4 / 26
1:突然の知らせ
しおりを挟む
まどろみから、ゆっくりと意識が浮上する。薄く開けた瞼から映るは、いつもと同じ風景。『緑牙ノ騎士団』寮、ヴィアン・ソロディアの部屋の天井だ。しかし、この日は少し違った。ぼんやりと、かすんでいるような、にじんでいるような感じがした。
目ぼけているせいかと思って目をこすると、指先が濡れる。どうやら泣いていたようだ。いい年して、悪い夢でも見たかと形の良い眉を寄せる。夢の内容は思い出せなかったが、夢なんてそんなものかと、特に気にしなかった。
「くぁ…っ」
大きなあくびを一つして、ヴィアンはカーテンを勢い良く開ける。部屋には陽が差し込み、麗らかな初夏の朝の訪れを知らせていた。
ヴィアンは、顔にかかる真珠色の髪をかき上げ、そのまま後ろ髪と一緒に下の方で長い髪を三つ編みにする。前髪の下から現れた顔は、秀麗で、どことなく儚げだ。白っぽい睫毛に眉。海と空を溶かし込んだ碧の瞳。目元は涼しげで、少し釣り上がった眉は、怜悧さを漂わしている。美丈夫というよりも、美人といった方がしっくりくる顔立ちである。ニゥアンスの問題だが、この場合はあっているだろう。
「ヴィアン、ヴィアン・ソロディア。起きてるか?」
身支度を終えた頃に、軽いリズムで部屋のドアがノックされた。
「ええ、起きてますよ」
ヴィアンは、ドアを開ける。
姿を現したのは、見上げてしまうほどの大柄な体躯に明るい茶色の髪をした若者だった。ヴィアンの同僚、サム・バルエットである。サムはいつものように、愛嬌のある笑顔を見せていた。
「どうしたんですか、サム。珍しいですね」
ヴィアンが不思議そうに尋ねると、サムは悪戯小僧さながらに笑みを深めた。
「な、何ですか?」
ヴィアンは怪訝そうに眉を寄せる。
サムは、そんなヴィアンの反応に満足したのか、うんうんと大いに頷いた。
それを見て、ヴィアンは後ろに二、三歩退る。ちょっと離れておいた方がいいと、直感が知らせたのである。
「おいおい、どうして退る」
「いや…、ちょっと」
ヴィアンはさりげなく視線を逸らす。
「ふ~ん? まぁいい。ヴィアン、あんたにいい知らせを持って来たんだ」
「何です、もったいぶって。朝っぱらから他人の私室に押しかけてまで話す必要のある話なんですか?」
「悪かったな、せっかくの平和な朝の一時を邪魔して」
サムは、まったく、とでも言いたげに溜息をついたが、そうしたいのは私の方だとヴィアンは思った。
「それで? その重要なお話というのは?」
「ああ、それがだな」
サムはまたもやもったいぶって、コホンと一つ咳をして見せた。
「早く」
ヴィアンに急かされ、こういうのはムードが大事なんだとか何とか言いながらも、サムは事を告げる。
「はいはい。―――ヴィアン、あんた『葵ノ騎士団』団長に昇格したぞ」
数秒の沈黙が落ちる。
「ん?」
「昇格したぞ」
「ではなくて、え、え? 『葵』の?」
「団長に昇格」
「は? は、え、えぇ?」
ヴィアンには珍しく、事に頭がついてい行っていないようである。変な声を出しては、同じ言葉を繰り返していた。
「驚くのも無理ないよなぁ……。なんだって『葵』、しかも団長。俺だって驚いた」
「そうです。『葵』の、しかも団長? ……あ、分かりました。悪い冗談ですね? からかうのはやめてください」
ヴィアンは得心のいったように頷いたが、サムは知った顔でフルフルと首を振る。
「あんたをからかえる人間なんて、それこそ――『ここの団長のおっさんくらいなもんだぜ? そんな怖いもの知らず、入団一か月でいなくなってる」
「どういう意味ですか」
「まぁまぁ、――言っとくが、この話は冗談じゃない。まったくの偽りなし、正真正銘の事実だ」
また、数秒の沈黙が落ちる。
「―――と、言うことは?」
「『緑牙の騎士団』団長第二補佐官ヴィアン・ソロディア、勅命により、貴殿を『葵ノ騎士団』団長に任命する」
サムが、王都から来たと言う使者の真似をして言う。なかなか似ている。
「そう、そうですか。『葵ノ騎士団』団長に就任。ふん、そうですか。―――って、ええぇぇええええぇええ!?」
ヴィアンは、サムの物まねを吟味するように頷いてから、現実逃避とばかりに思いっきり叫んだ。
「あんたが叫ぶなんて、今日は驚きの連続だな」
サムは、硬く耳をふさぎながら、そうぼやいた。
「ななな何で、私が? 『葵ノ騎士団』団長に? ドルッセン様はどうしたんです?」
「ん? ああ、亡くなったらしい」
「は!? ど、どうして……」
「ご高齢だったからな。なんでも、頓死したらしい。まあ、頓死っつても、暗殺じゃないかって噂もある」
「そんな―――」
―――ドルッセン・バルドロイ。
二十年前、この国ロンネーナ王国と東の隣国サウジンカ皇国間での大戦が起きた。戦況はロンネーナが不利にあり、国民の大半がロンネーナの滅亡を見ていた。しかし、そんな戦場にさっそうと現れた一人の武将がいた。武将は僅か数十人の、戦では物の数に入らない部隊を率いり、まさかのどんでん返しにロンネーナ王国を戦に勝たせてしまった。
その(規格外な)武将こそが、ドルッセン・バルドロイである。ドルッセンは、この功績で王都と王族を守護する『葵ノ騎士団』団長に任命され、昨今までロンネーナのみならず、周辺諸国にまでその名を轟かした。ロンネーナ王国全騎士の憧れであり目標。『葵ノ騎士団』団員に至っては、もはや崇拝の域だという。当時戦場になった最東端に位置するこの地を守護する『緑牙の騎士団』の中でも当時を知る者は、ドルッセ・バルドロイを神格化する事は多いらしい。
そのロンネーナ最強の騎士が――
「亡くなった?」
ヴィアンは、サムの台詞をオウム返しに口にする。
「驚愕ものだよなぁ。あの、ドルッセン・バルドロイが、いとも簡単に死んだなんてよ。所詮人間か。寄る年波には勝てなかったってことか。残念だな」
わかるわかる、と、サムは人差し指で顎を叩く。
「それで、どうして私が団長に任命されたことにつながるんでしょうかね」
ドルッセンを失った驚愕と虚無感から、何とか立ち直ったヴィアンは、はたと原点に戻る。
「どうやら、かの御仁が遺言書を残していたらしい」
「そこに私の名が書かれていたと?」
ヴィアンは、またからかわれてたまるかと、サムを胡散臭げに見やった。
「そんな顔をしないでくれ。俺だって伝え聞いた話なんだからよ」
サムは、バリバリと頭をかく。
「そうですよねぇ……。しかし、どうにも胡散臭い。はっ、まさかサウジンカの陰謀!?」
「まだ言うかっ! 使者はほんもんだったぜ」
ヴィアンの的外れにもほどがある憶測は、サムによりバッサリとぶった切られた。『緑牙の騎士団』団長第一補佐官であるサムは、使者が『緑牙の騎士団』団長にあっているその場にいたのである。
「ぐぅん……。やはり現実なんですか? 変な夢とかじゃないでしょうね?」
「違う違う。はっきりと現実だ。………………さっきから不思議なんだが、何がそんなに嫌なんだ。昇格だぜ? 普通喜ぶところだろ」
サムの素朴で当たり前の質問に、ヴィアンは人差し指を立てて答えた。
「わかってませんねぇ。役職なんてものは、雑用係の名称なんですよ?」
「んなわけあるかいっ! どういう認識してんだよ、まったく」
「そうですか? 意外と的を射てると思うんですけどね。団長になったら雑務は増え、体を動かす時間も取りずらくなり、机と向き合ってひたすら書類確認をする毎日…………。耐えられます?」
「うぐ………っ」
サムは言葉に詰まった。自分だったら絶対に耐えられそうにない。一週間も持たずに、精神が崩壊するだろう。今やってる補佐官だけでもうんざりしているのに、これ以上デスクワークが増やされてたまるか。サムは、ヴィアンの意見に一票入れるしかなかった。
「間違ってないと思うんですが」
「……そ、そうだな…………。何でか、そんな気がしてきた」
「それが正解だと思います」
うんうんと、今度はヴィアンは満足げに首を振る。
「―――それで、冗談じゃないんですよね? その話」
「うむ。まごう事無き事実だな。残念ながら、と言っていいものかどうか分からんが」
ヴィアンは、無言で壁に手をつく。普段なら神秘的に見えるヴィアンの銀髪が、サムには寒空に悲しく浮かぶ雲に見えた。
「…………。ヴィアン、いい解決方法があるんだが――聞くか?」
「教えてください」
藁にでもすがりたい気分なヴィアンである。
「何なら土下座でもしましょうか?」
と、膝を折るとさすがにサムに止められた。今の彼の目は、世にも奇妙なものを見た時の目だったという。
「頼むから、いつもの調子取り戻してくれ。気味が悪い」
「酷いですね。今の私は、勅命回避のためなら何でもできますよ、きっと」
「それ下手したら、反逆罪で捕まるぞ? 逮捕されるんだったら、『緑牙ノ騎士団』管轄外で頼むな。後処理が面倒だ」
「貴方も、大概酷い人格してると思うのですが、私だけでしょうか」
さすがは同期の仲というか、二人ともお互いに対して、結構ずばずばものを言うタイプだった。
「―――で、いい解決方法というのは?」
「あ? あ、え~っとだなぁ」
「何どもってるんですか。教えて下さいよ」
「ま、待て。話をまとめる」
「まとまってなかったんですか」
言えなかった、口が裂けても言えなかった。勅命回避のためならば、同僚に土下座もいとわないヴィアンに、まさか…………
(―――諦めろ、なんて言えるわけねぇ……)
今更ながら、ちょっとした後悔の念が波打ってくる。これから人をからかう時は、こいつみたいな奴は避けよう、とサムは自分自身に誓った。
「あぁ~……。サッキノ会話デ吹ッ飛ジマッタナァ~。アハハハハハ……ハハ
……ハ……」
「妙に棒読みですね。実は、なぁんにも考えてなかったんじゃないですか?」
それよりもおそらくなお悪いなどとは、やはり口が裂けても言えない。
「あっ、そうそう。ヴィアン、正式に任命されるのは後日シャフールの月の三日目だそうだぜ?」
やや強引に話題を変えたサム。それに対して、ヴィアンはくわっと緑目を見開いた。
「それを早く言って下さいよっ!! 時間がないじゃないですかぁ!!!」
シャフールの月の三日目は、ほんの十日後だった。『緑牙の騎士団』の本部がある東の端の辺境都市ブリカンデルから王都まで片道、馬で行ったら七日、最低でも五日である。それが、今回は引っ越しをするようなものなので、当然荷物がそれなりにある。よって、当然馬車で行くことになる。馬車で行くとなると、九日、飛ばしても八日は必要だ。それに荷物をまとめる時間を足すと…………。
「最短で見積もっても、王都についた当日に、就任式じゃないですかぁあああぁあぁっっ!!」
「そうなるなぁ」
「どうせ、他人事ですもんね。その冷静さが今の私には、随分と羨ましく思えてなりませんよ、まったく」
憤然としながらも、ヴィアンはくるりと向きを変える。ここが私室の目の前だったことを思い出したのだ。
「皆さんには、事の次第の説明よろしくお願いします」
「安心しな、もうしてある」
「相変わらず、仕事が早いもので」
「まぁな。こう見えても一応、第一補佐官を承ってますんで」
ヴィアンの皮肉は、サムの皮肉に反撃された。その皮肉が、誰に向けられたものかは、二人の間で言う必要はなかった。
「そういや、お前第二補佐官に任命された時も嫌々だったな」
ふと、サムは二年前にもこんなことがあったなと思いだした。
「当たり前です。―――さっき言ったでしょう?」
トランクケースを引っ張り出しながら、ヴィアンが言う。
「…………本当にそれだけか?」
「―――どういう意味です?」
サムの声色に比例するように、ヴィアンの声色もまた鋭くなる。慌ただしく動いていた手も、ぴたりと動かなくなる。それは、明らかに拒絶の意を示していた。サムはそこに、触れてはいけないものを見出した。彼は、自分の考えを振り払うように頭を振る。
「………。いや、何でもない……。気にしないでくれ」
「そうですか」
サムがあっさり引いたのを見て、訝しみつつもヴィアンは作業に戻った。正直言って、そんなことにかまっていられるだけの時間も無いともいえるが。
「そろそろ朝礼の時間じゃないですか? 早くしないと遅れますよ」
「もうそんな時間か」
「私は今日中に出ないと間に合わなので、朝礼には出られないと団長に伝えておいて下さい」
「分かった」
お互い時間に追われる者同士、ヴィアンとサムはそれぞれやるべきことをするために別れたのだった。
目ぼけているせいかと思って目をこすると、指先が濡れる。どうやら泣いていたようだ。いい年して、悪い夢でも見たかと形の良い眉を寄せる。夢の内容は思い出せなかったが、夢なんてそんなものかと、特に気にしなかった。
「くぁ…っ」
大きなあくびを一つして、ヴィアンはカーテンを勢い良く開ける。部屋には陽が差し込み、麗らかな初夏の朝の訪れを知らせていた。
ヴィアンは、顔にかかる真珠色の髪をかき上げ、そのまま後ろ髪と一緒に下の方で長い髪を三つ編みにする。前髪の下から現れた顔は、秀麗で、どことなく儚げだ。白っぽい睫毛に眉。海と空を溶かし込んだ碧の瞳。目元は涼しげで、少し釣り上がった眉は、怜悧さを漂わしている。美丈夫というよりも、美人といった方がしっくりくる顔立ちである。ニゥアンスの問題だが、この場合はあっているだろう。
「ヴィアン、ヴィアン・ソロディア。起きてるか?」
身支度を終えた頃に、軽いリズムで部屋のドアがノックされた。
「ええ、起きてますよ」
ヴィアンは、ドアを開ける。
姿を現したのは、見上げてしまうほどの大柄な体躯に明るい茶色の髪をした若者だった。ヴィアンの同僚、サム・バルエットである。サムはいつものように、愛嬌のある笑顔を見せていた。
「どうしたんですか、サム。珍しいですね」
ヴィアンが不思議そうに尋ねると、サムは悪戯小僧さながらに笑みを深めた。
「な、何ですか?」
ヴィアンは怪訝そうに眉を寄せる。
サムは、そんなヴィアンの反応に満足したのか、うんうんと大いに頷いた。
それを見て、ヴィアンは後ろに二、三歩退る。ちょっと離れておいた方がいいと、直感が知らせたのである。
「おいおい、どうして退る」
「いや…、ちょっと」
ヴィアンはさりげなく視線を逸らす。
「ふ~ん? まぁいい。ヴィアン、あんたにいい知らせを持って来たんだ」
「何です、もったいぶって。朝っぱらから他人の私室に押しかけてまで話す必要のある話なんですか?」
「悪かったな、せっかくの平和な朝の一時を邪魔して」
サムは、まったく、とでも言いたげに溜息をついたが、そうしたいのは私の方だとヴィアンは思った。
「それで? その重要なお話というのは?」
「ああ、それがだな」
サムはまたもやもったいぶって、コホンと一つ咳をして見せた。
「早く」
ヴィアンに急かされ、こういうのはムードが大事なんだとか何とか言いながらも、サムは事を告げる。
「はいはい。―――ヴィアン、あんた『葵ノ騎士団』団長に昇格したぞ」
数秒の沈黙が落ちる。
「ん?」
「昇格したぞ」
「ではなくて、え、え? 『葵』の?」
「団長に昇格」
「は? は、え、えぇ?」
ヴィアンには珍しく、事に頭がついてい行っていないようである。変な声を出しては、同じ言葉を繰り返していた。
「驚くのも無理ないよなぁ……。なんだって『葵』、しかも団長。俺だって驚いた」
「そうです。『葵』の、しかも団長? ……あ、分かりました。悪い冗談ですね? からかうのはやめてください」
ヴィアンは得心のいったように頷いたが、サムは知った顔でフルフルと首を振る。
「あんたをからかえる人間なんて、それこそ――『ここの団長のおっさんくらいなもんだぜ? そんな怖いもの知らず、入団一か月でいなくなってる」
「どういう意味ですか」
「まぁまぁ、――言っとくが、この話は冗談じゃない。まったくの偽りなし、正真正銘の事実だ」
また、数秒の沈黙が落ちる。
「―――と、言うことは?」
「『緑牙の騎士団』団長第二補佐官ヴィアン・ソロディア、勅命により、貴殿を『葵ノ騎士団』団長に任命する」
サムが、王都から来たと言う使者の真似をして言う。なかなか似ている。
「そう、そうですか。『葵ノ騎士団』団長に就任。ふん、そうですか。―――って、ええぇぇええええぇええ!?」
ヴィアンは、サムの物まねを吟味するように頷いてから、現実逃避とばかりに思いっきり叫んだ。
「あんたが叫ぶなんて、今日は驚きの連続だな」
サムは、硬く耳をふさぎながら、そうぼやいた。
「ななな何で、私が? 『葵ノ騎士団』団長に? ドルッセン様はどうしたんです?」
「ん? ああ、亡くなったらしい」
「は!? ど、どうして……」
「ご高齢だったからな。なんでも、頓死したらしい。まあ、頓死っつても、暗殺じゃないかって噂もある」
「そんな―――」
―――ドルッセン・バルドロイ。
二十年前、この国ロンネーナ王国と東の隣国サウジンカ皇国間での大戦が起きた。戦況はロンネーナが不利にあり、国民の大半がロンネーナの滅亡を見ていた。しかし、そんな戦場にさっそうと現れた一人の武将がいた。武将は僅か数十人の、戦では物の数に入らない部隊を率いり、まさかのどんでん返しにロンネーナ王国を戦に勝たせてしまった。
その(規格外な)武将こそが、ドルッセン・バルドロイである。ドルッセンは、この功績で王都と王族を守護する『葵ノ騎士団』団長に任命され、昨今までロンネーナのみならず、周辺諸国にまでその名を轟かした。ロンネーナ王国全騎士の憧れであり目標。『葵ノ騎士団』団員に至っては、もはや崇拝の域だという。当時戦場になった最東端に位置するこの地を守護する『緑牙の騎士団』の中でも当時を知る者は、ドルッセ・バルドロイを神格化する事は多いらしい。
そのロンネーナ最強の騎士が――
「亡くなった?」
ヴィアンは、サムの台詞をオウム返しに口にする。
「驚愕ものだよなぁ。あの、ドルッセン・バルドロイが、いとも簡単に死んだなんてよ。所詮人間か。寄る年波には勝てなかったってことか。残念だな」
わかるわかる、と、サムは人差し指で顎を叩く。
「それで、どうして私が団長に任命されたことにつながるんでしょうかね」
ドルッセンを失った驚愕と虚無感から、何とか立ち直ったヴィアンは、はたと原点に戻る。
「どうやら、かの御仁が遺言書を残していたらしい」
「そこに私の名が書かれていたと?」
ヴィアンは、またからかわれてたまるかと、サムを胡散臭げに見やった。
「そんな顔をしないでくれ。俺だって伝え聞いた話なんだからよ」
サムは、バリバリと頭をかく。
「そうですよねぇ……。しかし、どうにも胡散臭い。はっ、まさかサウジンカの陰謀!?」
「まだ言うかっ! 使者はほんもんだったぜ」
ヴィアンの的外れにもほどがある憶測は、サムによりバッサリとぶった切られた。『緑牙の騎士団』団長第一補佐官であるサムは、使者が『緑牙の騎士団』団長にあっているその場にいたのである。
「ぐぅん……。やはり現実なんですか? 変な夢とかじゃないでしょうね?」
「違う違う。はっきりと現実だ。………………さっきから不思議なんだが、何がそんなに嫌なんだ。昇格だぜ? 普通喜ぶところだろ」
サムの素朴で当たり前の質問に、ヴィアンは人差し指を立てて答えた。
「わかってませんねぇ。役職なんてものは、雑用係の名称なんですよ?」
「んなわけあるかいっ! どういう認識してんだよ、まったく」
「そうですか? 意外と的を射てると思うんですけどね。団長になったら雑務は増え、体を動かす時間も取りずらくなり、机と向き合ってひたすら書類確認をする毎日…………。耐えられます?」
「うぐ………っ」
サムは言葉に詰まった。自分だったら絶対に耐えられそうにない。一週間も持たずに、精神が崩壊するだろう。今やってる補佐官だけでもうんざりしているのに、これ以上デスクワークが増やされてたまるか。サムは、ヴィアンの意見に一票入れるしかなかった。
「間違ってないと思うんですが」
「……そ、そうだな…………。何でか、そんな気がしてきた」
「それが正解だと思います」
うんうんと、今度はヴィアンは満足げに首を振る。
「―――それで、冗談じゃないんですよね? その話」
「うむ。まごう事無き事実だな。残念ながら、と言っていいものかどうか分からんが」
ヴィアンは、無言で壁に手をつく。普段なら神秘的に見えるヴィアンの銀髪が、サムには寒空に悲しく浮かぶ雲に見えた。
「…………。ヴィアン、いい解決方法があるんだが――聞くか?」
「教えてください」
藁にでもすがりたい気分なヴィアンである。
「何なら土下座でもしましょうか?」
と、膝を折るとさすがにサムに止められた。今の彼の目は、世にも奇妙なものを見た時の目だったという。
「頼むから、いつもの調子取り戻してくれ。気味が悪い」
「酷いですね。今の私は、勅命回避のためなら何でもできますよ、きっと」
「それ下手したら、反逆罪で捕まるぞ? 逮捕されるんだったら、『緑牙ノ騎士団』管轄外で頼むな。後処理が面倒だ」
「貴方も、大概酷い人格してると思うのですが、私だけでしょうか」
さすがは同期の仲というか、二人ともお互いに対して、結構ずばずばものを言うタイプだった。
「―――で、いい解決方法というのは?」
「あ? あ、え~っとだなぁ」
「何どもってるんですか。教えて下さいよ」
「ま、待て。話をまとめる」
「まとまってなかったんですか」
言えなかった、口が裂けても言えなかった。勅命回避のためならば、同僚に土下座もいとわないヴィアンに、まさか…………
(―――諦めろ、なんて言えるわけねぇ……)
今更ながら、ちょっとした後悔の念が波打ってくる。これから人をからかう時は、こいつみたいな奴は避けよう、とサムは自分自身に誓った。
「あぁ~……。サッキノ会話デ吹ッ飛ジマッタナァ~。アハハハハハ……ハハ
……ハ……」
「妙に棒読みですね。実は、なぁんにも考えてなかったんじゃないですか?」
それよりもおそらくなお悪いなどとは、やはり口が裂けても言えない。
「あっ、そうそう。ヴィアン、正式に任命されるのは後日シャフールの月の三日目だそうだぜ?」
やや強引に話題を変えたサム。それに対して、ヴィアンはくわっと緑目を見開いた。
「それを早く言って下さいよっ!! 時間がないじゃないですかぁ!!!」
シャフールの月の三日目は、ほんの十日後だった。『緑牙の騎士団』の本部がある東の端の辺境都市ブリカンデルから王都まで片道、馬で行ったら七日、最低でも五日である。それが、今回は引っ越しをするようなものなので、当然荷物がそれなりにある。よって、当然馬車で行くことになる。馬車で行くとなると、九日、飛ばしても八日は必要だ。それに荷物をまとめる時間を足すと…………。
「最短で見積もっても、王都についた当日に、就任式じゃないですかぁあああぁあぁっっ!!」
「そうなるなぁ」
「どうせ、他人事ですもんね。その冷静さが今の私には、随分と羨ましく思えてなりませんよ、まったく」
憤然としながらも、ヴィアンはくるりと向きを変える。ここが私室の目の前だったことを思い出したのだ。
「皆さんには、事の次第の説明よろしくお願いします」
「安心しな、もうしてある」
「相変わらず、仕事が早いもので」
「まぁな。こう見えても一応、第一補佐官を承ってますんで」
ヴィアンの皮肉は、サムの皮肉に反撃された。その皮肉が、誰に向けられたものかは、二人の間で言う必要はなかった。
「そういや、お前第二補佐官に任命された時も嫌々だったな」
ふと、サムは二年前にもこんなことがあったなと思いだした。
「当たり前です。―――さっき言ったでしょう?」
トランクケースを引っ張り出しながら、ヴィアンが言う。
「…………本当にそれだけか?」
「―――どういう意味です?」
サムの声色に比例するように、ヴィアンの声色もまた鋭くなる。慌ただしく動いていた手も、ぴたりと動かなくなる。それは、明らかに拒絶の意を示していた。サムはそこに、触れてはいけないものを見出した。彼は、自分の考えを振り払うように頭を振る。
「………。いや、何でもない……。気にしないでくれ」
「そうですか」
サムがあっさり引いたのを見て、訝しみつつもヴィアンは作業に戻った。正直言って、そんなことにかまっていられるだけの時間も無いともいえるが。
「そろそろ朝礼の時間じゃないですか? 早くしないと遅れますよ」
「もうそんな時間か」
「私は今日中に出ないと間に合わなので、朝礼には出られないと団長に伝えておいて下さい」
「分かった」
お互い時間に追われる者同士、ヴィアンとサムはそれぞれやるべきことをするために別れたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
白いもふもふ好きの僕が転生したらフェンリルになっていた!!
ろき
ファンタジー
ブラック企業で消耗する社畜・白瀬陸空(しらせりくう)の唯一の癒し。それは「白いもふもふ」だった。 ある日、白い子犬を助けて命を落とした彼は、異世界で目を覚ます。
ふと水面を覗き込むと、そこに映っていたのは―― 伝説の神獣【フェンリル】になった自分自身!?
「どうせ転生するなら、テイマーになって、もふもふパラダイスを作りたかった!」 「なんで俺自身がもふもふの神獣になってるんだよ!」
理想と真逆の姿に絶望する陸空。 だが、彼には規格外の魔力と、前世の異常なまでの「もふもふへの執着」が変化した、とある謎のスキルが備わっていた。
これは、最強の神獣になってしまった男が、ただひたすらに「もふもふ」を愛でようとした結果、周囲の人間(とくにエルフ)に崇拝され、勘違いが勘違いを呼んで国を動かしてしまう、予測不能な異世界もふもふライフ!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる