R18 短編集

上島治麻

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あでやかに舞う白い指。陽士の視線を捉えて離さないその爪先が、そっと屹立した頂点に留まる。

「……っ」

 思わずごくりと喉を鳴らした陽士の、血色に染まった耳元で、晃は囁いた。

「こういうのは、はじめて?」

「ふ……ぁ……」

 すでにあからさまに初心な反応を見せてしまっている陽士は、いまさら嘘をつけるはずもなく、静かに頷いた。

「そっか」

 その素直な反応に、晃は慈しむような視線を向ける。

「じゃあ、ずうっと待ってたのかな」

「あ……っ」

「こうやって誰かに触ってもらえるの」

 人差し指と中指の二本でやさしく乳首を挟まれて、陽士の身体が歓喜に震える。

「あぁッ」

「かわいいね、羽島くん。──困ったな、ちょっと意地悪したくなっちゃうよ」

 やさしくほほえみながら、晃はその頬に触れるだけのキスをした。





 待ち合わせの約束はメッセージアプリ越しだった。寝違えた腰を診てもらった別れ際、「よかったら」と晃から手渡された名刺。整骨院の情報とフルネームが記されたその紙片に走り書きされたアプリのIDを無視してしまうことも、もちろん可能だった。腰は、翌日にはほとんど気にならないほど順調に回復し、再診する必要もなかったのだから。そのまま忘れ去ることも可能だった……あの日のことは。

 そうしなかったのは、陽士自身の選択にほかならない。昔から奥手であるはずの自分が驚くべきことだが、陽士は翌日の夕方、初めての集団面接を無事に終えた勢いも手伝って自ら晃に連絡を入れた。

"昨日はありがとうございました。予定もうまくいきました"

 メッセージはその夜には既読になり、そしてすぐに返ってきた。簡素で面白みのない送信テキストからすべてを汲み取ったように

"こんばんは、羽島さん。その後、痛みはありませんか。よければ近いうちにコーヒーでも飲みに行きましょう。ご都合教えてください"

 晃は単刀直入に約束を取り付けた。そのさまは、いかにも物慣れた印象で。恐らくはこれまでにも同好の士とこうしたやり取りを重ねてきたのではないか、と想像し、そのイメージに慌ててかぶりを振った。

 同時に思い出す。ひそかに抱き続けた内なる思い──「だれかにさわってほしい」という、ひとに告げるつもりのなかった欲求を彼に見透かされた瞬間を。

『随分、気持ちよさそうでしたね。お好きなんですか』

 晃の指先。白く美しい指先で辿られて、ぞくりと感じてしまった。あの掌で、指先で、さわってほしい……

『実はわたしもなんですよ。"触る"方ですが。ご希望でしたら』

 その一幕を改めて思い返せば激しい羞恥心に駆られ、陽士はひとり、手近なクッションに顔をうずめて身悶えた。





 晃が指定したカフェのテラス席で、ふたりは再会した。手持ち無沙汰にならないようにと持ってきた文庫本を広げてはみたものの、内容などまったく入らず緊張で固まっていた陽士の前に、晃は少し遅れて現れた。

「お待たせしてすみません」

「い、いえっ」

 カットソーにストレートパンツというシンプルな装いではあったが、改めて見れば、とても整った顔立ちの男であることに気づく。

 もうちょっと、マトモな格好してくればよかった……

 普段どおりのデニムにパーカーという、いかにも学生らしい格好の自分と引き比べてしまい、陽士はひっそり後悔した。カラーもパーマもしていない黒髪で、さほど手をかけた印象でないのは同じなのに、晃のそれはどことなく艷やかで、やはり自分とは違うと感じてしまう。

「本、好きなんですか」

「え、えっと……いや、そんなでもないです」

 文庫の表紙に視線を流されて、覆い隠すように慌ててしまいこむ。昨年映画化された女流作家による若者向けの恋愛小説だが、男が読むにしては少し夢見がちに映るのではないか、と。読書は数少ない陽士の趣味だが、手に取るのは読みやすいミーハーなものばかりで、本好きと言えるほどのものではない。

 プライベートな席においても晃の所作は物慣れていて、同時に、意外とマイペースだった。

「この店、サイフォンコーヒーが有名らしいですよ。けど他もいろいろ……羽島さん、どうします?」

「…………ホットでいいです」

「そう。僕はラテ系にしようかな。あ、アートできるんだ」

 半ば独り言のように呟いて、さらりと二人分の注文を告げる晃は仕事上の姿とは随分印象が異なる。ラテアートに興味を持つなんて意外だな……などと考えていると、視線が合った。

 無言のまま先を促すように首を傾げた晃のまなざしに、陽士は下を向く。

「あっ、いえ……」

「羽島さん──くん、でいいかな。大学生?」

 一気に砕けた口調で晃は訊ねる。促されるようにぽつぽつと陽士は自分の現況、整骨院から徒歩圏内の学生アパートに下宿する公立大学経済学部の三年生であることを語る。

「就活中か。大変なときだね」

「はい。予定っていうのもそれで……だから助かりました」

 就活スタートから初の集団面接という局面を前に腰の不調を改善してもらったことは、非常にありがたかった。そういえば改めてお礼を言ってなかったと頭を下げる。対する晃は「仕事だからね。でもよかった」とほほえみ、店員の運んできたカップを陽士に勧めた。

「砂糖いる?」

「いえ、このままで……」

 陽士が控えめに断ると、晃は頷く。

「ブラック派なんだ。僕は駄目なんだよね。苦いの」

 アートの施されたカフェラテにスティックシュガーを注いでいる晃が少し意外で、陽士はつい

「甘党なんですか」

 と、口元をゆるめてしまった。歳上で外見が整っており、泰然とした印象の晃には緊張するばかりだが、砂糖を二本も入れている子どものようなさまに少しだけ親しみを覚える。 

「うん。甘いのが好き」

 さらりとそんな風に自分の好みを告げる彼は、逆にとても大人なように感じてしまう。

 陽士も甘い飲み物は決して嫌いではない。しかし思春期ごろからだろうか。数ある選択肢の中でキャラメルマキアートやココアなどといった子どもが好みそうな飲み物を選ぶのは、どうにも恰好がつかないと引け目を覚えるようになった。同時にブラックコーヒーという選択肢の無難さに気付き、人前ではすっかり選ばなくなってしまった。

 そのように、人目や外聞を気にして自分の趣向や本心から目をそらし、あるいは偽ることが、陽士には多々あった。性的志向もそのひとつ。乳首を弄るのが好きなどと他人に言えるはずもなかった。

 って、何考えてんだよ、こんな昼間っから……

 内心で首を横に振る。経緯を思えば仕方がないこととはいえ、晃を前にするとついついそちらに考えが及んでしまう。日の高いうちから良く知らぬ相手と待ち合わせをして、これからそういうことをしようとしている。その経緯を改めて思えば頬が熱くなり、しかし陽士はどうにか平静を装った。

「……北瀬さんは、ずっとあそこで働いてるんですか」

 話の矛先を変えると、彼はカップに手をかけながら軽く頷いた。

「アキラでいいよ。──そうだね。ほかにもやってるけど基本は。もう結構長いかな」

「大変ですか」

「どうだろう。それなりに色々あるけど……元々やりたかったことだし、院長も僕みたいに奔放だから。割と好きにやらせてもらってる方だと思うよ」

「いいな。……かっこいいです」

 就職活動中なこともあり、そう漏らしてしまう。やりたいこと。目標。自己分析。いろいろと言われるが、ハッキリ言って陽士の中に明確な意志などない。とりあえず無難に就職しようとしているだけだ。ちょうどホットコーヒーを選ぶのと同じように。

「全然。下町のちっちゃな整骨院だし」

「……でもやりたいことができるって、やっぱりすごいです」

「ふふ。じゃ、羽島くんも僕を見習ってくれてもいいよ」

 どことなく自嘲を孕んだ陽士の呟きを、晃は大人の余裕で受け流してくれたようだった。混ぜ返すような言葉に陽士もつられて笑ってしまう。

「けど、仕事だから。いいことばかりじゃないよ」

「え」

「『やりたいこと』をシゴトにするってのは、実は結構、難しい」

「……はい」

「それでもやっぱり自分の意志は大事だね。ま、行き過ぎると僕みたいになっちゃうけど」

 終わりのほうはジョークなのかもしれないが、陽士は神妙に頷いた。晃の言葉は曖昧なのに、なんとなくストンと落ちるものがある。

 思うに、晃と自分はつくづく対象的だ。見た目や、性的嗜好だけではない。誰に気兼ねするでもなく好きなものを好きと言い、やりたいことをやっている晃。引き比べて自分は……

 自らの就職活動に思いを馳せた陽士に向けて、晃は一転、いつぞやの蠱惑的な笑みを浮かべた。

「もちろん、時にはいいこともあるけど」

「……」

「ね。羽島くん」

 なんとなく取り変わった雰囲気に、陽士は落ち着きなく視線を巡らせた。周囲は陽の注ぐ午後のカフェテラス。この場にそぐわぬ、色濃く濃密な香りにくらりとめまいがするようだ。

「このあとどうしようか。僕のマンションに来る?」

「え……」

 問われて初めて陽士は思い至る。一体どこで『そういう』ことをするのか、全く考えていなかった自分の愚鈍さに。

「あ、安心してね。羽島くんの家に押しかけたりしないから」

「えっと、あの……」

「こんな得体の知れないヤツ、不安でしょう。ああ、でもそれは僕の部屋でも同じか。入るの怖いよね」

 確かにそうかもしれない。が、同時にそうではないような気もする。矛盾した気持ちを抱かせる晃のつかみどころのなさに、陽士は沈黙してしまう。

 その沈黙をどう捉えたか、晃はうながすように言った。

「ホテルにしておこうか。どう?」

「……どこでも大丈夫です。でも俺」

「ん?」

「あ……きらさんの部屋でも平気です。怖いとかは、ないです」

 呼びなれない名前を口にしながら、陽士は素直な思いを告げた。

 一時間にも満たないティータイムだが、陽士は不思議と眼の前の彼に心を許し始めていた。それは件(くだん)の『需要と供給』とはまた別の、晃個人に対して感じる不可思議な魅力ゆえのことであったのかもしれない。

 本心のとおり素直に告げれば、晃は一瞬眼を瞬いてから、くすりと笑いを零す。

「そう。じゃあよかったら来て。──けど、こんなヤツのこと、あんまり信用したらいけないよ。羽島くん」
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