【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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王子様の揺籠

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 白い揺籠の扉は、アウファトを迎え入れたあの日のまま開け放たれていた。
 変わらずランダリムの花は枯れることなく床一面に咲いて、甘く清廉な香りを放っている。
 今は、あの日よりも花の香りがずっと濃い。ジェジーニアからする花の香りのせいだ。

 ジェジーニアは眠っていた場所で、あの日と同じように丸くなっている。大きな翼をたたみ、自分を守るように長い尾を丸めて。
 あの日と違うのは、美しい黒髪は先端の方が白くくすみ、ところどころ切れたような跡がある。漆黒の鱗も白くなった箇所がいくつも見える。
 痛々しい姿に、石になるという実感が湧いてきてアウファトは息を詰めた。
 ジェジーニアを、石になんてしたくなかった。

「ジジ、起きてくれ」

 声が震えた。揺れる声は、静寂に飲まれて消えた。
 応える声はない。ジェジーニアは深く眠っているようで、静かな寝息だけが聞こえてくる。

「ジジ」

 ランタンも外套も防寒着も放り出し、アウファトは膝をついてジェジーニアの傍らに座り込む。
 絶望に似た冷たいものがなだれ込んでくる胸に、白き竜王の言葉が蘇る。

「俺が、選ばなかったから」

 アウファトの唇から漏れた後悔と悲しみに染まった声は揺れ、虚空に散った。
 震える手を伸ばし、白い頬を撫でる。滑らかな頬にはうっすらとだが温もりが感じられた。

「ジジ、だめだ、起きてくれ」

 そんな懇願めいた言葉が漏れる。拒絶した自分がそんなことを言える資格があるとは思えなかったが、それでも、ようやく気がついた自分の想いは止めることができなかった。

「ジェジーニア、死なないでくれ。やっとわかったんだ。愛が。お前を愛してるって、わかったのに」

 声が震える。
 このまま目覚めないのではないかと、アウファトの頭は悪いことばかり考える。指先に感じる温もりが今にも消えてしまうのではないかと、アウファトは空色の瞳を濡らした。

「諦めるなよ」
「フィノイクス」

 声に振り返ると、そこにはいつの間にかフィノイクスの姿があった。
 アウファトと目が合ったフィノイクスは、優しく微笑んだ。

「魔力をあげて。君のをあげれば、ジェジーニアは目覚めるはず」

 優しい声に、アウファトは逡巡する。魔力。アウファトが与えられるのは、体液によるものだけだ。

「一番濃いやつ、血をあげるんだ」

 そんなの安いものだ。血くらい、くれてやる。

「全部、俺の全部をやるから、起きてくれ、ジジ」

 冬の空の瞳から涙が溢れた。
 ジェジーニアが戻ってくるのなら、なんでもしようと思った。
 ジェジーニアを失いたくない。胸を埋め尽くすほどの想いを抱くのは初めてだ。苦しいのに、どこか温かな気持ちを抱いて、アウファトはその瞳に眠ったままのジェジーニアを映す。

 アウファトの手元には刃物などない。この身一つでここまでやってきたアウファトには、肌を傷付けられるものなど無かった。
 手段を選んでいる時間はない。アウファトが手に噛みつこうとした、その時だった。
 その手を、しっかりと掴まれた。

「っ、邪魔しないでくれ」

 咄嗟に声を上げたアウファトの目に飛び込んできたのは、見覚えのある黒い爪だった。
 掴んだ手を辿ると、その先には。

「ジジ」

 ジェジーニアが、アウファトの手をしっかりと掴んでいた。

「だめ、あう、もう、あうを傷つけないって、決めたから、だめ」

 ジェジーニアが、目を覚ましていた。金色の瞳は真っ直ぐにアウファトを映していた。いつもより冷たい手は、それでも、アウファトの手をしっかりと掴んでいた。

「あう、きてくれたの、うれしい」

 どこか青褪めた顔でジェジーニアが笑う。
 それを見てアウファトの胸に溢れるのは安堵だった。
 まだ、ジェジーニアは、生きている。
 甘やかな声に、胸がまた痛んだ。

「ジジ」
「あう、すきだよ」
「ジジ、おれ、も、お前がすき」

 自然と溢れた言葉に、胸の痛みが止んだ。
 痛みの止んだ胸を甘く優しいものが満たしていく。アウファトは初めて味わう感覚に震えた。そしてそれが、愛しいということだと理解した。
 ずっと胸が痛かったのは、アウファトが知らず知らずのうちに拒絶していたから。ジェジーニアからの愛を、受け止めるのを恐れていたから。
 たくさん浴びたら大丈夫と言っていた、あれがどういう意味か、わかった気がした。
 アウファトは身体を屈めて、蹲るジェジーニアに唇を重ねた。触れ合うだけのそれはすぐに深く重ねられ、舌を絡め取られる。
 溢れる唾液を啜られ、ジェジーニアの喉がこくんと鳴った。

「あう。あうの、おいしい。ありがとう」

 唾液を飲んで少しだけ力が戻ったのか、ジェジーニアの声に芯が戻った。
 そっと抱き寄せられ、ジェジーニアの胸に押し付けられる。そこには確かに温もりがある。先ほどよりも温もりが濃くなった気がして、アウファトは安堵のため息を漏らした。

「フィノ、無粋だぞ。退がれ。儀式をする」

 ジェジーニアのものと思えない鋭い声に背が震えた。その声はフィノイクスへと向けられたものだった。

「ふふ、トルヴァディアにそっくりだ。仰せのままに。ジェジーニア」

 どこか嬉しそうな声とともに、フィノイクスの気配は消えた。
 白く温かな部屋には静寂が戻り、二人だけが残された。
 ジェジーニアの手のひらがアウファトの頬を包む。

「目覚めるときに、あうの声が聞こえたんだ」

 ジェジーニアは抱いたアウファトに頬をすり寄せる。

「あの時できなかった、儀式をさせて」
「儀式?」
「アウファトを、つがいにする儀式」

 ああ、やはり儀式は必要なのかと思う。本にもあった、つがいの儀式だ。

「そのまえに、もう少しちからをわけて」
「ああ」

 アウファト答えと同時に唇が重なる。誘われるまま溢れる唾液を啜られる。口の中を、ジェジーニアの甘い舌が余さず撫でていく。
 もう何度も唇を重ねて口の中を探り合っているのに、今までのどれよりも特別だった。アウファトの中に生まれるのは、悦びだ。
 唇が離れるのが惜しい。アウファトの空色の瞳は離れていくジェジーニアの唇を無意識に追っていた。

「アウ、あうの魔力、おいしい」
「ジジ、大丈夫なのか?」
「ん、もう、平気」

 ジェジーニアの笑みは変わらず柔らかい。顔色も先ほどより少し良くなったようで、頬にはうっすらと赤みが差している。

「あう、俺の、つがいになって。あうのこと、大切にするから」

 ジェジーニアの声はとろけるような響きでアウファトの鼓膜を震わせた。散々囁かれてきた愛の言葉なのに、これは特別だった。
 返す言葉は、もうはっきりとアウファトの胸にあった。

「ん。ジジ、おまえの、つがいにしてくれ」

 拙い、それでも、真っ直ぐな、二人の誓いの言葉だった。

「うれしい。おれの、花嫁」

 しっかりとその腕に抱き寄せられる。ジェジーニアの腕は温かく、力強い。

「アウファト、愛してる。ずっと、俺だけのものでいて」

 熱を帯びた囁きに、アウファトはただ頷くだけだった。
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