻まれている。

 屋根は高く、
 緩やかなドーム状のものもあれば、
 雨や雪を流すための急勾配の屋根もある。

 美しさよりも、
 暑さ、寒さ、風、砂塵に耐えることを優先した建築だった。



 街路は、碁盤目状ではない。

 曲がり、折れ、重なり合い、
 まるで人の暮らしが自然に積み重なってできたような形だ。

 だが、不思議と歩きにくくはない。

 日陰が連なり、
 水場が等間隔に配置され、
 露店と工房が、生活動線に沿って並んでいる。

 ――意図していなくとも、結果として計算されている。

 秩序ではなく、
 経験の積み重ねによる合理性。



 人々の服装も、アウレリアとは違っていた。

 豪奢な貴族服は少ない。
 だが、誰もみすぼらしくは見えない。

 長衣や外套が多く、
 色は深い藍、砂色、焦げ茶、濃緑。

 装飾は控えめだが、
 腰帯や留め具、靴には、
 しっかりとした金属が使われている。

 ――実用品だ。

 作業にも、商談にも、
 いざという時には戦闘にも耐える服装。



 私たちは、市場へと向かった。

 石畳の通りの両脇に、
 木と石を組み合わせた屋台や常設店が密集している。

 屋根は完全な建物ではなく、

 布の天幕。
 編んだ葦の庇。
 木枠に布を張った簡易屋根。

 それらが連なり、
 強い日差しを柔らかく遮っていた。

 焼き肉の脂がはぜる香り。
 クミンやコリアンダーの乾いた刺激。
 甘い果実と蜂蜜。
 革製品と木材の匂い。

 ――生きている匂い。

 並ぶのは、

 香辛料の山。
 平焼きパンの籠。
 鉄製の鍋や農具。
 織物、絨毯、革袋。
 簡素だが丈夫な工具。

 贅沢品よりも、
 「毎日の生活に必要なもの」が主役だった。

 石と布と人の熱が混じり合い、
 この市場そのものが、
 一つの生き物のように感じられる。

 王都ルクシオンの整然とした市とは違う。
 だが――
 こちらの方が、よほど「国が動いている」気がした。



 屋台で、私たちは食べ歩いた。

 まずは、
 香草焼き肉のフラットブレッド包み。

 屋台の鉄板で焼かれた細切り肉を、
 クミン、コリアンダー、にんにく、塩だけで味付け。
 薄く焼いた平たいパンに包み、
 刻み玉ねぎと、少し酸味のあるヨーグルトソース。

 ひと口かじった瞬間――
 香ばしさと肉汁が、一気に広がる。

「……なにこれ。おいしい……!」

 続いて、
 ひよこ豆と香辛料の揚げ団子。

 外はカリッと、中はほくほく。

 豆の甘みとスパイスの香りが立ち、
 レモンをひと搾りされて手渡される。

「豆なのに、お肉みたい……?」

 そして、
 羊乳ヨーグルトにはちみつとナッツ。

 濃厚で、ほのかな酸味。
 琥珀色のはちみつが、やさしく溶ける。

「甘すぎないのが、いいわね……」

 私もカエデも、すっかり満足だった。

 だが――
 何より私たちを虜にしたのは、
 『ドーナツ』――そう呼ばれる揚げ菓子。

 目の前で揚げられ、
 砂糖をたっぷりまぶして渡される。

 アウレリアには、ない。

「あっまい。おいしい!」
 カエデのほっぺが落ちる。

「こ、これは!」
 私のほっぺも落ちた。



 そのとき、
 セリスが静かに忠告した。

「お気を付けください」
「その食べ物は……悪魔の食べ物です」

 私とカエデは、同時にごくりと喉を鳴らす。

「……食べ過ぎると」

 セリスは、にこりともせず告げた。

「――あっという間に、太ります」

「「キャーーーー!」」

 私とカエデの悲鳴が、
 アル=レグナールの市場に、響き渡った。



 市場には、生活必需品だけでなく、
 思わず足を止めてしまうような“かわいいもの”も溢れていた。

 色とりどりの石をはめ込んだ耳飾り。
 細かな彫刻が施された指輪。
 革紐に小さな金属飾りを通した首飾り。

 アウレリアでは見かけない、
 どこか異国めいた意匠のアクセサリーばかりだ。

「こういうデザイン、魔族特有ですよ?」
「えっ、かわいい!」
「こっちも……!」

 私とカエデ、セリスは、
 あちらでキャッキャ、こちらでキャッキャ。

 気づけば完全に――
 女子会と化していた。



 すると、そんな私たちに、
 魔族の若い男の子たちが、何度となく声を掛けてくる。

「どこ行くの?」
「みんな、かわいいね」
「このあと、どう? おれたちと――」

 軽い調子。
 悪意はないが、距離感も近い。

 そのたびに。

 ――すっ。

 グラドが、私たちの背後へ立つ。
 影が、彼らを覆った。

 そそり立つ大男。
 無言。
 無表情。

 そして――

 ぎろり。

 たったそれだけで。

「あ……」
「す、すみません!」

 魔族の少年たちは、
 蜘蛛の子を散らすように去っていった。



 私は、思わず小さく息を吐く。

「……こういうのは」
「人間の街も、魔族の街も、同じなのね」

 ――異文化でも、
 人の営みは、驚くほど似ている。

 そんなことを思いながら、
 私たちはまた、次の屋台へと向かった。
 


 夜。
 私たちは、市場から少し離れた石造りの食堂に入った。

 外観は素朴だが、中は思いのほか広い。
 低い天井から吊るされた灯りが、
 琥珀色の光となって、店内をやわらかく満たしている。

 豆と野菜の濃いスープ。
 炭火で焼かれた肉料理。
 香辛料の香る米料理。

 昼の屋台とはまた違う、
 落ち着いた味わいに、自然と会話も穏やかになる。

 食事がひと段落した頃、
 ヴァルディスが、湯気の立つ杯を置いて言った。

「どうだった。魔族の街は」
「だいぶ、楽しんだようだが」

 私は少し考えてから、肩をすくめる。

「そうね」

 食べて、買い物して……
 ほんとに、ただ楽しんだだけ、って感じだ。

 でも――

 昼の賑やかさ。
 夜の静けさ。
 働き、笑い、食べ、休む――人々の営み。

 私は、ふと気づく。

 ――魔族の街も、
 ちゃんと「暮らし」の延長線にあるのだ、と。

 特別でも、異質でもない。
 ただ、生きている場所。

 私は、ヴァルディスを見て、静かに言った。

「人も魔族も……変わらないって、思ったわ」

 その言葉に、
 ヴァルディスはすぐには答えなかった。

 だが、ほんのわずか――
 満足そうに、目を細めた気がした。
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